金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

八大竜王への祈り始まる

香合仏の開眼もあり、八大竜王への供養を始めた田阪師、朝も便も祈れれば祈り、なるべく多く祈りたい意向とか。

修法には修法の独特の趣きというものがある。

それを早く体得せねば祈祷にはならない。

それがいわゆる加行だが実際このレベルになると何座という決まりはない。

納得するまで何十坐でも何百坐でもしたらいい。

彼はそれを早くつかみたいのだろう。

それがあるということを知っているだけでも全く違う。

だからこのレベルでは何座やったらいいですかなどと言う質問は出ないのが本当だ。

ある程度、納得するまでやればいい。

ある程度というのはどこまで言ってもある程度だ。これも大事だ。

そうでないと至らざるに至れりと勘違いするバカな行者となる。

かくいう私も「ある程度行者」でしかない。

彼は既に弁才天一印法は毎日修して久しい。この法は八大龍王の印も出てくる法だ 。

うまくすれば祈りの勘をつかめるのもそう遠くはないだろう。

 

 

人生はあみだくじ

人生は「あみだくじ」だ。

一本加えて一生が台無しもあれば、一本加えてポーンと助かることもある。

その一本とは私たちの言動だ。

よくよく考えて一本いれられたい。

その一本が人生の行く末を決めるかもしれないから。

守護霊の話

守護霊が誰かわからないのでみて欲しいと言われることがありますがそういったことはわかりません。

時々ブログ記事では霊的なメッセージをするような場面もありますが、それは霊狐あたりが必要と判断した場合だけで、普通はほとんどはそういったことはないんです。

私自身に霊能はないので「あずさ」のような背後霊の力がなければなにもわかりません。

 

強いて言えば相手が霊的に強い方だと私はそれに呼応する体質?のようです。

だから来られた方がご自分で霊的な人間なのだと思っていてもなんの反応もない方は実はそうではないとしか私には思えません。

有り体に言ってただの思い込みだとしか思わない。

守護霊だって誰にでもある訳じゃない。

でも特別霊的でなくても先祖供養等よくする人には御先祖の守りがあることは感じる。それも守りがあるという意味で立派な守護霊といえましょう。

時に先祖や亡き親御さんの供養を一切しない方は祈祷しても空しい感じさえします。

そういった方には祈祷には熱心な人もいますが所詮恩ということを思わない方であると本尊にもわかるのかも知れません。無反応なことも多い。

特別なことはしないでも彼岸や盆のお参りや年忌法要などしているかいなかは大事です。

肉親でも亡くなった親などと不仲で供養したくないという方もいます。

そういう方もあるでしょう。

それは個人の自由ですが自分たちがよくなりたいならよくよく考えるべきことと思います。