野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

竹野相撲甚句とテトラコルド/永田法順さん/今年も門限ズ

朝起きて、突然、竹野相撲甚句の分析をし始めた。どういう特色があるのだろうと、前唄と本唄について分析していくと、小泉文夫のテトラコルドの考えが有効。

 

1 レファソ

2 ラドレ

3 ドレファ

4 ソラド

 

という4つのテトラコルドに分解してピッチだけに着目する。(2は1の完全5度上、4は3の完全5度上)

 

本唄は、2→1→4→1→3→1→4→1となっているが、前唄も2→1→2→1→4→1→3となっていて、拍にのって歌う本唄と、こぶしを聞かせて朗々とテンポなしに歌い上げる前唄は、ある意味、同じ流れを違う時間感覚で進んでいる。ということは、分析しなくても体感としてはそうなのだけど、でも、そうなんだなぁ。

 

ちなみに、この完全5度の関係にあるテトラコルドを増4度にすると、途端に不穏な響きになりメシアンの「移調の限られた旋法」第2番の構成音になる。肥後琵琶の山鹿さんの調弦が時に前衛的に聞こえるのは、完全5度や完全4度に調弦せず、調弦が狂っている(あるいは狂わせている)ことが一因だと思う。これから、山鹿さんの調弦はどう狂わせているのかを研究していきたいと思っている。調弦を狂わせれば弦同士が共鳴しなくなるので、結果として楽器が鳴らなくなる。だから調弦するのが一般の考え方だが、肥後琵琶は楽器の鳴りを補うために、「竹ざわり」をつけてプリペアド琵琶にする。山鹿さんは、それでも余韻が短いからか、全部の弦を太い弦にして低い調弦にしている。ぼくは、そこが面白いと思う。

 

facebookに肥後琵琶について英語で投稿したのだが、日本語話者の方々からも反響が色々あり、永田法順さんという日向琵琶の最後の琵琶法師という方の存在を教えていただく。隣の宮崎県に行くだけで、全然違って面白いものだ。

 

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門限ズとユニバーサル舞台芸術実行委員会と佐伯市桜ホールとでのオンライン会議。今年度、実施する予定のプログラムについて。

 

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本日は、里村さんの仕事がお休みで、家の掃除や片付けを二人でいっぱいやり、里村さんはDIYで棚も作っていた。片付けがはかどり、リフレッシュする日だった。

 

 

トーマス・マン/橋口桂介さんの琵琶語り/千住の1010人と天候

我が家では、毎晩寝る前にトーマス・マンの『魔の山』を朗読するとよく眠れるので、毎日、朗読をしているが、すぐに寝てしまうので、少しずつしか進まない。でも、ついに上巻を読み終え、明日から下巻に。上巻の最後は、それなりにドラマだった。はたして、下巻を読み終えるのはいつだろう?

 

1000ya.isis.ne.jp

 

肥後琵琶にも色々ある。最後の琵琶法師と言われた山鹿良之さんが1901年生まれだが、橋口桂介さんは1914年生まれ。演奏も、山鹿さんのものとは随分印象が違う。今日は一日中、橋口さんの演奏を聞いていた。

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熊本は雨が続き、なかなか洗濯物を干せない。2025年に『千住の1010人』を開催するにあたって、天候のことを考える。晴天がよくて雨天がダメとしてしまうのでなく、雨は雨で雨の音とも共演できるとも言える。どんな天候にも対応できるように準備することって可能なんだろうか?昨年の『ガチャ・コン音楽祭』では、途中で豪雨があり、途中で雨はあがり、天気の変化自体が本当に劇的だった。天気に左右されずに開催するために、プロ野球ドーム球場を作り、大相撲は国技館を作ったけど、野外で公演するならば、天気の影響を受ける。天気をコントロールすることはできない。でも、天気に順応することならできる。どう考えるのか?そこは要検討。ちなみに、2014年に『千住の1010人』を開催した際は、台風の到来が予定より一日遅れて奇跡的に雨が降らず開催できた。翌日はどしゃぶりになった。

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3分音/千住の1010人の人数構成について

庭でミントが育っているので、採れたてのミントでミントティーを入れてみる。ハーブの生命力はすごい。

 

モーリス・オアナの作曲作品はしばしば「3分音」を使用するのだが、作曲家曰くスペインなどの民謡には、3分音は自然に出てくるのだと言う(ドビュッシーブゾーニが考えていた3分音による18音平均律よりも、もっと民謡ベースでできてきたもののようだ)。平均律の半音が100セント、四分音が50セントなので、とりあえず、66.7セントくらいで、3分音に箏を調弦してみる。なるほど、このくらいか、と思いながら、3分音の箏で即興して遊ぶ。

 

『千住の1010人』は、2014年に開催し、その6年後の2020年に再度開催する予定がコロナで開催できず、2025年の開催に向けて動いている。出演者を1010人集めるのが非常に大変だが、千住という地名で「だじゃれ音楽」をやっているので、2014年も必死になって1010人を集めた。

 

2014年に作曲した際に考えたのは人数だった。作曲にあたって、応募にあたって、楽器と人数を想定した。それは以下のようなものだった。

 

弦楽器(142)

ギター(50)

ウクレレ(90)

箏(2)

 

管楽器(254)

金管(30)

木管(50)

リコーダーなど(70)

鍵盤ハーモニカなど(104)

 

打楽器(301)

紙ドラム(50)

ジャンベなど(60)

瓦(100)

炊飯器/フライパン(50)

ガムラン(25)

ピパート(15)

小鼓(1)

 

行為(255)

犬の散歩(101)

紙飛行機(100)

凧(10)

キャッチボール(4)

なわとび(10)

売る人(30)

 

進行役(58)

ヤッチャイ隊(30)

だじゃれ音楽研究会(25)

指揮(3)

 

2025年バージョンでは、この人数を想定しないで進めたい。募集はするが、どんな比率で人が集まるかは、集めてみたいと分からない。色々な層を満遍なく集めようとしても、結果はそうならないだろう。ウクレレを90人と設定したのは、ウクレレは音量が弱いので最低でも90人はいないと音で負けてしまうと思って90人に設定した。でも、そんなに集まらなかった。集めた結果、マイノリティになるパートが絶対に生じる。数にばらつきは当然できる。でも、ぼくが作りたい音のイメージに合わせた人数比で人を構成するのを目指すのをやめよう。とにかく参加を表明して集まった人のバランスがぼくの想定を超えるアンバランスであろうと、野村+音まち事務局+だじゃ研の即興力/現場力で、その場でアンサンブルを成立させる調整をしよう。その方が絶対に面白い。

 

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サンリオ展と藤浩志

熊本市現代美術館で、明日から開催される『サンリオ展』の開会式と内覧会に参加。熊本会場では特別に藤浩志さんが出品しているので、藤さんご夫妻にお会いするのがメインの目的。

sanriocharactermuseum.com

 

サンリオの創業が1960年で藤さんが1960年生まれとのことで、同じ年であるらしい。藤さんは、サンリオのグッズだけを使ってインスタレーションをしていた。日比野克彦さんの参加型の作品も、熊本会場だけでの特別企画。

 

展覧会は、『ニッポンのカワイイ文化60年史』という副題がついているので、サンリオ以外にも様々な「かわいい」文化が登場するのか、と言えばそうではなく、サンリオの60年史である。また、『ニッポンの』とついているので、海外にどのように受容されていったか、などがあるのかと思ったが、そうではなく、『ニッポンのカワイイ文化』が日本においてどのように受容されていったかの歴史であった。

 

あと、『カワイイ』がキーワードになっているが、実はそんなに『カワイイ』が強調されているわけではない。「ぶりっ子」、「いじめ」、「ベトナム戦争」など様々なテーマに対する読者の投稿が生々しい『いちご新聞』は印象的で、単なる消費ではなく参加していくところが面白く、その意味で、本展が藤浩志や日比野克彦の作品で、「共につくる」あり方を提示しているのは合点がいった。

 

今回の展示で知ったのだが、藤さんが「かえっこ」を始めて24年とのこと。ぼくが「しょうぎ作曲」を考案したのが1999年。「しょうぎ作曲」で一つの価値観に回収しないやり方での多文化共存としての共同作曲のやり方を提示してから25年かぁ。東西冷戦が終わり、アメリカ一強時代、9.11のテロが起こる少し前の20世紀の終わりのことだった。

 

あれから25年、無我夢中で活動してきた。義務感とか責任感とかじゃなくて、本当に面白くて楽しくて、のめり込むように続けてきた。でも、楽しんで活動していく中で、社会の中で無視されている声をいっぱい耳にして、少しでも力になりたいと思って活動してきた。でも、深刻になりすぎると自分らしさを失ってしまうので、常に楽しくユーモアを交えて伝えてきた。楽しそうだったり、ユーモラスだと真剣に聞いてもらえない時もあり、深刻そうだと重たくて聞いてもらえない時もある。だから、ずっと伝え方を模索してきたし、今も探している。楽しいことと深刻なことが両方あるようなことを、現実に正面から向き合いながらファンタジーであるようなことを、やってきたし、やっていくぞーー、と藤さんとの再会とサンリオ展から思った。

 

 

 

The Kyushu biwa tradition/門限ズ/ジョリヴェのガムラン

せっかく熊本に住んでいるので、継承者が数名という肥後琵琶をリサーチしている。肥後琵琶の琵琶ひきは、明治以降(当道座=盲人の職能団体が廃止以降)は「妙音講」という芸能組合に属していたそうであるが、「妙音」という言葉が面白い。絶妙な音とでも言うか。ちなみに、妙音天とは弁財天の別称とあるらしい。

 

小太郎さんとの話で少しだけでも名前を聞いた人を順番に調べている。ヒュー・デフェランティという研究者の話が一瞬出たので調べると、Hugh de Ferrantiという音楽学者で、我が家にあるThe Ashgate Research Companion to Japanese Musicという本に、The Kyushu biwa traditionを執筆していることに気づく。以前、筑前琵琶の川村旭芳さんが「世界のしょうない音楽ワークショップ」に参加された際、筑前琵琶の項目だけ読んで、そこに川村さんの名刺が挟んであった。やはり、本は読むに限ると、Hugh de Ferrantiさんの章を読むと同時に、The Last Biwa Singerという本も書いていて、それは肥後琵琶奏者の山鹿さんについてのものと思われるので、これは注文してみる。booklog.jp

 

これからコントラバスの四重奏を作曲するのだけど、その曲には肥後琵琶からぼくが吸収したエッセンスが詰まったものになる予定。

 

突然、門限ズのオンライン会議。秋に何かやる可能性が浮上。

 

今日は、ジョリヴェの《ピアノ協奏曲》を分析していた。2楽章の途中、以下の動画の11:09あたりからは、ジャワ・ガムランを模していると思われるのだが、似ていないから面白い。ついつい、何度も聴いてしまった。

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肥後琵琶リサーチ4回目

肥後琵琶の稽古4回目。後藤昭子さんのお宅で、岩下小太郎さんと3人で(途中で、小太郎さんのオンラインの生徒さんも合流)。里村真理さんが編集で関わった中野裕介さんのカタログが完成し、後藤さん、小太郎さんは、2年前の不知火美術館・図書館での中野裕介展で琵琶の演奏もし、カタログにも寄稿していただいているので、里村さんから預かりお渡しする。不思議なご縁である。

 

宮川光義さんの写真集『肥後琵琶夫婦讃歌』を見ながら、後藤さんのお話を聞く。山鹿さん宅に9年間毎週通われた後藤さんなので、色々なことを思い出しながら話をしてくださるのが興味深い。

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九州では「おはっつぁん」と言い、仏壇に炊き立てのご飯、お茶、水をお供えし、神棚にご飯と水をお供えするのだそうだ。ぼくの名古屋の実家では、仏壇にご飯をお供えするだけだったので、お茶や水もお供えするのかぁ、と新鮮。堀教順さんのお墓は琵琶の形をしていて、そこで山鹿さんが琵琶を持っている写真もあり、次回はこのお墓に行ってみようということになった。また、『千人まいり』と言って、地域の中で88ヶ所を決めて巡ることがあり、88ヶ所のうちの1ヶ所が山鹿さんの家だったと言う。

 

山鹿さんの演奏の動画を見ていると、語っていて琵琶を弾いていない時に、左手が随分と駒の近くに行くので、それが不思議だった。その疑問をぶつけると、肥後琵琶には、薩摩琵琶や筑前琵琶にはない『竹ざわり』というものがあり、それが外れないように調整していると言うのである。薩摩琵琶や筑前琵琶は、桑の木を使って楽器がよく響くが、肥後琵琶はセンダンの木などを使っていて鳴りが悪い。だから、『竹ざわり』をつけて響きを強調する必要も出たのでは、との推測も。『竹ざわり』は、肥後琵琶のセールスポイントになり得る特色と思った。

 

肥後琵琶の手の型について説明を受けていると、後藤さんが「山鹿さんのは、こうですね」と弾き始める。小太郎さんによると、この手は、山鹿さんの音源では聞いたことがあったが、どう弾いていたのか今まで謎だったそうで、それを突然、後藤さんが思い出して弾き始める。小太郎さんは興奮しながら、ビデオを撮られる。ぼくは次回までに、この手を練習してみようと思った。

 

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肥後琵琶リサーチは続く。

 

庭仕事/千住の1010人

もう長いこと、生ゴミを庭に埋めている。これで可燃ゴミが大幅に減らせるのと、埋めたゴミから想定外に野菜が出てくることもあり、出てこなくても畑の栄養になるからいいや、と埋めている。ぼくの作曲に似ている。鍵盤ハーモニカ、ペットボトル、廃棄された古瓦、だじゃれ、など、価値を見出されずに捨てられてしまう。だから、生ゴミから予想外の野菜が出てくることは、創作活動と似ている。

 

生ゴミを埋めるときは土をかぶせていた。しかし、猛烈に雑草が成長しているので、土をかぶせるかわりに大量の雑草をかぶせてみようと考える。そうすると、生ゴミを埋めるのと、雑草を抜くのがセットになって、庭の雑草勢力が少し減少する。ぼくの作曲精神からすれば、雑草こそ応援しそうなものだが、実は雑草はマジョリティで、そんな中で奇跡的に出てきた野菜の方がマイノリティなので、マジョリティに駆逐されないように雑草を減らしている。

 

などと、自分の庭仕事について、もっともらしく理屈を考えるが、要するに何か食べられるものができたら嬉しいのだ。

 

ただ、外での作業を長時間するのも考えもので、気象庁の予報でも黄砂やPM2.5が酷い。洗濯物を外に干してしまったが、部屋干しにすべきだっただ、と少し後悔。窓を閉め切ると暑い初夏のような気温なので、窓を開けて風を呼び込むが、なんだか痒いような気がし窓を閉める。とりあえず、家中に掃除機をかけて空気清浄機を稼働させる。うーむ。東南アジアの排気ガスの中で、ベチャやトゥクトゥクに乗って過ごし、大気汚染への耐性はあると思っていたが、そうした身体への酷使でのつけか、この歳になってアレルギーっぽい。免疫力高めなくっちゃ。

 

庭仕事や掃除も、どこか創作につながっているし、目的もなく本を読んだり、楽器をしても、それは創作につながってくる。どんなアイディアも、来年度に実施するつもりの《千住の1010人》につながるが、そうしたアイディアはメモしないと忘れてしまう。そこで、ボードにポスターの裏紙を貼って、そこに《千住の1010人》のアイディアをメモすることにした。

 

今日のメモ

 

1010人の『ねってい相撲聞』

playerでありlistenerであること

出演者(奏でる人)、観客(聴く人)という境界を行き来する

全員が「聴く」というパフォーマンスのプレイヤーになる仕掛け

 

楽譜あり+練習あり:202人

楽譜あり+練習なし:101人

楽譜なし+練習あり:202人

楽譜なし+練習なし:505人

 

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