合葬 (ちくま文庫)(杉浦日向子)

合葬 (ちくま文庫)

合葬 (ちくま文庫)

上野戦争で散った彰義隊の若い隊員たちの物語。切なくて胸が痛い。これを原作に脚本は渡辺あやで映画化されるらしい。楽しみすぎる!
http://gassoh.jp/

子育ての哲学: 主体的に生きる力を育む (ちくま新書)(山竹伸二)

子育ての哲学: 主体的に生きる力を育む (ちくま新書)

子育ての哲学: 主体的に生きる力を育む (ちくま新書)

子供を社会に導くにあたっての<一般的他者の視点>についての話が興味深い。
<一般的他者の視点>を獲得することはいずれ思春期などで経験する、極度に狭い人間関係での<空虚な承認ゲーム>から脱却し、自分の行動に自信を持つ足がかりになる。それを教えるためには第三者を引き合いに出すのが有効。「お父さんが許さないよ」「先生がだめって言ったでしょ」等。なぜなら親子二者間で交わされたルールは流動的で絶対性がないから。第三者を介することで子供にルールや価値の普遍性に気付かせる。
また成長する中で多様な価値観に出会い、自身の価値観を疑い、ときに修正する柔軟性を持つには、幼児期に<ありのままの自分>が承認(子供の感情を感じ取り、共感的な態度を示すこと)された安心感が重要。

子育ての悩みって感覚的にものすごく狭い場所でもがいてる感じがあるので、たまにはこうやってちょっと長いスパンで見てみるのはいいなと思った。

いっぱしの女 (ちくま文庫)(氷室冴子)

いっぱしの女 (ちくま文庫)

いっぱしの女 (ちくま文庫)

氷室冴子のコラムを読むのは初めてだったのだけど、これがまあ面白くて一気読みしてしまった。


どれもこれも面白かったのだけど、個人的にもタイムリーな話題でうーむと考えさせられたのが「詠嘆なんか大嫌い」という女友達との再会についてのコラムだ。
筆者が楽しみにしていた、大好きな年上の女友達との再会。しかし彼女の口からとめどなく流れ落ちるのは、夫と仕事と子供についての、詠嘆。

 久しぶりに会った私たちの再会には、おたがいの幸福な記憶や、いつか実現するかもしれない楽しい旅行の予定や、バカ話やお酒や、なつかしのGSナンバーを聞かせる大人のための素敵なクラブや、そこでの男の品定めやー
 ばかばかしくくだらない、でも楽しい、少なくとも楽しくしようとふたりで努力する限られた時間、それが記憶に残って、また何年も私たちを幸福にするためのなにかがあるはずではなかったの、と。
 あなたが夫にもいえずに胸底にためていた詠嘆を聞くためにだけ、私が今ここにいるのなら、あなたに共感する他のどんな役割も求められていないのなら、私はとても淋しい、と。

また別の女友達との再会。彼女もまた一晩中、夫とその親族の話に終始した。帰宅後彼女から茨城のり子さんの詩集が送られてくる。

「このなかの<花ゲリラ>という詩を読むと、いつも、あなたを思い出します」
 と書かれてあって、その詩を読んで私は泣いたけれども、それでも私の淋しさは消えなかった。この詩はそんな風に読まれるために書かれたのではない、詠嘆のあとに読まれる詩ではなく、詠嘆しないための意思の向こうに読まれるはずの詩なのに、と。

そうなんだよね…。
かなり前に読んだ何か(小説か漫画かも覚えてないw)で、毎日のように会って話していた女友達の顔がある日突然、自分の吐瀉物を溜め込んだゴミ箱に見え、それから彼女と距離を置くようになった、というエピソードも印象に残ってる。
言葉は残る。書いた言葉も話した言葉も。だからこそ大事にしなきゃいけないのだと再認識。
ちなみにとりあげられていた詩をググって読んでみたのだけど(こういうときにググって読んでしまうことについては後ろめたさを感じている)とても素敵な詩だった。他の作品もぜひ読んでみたい(ググらずに)。


「一番遠い他人について」も同じく言葉と共感について考えさせられた。
大学時代の、少し疎遠になりかけた親友の「あなたは〇〇〜なタイプだから」という押しつけがましい言葉への反発から関係が行き詰まっていたちょうどその頃のエピソード。

「どうして女性は簡単に、“わかる”という言葉を使うんだろう。“わかる”という共感に、よりかかりすぎてしまうんだろう。かるがるしく“わかる”というのが、どんなに傲慢なことかわかってない。少なくとも、自分はほんとうに“わかっている”のかと自問する姿勢がなければ」
 という教授の<文学研究の基本的な姿勢><卒論を書く心得>についてのお話が、教授の意図とはまるで違う領域の、人間関係のあやうさの秘密のように思えたのだった。

この話は「女は〜」という安易なくくりで語ることへの自戒にも繋がっていき、言及はされてないがその教授の言葉へも見事なブーメランとなっている。


高級ホテルを予約してブランドもののアクセサリーをプレゼントに…というクリスマスイブの光景(時代!)へのシニカルな視点から始まる「ありふれた日の夜と昼について」もいい。タイトルの言葉に帰結するラストの下りに胸がぎゅっとなって、ああさすがだなーと。


他にもカラーパープルの話とか、漫画評論についての話とか、良識過ぎるご両親の話とか、そのまま漫画化してほしいようなツアー旅行の話とか、ちっとも色あせない氷室冴子の言葉と感覚がぎゅっと詰まってて目の覚めるような一冊だった。また忘れたころに読み返したい。

親なるもの 断崖 第1部 (ミッシィコミックス) 親なるもの 断崖 第2部 (ミッシィコミックス)(曽根富美子) 蝶のみちゆき(高浜寛)

親なるもの 断崖 第1部 (ミッシィコミックス)

親なるもの 断崖 第1部 (ミッシィコミックス)

親なるもの 断崖 第2部 (ミッシィコミックス)

親なるもの 断崖 第2部 (ミッシィコミックス)

この漫画はスマホウェブ広告に出てきたので気になって試し読みしてみたら面白く、続きを読みたく調べてみるも、絶版。その広告を出していた漫画サイトは、月額いくらで契約する仕組みでどうにも気が乗らない。でも同じように思っていた人は多かったようで、その声が版元に届き再販が決定された。紙の本は来月出るらしいが、その前にKindle版が(しかも紙よりかなりお安く)出てたのでさっそく買って読んだ。

昭和初期、室蘭の遊郭に売られた少女たちの壮絶な人生が描かれる。そもそも人権などが確立してなかった時代とはいえ、彼女たちを取り巻く人々のその粗暴さには目を覆いたくなる。遊郭といえば美しく幻想的なイメージで語られるフィクションが多いけれど、実際ほとんどの女郎にとっては地獄でしかないと、現実を突きつけられるような思い。後半は日本が戦争に突入して行く時代に沿って描かれ、反戦的なメッセージも強い。読んでよかった。



遊郭ものといえばしばらく前にこれも読んだ。

蝶のみちゆき

蝶のみちゆき

時代は幕末、長崎は丸山の遊郭で人気の遊女・几帳は金さえ貰えれば客は選ばず、さっぱりとした性格で男女問わず人あしらいがうまい。吉原と違って異人さんが出入りすることも多いエキゾチックな雰囲気のある華やかな丸山、そこで几帳が生きる切ない理由が徐々に明かされる。良い意味で物足りなさを感じるほどに余白のあるストーリーテイリングが好み。そして遊女の宿命でもある、短い栄華の儚さが描かれているのも良いと思った。

またしても久しぶりに…

アウトプットをしたくなる時期、というのが定期的に来る。子育てに仕事にとほんとバタバタしてて空き時間はインプットばかりなのだけど、アウトプットなしのインプットはただ流れて行く。だからちゃんとしてなくてもとりあえずメモを取りたい。どこに?とあれこれ試してみたけど、結局のところそこそこ量を蓄積してるこのサイトを捨てるのはもったいないよなーと三周くらいして戻ってきました。
久々にアンテナのぞいたら数年前と変わらず更新されてるブログ主さんたちがいて、ほんと尊敬。わたしも継続したい。

悪魔の羽根 (創元推理文庫)(ミネット・ウォルターズ)

戦乱のバグダッドにて何者かに拉致監禁されたロイター記者のコニー。ほぼ無傷で解放されたものの事件について曖昧な証言に終始し、信頼する仕事仲間も避けてひとりイギリスの静かな田舎村に逃げ込んだ。拉致した男マッケンジーの再訪に怯えるコニーは、村で嫌われ者の隣人ジェスと不思議な信頼関係を築いて行くが…。
紛争地域では隣り合わせであったむき出しの暴力が唐突に、まるで別世界のような静かで美しい村に侵入する<悪>の現代性。時代や場所を選ばず、ただ自己の欲求のため他人を苦しめることに何の罪悪感も持たない<悪>の普遍性。マッケンジーとマデリーン、まったく異なるタイプではあるが同じく底の見えない<悪>に踏みつけられたコニーとジェスの視点には肩入れせずにはいられない。読者をぐっと引き込むわかりやすい物語の裏に描かれる、<悪>の多面性とその影響について読了後にも考えさせられた。
訳者解説に「大英帝国の新旧の植民地からおそろしいなにかがやってくるという物語がたびたび採用されて」いるホームズものからの着想があるのではないかとの指摘。なるほどー。


著者の作品は他に最近出た二冊しかまだ読んでないのだけど、どれもハズレなし。決して表面的な刺激だけでなく人間や社会そのものを描く深みがある。過去作も全部読みたい!

遮断地区 (創元推理文庫)

遮断地区 (創元推理文庫)

11/22/63 上 11/22/63 下

11/22/63 上

11/22/63 上

11/22/63 下

11/22/63 下

キングは実はあまり読んでないのだけど、本作は発売前からかなり評判が高かったので手を伸ばしてみたのだけど、たしかに面白かった!これだけ長い翻訳物を読み通したのは久しぶりかもしれない。しかも後半は夢中だった。

しがない高校教師がタイムトラベルによってジョン・F・ケネディの暗殺を阻止し世界を変えるという仰々しい目的がこの物語の中骨であるのだけど、この物語を表情豊かにしてるのは日常の積み重ねと人間関係、つまり人生そのもの。

そしてこの物語こそ人生そのもの、と言うのは褒め過ぎかな。結局意味なんてなかった。だけどそこで過ごした時間のかけがえのなさも真実。そしてこの物語にどっぷり浸かった私も幸せな読書体験をした。


それにしても秘密のタイムトラベルができるからといって、歴史の転換点を変えようと思うのは、良くも悪くも男っぽい発想だよね。大胆だなと感心する一方、それ単純過ぎるだろと呆れる気持ちもあり….