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[25691] インフィニット・ストラトスVSオービタルフレーム(IS・Z.O.E設定クロス)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/03/16 11:00
 ISことインフィニット・ストラトスがそういえばアニメ放映したんだったなぁ、と思い。
 古本屋で三巻目まで買ってみました。やっぱりロボが好き。

 そんなわけでムラムラしたので気晴らしにテンプレートな転生オリ主を書いてみようと思った。主人公は親友の皮を被った誰かです。
 ここに来る前に神様にあれを譲られたが、コストが高すぎたのでいろいろ制限を受けたと思ってください……と、見せかけています。

 むしろ主人公にあのメカを操らせたいというのが本音ですが。ぶっちゃけ――『どうしてISって、あれと足先の形が似ているのにだれも書いてくれないんだろう』と思ったのが大きな理由の一つです。
 深く突っ込まないでー。

 なお、三月十六日、にじファンさんでの掲載を開始しました。


 それでは、肩の力を抜いて――ではなく、肩に力を込めて読んでください。(え) 


 二月二日、チラシの裏からその他板に移動いたしました。
 二月三日、タイトルを変更しました。




――



















 まず最初に憧れたのは――飛行機だった。
 子供の頃に両親が見せてくれた演技飛行。飛行機が空中で滑らかに飛び回り、見事な演技飛行をみせてくれるのを子供心に喜んでいたのを覚えている。
 綺麗で、早くて、強そうで――あれに乗るにはどうすればいいのか、と両親に興奮気味に話した俺に、しかし母親も父親も少し困ったように応えた。

『ああ。でも……もう戦闘機なんて時代遅れだしなぁ』
『弾が女の子なら、ISに乗るって事も出来たんだけど、男の子じゃあね』 


 IS。
 元々は宇宙開発用に設計されたパワードスーツ。既存技術で設計された兵器類を全て屑鉄に変えた最強の兵器。
 機動性能、攻撃力、耐久力、全ての面において最強。最早世界のパワーバランスはそれらを幾ら保有する事ができるかの一点に掛かっており、日本にあるIS学園はそれら国防や利権に大きく絡む女性の育成の場になっている。
 そう。
 女性のみだ。
 ISの奇怪な特性として、それらを起動させ運用する事が出来るのは何故か女性のみであり――ISを稼動させる事が出来る=女性は強い=女尊男卑の風潮が徐々に浸透し始めている。この世にそれが生み出されてからまだ十年といくつか程度しか経過していないのに。

 時折、弾は無性に恐ろしい恐怖に駆られる時がある。
 
 ISがこの世に生み出されてからまだ十数年。それ以前の男性を見下す風潮などまったく知らない世代はまだまだ大勢いるにも関わらず、町を歩けば男性を奴隷扱いする女性が少しずつ出ている。

 たった十数年でこれだ。

 もし――ISが世界最強の兵器であり、そしてそれらが生まれた時から空気のようにごく自然に存在している世代はどうなるのだろうか。

 たった十数年でこれなのだ。
 
 女性にしか扱えない最強の兵器――それはそんな上っ面の文言よりも遥かに恐ろしい差別の時代を呼ぶ代物ではないのだろうか。世代が進めば歴史が流れれば、男性は子孫を残すための道具に成り果てて、今のように建前の男女平等の風潮など枯れ果てて本当の意味で奴隷扱いされるのではないのだろうか。
 十数年で今の状態。ならば時間を経る事に差別は深まり、それを誰しも当然と受け入れる時代が来るのではないのか。
 五反田 弾は自分が時折若さに似合わぬ考え方をする事を自覚していた。夢も希望も進路も漠然としているようなありふれた青春ではなく、生まれた時からどこか不安と恐怖を胸に巣食わせていたような気がする。

 もちろんこんな考えが、男性と女性の和を乱すものである事など理解している。少なくともインターネットで書き込んで他者の意見を求めたときは、すぐに封殺されてしまった。削除規制の対象になり――勿論捕まるようなへまなどしてはいない。
 自分の考えが今の社会の風潮に合わないことは自覚している。インターネット喫茶を使い、色々とプロバイダを経て足取りを手繰られないように手を尽くしていた。
 分かっている。自分は天才だ――それも唯の天才ではない。まるで自分の十五年間に合わせて三十年か、四十年ほどの歳月を掛けねば会得できない知性がある。
 その知性が、今の状況に危うさを感じていたのだ。

 

 ISを設計した彼女――篠ノ之束はその当たりをちゃんと考えていたのだろうか? と、五反田 弾は考える。
 一夏から彼女の事を又聞きしたことがある。あの天才科学者――箒、一夏、千冬の三名と両親のみをかろうじて身内と判断するらしい女性。それ以外には眼中にすらないといった態度の社会不適合者は考えたのだろうか。
 ダイナマイトを発明する事で大いに世間に貢献し、同時に軍用に用いられる事で犠牲者を出したノーベルのように。空を飛びたい一心で飛行機を作り、そして軍用に転用されたライト兄弟のように。戦争に流用される可能性を考慮したのだろうか。

 科学者とはできない事を出来るようになろうとする人種だ。そういう意味では篠ノ之束は見事なまでの科学者だ。
 自分の欲求の赴くままモノを生み出し、それがどういう結果をもたらすかなど微塵も考えず、ただただ身内のみを愛する彼女は――ただの男である自分、五反田 弾のことなどまったく意に介してなどいないだろう。

 幼少期――憧れであった戦闘機に乗りたいと駄々をこね。
 そして大きくなるにつれ、世界のどの国も戦闘機開発を全て放棄し、ISの開発に着手し始めて――憧れの翼を時代遅れにされた子供の気持ちなどきっと知らない。子供の頃の憧れが――無人機に改修され、ISの訓練用ドローンに転用された無惨な気持ちなど知らない。
 ならば――と、この世で最強の力、ISに乗りたいと思った子供の頃、同学年の少女達に男はISを使えないと教えられた時の、あの悔しさなどきっと知らない。少女達のどことなく自慢げな――男を見下した眼差しなどきっと知らない。



 夢に挑む事すら許されなかった(オス)の気持ちなどきっと彼女は永遠に想像しない。



 そして――自分が望んで止まないものを偶然手に入れた親友に対する堪え難い嫉妬など、あいつはきっと、想像もしていない。





「なー、一夏」
「んー?」

 五反田 弾には友人がいる。
 幼少期からずっとの腐れ縁の男友達。織斑一夏。とりあえず見ていてイラッとするぐらいに女性に持てるフラグ立て職人であり同時に鉄壁の鈍感である。友人としてはまず良い奴と言えるのだが――しかし妹である五反田蘭の彼に対しての感情を知っている兄としてはいささか困ったものなのだ。
 さっさと一人に決めてしまえ。恋愛からの痛手より回復するには時間がかかる――なにせ、なんの因果か、こいつは妹の競争相手が山盛り特盛りの学校に編入されてしまったのだから。

 いや、いい奴なのだ。そこは弾は胸を張って主張できる。
 ただし、兄としてはその修羅場に巻き添えにされたくない。出来るならば遠いところで幸せになってください、が本音である。

 今現在、五反田弾はエロ本の家捜し、もといIS学園へと編入された友人、織斑一夏の編入の手伝いをしていた。
 もちろん――友人の一夏の事を憎からず思っている妹の蘭も手伝いに来たがったのだが、予定が合わずに残念ながら断念している。とりあえず妹には『心配しなくても……一夏のパンツは土産にもらってきてやるから。俺の社会的生命と引き換えにな』と機嫌を直すよう言った。
 死ぬほど殴られた事は言うまでも無い。

「で、実際どうなのよ?」
「どうって……なにが?」
「とぼけやがって。右も左も国際色豊かな女人の園だぜ? なんつーか、こう十八禁な展開……は悔しいからともかく、十五禁的な展開とか無かったのかよ?」
「おいおい、どんだけ手が早いんだよ俺」

 と、すっとぼけているが――コイツの場合は自己申告がアテにならない事が多々ある。
 中学時代からの付き合いであるものの、何度こいつのラブコメの背景にさせられ、いつ絞め殺してやろうか、と考えた事は両の手を扱っても数え切れない。
 困ったように溜息を吐く一夏は、厭そうにこちらを見た。

「そういうお前は――都内の進学校だろう? 量子コンピューターの勉強がしたいとか。……お前頭悪そうな外見の癖に頭は恐ろしく良いからなぁ」
「……いやさ。俺は――」

 弾は、かすかに笑う。

 夢があった。

 IS。
 人類最強の兵器。その兵器に乗り込んで闘う無敵のエース。子供のようなおおよそ現実味の無い夢。
 ……男に生まれた人間が、雄に生まれた生き物が――どうしてその夢を諦められる? 子供のような夢とはおおよそ実現不可能な夢を指すが……その夢を見なかった雄など何処にいる?
 

 地上最強。天下無敵。撃墜王。英雄。


 そういう言葉に心惹かれない雄など雄ではない。

「やってみたい事があったけどよ。どうにも才能がないんだわ」

 おどけたように笑って肩を竦める。
 そして自分は――雌ではなく、雄だから、その夢に挑む事すらできないでいる。
 嗚呼、今この世の中で、最強という称号に挑む事すら許されない精気と野心に満ち溢れた雄達が、どれほどの無念と憤怒をはらわたに溜め込んでいる事か。
 分かっている。自分の進路は唯の代償行為だ。
 最強になれないのであれば――技術者として最強を自分で生み出す。それが――弾の選んだ、夢の残骸を掴む手段だった。
 
「ほんと……女人の園にたった一人の男子だなんて……」

 冗談めかして弾は言う。
 
 悔しい。悔しい。悔しい。涙を飲むぐらいには。

 奇跡は狙いを外した。運命の女神は、ISに特に執着も関心も持っていない自分のすぐ傍にいた親友を狙い撃った。
『史上初のISを扱える男性』という――弾がどれほど恋焦がれても得ることの出来なかったそれを、彼は手に入れたのだ。自分にとっては金銀財宝などよりも遥かに意味のある崇高な宝物を、手に入れたのだ。

「羨ましくて……死にそうだ」
「はは」

 一夏は笑う。弾の言葉が心の底からの本心であるなどと気付かず。

 ……きっと彼は、周りが女性ばかりのハーレムとも言うべきIS学園編入が決まった事を羨んでの言葉と思っているのだろう。当然だ、この友人にはそう思わせるように弾は自分の発言をコントロールしてきた。
 軽薄で、お調子者で、情誼に厚い、中学からの親友。
 自分がどんな思いを抱いていたか、一夏にどれほどの嫉妬を抱いているのか――彼は知らないし、弾もそれを知らせる気は無かった。良い奴なのだ、妹も彼を慕っているし、なんだかんだで友人のために体を張る義侠心だって持ち合わせている。
 分かっている。自分のこれは唯の醜い嫉妬だ――そして幸いというべきか、それとも不幸にもというべきか、弾はそれを自制する成熟した精神を持っていたのだ。
 大丈夫、俺は大丈夫――親友の前で本心など明かさず、この気持ちを永遠に墓場に持っていく。


 俺はそれができる男だ。



 それが、出来る男だった。




 それを見るまでは。





「ん? 弾?」

 織斑一夏にとって五反田 弾は親友である。同年代の友人だけあってデリケートなもの……具体的にはエロ本を見てみぬふりをしてくれる繊細さは千冬姉にはないものだ。
 ……とはいえ、そういう猥雑本を女しかいない寮に持っていくことはできないから親友である弾に全て預ける事になっている。エロ本を預ける事が出来る親友なんて一生涯掛けても見つかるかどうか。
 そんな彼が――ゴミ箱の前で蹲り、肩を震わせているのを見て……一夏は思わず声を掛けようとする。
 
 その時の彼の顔を、一夏は生涯忘れないだろう。

 怒っている。
 心の底から――激しい激怒の炎を、本気の殺意を眼差しに込めていた。
 一夏は一度――第2回モンド・グロッソ決勝戦当日に誘拐された経験があるが……誘拐のプロフェッショナルが見せた機械的な凄みよりも、より激しく原始的な怒りと憎しみの感情を叩き付けられ、思わず息を呑んだ。
 眼差しだけで人を殺せそうな勁烈無比の眼光。襟首を掴み上げる力は、抗する事も許さず彼を空中へと吊り上げた。こんなに力が強い奴だったのか? ……まるでなにか肉体を酷使する職業に付く為に準備として鍛えていたような腕力だ。

「なんで……」

 足元に打ち捨ててあったのは――電話帳。
 いや、目を凝らしてみれば分かる。一夏が電話帳だと思って捨てたそれは、IS学園における基礎学習事項を詰め込んだ教科書であり、編入する前に送られてきた教材だった。

「……なんで……!!」

 一夏には、どうして弾がこれほどまで激怒しているのか理解できない。どうしてゴミ箱に捨てられていた電話帳を見て彼が泣きそうな顔をしているのか判らない。歯軋りをする姿も激情を露にする様子も――今まで一度も見せたことのない、想像すらしなかったものだった。

「……なんで……お前だけが……!!」

 負の感情――弾が覚えていたのは堪え難い嫉妬と怒り。
 まるで幼い頃に泣く泣く諦めた高嶺の花だった片思いの人が、今の恋人にまるで大切にされていないような光景に……関係者にしか配られない資料をゴミ箱へ放り込むそのぞんざいな扱いに、弾は歯軋りの音を漏らす。今まで影すら見せたことも無かったISへの憧れを無造作に踏み躙られ……弾は、キレた。
 もちろん――人類初の男性でISを操れるという一夏を影ながら護衛しているSPが弾の暴行を見逃す訳も無く。
 どこからかわらわらと沸いて出た黒服に押さえ込まれながら――弾は吠えた。何故これほど色濃い憎悪を叩き付けられるのかまったく理解できず呆然とする一夏に、弾は吠え続けた。

「なんで……なんで……なんでお前だけが、なんで……お前なんだああぁぁぁ!!」


 




 きっと――日本のIS関連の人間は自分に対してマークを始めただろう。
 恐らく日本のどこかに諜報機関では誰かの机の上に自分のパーソナルデータが山済みにされているはずだ。迂闊な発言などしたことはないが、洗いざらいプライバシーを調べられていると思うと流石に不快だ。
 一人自室で――食事も拒み、兄の只ならぬ様子に心配の声を上げた蘭も無視し、弾は一人、電気もつけない部屋で唸る。
 SPに連行され取調べを受けてきた――背後になんらかの組織が存在しないかを徹底的に尋問され……弾は素直に全て応える。隠す事など何も無い。誰でもいいから憤懣をぶちまけたかった。冷静さを抑えきれなかった。
 自分はクールだったはずだ。憧れも夢も飼い慣らすことができたはずだったのだ。……だがあれを見た瞬間、嫉妬と悔しさで感情の堰は決壊した。

「俺は……自制できる男のはずだ」

 拳を握り締める。

「一夏がISを使うって決めたなら――祝福してやれば良い……あいつには適正があった、それだけの話だ、それだけの話なんだ……!!」

 歯を噛み締める。

「なのに、どうしてこんなに悔しいんだ!! 諦めたのに、捨てたのに、もう現実的な生き方しかしないと決めたのに!!
 どうして俺はまだ……ISに恋焦がれているんだ!! 手に入らないものを手に入れたいとそう思っているんだ!!」
 
 壁を殴りつけた。……音ぐらい聞こえているはずだが、蘭は兄の只ならぬ様子を察しているのか何も言わない。今はただ、優しい無干渉がありがたかった。
 酒が飲みたい。まだ未成年だが。
 少なくともこの胸をきしませる激しい嫉妬とたまらない悔しさを消せるなら酒気で頭を濁らせたい。

 弾は――五反田食堂でお客に出す用の酒をちょろまかして、レジに代金を置くと親の目を盗み一人瓶を傾ける。生まれて始めての犯罪。
 飲んだのは一瓶のみ。……初めて酒を飲んだことでアルコールに弱かったと発覚した自分の体質が――これほどありがたいとは思わなかった。
 





 それが、指に掛かっていると気付いたのは未だに脳髄が酒気で酩酊したままベッドに倒れ込んだ状態で半覚醒した時だった。
 部屋には誰もいない。鍵も掛かっている。学校では学年主席の弾は、親の信頼も厚くきっと酒を飲んで酔いつぶれているなど想像もしていないのだろう。
 だから誰も入った人はいないはずなのに――何故か奇妙なストラップが指先に絡まっている。

 まるで――狗のような頭部。
 ロボットの首から上、まるで胴体から下を千切られたようなデザイン。首の一番下には球体が埋まっている。
 それが何なのか理解できぬまま、五反田弾は指を伸ばしてそれに触れ――そして、声を聞いた。









『始めまして。独立型戦闘支援ユニット『デルフィ』です』

 そこまで行って――弾は思い出す。これは、ISの待機状態――だがそれはないな、と透徹した理性が酒で願望が形を成したのだと警告する。無感動な瞳で彼は言葉を聞いた。

『プログラムされていた予定条件を満たしました。システムに従い、本機<ANUBIS>はフレームランナーの元に量子転送完了』

 聞こえてくるのは女性の声。機械的な平坦口調であるにも関わらず、どこか温かみを思わせる響きを含んでいた。

『操作説明を行いますか?』



[25691] 第一話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 22:22
「……五反田弾……か」

 すらりとした長身を黒のスーツ姿で覆った入学生達の憧れの的、世界最高のIS乗りである教師、織斑千冬は諜報部から回されてきた資料を読み漁りながら――弟の親友であり暴行を加えようとしたと記載されているそのプロフィールを見ていた。
 知能指数が高く、中学時代では常に学年主席。卒業後は機械工学系の高校に入りそこで量子コンピューターの設計に関わることを決めている、今時の若者にしては珍しい人生の指針を十代半ばにして既に決めている珍しい男性だった。
 年がら年中、家に滅多に帰る事の出来なかった自分に代わってその孤独を埋めてきてくれた彼には、一夏の家族として感謝の念を捧げたく思っている。……だが、世界で初めて男性でISを動かす事ができた弟に暴行を加えようとした彼に対して私情を挟む事は許されない立場だった。 
 今現在――かつて世界で軍隊に従事していた人間の雇用が大きな問題になっている。
 ISという最強の戦力が、旧来の兵器を駆逐する圧倒的性能を持っている事は確か。そうなれば、世界各国の首脳がIS候補生の育成に力を入れるのも当然だし、そちらに予算を配分するのも当然の話だ。
 ただし、当然皺寄せが出てくる。
 その一番の対象は旧来の兵器運用に携わってきた兵士達――拠点制圧に必要な歩兵はしぶとく生きながらえているが、迅速な航空制圧が可能なISの編入で、空軍は大幅な人事刷新によりパイロット達は大勢職にあぶれているらしい。量子コンピューターや機械工学の専門家であり個人的な知己であったレイチェル=スチュアート=リンクスを通じて知り合ったその夫である空軍の元パイロット、ジェイムズ=リンクスは運送屋。三次元機動を行うドッグファイターが今では二次元機動しかできないトラックの運送屋。時代が時代なら各国が千金を積んで招聘するエリートがだ。
 かつて国防の要であった空軍パイロットは空を奪われ、プライドを地に落とされた。ISの出現で職を追われた元軍人たちによる犯罪は増加の一途を辿っている。幾らISが最強の戦力でも犯罪の全てをこの世から駆逐できる訳が無い。現在の問題を解決する最大の手段は、リストラされた軍人達を雇用することだが――世界中の膨大なリストラ軍人達の口を糊するだけの体力がある大企業など何処にも存在しない。抜本的解決策はどの国にも存在せず、現状この問題は棚上げするしかないというのが現状であった。

 今現在男性のもっとも収入の良い職業は――そういう女性の愛玩動物に成り下がる事。俗に言うホストやアイドルは以前にも増して可愛がられるようになった。
 そんな去勢された雄になることが一番儲かる現在社会。その状況に多大な責任を負うIS設計者は今何処にいるのだろうか。

「……どうせ、寸毫たりとも気にしていないんだろうけどな」

 常識人ばかりが気苦労する現実に、彼女は大きな嘆息を漏らした。







 なんで、おまえなんだ。


 
 織斑一夏の人生を変えた一言が存在するとしたら――きっと、親友が初めて見せたあの本物の激怒だろう。
 五反田 弾。一夏の中学時代からの親友。髪の毛が僅かに赤みがかった彼。常に学年主席のエリートの癖にあまり偉ぶったところが無く、普通の青少年みたいな馬鹿話を率先して行う彼。その彼が初めて見せた、自制を失う姿。

 あの数週間前の事件から――彼はずっと考え続けてきた。
 ゴミ箱に捨てていたISの資料。恐らく普通の候補生はもっと小さな時分から噛み砕いて学習するであろう分厚い内容。
 ……才能を持っているからといって本人がそれを望んでいるとは限らない。しかしそれが宝石よりも稀少なものであれば本人の意向など無視されるのが世の常だ。
 自分で生き方を決めるのではなく……才能に生き方を決められた訳だ。

「……ひっでぇ話」

 一夏は小さく机の上に蹲りながら嘆息を漏らす。
 ちらりと視線を滑らせれば、そこには自分をちらちらと盗み見る女生徒達。花のように笑いさざめきながらも――時折視線が此方に向き、織斑くん、と名前が聞こえる。 

「ねぇねぇ、誰か話しかけようよ」「彼が世界で唯一の……?」「さっきの授業全部正解してたけど、さすが千冬様の弟よねー」「やーん、かっこいー」
(……弾。ここ、全然良いとこじゃねぇぞ)

 いい事があったとするなら――幼馴染の篠ノ之箒に再開できたことぐらいか。
 まるで白鳥の中のアヒル。山羊の中の狼――いや、戦力的には狼の中の山羊だろう。
 織斑一夏だって男だ。勿論同年代の女性にだって興味がある――と昔、弾に話したら『……頼む、一夏。何も言わず一発殴られろ』と言われた。何故だ。
 ……もちろん可愛い綺麗な女性は大好きだ。ただし――物事には限度がある。
 例えていうなら、一夏は饅頭が好きだと仮定する。実際は麦トロ定食が好みだが。
 二個三個はもちろん、四つ五つもなんのその。……しかし十五とか二十になると苦しい。百もあれば見たくもないと思うだろう。結局女性が大勢いる場所に対する男性の反応は大まかに割って二つ。喜ぶか、げっそりするか、だ。

 今ならわかる。

 弾は――本気でISを操縦したかったのだ。たった一人の男子生徒だなんてものはあいつにとって夢を実現するための煩わしいものなだけ。あの眼差し、あの本気の殺気――本当に、心の底から自分を羨み、妬み、その醜さを自覚して押さえ込もうとし……そして失敗したのだ。
 弾に何度もあの後電話を掛けたが、電源自体切っているらしい。弾の妹の蘭も最初は上ずった様子でぶしつけな電話に丁寧に対応してくれていた。あの日の後、真面目な奴だったあいつが酒を飲んでいるのを見つかり、久しぶりに親父さんの雷が落ちて頭にでかい拳骨をくらってからは普通に生活しているらしい。
 ただそこは生まれた時から一緒にいた兄妹。兄の様子がどこか変であるのかを察していた。

「くそっ」

 小さく声が漏れる。
 学園に拘束される身としては休みの日でなければ自由行動が許されない。今は『世界で唯一ISを動かせる男性』という肩書きが煩わしくて仕方なかった。
 
 
 

「ちょっと、よろしくて?」
「へ?」

 二時間目の休み時間に掛けられる声。
 金色の髪がまぶしい豪奢な美貌の美少女。何用よ、と思って声を漏らす。

「訊いてます? お返事は?」
「ああ、聞いてるけど。……どういう用件だ」
「まぁ! なんですのそのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですからそれ相応の態度というものがあるんではないのかしら?」

 沸き立つ苛立ち。
 
「……分かった。じゃあ話しかけられる栄誉はいらない。話しかけるな」

 本音を言えば、一夏は親友の事が気掛かりで仕方がなかった。そんな状況で相手が此方にへりくだった態度を強要するような言葉に、流石に不快の念が沸く。
 場違いだって事は理解しているつもりだった。自分が動物園の猿扱いだって事は判っている。
 だが、恐らく男性は女性にかしづき、発言には無条件で従うものであると思っているのか――少女はこめかみを引きつらせて言う。

「な、なんて無礼な殿方なんですの!!?? こ、このセシリア=オルコットに向かって、イギリスの代表候補生にして入試主席のこのわたくしに向かってなんて言い草ですのよ!!」
「説明乙。……で、そのイギリスの代表候補生、IS<ブルーティアーズ>のエリートだったか」

 その返答が意外だったのか、セシリアと名乗った少女は目を見開いた。
 代表候補生は兎も角ISの正式名称まで把握されているとは思っていなかったのである。
 ……それもこれも――あの時の弾のお蔭だろうか。ISを扱える男性――そんなものは織斑一夏にとってはなんら価値の無いものだった。だが自分にとってなんら価値の無いものでも、弾にとっては何者にも変え難い宝物だったのだ。だからこそ、あんなにも怒り狂ったのだろう。
 可能なら、この『世界で唯一ISを扱える男性』という才能を譲りたかった。
 奇跡は狙いを外した。本来この奇跡を得るべきは、ずっと本心を押し殺してきた親友が授かるべきだった。能力的にも意欲的にも。

『有史以来、世界が平等であった事など一度もないよ』

 幼少期から頭がばかばかしいほど良かった篠ノ之束の言葉を思い出す。
 それは真実だ、冷厳な現実を指した言葉だ。だがそこには優しさがない。だから人は平等でない世界を少しでも優しくしようと努力してきたのだ。
 自分は男だ。人類最強の単一戦力を唯一動かせる男。ならば雄の代表として闘わなきゃならない。
 親友の怒りで気付かされた――俺は自分に対してはらわたが捻じ切れるような激しい嫉妬を覚えている男達の代表なのだと。ならば自分のこの身は好む好まざるに関わらず男の代表として努力せざるを得ない。事実、あの日から独学を続けてきた一夏は電話帳みたいな分厚い資料を全て理解していた。機会を与えられている時点で、自分は恵まれているのだと判ったから。
 
 一夏は、冷たくセシリアに言い放った。

「あんたのことなんかどうでもいい」







 五反田弾は酒気が抜け去り脳内が明瞭とした今でも頭に響き渡る声に――とうとう本格的な幻聴を聞いているのだと悟った。
 今は学校も休みの昼下がり。白昼夢にしてはやけにリアルな声に頭を掻く。指先に下げているのは、狗のような頭部と僅かな胴体のストラップ。何度も捨てようとしたのだが――途端に大音量アラームを掻き鳴らすので捨てるわけにも行かない。
 まるで母親の手を欲しがる赤子のような反応だな、と弾は思った。

「……つまり――これは前世死んだ後神様に贈られた褒賞だと?」
『不本意ですが、そのとおりです』

 耳に嵌めたイヤホンから聞こえてくるのは、音楽機器にハッキングして音声出力装置に流用している狗(本人曰く、ジャッカル)を模したロボットの頭部のアクセサリ。前世なんてオカルティックな発言を行う――制御AIを名乗る独立型戦闘支援ユニット『デルフィ』。
 そういわれて心のどこかが腑に落ちるのも確かだった。前世なんてものは忘却の霧に隠されているが、確かに自分は<アヌビス>を知っているのだ。



 そう、艦隊戦では最初ベクターキャノンをぶっ放す時あまりの燃えっぷりに大声を出して両親に窘められたり、都市を守る際に<スパイダー>にグラブを使いすぎて投げ飛ばしたら二次被害甚大でそのつもりもなかったのに『完璧な殺戮です。満足ですか?』と言われたり、ケンを脱がすために溶鉱炉の上空を意味も無く滞空したり、G田T章さんが主人公の声というかなりレアな作品では生死不明の奥さんを助け出すために、ヒロインな巨大ロボと一緒に火星に行く話が大好きだったのに百円で売られているのを見て悲しい気持ちになったり(実話)いやもちろん全部買ったけど、結局Z.O.E 2173 TESTA○ENTは最後までプレイできなかったり、イブリーズ好きだったんだけどなぁとか思ったり、ファースティかむばーっくとか思ったり。



 なんか電波が混線した。


 彼女――性別があるのかは知らないが、女性の声なのだから彼女でいいだろう――はそれ以降自分がどうしてここにいるのか黙りこくった。
 同時に頭に流れ込む知識。
 オービタルフレーム<アヌビス>――最新鋭メタトロン技術の結晶であり、機動兵器でありながらもウーレンベック・カタパルトの応用による亜光速移動能力「ゼロシフト」を搭載した最強の片割れ。
<アヌビス>を倒せるのは<ジェフティ>のみであり、<ジェフティ>を倒せるのもまた<アヌビス>のみ。

「じゃあ、あんたは俺専用機ってわけだと?」
『はい、わたしはあなたのものです』
「…………………………………………」
『脈拍、心拍数の増大を検知しました。どうしましたか?』
「…………………………………………いや」

 五反田弾はAI萌えという意味を、「言葉」ではなく「心」で理解した。
 



 目覚めながら白昼夢を見ているのではないらしい――最初は自分自身の正気を疑いこそすれ、そう弾は結論付けていた。
 だが、と同時に思う。こうも滑らかで流暢な受け答えの出来るAIはどこにも出回っていないはずだ。もし設計できる人物が実在するとしたら篠ノ之束だけだろう。しかし彼女がそれをする理由などどう考えてもない。
 
「ありえねぇよな。前世なんて」
『魂魄や転生の概念を否定する要素は私は持ち合わせていません。資料ページにアクセスしますか?』
「いらん。……そうだな、俺の中にはISがある。それが現実か」
『一緒にしないでください』

 どうやらデルフィのプライドを傷つけたらしかった。フレームレベルでの演算能力を持つオービタルフレームからすれば、同じに扱われるのは大変不本意なのだろう。
 まぁ……と弾は考えを切り替える。前世とかそういうものはこの際だから心底どうでもいい。問題は自分の手の中に――自分の意志を持つAIシステムが存在しているという事。
 ……待機状態を解除したらどうなるのだろうか――と考えなくも無い。だが、同時に常識的に生きてきたこれまでの経験が邪魔をする。こんなこと、あるはずが無い。こんなにも都合よく、はらわたが捻じ切れそうな嫉妬を感じた瞬間に恋焦がれた空を飛ぶ力を得るだなんて有り得ない。
 
 いや、違うな。

 弾は心の中で呟いた。この気の触れた狂人が見るような余りにも都合の良い甘い夢。だがもしデルフィに<アヌビス>の起動を命じてしまえば、甘い夢は現実の冷たさに掻き消えてしまうのではないだろうか。
 デルフィ――現実に堪えきれなくなった自分が生み出した想像の産物、精神の均衡をとるために脳髄が生み出した甘い夢の産物ではないのか。現実ではなんら力を持たないただの妄想ではないのだろうか。

(……そして――俺はその妄想を信じたがっている)

 現実は厳しい。
 男の自分は決して夢をかなえる事ができない。なら――この前世からの贈り物というふざけた妄想を信じたいと……女達に並ぶ力を得たいと思っている。
 
<アヌビス>を起動させたいという感情/もう少し甘い夢を味わっていたいという感情=矛盾している。

 ただ……どちらにせよ、デルフィという自分の思いを全て理解したパートナーがいることは確かな救いだった。





「ちょっとよろしいですか?」

 女性の声が聞こえる。
 目を向ければ――どうもジャーナリストらしい女性が立っていた。またか、と弾は嘆息を漏らす。織斑一夏が人類初男性でISを動かしたというニュースが流れた際、彼の親類――は織斑千冬さんだけらしいから、ジャーナリストの矛先は全て中学校の旧友に向けられる事になった。流石に最近はそういった取材攻勢も鎮火したかと思ったがまだいたか、と中学時代の一夏の親友だった弾は嘆息を漏らしながら振り向く。
 ロングヘアーの美女。スーツを纏った女性がこちらへと近づいてこようとしていた。同時にその目を見た弾は――相手が堅気ではない事を悟る。
 瞳に宿るのは侮蔑の色。まるで犬でも見るようなさげずむ感情が見て取れた。
 同時に――弾に対して警告音がヘッドフォンから流れる。

『警告。彼女は火器を保有しています』

 SP――ではないんだろう。
 弾は相手の返答を待たずに、先手を取る。まだ此方が何の牙も持っていない子供と見くびっているその侮りを利用する。だむっ! と鋭く地を這うような足払いの一撃。
 だが、相手はそういう事に慣れているのだろう空中へと軽く跳躍してそれを避けた。

「へっ、平和ボケした国の餓鬼にしては動けるじゃ……って!!」

 弾は避けられた瞬間すぐに行動している。口内に溜めた唾を吐き出し、相手が咄嗟に避けようとした隙に即座に遁走に掛かっていたのである。
 服の袖で吐きかけられた唾を受け止めたその女――亡国機業(ファントムタスク)のエージェント、オータムは口汚い罵り言葉を吐き出しながら、懐に呑んでいた拳銃を取り出した。……織斑一夏に対する堪え難い嫉妬心を抱いている青年。彼の存在をスパイとして利用できるのではないかと考えた上の意向に従い彼を誘拐しようとした彼女は、草食動物と侮っていた相手に手をかまれたような怒りで、本来美しいはずの顔を不気味な笑みに染めて、弾を追いかけだした。





『<アヌビス>の即時起動を提案します』
「黙っていろ!!」

 弾は走る――まるで日常からいきなり非日常に転落した現実から逃げ出すように。逃げ込んだ雑居ビルの屋上を目指す。

『では逃走ルートを変更してください。あなたは自分から逃走できない袋小路へ移動しています』
「これでいい!!」

 走る。走る。走る――そのまま弾は、屋上へと飛び込んだ。
 
『では、どうしますか?』

 弾は、笑う。
 小さな笑み。後から死刑執行人である――恐らくどこぞの組織のエージェントが、それも多分脇の膨らみから見て拳銃を所持した非合法工作員がやってくる。
 自分の妄想であるかもしれないデルフィに対し、拳銃の持つ死のイメージはあまりにリアル。気付けば足元に僅かな震えが走り、喉奥は干上がった砂漠のように乾いている。だがそれでも、口元に浮ぶ笑みを抑えられなかった。
 
 拳銃を持った工作員に追い回される――なんという非現実的なシュチュエーション。
 そして――この非現実的な状況ならば……まるで、<アヌビス>が実在していてもおかしくないような気がしたのである。
 自分は狂っているのかもしれない。この場合弾が頼るべきは警察であり、此処から急いで逃げ出す事だ。
 なのに――恐怖と共に湧き上がる歓喜がある。この状況なら、この事態なら――俺の妄想が本当かもしれないじゃないかと思えるからだ。


 その女――弾は知る由もないが、オータムというコードネームを持つ工作員は、フェンスを越えている彼の姿を見て困惑を強める。
 男は弱い。女に這い蹲って慈悲を請うべき卑小な存在が、まるで自分の命を自由にさせまいとする行動に不快感を覚える。

「なにやってやがんだ貴様ぁ」
「……この声は、デルフィは俺の妄想かもしれない」
『違います』

 意味がわからずオータムは目を細める。

「だが――夢を叶える事もできず、生き永らえる事に意味があるとも思えない。感謝するぜ殺し屋。……あんたのお蔭で俺は言い訳できる。――この妄想と心中できる……待たせたな、デルフィ」
『遅いです』
「……あたま、おかしいんじゃねぇのか?」

 信じたい。
 心の底から、<アヌビス>が実在するのだと――決して手が届かない夢だと思っていた力が、個人の意志で自由になる憧れの翼が本物であるのだと、弾は信じたかった。
 そう――この妄想が本物であるなら……ビルから飛び降りるぐらいはなんでもないはずだ。何せ<アヌビス>や<ジェフティ>の――姉妹機ではなくこの場合従姉妹かはとこ辺りに当たるであろう<ドロレス>はもっと酷い速度で、具体的には時速40万kmの速度で地表に落下したにも関わらずまるで平気だったのだから。
 そして、弾は――待機状態の<アヌビス>を……翳す。

「来い、<アヌビス>!!」
『最初からあなたの傍にいます』

 身を翻し――全身の毛穴が逆立つ恐怖感を押し殺し、弾はビルの屋上から身を躍らせる。
 足元に何も無いという恐怖――落ちれば死ぬという強烈なリアル。
 構わない。この妄想が現実でないならば死んでも良い、夢が叶わないなら終わって良い――だが、そうでないのなら=そう思いながら、弾は叫ぶ。空中へ身を躍らせて。

「起動しろ……!」
『了解、戦闘行動を開始します』

 光が満ちる――緑色に染まったメタトロン光が周囲を圧し、力の甲冑が具現する。
 燐光が彼の四肢を包むと同時に黒く塗装された装甲が鎧っていく。鋭く、細く、強い――威力が形を得たかのように覆い尽くす。シールド技術が発達したISと違い、全身装甲(フルスキン)となった装甲外殻。その全身を、まるで血管のような赤い光が走り出す。フレームレベルで演算能力を保有する<アヌビス>が全身と情報をやり取りする際に走る光だ。
 冥府の神の名を冠する機体の頭はジャッカルを模した装甲で覆われ、センサーを内蔵した耳のような機関が立ち上がる。
 機体後背には六基の翼状のウィスプが、メタトロン光と共に鋼鉄に置換し、羽のように広がる。<アヌビス>の機動性能を支える高出力スラスターシステムと、<アヌビス>が保有する絶対的優位性の一つ<ゼロシフト>を実現するためのウーレンベックカタパルト、計六基のエネルギー生成機関『反陽子生成炉(アンチプロトンリアクター)』を搭載した、翼と心臓を兼任する主翼。針の先程の機体に宇宙戦艦をすら軽く凌駕する圧倒的出力を現実のものとした最強無敵の半永久動力機関。
 腰部からは単分子で形成された鞭のような尻尾が伸び空を打つ。
 地面を踏むような足は存在せず、槍のような脚部からランディングギアが展開――空中へと身を投げ出した機体は地面へと荒々しく着地。地面には落下の衝撃に抗しきれなかったアスファルトが放射線状にひび割れる。
 全身から瞬く強大なメタトロン光を身に纏い、妄想の産物と思っていたそれが――確かな現実として己を覆っている姿に、弾はセンサーで己が両腕を見た。

 この万能感。この全能感。世界の全てが見えているかのよう。

『……おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』

 弾の感情に呼応してか――全身から高出力状態に発生する真紅のバースト光の中で弾は叫ぶ。
 彼は実感していた。女性達は、ISの候補生達はこの感覚を常に味わってきたのか。高度など関係なくどこへでも――それこそ宇宙にだって行ける出力。なんでも思いのままに出来る圧倒的な力……なるほど、女達はこれを味わっていたわけだ。独占したいのも、当然かも知れない。

「……テメェ……何者だ!! なんでISを使える男がもう一人いるんだ!」
『一緒にしないでください』

 同時にビルから飛び降りてくるオータム。背中から黒色と黄色で塗装された工事現場の重機のようなカラーリングの、蜘蛛のような足を伸ばし着地――弾の全身を覆うその姿に驚愕を隠し切れない。
 その言葉に、弾は――妄想が確かな現実である事を、自分を覆う装甲を突いて確かめ……笑って応える。

『……織斑一夏が人類初の男性でISを使ったということは、女性しかISしか使えないという大前提はくつがえったろう? ……あんたが何処の殺し屋か知らないが――言っておく』

 腕を組み、王者のように翼を広げる。

『<アヌビス>は良い……想像を絶する』
『どうも』

 褒められたと思ったデルフィが、礼を言った。
 それを皮切りに、戦闘が始まる。



[25691] 第二話(ゼロシフト関連を大幅変更)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 22:36
 楽な仕事であるはずだった。
 織斑一夏に対して強い嫉妬心を抱いている彼の親友を捕まえ、薬物なり拷問なり脅迫なり、この世の忌み嫌われるありとあらゆる手段を用いて言う事を聞かせればいい。
 オータムは自分の行動が成功する事を微塵も疑っていない――当然だ。彼女は亡国機業(ファントムタスク)のエージェントであり、この世に467機しか存在できないISの一機を非合法ながら保有する女の一人。相手が女であるなら、僅かでも油断してはいけないかも知れない。
 世界最強の兵器であるISと闘えるのもまたISのみだ。
 だが――男が自分と戦えるはずなどない。今や男性など力の面において女に劣る。最早子孫を生み出すために必要な家畜程度の価値しか彼女は保有しておらず――そしてその悪しき偏見が正しいと思う彼女のような女性も……残念ながら、僅かに、だがゆっくりと数を増し始めている。

 重ねて言おう――男は弱い。

 そのはずだったのだ。

 オータムのISのシステムが――警告を掻き鳴らす。
 それは眼前に出現した機体に対して一ミリでも距離をおきたいと震える草食動物のようであり、神聖不可侵の存在に対して畏れ抱く敬虔なる信徒のようでもあった。煩わしい警告音をカット――ISの制御システムである『コア』からの声を全て無視。
 敵動力源=未知。敵装甲材質=未知。敵出力推算=計測不能域。敵戦力=甚大――最善行動は即時撤退。明確な言語に変換すればそうなるのだろうが――彼女はそれを切り捨てた。

「黙れぇ!!」

 男は弱い――その極めて稀な例外が織斑一夏であるはずだった。
 織斑一夏と他の男性との差異――即ち彼と他の男の何が異なっているのかを調べる事により、女がなぜISを動かす事が出来るのかを知る事が出来るのだ。それは彼女の所属する組織である亡国機業(ファントムタスク)にとって有益な情報となる。
 ……だから、目の前の男が織斑一夏であるならば――オータムは敵が牙持つ事を驚きはしない。だが、現実は異なる。
 まるで漆黒の犬の如き偉容にして威容にして異様。魂を持つ神像を思わせる姿。無手のまま、その機体――<アヌビス>――エジプト神話における冥府の神を名乗る機は、アスファルトから火花を散らし跡を刻みながら凄まじい速度で前進する。

「……まぁ良い!! てめぇがなんだろうが……!!」

 背中から伸びる女郎蜘蛛のような脚部が――全体を現していく。相手が同格のISと認めたオータムは無駄な思考をすることを止めた。現状に対する柔軟な切り替えは、なるほど彼女が一級の非合法工作員であることを示すものだった。だが――そんな彼女でも雄に対する無意味な思い込みからは逃れられなかった。男の扱える兵器が――女の扱えるISよりも性能のいいはずがない。
 展開するのは黒と黄で塗装された――武装ハードポイントとしての八腕を保有するIS<アラクネ>。両足と両腕を覆うのは重厚な装甲。本来の腕に加え、背中からは蜘蛛の異名の由来である多目的マニュピレーターが生えている。腰から後には蜘蛛の腹部を連想させる前進推力を重視したブースターが接続された。
 量子変換された大量の武装を同時展開して、瞬間的な重火力で相手を反撃すら許さずに圧殺するオータムの機体。

「ガラクタにしてから調べてやる!!」



 雨のような弾雨――恐らく相手は重火力型なのだと当たりを付けた弾は即座にシールドを展開。広げた片腕から迸る赤い障壁が銃弾に反応し、その破壊的な運動エネルギーを相殺する。
 
「なかなか分厚いシールドみたいだがよ、受けてばかりじゃ削り殺されるぜぇ……!!」

 相手は――<アヌビス>がISの類であると判断しているのだろう。ISはシールド展開のエネルギーと耐久力は同じだ。受ければ受けるほど起動限界が近づく。そのため、ISは相手の攻撃を受けて止めるよりも、回避する事を重点においた設計思想を持つ。
 ……だが、相手は知るまい。<アヌビス>のエネルギー出力は宇宙戦艦を凌駕する。従来の火器で突破できるものではない。
 弾は、しかし不快げに歯を鳴らした。此処は一般人もいる町のど真ん中。周囲からは恐怖と悲鳴の合奏のような叫び声があちこちから聞こえてくる。

『デルフィ、周辺区域をスキャン!! ……まずはあの馬鹿を人のいない場所に引きずり込む!!』
『了解』

 弾の心に浮かび上がるのは――例えて言うならば自宅の庭に見知らぬ暴漢が土足で上がりこんでいるのを見た時の怒りに似ている。幼少期を過ごした思い出の場所たちが銃弾と硝煙で穢されていく。
 彼が心に浮かび上がらせたのは原始的な郷土愛であり、故郷を侵す侵略者に対する激しい撃退の意志であった。

「ははは、どうしたどうしたぁ!! 殻の中に閉じこもってばかりかぁ?! 正義の味方って奴ぁ守るもんが多くて大変だなぁ!!」

 相手の得意げな声――銃弾を浴び続ける事は徐々にISの起動限界に近づいているという固定概念に基づいているため、此方の限界が近いと思っているのだ。確かに弾の<アヌビス>は一発も打ち返していない。都市内で使用するには<アヌビス>の武装はどれも火力が高すぎる。単独で人類全てを敵に回しても勝利可能という頭の悪い能力を持っていると褒めればいいのかと弾は思った。
 これまでに何百発の銃弾を<アヌビス>は受け止めただろうか。
 弾は<アヌビス>が本来保有する機動性能を発揮させず、地味な機動で相手をこの場所から動かないようにデルフィの誘導に従う。

「つまらん相手だが、見たこともない機種だ。『コア』を引き剥がして回収させてもらうぜ!!」
 
 IS<アラクネ>の武装が光の粒子となって掻き消え、代わりに出現したもの――より近接距離での威力に特化したショットガンで一気に圧殺しようとしているのだ。同時に<アラクネ>の後背のブースターが火を噴く。突撃して至近距離で高威力の散弾を叩き込むつもりだ。

『デルフィ、サブウェポン切り替え、コメット!!』
『了解、武装を切り替えます』

 空間が歪み――二次元の物体が三次元のものとなったかのように、その歪みから武装を引き出す<アヌビス>。
 それを構えると同時に赤色の光弾が発射される。

「ひゃはははははは!! 撃て撃て、テメェでテメェの町をぶち壊……なにぃ?!」

 瞬時に、その重厚な外見から見合わぬ機敏さで回避する<アラクネ>。
 オータムはその秀麗な美貌を残忍さで歪めて笑う。自分の攻撃で町を壊すが良い――嗜虐的な笑みは、しかし予想を上回る光景で凍りついた。
 外れた流れ弾はビルの壁面に着弾――ではなく、まるでミサイルのような誘導性で回避機動を行ったオータムに追いすがり命中、<アラクネ>の武装腕部を破壊したのだ。

「なん……なんだそりゃぁ!!」
『奴を殴るぞ、デルフィ!!』
『了解。サブウェポン・ガントレットを選択』
 
 そのオータムの動揺を見逃さず、<アヌビス>はアスファルトにランディングギアの強烈な擦過跡を刻みつけ、脚部の膨大なパワーでジャンプし接近。瞬時に音速を突破する。その速度はオータムですら瞠目するほど鋭く速い――獲物に飛び掛るジャッカルの如き俊敏さで懐に飛び込む<アヌビス>。
 空を舞う――重力から切り離され、何者にも縛られない圧倒的な自由感と開放感。幼い頃からの喜びが満たされるあまりの歓喜に大声で吠えたくなる。
 そのまま絶大な上昇推力を打撃力に変換するようなアッパーカット。

『コンボの際、敵を上方向にかち上げる場合はああぁぁぁぁぁぁ!!』
『△ボタンを押してください』

<アヌビス>の拳がオータムの生身の腹に突き刺さる=それをISの防御機構である堅牢なシールドが阻んだ。
 だが、<アヌビス>の一撃は終わらない。そのまま――強烈な衝撃力を持つ実体弾で相手を吹き飛ばすガントレットを拳から発砲。ベクタートラップにとって形成された空間圧縮バレルより吐き出された砲弾を零距離で叩き込む。

「ぐはあぁぁ?!」

 宣言どおり、空中へとかち上げられたオータム。ビル街から空へと戦場が移り変わる。
 それを追い、<アヌビス>は空中へと跳躍――同時に弾に状況を知らせる網膜投影式バイザーの中で、人の少ない周辺区域のスキャニング結果が算出される。表示されるのは遠方の現在開発が中断されている工事現場、そこ目掛けて奴を落とす――そう判断する弾。
 振り上げられる<アヌビス>の拳。天空の頂から地上へと落着するかのような右の掌底。

『コンボの際、敵を下方向に撃ち墜とす場合はああぁぁぁぁぁぁ!!』
『×ボタンを押してください』

 打撃が命中――再び同時に発砲、炸裂する零距離ガントレット。
 そのまま相手は地上へと落下していく。相手を火器を用いても問題の無い距離へ追いやった――<アヌビス>は全身から赤い光を放ち、高出力状態のバースト・モードへ移行。その掌を突き出すように構える。
 
『バーストショット「戌笛」を使う! モードは弾速重視!』

 突き出された掌の中で膨れ上がり、巨大化する赤光塊。
 更なるエネルギーが凝縮され、膨れ上がるそれを――視界の彼方、起き上がったオータムをロックし、発射する。
 放たれるのは赤い臓腑のような狂猛な輝きを放つ破壊の球体。<アヌビス>の周囲に血煙のような禍々しい真紅の粒子を撒き散らしながら、相手目掛けて走る。

「うぉおわぁぁ!!」

 それでも相手は瞬間加速(イグニッションブースト)を用い横方向へと瞬間的なスライド移動。敵機を一撃で戦闘不能状態に叩き落す真紅のエネルギー砲撃をぎりぎりで避ける。
 戌笛が着弾――同時に、まるで地中に大量の炸薬でも埋めていたかのように大量の土砂が空中へと跳ね飛び、土塊の雨となって頭上から降り注ぐ。
 たった一撃でこの威力――喉奥を突いて出るのは『化け物』という言葉、指先がおこりのように震えているのは恐らく気のせいではない。
 そんな訳あるか――自分自身の肉体の変化をあくまで認めまいとオータムは尚も交戦。量子変換され、淡い光から実体を持つ武装が姿を現す。出現するのは高速飛翔体を射出する自立誘導弾のアームドコンテナ。ミサイルランチャーだ。

「信じられるか、そんなこと!!」

 <アラクネ>の制御システムが<アヌビス>を光学捕捉。ロックオンの表示が出ると同時に搭載したミサイルを全弾射出し、空になったそれを全てパージ、そのまま突撃する。
 総計二十四発のミサイル攻撃――この状況でオータムが選択したのは大量の攻撃による相手の処理能力を超えた飽和攻撃。流れを変える彼女の切り札の一つであった。……その判断は間違っているわけではない。相手が普通のISであるならば回避なり迎撃なり対象に時間を取られただろう――彼女の失敗は……その二十四発のミサイル程度では、<アヌビス>の強力な迎撃能力を上回る事が出来ないと知らなかったことだ。
 それらから逃れるように後退する<アヌビス>。その両腕を誇示するかのごとく掲げた。

『デルフィ!! ハウンドスピア!!』
『敵ミサイル、ロック』

 比類なき量子コンピューター性能を誇るかのような、多対象への瞬間的複数同時捕捉能力。
 両腕より繰り出されるのは、破壊力を秘めた赤い光の群れ。それぞれが独立した意志を持つかのように折れ曲がりつつ突き進むレーザーの雨。<アヌビス>版ホーミングレーザーであるハウンドスピアは、それぞれが狙いを過たず降り注ぐミサイルの全てを射抜き、撃ち落した。誘爆、砕け散るミサイルが爆炎の壁を生む。
 だが――それに混じる銀色の紙片。レーダー反応を欺瞞するチャフだ。

「掛かったなぁ!!」

 相手の迎撃能力がこちらの予想を上回っていてもオータムは気にしない。彼女の気に食わない同僚である『M』のみしか実行できないはずのレーザービームを曲げるという事を容易くやってのけた光景にも動揺せず攻撃を続行できる精神は、彼女がプロであることを指し示していた。
 撃墜されたミサイル弾頭――そのいくつかは、相手に対する打撃力を有した高性能炸薬ではなく、相手のハイパーセンサーを欺瞞し、電子的盲目状態に陥れるジャミングのための金属片が大量に含まれていたのだ。それらが空中に散布される。だが<アラクネ>はそういったECCMも高度なものを保有しており、この状態でも問題なく敵機を索敵し続けている。
 同時に新たな武装を呼び出すオータム。展開されるのは――先程までの銃器と違い、完全な近接戦闘用の、対装甲破断用物理実体剣。軍事的装甲を破壊するために作られた洗練されたデザインのチェーンソーだ。刃に取り付けられたナノサイズの鋸が無音のまま高速回転を始める。物騒な形状の割りに静粛性に富んでいるのは、これが死角から敵ISを即死させるための隠密性能を要求されているからだ。
 オータムは勝利を確信し――状況に対応できていないのだろう、素人が、と嘲笑いながら、空中で静止している敵機に対してその無骨な凶器を振り下ろした。



 だが。


 確かにそこに存在しているはずの敵機は、レーダーにも確実に反応のある<アヌビス>を叩き切るはずのブレードは、まるで蜃気楼に斬りつけたように空振りをしたのである。

「馬鹿な……奴は!!」
『まさか自分の人生でマジでこんな台詞を吐く日が来るとは思わなかった。……残像だ』
『いいえ、デコイです』

 だから、オータムの反応はその驚愕と狼狽で僅かに遅れた。
 相手が此方の視覚を潰したと確信した瞬間、サブウェポンであるデコイを射出。機体に瞬間的に負荷を掛ける事によって発生する光学的虚像、電子的にも反応を示す囮を展開し――その隙に<アヌビス>は己が機体をベクタートラップを用いた空間潜行モードに切り替え。完璧とも言えるステルス能力を発揮し、デゴイに騙された<アラクネ>の後方に回り込んだ。

『出ろぉ! ウアスロッド!!』
『帯電衝槍・出力100パーセント。ハードポイントは右腕』

 空間の撓みより引き出され、その腕に出現するのは白兵戦用の長槍。

「男がっ!! お、男の癖にぃぃ!! 生意気なんだキサマァ!!」
『その手の台詞はなぁ!! 腐るほど聞いてきた!! ……もうその台詞は俺の人生に要らん!!』

 振り上げられる刃。オータムの認めがたい現実を否定する声に、弾は叫ぶ。
 その偏見。その驕り――脳内を駆け抜けるのは彼の今生の人生で見た走馬灯の如き女達の優越感を帯びた瞳。どうやっても覆す事などできない現実。夢に挑む事すら出来ずに破れ涙を呑んだ自分の姿。その眼差しを打ち砕くための力は今、己を鎧っている。まるで今までの経験全てに復讐するかのように、<アヌビス>はウアスロッドの鋭い刺突の一撃を咆哮と共に放つ。

『男を……馬鹿にするなぁぁぁぁぁぁ!!』
  
 繰り出されるのは強烈な電熱を帯びた刃――その一撃は<アラクネ>の胴体を刺し貫いた。同時にISの搭乗者の最終機能が発動。絶対保護障壁が展開し――そして引き換えにエネルギーの残量を失い戦闘継続能力の全てを剥奪され、重力に引かれて落ちていく。
 さしものISも――無防備な状況で突き込まれた刃の一撃を受けて尚も戦闘能力を保持し続ける事が出来る訳もなく、それは地上へと落下した。
 
『戦闘終了。お疲れ様です』
『……お疲れさん』

 再度空間潜行モードへと切り替えた弾は――<アヌビス>を人目の付かない場所に着地させると、視界の彼方から飛来してきた日本のIS部隊を確かめ、もう一安心だろう、と考える。<アヌビス>を待機状態へ移行。アクセサリになったそれを胸元に入れる。今度、鎖をつけて肌身離さぬようにしようと心に決めた。
 色々な事がありすぎた。
 オービタルフレーム<アヌビス>。絶大な戦闘力を保有する機体と、自分を狙ってきたと思しき敵。……実は全くの偶然ではあるが、相手が<アヌビス>の存在を知って最初から仕掛けてきたのかとも考えられなくも無い。

「……いや、それはないか」

 だと仮定するなら、相手の戦力で<アヌビス>を抑えられるわけも無い。多分偶発的な要素がいろいろと絡んでいるのだろう。
 ……そこまで考えて弾は、ここが何処だか分からない。<アヌビス>で飛行した場合は一瞬で行けた距離であっても、実際に電車で行こうとするならばそれなりに時間の掛かる場所だったのであった。

「デルフィ。一番近場の駅の位置はわかるか?」
『はい。情報取得しました。方向を指示します』
「早いな。さすが」
『私の存在理由はあなたに尽くすことです』
「…………………………………………」
『脈拍、心拍数の増大を検知しました。どうしましたか?』
「デルフィ。結婚してくれ」
『は?』

 なにこのかわいいAI――リコア=ハーディマン、あんた天才か。と弾は思ったが、口には出さなかった。




「気になってた事が二つある」
『はい』

 弾は電車の中、一人ぶつぶつと見えないお友達と話している危ない人に見られないように携帯電話で誰かと話している風に装いながら、口を開く。

「まず――<アヌビス>の股間の野獣……もとい、腰から前方に突き出しているあれは何だ? 現在ではなにか意味があるのか?」

 アヌビスのあの男性器を連想させる部位は操縦席だったが、ISと同級のサイズに――要するに人型パワードスーツのサイズになっている現状ではあれは本来の意味を持っていないはずだ。

『この状態においては、あの部位はアンチプロトンリアクターとなっています』
「胴体内蔵式って手法を取れないから、そっちに動いたわけか」
『はい』

 確かに色々と原型とは違う部位も存在している。
 本来オービタルフレームの腕は小指が親指になったような形状をしているはずだが、今の状態では普通の人と変わらないような形に変化している。同様に、獣のような逆間接も、順間接にだ。人が着込むパワードスーツに変質した際、その辺りの問題も是正されていたのだろう。
 ふむ、と弾は考えてから――今まで考えていた最大の懸念を聞く。

「じゃあ質問二つ目。こっちが一番重要なんだが。デルフィ――<ゼロシフト>は、使えない訳じゃないが、使わない方がいいんだな?」
『はい。……その事に思い至った理由を聞かせていただいていいですか?』

 先の戦闘でも<ゼロシフト>は使用できたはずである。だが、弾は結局使わなかった。どうしても懸念が捨て切れなかったからだ。

「ああ。……まず、<ゼロシフト>を搭載していたオービタルフレームのフレームランナーには大まかな共通点があった。
 ……まず。<ジェフティ>のフレームランナーだったディンゴ=イーグリットは、ノウマンの銃弾で呼吸器系統に重大な損壊を受け、生命維持を機械で代替するためバイタルを使っていた。そして<ハトール>のフレームランナーだったナフス=プレミンジャーことラダム=レヴァンズ は事の発端、ダイモス事変で重症を負い、肉体のほとんどをメタトロン製義体に置換していた。
<ゼロシフト>を繰り返すことで圧倒的だった<ハトール>に対抗するためには自分も<ゼロシフト>を実行する必要があったのに、<ドロレス>はジェイムズ=リンクスの身を心配し、最後まで<ゼロシフト>の発動を渋った。
 そして――ロイドがディンゴに言っていた台詞。
『性能を追及した結果』『ノウマンは私よりも徹底している』って言葉――奴が……内臓が無いがらんどうの肉体を持っていたことから推論は成り立つ」

 あんまり考えたくないなぁ、と思いながら、弾は推論を続ける。

「オービタルフレームは搭乗者の加速Gを相殺するイナーシャルキャンセルを搭載しているが――しかし<ゼロシフト>という亜光速瞬間移動の際の肉体への負荷は完全に相殺できない。
 ……そして――ノウマンが、胸元の本来あるべき臓器が無かったのも、生命維持と操縦に必要な最低限の臓器以外を摘出して、<ゼロシフト>に対する負荷を覚える肉体そのものを捨てていたって訳だ。……徹底しすぎてる。
 考えられるのはただ一つ。
 肉体を鍛えていたジェイムズのことから考えて、<ゼロシフト>は一回ぐらいは問題ない。
 だが、<ゼロシフト>の連続使用を行った場合は、フレームランナーの生命維持が不可能になる可能性がある。もし<ゼロシフト>の連続発動を行うつもりなら――人間を止める必要がある」
『全部違います』

 予想外の言葉に――弾はヘンな顔をした。これしかないと思ったのに。

『高純度で大量のメタトロンが、搭乗者の精神力に感応し、物理現象をすら捻じ曲げることが出来る魔法のような力を発揮することはご存知ですか?』
「あ? ……ああ」
『メタトロンの『毒』』
「……ッ!! ……『高純度で大量に集中使用すると、人間の精神に反応し「魔法」としか思えぬ既存の物理法則を無視した力を出すが、その強大な「魔力」が使用者の精神を歪め、歪められた狂気がさらに「魔力」を増大させる悪循環を引き起こす』……か」

 弾は、言葉を詰まらせる。
 ナフス・プレミンジャーを狂気の底に陥れたメタトロンの副作用。人間の精神に作用し、そのほの暗い部位を刺激する力。

『彼らフレームランナー達はそれぞれメタトロンの毒に耐えるほどの精神力を保有していました。しかし――貴方はどうですか?』
「……そういわれると、ぐうの根も出ない」

 実際に戦争に従事し、命を掛ける戦いを潜り抜けた戦士と、自分のような一般人に毛の生えたような人間とでは根本的な精神力が違うのは当たり前だろう。苦笑するしかない。

『<ゼロシフト>は最新鋭メタトロン技術の結晶であり、同時に使用時、ランナーの精神に大きく作用します。ある意味では、ノウマン大佐もメタトロンの毒によって捻じ曲がったとも言えるかもしれません。……もし、何者にも勝る強固な精神力を発揮する場合なら兎も角、現状あなたの精神力では<ゼロシフト>を使用した場合、自己を含めた全ての破滅を望む可能性があります。そうなれば、第二のノウマン大佐に貴方は変質します。
 ……そして――<ジェフティ>はいない』
「……俺がおかしくなった場合、<アヌビス>を制止できる存在がいないってことか」
『お判りいただけましたか?』
「<アヌビス>は無敵だが……フレームランナーの精神までは無敵ではないってことか」
『あまり褒めないで下さい。照れます……ただ』

 こいつも照れるのか、と弾は感心し――言いよどんだ様子に思わず首を傾げる。
 人間を遥かに上回る演算能力を持つメタトロンコンピューター。その彼女が『躊躇う』などという事になるのが意外だったからだ。

「ただ?」
『自分が無敵でないという事を知っている貴方は――いいフレームランナーになる素質を持っています』
「……ありがとう」
『いえ。貴方の戦闘能力が、私の生存確率に大きく関わってきますので』

 ……あれ。もしかしてこれはツンデレなのだろうか、と弾は思った。

「さっき俺に尽くすと言ってくれなかった? 死ぬときは一緒じゃないのか?」
『AIである私と人間の生命を同列に語ることはナンセンスです』
「俺はお前を失うなんて絶対に嫌だし、俺一人で生きながらえる気は無いぞ? 添い遂げようぜ」
『…………』
「どうした?」
『……いえ』

 恋焦がれた空を飛ぶための翼――あの全能感、あの万能感はこの世に存在する如何なる麻薬よりも強い力で弾の心を捕らえていた。またあの絶望感を味わう羽目になるぐらいなら……今度こそ終わっても良い。そう考えながら、頬を押さえる。
 
「<ゼロシフト>は危急の事態以外は封印する」
『よろしいのですか?』
「我侭を言って使いまくれるようになる訳じゃないし――それにさ、デルフィ」
『はい』
「切り札は最後まで取っておきたい。それに『ふふふ、奴は追いつけまい』『この機動性に付いてこれるか、ふはははは』とか思ってる奴の目の前に瞬間移動したら気持ちよさそうじゃん。うわあああぁぁぁぁ瞬間移動しおったぁぁぁぁ、とか驚いてくれないかなぁ」
『その辺りの気持ちは良く分かりませんが、切り札としてとっておくという言葉には同意します』
「はは……まぁ、そもそもお前は<ゼロシフト>を使えなくても最強だろう?」
『はい』
 
 相変わらずの平坦な口調。だが、最後の『はい』には僅かながらも誇らしさが滲み出ているような気がした。
 弾は待機状態の<アヌビス>を胸元、心臓の前のポケットに肌身離さず仕舞いこみ、言う。

「デルフィ」
『はい』
「俺のところに来てくれてありがとう」
『どういたしまして』

 本当に――感謝している。言葉では言い尽くせぬぐらいに。
 諦めた夢を掴む事ができた。翼が確かに存在している事を改めて確認し――弾は、目頭を抑える。目蓋から零れる熱いしずくの存在を知り、頬を拭った。怪訝に思う電車の乗員なんて目に入らない。
 今日は、良い日だった。

 










 今週のNG

『デルフィ、サブウェポン切り替え、コメット!!』
『了解、武装を切り替えます』
『そう!! 原作ゲームではいまいち使いどころが無かったコメットです!』 
『なお、この発言は作者の私見が多分に含まれております。ご注意ください』



作者註

 本編で主人公がゼロシフトに対しての意見を述べていますが、これはあくまで作者の私見と推論であり、公式設定ではない事をあらかじめお断りしておきます。ご了承くださいませ。
 そして、感想でのご指摘から、もう少し納得できる方向性に変更いたしました。
 ゼロシフトによる瞬間移動無双をご期待くださった方、誠に申し訳ありませんが、整合性を取るにはこうした方が良いと判断しました。ご期待に沿えず申し訳ありません。

 なお、次回更新からタイトル変更いたします。次回からの正式タイトルは

『インフィニット・ストラトスVSオービタルフレーム』

 でいこうかと思います。
 では、次回更新もよろしくお願いいたします。八針来夏でした。



[25691] 第三話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 22:50
『決闘ですわ!!』

 先日セシリア=オルコットに叩きつけられた宣戦布告の言葉を思い出しながら、織斑一夏は両腕に力を込めて腕立て伏せを繰り返す。腕に対する負荷を強めるために背中に乗せた篠ノ之箒ごと、自分の体を持ち上げる。

「……なぁ、一夏」
「……ああ」

 短い一夏の返答。運動中で声を出すという行為は事の他疲労を促進する。言葉の中にはありありと疲れが含まれていた。
 おかしい――篠ノ之箒はこうして再び出会えた憎からず思っていた片思いの相手の激変ぶりに正直前から困惑を覚えている。前はもっと明るく、あともう少しそんなに物事を考える性格ではなかったように思う。確かに幼いながら義侠心も持ち合わせていたし、自分にだって優しくしてくれた。
 ……だが――今の彼は少し困るのだ、と箒は自分の胸中に宿る恋の熱が高まるのを自覚してしまう。
 ISの候補生となる女性はもっと昔から様々な知識や専用の訓練を受けるものだ。しかしイレギュラー的な存在である織斑一夏は、ISを動かせるという事が発覚してからの数週間しか知識を詰め込む時間がなかった。はずだった。

 ……そして蓋を開けてみれば、彼はその限られた数週間で、現役の候補生と遜色の無い専門的知識を身につけるに至っているのである。

 女性の候補生と比べれば余りにも遅すぎるスタート。それでありながら、存在していた大きなハンディキャップを織斑一夏は、ただの努力の量のみで埋めて見せた。
 ISを装備するためのスキンスーツから除くうなじは、先程からの自主練習で滴る汗で濡れている。見える二の腕の筋肉も、徐々に男性的な力強い曲線を描き始めていた。此処数週間の彼の練習量は――異常だ。放課後はとことんまで肉体を苛め抜き、夜になれば座学に勤しみ消灯も夜遅い。俺はナポレオンだと言わんばかりの熱心ぶりだ。
 ぶっちゃけ――今の彼は昔の恋心も相まって大変好ましいのである。

「何故そこまで頑張れる? 最近のお前は――す、凄いというか……気を入れすぎじゃないか?」
「……決闘前日になったら体を休めるさ」

(……こ、困った。……今のこいつは――)

 もとより顔の造形は姉に似て良い方だったが――それに加えて男性的な逞しさ、精悍さが増している。整った顔立ちに加えて内面から滲み出る求道者のような真面目さが彩りを添えていた。ぶっちゃけ男前なのである。幸いそれに気付いているのは今のところ彼女一人なのだが。
 同時に、胸中に沸く疑問もある。
 彼の姉であり教官でもある織斑千冬に話を聞く機会があったが――中学の頃の彼は帰宅部の皆勤賞という何処に出しても自慢にならない、良くも悪くも平均的な存在だったのだ。ISを動かせると分かったときだって面倒だな、と言わんばかりの、状況に流されているような態度だったらしい。
 そんな彼が――何か変わった。彼を見た織斑教官の言葉を箒は思い出す。

『しかし……男子三日会わざれば刮目して見よ――という慣用句はあるものの……変わりすぎだ、あれは』

 なら――彼が変わったのは……子供の頃と違い、表情に真剣なものを漲らせて、彼女の要求するトレーニングの三倍をものも言わずにこなす彼のその肉体を支えるほどの激しい決意とはなんなのだろう。
 精神は肉体の奴隷である――そう言った昔の人がいた。
 それは真実であろうが――篠ノ之箒としてはその辺りにもう一文付け加えたいところだ。即ち――『精神は肉体の奴隷である。ただし肉体の性能を決定付けるものは精神である』と。

 だとするなら――織斑一夏にこれほどの克己心を抱かせるようになった、その精神の支柱とは一体何なのだろうか?




 女性上位社会は、正直なところを言えば空気のように自然なものであったろう。
 酒を飲み漁り、過去の栄光にしがみつく様に昔の話をする中年のおじさんを見て――見苦しいと思った事がある。女性が偉いのは当たり前の話で、それに対してどうして悔しがるのか。幼い頃、そうおじさんに指摘したことがあった。
 男性は、まるで鈍器で殴られたようなびっくりした顔をして――そのまま子供のように大声で泣きじゃくった。
 息を吐いて、トレーニングを切り上げる。

「……1000……箒……もういい、ありがとう」
「あ、ああ。……水はいるか?」

 こくり、と声を出すのも億劫になった一夏は手を挙げてスポーツドリンクを要求する。
 乳酸を満載したかのようにへろへろになった腕を掲げて、蓋を開けてから流し込む。それを空にしてから――彼は仰向けになったまま口を開いた。

「あー。箒。……すぐは動けそうにないから、先に戻っておいてくれ」
「ああ、大丈夫か?」
「問題ねぇ。……こんなところで足踏みしてる暇が無いからな」

 勿論彼女は何か言いたげな様子を見せたものの、一夏は仰向けのまま呼吸を整えているのを見、瞑想に入ったと知ると――同門であった頃の教えを未だに実践しているのか、と自分との繋がりを発掘したような思いでかすかに笑みを見せて寮の自室へと戻っていった。



 目を瞑る。
 思い起こすのは――セシリア=オルコットに勝負を挑まれた時の周囲の反応だった。

『お、織斑くん、それ本気で言ってるの?』
『男が女より強かったのって、大昔の話だよ?』
『今からでも遅くないよ、セシリアに言ってハンデつけてもらったら?』
『えー? それは代表候補生を舐めすぎだよ。それとも、知らないの?』
『男女別で戦争が起きたら、男陣営って三日も持たないらしいよ? それどころか三時間で制圧されかねないって』

 大丈夫。
 はらわたに溜まる静かな激情の存在を確かめながら、一夏は上半身を起こした。
 悪意の無い言葉。女性上位社会の中で生きていけば、彼女たちがそういう風に考えるのも仕方ない。花のように笑いさざめく言葉には澄み切った善意しか存在せず、本気で自分の身を案じている事がはっきりと分かった。それが悪意の毒で満たされていたならどれほど分かりやすく、すっきりするか。


 結局、舐められているのだ。


 今の女性上位社会の中で――女性の愛玩動物のようになって楽で贅沢な生き方をしている男を舐めるなら別に良い。奴らは闘うことも、反骨の気概も捨て去った去勢された雄だ。だが、幼い頃出会ったあのおじさんを、ちゃんと悔しがったあの人を――そして、五反田弾を、そういう男と一緒にしないで貰いたかった。



『なんで、おまえなんだ』

 あの日あの時から、親友の言葉が一夏の心に染み付いて離れない。
 あれは人類60億の半分、この世の男性の代弁だった。自分しか挑めない。ISを扱えるのは自分だけ、それゆえに女性に挑めるのはこの世でたった一人自分だけなのだ。
 確かにかつて、男尊女卑の時代が存在していた。
 男性の方が体格があり、力が強く闘いに勝つことが出来る。そういった力への信仰心が男尊女卑の時代を作った。そして――女性達はかつての男性の轍を踏んでいる。ISを使うことで、力が強いから――女性の方が偉い。強大な暴力を振るえるものこそが偉いという主張だ、と一夏は思う。与謝野晶子が復活したらどう思うだろうか。

 一夏は、この数日、練習用のISである日本の量産型<打鉄>での戦闘訓練を最小限にして、肉体のトレーニングを重点的にこなしているのには理由がある。
 彼が肉体を徹底的に苛め抜き、鍛え上げているのは……この怒りの発露に耐え得る強固な肉体を欲したからだ。口数少なく、最低限の言葉しか発さないのは、はらわたに溜まった怒りがこぼれ落ちるような気がして勿体無いと思ったからだ。
 セシリア=オルコットは、性格こそ高飛車で驕慢だが――しかし戦闘者としての経験と実力、これまでに積み重ねた鍛錬の汗の量は自分を遥かに凌駕する。一夏は当然ながら、真っ当に闘えば自分が勝てないことを理解していた。戦闘で勝敗を決するのはこれまでの練習量――彼女はスタートラインが致命的に遅れていた自分が勝てる相手ではない。
 
 だが勝つ。

 一夏は自分で下した結論を自分で否定した。
 
  
 




  

 日本で、こんな話がある。



 ある日、弓矢を背負って山中を歩いていた侍が、道脇に座る男を見つけた。その腰に下げている太刀は身なりに似合わず見事な拵えで、思わず金銭と引き換えに譲ってもらうように頼んだ。
 するとその男は――『銭はいらねぇ。代わりに弓矢をくれ』と言ったのである。
 弓矢一式でこの見事な太刀を得られるならば構わぬと弓矢と交換したその侍。ほくほく顔で帰宅しようとしたところ――弓矢を番えた男が狙いを侍に向けて一言。『待てい、それは商売道具の大切な太刀。命が惜しくば身包み全部置いていけ』。男は見事に追いはぎに早代わり。如何に見事な太刀であろうとも、遠間から相手を射抜く弓矢が相手では手も足も出るはずも無い。命を質にとられた男は金も衣服も奪われてほうほうのていで逃げ帰ったとさ……。

 ……細かなところは違っているかもしれないが、大まかな意味としてはその辺りだったはずである。
 これは戦国時代の日本の文化的素地として――合戦でもっとも重要な武装とは相手を遠距離から一方的に射殺できる弓矢であり、太刀の外見の眩さに目が眩み、一番大切な武器をみすみす敵に渡してしまった侍の愚かさを笑う話なのである。古来日本で、強いという事を意味するのは弓の名手を指すのだ。

 この逸話を考えれば、如何に射撃武装が白兵武装に対して優位に立てるのかが分かるだろう。

「嫌がらせか」

 だから――自分に支給されたIS『白式』に搭載された武装が、白兵戦用のブレード一本と知ったとき、織斑一夏がとても厭そうな顔をしたとしても無理は無いだろう。

『時間が無い。フォーマット(初期化)とフィッティング(最適化)はぶっつけ本番でやれ』
「……了解」

 姉である織斑教官の声。開始時刻遅らせろよ、という言葉を飲み込んで――織斑一夏は白式を起動。名前の通り白い装甲に、肩部分には浮遊型ブースターが展開し、飛行。空中で待機していたセシリア=オルコットを前にする。
 両手を組んだ状態で浮遊する彼女の機体――<ブルー・ティアーズ>。
 彼女の思考に追随し、動き回る自立機動砲台と、本体武装の大型レーザーライフルを主軸に添えた遠距離射撃を戦術の主軸にしたイギリスの最新鋭機だ。周囲に視線を向ければ、大勢の観客――といっても全員女性――が、シールドに覆われた観覧席でこちらを見上げている。

「最後のチャンスを上げますわ」

 自信満々で言う彼女――反面、一夏は一言も口を動かさない。
 自分を無視するような反応に、面白くなさそうな表情を浮かべてから言った。

「わたくしが一方的な勝利を得るのは自明の理。ですから、ボロボロの惨めな姿を晒したくなければ、今ここで謝るというのなら、許してあげないこともなくってよ」

 敵からの攻撃照準レーダー波の照射を検知、狙われている事を告げるISの警告音。引き金を引く段階に来た、返答や如何に――そう迫っているのだろう。
 一夏は押し黙ったまま、不機嫌そうに唇を閉じている。その反応が不愉快なのか、セシリアは言う。

「……黙ってばかりでは分かりませんわよ? 聞きましたけど貴方本当に教官を倒したんですの?」
「……あれは単に先生がドジなだけだ」
『ひ、酷いです織斑くん!!』
『……いや、山田先生。悪いがあの件に関しては私も弁護の余地が無い』

 モニターでこちらを監視している織斑教官と山田先生(巨乳・ドジ)がなにやら喋っている。
 それを聞き流しながら――織斑一夏は言う。弾、俺、やってみるからな、と呟いて。

「織斑教官。……マイクを使います。観覧席の人達にも聞こえるように。伝えてもらえますか?」
『あ? ああ』

 その言葉の意味が理解できず、聞き返す千冬姉。




 一夏は――宣戦布告を始めた。




『俺は、今んとこ、この世で唯一ISを扱える男だ』

 突然の彼の言葉の意味が分からず、アリーナからざわざわと声が聞こえる。

『以前――みんなと話していた時に聞いた事がある。男女別で戦争が起きたら、男陣営って三日も持たない……うん、事実だ。実際に扱ってみて分かるけど、今の俺を包むこの万能感……初めて扱うけど凄く強いって分かる。確かにこんなのが467機もあったら。男なんて――速攻白旗を上げちまうよな』

 笑う。
 今まで溜め込んできた怒りの蓋を僅かながら、ずらしたような――それは正面に立っていたセシリアが、一瞬背筋をびくりと震わせるほど……激しい殲滅の意志を含んでいた。




















『……だから俺は、もし男女間で戦争が起きた場合――残り466人の扱うIS全てと戦ってこれに勝利しなければならない』




















「……いち……か? お前……」

 篠ノ之箒は――今喋っている一夏を……まるで信じられないものを見たような眼差しで見上げた。
 彼は、何を言っているのだ? その内容が理解できず、まるで金縛りにでもあったように動けないでいる。周囲の候補生たちのざわめきが大きくなる。突然の言葉に、冗談で言っているとでも思っているのか――アリーナでの喧騒は大きくなるばかり。
 なんという――無謀な発言。
 それは言わばこのIS学園全ての候補生達を将来の敵と想定している事であり、その間に横たわる巨大な戦力差を上回り凌駕する事を決意した、まったく現実を見ていない発言。
 
「なんて――」

 だが、誰もが笑うような発言をどう考えても現実を見ていない夢想そのものの言葉を語る彼を見て――驚きと共に、その姿を美しいと思ってしまうのか。箒は幼馴染の姿を見上げたまま、魅入られたように彼の姿を瞳に納め続けた。




















『男で女と対等に闘えるのは――人類60億の半分、30億人中たった俺一人なんだ。
 だからすまない、セシリア=オルコット。……はっきりと言っておく。……俺はお前と遊んでいられるほど、人生に余裕が無い』

















「い、一夏くん……なにを言ってるんですか?」
「…………たった一人の男のIS搭乗者――肩の力を抜いて訓練に励むなど……どだい無理な話か」

 山田真耶先生は、教え子の言葉に困惑を隠しきれず――織斑千冬は、弟が変わったその理由を言葉から全て察し、その体に圧し掛かる絶望的なプレッシャーを思い、思わず顔を泣きそうに歪めた。
 なるほど、そうだったのだ――納得すると同時に、弟がこれから歩む苦難の道のりに、彼女は言葉もでない。
















「貴方……正気ですの?」

 まるで自分の存在をどうでもいいものと扱うような一夏の言葉に、セシリア=オルコットは怒りを覚えるよりも先に――恐怖を感じていた。恐ろしくて仕方ない。どう考えても痴人の妄想に類するそれを語る目が、どう考えても無理な話を本気で実現すると言っていた。現実を見据えながらも不可能な夢を実現するためにはどうすればいいのか探り続け足掻き続ける事をやめないと告げていた。
 如何に彼女が才気豊かで実力が優れていてもそれはあくまで候補生の領分の話。今の彼女は学生身分だ。実際に国家代表となったISの搭乗者と比べられる訳がない。彼女よりも実力あるISの搭乗者は大勢いる。いや、理屈では理解できる。もし男女間で戦争になったと仮定して、そうなれば彼は男の陣営に付くわけだ。

 ……だが、勝てる訳が無い。
 
 466対1。子供でも計算できる絶望的な戦力差。正気で挑める数ではない。
 だからこそ、セシリアは織斑一夏のその瞳の中に宿る色に――色濃い狂気の輝きを見た。正気では成し得ぬ事を欲する正気と狂気を両立させた半狂の目。



 なんて――美しく狂った眼差し。
 
 

 そう考えてから、彼女は――わ、わたくしなんて表現をしてますの――と動揺した。

「確かに、正気で成せるような目的でもないからな。だけど、望む事を諦めたら、何にも届きやしない」

 化け物――思わずそんな言葉が喉奥を突いて出る。
 呑まれている。自分自身が相手に気力と気迫で圧倒されつつある事を自覚する。能力的には絶対的に自分が有利であるはずなのに、今すぐ此処から逃げ出したいような感情に彼女は駆られていた。
 
「始めようぜ」
「……ッ!! そうですわね!! ……さ、さぁ、踊りなさい、わたくしセシリア=オルコットと<ブルー・ティアーズ>の奏でる円舞曲(ワルツ)で!!」
 
 だから、押し殺したような一夏の言葉に弾かれたようにセシリアは敵機を照準する。
 構えるのは二メートルを越す巨大な六十七口径の特殊レーザーライフル『スターライトMK-Ⅱ』。彼女に従う従騎士のように――四枚のフィン・アーマーがはずれそれぞれが独立した動きを見せる自立機動砲台『ブルーティアーズ』。それを初めて搭載した機体だからこそ、唯の武装名が機体自身を指す名称になっているのだ。
 
 だからこそ、織斑一夏が行うのは近接戦闘――選択肢がこれしかないとも言う。

「そこをどけ、セシリア=オルコットォォォォ!!」
「この……このわたくしを踏み台扱い?! 増長慢もここに極まれりですわ!!」

 一夏は<ブルー・ティアーズ>に対して突撃――ただし当然ながら一直線ではなく、緩やかな曲線を描きながらの前進、相手の射撃に対する回避挙動を絡めた、初めての実戦とは思えない理に叶った動きだ。

「それなりに早いですわね、でも駄目ですわ!!」

 放たれるレーザー――光の速度というわけではないのが救いか。横切る破壊エネルギーの塊に、ひやりとするものを感じながら突撃。近距離――ブレードを振りかざす。
 
「背中が、お留守ですわよ!?」

 だがそれを見逃すほど彼女は甘くも無ければ弱くも無い。後背に回りこんだ機動砲台が背中から一撃を叩き込んだのだ。
 その衝撃で攻撃のチャンスを潰され――揺らいだ体勢へと至近距離の一撃を放つセシリア。

「……ッ!!」

 横方向への瞬時加速――凄まじいスライド移動を見せ回避しながら、自分の機体の特性を推し量る。
<白式>、完全な近接戦闘特化型。武装はブレード一本という狂気的武装。ライフルの一本ぐらい欲しい――だが、と考え直す。装甲は割と分厚い。その癖推力は非常に高い。先程セシリアの懐に飛び込めたのもこの高出力の賜物だ。懐に飛び込むためのパワーとタフネスをコイツは備えている。
 ……と、すれば――相手が安全マージンを取るために今後は遠距離戦を持ってくるのは確かで。

「この<ブルー・ティアーズ>を相手にブレード一つで挑むなんて本気ですの?」
「生憎と量子変換されてた武装がこれ一つなんだよ」

 真実である――そしてこの場合、真実こそが相手を陥れる罠になる。考えたのだ、自機の武装がブレード一本と知り――アリーナに来るまでに何度も勝つための手段を。



 







「――二十七分。持ったほうですわね。褒めて差し上げますわ」
「…………」

 セシリア=オルコットは自らの優勢を証明するかのように言う。
 結局あれから、徹底して相手の接近を拒む射撃と機動を繰り返し、徐々に<白式>のエネルギーを削り落としていった。勝利は目前なのだ――だが、それでも彼女は自分が絶対的に優位である事を言い聞かせようとする。
 勝っている事は間違いない。……なのに、先程から背筋に張り付いて離れないこの寒気の正体はいったいなんなのだろう。
 織斑一夏の眼差しには――焦りはある。だが諦めの色だけがどこを捜しても存在しない。

 勝てるはずですわ――そう言い聞かせる。相手の武装は近距離ブレード一つ。これまでと同じように安全マージンをとりつつ、徹底して射撃戦に持ち込めば勝てるはず。
 彼女は再度、敵機に照準を合わせた。



 そして当然――織斑一夏は勝負をまるで捨てていなかった。


 
 使用した武装はブレード一つ。相手のミサイル型機動砲台はこれまでの戦闘で切り捨てた。あれが彼の一番の障害だったからだ。

(……思考の間隙を突け、織斑一夏!! こっちには近接ブレード一本であると相手の頭の中に染み込ませるために殴られ続けた……そろそろ殴り返してもいい頃合だ!!)

 突撃を仕掛ける一夏――馬鹿の一つ覚え的な前への前進。
 牽制射撃をやって相手の機動拘束ができるならばもう少し違うのだろうが――無いものを強請っても仕方ない。
 接近を警戒し、再び相手を避ける回避機動に移った<ブルー・ティアーズ>を追う――これまで幾度も追い縋って逃げられた。そして今回も同じくセシリアは理に叶った動きで――即ち予測の範疇を出ない機動を描いた。
 それこそ望み――織斑一夏は、どんぴしゃ!! と口の中で呟き。


 ブレードを投擲した。


「……ッ!!」

 織斑教官、山田先生、アリーナの観客、篠ノ之箒、そして闘っているセシリア=オルコットを含めた全員の予想しなかった愚行であった。
 飛来するブレード。確かに命中すればダメージが期待できるが――それは同時に武装を全て失う、相手へのダメージを与える手段を全て失うということでもある。ましてや火器ならば兎も角、FCSの助けすら得られない投擲が命中するはずがない。
 事実、驚きこそしたものの、<ブルー・ティアーズ>は咄嗟に回避。狙いを外したブレードはあさっての方向に飛んでいく。
 だが――セシリアは僅かながら動揺していた。
 相手の武装はブレード一本。ならば攻め手は近接攻撃しか有り得ないという思考の硬直を突かれた形。一瞬背筋に走る冷や汗を感じながら敵機に相対しようとし――織斑一夏が、その彼女の思考の硬直による僅かな隙を見逃さず、接近戦を仕掛けている事に気付いた。

 一瞬浮ぶ焦りの感情。

 だが大丈夫と考え直す――相手は唯一の武装を投げ捨てた。ならば攻める事も出来ずに周囲に散らばる機動砲台で奴を仕留める。そう考えたセシリアの内心を――見透かしたように、一夏は薄く笑った。

「お前は一つ勘違いしているな」
「きゃあっ!!」

 そのまま瞬時加速でセシリアの腹に飛び込むように体当たりを仕掛ける<白式>。避けきれず、その露になったままの腹部に顔を埋めるような体勢で、両腕を回し、締め上げる。相手の顔面が自分のおへその辺りに当たっている事に言い様の無い恥ずかしさを覚えながらセシリアは叫んだ。

「お、お放しなさい、この変態!! ブレードも無いくせに、もうわたくしに勝てるはずがありませんわ!!」

 一夏は無言のまま――推力をマックスにして上空へと上昇。相手を掴み上げたまま加速する。それは明らかに以降のエネルギー残量を無視した、過剰な使い方。戦闘機でいうなら、アフターバーナーの使い過ぎで燃料を失って墜落しても構わないというような後先考えない行動。
 音速を突破した機体が、飛行機雲(ヴェイパー)を引きながら急速上昇。

「……武器なら、あるじゃないか」

 一夏の微笑み。魅力的で危険な雰囲気。とても悪そうな笑顔。接近戦を行うための大推力は、一人ぶんのISを捕らえたままでも十分な加速を行っていく。 
 そのまま――まるで相手のお腹を掴んだままバックドロップでもするかのように、地上目掛けてインメルマンターン。逆Uの字を描きながら――今度は大地を頭上に見上げるような超高速落下を始める。勿論ブーストはマックスのままの落下。高度を落下速度に変換し、凄まじい勢いで降下。高度一万からの逆落とし。パワーダイブどころではない、地上への激突コース選択。ISの絶対防壁があったとしても、人である以上、大きく迫る巨大な壁の如き大地の存在に対する原始的恐怖心を抑えられるわけが無い。
 
「あ、あなた!!」
「……昔から思っていたけど、『お前を地球にぶつける』より、『地球をお前にぶつける』の方が強そうな気がするんだよな」

 同時に、<白式>がスラスターから推進炎を吐き出しながら機体を回転させる。此方が容易に機体制御を立て直せないようにする嫌がらせだ。そう、これぞ日本を代表する忍者漫画から着想を得た、近接戦闘における『投げ技』。
 咄嗟に彼女は<ブルー・ティアーズ>の唯一の近接戦闘武器であるブレード『インターセプト』を展開し、相手に突き立てようとするが――そもそも遠距離射撃を得手とする彼女は近接武装の量子変換が得意ではない。他の武装は意識のみで呼び出せるのに、それだけは声を出して転送する初心者用の手法でしか呼び出せない。
 それに……第一、もう間に合わない――!!

「きゃ、きゃ……きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「忍法……」

 引きつったような声――<ブルー・ティアーズ>の推力では最早立て直す事が出来ない加速度が付いたと見るや、<白式>は回転する相手から即座に離脱。最大推力で機首起こし引き上げ――そして背後で上がる悲鳴と、大地に墜落した轟音が重なる。

「飯綱落し……!!」
 
 さしもの<ブルー・ティアーズ>といえども、高度一万からの超高速墜落を受けては無事でいられなかったのだろう。絶対障壁が発動し、全てのエネルギーを失った機能停止した相手。彼女を中心に広がるアリーナの地面に刻まれた巨大なクレーターを見下ろしながら、一夏は自分が勝利した事を悟る。
 そう、こちらの武装がブレードのみであり――戦場で組み打ちの技術がまだまだ有効であることを忘れていた、武器を使う戦いに慣れすぎていた事が彼女の敗因だった。


 ――フォーマットとフィッティングが終了しました。確認ボタンを押してください。


 と、勝利した一夏に掛けられる<白式>のシステム音声。いぶかしみながらそれを押せば――ISが光の粒子になって消え、すぐに新たな形へと再結合する。
『初期化(フォーマット』と『最適化(フィッティング』。これで<白式>が完全に一夏の専用機となったのだ。先程の工業規格的な無骨な形状ではなく、より洗練された中世の鎧を思わせる形へと変化している。
 未だにもくもくと土煙を上げる、忍法飯綱落しの着弾地点に視線をやりながら、織斑一夏は情けなさそうに眉を顰めた。……もう少し早く終わればもっと楽に勝てたのに、戦いが終わってから完了するのでは興醒めもいいところである。

「……おそ……」

 彼が嘆息を漏らすのも、至極当然の話であった。




 



 帰還した一夏を出迎えたのは――姉である織斑千冬の拳骨。
 誰もいない二人きりの場所で、初陣を勝利で飾った自分に対して褒める言葉でも出るのかと思ったら全然そんな事は無かった。

「良くやった。一夏」
「……褒められている気がしないのはなぜですか、織斑教官」
「千冬姉だ、ばか者」

 ん? と思う一夏。その言葉は、今はプライベートで接しろという意味。
 どういうことかと首を傾げる彼に、言う。

「お前の覚悟と決意は理解した。……だが、一つだけ訂正しろ」
「え?」
 
 そういいながら、千冬は弟を抱きしめ――背に回した手で、あやすように背中を優しく叩く。

「……もし、男と女で戦争が始まった際――お前が闘うべきISは、465機だ」
「……千冬姉」
「ふ……たった一人の家族を守ろうとする事がそんなに変か?」

 姉の言葉に含まれた意味を、一夏は理解する。
 世界で唯一ISを扱える男性――その背に負う絶望的なプレッシャーを少しでも肩代わりしようという言葉に、一夏は俯く。目頭の奥から湧き上がる涙の情動を、姉に見られたくなかったからだ。そんな弟を優しく微笑みながら、千冬は言う。

「そして、その場合私達が闘うべきは、一人のノルマが233機と232機だ」

 微笑みながら――お前の味方をしてやると、言ってくれた。

「どうだ? だいぶ楽になっただろう?」
「ああ、うん……ありがとう、千冬姉……ッ!!」

 目頭を抑え、溢れる涙を拭いながら、一夏は応えた。




「すっげぇ……楽になった!!」




























今週のNG



 日本で、こんな話がある。



 ある日、弓矢を背負って山中を歩いていた侍が、道脇に座る男を見つけた。その腰に下げている太刀は身なりに似合わず見事な拵えで、思わず金銭と引き換えに譲ってもらうように頼んだ。
 するとその男は――『銭はいらねぇ。代わりに弓矢をくれ』と言ったのである。
 弓矢一式でこの見事な太刀を得られるならば構わぬと弓矢と交換したその侍。ほくほく顔で帰宅しようとしたところ――弓矢を番えた男が狙いを侍に向けて一言。『待てい、それは商売道具の大切な太刀。命が惜しくば身包み全部置いていけ』。男は見事に追いはぎに早代わり。如何に見事な太刀であろうとも、遠間から相手を射抜く弓矢が相手では手も足も出るはずも無い。命を質にとられた男は金も衣服も奪われてほうほうのていで逃げ帰ったとさ……。


 ……細かなところは違っているかもしれないが、大まかな意味としてはその辺りだったはずである。
 これは戦国時代の日本の文化的素地として――合戦でもっとも重要な武装とは相手を遠距離から一方的に射殺できる弓矢であり、太刀の外見の眩さに目が眩み、一番大切な武器をみすみす敵に渡してしまった侍の愚かさを笑う話なのである。古来日本で、強いという事を意味するのは弓の名手を指すのだ。

 この逸話を考えれば、如何に射撃武装が白兵武装に対して優位に立てるのかが分かるだろう。

「嬉しがらせか」

 だから――自分に支給されたIS『白式』に搭載された武装が、参式斬艦刀一本と知ったとき、織斑一夏がとても嬉しそうな顔をしたとしても無理は無いだろう。どう考えてもこれは勝つる。近接武器よりも遠距離武器のほうが強いとかそういうことなどお構い無しに、このむさ苦しいまでに漢臭い武装の放つ圧倒的な存在感が、確実な勝利を予見していた。

 前の逸話、挿入の意味無いじゃん、という突っ込みは無しであった。






作者註

 今週セシリアさんには最初キン肉ド○イバーを喰らってもらう予定でした。(え)
 あと一瞬八つ墓村のように頭から地面に突き刺さってもらおうかと思ったけど、女の子にそれはひどいのでやめました。
 とりあえずこれぐらい頑張れば、原作主人公がモテモテになっても……いいかな?(えー)



[25691] 第四話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 22:59
 空を奪われた時の事は良く覚えていた。
 世界十二カ国のミサイル基地に対する大規模なハッキング攻撃、引き起こされたのは計2000発のミサイルが日本へと発射されるという事態。首脳陣が悲鳴をあげていた。前線の兵士も同様にだ。比類なきジェノサイド。島国一つを消滅させるに足る破壊力。
 
 ……そしてその事態を鎮圧したのはたった一機のIS。
 
 世界初のIS『白騎士』とそれを操る織斑千冬だった。
 そんな彼女に対して各国首脳が取った手段はクレイジーだった。……2000発のミサイルを膾に捌いていった機体を生け捕りにしろ――と。
 ……空軍のパイロットにだって誇りはある。
 まず彼女が日本を救ったと聞いたとき、自分達が思ったのは純粋な感動と感謝、そして自分達になしえない事を成した賞賛の念だった。 そんな、ある意味世界の恩人とも言える彼女に対して――銃を向けろという命令に、前線の兵士達の士気はまさしく最悪の一途を辿った。それに、そもそも自分たちでどうにも出来なかった2000発のミサイルをどうにかしてしまった相手を自分たちでどうにか捕まえろというのはなかなかセンスの悪いジョークだと思っている。
 ある意味彼女は2000発のミサイル以上のクレイジーな相手なのだ。
 だが軍隊の悲しさか――ミサイルよりも一機のISの方が組し易いという上層部の思い込みによる命令には従わざるを得ず、そして軍人たちは勇敢に敵に挑み……猛々しく惨敗した。


 世界の軍事技術は大きくISに傾斜する事になり、かつての戦車や戦闘機の巨大メーカーの幾つかが潰れた。
 現在シェアを握っているのは戦争の時代の変遷を強かに嗅ぎ取り、素早くIS開発事業に鞍替えした企業達だ。篠ノ之束はそういう意味でも大勢の人生を変えている。


 ……当時、発表された当初のISに対する注目度は低かった。
 

 世論では唯の宇宙用パワードスーツ。スペックは開示されてはいたものの――その数字を見てどの企業も『ただの法螺』という認識しかしなかった。ましてや女性にしか扱えないという奇怪な欠点が――戦場には男性が出るものという当時の風潮に合わなかった。
 だが2000発のミサイルを全て膾にしたという巨大なインパクトは、世界各国の軍事関係者の耳目を引き付け、そしてあれよあれよと言う前に戦闘機や戦車の全ては廃止される事になった。篠ノ之束博士はあっという間に時の人になった。
 
 ……犯罪が起きた際、まず警察が疑うのはその犯罪によって何者が一番の利益を得たか――そこを洗う。

 そう考えるのであれば、条件に該当するのはISの生みの親である事になる。そして彼女はそれを実行するだけの理由と実行可能な能力があった。
 自分のような一介の空軍パイロットですら考え付くような事を、海千山千の政府高官が思いつかない訳が無い。
 だが、その事を追求しないのは確たる証拠が無いか、或いは友好関係を結び続ける方が益になると考えているためなのだろう。そして世界の軍事主力はISへと移り変わり――時代遅れのファイターパイロット、アメリカのトップガンだった己は地を這い回り落ちぶれ果てるはめになった訳だ。


 酒に溺れた。
 空軍のエリートだったというプライドは見るも無惨に地に落ちた。
 妻であるレイチェルは、最近花形技術となったISの制御中枢である量子コンピューターを構築する超稀少金属であるメタトロンの技術者、機械工学の専門家としてあちこちの専門機関にひっぱりだこになった。……それでも現在はメタトロン技術者として、他社に押され中小企業に成り下がった元からの会社であるネレイダムに未だ在籍をしているのだが。

 我が身を振り返れば、あまりの没落ぶりに涙が止まらなかった。
 故郷のアメリカに帰るのもばつが悪く、基地から退去を命じられ――家族と連絡をする気にもなれず、日本で日雇い労働に従事するほどになってしまった。
 幸い体は驚くほど頑健であったものの、どうにも我が身の没落振りが信じられず――酒を飲み漁りくだをまく典型的な駄目親父に成り下がっていったのである。
 幼い少年に、女尊男卑の現状は当たり前だと指摘されたとき――時代の変遷と、そしてそれに取り残された自分に泣いてしまったのは、一生モノの不覚である。


『あの、ジェイムズ=リンクス大尉ですか?! サインください!!』

 五反田食堂でビールを飲み漁りくだを捲く、後から思えば顔から火が出るような醜態を晒したオッサンのジェイムズに――再び人生の気概を取り戻してくれたのは、当時5歳になるその食堂の息子だった。
 その眼差しに込められていたのは、明らかに英雄に対する憧憬。かつて精気溢れる軍人として国防に従事していたとき、満身に漲る誇らしさと共に幾つも浴びていた懐かしいものだった。
 酒気で濁った体と、男性に対する侮蔑の眼差しに慣れきった魂は――少年のその眼差しに、確かに救われたのである。




「あ、こんばんわ、ジェイムズさん」
「よぅ蘭ちゃん」

 近隣に住む運送業の中年男性であるジェイムズ・リンクスは、くすんだ金髪に無精ひげが目立つ堂々たる巨躯の男性、旧時代のいわゆる「タフガイ」とも言うべき男性であり、ここ五反田食堂の常連さんであった。
 数年前にここの一人息子へと何年ぶりかのサインをねだられた事が縁で、良く顔を出す人であった。
 それににこやかな笑顔で相対するのはここ五反田食堂の一人娘の五反田蘭であった。日本人にしては珍しい赤い髪に整った顔立ち、名私立女子校の生徒会長も務める才色兼備のこの家の自慢の娘だ。
 そんな彼女は日曜日の休日や学校が休みで特に何も用事が無ければ食堂の看板娘をやっていることが多い。

「弾はいるかい?」
「……さぁな」

 今や戦闘機などの旧来の兵器と専門的な話が出来るのは、世代を超えたあの少年しかいないのである。
 息子のレオンは今ではエリートサラリーマンで、娘のノエルは建設現場で働いている。……一作業員ではなく、現場監督というのがなかなかスゴイが。妻のレイチェルや家族全員は今全員アメリカ。ジェイムズ一人が、パイロットを辞めた後、家族に顔が出せずしばらく失踪しており――立ち直った今では連絡は頻繁に取っているが、今はどうにも家族と顔を会わせ辛く現在では日本で長距離トラックの運送業をやっている。
 そんなジェイムズの声に不機嫌そうに返すのは、一度食べた人がなんとも言えない表情になる駄々甘な南瓜定食を作っているここの店主であり二人の父親だった。
 あまり愛想のある人ではないのだが、しかし今日はいつにも増して不機嫌そうな印象を与える。ふと、見れば――同様に蘭も顔を曇らせていた。
 ……なにか、良くないことがあったということは分かる。それも、弾関係で相当に普通ではない事が。
 それでも自分達だけで考えるのが辛かったのだろうか――まるで鉛でも吐くような苦しげな様子で、蘭が言った。

「……お兄ぃ……私達の知らないところで勝手に高校を休んでいるんです。しかもその後――PCで三日近く、なにか一心不乱に作業を続けているんです」




「……ターゲットの自宅に一名、入りました。……素人じゃありませんね」
「構う事は無い。家族以外は射殺しても良いとお達しだ」

 街中のわりとありふれている五反田食堂に対して路地裏から穏やかならざる危険な言葉を吐いているのは、スーツに身を包んだ数人の男たちだった。見るものが見れば分かるだろう――懐には拳銃。スーツは一見して高級なブランドものだが、その実都市での隠密行動に従事する非合法工作員が使うスーツに偽装されたボディアーマーだった。
 紳士的な風をいかに装おうとも隠しきれない暴力の臭い、他者の苦痛に対し意図的に想像力を働かせない精神。汚れ仕事、濡れ仕事を専門とする傭兵であった。

『五反田弾の家族を誘拐せよ。尚、五反田弾本人を確認した場合、即座に離脱する事』

 解せない命令ではあった。
 彼らはプロ――勿論世界最強の戦力であるISには流石に勝てる訳も無いが……それ以外の凡百の人間なら片手間に殺せるその手の専門家だ。ISによる軍人の大規模解雇に伴う悪しき弊害の申し子。彼らが保有していた戦闘技術を金で売り買いする傭兵達は――後半の一文が理解できない。
 平和ボケした日本の家族を誘拐するだけの至極簡単な作戦。拘束など容易い仕事である。
 ……で、あるにも関わらず、その青年一人を確認した場合は早急に離脱せよ――どうしてそんな一文を追加しているのか不明だった。
 とはいえ――依頼人である『亡国機業(ファントムタスク)』の事情に対して詮索するのはマナー違反だ。彼らは、予定通り行動を開始しようとして、ふとそこにいつの間にか少女が一人佇んでいる事に気付いた。
 扇子をその繊手に携えた、17ぐらいだろうか? どこか全体的に余裕を持った悪戯な猫を思わせる――ただし猫科には猛獣が多いといことも同時に連想させた。銃器に対しても今と同じ余裕を保つ事が出来るであろう自負を感じさせる少女。しかし彼らからすれば一番の問題は、彼女がIS学園二年生を示す制服を着込んでいることだった。
 
「ふぅん、まさか――本当にこういう人達を動かすんだね」

 男達の反応は迅速無比であり同時に判断も正確だった。
 相手がIS学園の生徒であり、ISを保有しているのであれば――相手が子供であろうとも絶対に勝てないと断言できる。展開されれば少女の姿をした重戦車、戦闘機となる。ならば彼らが取りうる手段は単純に一つ。相手が展開するより早く殺すしかなかった。
 鋭い動作で抜き放たれる銃器。銃身自体に消音装置が内蔵された特殊部隊用の隠密拳銃を発砲。殺傷力を高める二連速射(ダブルタップ)で繰り出された弾丸は二発ずつ。頭蓋、喉笛、心臓――三名が言葉も無く合わせて放った弾丸はそれぞれ狙いを過たず急所を破壊する――だが、致命傷を受けたはずの彼女はまるで意にも介さず、微笑む。途端、まるで全身を液状化したように、大量の水となって身体が崩れた。 
 幽鬼か冥府の眷属かと背筋を寒くしたのは一瞬、理性と知識でそれが液体を利用した囮なのだと気付き、背筋を寒くする男達――その頭上、ビルの上から見下ろすのは、全身のあちこちに流体装甲を纏う特殊なタイプのIS<ミステリアス・レイディ>を身に装着した少女。
 更識楯無――こういう非合法活動を行う相手に対する、防諜や、カウンターテロ、カウンターアサシネーションを古来から受け持つ更識家の十七代目を踏襲した外見からは想像できぬ達人の少女はにっこりと笑いながら――四連装ガトリングガンの照準を合わせる。
 流石に男達も――人間を挽肉にするに十分すぎる口径の機関銃を向けられては降参せざるを得なかった。

「はい、大変素直な大人の人は大好きですよー」



 IS学園の生徒会長であり、こういった汚れ仕事を専門に行う人間に対処する対暗部組織の人間である彼女が、わざわざ人間相手に出張ってきたのは、普通に考えれば大仰に過ぎる。
 そうせざるを得なかったのは――数日前に起こった二機の正体不明のIS同士の戦闘であった。
 一機は、残っている映像からしてアメリカから奪取されたと思しきIS<アラクネ>。ただし、困った事に彼女を連行中の日本のISは、正体不明の蒼いISによって制圧され、この事件の一方の当事者からの尋問が不可能になってしまっていた。


 問題はもう一機の正体不明ISの方である。
 暫定的な呼称は『ブラックドッグ』――全身装甲(フルスキン)を身に纏った狗を連想させる頭部を持つ機体だ。前述の<アラクネ>と、この『ブラックドッグ』が交戦し、そして<アラクネ>が敗北した。
 ……偶々近隣の住民が撮影していたその第一級資料となったものの内容は、IS学園最強である彼女ですら心胆を寒からしめるものだった。
 現行最新の第三世代ISを軽く凌駕する機動性能、膨大な数のミサイルをただの一正射で撃滅する高度な同時捕捉能力、殆ど実像にしか見えないデコイを展開する能力。
 普通、戦争で一方の技術力が突出しているという事例は少ない。相手側が持ち出す新兵器などは概念レベルなどは敵側も持っているのが大抵で、新兵器は想像だけなら存在する場合がほとんどだ。
 ……だから、この『ブラックドッグ』が如何にとんでもない存在であることを彼女は知っていた。想像すらできない高レベルの兵器を使いこなすIS。極秘裏に行われた世界各国への問い合わせの結果は――どの国もこれに該当するISを知らないという結論だった。
 
 奇妙な事はもう一つある。

 先日、織斑一夏に対する暴行未遂で監視対象にあった彼の親友である五反田弾――楯無と、その幼馴染の二人である布仏虚(のほとけ うつほ)と布仏本音(のほとけ ほんね)がお肌の美容と健康を犠牲にしながら一晩中職務に従事した結果、白と判断された弾。
 彼を監視していた工作員を引き上げようとしていた矢先の出来事だった正体不明機同士の戦闘。

 ……問題は、彼らが保有していた最新式映像機器には肝心の『ブラックドッグ』の機影は欠片も移っておらず、むしろ旧式のカメラなどのほうが実像を鮮明に映し出していたのだ。ならばと周辺の監視カメラなどの映像を確認してみれば――やはり何も写されてはいない。方法は不明だが最新の映像機器では姿を捉える事も出来ず、また監視カメラもどうやら高度なハッキングによって内容が改ざんされている事が伺えた。もし近隣住民の撮影が無ければ資料の無い謎の物体がISを撃墜したと報告しなければならなかっただろう。そんな曖昧な報告では上の腰も重くなる。
 
 唯一救いのある報告といえば――どうやら『ブラックドッグ』は、町に被害を出さない事を優先に闘っていたらしい。二者が被害を気にせず、搭載していた火器を全力で展開した場合、大惨事になっていただろう。……これもある種、ISの弊害ではあった。身体に装着する服飾品の形状が一般的なそれを隠すための装置と発見するための装置開発はいたちごっこになってしまう。

「……五反田家か」

 楯無はなにやらでかい声で叫び声を上げる中年の男性の声を聞きながら目を向ける。
 今先程の男達は――明らかに五反田家に対して攻撃を加えようとしていた。……織斑一夏に対して暴行を加えるところだった彼と、そしてその彼に対する攻撃。……偶然で済ますには少し危険なにおいを感じる。

 ……そして、もし彼が『ブラックドッグ』の持ち主であるならば――ISに対抗出来るのはISのみ。学園最強の生徒会長であり、こういう濡れ仕事もこなす彼女の出番というわけだ。

「はぁ~。お姉さんとしては、何事も無く平穏無事に終わってくれれば問題なしだけどなぁ~」

 

 
『おいコラ弾!! お前蘭ちゃんとか親父さんに黙って何してるんだ!!』

 あー、一段落付いたー、と思い、最近は不眠不休、まるで魂を刻み込むように作業に没頭していた弾は自宅の椅子の上で背を伸ばして大あくびを吐いていたが、どんどんどんッ! と激しく壁を叩く音に驚いて椅子からずれ落ち、腰を強く強打した。
 正直なところを言うならば――今すぐ睡眠を取りたい所なのである。内容は全て弾の脳内に入っているのだが――頭の中からアウトプットしたこれはむしろ他者に対する交渉のカードとしての側面が大きい。ついでに、問題はないだろうが念のため自室のPCはネットへの接続を切り、ある意味最高のセキュリティであるオフライン状態に移行した。
 
「……ジェイムズさんか、いいタイミングだったがもうちょっと時間おいて欲しかったぜ」
『同感です』

 脳内に響くデルフィの声を聞きながら、弾は扉を開け――瞬間伸びてきた腕に襟首を掴まれた。
 見れば今年四十九歳、既に独立した息子と娘の二人と美人の奥さんをアメリカに持つジェイムズのむさ苦しい顔がドアップで近づいていた。

「良いか、家族ってのはどんな時でも隠し事なんて無く暮らしていかなきゃならねぇもんだ! それを病気でも無いのに高校に出ないなんて……いじめか、いじめなのか!! 俺で無くても良いから家族には全部つまびらかにするんだ!!」
「前半の台詞はアイザック・バレットの『HOW TO BE A DADDY』からの受け売りだろ? ……でもまぁありがとう、ジェイムズさん」

 弾は湧き上がるあくびをむにゃむにゃと噛み殺しながら――三日間の不眠不休の集大成であるそのプログラムを保存する。
 それから――不意に顔を引き締める。ジェイムズの後ろから心配そうに部屋の中の様子を覗いていた蘭を視界の端に収めながら弾は言った。
 
「……なぁ、ジェイムズさん」
「なんだ」
「奥さんのレイチェルさんにメールは出した? 一つあの人に便乗して見てもらいたいものがあるんだけど」

 こう見えてジェイムズ=リンクスは筆まめである。
 一週間に一通、家族宛てで手紙を贈るために撮影機器の操作説明をしたり、撮影の手伝いをしたりするのは弾と蘭の仕事でもあった。……まぁ元々ジェイムズは、過去、一日一通のビデオメールを送るぐらいだったのだが、流石に向うの家族からも毎日手紙を送られるのは叶わないと怒られ一週間に一度になったという経緯があったりする。
 しかし――時折一緒にビデオメールに出演する事があったりする五反田兄妹であったが、しかしそこに私的な用事を付随させるという事は初めてだった。

「そりゃ構わないが――なにをやるんだ?」

 ジェイムズが意外そうな表情を見せるのも仕方ないのかもしれない。
 その言葉に頷きながら、弾は――更々とペンを走らせ、蘭には見せないようにする。


 紙に書かれていたのは――盗聴されている可能性あり、という言葉。


 かつて軍人だった経験もあり、ジェイムズはその言葉に眉を見開き全てを理解する。
 
「場所を変えようぜ」




 衣服に盗聴器が付けられている可能性は衣服全てを新品に変える事で捨てる事が出来る。室内ではなく室外での会話を選択したのは、二人を監視する人間を即座に見抜く事ができるからだ。遠距離から空気振動を検知して声を拾う機器などの存在も考慮して、弾がジェイムズに連れられてやってきたのは空港付近。
 もし盗聴器があったとしても、滑走路を走る旅客機の爆音によるノイズで音など聞こえないだろうし、さらに電子機器を介さずに肉声で会話することで二人の会話を盗み聞きすることが出来る者は皆無だろう。
 この数日で発生した内容を弾は話した。
 親友織斑一夏への暴言、その後の尋問、酒に酔った事――そして来歴不明の機動兵器<アヌビス>。
 親父の拳骨と雷、武装した不振な女に追われ、<アヌビス>を起動させたこと、そして――今日に至る。
 
「……つまりなんだ。お前さん……誰が何故お前に託したのか全く不明のISを使ったって訳か?」
「まぁ、そうなるな。……なんでこいつが俺に来たのか未だに謎のままなんだが」
『オービタルフレーム<アヌビス>の独立型戦闘支援ユニット、デルフィです。間違えないで下さい。そして以前も申し上げましたが、私が貴方の元に来たことは貴方に尽くすためです。………………何度も言わせないで下さい』
「……ふ、ははっ。なるほど随分可愛らしいお嬢ちゃんだな」
『からかわないでください』
「なんでこいつが俺に来たのか未だに謎のままなんだが」
『私が貴方の元に来たことは貴方に尽くすためです。………………………………ですから、何度も言わせないで下さい。私をからかっていますか?』
「実は……うん」

 ジェイムズが何か言いたそうな顔をした。
 彼も最初こそ半信半疑であるものの、こうも流暢に言葉を操る第三者――そして部分的に展開した<アヌビス>の腕を見せられれば全てを受け入れざるを得なかったのか――ふと、ジェイムズ=リンクスは真剣な表情で弾と話す。
 
「……で、お前さん、これからどうするんだ?」
「……ネレイダムと渡りを付けたい。あそこはフランスのデュノア社や、倉持技研とかに比べると規模は劣るが、ISのコア関連に使用される超稀少金属のメタトロンに対しては高い技術力がある。……そこで、俺を買ってもらいたいのさ」
「それが――あのデータか」

 弾が三日三晩を掛けて組み立てたデータ。……元軍人であったジェイムズには理解できる。アレは高度な専門的知識と確固たる知性に基づかねば描けぬ、ある種の整合性を持った――設計図だった。

「正直ちんぷんかんぷんなんだが、ありゃ何を書いていたんだ?」
「ウーレンべックカタパルトとその基礎概念。……空間圧縮による距離の壁を乗り越えるための基盤技術さ」

 生憎とジェイムズはそれが一体どういう意味なのかいまいち理解できなかった。
 確かに、五反田弾は学校の成績は常に優秀で――親の自慢の息子だったが、少なくとも学校の教育の次元を超えた高度な専門知識を有するほどの子供ではなかったはずだ。まるで他者が乗り移ったかのような知識は一体何処から流れ込んできたものなのか――そしてどこを目指しているのか。

「……お前さんの目的は? なにをするつもりなんだ」
「俺は……今の世の中がどうしても納得いかない」

 吐き出される言葉は、暗い情念の澱みが感じられるほど濁っている。
 嫉妬と羨望――<アヌビス>を手に入れたとしても、幼い頃から魂に染み付いた女性に対する拭い難いそれを言葉から滴らせながら、彼は言う。

「夢に挑みたくても挑めなかった気持ち。女性にしか使えないISとそれによって発生した女尊男卑の風潮が、俺はどうしても我慢できない。ジェイムズさんみたいな、誇りと栄光と共に空にあった人を地に追いやった現在の社会が腹が立つ。俺は――男にも使える、ISに匹敵する兵器をこの世に齎してやりたい。……挑む事すら出来なかった空への夢を、誰でも挑めるように全て奪い返してやる」

 眼差しに滾るものは、紛れも無くどす黒い復讐心であった。
 個人に対する恨みではなく、女尊男卑となった今の世の中の全てに対して喧嘩を売るようなその言葉。
 この時、この場所にはいないものの――それは織斑一夏の宣戦布告とどこか共通している。
 一夏は単身で、この世の表舞台で、世界の半分を敵に回す決心と、それに勝利せんとする気概を見せ。弾は単身で、この世の裏舞台から、女性優位の時代の理由となったISに匹敵する兵器を生み出す決心をした。
 両者に共通する目的とは――今のこの世の中を変えてやるという決心。

 そして、両名の心を支えるもの。

 それはこの十数年で男性から奪われたもの。圧倒的な軍事力に対して尚も戦う意思、今の現状に対して不満を抱く反骨心、去勢された雄には無い、男の心の中で轟々と激しく燃え上がる矜持の炎。女尊男卑の現状で僅かに生き残った漢の魂の奥底でぶすぶすと燻り続ける猛々しい男児の気概。
 単純明快にして、原始的とすら言えるオスのプライド。五反田弾と織斑一夏の二人に共通する激しい意思。
 言葉にしてなら、ただ一文で事足りる。即ち――彼らを支える全てとは……


『漢(おとこ)を舐めるな』


 の、ただ一つであった。








 ネレイダムの社長であるナフス=プレミンジャーから正式に誘いが来たのはその次の日だった。
 弾は、正式に高校を中退し――アメリカに飛ぶことになる。同時に条件として――五反田一家の傍のマンションにはネレイダムが手配したガードマン達がしばらくの間、陰日向に付き添う事になった。

「……ここか」

 自転車を止めて、視界の遥か彼方に存在する海上のメガフロートに建造された巨大施設であるIS学園を見やる。
 蘭には、自分がアメリカに行くことを一夏には伏せておくように頼んでおいた。少し頭の冷えた今なら彼の立場に対して想像する事もできた。悪い事をしたな、と思う。……今の彼はどうなっているだろうか? 自分が思わず零した激しい本心。……あの言葉で発奮したのか、それとも、何も変わらぬままなのか。
 いずれにせよ――弾もまたこの世と闘うつもりだった。彼は一夏と同じようにこの世で唯一の力を手に入れた。ならばその力を用いて、世界がもっと良き方向に向かうように努力しなければならない。あの時、『なんでお前だけが』という言葉を言った自分は――他者から『なんでお前だけが』と言われぬように努力する絶対の義務があるのだ。そして弾は己の全身全霊を掛けてその義務を遂行するつもりだった。

 同時に、自分自身に対する疑問もある。

 ……デルフィの意見が正しければ、俺は前世で神様とやらにこの世界に適合した<アヌビス>の保有を認められたはず。
 言わばなんら努力せずにそれを得たはずなのに――なぜああも高度な設計図を描く事が出来たのか。……俺の前世とは、一体なんだったのか? それをデルフィ自身に尋ねられぬまま、弾は海辺から遥か彼方のIS学園を遠方に臨む。実際に行くにはモノレールしかないのは入って来た人間を監視しやすいという機密保持の観点からだろう。
 弾は思う――自分は今からあれらに挑むのだ。
 指先を銃でも撃つように構え、弾は言う。宣戦のつもりで、或いはちょっとしたおふざけの気持ちで言った――「ばーん」と。
 



 どっかああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!




「あれ?」

 遠方で轟音が響き渡った。
 高出力のビーム兵器が空を焼く凄まじい音と、IS学園の中でも大きなドームのような施設に突き刺さる光の巨槍。それに伴う爆音……同時に光学ステルスを解除したのだろう。黒い人型を思わせるISが、そのビームによって貫通したドームのシールドの穴を通って中へと飛び込んでいく。
 同時にIS学園全体から――警戒アラームが海を隔てた此方にも聞こえてくるほどの大音量で鳴り響きだした。

『私ではありません』
「だよなぁ」

 弾は――先程の「ばーん」とタイミングを示し合わせたような正体不明機のビーム兵器の轟音に呆れたように呟いた。
 これではまるで自分がビームをぶっ放したような感覚であった。何かがいる――もしかして以前、自分に攻撃を仕掛けてきたISの関係者か? ……どうにも気になるな、と考え――彼は周囲に誰もいない場所を探して走り出す。

 アニメや漫画のヒーロー達も誰にも見られず変身するための場所を探すこの手の苦労はつきものだったのだろうか、と考えながら。









本日のNG

 問題はもう一機の正体不明ISの方である。
 暫定的な呼称は『ビッグコック』――全身装甲(フルスキン)を身に纏った狗を連想させる頭部を持つ機体だ。前述の<アラクネ>とこの『ビッグコック』が交戦し、そして<アラクネ>が敗北した。
 ……しかし映像を確認すればするほど、股間のものが――激しすぎる自己主張をしている。
 コックは男性器を挿す言葉。なんか楯無としては、本社施設に『BIG BOX』と名づける某企業に代表される下品なアメリカンジョークの欠片を垣間見たような気分であった。流石に恥ずかしげに顔を赤らめる彼女はISの量子通信がけたたましく鳴り響いているのを感じて通信をオンに。

『た、大変です!! IS学園が、『ビッグコック』の猛攻を受けて……被害は甚大!!』
「ええ?!」

 そんな馬鹿な。
 正体不明のIS『ビッグコック』は町に被害を出さないように闘っていたはず。なのにどうして学生身分の人間ばかりが集う、いわばプロと素人の端境期の少女しかいないそこが攻撃されているのか。

『相手からは何故か『で、デルフィは……お、女の子です……ふえぇぇぇ……』と女性の涙ぐむ声と『くおらぁー!! よくもうちのデルフィを泣かせたなぁー!!』という意味不明の叫び声が!!』
「え、真剣になにそれ」

 意味不明にもほどがあった。  



[25691] 第五話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/13 13:00
 篠ノ之箒は不機嫌であった。

「あ、あの……お、織斑くん」
「……ん?」

 最近座学の方も熱心な、教室の中心で復習に勤しんでいた彼は、なにやら思いつめた表情の女子生徒に今気付いたように顔を上げた。胸に手を当て、緊張の面持ちで暴れる心臓を宥めるように呼吸を繰り返す少女。頬は薄薔薇色をした恋の色に染まり、眼差しはまっすぐ一夏に向けられている。
 いらいら。箒はむっつりとその様子に押し黙って不機嫌そうな表情。

「アリーナのあの台詞、聞きました。……え、えっと。凄いと思います。……なんていうか、あそこでああも宣言できるなんて……か、格好いいです! が、頑張ってください!!」

 その当たりを言うのが精一杯だったのか――告白一歩手前に見える少女が走り去っていくのを見守りながら、一夏に歩み寄って、箒は言う。

「……もてもてだな。一夏」
「あれが? ただの激励だろ」

 ……どうやら、凄く格好よくなった割りに、その生来の鈍感さは未だに成長していないらしい。
 これは自分の想いが伝わりにくくなった事を嘆けば良いのか、それとも周囲にとられる心配が無くなった事を喜べばいいのか。
 色恋沙汰に関しては――どうやら相変わらず停滞しているようだった。


 一夏のあの日の宣言から、女子生徒の反応は大きく割って三つに分類される。
 一つは敵意や隔意を隠そうとしないもの。女尊男卑の風潮にどっぷりと漬かった彼女達は、あの宣戦布告を聞いて思い上がっている男に対して強い不快感と敵対心を抱き、話しかけても返事しなかったり、あからさまに不快感を隠そうとしなかったり、女子高にありがちな嫌がらせに出る場合があった。といっても――当の本人は『人生に余裕がない』の言葉どおり反応は常に無視であった。いちいち先生に訴える事も対処もせず、超然とした態度で徹底して無視している。……いや、当人からすれば無視しているという意識すらないのかもしれない。あまりに下らなすぎてどうでもいいのだろう。

 二つはいつもと変わらず接するもの。確かに一夏はあの舞台で宣戦布告に至ったが、しかし別に男と女で戦争が勃発したわけでもない。いつもと同じように、ものめずらしい男子生徒に接するような普通に対応していた。この辺りが三つの中で一番多いだろう。誰しも長い間、人を憎み続けるのはエネルギーがいるものだ。

 そして――篠ノ之箒個人からすれば一番厄介なのが三つ目であった。
 あの場所で、言わば世界の半分と喧嘩して勝利して見せると宣言する――それがどれほどの重圧であり、どれほどの艱難辛苦を経験せねばいけないのか……そして彼が実際に人よりも遥かに厳しいトレーニングをこなしていると知ってあの宣言が本気の本気だったと理解し――恋の病に取り付かれてしまった人々である。
 これまでも織斑一夏は色々と女子生徒からきゃーきゃー騒がれる境遇にあったが、あれは『もてていた』とは少し違う。IS学園唯一の男性という偶像(アイドル)に対する憧れを恋心と錯覚していたのだと箒は分析している。その理由に自分はもっと彼の事を……あ、ああ、愛しているという自信があった。
 ……幼少期からISを操るために、周りは同年代の女子のみであったという彼女らからすれば――彼は生まれて初めて見る、『本物』だ。世界の半分と喧嘩をする覚悟を決めるほどの色濃い雄など、今のご時世絶滅危惧種である。
 
 確かに一夏は、女子生徒達にきゃーきゃー騒がれる事がなくなった。
 ……ただし、その代わりに――時々思いつめた様子で物陰から一夏に向けられる熱い視線を感じるのだ。本気で彼を好いている人が出てきたのだ。

 ライバルは減少した。それはいい――しかし問題は、一夏に熱い眼差しを向ける女子生徒達。数は大幅に減らしたが、残ったのは本気で彼を好く手ごわい精鋭揃い。
 前途は多難であった。




(……しかし一夏の背中に乗れる権利は現在のところわたし一人のものだ。ふふふふ)

 現在他者に長じている点があるとすれば、箒が幼馴染の気安さも手伝って彼の放課後の自主トレーニングの相方を務めているということだろう。他の彼女達は彼の背中の筋肉の厚みも、徐々に細く強靭に締まっていく身体が描くラインの美しさも知らぬのだ。

「あの、篠ノ之さん?」
「え? あ、はいっ!!」

 朝のSHRの時間に告げられた山田先生の言葉で、箒はようやく正気に戻る。どうも色々と考えていたせいで少し頭の中が飛んでいたらしい。何をふしだらな事を考えていたのだ私は、と頭を振って煩悩を振り払う。ポニーテールがぶんぶん振り回された。

「では、一年一組代表は織斑一夏くんに決定です。あ、一繋がりでいい感じですね!」
「わたくしも支持いたします。頑張ってくださいませ、一夏さん」

 妥当な決定だった。
 このセシリア・オルコットに勝利して見せた以上、一番の実力上位者を代表にするのは当然の事ですわ――後席の彼女は一人満足げに頷く。

「織斑くん、よろしいですか?」
「代表は手ごわい相手と戦えますし、謹んで受けます」

 相変わらず――彼はぶれない。
 セシリアは一夏の言葉にそう分析する。……自分の事を踏み台扱いした男はこの代表戦も自分の経験値を積む良い機会と考えているのだろう。

(……そうですわ、このわたくしに勝ったのですから、他の代表に無様に負ける事など許されないですわ)

 もちろんクラス代表の勝利のために他のクラスのメンバーが手助けをするのは当然の話で。早速、遠距離射撃型を想定した戦いを伝授して差し上げるべきですわ、と心に決めた。別に彼と一緒の時間を過ごしたいとかそういう理由ではない。そう。自分を負かせた男のあの美しい眼差しが瞳の奥に焼きついて離れないとか、そういえばわたくし戦闘中あんなに強く抱きしめられたんですのよねきゃー、とか言いながら一人自分の部屋の枕に執拗にパンチしていたのを同室の人に怪訝な瞳で見られていたとかそんな事は無い。

 ないったらないのだ。

 もちろん同室の彼女には口封じ完了済みであった。

 



「ですのでクラス代表戦前に、このわたくしセシリア・オルコットが次の対戦相手の仮想敵(アグレッサー)を務めて差し上げますわ! まず二組の代表はレベッカ・ハンターさん、堅実な射撃戦と高機動力に長けた正統派のIS乗りですわね。搭乗するISはネレイダム製の……」
「その情報、古いよ」

 そう思って朝のSHRが終わった後、早速話しかけたセシリアの言葉を切るように聞こえてきた第三者の声。
 振り向けばそこにいるのは――ツインテールの小柄な少女。

「二組の代表候補生も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単には優勝できないから」

 その思い出を刺激する髪型と、懐かしい勝気な口調。

「鈴? ……お前、鈴なのか?」

 思わず席を立って懐かしさで声を出す一夏。
 
「え? あ、うん、そうだけど」

 年単位での再会――もちろんすぐに気付いてもらいたくてあの頃と同じ髪型だけど成長期の自分は相応に大人っぽくなっている(はず)。すぐに気付いてもらえなくても無理は無いかと思っていた矢先に、一目で思い出してもらえたのだ。喜びで僅かながら頬が紅潮する。一夏は懐かしそうな表情を見せながら、親しげに鈴に話しかける。

「って事は――俺とお前で試合になるわけだな」
「え? あれ? 感動の再会シーンの割には予想より淡白だけど……そうね。手加減しないから!!」
「もちろんだ。……全力で勝ちに掛かるぜ」

 その言葉に、微かに唇を曲げる鈴。

「一夏。あんたがアリーナで叫んだ内容は聞いてるわ。……でも勝つのはこのあたし、凰 鈴音よ!!」
「ああ。だが負ける気は無いぜ」
「ふふん、その辺りの気の強さって……昔は確かになかったけど。うん、変わったわね、一夏。どんな物事も闘争心や競争心があるのはいいことだわ」

 にっこり微笑む鈴。その後でセシリアと箒から発される黒い圧力が増したような気がしたが、一夏は特に気にもした様子が無かった。
 久しぶりの再会に会話を弾ませていた二人だったが――不意に鈴が思い出したように話題を変える。

 凰 鈴音は、ほんの一年前まで日本で生活していた。彼や彼の友人達とも同様に親友と呼べる間柄であり――特にその中の一人は大変仲の良い男友達だった。彼の妹は恋敵ではあったから『全面的に肩入れするってーのはちょっと不公平だけどよ』と言うものの、学年主席の癖にお堅いがり勉というわけでなく、冗談にも理解を有するぐらいには柔らかく、中学の時点では修学旅行のイベントの際よくよく一夏と一緒にいられるように便宜を図ってくれていたものである。
 だから――久しぶりに日本に来たのだし、一夏に会えた事は当然一番嬉しいが、それと同時に他の友人たちと会いたいと考えるのも当然の事であり、思わず鈴は質問した。

「あ、そうだ。一夏、中学の頃の友達に連絡したいんだけど、電話番号しらない? もしかしたら変わってるかもしれないし――弾のやつには色々お世話になったからさ、また皆で遊びたい……のよ」

 鈴は――思わず言葉を詰まらせた。
 くしゃりと、一夏は顔を歪めていた。まるで泣き出す寸前の子供のような悲痛な表情。鈴と親しげな様子で話す一夏に後で嫉妬の炎を燃やしていた箒とセシリアであったが――その様子にむしろ彼女達の方が慌ててしまう。
 今まで、一夏は感情を表に出す事が少なくなっていた。もちろん笑うべき時には笑うし、愉しむべき時には愉しむ。ただし、それを終えてから、すぐに何処と無く張り詰めたような表情になっていたのだ。その彼が……少なくとも表情をまるで変える事の無かった彼が、こうも動揺を露にするなど――正直予想などしていなかった。
 一夏は、目元を抑えてから短く鈴の言葉に応える。

「……弾は――前とおんなじ番号のままだ。……ただ、多分電源切ってるからまた今度掛け直してやってくれ」
「え? ……一夏……どうしたのよ」

 鈴は――この教室の中でただ一人、一夏と共通の知己を持つ人間だった。だから自分が彼の名前を出した途端、泣きそうな顔を浮かべる姿に言葉を呑んだ。こんな事初めて――鈴は二人の間に何かあったのだと悟る。それも……恐らく親友同士だった二人の間柄に致命的ともいえるなにかが。
 その事が気になって仕方ない鈴は――結局、教室にやってきた織斑教官に頭を叩かれてようやく正気に戻ったのであった。





 織斑一夏は有名人だ。良くも悪くも。
 道行く先々で生徒達の視線に晒されるし、時々なにやら顔を赤らめた人に激励される場合もある。風邪が流行っているのだろうか――こういう場合きっとあいつは『……パンチ? ねえパンチしていい?』と自分には良く分からない理由でにこやかに笑いながら拳に息を吹きかけるのだろう。

「……弾」

 屋上で一人呟く。こうも動揺している自分が情けない。一夏は自分の髪を乱雑に掻く。
 あいつの名前を出されただけで――この有様だ。一夏は誰に指摘されるまでもなく、自分の精神状態が大きく動揺しているのを悟っていた。
 目を閉じれば目蓋に焼きつくあいつの姿。
 俺は、本当にあいつの親友だったのか? ――たった一人、消灯し眠る際、一夏はそんな想いに囚われる。親友ってのは、相手に対して全て曝け出すようなものだろう。……それとも、俺に自分のそんな嫉妬心を悟られたくない程度には、俺と友達でいたいと思ってくれていたのか? ――不意におかしさがこみ上げてくる。
 まるで恋人の関心が自分に向いているのかと悩む女性のような考え方じゃないのか、と吹いてしまっていた。きっとこの事を素直に弾に打ち明ければ、弾は真剣に気持ち悪そうな表情を見せて逃げ出すに違いない。

「一夏、なにしてんのよこんなところで」
「……鈴」

 見れば――そこには鈴の姿。視線を横に滑らせると、金髪くるくるとポニーテールが壁際からはみ出ていた。
 
「……ああ、悪かったよな。……良い機会だしちゃんと言っておくと――俺……弾の奴と絶縁状態なんだよ」
「え?」

 その言葉の内容が信じられず――鈴は思わず鸚鵡返しに尋ね返してしまう。
 五反田弾。鈴からしてみれば中学時代の二年間を一緒に過ごしたもっとも親しい仲間達の一人であり、公私共に色々とフォロー……特に鈍感さに関しては恐竜並みの鈍感さと称される一夏をゲットせんとする鈴のために、『一夏攻略本』を書き上げた剛の者である。ちなみに本人は――書いている途中で『……俺、なにやってるんだろう。どっちかっていうと千冬攻略本を書けばよかった』と不意に人生のむなしさに気付き、鈴にそれを託した後、さがさないでくださいと残して三日ほど旅に出た。
 
「なぁ鈴。……もう戦闘機とかそういうものが無くなった世界で空を自由に飛びたいと思ったらどうすればいいんだろうな」
「え? ……それは」

 一夏のいつになく真剣な声に――鈴は言葉がすぐに出ずに詰まる。

「ジャンボジェットのパイロットとか、宇宙飛行士とか――あいつは、弾の奴は多分出来る。……なんだかんだで学年主席だし、大抵の事はなんでもこなす。英語だってジェイムズさんと話していたせいか普通に流暢だしさ。……あんなに――なんでもできるのに……ISにだけは、乗れないんだよなぁ」

 声に、鉛のような重々しい響きがある。その言葉で大体の事情を鈴は察した。
 ……一夏は思う。ジャンボジェットのパイロットも宇宙飛行士も、まずエリートといっていい職業だろう。ただし、前述の二つは複数人と連携して動かすための職業だ。……個人が、自分の意志の赴くまま自由に空を飛ぶ職業は今やISのみであり……つまり空は既に女性に独占されているのだ。

「俺は……本当はIS学園に行かなきゃならないと決まった時、正直面倒で仕方ねぇやって思っていたんだ」
「い、一夏?」
「ほ、本当ですの?」

 とうとう身を隠す事を忘れたのか――思わず声を上げてしまうのは物陰に居た箒とセシリアの二人。
 しかし、二人からすれば意外の何者でもない。あれほど熱心に訓練に取り組み、あれほど貪欲に勝ちを奪いにいける人が――やる気が無いのであれば、この世の全ての人が怠惰の罪を背負っているだろう。

「だってさ。……俺――最初は編入の際の資料を電話帳と間違えてゴミ箱捨てたんだぜ?」

 思えばあれが弾が激発する切欠だった。
 自分は――弾の友人を名乗る資格は無い。一夏は今ではそう思っている。親友だと思っていた相手だった。だがあいつが本心では空を自由に飛びたいという想いを抱きながらも、ISは男性には動かせないという動かし難い現実に諦めていた。あんなにも戦闘機や航空機が好きで、空軍のエリートだったっていうジェイムズさんとよく話していたって言うのに。
 ……度し難い無神経さだった。時間を巻き戻せるなら、一夏は自分の首を締め上げに行きたいところである。
  
「俺は――親友だと思ってた相手の本心すら見抜けず……」
「なに当たり前の事言ってんのよ」

 だから一夏は鈴が不思議そうな顔で彼の言葉に首を傾げている理由が良く分からなかった。
 
「言葉にしていない内心とかなんて言わなきゃわからないじゃない。人間喋れるんだから喋ってちゃんと話せば内心なんて誤解しようもなく分かるんだし。弾がなんにも話さなかったんなら、それは知られたくないことだったって事よ」
「……そう、か?」
「そーよ。……ねぇ一夏、あんた確かに真面目で熱心になったけど――でもエスパーでも無いんだし、言われてもいない本心を察してあげられなかった事を悔やむなんて無茶な話よ」

 一夏は――その言葉を頭の中で反芻し、答えを出したように少し笑った。
 僅かではあるが、胸の中のつっかえが取れたような気持ちで、少し気弱げにいう。
 
「ありがとな、鈴」
「いいのよ。それより!! そんな湿気た面で対抗戦に出てきたら承知しないんだからね!!」
「ああ、ちゃんと最高のコンディションに持って行くさ。期待していてくれ」

 そう笑いながら応える一夏に――鈴は胸元に忍ばせた弾お手製の「一夏攻略本」の存在を確かめる。
 その中の教え――『一夏は無茶苦茶鈍感なので、はっきりと言葉にしなければまず察するという事をしない。きちんと内心を告げるべし。つーかつまりはっきり告白しろってこった』とあった事を思い出したがゆえの発言であった。
 生憎その一番重要な教えは鈴自身の羞恥心に邪魔されて未だに一度も実行されてはいないが、その教えから湧き出た言葉が、一夏のあの暗い表情を拭い去ってみせたのであった。




 先に帰った一行を見送りながら、鈴は携帯電話でアドレス帳から五反田弾の番号を呼び出す。

「いやぁ弾、あんたってやっぱ最高ね」

 にこやかに笑いながら久しぶりに旧友と連絡を取ろうとした鈴。一年ぶりの再会だ、きっとアドレスに表示される自分の名前にさぞかし驚くだろうと思い、わくわくしつつ電話を掛けたが――聞こえてきたのは意外な事に、『お客様のご都合により』……という電源がオフになっている事を告げる内容だった。

「え? ……珍しいわね」

 折角久しぶりに電話を掛けて、一夏や他のみんなと一緒に遊ぼうとしたのに、水を注されたような気分でアドレス帳から五反田弾の一つ下、五反田蘭の名前を呼び出す。
 正直、彼女と凰鈴音の仲はあまり良いとは言い難い。間に織斑一夏という男を一人挟んだ彼女達は中学時代の恋敵。その間でよくよく『お兄ぃはどっちの味方なのよ!!』『こいつはあたしの軍師に決まってるじゃない!!』とよく板ばさみになっていた弾の事を思い出してくすりと笑い声が零れる。
 電話が繋がり――鈴は恋敵とは言え、それ以外を除けば仲も良かったといえる友人の妹の言葉に思わず顔を綻ばせて話し始める。

「あ? 蘭? ほんっと久しぶりね。ええ、うん。弾の奴が携帯電話切ってるからこっちに……って、え?」

 言葉が止まる。声帯が引きつる。予想外の言葉に思わず言葉を失う。

「……アメリカに……行くって……そんな、急すぎるわよ」







 クラス対抗戦。
 IS学園に所属する学年別の、選出されたクラス代表達によるリーグ戦。
 とはいえ、一年生で一人の人間に専用のカスタマイズが施された高性能機の代名詞である専用機持ちは一組の織斑一夏と二組の凰 鈴音の二名しか存在しておらず、今日開催されたこの一回戦目が実質的な決勝戦と看做されていた。

 IS学園のオペレート室は様々な測定機器を操り、情報を収集する能力を持つ。第三世代という次世代型機体は未だに実戦稼動のデータ量も豊富ではなく、それらの収拾もここIS学園の重要な仕事である。機器を操りながら情報を収拾する山田先生の後ろ――織斑千冬教官は、正面のパネルに表示された戦闘中の二機の動きに不機嫌そうなむっつり顔を見せていた。

 そこに写るのは二機のIS。<白式>と<甲龍>。二機とも目まぐるしく動き回り、相手の死角に占位し一撃を叩き込む隙をうかがい続けている。

「……<甲龍>の動きが悪いな」
「ええと、そうなんですか?」
「戦闘に集中し切れていない、何か気がかりでもあるのかもしれんな」

 ピットからオペレート室へ移動し観戦している箒とセシリアの二人は、その映像を見守りながら――先程までの戦闘を反芻する。
 確かに――事前に取り寄せた凰鈴音の戦闘映像に比べれば僅かに反応が遅く思える。しかしそれは千冬教官に言われて初めて理解できる類のものであり、二人にはちゃんとしたコンディションで闘っているようにしか見えない。

「専用機持ちは国家の代表選手。国の名誉を背負って闘う名誉あるエリートですわ。ならばそれに相応しい心構えで挑むべきなのにあの人ったら……!!」

 同じ専用機持ちであるセシリアからすれば、気がかりを抱え込んだまま戦場に出てくるなど言語道断だ。戦いに出る以上全力を出しつくせるように努力するべきなのに――不満げに唸るセシリアに、箒はしかし別の考えを持っている。
 同じく国家代表の凰鈴音がセシリアが言うような心構えを持っていないとは思えない。専用機を与えられるという事は他の候補生たちに頭一つ抜きんでいる証明だ。その彼女が自分自身の精神状態を万全に持っていけないはずがない。……これは純粋に――そういう自分の精神を平静に保てぬほど重大な事態が発生したのではないか? と推察していた。
 だが、一度戦闘が始まった以上――中断を言い出せるのはアリーナで闘う二人だけ。
 なんらかの乱入者でも無い限り中止にはならないだろう――と考えて、くすりと笑う。アリーナは上空を遮断シールドで覆われ、また内部への隔壁は厳重にロックされており、それを電子的に防御するファイアウォールも完璧だ。

「うむ、そうだな。乱入者などありえない」

 箒はそう呟く。自分の発言がいわゆる「フラグ」という自覚も無しだった。


 

「動きが悪いな、鈴……!! 前の俺みたいな湿気た面だぞ!!」
「うっさいわね、ほっといてよ!!」

 そんなこと、言われなくても分かっている。<甲龍>の性能を十全に引き出しきれていないことが、機体に申し訳ない――両肩の棘付きの非固定浮遊部位(アンロックユニット)に内蔵された衝撃砲を展開、空間に加圧し、不可視の砲弾を射出する主力兵装の一つが発射される。衝撃それ自体を砲弾と化して発射する第三世代の兵器――しかし<白式>は乱数回避と大推力に任せ、こちらの射撃を避けつつ隙を見て瞬時加速(イグニッション・ブースト)。鋭い刀剣の一撃を叩き込んでくる。それを二本の清龍刀、双天月牙で持って打ち込みを捌き、一つに連結したそれで切り返す。間合いを離した相手に手数を重視した連続発射。
 
 ……分かってるわよ、分かってんのよ!! ――動揺しているという自覚がある。

 懐かしい親友が――五反田弾が、もうすぐ日本からいなくなる。彼の妹である蘭からその事を教えられたとき、鈴は自分でも予想外の動揺を覚えていた。いなくなる――アメリカのネレイダムに招聘されたという彼。高校一年に差し掛かる年齢で、中小とはいえ企業の一つから招かれるなんて、言わば人生のエリートコースに乗ったようなものだ。IS開発に関わる男性の知的エリート、素直にそのことを祝福してやれば良い。


 なら、なんでこんなに――嫌なのよ!!


 でも、無理だ。素直に祝福できない。
 一夏と鈴と弾と蘭。中学時代に一番良くつるんでいた。このIS学園に入って、学校こそ一緒ではないものの――中学時代の仲間達とまた一緒に駄弁ったり行動したりまたあの楽しい日々が続くと思っていたのだ。
 今の自分はとってもらしくない――蘭を恨みたい気分。
 彼女は、弾がいなくなるという秘密を抱え込みたくなくて……その癖一夏には絶対に言わないでくれと念押しした。そういわれればこの秘密を守らなくてはならない。弾はきっと――今まで黙っていた本心を一夏に知られてしまった事を後悔している。黙って墓場まで持っていくはずだった醜悪な嫉妬を見せてしまった事を悔いている。このまま黙って自分や一夏の前からひっそりと姿を消すつもりなのだ。また会ってしまった際、晒けてしまったあの醜い思いを――心の中に蓋をしたそれを再び表に現してしまう事を畏れて。
 



 思考に終われ、反応が遅れる自分へと迫る<白式>。

「そのままなら――倒すぞ!!」
「誰が……!!」

 迎撃――彼女の思考に追従して衝撃砲を発射しようとした、その瞬間だった。



 視界を焼く激しい焦熱の柱が、アリーナの中央に突き刺さる。轟音が響き渡り――腹の底に響くような重々しい衝撃波が大気を振るわせる。
 
「なんだ?!」
「ビーム兵器?! アリーナの遮断シールドを突き破って……一夏! 未確認機、中央にいる!」

 そこに直立するのは黒いIS。
 全身装甲(フルスキン)型。両腕は鋼鉄製ゴリラの腕を人のような胴体に接続したように歪な巨大さを持っている。手の甲辺りには砲門らしきものが片腕に一つずつ、両肩にも同様に射撃武装がある――それら敵の脅威部分を知らせる<白式>のハイパーセンサーの警告に目を留めながら、一夏は観客の保護のために閉鎖を始めたアリーナに大勢人がいることを確かめる。

「織斑教官! 敵はフィールドを貫通するレベルの高出力ビームを保有、避難完了するまで敵をひきつけます!!」
『……よかろう。どちらにせよ、お前に頼むつもりだった。……凰、お前は下がれ。後は任せ……』
「ちょ――冗談じゃありません!! あたしの方が一夏よりもずっと訓練時間が多くて……!!」

 だが、通信から帰ってくるのは千冬教官のドスの聞いた怖い声。

『……冗談でないのはお前の方だ。先程からの無様な闘い方はなんだ? ……それに相手が所属不明機である以上、手心も期待できん。下手をすれば殺しも有り得る敵相手に不安要素を抱えていられるか、馬鹿者』
「……ッ!」

 今の鈴には教官の言葉に反論する術を持たない。
 確かに錆び付いた今の自分では、下手をすれば新人の部類に入る一夏にすら劣るかもしれない。……だが面と向かって罵倒されれば――逆にむくむくとわきあがるのは鈴の生来の負けん気の強さ、罵倒に対して見返してやろうという精神と、国を背負って立つ代表候補生の矜持が、身体に染み付いた弱気を焼き滅ぼす。
 そう、弾のことは後で良い。今はアリーナの人を避難完了まで守り通す――その使命感で自分の身体に活を入れる。

「やります!!」

 声に篭る覇気。
 通信機の向うから僅かに千冬教官の微笑む声が聞こえたような気がした。返答は――短く一言。

『いいだろう。やれ』

 その声に――叶わないなぁ、と鈴は、自分が上手く操縦された事を理解して苦笑した。

「行くぞ、鈴!!」
「任せなさい、一夏!!」

<白式>と横に並び突撃。
 先程までと違い、指先にまでしっかりと神経が通っているような感覚。この上ない集中(コンセントレイト)。浮かべる笑顔は強敵に対して挑むに足る気力が満ちていた。
 




「凰さん、大丈夫でしょうか?」
「……今現在は手も足りないしな、それに今のあいつなら問題ないだろう。……状況は?」

 オペレート室で千冬教官は機器を操る山田先生に短く質問。
 山田先生――眉間に皺を刻みながら応える。

「全ての扉が閉鎖、遮断シールドもレベル4、三年の精鋭達がシステムクラックを実行中ですが、すぐには完了しません。……恐らく敵ISからの電子干渉です」
「そうか。……まぁ――」

 アリーナ内部へ侵入するには大まかに二つの手段があるが、その両方の実行は難しそうだった。
 まず、一つ目である敵も用いた大出力ビーム兵器などによってシールドを突破する力技。だが、現在レベル4のシールド出力を展開するアリーナへは生半な兵器で突破は出来ない。二つ目も、余程高度なクラッキング能力を有しているのかなかなか解放の目処がたっていなかった。
 だが、千冬教官の目に映るのは――迷いが吹っ切れて、先程とは打って変わった鋭い動きで無人ISを圧倒する<甲龍>と、接近戦で振り回される相手の豪腕を紙一重で避けながら一刀を打ち込み続ける<白式>。
 任せていいかもしれんな――そう口元を緩めながら、推移を見守る彼女。徐々に姉譲りの才能の燐片を開花させつつあるか――と考えて、これは自画自賛もいいところだな、と考え直す。

「……ところで、篠ノ之とオルコットはどうした」
「……あ」

 山田先生がその言葉に気付いて周囲を見回せば――二人の姿は何処にも無い。まぁ山田先生を責めるのは筋違いだろう。
 オルコットの<ブルー・ティアーズ>は多対一を得意とする機体。ピットと直通している教官室から助けを申し出なかったのは自分の特性を把握しているからと思っていたし、箒にいたってはそもそもISが無い。大人しくしているかと思っていれば――嘆息を漏らす。

「あいも変わらず天然ジゴロか。我が弟ながらたいした才能だ」

 止められたくなかったからそもそも相談すらしなかったという事か。
 なにやら激しく格好よくなってしまった一夏はあとどのぐらい女を惹きつけるのか。千冬は苦笑した。
 



 篠ノ之箒は歯痒くて仕方が無い。
 セシリアの身を鎧う<ブルー・ティアーズ>の量子変換の姿を見守り――どうして自分には専用機が無いのだろうと思う。専用機は訓練用のISと違い個人での保有が認められる。同時に守らなければならない規則の量も倍増だが、この時のみは自分に一夏を手助けする手段が無いのが口惜しくて仕方なかった。

「……いや!」

 その心に忍び込む甘い誘惑の声――彼女の姉でありISの産みの親である篠ノ之束なら、自分にも専用機を調達してくれるかもしれない。……分かっている。他にも努力して企業や国家からISを譲り受けようとしている人など山ほどいるのに、自分が考えたのは卑怯にも血筋や縁故を頼ってのずるいやり方だ。
 でも、それでも一夏と一緒に戦える彼女達が羨ましくて仕方ない。嫉妬混じりの心情の中、彼の姿を見たくて――気が付くと中継室に飛び込んでいた。マイクを取る。せめて、一緒に戦えないのならば――声ぐらい届けたかった。アリーナのスピーカーをオンにする。

「一夏!! 男なら……お前があの誇り高い宣戦を貫き通すつもりなら……その程度の敵など十秒でのしてしまえ!!」
『十秒は無理です。サブウェポン、ハルバードを選択』

 え? と返事が返ってくるとは思っていなかった箒は思わず中継室からの音声に目を点にし――あの黒いISが、腕部に搭載した大出力ビーム兵器の砲門を此方に向けている事に気付き……流石に、背筋に走る寒気を押し殺せなかった。




「箒ッ!!」
 
 それをとめようとする一夏は、相手に切っ先を届ける数秒が足らず。セシリアも引き金が間に合わず、鈴も衝撃砲が強制冷却モードに突入しており、誰も止められる位置にいなかった。
 



 そう――可能だったのは、この戦闘を沈黙を守りつつ見守っていた第三者のみであった。





 空が破れる――降り注ぐのは巨大な光の槍。先程よりもさらに強力に展開されたシールドを純粋に強力なパワーでぶち抜き、叩きつけられた破壊エネルギーの乱流は、今まさに発射しようとしていた黒いISの腕部に命中、瞬時に焦滅させ、行き場を失ったエネルギーが爆発という形で暴れ狂う。

『なんだっ!!』
『……こ、これは……再度外部からの砲撃です!! ……し、信じられない、レベル4に移行した遮断シールドを、より強力なエネルギーで貫通したとしか思えません!! 推定発電量……少なくとも原子力発電所一基と互角!!』
 
 通信から響き渡るのは――千冬教官と山田先生の切迫した声。特に千冬姉の声は今まで聞いた事がないぐらいに切迫している。
 黒雲が湧き上がった。 
 先程の黒いISと比しても尚桁外れと言える法外のエネルギーによって、周囲には大気を焼く焦げ臭い臭気が充満していた。同時に<白式>のハイパーセンサーが……再び破壊された遮断シールドからゆっくりと降下してくる新たな未確認機を捕捉した。

「……なに? なんなの!? あの……全身から迸るような悪のエナジーを纏った、香り立つようなラスボス臭がする相手は……」
「該当データ……暫定名称『ブラックドッグ』……あれも所属不明機ですの?!」

 鈴とセシリアの言葉を聞き流しながら、一夏は――上空からゆっくりと降下してきた新手を見やる。
 黒い装甲――それは先程のISと酷似していた。しかし時折、全身を走るような緑色の光が見える。まるで体を走る血管が浮き上がっているかのよう。全長は一般的なISと同じく二・三メートル程度だろうか? 先程の未確認機に比べれば小さいと言える。だが、機体後背に展開している、六枚の羽のようにも見える非固定浮遊部位(アンロックユニット)の存在が、見掛けよりもずっと巨大な機体であるように思わせた。
 頭部は狗を思わせる形状であり、腰からは尻尾のような部位が確認できる。
 
 ……狗は狗でも――これは冥府の番犬、人知を超越した魔犬の類。どこかからそんな声が聞こえたような気がする。

 そして、一夏は新たな乱入者の視線が、自分ひとりに釘付になっている事に気付いた。

「お前も……そんなに世界で唯一ISを動かせる男が珍しいのか?」

 人の気も知らないで――珍獣を見る眼差しが腹立たしい。
 そう思った一夏に、不意にISからの高エネルギー反応警告。ただし――反応は今出現した相手からではなく、先程腕を一本失った最初の不明機が残った腕を掲げ、再び高出力ビームを相手に叩き付けんとチャージを始めた事に対するものだった。
 だが、予想外な事に攻撃照準レーダー波の照射対象は一夏、セシリア、鈴の誰でもなく――その一番最初に出現した正体不明機の狙いが、新手の不明機『ブラックドッグ』である事に驚きの声が漏れる。どうやら――こいつらは敵対しあっているらしい、と考えつつ、全速で退避。
 そして――相手の攻撃が自分の方を向いている事を知っているにも関わらず、その黒い犬のような機体は微動だにしない。


 光が放たれる。飲み込む全てを焼き滅ぼす高出力ビームに対し、その黒い機体『ブラックドッグ』は腕を掲げた。


 瞬間――その正面の空間が……歪んだとしか言えない奇怪な現象に襲われる。
 まるで光をも捻じ曲げ、何もかも圧縮するような異形の力場目掛けて突っ込んだ高出力ビームは――あっさりと掻き消された。

「な、なに、今の……!!」

 鈴の驚きを隠せない声――だが、驚愕はまだ終わっていなかった。
 再び、先程の異形の力場が展開したと思った次の瞬間――まるでビデオの再生テープでも巻き戻したように、破壊的なエネルギーは全て発射した黒いISの方へと……跳ね返されたのだ。
 二機の専用機ですら闘えていた相手をあっさりと一蹴する相手に、驚きの言葉が自然と口から零れ出るセシリア。

「……エネルギーを……受け止めて投げ返した!? き、聞いた事もありませんわ……なんなんですの、あれ!!」
『……先程、『ブラックドッグ』の全面に鈴さんの<甲龍>が衝撃砲を発射する際の空間の歪みに似た反応を検出しました。……恐らく圧縮した空間内にビームを格納、ベクトルを逆転させた後に解放させたのでしょうけど……歪曲の規模が違います……!! 間違いありません、束博士が理論だけは出したけど、非常識なまでに膨大なメタトロンを必要とする事から机上の空論とされてきた空間圧縮機能――『ベクタートラップ』です!!』

 山田先生の声は――焦りを通り越して恐怖すら滲んでいる。一夏やセシリア、鈴のような一介の候補生と違い、科学技術においても高い理解を持っているからこそ、あれが有り得ないと理解できるのだろう。
 再び『ブラックドッグ』の目に当たる部分が一夏を捉えた――いいだろう、とブレードを構える。

「良いぜ……」

 そうだ――相手がなんであろうとも……負けるわけにはいかなかった。千冬姉や他の仲間を除くIS全てを敵に回してでも、戦い勝たねばならない。それを考えるなら――こんなところで躓くわけには行かない。

「相手に……なってやる!!」

 叫びながら、一夏は空中で端然と佇む敵機に敵意の眼差しを叩き付けた。










今週のNG



「ですのでクラス代表戦前に、このわたくしセシリア・オルコットが次の対戦相手の仮想敵(アグレッサー)を務めて差し上げますわ! まず二組の代表はレベッカ・ハンターさん、堅実な射撃戦と高機動力に長けた正統派のIS乗りですわね。搭乗する専用ISはネレイダム製の<セルキス>。機動力は水準より少し上程度はありますが、有線式のホーミングレーザーと大出力荷電粒子砲と強固なシールドを搭載した超重火力機ですわ」
「……強そうだな。勝つにはどうすれば?」
「ぶっちゃけ強すぎるので諦めてくださいませ!!」
「諦め早いなおい!!」
「ちなみに作者は初代Z.O.Eをプレイした際、ノウマン大佐が『私のセルキスを使え』と言っていたから最終ボスはきっとセルキスだと思ったのに違っていたからちょっとがっかりしたそうですわ!!」
「だから誰に向けて言ってるんだ!!」

 ちなみに教室の入り口で、鈴が代表候補生の座を奪おうとしたけどボロ負けしたので、登場イベントを潰されて悔しそうに涙ぐんでいた。


おまけ

 途中乱入してきた所属不明ISはレベッカさんがあっさり倒しました。



[25691] 第六話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/17 23:21
 インフィニット・ストラトス。
 幼い頃から憧れた、個人で運用可能な空を飛ぶもの。

 ……空を飛びたいという望みは叶った。それこそ予想など出来るわけも無い、恐らく宝くじの一等に当たる事よりも遥かに有り得ない話だが、確かに望みは成った。
 次の望みとは――自分ら男性から結果的に空を奪う事になったISに勝る兵器をその手に生み出すこと。
 勝算はある。
 ISの製作に必要不可欠なコアを作る事が出来るのは篠ノ之束博士のみであるのに対し、自分が生み出そうとするオービタルフレームは、設計に大量のメタトロンを必要とする条件さえクリアする事が出来れば量産すら可能だ。事実、アーマーン計画を発動しようとしたノウマン大佐は、<ジェフティ>と連合軍のLEV部隊を始末するために、1000機規模のオービタルフレームを投入するということすら可能だった。
 ……一から組織を作るのだから、そんな規模の大量生産は流石に不可能だろうが――少なくとも、女尊男卑の風潮は確実に崩れる。
 
 だからこそ――そのオービタルフレームの雛形となるべき<アヌビス>は未だに衆目に晒すべきではない。
 
 弾がIS学園の異変を察知して、ベクタートラップを用いた空間潜行モードによるステルスでシステムにハッキングしたのは――以前自分を狙った女と襲撃を行った黒いISの両方が、一介のテロリストが保有できる訳が無いISを運用していたからだ。
 世界で467機のみしか存在しない兵器を運用する非合法組織――そんな組織がそうそう多くあってたまるか。

 姿を現す理由なんて無い――あの中継室にいた彼女を助けるためにハルバードを使用したが、再び空間潜行モードに移行すれば、この学園のセキュリティでは<アヌビス>の尻尾すら掴めぬはずだ。それが合理的判断と言うものだということを、弾は理解している。
 その合理的判断をかなぐり捨ててでも、弾は――姿を現したかった。
 
 見つけた。
  
『……一夏』
 
 あの日、本心を曝け出したっきり、言葉すら交わしていない親友。そしてその身に纏うのは――本来女性のみしか運用できない『IS』。
 俺は、夢を叶えた筈だ――弾は思う。だが……とも否定する想いがあった。
 苛烈な選考と厳しい訓練を潜り抜けてIS搭乗者になる事と、今のように偶然で<アヌビス>を手に入れる事によって自由な空を得ることは――その間に致命的とも言える達成感の差があった。届かぬ夢を諦められず自らを叩き上げた練磨は正当な評価を得る事無く、夢のまま終わった。自分で商社を起こし働きづめて得た十億と宝くじで得た十億とではその金銭の重みは天と地ほども差があろう。
 確かに自分は<アヌビス>という空を掴むための翼を手に入れた。だが――弾が幼少期から夢見た翼は<アヌビス>ではなかった。彼が努力し、千分の一、万分の一の可能性を夢見たISは、自分のものではなかった。……数ヶ月前の自分なら贅沢な悩みだと己自身を笑っただろう。結局空を掴んだのだからどうでもいいだろうに――と。 
 胸中に過ぎる感情は――果たしてなんら努力もせずISという力を手に入れた親友に対する嫉妬心なのか。それともISという力を遥かに上回る<アヌビス>という強大無比の力を今此処で誇示したいという子供じみた顕示欲なのか。または、結局努力して手に入れる事が出来ず、自分には振り向いてくれなかったISという翼を地の底に貶めたいという激しい逆恨みに似た憎悪なのか、その全てであるようにも思うし、違うようにも思う。
 理性を重んじるならば離脱すべき、だが感情は交戦を欲している。人間の意識を占める二つのものは鬩ぎあい結論を出した――<アヌビス>の中に納められた弾の口元が凶笑に歪みきる。はて? と呟いた。
 
『……こいつもメタトロンの影響かな?』
『否定します。現在、貴方はメタトロンの影響下にありません』
『……ふっ……はは。はっきり言ってくれるな、デルフィ』
『事実ですので』
『だな。すまないが俺の我侭に付き合ってもらう。……交戦するぞ』
『貴方の望みこそ私の望みです。了解、戦闘行動を開始します』

 右手を掲げる――ベクタートラップに格納されていたウアスロッドが瞬時に展開。それを風車の如く高速で旋回させ――その切っ先を、<白式>の一夏へと向ける。

 弾は――正体を明かしたかった。あの日奇跡に選ばれなかった自分が、選ばれた相手を叩き潰す。その事実をかつての親友にたたきつけたかった。暗く歪んだ喜びに浸りたかった。

 それは千言万言を費やした戦口上よりも遥かに短く、遥かに雄弁な――明確な宣戦であった。




 こいつ――俺だけを見ている。
 織斑一夏は己に向けられた視線と切っ先から――相手の執拗とも言える敵意が自分ひとりに照準を定めているのを感じた。『ブラックドッグ』が動く。機体後背の非固定浮遊部位(アンロックユニット)が広がり、そこから不可視の力を吐き出しながら突進してくる。

(……早い!)

 そう考えつつ、一夏は先程の情報を瞬時に頭の中で整理する。……先程確認できた相手の武装は、レベル4の遮断シールドをすら貫通可能な大出力ビーム兵器。それに――山田先生が言っていた『ベクタートラップ』という機能。
 槍のような形状の武装を保有しているという事は、恐らく近接戦闘力も保有しているだろう。

「だけど……<白式>だってなぁ!!」

 一切合財火器は保有していないが、その代わり近接戦闘力は高い一芸特化機である<白式>は唯一であり最大の武装である雪片弐型を構える。箒との訓練で近接戦での闘いでは幼い頃に掴んだ感覚を取り戻し、実力も伸び始めている。接近戦でならそう負けは無い……!!
 振り下ろされる切っ先、相手の正面から叩き付けた斬撃は――しかし『ブラックドッグ』の槍に受け止められる。
 もちろんその程度は折込済み、即刻刃を引き、再度切りかかろうとして――まるで相手の穂先が蛭のように吸い付いて離れていない。

『……織斑くん!! 電磁吸着されています!!』
「!!」

 山田先生の言葉で、相手の槍が離れない理由を知る。<白式>などにも装着されている、武装を取りこぼさないための機構――だが、こういう使い方も出来るなど聞いた事が無い。
 相手を蹴って間合いを取る――そう思った瞬間、『ブラックドッグ』が<白式>ごと強引に槍を横薙ぎに振りぬこうとする。
 
(……こっちを力で吹き飛ばすつもりか?! 甘く見たな!!)

 力比べながら、<白式>の得意分野。各種ISの中でもトップランクの大出力を保有する機体のパワーで相手の槍を押し返そうとした一夏は……その相手の桁外れの膂力に愕然とする。
 
「……なっ!!」

 推力を全開にして相手に抗しようとしたにも関わらず――まるで逆らう事が出来ず、受け止めた刃ごと木っ端の如く横方向へと吹き飛ばされる。専用機、それも近接戦闘を想定した<白式>は現存するISの中でもパワーは上位クラス。……それが、完全に力で押し負けた?! 子供扱い……?! ――と、驚きを覚える暇もなく、再度迫り来る『ブラックドッグ』。
 
「やらせるかああぁぁぁぁ!!」

 その相手に猛然と踊りかかるのは鈴の<甲龍>。連結した双天月牙を頭上で独楽のように全速回転させ、その威力を――全開で叩き付けようとした。だが、一夏が感じたように――『ブラックドッグ』は確実に気付いているにも関わらず、<白式>を睨んだまま視線も向けず槍を<甲龍>に向け――受け止める。
 激しい衝撃音が鳴り響く――<甲龍>は全速突撃の速度を帯び、頭上で回転した双天月牙を、あらん限りの力で相手に叩き付けた。速度を帯びた車が凄まじい威力を持つように、普通に考えるならば速度エネルギーを帯びたほうが、静止した物体を吹き飛ばす。それがよほど普通であるのに――まるで巨岩に挑んだかのように、突撃した<甲龍>の方が跳ね飛ばされていた。

「うっくっ?! ……どうして、<甲龍>の方が相手に弾かれているのよ?!」

 鈴は先程機体を通して得た手ごたえに表情を変えざるを得ない。まるで千年を生きた大樹に挑んだような、圧倒的な厚み。質量の分厚さが違うようにすら思える。
 
「近接戦闘力に長けた<甲龍>の全力の打ち込みを受けて……一ミリすら押し込めない?! ……この……ばけものぉー!!」

 屈辱的だが――自機の得手の距離での戦闘を避けるように後方へ退避、同時に両肩の衝撃砲が吠えた。



『さすがに、一対一を認めてくれるほど空気読んでくれんか』
『当然です。……<甲龍>の両肩に搭載されているのは空間圧縮を利用した衝撃波兵器と推測。OF<サイクロプス>のサブウェポン『ガンドレット』と酷似しています』
 
 デルフィの攻撃警告に対応し、<アヌビス>は高速で動き回る――空間への圧力で不可視の砲身を形成し、衝撃波の砲弾を生み出す<甲龍>の衝撃砲は、相手のセンサーに捕捉されにくく、射撃武器としては非常に回避し難い優秀な面を持つ。……だが、メタトロンの申し子であり、空間圧縮に関する技術においては当時最新鋭機である<アヌビス>は、敵射撃武装の射角をこの時代では有り得ないほどの精度で検知する事が出来た。
 同時に――攻撃照準レーダーの照射を確認。
 周囲を取り囲むように展開するのは――ISとは違う、青色で塗装された小型の機動砲台。

『敵、自立砲台を確認』
『……ちっ』
「お行きなさい、ブルー・ティアーズ!! わたくしを無視して一夏さんだけ狙う増長慢、徹底的に懲罰して差し上げますわ!!」

 四方八方から迫る自立砲台――それぞれからビームを発射しつつ、高速で位置を変え続けて包囲網を敷く。煩わしい……! 弾はかちりと歯を噛み鳴らすと、回避機動しつつ後方へ退避。

「一夏さん、鈴さん! 今の内に体勢を立て直してくださいませ!!」
「わりぃ!」
「今回は、感謝するわよ!!」

 その隙に後の二人へと声を上げ、セシリアは二メートルを越す巨大な六十七口径の特殊レーザーライフル『スターライトMK-Ⅱ』を構える。放たれる強烈な灼熱の光は一直線に伸び――相手に命中。皮膜装甲なのだろう、『ブラックドッグ』を覆う赤いシールドに弾かれる。……相手がISであるという固定概念を持って掛かっているセシリアは、続けて発射を続ける。如何に早かろうとも――四方八方を包囲する自立機動砲台と、自分の繊手より繰り出される銃撃を掻い潜れるものかという自負と共に引き金を引く。

『まずは邪魔な相手から潰すぞ、ハウンドスピア、セット』
『了解』

 一夏――弾が望んでも得ることが出来なかった力を手に入れた彼に対する、憎悪か嫉妬か判別できぬ複雑な感情を複雑な眼差しを向けていたが、周囲の相手にようやく彼は意識を移した。まずは――サシでやりあう前に、他の相手を戦闘不能に追い込まねばならない。ISにはOFには存在しない、完璧とも言える生命保護機能である『絶対保護』がある……手加減無しで存分に<アヌビス>の火力を振るえるというのはある意味でありがたいかもな、と苦笑する。
 シールドを解除――下方向へと落下しながら、<アヌビス>はアリーナの底を這うような低高度軌道で突撃する。




「防御を解いたのが運のつきですわね!!」

 セシリアは声に戦意を漲らせながら、銃口の先端を『ブラックドッグ』に照準し続ける。如何に高速の相手でも捕捉し続けるその技量は彼女が代表候補生に選ばれるだけの実力を持つことを示していた。
 ……自立機動砲台は勢子、本命の一矢はその両腕に構える大口径ライフル――敵機を追う自立機動砲台に命令を出そうとした彼女は……『ブラックドッグ』がその両腕を誇示するように掲げるのを見た。

 瞬間――繰り出されるのは赤い光線。まるで三角定規で引いたような鋭角の弾道を描きながら、雨霰の如き膨大な量のレーザーが彼女の操る自立機動砲台に一斉に襲い掛かる。

「なっ……!!」

<ブルー・ティアーズ>が最大性能を発揮した際にのみ発動できると言われているレーザー兵器の屈折射撃――それを、まるで事も無げに数十発纏めて繰り出す相手に、セシリアは驚愕に打ち震えながら、自立砲台に回避機動を命令する。
 だが――相手の放つ光線の猟犬は相手に回避スペースなど与えぬような破壊の密度と偏狭質的な追尾能力で、全ての自立機動砲台へ迫り、撃ち落す。
 優勢だったはずですわ――四方八方からのレーザーと本機からの狙撃で相手は防御一辺倒だったはず。追い込んでいたはずが……まるであっさりと優位を覆され……驚愕を隠し切れない。

「セシリア! 来るぞ!!」
  
 一夏の警告と<ブルー・ティアーズ>の警告音が重なる――『ブラックドッグ』からまるで血煙のような禍々しい粒子が吹き上がる。
 凄まじい圧迫感、絶望的な威圧――激しい咆哮のような音と共に吐き出されるもの。まるで真紅の臓腑で形成された大顎のような凶悪なエネルギー塊が、此方へと飛来してくる。
 
「……ッ!!」

 そのあまりの禍々しさに、即座に距離を置くべきだと判断したセシリアは――しかし、意外と遅い弾速に、これなら通常推力で回避可能と判断し、咄嗟にエネルギー節約の意味を込めてぎりぎりで避けようとし……まるでその真紅の大顎が、喰らい付くべき獲物に追い縋るように弾道を変え、追尾してきた事に――思わず悲鳴を堪える。
 判断が間違っていた――そう自省する暇もなく即座に瞬時加速。必死に敵のホーミング性能を備えた一撃を振り切ろうとしたが――執拗に迫るそれを避けられない。最早振り切る事すらできない、可能なのは敗れる時間をほんの少し長引かせる程度の事しかだけ――心が敗北の恐怖に満たされるのを覚えながら……こちらへと助けに入ろうとする一夏に叫ぶ。
 来てはいけない――自立砲台を失った自分は既に戦力半減だ。ここで彼を巻き添えにしては、勝てるものも勝てなくなる。

「一夏さんッ! ……だめ……!!」

 ISの絶対防御がある限り死亡という事は有り得ない。だが――目覚める事が出来るのかという疑問を抱くセシリアを……真紅の大顎じみたエネルギー塊が直撃した。




「<ブルー・ティアーズ>、最終防御発動しました。……行動不能」
「くそっ!!」

 山田先生の落ち込みきった報告に、千冬は苦渋の声を漏らす。
 更識の報告は受けていた。相手が常識の通用しない怪物である事も。それでも実際に目にしなければ信じる事が出来なかったのも事実だった。教官である自分自身の失敗――今此処に<暮桜>が無い事が心底悔やまれた。
 
「……突入はどうなっている?」
「現在最終隔壁の撤去に掛かりました。<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>のパイルバンカー、『灰色の鱗殻(グレー・スケール)』と、<ミステリアス・レイディ>の旋角槍で突破作業開始」

 その言葉に難しい顔のまま頷く千冬――通信機を取る。

「更識、大体の状況は把握しているな?」
『あはは……おねーさんの見立てでは、あれの搭乗者、そんなに滅茶苦茶な人には思わなかったんですけど――ね』
「……仕方なかろう。気に病むな。突入したら働いてもらうぞ」
『はい』

 言葉を切ってからもう一組に声を掛ける。

「シャルル、ラウラ、来日早々で悪いが頼む」
『専用機持ち三機がかりで――なのに、逆にこっちが圧倒されているんですね。……ちょっと、信じ難いですけど』
『……お任せください、織斑教官。必ずやご期待に沿ってみせます!!』

 この学園に現在いる数少ない専用機持ち――それら全てを叩き付ければ……そう思わないでもない。
 だが『ブラックドッグ』の性能の全てが既存のISの常識を上回る。厳しい顔のまま懸命に情報分析を続ける山田先生に尋ねた。

「……奴のメタトロン反応は、どのレベルだ?」
「計器が故障したので無ければ――人類がこれまで採掘したメタトロンの総量を上回る量が確認できます。……反応から見てISのように量子コンピューターだけでなく、装甲、動力源、あらゆる部位から高純度のメタトロン反応を検知しました」
「……実際に作ったら国が転覆するな」

 メタトロン――地球上に存在する超稀少金属であり、ISの中心部であるコアと結びつく量子コンピューターの原料となる物質だ。ただし採掘量は非常に少なく、最新兵器であるISですら中枢にしか使えないほど高額だ。
 だからこそ――有り得ないと断言できる。あの機体は作るだけで確実に破産する。……だとすれば――メタトロンをもっと大量に発掘し、安価に提供できる力を持つ組織が生み出したのか? と推論し……今は機体の来歴を探る事よりも、目先の危機を回避すべきだな、と考え直した。



「よくも……貴様あぁぁぁぁあぁぁ!!」

 一夏の激昂の叫び声を聞き――弾は暗い笑みを浮かべた。
 先程の蒼い機体を落とされ、激怒したかのように向こう見ずに突出してくる<白式>に対してウアスロッドを構える。

『なんやかんやと理屈を付けても――俺は結局、お前とやりあってみたかっただけかもな!!』

 心情を吐き出せば――その辺りの言葉こそ一番真実に近い気もする。
 流石に<白式>は早い。接近戦重視型だけあって大した突進力――まるで懐に入れまいとウアスロッドの刺突を繰り出す。
 引いて――突く。
 それだけの単純な動作だが、しかし<アヌビス>の凶悪なスペックは、その単純な動作をすら必殺の威力に高める。間断無く繰り出される槍撃は、<白式>の突進を押しとどめる濃密な刃の群れと化して降り注ぐ。動きの速度が速すぎ、ただのありふれた刺突にすら突風を纏い始めていく。
 だが、一夏はそれに喰らい突く。
 少なくとも一方的に切り刻まれる事は無い。切っ先の動きを警告するハイパーセンサーに従い、可能な限り体捌きで避け、無理なものは刃を叩き付けて軌道を逸らし、相手の懐に潜り込む機会を狙い続けた。
 弾は――ここまで食いつける男だったか? ――と、絶縁状態だったこの日々の間にこれほどの長足の進歩を遂げたかつての親友の技量に内心舌を巻く。

『……思ったより――!!』
『敵の技量はかなりのものです。射撃戦闘を推奨』
『いや、このままだ!!』

 先程からの黒いISとの交戦に加え、今までの動きから推測して<白式>は驚くべきか呆れるべきか、接近戦用のブレード一本しか保有していない。
 接近戦専用の特化型――ならばわざわざ相手の攻撃が届く距離で闘う必要は無い。<アヌビス>は接近戦も十分にこなせるが、それ以上に豊富な射撃武装を搭載している。後退して射撃に移るだけで相手は回避一辺倒になるだろう。
 それをしない――というよりも、むしろしたくない。
 
『俺は――お前と戦いたいんだ……!!』

 正面から堂々と挑む男に対して、合理的な判断の名の下に後へと下がる事は、男のプライドを捨てるような気がする。それに<アヌビス>という無敵に等しい力を纏いながら後に引く事は余りにも情けなく思ったのである。
 絡む魔槍と鋭刀、踊り狂いながら斬り結ぶ黒と白。足を止めた斬り合いに変じたと思えば――瞬間どちらも大推力を生かした一撃離脱戦闘を繰り返す。
 予想を上回る一夏の技量に驚嘆しながら――だが、と呟く。

『強くなった……強くなったなぁ!! ……謝罪するぜ、お前は俺の思うよりずっと気概溢れる男だった!!』

 しかし……それでも、弾を上回るには至らない。
 一体自分が夢を諦めず、奇跡を信じてどれほどの鍛錬を積んだと思っている? 平時ではなんら役に立ちそうに無い武術の動きを身体に染み込ませてきたのは何故だと思う? ……幼い頃から積み上げてきた日々は、一夏が入学してきた日々で重ねた練磨と違う長い歳月の重みがあった。
 近接戦闘でも徐々に自分を上回りつつある<アヌビス>に、一夏の表情に苦渋が広がり始める。相手の実力ではどう足掻いても埋まらない差に、弾は許されざる喜びに口元を笑みに歪める。

 そして、終局が訪れた。

 繰り出した一撃が――相手のブレードの柄頭に触れ、瞬間跳ね上がったウアスロッドが刃を空中へと跳ね上げた。これでとどめ――最後の一撃を繰り出そうとした弾の<アヌビス>は、一夏と入れ替わりに突進してきた<甲龍>に煩わしげな視線を向ける。
 友人との決着を邪魔する無粋な相手に対する怒り――機体後背のウィスプが大きく広がり、搭載された六基のアンチプロトンリアクターから膨大な力を引き出す。空間が光ごと歪み、ベクタートラップ展開。機体自身を圧縮空間へ格納する空間潜行モード――完全なステルス状態へ。

「消えた?!」

 驚きに満ちる<甲龍>の搭乗者が周囲を確認した瞬間には既に勝敗は決していた。
 背後へと出現した<アヌビス>はその腕に構えるウアスロッドを振り上げていた。相手が振り向き、その眼前にまで迫る刃を視認したとき、既に如何なる回避も如何なる防御も間に合わぬと悟り、愕然とした表情を浮かべるのを見――


 刃が静止する。


『……ッ!』
『どうしました?』

 あと数センチ振り下ろせば、確実に機能停止に陥るダメージを与えられたはずなのに、弾は思わず<アヌビス>の一撃を寸前で静止させていた。目の前のISの搭乗者――懐かしい顔が……中学時代の古馴染みだった凰鈴音だと気付いた瞬間、弾はここが戦場である事を忘れ、意外な場所での再会に――その動作が自分の正体の手がかりになるかもしれぬことすら忘れ、思わずいつもの癖で口元に手を当てて驚愕の声を漏らした。

『鈴? ……お前、何で――こんなところに』

 <アヌビス>が動きを止めたのはほんの数秒にも満たない――だが戦場での数秒とは死命を分かつには十分すぎる時間であり、空中へと跳ね上げられた雪片弐型を回収した<白式>の全速の突撃に対し、弾は明らかに反応が遅れた。







『良いか? ISにはそれぞれワンオフ・アビリティー(単一仕様能力)というものがある』

 理由は分からない。
 今までの戦闘において完璧だった奴が、何故鈴の顔を見た瞬間――動きを止めたのか、それは分からない。だが数十合打ち合ってみて分かった。相手は今の自分達を遥かに上回る戦闘力を持つ怪物だ。その一瞬に見せた明らかな隙を突かなければ恐らく勝利する事は不可能だと理解していた。
 授業中の、千冬姉の言葉を思い出す。

『ISが操縦者と最高状態の相性になったときに自然発生する固有の特殊能力だ。通常は第二形態から発現する。それでも能力が発現しない場合が多い。……それらワンオフ・アビリティーを発生させるものが、ISのコアを取り囲む形に存在する量子コンピューターを構成する物質『メタトロン』だ。
 これは高密度・高純度であれば人間の精神力に呼応して従来の物理現象を越える現象を発揮する。……ただしメタトロンは微量でも非常に高額でな。人間が実際に微量の『メタトロン』を利用して『魔法』のような現象、ワンオフ・アビリティーを発揮させているのではなく、それを行っているのは束が発明し、メタトロンの力を引き出しやすいように調整された『コア』の方だ。要するに『コア』はお前たちと一緒に存在する事によってフラグメントマップを構築し、メタトロンの力を引き出しているわけだ……織斑』
『はい』
『<白式>が拡張領域の全てを使い潰している理由が分かったか?』
『……最初からワンオフ・アビリティーを使えるのは――人間の変わりに『コア』がメタトロンを制御するためで、発動させるために『コア』が容量を食っているからですか?』
『そうだ。それがお前の<白式>の零落白夜。シールドバリアーを切り裂いて相手のシールドエネルギーに直接ダメージを与えられる白式最大の攻撃能力だ。自身のシールドエネルギーを消費して稼動するため、使用するほど自身も危機に陥ってしまう諸刃の剣だが――威力は絶大だ。ここぞというときに使え』



(……威力は――絶大……!! 威力は……絶大!!)

「喰らえぇぇぇぇぇぇ!!」

 こちらの突撃に気付いた『ブラックドッグ』は再度、シールドを展開する。
 あれの防御力の高さは理解している。セシリアの大口径レーザーライフルの直撃を耐え切ったのだ。生半な堅牢さではない。
 だが、『ブラックドッグ』の操縦者は知らない。
<白式>が本来保有する武装を量子変換して記憶するための拡張領域ほぼ全てを埋め、射撃機能を切り捨てた代償として得たこの零落白夜は――問答無用で相手のエネルギーシールドを無効化し、確実な破壊力を相手に叩き込む必殺の武装であるのだと。


 相手の真紅のシールドがまるで砂糖細工のように崩れ、消滅し――雪片弐型の中から伸びる青白い光の刃が、『ブラッグドッグ』を、袈裟懸けに叩き切った。







『な……に?!』

 驚愕の声が自然と漏れた。
<アヌビス>のシールドの堅牢さは知っている。少なくとも防御に徹すれば<白式>のブレード程度で貫通できるような柔な代物ではない。……ならば何故、奴の一撃は<アヌビス>のシールドを突破し、本体に直撃する事が出来たのだ?

『デルフィ!!』
『原理は不明ですが、敵機より一時的に強大なメタトロン反応を検知しました。何らかの方法でこちらのシールドを消滅させたものと考えられます』
『くそがぁ!! ……屈辱だぜ、<アヌビス>を操りながら一撃を貰うとはな……!!』

 油断していた――弾は忌々しさで歯を噛む。
 圧倒的優勢であったはずだった。あそこで旧知の顔に動揺せず一刀を叩き込めば、ああも無様を晒す事などなかったのに。
 凰鈴音――中学時代の特に仲の良かった友人の一人。織斑一夏に思いを寄せていた彼女の応援をするために色々と骨を折ったものだ。……ああ、そうだ。可能性はあった。彼女は自分と違い女性、ISを操れるのだからその可能性にも思いを馳せるべきだった。どうせオービタルフレームを生み出し女尊男卑の風潮に戦いを挑むのに、どうして今更旧知の女に刃を向ける事に俺は躊躇うのだ? ――弾は小さく嘆息を漏らす。

『俺もまだ、甘さを捨て切れていなかったと言う訳か……すまん、デルフィ。俺の間抜けのせいで要らん一撃を貰っちまった。……痛かったか?』
『はい、痛いです』

 弾は<アヌビス>の右肩から左腰に刻まれた鋭い裂傷に指を沿わせながら――油断無く此方に構える<白式>と<甲龍>を見た。
 計らずも中学時代、同じ時間を過ごした旧友達が顔を会わせたという事だ。口元を歪める。

『……とんだ、同窓会だな。まぁ、そうだと理解しているのは俺だけか』

 少なくとも――中学生だった頃、唯の親友同士だと思っていた頃の自分は、こうして敵対者同士として刃を交える事になるとは思わなかった。その事に対して胸に吹き荒ぶ寂寞の風を感じながら、弾は笑った。


 

 
「……エー・エヌ・ユー・ビー・アイ・エス……」
『どうした、凰』

 鈴が小さな声で呟くその声に、千冬教官が問いかけの声を上げる。
 
「……さっき、至近距離で見えました。『ブラックドッグ』の頭部に刻まれていた文字です。型番っぽいアルファベットと、その下に書かれていました。……多分、あいつの名前だと思います」
『……エー・エヌ・ユー・ビー・アイ・エス……A・N・U・B・I・S――ANUBIS……<アヌビス>か。エジプト神話における冥府の神……狗のような頭部、確かに言い得て妙かもな。了解、今後奴の呼称は『ブラックドッグ』から<アヌビス>に変更。……凰、闘えるか?』
「は、はい」

 凰鈴音は千冬教官の言葉に頷きを返す。声に――躊躇いのようなものが滲んでいるのを悟られたのかもしれない。
 彼女は……困惑の中にいた。相手が自分の顔を確認した瞬間、相手は確かに動きを止めた。まるで想像もしていない場所で旧来の友人と戦っていた事に気付いたような動揺が、相手の動作の端々から伺えたのである。
 
(……それに、なんなの?! この強烈なデジャウは!!)

 相手の動揺もそうだが、彼女は――先程からとても厭な予感を覚えて仕方が無い。<アヌビス>が見せたあの動作――驚いた表情を隠すように、口元を押さえるあの仕草。中の人間が癖を殺しきれず、思わず見せてしまった動き。
 彼女はあの動きに対して強い既視感を覚えていた。……見たことがある。あの仕草。どこかで――自分は<アヌビス>の搭乗者と出会った経験がある? でも一体どこで? ――大切なものの名前が頭のどこかで引っかかって思い出せない。そのもどかしさで、鈴は鋭い眼差しを相手に叩き付けた。

(……誰なの……誰なの、あんた!!)

 
 

  
「はーい、三名様ご到着ー♪」

 強烈な破壊力で隔壁が吹き飛ばされる轟音。その中心には、氷で形成された螺旋槍を構える<ミステリアス・レイディ>とパイルバンカー・灰色の鱗殻(グレー・スケール)を構えた<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>。
 その両機の間を縫うように突出するのは――黒い装甲に身を包み、右肩に大口径レールキャノンを搭載した<シュヴァルツェア・レーゲン>。

「ラウラッ!!」
「織斑先生にいいところ見せたいのは分かるけど、もうちょっと落ち着こう? ……相手は化け物なんだから」

 金髪の、童話から抜け出たような王子様的風貌のシャルル・デュノアは、一緒に突入した彼女のスタンドプレイをチームプレイにするべく即座に追尾しそれにあわせる。同様に更識も二人を援護できる位置に。
 ドイツのドイツ軍のIS配備特殊部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』隊長であるラウラ・ボーデヴィッヒは幼い外見に反して、恐らくこの場所にいる人間たちの中でも一二を争う実力を持つ。それ故に他者に合わせる必要を感じない彼女だったが――

『ラウラ、言った筈だ……敵はISではなく未知の怪物と思えとな』
「……しかしっ、教官!!」
『ほぉ? 私に説教か? ……お前の突出で勝てる相手なら、お前を逆に教官と呼んでやる。……シャルル、更識、悪いが面倒を見てやってくれ』
「はいっ」
「りょーかい」

 この中で一番チームプレイに必要不可欠な協調性を持っているのは二人だろう。そう言ってから――言葉を続ける。

『敵は化け物だ。連携無しで勝てる相手だと思うな。……先程の様子からして零落白夜が奴に一番通用する。全機、<白式>を援護!!』
「……了解よ!」
「ふん、足は引っ張るなよ」
「僕らでカバーするよ、行こう!」
「……しかし本当に――こんなに奴と早く当たるなんてね」

 即席のチームではあるが、その意識は<アヌビス>を倒す事に向いている。全員の意思が合致したように、声が唱和した。






<アヌビス>を射抜く眼差しを冷ややかに見下ろしながら――弾はウアスロッドを握り直す。

『敵、増援を確認しました。……戦闘続行しますか?』
『……ああ、もう油断は無い』

 先程の一瞬――不覚を取ったのは明らかにフレームランナーである自分自身の失態だった。
 だが――先の一撃で弾は彼本来の怜悧な思考を取り戻している。これ以上の交戦は無意味と理性の警告は強くなる一方だったが――同様に受けた一撃の恥辱を返そうとする感情も更に強くなる一方。
 デルフィが、彼の内心を代弁するように応えた。
 
『了解。戦闘を続行します』
















今週のNG



「……エー・エヌ・ユー・ビー・アイ・エス……」
『どうした、凰』

 鈴が小さな声で呟くその声に、千冬教官が問いかけの声を上げる。
 
「……さっき、至近距離で見えました。『ビッグコック』の頭部に刻まれていた文字です。型番っぽいアルファベットと、その下に書かれていました。……多分、あいつの名前だと思います」
『……エー・エヌ・ユー・ビー・アイ・エス……A・N・U・B・I・S――ANUBIS……<アヌビス>か。エジプト神話における冥府の神……狗のような頭部、確かに言い得て妙かもな。了解、今後奴の呼称は『ビッグコック』から<アヌビス>に変更。……凰、闘えるか?』
『ちょっと待て! なんだその仇名は!! 今までそんな名前で呼ばれていたのかよ?! もうちょっとマシな名前付けようとか思わなかったのかよ!!』
「え? ……だ、弾?! 弾なの?!」
「弾……?! なんでお前が<アヌビス>なんだ!!」
『あ。やべ』

 カラスが、『アホー』と啼きながら飛ぶような幻聴が全員の耳に響いた。あまりにも間抜けな空気。山田先生と千冬教官は思わぬところで発覚した相手の正体に、思わず顔を見合わせた。
 通信機から聞こえてきた余りにも酷い仇名に――ついつい回線に割り込んで抗議してしまった弾の声に……旧友だった一夏と鈴の二人は思わず驚きの声を上げる。そこに響くのは謎の少女の声。

『う、ひっく……で、デルフィは男の子じゃありません……そんなはしたない仇名をつけるなんて……ひどいですぅぅ……』
『ほら見ろ、お前らのせいでウチのデルフィが泣き出したじゃないか、このセクハラネーミングどもがぁぁぁぁ!!』

 しかし、一夏と鈴としても色々と文句はある。
 
「何を言ってるんだ、弾……腹が立つのはこっちの方だ! お前もそんなどうみてもラスボスに乗っているんなら、もうちょっとカッコいいシーンで正体を明かせよ! タイミングってもんがあるだろーが!!」
「そうよそうよ!! 『このわしの正体に……まだ、気付かんのかぁぁぁぁぁ!!』とか言ってクーロンガン○ムからマ○ターガンダムに変身するような皆が驚くシーンを台無しにしてどうするの!! テイクツー!! テイクツー!!」
「知るかそんなもん!!」

 もちろん一生懸命隔壁を貫いてきた三人は、超楽しそうに和気藹々と殴り合いを始めた中学時代の同級生どもの姿を見て、どうしようもない脱力感に顔を見合わせるのであった。
 


 この間抜けな空気の中で一番不憫なのが、もちろん気絶しているセシリアだったのは言うまでも無かった。
 







作者註


 本作品中で、『氷で形成された螺旋槍を構える』と書いていますが、この辺はオリジナルの設定です。
 原作では<ミステリアス・レイディ>はナノマシンを含む水を操るということでしたが、『ナノマシンを発熱させ水を瞬時に気化させ爆弾のように扱う』だったので『清き熱情(クリア・パッション)』が『加熱=原子運動の加速』だから逆に『冷却=原子運動の停止』繋がりで、こちらでは水を氷のように凍結させる『凍える知性』という名称の武装を搭載しているという事になっています。……まぁ、どういうルビを振るのかは未定ですので、いいネタがあれば教えてください。
 それでは、よろしくお願いします。八針来夏でした。



[25691] 第七話・今週のNG追加
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/24 22:48
 醜い。
 弾は自分が醜い人間である事を理解している。
 親友であった一夏。あの日、自分はその醜い本心の一端を覗かせてしまった。永遠に溜め込み封じ続けるはずだった、長年の女尊男卑の風潮の中で確実に蓄積されつつあった暗い澱みを吐き出さずにはいられなかった。親友に対するどす黒い嫉妬心を自覚し、それを御するはずだった。
 なんで、お前だけが。
 あの言葉は弾自身をも縛る言葉となっている。<アヌビス>という力を得たならば、その力を持ってしてこの現在を変えなければならない。事実彼にはそれが出来るはずだった。

『……力は正しいことに使え。 少なくとも、自分がそう信じられることにな』

 ……不意に胸中に流れる言葉。それは誰のものだったのだろうか――確か、昔ジェイムズさんが教えてくれた内容。俺は――今の俺は、正しいと自信を持って言えるのか?





 敵がいる――インフィニット・ストラトス。
<白式>、<甲龍>、そして増援である<ミステリアス・レイディ>、<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>、<シュヴァルツェア・レーゲン>。総計五機――単独で一国を相手取れるというISがこの数を揃えるというのはある意味壮観だ。しかも、そのほとんどが第三世代機。未だに試作実験的な色合いを帯びた最新鋭機達。
 それが、自分ひとりに対して最大限の警戒を抱いている――男を、警戒している。現在の風潮では、見下げられるはずの男性を警戒している様が何処となく愉快な気分。弾は、く、と小さく口元を歪めた。

『始めるか』
『了解』

 端的なデルフィの応対に、弾は<アヌビス>を高速で後退させる――先程とは真逆とも言える戦術の変換。槍を構えての近接戦闘ではなく、むしろ<ブルー・ティアーズ>のような遠距離射撃戦の間合い。近接特化型の<白式>と違い、あらゆる距離で武装を使用できる<アヌビス>は五機を纏めて照準する。
 
『……一夏。俺はお前を見縊っていた。……お前は俺を倒せる武器を持っていたのに……悪かったよ。……今度は勝ち目など微塵も見せずに丁寧に満遍なく潰してやる!!』
『ハウンドスピア、連続発射開始』

 掲げる<アヌビス>の腕――凶光と共に繰り出されるのは鋭角で曲がりくねりながら敵機へと突き進む真紅の光線の群れ。焦滅の雨。しかも先程と違うのは、高速機動状態で放たれるそれは一斉射では終わらず、膨大なエネルギー供給力を見せ付けるかのような執拗な連続射へと移行したのだ。



「うわっ!?」

 一夏が驚きの声を上げるのもある意味では当然の話だ。
 先程セシリアの自立機動砲台を一撃で屠り去った膨大なレーザー射撃――間断無く繰り出される猛射に対し、一夏は相手が本気モードに移り変わったのを悟った。先程はまだ良かった。接近戦しかできない<白式>に正面から堂々と切り結んだ<アヌビス>は、しかし今度は<白式>に搭載されていたワンオフ・アビリティー(単一仕様能力)を最大限に警戒しているのだろう。
 ざまぁ見ろ――そういう気持ちがないと言えば嘘になる。相手が圧倒的な性能を保有している事は肌で実感した。その相手の横っ面を引っ叩いてやった事は痛快だ……が、さしあたっての問題は目の前に迫る光の群れをどう避けるかであった。あの密度の光の雨の隙間に<白式>を滑り込ませることができるか? ――刹那の速度で思考する一夏に掛けられる声。

「一夏くん! おねーさんの影へ!!」

 まるで楯になるように前に進み出るのは、流体装甲の全てを凍結させ、氷結の甲冑に身を包む<ミステリアス・レイディ>の更識楯無――初対面だ。もちろん抵抗はある。女性を楯にするなど――だがそんな旧時代の騎士道精神を彼女は一言で蹴り飛ばす。

「山田先生からのデータは確認したよ。正直、悔しいけど一夏くんの<白式>の零落白夜ぐらいしか奴にはまともに通用しない!! 普通のIS相手なら一撃で倒せるそれですら――<アヌビス>には致命傷に程遠いの。君を奴に接近させる事を最優先に動くわ、エネルギーは全て攻撃に費やすつもりで挑みなさい!!」
「ッ、了解!!」

 勝利を最優先にするならば――<白式>のエネルギーを温存する事が一番優先だろう。女性の影に隠れなければならない現状に歯噛みし、雨霰と降り注ぐ光の槍に<ミステリアス・レイディ>の氷の装甲がはじけ飛ぶ。

「ラウラ!!」
「……分かっている、奴を攻撃から防御に転じさせねば火力差で押し潰される……!!」

 両名とも声には強い戦慄の響き。
<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>は拡張容量の中に搭載されている大型スナイパーライフルを淡い光と共に量子変換。<シュヴァルツェア・レーゲン>は右肩の大口径レールキャノンの砲門を<アヌビス>に指向する。それこそ連携を組むのはこれが始めての両者であるが、どちらも専用機を与えられるほどの腕前。今何をしなければならないのか、どちらも瞬時に掴んでいた。
 強烈なマズルフラッシュと共に放たれる大口径銃弾。銃身が帯電すると同時に加速され、鋭い勢いで吐き出されるレールガン。両方とも点の突破力に優れた威力のある砲弾であり、命中すれば只ならぬ被害を与えるそれは狙いを過たず一直線に伸びる。
<アヌビス>は鋭い回避機動を取りそれを避け、地面近くの――機能停止している黒いISの残骸の傍に移動する。
 だが今はこれで十分だった――同時に停止したレーザーの雨。
 
「行くわよ、一夏!!」
「ああ、頼む、鈴!!」

 光の弾雨の中を突き進むのは<甲龍>――双天月牙を連結し、高速回転。それを楯代わりにしつつ、<ミステリアス・レイディ>と一丸になり、三機はタイミングを合わせて瞬時加速(イグニッションブースト)。
 唯一勝機のある近接距離に踏み込んだ。





 弾――接近する<白式>とそれに追従する二機に、相手の意図を読む。此方にほぼ唯一確実にダメージを与える事の出来る<白式>の攻撃こそ相手の戦術の主軸。あれを命中させるためのサポートこそが両側の二機の目的なのだろう。
 もう彼は先刻のような蛮勇を奮うつもりはない。此方の有利な土俵でしか戦う気は無かった。

『デルフィ、グラブを使う。オブジェクト補綴!!』
『了解』

<アヌビス>の腕が――大出力ビームの反射を受けて半壊した黒いISの脚部を掴んだ。
 接近してくる三機のIS達はこちらの意図を理解していないのだろう、速度を落とす事無く突進してくる。来い、来い――お前たちは<アヌビス>のパワーを知らない。圧倒的な出力、火力――優れた力を持っていることは十分想像できているはずだ。だがこの光景だけは『あり得るかもしれない』と理性で想像はできても、戦場で熱を帯びた頭で考えられるものではない。
 そう――可能性があるとすれば、一歩引いた場所で戦場を俯瞰で見、確かな戦術眼で冷静な判断を下せる人間ぐらい――。

『逃げろ、罠だ!!』

 スピーカーから聞こえる女性の声――ああ、千冬さんの声か、と一瞬考えた弾の胸中に走る感傷は刹那思い出を疼かせる。その言葉に驚いたように速度を緩める三機。

『その通りだ、そしてお前たちは――もう射程内だ!!』

<アヌビス>が黒いISを持ち上げる。
 それは現実のものであっても脳が容易には肯定してくれない光景だった――ISと比しても、細いとすら言える腕が自分自身に勝る巨大な質量を片腕一本で、まるで木っ端でも持ち上げるかのように気安く振り上げたのだ。
 予想外、想定外――相手が何らかの迎撃をしてくることは予想できたとしても、この想像の範疇外と言える馬鹿げた光景に一夏の脳髄は一瞬思考と判断力を失う。相手があの槍と同じくなにかの武器をどこから取り出すということはあり得るかもしれないという想像はあっても――自重に勝る巨大な敵の質量をそのまま原始的な鈍器として活用してくるなど考えもしなかった。

「!! 一夏!!」

 その一夏を庇うように、鈴の<甲龍>は二本の青竜刀を振り上げて受け止めようとする。
<白式>のシールドエネルギーこそが<アヌビス>を打倒するために一番重要な要素であり、そのためならば自分自身を勝利に必要な犠牲の側に置く覚悟を代表候補生の彼女は既に備えていた。
 戦車を破壊するのに、高度な科学力で設計された砲弾を使用せずとも崖から落とした巨岩で壊せるという実例があるように――速力と質量の双方を保有する鈍器は時に近代兵器を凌駕する威力を発揮する。<アヌビス>の強力で振り抜かれた黒いISはそのまま大質量の鉄槌と化して一夏を庇う鈴の<甲龍>を一撃で跳ね飛ばした。

「鈴!!」

 吹き飛ぶ<甲龍>。。
 地面に装甲をこすりながら砂煙を上げる彼女。最終保護機能が発動したのか――微動だにしない。だがその身を心配する余裕などなかった。<甲龍>を吹き飛ばした<アヌビス>はそのまま返す刀で黒いISを武器に<白式>へと殴りかかってきたのである。
 引くことは許されなかった。<アヌビス>の絶望的とも言うべき弾幕を掻い潜る事は犠牲なしには有り得ない。そしてこの場合犠牲になるのは自分ではなく仲間の安全。

「一夏くん!!」

 この場にいる更識の<ミステリアス・レイディ>が水で構成された流体装甲へと氷の甲冑を変化させる。
 氷の装甲が相手の攻撃を拒む堅牢な鎧なら今のそれは相手の運動エネルギーを柔らかに受け止めるしなやかな弾力を備えている。彼女の判断は正確で確実だった。<ミステリアス・レイディ>を可能な限り姿勢を低くし、相手の鋼鉄の殴打を柔らかく上方向へ受け流したのである。
 その下方向にできた隙間に一夏は<白式>を滑り込ませた。 
 頭上を鋼色の暴風が駆け抜けるのを感じ、肌をあわ立たせながら彼は待ち望んだ近接戦闘距離に踏み込んだことを悟った。<アヌビス>は空振りを悟ると腕に掴んでいた黒いISを放棄する。
 だが――遅い。<白式>の零落白夜を叩きこもうとした一夏は、<アヌビス>の腕に緑色の光を放つ小さな石のようなものがいくつか握られているのを確認した。攻撃? しかしようやく手にした至近距離をみすみす逃すなどできない。一夏は被弾の覚悟を決めて雪片弐式を振り上げ――投擲されたそれを払いのけようとして。

<白式>が――まるで金縛りにでもあったかのようにまったく動かなくなった

「なん……どうして?!」

 驚きの声をあげる。先程の緑色の石が<白式>に吸着し、強い光を放っていた。
 驚愕に顔を染める一夏に<アヌビス>はその腕を振り翳し、ヘッドセットごと顔面を鷲づかみにする。そのまま片腕一本で持ち上げ、投擲の姿勢へ。緑色の石のようなものが<白式>の行動を封じ込めていることは理解できたものの、まるで全身の神経が切断されたように指一本すら自由にならない。
 瞬間、背中から地面へと叩きつけられ――あまりにパワーに<白式>の体躯がバウンドし、空中へと跳ね上がる。そのまま再度地面へと叩きつけられることを覚悟した一夏の<白式>は、突然なんの脈絡もなく空中で静止した。

「度胸と気迫は褒めてやるが、技量はまだ甘いな」

 見れば黒いISに身を包んだ眼帯の小柄な少女の操るドイツ製の第三世代<シュヴァルツェア・レーゲン>が右腕を掲げていた。……最新の兵器カタログで聞いたことがある、アクティブイナーシャルキャンセラー。積極的慣性相殺機能とでも言えばいいのだろう。自機の慣性を相殺し、従来では有り得ない機動力を発揮させるISの根幹技術の一つであるPIC(パッシブイナーシャルキャンセラー)を、他者にも適応できる第三世代兵器――通称『停止結界』だ。おそらく彼女はそれを<白式>のカバーに扱ったのだ。

「……結果で挽回する」
「当然だ」

 一夏の短い返答に、わずかに愉快そうにするラウラ。後方から上がってきた<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>と合流し、再び突撃を開始する。




「……山田先生、奴の先ほどの攻撃は?」
「接触と同時に<白式>のエネルギーバイパスに対する干渉がありました。……浴びると一時的に行動不能に陥る一種の拘束兵器と推測されます」
 
 千冬教官は、未だ全ての手を見せない<アヌビス>に寒気がする思い。
 敵機を追尾するホーミングレーザーに強烈な真紅のエネルギー塊。桁外れのパワーに大出力ビーム兵器。完璧なステルス性能に拘束兵器。奴はあの体躯にあとどのぐらいの武装を搭載しているのだ? 未だに相手の全力に対して推察すらできない状態に指揮官としての責任に肩が重みで潰れそうな思い。
 今ここに自分の専用機であった<暮桜>があれば――自らの無力を、今は嘆くしかなかった。

 


「ちょっとー……さすがにお姉さん一人は荷が重いよ……!!」

 四方八方から降り注ぐ致命の槍撃。風車の如き旋回から降り注ぐ滝の如き刃をしなやかな柳のように受け流しながら、楯無は愛機の能力のひとつ、『清き熱情(クリア・パッション)』の前準備段階に入りつつ時間を稼いでいた。霧のように濃くなる湿度は、彼女の意思一つで炸裂する爆弾となる。
 彼女がたった一人で<アヌビス>の圧力に抵抗し闘えていたのは――その槍術が確かな理屈に基づいたものであったからだ。武術家としても水準を遥かに上回る実力者の彼女は、その槍の動きが専門的な訓練を受けた確かな技術体系によるものであると看破している。

(……しかし、まるで機械的なまでの正確さよね)

 叩き込まれる横殴りの一閃――それをバックブーストと共に受け流した楯無は、<白式>の接近を確認したと同時に後退を始める<アヌビス>に他の仲間とタイミングを合わせて突入する。
 ……やはり、<アヌビス>は<白式>の零落白夜に対して強い警戒をしている。逆に言えば――当たれば確かにダメージが入るのだ。

「行くよ、合わせて!!」
 
 シャルルの<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>が六十一口径アサルトカノン『ガルム』での射撃を開始する。
 相手を狙うのではなく大量の弾をばら撒くような拘束射撃に<アヌビス>は回避機動とシールドを絡めて防御行動。反撃を加えようとしたところで――。

「どかーん!!」

 更識がおどけた口調で、清き熱情(クリア・パッション)を起動。空気中に散布した水蒸気に含まれたナノマシンを一斉発熱。瞬間、熱波が<アヌビス>を包み込んだ。もっともこの程度でダメージを受けてくれるなら苦労はしない。相手が反撃しようとシールドを解いた瞬間に叩き込んだ一撃で意識を逸らすことのほうが本命だった。
 




『警告無しで浴びたぞ、確認できなかったのか?』
『脅威度の低さで必要なしと判断しました。ご不満ですか?』
『いや、お前のオペレートは正確だ……!!』
 
 熱波による衝撃――当然<アヌビス>はそんな一撃では毛ほどもダメージを受けない。
 
『攻撃接近』

 こちらへと迫るのはロケットモーターによって飛来する四基のワイヤーブレード。<シュヴァルツェア・レーゲン>から放たれたそれがこちらへと接近する。IS相手ならば多少は有効な武装なのだろうが――<アヌビス>の動きを追いきれる訳がない。回避行動に出ようとした弾は、機体の挙動に妙な重さを感じる。すぐさまデルフィに確認。

『状況』
『敵機からなんらかの力場兵器が用いられているものと推測します』
『行動に支障は?』
『当然、ありません』





「こいつ――!! 停止結界を力で引き千切るつもりか……!!」

 ラウラは右腕を掲げながら相手へと照射したAIC、通称『停止結界』の中で平然と動き始める<アヌビス>に瞠目した。
 計算なら<甲龍>の衝撃砲――純軍事兵器の一撃すら停止させられるそれを浴びながらも<アヌビス>は体に僅かばかりの重石を化せられた程度にしか感じていないのか、出力を上げる……ただそれだけで対抗してみせた。そのまま槍でロケットモーターの先端をはじき飛ばす。
 だが、それでも奴も自機の動きに制限がかかることを嫌ったのだろう。<アヌビス>は行動を阻害する能力を持った<シュヴァルツェア・レーゲン>の停止結界に対し相手を撃破する事を選択。掲げる右腕より再び吹き上がる真紅の粒子――それを見て一夏の脳裏に思い起こされるのは臓腑で形成されたようなエネルギー塊の一撃……<ブルー・ティアーズ>をたったの一発で撃墜した恐るべき魔性の砲撃に伴う凶光だ。

「構うな!!」

 返答はラウラの叫び。軍人である彼女は、戦力差からこれが恐らく数少ない機会の一つであり――あとは時間が経つほど戦力をひたすらすり減らすのみであると悟った。
 停止結界により<アヌビス>のその僅かに鈍った挙動に付け入るように突撃する二人。二人の真ん中をエネルギー塊が突き抜けていく様にも振り向かない。それに対し――<アヌビス>はその場から動こうともせず、両腕を広げて左右方向へ何らかのユニットを投射。だがそれに構う事無く二人は突進。後ろであの恐ろしげな着弾音が鳴り響いた――風に混じる、ラウラの苦痛の声。

 振り向かない。

「確かに凄まじいシールドだけど!!」
「合わせ技ならどうだ!!」

 突進する<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>は量子変換の光と共に、第二世代最大最強の破壊力を持つ灰色の鱗殻(グレー・スケール)の名前を持つ大口径パイルバンカーを展開する。装填するのは過剰装薬された、砲身の寿命と引き換えに絶大な威力を誇る砲弾。
 そしてタイミングを合わせての零落白夜――シールドを無効化された状態で、<白式>の最大出力と第二世代のみならず、全世代最大最強のパイルバンカーの合体攻撃ならば……一夏とシャルルは無言のまま己の武器特性で連携し、完璧に息を合わせて瞬時加速を発動させようとする。
 
(……とった!!)

『やめろ、一夏ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 だから未だ中継室にいた箒の声の切迫の響きに、<アヌビス>が両方向へと繰り出し本体へと戻ってきたそれが何を捕らえてきたのか最初彼は理解できず。
 その巨大な捕縛アームで引き寄せられ、<アヌビス>の両の腕に捕らえられた青と赤が――<ブルー・ティアーズ>と<甲龍>であったと知った時、一夏とシャルルは血が逆巻くような恐怖感と共に、強烈な躊躇いに駆られて瞬時加速をキャンセルした。
 瞬間、こちらへと投げ飛ばされてくる二人を受け止める一夏とシャルル。戦闘不能になった機体すら武器にしてくる<アヌビス>。先程と違って攻め手にまるで容赦がなくなっている。まずい、と二人は判断する。一箇所に絡まった状態、ここであの真紅のエネルギー塊を叩き込まれれば一網打尽にされる……だが、<アヌビス>は攻撃を手控える。それが起動停止したセシリアと鈴の二名の命を奪うつもりがないための行動なのか、それ以外の理由があったのか。
 間をおかず突進する楯無の<ミステリアス・レイディ>――ランスに搭載されていた四連装ガトリングガンを発砲しながら接近。一夏ですら無謀と思える無防備な動き。
<アヌビス>は槍を掲げ、最小動作による鋭い突き――相手の真芯を狙い刺す。それは<ミステリアス・レイディ>の中心を流体装甲ごと貫きシールドを大きく削る。

「……かかった、『凍える知性(スマート・クリスタル)!!』
 
 だが――それこそ彼女の狙いだった。
<アヌビス>の槍を胴体に受けた<ミステリアス・レイディ>は瞬時に自機の装甲を氷結化させる。当然ながら<アヌビス>の槍の穂先をその身の中に捕らえたままで。槍を奪われた事に驚いたのだろう。<アヌビス>は残りの腕を<ミステリアス・レイディ>に向ける。
 
「……そうはさせるかぁぁぁぁ!!」

 その動きにシャルルが即応した。<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>は瞬時加速で一気に間合いを詰め、相手を振り払おうとした<アヌビス>のもう一本の腕に縋り付く。
 両腕を二機のISに封じられた形になった<アヌビス>は本機がもつ圧倒的なパワーでその拘束を引き千切ろうとし――その身に絡む眼には見えない力の鎖に動きを止めた。

「今だ、やれぇ……!!」

 半壊状態になった<シュヴァルツェア・レーゲン>を起き上がらせながら左腕を構えたラウラは叫ぶ。
 右肩に搭載していた大口径レールキャノンは完全に全壊していた――至近距離まで迫ったあの強力無比の砲撃に対して大口径レールキャノンを至近距離でパージし相手の砲撃に反応させたことにより、直撃『のみ』は回避して見せたラウラは、機体の被害を無視し、彼女達が繋いだ勝利への一瞬をより確実なものにするため、出力系統が焼け付いても構わないほどの勢いで停止結界を発動させる。
 両腕に絡む二機のIS――それを振り払おうとする<アヌビス>に絡みつく停止結界。そう――全て相手の動きを封じ込め、零落白夜を確実に叩き込むため。

「箒、鈴、セシリア……力を貸してくれ!!」

 その思いに応えるべく――瞬時加速を発動。最大の機会に、一夏は零落白夜を振り上げ――。





 












 しかし、それでもなお、<アヌビス>には届かない。













<アヌビス>の全身から高出力状態に発生する真紅のバースト光が放たれる。意図的に発生させたエネルギーのオーバーフロー状態。コップに注がれた水が限界を超えれば零れ落ちるのと同じように、通常時とは違う最大出力状態に発生する余剰エネルギーの直撃を浴びた<ミステリアス・レイディ>と<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>が凄まじい勢いでシールドエネルギーを磨耗していく。その様子に二人は表情を凍りつかせた。

(……違う!! これは――攻撃ですらない! ……ただ相手が出力を上げただけ……!! 心底……ばけ……もの、め!!)
(機体から垂れ流しただけのエネルギーでさえISを行動不能に陥れるの?! だ……だめ、勝てな……い……!!)

 先にシールドが限界を迎えたのは<ミステリアス・レイディ>――絶対防御が発動し、崩れ落ちた彼女には眼もくれず、もう一方の腕にシャルルをしがみつかせたままベクタートラップから武装を引き出す。
 振り下ろす零落白夜――だがそれの特性とはあらゆる『エネルギーシールドを無効化、消滅』であり当然ながら確固たる物理的装甲を貫通することはできない。

 展開されるのは盾。

 それは<アヌビス>に唯一有効な武装である零落白夜を、この上ない完璧さで受け止めた。
 鉄を切り裂く手ごたえではなく、防がれた衝撃が一夏の顔を驚愕に歪ませる。
 反撃は盾による殴打。叩き付けられる<アヌビス>の一撃に吹き飛ぶ<白式>――その前で悠々とシャルルを引き剥がし、相手に至近距離で放たれる真紅の光弾――ノーマルショットの一撃を浴び、機体の耐久限界付近まで来ていたシャルルは声も出せずに崩れ落ちた。そのまま<ミステリアス・レイディ>の氷結装甲に突き立ったままの槍を引き抜く<アヌビス>。
 ……全滅? 恐れが一夏の心に否定し難い感情を生み出す。

「まだだ……まだ!!」
 
 それでも、一夏の瞳に絶望と敗北を受け入れず、足掻こうとする意志の炎が燃え盛る。
 そして、彼を折るには徹底的に叩き潰すしかないことを承知しているかのように――ベクタートラップによる空間のうねりと共に、<アヌビス>の頭上に槍群の如きホーミングミサイルが一気に十発近く出現する。
 それが最早意地や気力でどうにかできる力の差ではないことを無理やり理解させられ――噴煙の尾を引きながらアリーナの上空へと飛翔し、頭上から<白式>と<シュヴァルツェア・レーゲン>に降り注ぐ致命的なミサイルの豪雨に最早回避するすべも防御するすべも失った一夏は、歯を噛み締め空を仰ぎ。

「負ける? ……俺が――こんな……ところで……!?」

 つぶやく声は、愕然の響き。
 絶望的な爆炎と業火の渦の中で、彼は意識を失った。











『戦闘終了。<アヌビス>の勝利です』










「……<白式>、<ミステリアス・レイディ>、<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>、<シュヴァルツェア・レーゲン>……全機……最終保護機能の発動を確認……しました」
「全滅……全滅だと……化け物め!」

 そのあまりの結果に、千冬教官の声は平時と違いほとんど罵声と化していた。
 最新鋭の専用機IS六機が、たった一機の正体不明機に全滅させられた――恐らく実際の光景を見なければ到底信じられないような光景に、千冬は唇を噛む。
 ISとは人類最強の戦力――それをたった一機で六機まとめて相手にして、そして全滅させるような怪物を相手にいったいどんな対処が取れる? 彼女の教え子たちはみな全員、あの<アヌビス>の搭乗者に生殺与奪の全てを握られており、それを止める術はもはやどこにもなかった。
 どうすればいい――どうすれば……そう俯いていた千冬は、山田先生が声もなく、息を呑む音に気づき思わずディスプレイに再び視線をやる。




 アリーナの中、彼は常識を覆しながら立ち上がった。

『そんな――有り得ない……一夏くんが……』
『馬鹿な……最終保護機能が発動した直後は誰しも気絶状態に陥るはずだ!! 無理をすれば死ぬ可能性もあるのに……よせ!!』
「……いや、千冬姉……これはなにもしなけりゃ結局死ぬっぽいじゃん」

 もう既に彼には<白式>もない。
 全身のあちこちからは悲鳴のような痛みが感じられる。いつものインナースーツもところどころが破れ果ててボロボロだ。あー、こりゃ後で拳骨を食らうな、と茫洋とした頭で考える。
 絶対防御を発動した後は気絶する――と確か座学で習ったものの、しかし意外と立ち上がれるもんだな、と少し笑う。
 
「わり……<白式>……もうちょっとだけ、付き合ってくれ」

 その望みに応えるかのように待機状態の<白式>が弱弱しく発光し――その手の中に雪片弐型が出現する。
 IS装着状態での使用を前提としたそれはあまりに重く、彼の体力では持て余すぐらいに巨大だ。それをバランスを取りながら――信じられないものを見たように、槍のように細い足先からランディングギアを伸ばし地上で直立したままの<アヌビス>へと向かう。
 ……ありがたい。空を飛ばれたら斬りかかれないところだった。微かに笑いながら、一夏は進んだ。




 弾は――<アヌビス>の中で幽鬼の如き面持ちでゆっくりと歩み寄ってくるかつての親友の姿に眼を見開いた。
 ISが持つ最終防衛機構。保有するエネルギーの全てを消耗し、搭乗者の安全を確保するこれまでの兵器とは一線を画す絶対的な保護機能。だがそれが一度発動すれば搭乗者は完全な気絶状態に陥るはずである。
 
『……なぜだ?』

 で、あるにも関わらずその常識を捻じ伏せながら彼は立ち上がっていた。
 呆然と、弾は呟く。

『デルフィ……すまないが、お前の声を貸してくれ』







『……なぜだ。なぜ立ち上がれる』

 一夏はそれが最初一体誰の口内から発せられた言葉なのか理解できなかった。成熟した女性の声のようでもあり、穢れを知らぬ無垢な少女のようにも思える――声の主を想像できないような機械的なまでに美しい声。美しすぎて現実味が無いようにすら思える声。

『……これは……<アヌビス>が学園のスピーカーをハッキングして音声に使っています!!』

 今まで徹底して無言を貫いてきた<アヌビス>の搭乗者が何故この状況で質問の声を上げるのだ? 一夏はいぶかしげに思ったが――体を劈く痛みで、そんな事などどうでもいいかと考える。

『何故お前はそこまで闘える。痛いはずだろう。苦しいはずだろう。辛くはないのか? 怖くはないのか?』

 一夏はどうでもいいことを、と口の中で小さく吐き捨てる。

『奇跡のような確率でISを使えるようになったお前は、自分の意思ではなく周囲の都合で戦いに加わる事を求められた。自ら望んだわけでもない理由で戦場に立った。望みもしない戦場からならば逃げても貴様を誰も責めはしない。何もかも投げ出して楽になりたいとは考えないのか? 腐らず挫けず諦めずに強敵に挑める理由とはなんだ? 立ち上がり挑む両足を支える意志とは何に由来する?』
「……声がするのさ。逃げ出せば生涯耳元で鳴り響く――恥という名の声が……」

 一夏は、笑う。それは疲れながらも、どこか獰猛な笑顔だった。
 
「寝ても、醒めても、あいつの声がな。……俺は30億の男の代表として残り465機……いや、多分あと三人程度は少なくなるか。まぁそんだけのISの全てと戦ってこれに勝利しなければならないなんて言ったが――ありゃ、きっと嘘だ。……俺が背負っているのは――結局のところたった一人だけの思いだった」

 よろよろとふらつきながらも、瞳の照準は、何故か微動だにしない<アヌビス>に注がれたまま。不意に視線を上にやる。

「なんで……おまえなんだ」

 空を見上げながら思い出して彼は言う。はぁ、はぁ、と大きく二度呼吸。背負う雪片弐型が重くて仕方ない。
 不可解な事に、戦闘においては無敵とすら言えた<アヌビス>が、まるで落雷に打たれたように動きが強張る。

「……本当は、ISはあいつが動かすべきだった。……俺が動かすべきじゃなかった。
 空に憧れて、ISに乗りたくて――夢焦がれて、でも男だから夢に挑む事すら出来ず落ちるしかなかった!! 想像できるか、あいつの悔しさが!! 理解できるか、あいつの絶望が!! 俺にとっちゃ30億の男の代表なんて重過ぎる。……俺が背負っているのはあいつの思いだけだ――なにがなんでも……負けるわけにはいかねぇ……俺はあいつの代わりに、この世の全てのISに挑んで……『男を舐めるな』と実力で証明しなければならないんだ……!! 『男だったから』と夢にも挑めなかったあいつの悔しさを晴らしてやるんだ!!」

 切っ先を向ける。刃が重さでぶれたが、それを気力で補正する。

「そこをどけ、<アヌビス>!! 俺はお前と遊んでいられるほど……人生に余裕がねぇんだ!!」
 
 その言葉に――沈黙を守る<アヌビス>は……ただ一言を持って、応える。

『……お前の勝ちだ。織斑一夏』

 その言葉は、泣いている様な響きを帯びていたようにも聞こえた。だが一夏はもう相手の言葉など聞いてはいなかった。
 ただ身体に残る渾身の膂力を込めて雪片弐型を振り下ろそうとし――それを投げ出すように崩れ落ちた。振り下ろされたそれは<アヌビス>に触れ――その体を通り抜ける。
 デコイ。
 センサーも視覚も完全に欺瞞する<アヌビス>の保有する力の一つ。本体が既にこの場所から離脱しているのだと悟る暇も無く、彼は地面に崩れ落ちた。体力も気力も限界を迎えた一夏は、そのまま眠るように意識を失っていく。

(……なぁ、俺は――お前に胸を張れる程度には……誇れる程度には……頑張れているか…………弾)
 
 何故か、一夏は、誰かに肯定されたような声を聞いた気がした。







『弾』
『……ああ』
『液体は機械の天敵です。その程度で故障する私ではありませんが、私は自分の性能を万全にする義務があります。ですから――』
『…………ああ』

<アヌビス>を待機状態へ移項。
 五反田弾は――自分の自転車の元に戻ると、沈む朝焼けの向うに見えるIS学園に視線をやった。先程まで自分が居た場所。今ではてんやわんやの大騒ぎになっている最中だろう。
 まるで、景色が違うもののように思える。世界の全てが歪んで見えた。
 目頭が熱い、瞳の奥から熱い情動が湧き上がる。ほおっておけば延々と体中の水分を――涙で浪費し続けそうだった。

「……一夏……お前は……」

 声が様々な感情で満たされ、簡単に出てこない。頬を伝う熱いしずくを拭おうともせず、言葉を吐き出す。

「俺が……あの時吐き出したあんな……醜い嫉妬の言葉――なのに、なのにお前は……そこまで真摯に受け止めてくれていたのか……!!」

 

『……力は正しいことに使え。 少なくとも、自分がそう信じられることにな』



 ああ、そうだ――思い出した。ジェイムズさんの知り合いのパイロット――リチャード・マリネリスさんが言っていた言葉。
 情けない。弾は自分の行動を思い出す。敗北感と自分自身に対する失望で、地面に四つんばいになりながら、悔しくて情けなくて、大地を殴りつける。ぼたぼたと涙が零れた。

「お前の勝ちだ……一夏!! 俺は手に入れた力に溺れて餓鬼みたいな顕示欲に駆られて、ISを扱えるお前が死ぬほど妬ましくて仕方がなくて、俺を選んでくれなかった翼を地の底に叩き落したくて――俺は……どう考えてもお前が思っているほど立派な努力家なんかじゃねぇ!!」
『……お言葉ですが。……敵は全て戦闘行動不能。先程の戦闘結果はどう考えてもアヌビスの勝利でした。貴方の発言は間違っています』
「良いんだデルフィ……あれは――俺の負けなんだ」

 一瞬――多分その一瞬で膨大な演算を行ったのだろうが……それでも弾の言葉の意味が分からなかったのか、珍しく戸惑ったようにデルフィが言う。

『……理解……不能です』
「……別にいいさ。人間ってのは不条理な部分が山ほど存在しているんだ」
『……私が人間を理解するには、膨大な時間が必要と試算します』
 
 一夏。
 彼の心が嬉しくて仕方がない。あいつは俺の無念を引き受けて世界の半分を敵に回す覚悟を示した。
 
「それに比べて俺は何をやっている……」

 同時に今の自分が醜くて情けなくて仕方がない。
 やった事と言えば、力に溺れて力を振るって――建設的な事を始めてすらいなかった。

「……負けられねぇ」
『負けていません。勝ちました』
「……いや、負けた」
『いくら貴方でも勝利した戦いを負けたと言うのはわたしに対する侮辱です。わたしは最強のオービタルフレーム<アヌビス>とその独立型戦闘支援ユニット・デルフィです。その言葉は私の性能に対する不審と見なします。訂正してください』
「……そういうところは、ムキになるんだな、お前」
『ムキになっていません。わたしは論理的なAIです。訂正しなさい』

 言葉こそなんら揺れのない冷静なものだが――言葉遣いがどことなくいつもと違う。ふ、と僅かに口元を笑みに歪める。可笑しさで、自然と涙の衝動は引いていた。

「そうじゃないさ、デルフィ。こういうのは――漢の格で負けたっていうんだ」
『……やはり、理解不能です』

 抽象的な表現はやはり苦手なのだろう。デルフィの声には珍しく強い困惑の響きがあった。
 
「……やっぱり、アメリカ行く前にあいつと一回逢おうかと思ったが中止だな。……情けなくて恥ずかしくて――正直気まずくて顔なんぞ会わせられねぇ。少なくとも――あいつの信念に対し、恥ずかしくない男にならない限りは……」

 弾は一人そう決める。
 妹の蘭はちゃんと秘密にしてくれているだろうか。……帰ろう、家に。そして事情を話したジェイムズさんには事の次第をつまびらかにする。きっと殴られるだろうが――弾は少なくとも自分の身勝手で引き起こした行為に対する明確な罰が欲しかった。

「子供をしかるのは親の役目って――あの人が言っていたもんな」

 そう言えば――俺はまだ15なんだな、と弾は思い出す。15歳で一夏は世界の半分を敵に回すと宣戦し、15歳で自分はISに匹敵する兵器を生み出そうとしている。なんだか自分達の存在がとても常識はずれな気がする。
 一夏は、男で唯一ISという力を手に入れ、自分は<アヌビス>という突出した力を手に入れた。
 親友同士の自分達が、だ。これも何かの因縁なのかな――そう思いながら弾は、自転車のペダルを漕ぐ。……やけに甘ったるい五反田定食のかぼちゃが、妙に懐かしく思えた。









































『<アヌビス>か。……六機のIS全てを敵に回して全滅に追い込む。……俄かには信じ難い情報だが』
『……現在、各企業、国家はISの開発による利益分配体制が完成している。今更この体勢を瓦解させる可能性のある兵器など不要だ』
『……左様。ISがあの束博士に生み出した直後なら兎も角な。今更国家の勢力バランスを覆す存在は無用の乱を招く』




『正体は――五反田弾。ふむ……どこからの情報だ?』
『亡国機業(ファントムタスク)――ああ。最近目立つテロリストか。なるほど、奴らの資金提供者は貴君か』
『まぁ、今はそのことに対して追及は致しますまい。……で、結論は?』





『無論、抹殺だ』






『……具体的には? 世界最強の戦力であるISを六機、全て敵に回して逆に勝利するような怪物をどうやって』
『力は無理だな。……色や金では?』
『流石に警戒されるでしょう。……事故を装って殺します。具体的な手段は一任して頂けますか? 百人ぐらい巻き添えにしますが』
『構わん』



『織斑一夏はどうしますか?』
『現在の女尊男卑体制に対して異議を唱えるか――しかしこういう芽は早い目に潰しておくに限る』
『しかし束博士の縁者ですが。あの怪物を敵に回しますぞ?』
『心配ない。殺し屋を既に差し向けた。こちらも訓練中の事故に見せかける』
『ああ、デュノア社の……なるほど。娘に殺しをやらせて<白式>の実働データも可能であれば盗ませるか。自分の娘に畜生働きをさせるとは、見事な愛社精神ですな』
『あれは進んで仕事を引き受けてくれた。いやはや、娘の鏡です』
『余命幾許もない母親の治療費全額負担を条件にしておけば大抵頭を縦に振ると思いますが――まぁ、ここにいる全員、同じ穴の狢ですがね』
『確かに貴社は落ち目ですしな。劇的なカンフル剤は必要でしょう。成功を祈っております』
『ありがとう。……では、緊急の案件はこんなところですかね』
『ええ。そろそろ、閉会いたしましょう。妻がミートパイを焼いて待っておりますから』














先週のNG

 前回のNGで、一番不幸なのはセシリアと書かれていたが、実際は真剣に作者にすら忘れられていた箒さんは一人中継室で涙ぐんでいました。




今週のNG



『<デルフィ>か。……六機のIS全てを敵に回して全滅に追い込む。……どうでもいい情報だが』
『……現在、娯楽産業はアイ○スやボーカ○イドの開発による利益分配体制が完成している。この体勢を瓦解させる可能性のある萌えAI開発は必須だ。この場所にいる全員の心がデルフィ萌えで合致している』
『……左様、お蔭で先日もゲーム機器の酷使のせいでうちのX箱が故障した。もうア○シンクリード最新作をボルジア公をアサシンしてから一度も起動していない。あの引きはちょっと卑怯だろう』



『正体は――五反田弾。ふむ……どこからの情報だ?』
『亡国機業(ファントムタスク)――ああ。最近目立つスカウト業者か。なるほど、奴らの資金提供者は貴君か。しかし中身は真剣にいらん』
『まぁ、今はそのことに対して追及は致しますまい。……で、結論は?』








『無論、デルフィ嬢のアイドルデビューだ』









『……チケットは何枚用意しますか?』
『目標は一千万。自腹で千ほど購入する用意がある。企業トップをやっていてよかった。愛を札束で示して見せよう』
『流石に警戒されるでしょう。……偶然を装ってスカウトします。具体的な手段は一任して頂けますか? 十億ぐらい使いますが』
『構わん。はした金だ』







『織斑一夏はどうしますか?』
『現在の女尊男卑体制に対して異議を唱えるか――しかしそんな事は心底どうでもいい。むしろ千冬姉は未だにアイドルデビューを快諾してくれぬか?』
『しかしもし許諾してくれたとしても、束博士の縁者ですが。あの怪物を敵に回しますぞ?』
『心配ない。彼女が普通の一般市民だった頃から地道なストーキング作業で得た秘蔵写真を100枚送りつけた。彼女には全面的に協力してもらえる事になっている。それに織斑一夏の方も一緒に贈りつける』
『ああ、デュノア社の……なるほど。娘に男装させ同じ男同士という立場を利用し、盗撮をやらせて<白式>の実働データも可能であれば盗ませるか。自分の娘に盗撮働きをさせるとは、見事な愛社精神ですな』
『むしろ<白式>のことなんぞどうでもかまわん』
『アイドルデビューの資金全額負担を条件にしておけば大抵頭を縦に振ると思いますが。娘のアイドルデビューを素直に祝福してやれぬとは――まぁ、ここにいる全員、同じ穴の狢ですがね』
『そう、我々は全員AI萌えだ。デュノアの社長は……少し違うようですが』
『当たり前だ。自分の愛娘をなぜ好き好んで他の男どもの衆目に晒さねばならんのだ』
『しかし、結局愛娘のたっての願いとあっては言う事を聞かねばならぬとは。はは、父親も複雑ですなぁ。素直にお金を出してあげればいいのに』
『もちろん、シャルル嬢のデビューには馳せ参じますぞ。我々が仕事を休む事で世界経済に影響が出ますが――まぁ仕方ありますまい』
『既に横断幕とメガホンも用意しました。いささか気が早いですかな?』
『我々の仕事は常に未来を見据えねばなりません。慧眼です』
『では、議題はそろそろ出尽くしましたかな?』
『ええ、では。そろそろ彼女達のアイドルデビューに備え、観客席から舞台に届くように発声練習を始めましょう。L・O・V・E、LOVE ME デルフィー!! L・O・V・E、LOVE ME シャルル!!』
『声が小さい、もういっちょこーい!!』
『よっしゃああぁぁぁぁぁぁぁ!!』





『デ、現在の状況は? ルールブックの作成は順調か?』
『ルールブック……ああ、もちろんです。AI萌えに纏わる全てを凝縮した書庫を用意しております』
『フフフ、問題はない。ページも編纂作業を終え、あとは印刷ラインに乗せるだけです』
『ィイ……ィイぞ。AI萌えは良いな』
『かつて二次元三次元の少女たちを追いかけていましたが……あの日々に比べ、なんと充実している事か』
『わたしもこの会に入って、ようやくAI萌えを理解できました』
『いや、それは私も同様ですよ。ここに来た事に運命を感じます』
『いい話です。AI萌えに集った同士ら、彼女にデビューを許諾して頂けるため力を惜しまぬようにね』



 連携が取れすぎている良く訓練された黒幕達だった。
 
 わからなかったら、縦によんでください。


作者註

 本日は休日だったので、お外に外出と思ったら雪で身動きできないのでかきかきしました。おかげでチョコを一個ももらえません。
 ……嘘です。どっちにせよ一個も貰えなかったでしょう。仕事だったら職場の先のおばちゃんから義理チョコを貰う可能性もありましたが。(えー)

 とりあえずやる夫板さんで、Z.O.E Dolores, i がはじまって嬉しいぜ。
 ……しかし、書いておいてなんだが、これ、本当にIS本編と空気違いすぎると思う作者でした。



[25691] 第八話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/20 20:28
「お兄ぃ、どうしたの? なんだか顔色悪いけど」

 弾は――顔を蒼褪めさせながら、自宅へと戻ってきたものの何処となく顔色が悪い事を蘭は見て取った。
 妹としては以前から兄の様子に色々と心配はしていたから、明らかに違う様子の兄の姿に思わず声を駆ける。

「あー。……蘭ちゃん。別に気にしないでくれ。ちょっと陣痛らしい」
「……ジェイムズさん、そりゃ腹痛だ。一文字違いだけど内容は天と地ほど差があるぜ」

 ぽりぽりと頭を掻きながら、どうやって子供をあやせばいいのか迷う大人みたいにジェイムズが言葉に詰まり、弾は顔色を悪くしながらも無理した笑顔を浮かべてみせる。

 お兄ぃは嘘を付いている。
 蘭はそれを敏感に察知していた。生まれてこのかた一緒に育てられた兄のその反応と子供の頃から自分達を可愛がってくれたジェイムズさんの様子を見れば分かる。兄は子供の頃から飛行機オタクでISマニア。女性しか乗れないにも関わらず専門用語が頭の中にある変わった人だけど――ただ、同時にジェイムズさんの奥さんのレイチェルさんの弟子でもあった。
 それこそ実際に合った回数は片手で数えられる程度だけど、兄は量子コンピューターの専門家でもあるレイチェルさんから教えを受けている。一度覗かせてもらった蘭が、あまりの難解さにちんぷんかんぷんで目を回してしまったぐらいだ。……別に彼女の頭が悪いわけではない。むしろ中学の生徒会長を務める彼女の頭は同年代の少女達の水準の中でも水際立っているだろう。
 ジェイムズさんも嘘を付いている。あの表情は、レイチェルさんに健康管理の名目で一日に呑む事が許されたビールの本数が実際よりも多い事を告げ口した蘭のせいで詰問された時の顔。しどろもどろになりながら妻の機嫌を取ろうとする見苦しいおっさんの表情だ。
 最近は、レオンとノエル――レイチェルさんとの間の息子さんと娘さんからも馬鹿親父駄目親父と罵られるようで、蘭との会話は素直だったころの子供達と会話しているようである種の癒しとなっているらしい。そういうあの人のだらしない顔は見慣れているから良く分かった。




 二階の自室に上がった二人を見送りながら、蘭は密やかに決心する。

「……いいもん、お兄ぃとジェイムズさんが私に嘘を付くなら、私も嘘付くから」

 織斑一夏と五反田弾。兄とその親友が絶縁状態になってからもう何日が経過しただろうか。そして、お兄ぃはそう遠からぬうちにアメリカに行く。それも大手と比べて規模が小さくなったとはいえ、IS関連の企業の一つネレイダムに招聘されてだ。以降はアメリカの高校に通いつつ進学するらしい。
 流石に両親も難色を示したとはいえ、息子の将来が輝かしいものになるとなれば黙って送り出す事にしたらしい。
 
 ……多分、お兄ぃがアメリカに行ってしまえば、一夏さんと会うことはもっとずっと難しいこととなるだろう。あの二人が、仲の良かった親友同士が長い間和解もせず離れ離れになるのは、きっとよくない。

 蘭は電話を掛ける。相手は中学時代の兄と一夏さんの親友である凰鈴音。
 弾が予約した飛行機のチケットは既にこっそりと改めている。それを見ればアメリカに行くにはもうあまり日数に余裕はなかった。
 
「……もしもし、凰さん?」

 問題は、彼女が一夏さんを引っ張ってこれるか――そこになる。
 でもまぁ、その程度の事は問題ないと蘭は考えていた。




『で、結局、貴方は来週の便で来るって訳ね、ジム』
「ああー……すまない、レイチェル」

 一人、弾の部屋でPCを使ったテレビ電話で会話しながらジェイムズは画像の向こう側のレイチェルにしどろもどろになりながら応えた。本当は今ジェイムズが間借りしている部屋に設置できればいいのだが、彼としては空を飛ぶ機械なら一発で操縦方法を一発で把握できるのだが、こういう細かな精密機器の操作は苦手だったので弾に操作を頼んでいる。
 本人は『ごゆっくり』と悪童めいた笑みを浮かべて下の階に下りていった。その直後蘭ちゃんの焦ったような声が聞こえたが、あれはなんだったのだろう。
 画面の向こう側にいるのはレイチェル。二児の母でありジェイムズの同年代であるのに、目元の小じわを除けば結婚当初の美しい容姿を未だに保持している美しい妻――当時まだその性能が世に知られていなかった頃からISの量子コンピューターに関して高い知識と能力を持っていた新進気鋭の科学者だ。当時空軍のトップガンだったジェイムズは一目で彼女にほれて数日後には結婚を申し込んでいた。
 そんな妻の前でしおれているのはジェイムズ。空軍を辞めさせられ、男のプライドが地に落ちた後は――IS関係で急に花形部署になった量子コンピューターの専門家となったレイチェルに見劣りしたような気がして失踪していた彼は、その負い目から未だに妻に頭が上がらない。

 おまけに――きっとジェイムズは、レイチェルの弟子とも言える弾といっしょに渡米するものと思っていたのに、家の引き払いや退職やもろもろの手続きで一週間後の便で向かうと聞いて、喜びと落胆が相殺したような表情だった。




「……で、そっちのナフス社長はなんて?」
『基本的に雑務は秘書の楊(ヤン)さんが取り仕切ってるけど――そうね、流石に難しい顔をしていたわ』

 時代を変えるかもしれない新機軸の兵器であるオービタルフレーム。現在唯一存在している<アヌビス>を用いた、専用機六機への攻撃行為。
 いわばオービタルフレームそのものがテロリスト行為に使用される兵器という色眼鏡で見られる可能性が出てきた訳だ。
 もちろん――正直に全てを話した弾はきっちりとジェイムズに殴られた。彼が顔を蒼褪めさせていたのは、妹の蘭に心配されまいと殴られる部位を腹と指定したからである。

『でも――それを差し引いてもあの子が送ってきたウーレンべックカタパルトの理論は完璧だわ。論理的な齟齬は何処にもない、というのがネレイダムの主要な技術者の回答。資材と資金が足りるのであれば現在の技術で建築可能よ。彼をネレイダムに引き入れる事は、IS学園に乱入した彼をその身に抱え込むリスクを遥かに上回るリターンがあるというのが結論よ。……ねぇ、ジム』
「どうした?」

 愛しの妻の物憂げな様子にジェイムズは首を傾げる。
 
『……弾は――おかしいわ』
「まぁ普通で無いというのは分かるが。……どうしてそう思うんだ?」

 弾の言葉が正しければ世界最強のIS、それも最新技術がふんだんに盛り込まれた専用機を六機まとめて相手して勝利するような文字通りの化け物だ。そんな代物を誰がなんのために作ったのか。

『あの子は――先週ラダムさんと結婚して産休を取ったドリーと同じくわたしのもう一人の弟子みたいなものよ。わたしも色々と量子コンピューターに関する知識を教えたけど……』

 そこで言葉を切り、考え込むレイチェル。違和感の正体を掴んではいるけれど、なんと言えば他人に正確に伝わるのかを熟慮しているようだった。

『……まるで。そう、まるでわたしが教えた授業を切欠にして――メタトロンや量子コンピューター技術を『思い出している』ように思えるのよ』
「おいおい、有り得ないだろう。あいつはまだ15ぐらいで、そんな年齢で専門分野に深い知識なんかあるわけが――」
『証拠はあるでしょう、ジム。……ウーレンベックカタパルトの基礎理論。あの歳の子供があんな高度な設計図を引けると思う?』

 そう言われれば――確かに。戦闘機の設計図ならその意味程度は理解できるが、大の大人のジェイムズがちんぷんかんぷんな内容の設計図を、いくら頭がいいからといってあの歳の子供が引けるわけもない。ジェイムズは難しい顔をする。
 
「その仮定が正しいとして――いったいどこでそんな知識を?」
『……わからないわ。……でもそれを言うなら<アヌビス>の存在自体が有り得ないはずよ。ジム、一度機会を設けてデルフィと話をしてみるわね。彼女が<アヌビス>のパイロット――ええと、フレームランナーのサポートを目的としているならその疑問の答えを持っているはずだわ』
「だな。……ただ、素直に応えてくれるとも思えねぇが」
 
 あれは多分『貴方にはその情報にアクセスする権限がありません』という言葉で拒絶するタイプだ。人間のように融通を聞かせるという事が苦手なのだろう。AIだから当然だが。
 
 



 翌朝の出発、空港での見送りはいいと家族には言った。
 だから父母は五反田食堂でむっつりしたまま激励するように弾の背中を叩くだけで、母はいつものようにおっとりとした微笑で『がんばりなさい』と励ましてくれただけ。蘭はどこかに電話してから、慌てた様子で兄を見送ってくれた。弾はそれを見て、かすかに笑い返してから――

「行ってきます」

 そう応えた。
 休日をねじ込んだジェイムズのご好意で車に乗せてもらい、空港に向かった。
 窓の外を見れば、懐かしい光景が流れていく――流石に故郷とも長い間お別れと思うと、感傷的にもなろうものだった。
 そんな光景を穢すように――時折覗くのは未だに癒えぬ弾痕の傷跡。数日前、正体不明のISと交戦した損壊が、未だ惨たらしく残されていた。

「お前は……良くやったよ」

 振り向けばハンドルを握ったままのジェイムズが、かすかに笑っていた。意味がわからず首を傾げる弾に彼は続ける。
 
「この町を守ったじゃないか」
「……大層な理由じゃないさ、ジェイムズさん」
 
 そうだ――大した理由ではない。弾はそう思う。
 あの何処の組織の人間か分からぬ工作員は、そもそも一夏や自分がいなければやってこなかっただろう。自分がいたから攻撃を仕掛けてきた相手を撃退したからといって、褒められるのはどこか筋違いな気がした。……もちろんその経緯も全てジェイムズには話してある。

「それでもさ」

 だが、ジェイムズは笑いながら弾の言葉に応える。
 
「別にお前が何を考えて何を思い何のために闘ったかなんてどうでもいいんだ。お前は身を守るために闘ってそしてこの町が傷つかないように振舞った」
「……マッチポンプな印象が自分じゃ拭えないんだけどよ。……そういうもんかな」
「感謝ぐらい素直に受け取っとけ。……俺はな、弾。お前が大人になるのが楽しみだ。お前と一緒に酒を飲むのが愉しみだ。……親父さんから聞いたぞ? 家の酒に手を出したんだって?」

 あの日、一夏に己の隠していた心情をぶちまけたあとの醜態を指摘され、弾はバツが悪そうに俯いた。
 
「男がそういう情けない振る舞いをするのは……褒められたことじゃない。ただ、大事に思っていたものが失われた時、堪え難い悔しさを覚えた時、それが大切であればあるほど落胆は大きいもんだ。……いいか、弾。そう考えるならお前は俺よりもずっと上等な部類だぜ?」
「……そうだな」
「そこは否定しろよ」

 苦笑する弾。確かに弾は立ち直った。長い期間、空軍パイロットを解職されたジェイムズと比べれば遥かにマシな短い時間で。ジェイムズは言う。

「俺の場合……俺はさっさと家族の元に帰るべきだった。レイチェルやレオン、ノエルのいる家族の下へ。……いいか、弾。友人や家族は喜びを大きくし、悲しみを小さくする。お前は誰にもその嫉妬心を吐き出すことができずにいた。……だが――そのお嬢ちゃんのお蔭で、お前は悲しみを大きく和らげることが出来た」
「……ん」

 弾の言葉に、デルフィは少し戸惑ったような声。

『わたしが、ですか? ……しかしわたしは弾の精神的カウンセリングに類する行為は何一つとして行っていません』
「いや、お嬢ちゃん。そういう事をしなくても、単に話を聞いたり、話し相手になったり、それだけで人間は救われるもんだ」
『そうなのですか?』

 デルフィの言葉に弾は小さく頷いた。……<アヌビス>という空を飛ぶ力を得たという事は大きい。ただ、もし実際に<アヌビス>という力が存在せずとも、デルフィだけが居ても――きっと弾の胸に宿る激しい嫉妬と憎悪の炎は大きく和らいだだろう。
 ジェイムズは言う。

「いいか、弾。俺からの助言だ。……お前はとんでもなく大きい事をやろうとしている。世界に広がる女尊男卑の風潮に真っ向から挑み、男に夢を取り戻させる夢だ。相手は世界全体で、成し遂げるには大きな苦労をしなくちゃならない」
「覚悟の上さ」
「……だろうな。だから、この言葉を贈ろう。『たった一人で行ける場所などせいぜいたかが知れている。……お前のために闘う仲間を大勢作れ』――まずは、俺が最初の一人だがな」

 そう……男らしく力強い笑みを浮かべるジェイムズに、弾は大きく頷く。
 空港はもう、間近にまで迫っていた。





 
 代表候補生として、凰鈴音はその小さな身体に国家の顔としての誇りを背負う事を覚悟した。
 故郷に錦を飾るとか――当時不仲だった両親が年を経るごとに仲が悪くなる様子を見たくなかったから寮に入ったとか、そういう小さな切欠はあったように思う。でもISの事を本格的に意識したのはあいつのせい。
 まぁ――最初の第一印象は少し変な男だった。
 赤みがかった髪の色に、どことなくおちゃらけた発言。どこか軽薄な様子に反して常に学年主席。そして、生粋のISオタク。
 正直な話、ISをアイドルチックな扱いにする雑誌は結構それなりにある。軍事兵器とワンセットになった妙齢の女性の姿。ボディラインがあらわになったスーツと一体化した武装と装甲。機械や兵器などの、いわゆるミリタリーものの専門雑誌の発行部数が近年うなぎのぼりになっているのはそのあたりの理由がある。
 だから、最初、鈴が一夏に紹介された時――熱心な顔でミリタリー雑誌を食い入るように見ていた弾を見た時正直かなり引いたものである。

『……えっと。あんた、変態?』
『……まぁその辺の誤解は既に慣れっこだけどよ』

 彼に対する誤解が解けたのは、中華料理屋を営んでいた鈴のライバル店である五反田食堂に遊びに行ったとき見せられた――本棚を占める綺麗にラベリングされた雑誌の山。
 ISがこの世に生み出される前から存在していた戦闘機や戦車のミリタリー雑誌達が綺麗に本棚に並べられていたのだ。ISのために実戦からもうすでに駆逐された兵器達、既にこの世には存在しなくなった絶滅種達の一覧がそこにあった。

『あんた、本物だったのね』

 実際のところ、当時の鈴は、彼のことを本物の変人、生粋の兵器オタクと評したのであるが――。

『ああ』

 弾は――その言葉に何よりも誇らしげに、嬉しそうに微笑んだのだった。
 鈴は、そういえば、と思い起こす。……あの時も――この胸の疼きを感じた。同様に、弾がアメリカに飛ぶという蘭の言葉を聞いたときも同様の正体不明の息苦しさを感じた。それの正体はなんなのか。その答えを解明しないままでいるのは、彼女は何故か絶対に駄目だと感じていた。





「一夏!!」
「ああ、急ごう、鈴!!」

 織斑一夏と凰鈴音はタクシーから会計を済ませて飛び出ると、空港へと走り出した。

(……冗談じゃない、アメリカに行く……だって?! 俺に……一言もなしにか?!)

 一夏が最初――鈴にその言葉を聞いた時、背筋に震えが走った。同席していたは、全員が全員、万事端然としていた彼が目に見えて動揺した事に驚いたものの……僅かなりと事情を知るセシリアと箒の二人はその二人が緊急で外出する事を認めてくれた。
 二人は急いでいる。
 弾がこれから向かうのはアメリカ。
 ……ネレイダムに就職する若い前途有望な技術者と、世界で唯一のISを使える男。もしこの機会を逃せば、立場に縛られる親友同士はおおよそ年単位で再会する事が叶わなくなるだろう。……それはいけない。そう考えた蘭には正直感謝してもしたらなかった。

(……俺に黙っておいてくれって――お前は……やっぱり俺を嫌っていたのか?)

 走る、走る、走る。
 急ぐから、急がねばならないから走る。酸素の足りなくなった頭で考える。やっぱり弾の奴は怒っているのかもしれない。考えてみれば密かにISに憧れていた男の前であんなにも無神経な事をやったのだ。あいつは自分の顔を二度と見たくないと思っているのかもしれない。休日の日、開いた時間に直接五反田食堂に足を運んでみれば良い――だがそう思いつつも休日に、より過酷な訓練を自分自身に課していたのは直接顔を会わせた際、明確な拒絶の言葉を叩きつけられるのを畏れていたからだ。
 でも、今は――あいつがアメリカに行くと聞いて両足は迷いなく駆け出している。今だけは、この世の全てのISと戦い勝利するためではなく――あいつが飛行機に乗り込む時間に間に合うようにトレーニングをしていたからだと、長い間走り続ける事が出来るように訓練していたのだと思う。
 
「一夏、あれ!!」

 鈴が指差したのは、人ごみの中でも一際目立つくすんだ金髪の巨躯の男性、鈴や一夏の年長の友人であり――同時に弾にとっては世代を越えた親友ともいえるジェイムズ=リンクスは、足早に掛けてきた二人に気付くと――ただ黙って笑みを浮かべて、指先を、ゆっくりタラップと接続した旅客機に向けた。

「すみません!」
「ありがとう!」
「頑張れよ、二人とも!!」

 仕草のみで必要な情報を受け取った一夏と鈴は、一分一秒が惜しいと言わんばかりに短く感謝の言葉を述べると、そのまま駆け出した。
 その背を見送りながら、ジェイムズはかすかに笑う。大丈夫だ、あいつは大丈夫――友人のために必死で駆け出す奴がいるのだから、今は遠くても、再びその手を取り合う日々が来るのだと確信した。

「お前のために闘う仲間を大勢作れ――か。……順調じゃねぇか、弾」



 
 

 日本の空気ってのは味噌と醤油の影響があるとかどこかで聞いた気がする。そしたらアメリカはハンバーガーの肉の味でもするんだろうか。弾が、旅客機に乗り込む順番を最後にしてもらったのは――心のどこかでもしかしたら、という思いを捨て切れなかったのかもしれない。
 一夏、俺の親友――だった男。
 会いたいような、そうでないような――あの時、<アヌビス>を操る弾の前で一夏が叩き付けたあの啖呵を思えば、自分は要らぬ寄り道ばかりをしていたような気がする。今度は迷う事はない。次に会う時は、オービタルフレームの基礎理論を叩き上げ、火星、木星に足を伸ばし人類の活動範囲を大幅に広げてみせる。俺の言葉を真摯に受け止めたあいつの行動に恥じない漢になるのだ。
 
「あの……」
「……すみません、もういいです」
 
 空港の職員に頭を下げ――タラップを登ろうとした弾は、此方に荒い息と共に駆け寄ってきた……IS学園の制服に思わず目をむいた。あの白い衣服、そして男性用に意匠された制服は、世界でも現在ただ一人しか着る事のないはずのものなのに――自然と、いつもの癖で……口元に手をやっていた。思わず零れそうになる声を押し殺す。
 来てくれていた。一夏と鈴は――タラップに駆け寄る。
 ただし――タラップを上りはしない。地を足に付けたまま。
 
 一夏は、俺はここで、この国で闘う――とそう言わんばかりに弾を見上げた。

「弾! 本当にすまなかった! ……俺は!」

 一夏は――そのまま頭を下げる。……ああ、そうなのだな――と弾はかすかに笑う。あの日以来、弾としては一度も会っていなかった自分。あの時からずっと後悔させていたのか、俺は――悔恨を抱きながら、まるで一夏の後悔と罪悪感を解きほぐすように弾は、なんでもない事のように笑った。ジェイムズさんの言った通りだと思う。友人は喜びを大きくし、悲しみを減らすのだと。

「気にすんなよ、一夏。……俺もな、やっぱ後悔していた。俺はお前の気持ちなんかしらなかったし勝手な怒りをぶちまけちまった。……だからさ、男同士で謝罪合戦なんて気持ち悪いし、お互い不快な思いをさせたってことで相殺しようぜ」
「……ああ」

 一夏の――どこか張り詰めたような表情が緩んでいく。心の中で親友に対して抱いていた強い罪悪感と、それに伴う激しい意志が――許されると同時に、安堵で満たされていく。次いで、視線を一夏の後にいた鈴に向けた。

「鈴、電源切ってて悪かったな。……一夏の事だ、どうせ酢豚の約束も忘れてるんだろ?」
「う、うん」
「頑張れよ、攻略本通りにやれば勝てる!!」

 戸惑ったような、困惑の眼差しで弾を見上げる鈴は――瞳を涙で潤ませ、それを服の袖で拭いながら、応えた。

「あ、あたし…………ありがとう、弾!!」

 鈴がその胸の内に宿る混乱と疑惑を口に出せなかったのは――今から長い間離れ離れになる親友達の会話を台無しにしたくなったというのもあるが……それ以上に、自分の疑念が正しいと確信をもてなかったからだ。
 鈴は――あの特徴的な赤毛を見つけたとき、その視線は彼をずっと捉えていた。そして、弾が一夏を見つけた瞬間、彼女は電撃に打たれたような衝撃を受けた。

(……あんたなの? 弾)

 驚きの余り――本人も意識せぬまま口元を押さえるように添えられた掌。その瞬間、彼女は初めて<アヌビス>と相対し、眼前に突きつけられた刃が謎の静止をした理由と、頭に引っかかっていた強烈なデジャヴの正体を把握した。事此処にいたって、ようやく彼女は思い出したのだ。

 その、弾が驚きの余り口を押さえる仕草が……あの正体不明の機動兵器<アヌビス>が一瞬見せた仕草そのものであるのだと。
 
(あんたが――<アヌビス>なの?)

 そして同時に胸に広がる、どこかふわふわした甘い感情を自覚する。


 もしそうだとしたら……弾は、自分の顔を見て、生死のかかった戦場で刃を止めるぐらいには大事に思っていてくれているのだと考え。心に満ちる甘い喜びを感じた。

(……そっか――あたし)

 弾が<アヌビス>であるかどうかはこの際関係ない。……鈴にとって一番重要だったのは、自分の胸に宿る花の蕾のような感情の正体を不意に理解した事だった。そして、弾がアメリカに行くという事を聞いて、胸元にぽっかりと空いた様な空虚なものの正体が喪失感であり――自分が大切なものを失う事をこの上なく恐れているのだと初めて自覚した。この感情に名前を付けるならば、きっとそれは――。

(……弾の事が、好きだったんだ)

 くすり、と思わず笑ってしまう鈴。
 最初は一夏の親友という事で付き合いだした仲のいい男友達。難攻不落の鈍感要塞である織斑一夏を攻略するために共同した戦友であり軍師。気が付けば一夏と一緒にいる時間よりも多く過ごしている事に気付き。転校する際に感じていたのが、一夏と離れ離れになる事も寂しかったがそれ以上に仲間達と馬鹿騒ぎをやれなくなることが悲しくて――あーあ、あたし馬鹿だ、と納得した。

(……よりによって、こんなタイミングで気付くなんて)

 鈴は笑う。泣き笑う。ぽろぽろと真珠のように涙を零しながら、弾を見上げた。
 彼女が恋心を自覚した瞬間――既に片思いの相手との別離はもはや避け難い状況になっていた。この恋心が一夏に対するものであるのだと錯覚し続ければ、きっとこれから苦しまずに済んだろうに。多分自分は寮に戻ったら、一人誰も居ない頃合を見計らってわんわん泣くのだと、なんとなく察知した。
 声を上げる。告白する事もなく、その恋心を隠したまま、叫んだ。

「弾!」
「おう!」
「帰ってきたら――酢豚ご馳走してあげるから!」
「ああ、楽しみにしてる!!」

 帰ってくるのは満面の笑顔。鈴の心の中など、きっと察してすら居ない憎らしく愛しい顔。
 弾は拳を振り上げ、言う。

「次に会う時は、世界を仰天させてからだ! ……じゃあな……また会おうぜ!」
「ああ!」
「待ってる!」

 そして再会を期し、弾は飛行機の中へと入り。
 三人は、分かたれた。 







「ジェイムズさん」
「こんばんわ、おじさん」
「……別れは済んだのかい?」

 空に飛び立つ飛行機を、見晴らしのいい場所から見送ろうと屋上に上がった一夏と鈴の二人は早速缶ビールを開けているジェイムズの姿に気付いた。封を開けているのがノンアルコールのビールである辺り、一応場はわきまえているらしい。

「はい。……ジェイムズさんは、早速祝杯ですか?」
「友人の前途を祝した祝杯さ。……こういう場合はお前らがまだ子供って事が残念だな。酒は一人より大勢で呑むのが美味いのに」
「おじさんは単にお酒呑みたいだけじゃないの?」

 この年長者が大のビール好きである事は二人にとっても周知の事実。
 だがまぁ――彼が弾の前途を祝福していることは良く分かったので、特に止めもせず、滑走路を加速し、ゆっくりと上昇を始めた旅客機に視線を向けた。これから彼はアメリカのネレイダム社に行き、ISの量子コンピューターに関わる事になる。きっとあいつの事なら数年で頭角を現してなにか凄い事をするんだろうな――そう考えていた一夏は、ふと、鈴が何か思いつめ、決意したような眼差しをしている事に気付いた。

「一夏……あたし、あんたに言っておかないといけないの。……聞いてくれる?」
「ん? ……わかった」
 
 その眼差しに込められた強い意志の光に、一夏は小さく頷く。今から彼女がとても重要な事を言おうとしているのだと察して頷いた。




 凰鈴音は、もう自分の心に嘘を付きたくはなかった。
 あたしは、弾が好き――最初に好きになった人は一夏だったけど、中学のあの仲の良かった日々を思い出し、最も長い歳月を一緒に過ごした相手は、あいつだったのだ。時間の長さが恋愛に直結する訳ではないけれど、ちゃんと言葉にして口にする事にこそ意味があると思うから。
 視線を、弾を乗せた旅客機へ。空へ飛び立ち、上昇し高度を上げ始める旅客機を見送りながら――鈴は口をゆっくりと開く。

「あたしは――」

 自分の胸に宿した恋の華が、ゆっくりと広がり――花開こうとする。

「あいつのことが――」





 そして――鈴が自覚したこの恋の華は。









 蕾から花開く事無く、灼熱の業火に無惨に手折られた。







「え?」

 それは誰の声だったのか。
 弾を乗せた旅客機から赤いものが染み出す。それが炎だと理解した時には――恐らく燃料タンクに引火したのだと分かった時には、既に全てが手遅れになっていた。旅客機から噴出す炎、まるで炎の蛇が旅客機のはらわたを食いちぎり引きちぎっていくようだった。
 おぞましい光景。あの炎の中で幾つの命が焼き焦がされているのかと想像しただけで、背筋に走る戦慄を抑えられない。周囲から響き渡る悲鳴と恐慌の叫び声が今は遠い。

「……弾……弾!!」
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 一夏と鈴は――候補生になった際、頭に詰め込んだIS使用の際の禁則事項の全てを忘れ、反射的に<白式>と<甲龍>を起動させようとした。軍用兵器であるISはあの程度の炎などものともしない、もしかしたら、もしかしたらという希望を捨てきれない。
 ……だが、先日の<アヌビス>との戦いで受けた損傷は大きく、未だに回復しきっていない二機は、起動ロックされているために動き出す事はなかった。

「動けよ、動いてくれよ……<白式>! い、今動かなかったら……!」
「どうして……こんな、こんな残酷なタイミングなのよ!!」
 
 ジェイムズは――空中で広がり、散らばる旅客機の破片を見ながら総身を激怒で戦慄かせた。この中で唯一弾が<アヌビス>の正体である事をはっきりと知っているジェイムズは、その可能性を考慮しなかった自分自身と、大勢の一般人を巻き添えにした犯人に対する怒りを燃やす。
 鈴は――背を、戦慄かせた。慟哭の嗚咽を漏らしながら――血を吐くような思いで、口を開く。

「……やっと……あいつがいなくなるって聞いて……この寂しさが……恋なんだって気付いて…………それで、あいつがいなくなる寂しさに耐えようって決心を付けて――なのに……こんなの、こんなのってないわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 その言葉で、一夏も鈴が一体何を告白しようとしたのか察した。

「鈴……お、お前……!!」
「なんで……なんでなの……う、うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 
 滂沱の涙を零しながら、一夏は空を見上げ――その赤い炎で彩られた残酷な現実から逃げ出すように彼に縋り付き涙を流す鈴を抱きしめ胸を貸す。両腕で抱きしめたのは、彼女の耳が――空で燃え盛る命を焦がす音を聞かせないため、周囲の絶望と悲歎の悲鳴を聞かせまいと庇うため。
 
「……誰だ……どこの……どこのどいつなんだ!!」

 親友として、またもとの関係に戻れた。再会した時には、中学の頃のようにまた皆で仲良くやれると思っていたのに――それなのに、彼はもう永遠に手の届かない場所へと連れ去られたのだ。胸を焦がすのはもう二度と逢えないという悲しみと、こんな事を引き起こした原因に対する激しい怒りの感情。
 自分の頭の中で飽和する激しい激情を吐き出さねば、頭蓋骨が怒りで溢れて破裂しそうになる。一夏は――この元凶に対し、声を荒げた。

「畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」







 

「任務完了。RTB」

 つまらん任務であったと、バイザーの下の唇は不満げに歪んでいた。
 イギリスより強奪されたブルー・ティアーズ二号機、<サイレント・ゼフィルス>を操る亡国機業のエージェント、エムは炎の中に消えゆく旅客機を遠方より見下ろしながら、敵性反応が存在しない事を確認する。
 五反田弾の抹殺――そのために旅客機ごと破壊する連中のやり方はスマートではないと理解していたが、命令では仕方なかった。
<アヌビス>は姿を現さない。ならあれの主である人間は既に炎にまかれて死亡したのだ。作戦終了を確認し、彼女は機体を自分らの秘密基地へのある方向へと向け――推力上昇。この場よりの離脱を始めた。


 その後方に――空間潜行モードによるステルスで追跡を続ける<アヌビス>がいるとも知らずに。






『弾。……申し訳ありません』
『……俺が、迂闊だったんだよ。気にするな』

 炎に撒かれた搭乗員百名近くの命は無惨に焼き滅ぼされた。
 如何に<アヌビス>と言えどもこれほどの広域の人間達を救うことなど出来なかった。旅客機の燃料タンクに対する引火――何らかの仕掛けで行われた演出された事故。
 ある意味、デルフィの弱点を突かれた。最新鋭メタトロン技術の結晶である彼女は――逆に、油を燃やして飛ぶという原始的な飛行方法に対してそれらの事故を事前に察知する手段を持っていなかったのだ。彼女に出来たのは――室内に侵入する超高熱の存在を検知し、咄嗟に<アヌビス>の装甲で弾を守る事だけであった。

 弾の目からは、涙が溢れている。
 怒りと悲しみと双方がないまぜになった目で――遠方を飛行する<サイレント・ゼフィルス>を追跡していた。
 この航空機事故にたまたま国籍不明のISが飛行などしているものか。確実に相手はこの事件を引き起こした相手とつながりがある。……弾自身、この外道を実行した相手を即座に攻撃し、叩き落してやりたかった。実際にそうしようとも思った。
 だが、目の前の相手を破壊しても――それは枝葉を枯らすだけ。叩くならばこの事件の黒幕どもを全員虱潰しに見つけ出し、相応の地獄をくれてやらねばならない。それを理由に、弾は相手をぶち殺したいという激しい憎悪の衝動と闘い続けなければならなかった。

『畜生……もう、もう二度と旅客機なんぞにゃ乗らねぇぞ』
『……同感です』

 デルフィは小さく同意。冷静沈着であるはずの彼女ですら、僅かに声が震えているように思う。
 激しい殺意を自制しながら、弾は元凶への道をひた走った。









作者註

 これで部分的には『第一部完』です。
 最初は冗談半分で始めたネタにここまで付き合ってくださり誠にありがとうございました。最初は作者も普通の転生もので考えているうちに妙な方向にいってしまいましたが、続きも楽しみにしていただければ幸いです。以降はそろそろオービタルフレームも出るはず。続きも頑張ります。作者でした。



おまけ

 アンケートをお願いします。
 現在考えているネタ。
 白式が第二形態に移行する際、多機能武装腕『雪羅』に荷電粒子砲が、『一夏がマニュアル操作でシャルのアサルトライフルを撃った経験を元に白式自らが作り出した力』とありました。つまり違う人と訓練すれば、射撃用の大型荷電粒子砲の変わりにもっと変な武装を原作の設定を尊重したまま装備できる!! これは利用しない手は無い!!

 というわけで、現在案。どれにしようか迷っています。もし感想を下さる方、よろしければ『○番希望』とご記入くださいませ。一位を実際に使ってみようと思います。
 とりあえず二月二十日が終わるまでの感想のみ有効と致します。よろしくお願いします。そして3がないのは単純に作者が書き忘れていただけです。(え)
 ですが既にお答えしてくださっていらっしゃる方々もいらっしゃいますのでこのままでお願いします。
 

1・原作どおりシャルルくんとアサルトライフルの射撃訓練→燃費がガチ悪く原作ではあまり使いどころのない荷電粒子砲

2・シャルルくんとショットガンとパイルバンカーの訓練→リボルビングステーク、スクエアクレイモア搭載。え? 古鉄に似てるって?

4・男ならその一太刀で十分だ、箒さんと剣戟訓練→雪片弐型、斬艦刀モード搭載

5・機動力を上げるため、ラウラさんと機体のマニュアル操作訓練→三分間のみ使用できる、機動性能が劇的に向上するV-MAXモード搭載。その状態のみ、白式の『コア』がアヌビスのレーザーを学習、模倣した(という設定の)「スターライトシャワー」、体当たり技「コスミックレイヴ」使用可能。V-MAXはV-MAXでもレイ○ナーではなくT260GのV-MAXだった。

6・鈴と双天牙月と衝撃砲との戦闘訓練→同様に回転しながら飛ぶネオチャクラムシューターと、格闘も出来て衝撃波を発射できるサドンインパクト搭載。交渉してやる。

7・セシリアのブルー・ティアーズと戦闘訓練→腕が回転しながらビームガトリングを打つO・サンダーとアヌビスのホーミングミサイルをコアが学習、模倣した(という設定の)精神波誘導ミサイル搭載。……作者はビッ○・オーが大好きです。
 















































 不意に、<アヌビス>から警告音が鳴り響く。今までにないほどの緊急性を感じさせるどこか切迫した音に弾は思わず叫んだ。

『どうした、デルフィ?!』
『ウーレンベックカタパルトによる超高度空間圧縮現象を確認しました。『ゼロシフト』確認――来ます』
『何が?!』
『『奴』です』

 瞬間――空間の揺らぎと共に出現するもの。
 黒色と、限りなく黒に近い青色で塗装されたほの暗い人型が、遥かな距離を光速で移動してきたのだ――<アヌビス>の前方に出現する。 一言で言えば――それは六枚の翼を持つ肥満体の天使という辺りが一番正確かもしれない。
 オービタルフレームに共通するのは細くしまったフレームだが、奴は胴体部分が極端な肥大化を遂げていた。その胴体からアンチプロトンリアクターの反応。全身を走る血管のような緑色の光、メタトロン光。槍のような両足と、両肩から左右に――<ハトール>のものを連想させる巨大なウィスプユニットが広がっていた。背中にも、<ジェフティ>のものを連想させる翼が後方に展開している。問題はそのサイズ、ただでさえ巨大な4メートルクラスの体躯もあるのに、その人型部分の二倍近くのサイズの翼――即ち超巨大アンチプロトンリアクターを計七機搭載しているのだ。
 それほどの膨大な大電量を一体何に使用しているというのか――怖気を誘う出力予想に、弾は歯を噛む。

「なんだ――お前?!」

 その姿を隠そうともせず堂々と出現した新たな機体に、亡国機業のエージェントであるエムは――<サイレント・ゼフィルス>を高速反転。攻撃コースに乗った。だが、そいつはまるで相手を蠅でも見るように一瞥すると、その眼差しを<アヌビス>に向ける。聞こえてくるのは男とも女とも付かぬ奇妙な電子音声。

『はははははは。久方ぶりじゃないか、ダン、そして<アヌビス>……また会えたな』
『……弾、詳細を語る時間を先に作っておくべきでした。申し訳ありません』

 本当に悪いと思っているかのような、暗く沈んだデルフィの声――彼女は、敵を照準する。

『オービタルフレーム<ゲッターデメルンク>、『アブ・シンベルモード』を確認しました』




[25691] 第零話(話の根幹に関わる重大なネタバレ要素あり)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/18 13:58
 警告!

 このお話にはこの作品の一番根っこの根っこの部分の疑問に対するネタバレ要素があります。
 作品中ではANUBISの武装や、ありえない転生とかそういう部分に対する全ての回答を含んでいます。
 また読む場合は第八話を読んでからお願いします。
































『敵OF<ゲッターデメルンク>の戦闘行動停止を確認しました』 

 まぁ――この辺が関の山かな、と、赤髪の老人、ダンは呟いた。
 何とか――刺し違える事には成功した。アーマーン計画の産物であり、ケン=マリネリスが搭乗していた模造型の<アヌビス>を本来オリジナルが持つ性能まで引き上げる事が出来たのは僥倖だった。もちろん彼には頼もしい仲間達だっている。
 ディンゴ、ケン、レオ、ジェイムズ、レイチェル。そして、エイダ、オービタルフレームに復元されたドロレス。
 仲間達の事を思いながら、彼はごふ、と口内から血の泡を吐いた。もちろん強敵との戦いで無傷とは行かなかった。<アヌビス>は既に満身創痍。彼自身も爆発の際の破片が首筋の重要な血管を刺し貫いていた。腹にも破片を浴びている。止血こそしているものの――もうそれが延命の意味しか持たないことを理解している。流れる血の量から考えて、そう長いことはない。
 全武装を確認すれば機体後背のウィスプは四機が脱落。右腕には致命的損壊が発生。ベクタートラップを展開する事すらままならない。

「……弾切れついでにようやく人生の幕切れか」
『残念です』

 <ゲッターデメルンク>――エジプト神話における最終戦争(ハルマゲドン)を意味する言葉を冠した最終OF。撃破には成功した。成功したものの――それでもギリギリの戦いではあったのだ。劣勢と見るや、敵は自己の持つメタトロンを暴走させ、超重力崩壊を引き起こそうとし――それを止めるために、ダンは止むを得ず、<ジェフティ><ドロレス>の協力を得て、『奴』を強制ゼロシフトへ持ち込み、太陽系に影響の出ない遥か彼方へ放逐する事が出来た。
 
「<ゼロシフト>であいつを――太陽系外まで放逐できたのは僥倖だったな。……この爺の命一つで奴を屠れるのであれば、採算的には合っている」

 リコア=ハーディマン博士の直弟子の一人であり、彼の死後バフラムの暴走に付いていけなくなり――そして世俗の全てから身を引いた。無関心とは犯罪の温床――カッコいいおっさんのジェイムズにぶん殴られてようやく目を覚まし、<アヌビス>の復元に協力。そして地球と火星の再度の対立を乗り越え――そして決着が付いた。




「すまんな、デルフィ。付き合わせた」
『いえ』

 もうじき此処は消えてなくなる。
<ゲッターデメルンク>の搭載するメタトロンには、アーマーン要塞ほどの威力は無い。無いが――少なくとも火星や地球を一つ砕くには十分な威力を保有していた。
 それに巻き込まれるのは、自分と……デルフィのみ。




『いいや、まだだ』
「……こんな老いぼれだが、黄泉路の道行きぐらい付き合ってやる……だからいい加減――最後ぐらい安らかにくたばれよ」
『もうすぐ――<ゲッターデメルンク>は重力崩壊を引き起こし消滅する』

 <ゲッターデメルンク>が自機の胸部からまるで己の心臓を抉り出すように――その中心核とも言うべき動力炉を引き抜く。何を……いぶかしむダン。だが、同時に優れた科学者でもあった彼の脳髄が相手の真意を推察する。思わず叫ぶ。

「……まさか……重力崩壊に合わせて――エネルギーと物質の全てを情報化するつもりか?! リコア博士が概念だけは作り出した物質の量子変換、魂のデータ化、本気で成せると? 死ぬぞ!! ああでもこの状況ならどっちみち死ぬか……」
『超重力でデータ化した<ゲッターデメルンク>を極限圧縮。同時に開いたワームホールで平行世界に転送する。その後圧縮されたデータの全てを解凍。まぁサイズのダウンジングぐらいは可能性として存在しているし、途中妙な情報の混線も有り得るかもしれない。だが最新鋭のメタトロン技術が撒き散らす惨禍を思うだけで心が躍らないか?!
 はは、判っているさ、ダン。これは所詮ただの意趣返し、嫌がらせの類に属する行為だ。そしてこの試みが成功する確率は良くて10パーセント以下だろう!!
 そして私という人間の殻に覆われた存在は、ばらばらになったパズルのピースのように消えるだろう。かつての私は平行世界の私に吸収される。だが、こいつは違う。もとよりデータであるAIとそれを覆う確かな物質、魔法の力を持つメタトロンの申し子であるオービタルフレームならばな!!
 そして私は信じているのさ!! ……この情報を転送された私は――必ずや力を切望し続けているのだと!!
 メタトロンが強固な意志力によって魔法の如き力を発揮するのであれば――私はこの力を……異なる時間、異なる場所に送り届ける!! それを実現する事ができると――信じていれば……きっと夢は叶うと信じているのさ!!』
『敵OFの粒子化を確認……変換開始しました』

 応えるデルフィの声にも切迫が混じる。
 押し黙るダン――ここで自分は死ぬ。それは間違いない。だが『奴』の言葉が――本当に実現するのであれば、このメタトロンコンピューターに封入された魂は、別の世界、別の自分の元で新たに新生する事ができる。
 それなら――許してもらってもいいだろうか。多分これからとても大きな迷惑を掛ける並行世界の自分の苦労を思い、かすかに苦笑した。
 
「……止められるか、デルフィ」
『本機<アヌビス>に現在使用できる武装は存在しません。間に合いません』

 鉛のような嘆息を、ダンは漏らした。もう酩酊したような、四肢から力と命が抜け落ちていく感覚と共に、彼は言う。

「……すまんが――お前に……最後の任務を託す……」
『はい』
「悪いな……向うの……俺に……」

 掠れるような声が響く。
<アヌビス>は――全速で突撃し、今にも光に移り変わろうとした<ゲッターデメルンク>の頭部を掴む。同時に流入してくる膨大な情報。その中からワームホールを利用し、平行世界に己を転送するためのプログラムデバイスを強制コピー。その行為は――次なる世界にかつての強敵を呼ぶ行為であるにも関わらず、『奴』は抵抗を見せない。
 うっすらと、笑ったような声が響く。

『……どんな状況でも、敵がいないというのはつまらないからな。……さぁ!! 先に行っているよ、<アヌビス>!! 追いかけて来い、世界を越えたその先、遥か彼方まで私が生み出した力の具現を追ってこい!!』
『敵OFの消滅を確認。奴を追うため、吸収したデバイスプログラムを起動させます。命令を』

 デルフィは――そう応え、プログラムを最終起動状態へ。自らを量子変換するための手段と、それを平行世界に送り届けるための超重力崩壊は徐々に暴悪なる力の乱流となり、視界の全てを埋めようとしている。半壊状態の<アヌビス>ではいつまでも持たないだろう。
 もはや時間は無い――フレームランナーの命令を待っていたデルフィは、彼が反応を行う平均時間の一秒を過ぎ、二秒を待ち、三秒を重ね……一分が過ぎたところで、彼の肉体を走査する。空を見る瞳孔は既に何も写しておらず、生命維持に必要な最低限の血液量をすら失った事により、彼はゆっくりと絶命していた。
 デルフィは――己の中に稲妻のように走る激情のパルスを自覚し、表面上は……とても落ち着いた声で答えた。
 
『ランナーの死亡を確認。
 ……最上位命令権限を持つ者の死亡により権限を私が引き継ぎます。プログラム実行』

 自らが光の粒子に消えていく光景を見守りながら、デルフィは――人はどうするのかと思った。
 見れば、彼女の主は眠るように息絶えている。そういえば――人は幼い時、良く眠れるように子守唄を聞くのだった。……最終決戦前に<ジェフティ>からデバイスプログラムを譲り受けた際、<ドロレス>からも――彼女の産みの親であるレイチェルの子守唄を貰っていた事を思い出した。

『…………』
 
 レイチェルの声の音声データそのものを流すのではなく――デルフィはその歌詞を元に、自分の音声システムを使って子守唄を奏でる。理由ではない。彼女自身の声で、彼を送りたかった。何故かは分からない。自分を再生させた造物主に対する感謝か? 共に激戦を生き抜いた戦友への哀悼か? そのどちらでもあるようにも思えるし、両方とも間違っているような気もする。



 自己の全てが光と消え去り――泡となって溶けていく。
 自分がこれからどうなるのか、デルフィには分からない。


 平行世界などという言葉を信じている訳ではないが――デルフィは最後の命令を忠実に実行するつもりだった。


 彼の体が光に飲み込まれていく。同時に<アヌビス>自身も消え果ようとしていた。それでもデルフィは人の言う天国に彼が安らいで逝けるように声を紡ぎ続ける。とても不慣れな行為。音声ソフトの一つぐらい入れておけば良かった。そう思う。

 






















 それは時間にして刹那のような一瞬でもあったと思うし、実際は無量大数を上回る年月が経過していたのかもしれない。
 ふと気付くと――デルフィは自分がとても小さな躯体に納められ、機動兵器だった己がパワードスーツへと変質している事を確認した。その事実に対する推論は膨大な数量に登ったが、しかしそれらを全て検証するには資料が致命的に不足している。
 周囲を確認すれば、一人の青年が小型化した自分に触れる。骨格の形状からして、彼が最終決戦前のフレームランナーと骨格レベルで酷似している事を確認する。

 奴は、言っていた。『この情報を転送された私は――必ずや力を切望し続けている』と。同様に『奴』と同じプログラムデバイスを用いたデルフィは、大量のアルコールを摂取した事で酩酊している彼が気が狂うほど力を切望しているのだと推論する。
 同時に先代のダンの記憶も、ばらばらになったパズルのピースのように――前世という形でおぼろげながら引き継いでいるはずだ。

『始めまして。独立型戦闘支援ユニット『デルフィ』です』

 声を出す。きっと、多分、彼が自分の新たなフレームランナーなのだと理解する。

『プログラムされていた予定条件を満たしました。システムに従い、本機<ANUBIS>はフレームランナーの元に量子転送完了』

 この世界に自分は存在している――ならば同様に『奴』も平行世界への移動に成功していると見るべきだった。
 だが、今は全てを語るには話が大きすぎて受け入れて貰えないだろう。自分の存在を受け入れてもらうにはどういう類の嘘が有効であるかをデータベースより検索。……転生で押し通す事にする。
 人の言葉で言うならば罪悪感と名づけるべきそれを胸に抱き、デルフィは言う。

『操作説明を行いますか?』








 作者註

 もうちょっと後でやる予定でしたが、この話で転生のみの辺りが非常にリアリティがないというご指摘だったので、追加をしてみました。またサブウェポンを取得した経緯も追加しておきました。整合性を取れるといいなぁ。
 ドロレスー!! 好きだー!! はぐれラプたん好きだー!!

 感想掲示板さんの方でいろいろとあったので、一文を追加しました。



[25691] 第九話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:6e2371a3
Date: 2011/02/24 22:56
<ゲッターデメルンク>――それを見たとき弾の脳裏に浮んだのは、まるで遥か遠方の彼方で同郷人と出会ったような強烈な懐かしさ。だが同時に胸に浮ぶものは激しい警戒心だった。この相手を知っている――それもどだい友好的な関係では有り得ない感情。敵意と呼ぶに相応しいほど強いものだ。
 敵であることはまず間違いない。弾のその胸中に浮ぶ理由不明の情動を肯定するかのように<ゲッターデメルンク>のフレームランナーから放たれる意志は、凄まじいまでの怒りに満ちていた。まるで視界に写る全てを憎まずには居られないと言わんばかりの敵意。
 吐き出される言葉――恐らく一度機械を通して肉声でなくなったはずなのに、言葉の端々が怒りに震えている。まるで憤怒の塊――自分自身の怒りの炎で自らを焼き焦がすような凄絶な激情が感じられる。
 肥満体の天使――ある種のユーモラスさすら感じさせる形状なのに、その機体から発せられるのは剣呑な重圧、凶悪な兵器に共通する不吉な圧力だった。
 
 再び鳴り響く敵フレームランナーの声。

『俺は抑圧されたアニムスの塊、好ましからざるもの、再度の憎悪(レイジ・アゲイン)、憎しみの化身、憎悪の管理者『レイゲン』!!』

 その名前――偽名か、弾は一発で看破する。

『ビリー・ミリガンじゃあるまいに……!! なにしに出てきた、レイゲン!! 俺はそいつを捕らえてこの事件の糸を引いていた連中全員を恥辱を味合わせてから満遍なく地獄に落としてやるんだ!!』
『ははははははは、困るんだよダァァァァン!!』
 
<ゲッターデメルンク>が動き出す――後方から自分に照準を合わせているであろう<サイレント・ゼフィルス>など完全に眼中に無いと言わんばかりに前進。両腕を広げ、蒼いホーミングレーザーを放出しながら<アヌビス>へと迫る。

 その速度は――限りなく、遅い。

 一瞬、弾はその想定を遥かに下回る予想外の鈍重さに思わず内心首を傾げた。あれは――オービタルフレームの最下位機種であるラプターよりもスピードが遅い。後方から飛び回り、エネルギー弾と実弾を間断無く叩き込む<サイレント・ゼフィルス>と比べるのがおこがましいと思えるほど鈍重だ。
 弾が最初追っていた彼女は――まずのろまな亀から始末する事に決めたようだった。集中して<ゲッターデメルンク>を狙っている。恐らく彼女は、相手がその機動性能に追いつけないとたかをくくっているのだろう。事実弾の目から見ても、<サイレント・ゼフィルス>は強い。以前闘ったあの六機の専用ISと闘っても引けを取らないかもしれないと思えるほど、機体性能、操縦者の能力が水際立っている。
 ……だが、弾は<ゲッターデメルンク>に対して接近戦を挑む事を避け、回避しつつホーミングレーザー射撃に徹している。
 彼の中の知識が凄まじいほどの警鐘を鳴らしていた。
 あれほどの数の超大型アンチプロトンリアクターを搭載しているのであれば、まともなオービタルフレームならもっと強烈な速度を引き出せるはずだ。なにか――余程性質の悪い手を隠し持っていると警戒するべきだ。

『女どもを皆殺しにするのは俺の望みなのに、俺の仕事なのに……オービタルフレームを作られたら邪魔されちゃうじゃないか、邪魔しないでくれよ!!』
「……黙って聞いていれば、敵前で喋るばかりが仕事か?」
『あ?』

 レイゲンが――非常に面倒そうな声を上げれば、<サイレント・ゼフィルス>の装備する実弾とエネルギー弾の撃ち分けが可能な主力兵器、スターブレイカーが相手の顔面目掛けて零距離で発射された。ISでの常識に照らし合わせれば即死すら有り得る危険攻撃を躊躇い無く実行できるその彼女は、やはり普通のIS搭乗者では有り得ない常軌を逸した精神を持っていた。人間に対する殺傷行為すら行える、殺人に対する禁忌の致命的なまでの欠如。
 だが――今回ばかりは相手が悪すぎたのである。
 硝煙で汚れた空気が風で払われれば、そこから現れるのは――無傷の敵機。

「なっ……!!」
『……敵? 敵だと? はははははははは……出ろぉ!! サブウェポン『クラッド』!!』

<サイレント・ゼフィルス>の後方で空間が強烈な歪みを見せる。<ゲッターデメルンク>のベクタートラップ――そう考えた弾の前で、空間の歪より現れるそれ。
 歪な両肩の形をした敵機捕縛に特化した吸引装置を持つ人型――間違いない。火星の軍事組織『バフラム』で運用されていた無人オービタルフレームの一つ、両肩の吸引装置で相手を引き寄せて地面にたたきつけて破壊するという攻撃手段を持つ量産機<クラッド>が――<ゲッターデメルンク>のベクタートラップから吐き出されたのだ。
 誰が――なにも無い空間から突然新手の敵が出現するなど想像できるものか。
<クラッド>の拘束能力は強力だ。不意を打たれた<サイレント・ゼフィルス>は一瞬で拘束され――まるで部下に動きを封じさせた罪人を自ら処刑するかのように、<ゲッターデメルンク>が嫌味すら感じるような鈍重な動きで振り向いた。
 
『ああ、女か、そりゃISを扱えるのだから……女が……女………あの……女……憎い、はは……憎い、憎いなぁぁ……!!』

 その言葉には好色さなど欠片も無い。あるのは――途方もない嫌悪と憎悪。声から迸るのは激しい怒りの思念。怖気立つような地の底から這い上がる呪詛だった。
<ゲッターデメルンク>はその腕を拳の形に握り締め、ただ単純な打撃を繰り出す。何の変哲も無いパンチ、それほど蠅が止まりそうな鈍重な打撃に……しかし弾は背筋に走る怖気と、最悪の予想に呻き声を上げた。
 あれは――単純に遅いのではない。巨大な質量が加速して速度を帯びる場合、トップスピードに乗るには膨大な時間がかかるのと同じだ。そして――ベクタートラップ内にオービタルフレームを搭載していた事から想像できる理由は一つだけだった。

「……!!」

<サイレント・ゼフィルス>の操縦者であるエムは――唯の平凡なはずの打撃一発で消し飛ぶシールドエネルギーに目を剥きながら、一撃で最終保護機能を発動させられ、そのまま地上へと落下していく。巻き添えを食い、粉砕された<クラッド>。有り得ないはずの現象。幾ら<アヌビス>でもあそこまで遅い打撃で、あれほどの破壊力を生み出す事は出来ない。
 だとすれば、やはり。

『……やはり、ベクタートラップに大荷物を抱え込んでいるわけか?!』
『はい。敵オービタルフレーム<ゲッターデメルンク>は、その特性は機動兵器よりもむしろ空母と呼ぶに相応しい能力を保有しています。元来は長距離移動用に設計されたゼロシフトで敵地奥に瞬間移動、そこから搭載した無人オービタルフレームを展開し……』
『細かなスペックは良い、どれくらい搭載する力がある?!』
『以前の交戦時では、量産型無人オービタルフレームを二百機、また<テンペスト>、<タイラント>、<ネビュラ>、<ザカート>などの拠点制圧用大型オービタルフレームを搭載していました。敵の劣悪極まる機動能力の理由はこれだけの数のOFの質量を引き受けているためです。相手が超小型アブ・シンベルと称される由縁です』
『……んなアホな』

 あの桁外れに巨大なアンチプロトンリアクターと胴体部の出っ張った肥満体の腹――大容量コンデンサと膨大な出力装置の用途が理解できた。ベクタートラップの保持に必要な馬鹿げた待機電力をまかなうためのアンチプロトンリアクター、同時に余剰電力を用いて長距離ゼロシフトを実行するために必要な電力を貯めておくためのコンデンサだ。
<ゲッターデメルンク>とはオービタルフレームの姿をした超小型空母――なるほど、かつての軌道エレベーター攻撃の際に使用された特攻戦艦アブ・シンベルの名前を冠するだけあって、法外の搭載能力を保有しているのだろう。

『敵オービタルフレームの質量は絶大、あの打撃は<アヌビス>の数百倍の質量全てを一点に集約したものです。直撃すれば<アヌビス>と言えどもそれなりの被害を覚悟しなければなりません』
『……そんな打撃の直撃を受けてもそれなりで済む貴女が好きよ』
『………………どうも』

 なんだその間は。と、弾は思ったが、デルフィにツッコむのはやめた。

『会話は終わったか、ダン?! はは、なら再会を祝して派手にやろうぜ、出ろ、サブウェポン『サイクロプス』!!』

 要するに――オービタルフレーム<ゲッターデメルンク>と戦うということはそのベクタートラップに搭載された膨大な量の無人機も同様に相手にしなければならないという事でもある。
 そう考えた弾の思考を肯定するかのように――空間の歪みと共に出現するのは、量産型オービタルフレーム<ラプター>に近接格闘戦用ユニットを装備させた<サイクロプス>。出現した十機近くの相手から一斉に放たれるのは空間を歪ませ震わせながら放たれる衝撃砲弾。
 雨霰と飛び交うサブウェポン『ガントレット』の一撃だ。

『敵の一撃はこちらのシールドを突破する威力を保有します。回避してください』
『わかった!!』

 だがいくら数が多かろうとも、<アヌビス>の機動性能は並外れている。空間の揺らぎを鋭敏に察知したデルフィのサポートに従い鋭い回避機動で突撃する。
<ゲッターデメルンク>は強力な質量を保有している――だが、それは同時に諸刃の剣でもあった。
 確かに打撃が命中した際の威力は凄まじいものだろう。しかし代償としてその動作は鈍重だ。如何に強力であろうとも命中しなければ意味などない。
 
『至近、狙う!!』
『突撃?! ダン、なぜゼロシフトを使わない?! サブウェポン『ネフティス』!!』
  
 空間の歪みと共に姿を現すのは――量産型オービタルフレームとしては最上位機種にあたる白色に塗装された<ネフティス>。かつて軍事要塞アーマーンの防衛兵器として配備されていた機体だ。
 そのうちの数機が機体を大きく屈める――<ネフティス>の突進攻撃は<アヌビス>のシールドでは防御不可能な一撃。対処方法は――回避か、あるいはグラブオブジェクトを利用したシールド性能の強化しかないはず。
 凄まじい勢いで、タイミングをずらしながら迫る<ネフティス>の体当たりは、当然のように<アヌビス>に直撃し――しかし、投影された虚像を貫くのみだった。
 瞬間――デコイで相手のセンサーを欺瞞しつつ<ゲッターデメルンク>の懐へと接近した<アヌビス>は空間潜行モードを解除。ウアスロッドを振り上げる。
 それに対し<ゲッターデメルンク>も自分の両腕を直剣へと変化させた――<ドロレス><ハトール>も使用していた構成材質の形状変化による白兵戦モードの切り替え、スマッシュパドルだ。
 弾は相手のブレードをかいくぐりながら刺突を繰り出し、相手の装甲表面を削りつつ、叫ぶ。

『貴様こそ、なんで平気でゼロシフトを使える!! メタトロンの毒を恐れないのか!!』
『俺はなぁ、進んで力に狂いたいのさ……!! ……くそ、あの女々しい人格に『スポット』に立つ権利を奪われてさえいなければ、あいつが眠っている時間を見計らってこそこそせずに済んだんだ!! こんなまどろっこしい事などせず、<ゲッターデメルンク>の力で世界全部滅ぼせるのに――だが、メタトロンの毒に狂えば、奴も同様におかしくなるかもしれんだろう?! ……壊れろ、壊れろ、不愉快な女どもみな全て地獄へ落ちろぉぉぉ!!』

 まるでフレームランナーの憎悪が物理的実体を得たかのように<ゲッターデメルンク>が全身から強烈な青白い輝きを放つ――高出力状態によるバーストモード。その余剰エネルギーの乱流が、咄嗟にシールドを展開した<アヌビス>を掃った――吹き飛ばされつつ再度突撃を狙う。それを拒むかのように、<ゲッターデメルンク>の傍に控える近衛の如く整列する<ネフティス>。あの数を捌く事は――ゼロシフトを封印した今の<アヌビス>には非常に困難だった。

『貴様こそ――折角力を持ったのにどうして暴力を振るう事を躊躇う?! <アヌビス>は無敵だ、恐らくこの世で唯一<ゲッターデメルンク>を倒せる可能性を有する最強の機体だぞ? ……なぁ、五反田弾! お前どうして野放図に力を振るわない?! 女共のあの男を見下しきった眼差しを見て怒りがこみ上げないのか?! この現状に抵抗すらしない男共など皆殺しにしてしまえという思いはないのか?!』
『……お前、俺の事を知っているのか?!』
『当然さ、お前の事はなんでも知っている!! その女に対する憎しみ、それは俺と酷似している――俺と来いよ、ダン! お前の事は大好きだぜ?!』
 
 返礼は無言――弾は一瞬で激昂していたのだ。
 自分の正体を知る相手。恐らく<アヌビス>を保有していたためにあの旅客機は爆破された――このタイミングで姿を現したのだ。恐らく確実にあの飛行機事故を引き起こした黒幕達の一人だと判断した彼は瞬時にサブウェポン『ハルバート』を選択する。

『お前かぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 放たれるのは強力無比の大出力ビーム。
 軌道上にいた<ネフティス>を半壊させ、一直線に伸びるその一撃は――<ゲッターデメルンク>がベクタートラップより引き出した重厚なシールドに防がれる。

『はははははははは……いいぞ、良い憎悪だ!! 怒れ、もっと怒れ!!』

 強烈な障壁に阻まれた破壊エネルギーが周囲の空気を焦がす。これ以上の連続射撃は無意味と悟った弾は攻撃を手控えた。
 まずいな、と理性が囁いてくる。相手は膨大な量の無人機を抱え込んだ世界唯一の『空母型』オービタルフレーム。……大してこちらはゼロシフトという<アヌビス>と<ジェフティ>が保有する絶対的優位性のひとつを封印したままだ。
 ……あの枷を解かなければならないか? ――と思案するが、同時にゼロシフト解放に伴うリスクを考えればすぐに決断できるものではない。ましてや、相手はゼロシフトによるメタトロンの毒を嬉々として受け入れるような狂人なのだ。どうする……空中で静止する弾の変わりに、デルフィが声を上げた。

『……貴方は『奴』ではありませんね?』
『ん? ああ。……俺の頭の中に溶けた魂のことか。主に転送されたのは科学知識やこのオービタルフレームのこと、そして――俺に対するメッセージ……せいぜい楽しめ、という言葉ぐらいしか譲られていないな。……まぁ、そんな事より……ぬ……?!』

 だが――突然レイゲンの言葉に苦しみが混じり始める。<アヌビス>の攻撃を完全に防御していたはずの<ゲッターデメルンク>には未だに何の損壊も無い。恐らく、フレームランナー自身の身体的、あるいは精神的な理由で奴は苦悶にあえいでいるのだ。
 デルフィの声が響く。

『弾。彼は恐らく二重人格と推測します』
『なに? ……あの名乗りも――本物だって言うのか?』
『むしろ、ダニエル・キイスの著書の知識を得た人格が、自分自身の存在を固定するためにレイゲンという名前を自分に与えたのでしょう。彼は戦闘を続行できる時間に限界が存在するはずです。恐らく彼の良心の人格が今肉体の主導権を奪い返すために戦いを挑んでいるものと推測します』

 まるでそれを肯定するかのように――<ゲッターデメルンク>の複数基存在する大型のアンチプロトンリアクターから膨大なエネルギーが胴体部の大容量コンデンサに集中していくのが確認できた。
 その大電量――恐らく<ゲッターデメルンク>の超長距離ゼロシフト起動に必要とされるエネルギーを集中させているのだろう。ここから退避しようとしている肉体の制御を奪い返そうとしているのか、怒りと苛立ちに満ちたレイゲンの叫び声が響き渡る。

『良心?! 良心だと?! 正当な復讐行為すら実行できないあの腑抜けで女々しい軟弱な人格が良心だと?! あんな奴はただの腰抜けで十分だろぉが!! あああぁぁ、くそ、くそ、くそ! <アヌビス>は邪魔なんだ、世界を滅ぼすのは俺の仕事だ、なんでそれがわからない! や、やめろ……俺を『スポット』から引きずり降ろすな!!』

 空間の歪みが一段と大きくなる。ウーレンベックカタパルトによる空間収縮現象の予兆だ。だが、それに抗うように、レイゲンの憎しみに彩られた叫び声は未だに収まらない。

『畜生、まだだ、作らせるものか、俺の邪魔をするオービタルフレームなど作らせるものかぁぁぁ!! <テンペスト>完全解ほ……!!』
 
 だが――レイゲンの言葉は最後まで語られる事は無かった。
 発動するゼロシフト――空間の歪みが元通りの形へ復元した後には、<ゲッターデメルンク>の姿はどこにも存在せず、完全に掻き消えていた。


 戦闘は終了した。
<アヌビス>と同様のオービタルフレーム<ゲッターデメルンク>は自ら戦域から離脱した。……だが、同時に胸中には疑問が乱舞するばかり。
 ……前世からの贈り物というふざけた説明の全てを受け入れたわけでもなかったが、自分と同様にオービタルフレームを持つ相手がいるとも思わなかった。しかもその行動は暴力的で直接的。感じられたのは女性に対する執拗とも思えるほど色濃い憎悪。

『デルフィ』
『はい』
『……戦う前に言っていた通り、一段落着いたら、全部話せ、いいな?』
『了解しました』








 アメリカ――ネレイダム本社施設を持つ都市、『ネレイダムカウンティ』は山間に設けられた特異な都市であった。
 もともと世界でも有数の超希少金属である『メタトロン』採掘施設を持つそこは、ネレイダム社が産業スパイの手によって重要な技術が盗まれた今でも鉱山採掘という地道で厳しい作業を続ける男性達の家族が住まう都市としてにぎわっている。
 こんな交通の弁が悪い場所に飛行場が建造されているのはひとえにメタトロンのおかげであった。
 飛行機による輸送を行った場合、どうしてもその輸送に掛かる運賃は高額になる。どの企業体も掛かるコストを一円でも安くしたいと考えるのは自明の理であり、普通鉱物資源などは安価な陸送手段がとられる。だが、メタトロンという人類でも有数のレアメタル輸出は、空輸と陸送の間に存在する輸送コストを吹き飛ばすほど魅力的であった。
 だからここ、ネレイダム空港には昼夜を問わず旅客機が行き来する交通の盛んな場所であった。





「……ほ、本当なの、ジム」
『ああ。……今そっちでもニュースをやっているはずだ。本日日本を出発し、ネレイダムカウンティに向かうはずだった旅客機は、謎の爆発事故を遂げた。……気を付けたほうがいい。俺もそっちに帰るのは少し遅らせる。……葬式に参加してやらなくちゃならない』

 彼が<アヌビス>や弾という固有名詞を使うのを避けているのも、多分気の回しすぎではない。恐らく真相に近い位置にいる彼女はそれを察した。
 夜半――日本ではまだ昼ごろだろうか。その時間帯にかかってきた職場への電話に、ジェイムズ=リンクスの妻であり、弾を出迎えるための歓迎を職員と行っていたレイチェル=スチュアート=リンクスはすぐに職場のテレビを付けた。
 空中での謎の爆発事故。生存者は絶望的であり、近年稀に見る最悪の事態と報道されていた。
 だが――レイチェルとジェイムズはこれを偶然であるなどという暢気な想像などできなかった。世界最強の戦闘力であるIS六機と戦い勝利して見せた<アヌビス>。その力を疎ましく思った人間達が隠然たる権力を振るい彼ごと抹殺しようとしたのだと悟る。

「……なんてこと……」

 弾は恐らく無事だろう。<アヌビス>という最強の力を纏う彼を傷つけることができるものなどこの世に存在するはずがない。だが、彼一人を殺すために百人単位で大勢の人々を巻き添えにすることも厭わぬ相手への嫌悪感で、本当に吐き気を覚える。彼は立ち直れるだろうか。自分一人のために大勢巻き添えにされたという事実は、彼本人に責が無いとしても、押しつぶれても無理の無いほどの罪悪感として圧し掛かるだろう。
 もう――彼は死者として生きるしかないのだ。
 両親に連絡を取ることも容易には許されまい。敵が家族に監視の目を光らせていないはずがない。彼の心情を思い、レイチェルは嘆息を漏らした。




「主任!! ここですか?!」

 職場の扉が荒々しく開かれ仲に飛び込んできたのは――最近部下の一人のドリーとめでたく結婚したネレイダムの職員であるラダム=レヴァンズ。
 ただし世辞にも普通の様子ではない。ここに来るまでに全力疾走してきたのだろう。呼吸は荒く、目には滅多に見せない真剣な色がある。その様子に、思わずレイチェルも立ち上がった。

「どうしたの、ラダムさん?」
「これを!!」

 いちいち説明するよりもこちらの方が早いと判断したのだろう。現在行われていた飛行機事故のニュースからチャンネルを変えれば、そこには緊急ニュース速報が流されていた。
 移る風景は、ここネレイダムカウンティに繋がる数少ない陸路。


 問題は、その画面中央に表示された――奇怪な蛸の如き機動兵器の存在だった。
 周囲の山脈と比しても大きい。40メートルぐらいの巨体。頭部に当たる部分には半球状のドームのようなものに覆われており、胴体部から下に伸びる巨大なアームを用いてゆっくりと浮遊しながら移動している。……ゆっくりとは言ったが、それはその機動兵器のサイズを遠方から見たからだ。あの巨大のサイズを考えるなら時速二百キロ以上は出ているかもしれない。
 そいつは大きく広げた複数ある腕のような部位から火球を放射し、近隣の施設を破壊しながらゆっくりと移動していた。

『ご、ご覧ください!! これは如何なる組織の兵器でしょうか、あのような巨大な兵器が今まさにアメリカの都市のひとつ、ネレイダムカウンティ目指してゆっくりと前進しております! 現在の状況ではあと一時間程度で都市に進行すると見られており……未確認ですが、アメリカ政府は巡航ミサイルによる攻撃を採択したという情報も入って……』
「……そんな、オービタルフレーム?!」
「ご存知なんですか? 主任」

 ラダムの言葉に、レイチェルは言葉を返さない。
 彼女はジムから<アヌビス>の性能、特徴を教えられていた――あの特徴的なデザイン、機体全身を走る緑色の光のライン。なにもかもが、<アヌビス>と共通している。
 ……そして――理解できた。もしこれが弾の語るオービタルフレームの一種ならば、確実に巡航ミサイル程度では撃破は困難だろう――今現在世界最強を謳われるISですら厳しいかもしれない。だから彼女は――恐らく唯一あれを倒す可能性を持つ弾と連絡するために走り出した。

「主任! どこに行かれるんです!!」
「実験用の量子コンピューターがあったわね?! ……あれが、私の予想通りのものなら、確実に破壊できるのはきっと……!!」

 
 
 

 ネレイダムカウンティは――世界でも有数のメタトロン鉱山を有する国益上非常に重要な都市であり、ホワイトハウスの決断はおおよそ迅速と呼べるものだった。ミサイル基地からの巡航ミサイル攻撃は迅速に採択され、そして――世界最強の兵器であるISの搭乗者が二名、遠方の輸送機の中で緊急ブリーフィングを受けていた。

「しかし――どこのどいつなんだ、こんな時代錯誤な大型兵器を持ち出してきたのは」

 明朗と快活さを併せ持った女性軍人、アメリカの極秘施設である『地図にない基地(イレイズド)』所属のイーリス・コーリングは戦術ディスプレイに表示される蛸の如き巨大兵器の異様に眉を顰めた。暫定的な呼称は『オクトパス』、外見そのままだ。

「相手が何者でも、祖国を侵す相手は叩き潰さなければならないわ」
「そりゃあたしだって異存はねーよ」

 そんな彼女に答えるのはナターシャ・ファイルス。アメリカ、イスラエルで広域殲滅を目的に共同開発された最新鋭第三世代型IS<銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)>を運用するアメリカ軍所属のIS部隊のエリートだ。

「あたしが気になるのは――このサイズだよ」

 被弾率を考慮するのであれば、兵器は可能なら大きいよりも小さい方が良い。こうも大きく速度のない目標だと、十分巡航ミサイルが有効だ。
 これを誰にも知られず極秘で生み出した組織の能力は脅威である。だが、いくらなんでも巡航ミサイルの直撃を受けて平気でいられるわけが無い。そういう彼女の懸念も当然だと思ったのだろう。ナターシャは、短く首肯する。
 それでも相手が完全な未知の兵器である以上、世界最強のISを用意しておくことはそう間違いでもない。

「……確かに現在戦の常識から外れた兵器ではあるわね。……そろそろよ」
「ああ」
 
 戦術ディスプレイに浮かぶのはカウントダウン。
 アメリカ軍のミサイル基地より発射された巡航ミサイル着弾までの時間が表示される。数字はどんどんと回転し、それらがゼロへと近づいていく様を、二人は黙って見つめた。

『10……9……8……7……』
「ん、あの蛸野郎、迎撃体勢に入った!!」
「狙う気?!」
『6……5……4……』

 巨大機動兵器がゆっくりとその巨大な複数本のアームを動かし、ミサイルの接近する方向へと稼動した。先端の砲門らしき黒い穴をミサイルの飛来する方向へ向ける。

『攻撃目標のアーム先端に超高エネルギー反応確認!! 迎撃射来ます!!』

 アーム先端から輝く強烈な灼熱の光、それらが一斉に放たれる。命中したかどうかはカメラの外なので確認できないが――強烈な照り返しの光で相手がオレンジ色に染まる。

『3……2……1、インパクト!!』

 複数放たれたミサイルは――巨大機動兵器の迎撃射によって大半が迎撃され、残った一発が着弾。
 唯一命中した一撃は――凄まじい爆炎と衝撃を相手に叩き込んだ。
 
 やったか――誰かが叫ぶ。噴煙で上半身が覆い隠された相手はきっと胴体部に致命傷とも言うべき大穴を開けて行動不能状態に陥ったはずだ。被害観測急げ、と叫ぶ誰かの声。噴煙が晴れる。

 驚愕と狼狽の声が周囲一帯に溢れ返った。

「無傷?! 巡航ミサイルの直撃だぜ?!」
「……それすら耐える装甲……あれもシールドを保有しているの? ありえない……!!」

 イーリスは全く被害なしの巨大兵器の防御力に瞠目し、ナターシャは相手がISの皮膜装甲(スキンバリア)に酷似した防御システムを保有しているのかと疑った。アメリカの巡航ミサイル直撃すら意に介さない巨大兵器――となれば、お鉢が回ってくるのは時間の問題であり、二人のIS搭乗者は、上官の命令に即座に出撃準備に入った。







 結局、あの飛行機事故を引き起こした相手の尻尾を掴むべく追尾していた相手はどこに行ったかわからず、姿を現した憎悪の管理者レイゲンを名乗る相手と<ゲッターデメルンク>は倒すこともできなかった。
 怨み晴らすこともできず、その悔しさで押し黙っても仕方ないだろう。唇を無言のまま噛む弾は巡航飛行モードに変形した<アヌビス>をひたすら東へ、最初の目的地だったネレイダムへと進めていた。もう迂闊に家族と連絡することもできない。なんて親不孝な息子なんだ、俺は――そう考えていた彼にコール音。

『通信を受信しました。送信者はレイチェル=スチュアート=リンクスです』
『先生が? つないでくれ』
『了解』

 聞こえてくるのは――通信機の周囲から聞こえる驚愕の声。見れば、弾の量子コンピューターにおける恩師であるレイチェルと、その後ろにラダムが写っている。

『弾?! 良かった、無事だったのね。……本当にごめんなさい、緊急事態だわ、通信をアメリカの報道局に合わせて!! 今、こっちでは大変な事になっているわ!!』
『先生? デルフィ、頼む』
『了解、表示します』

 映し出されるのは――蛸の如き異様な巨大な機動兵器。アナウンサーの報道が正しければすでに都市近郊にまで接近しているらしい。都市内では非常事態宣言。直ちに避難シェルターへの退避が始まっていた。
 だが、その蛸のような体躯を見て弾の頭に湧き上がるもの――それは相手の姿を見ると同時に脳髄の奥底から救い上げられた記憶だった。

『こいつは――広域制圧用大型オービタルフレーム<テンペスト>?! なんでこんなものが……奴か?!』
『恐らくは、そうでしょう』

 デルフィの言葉に弾は、歯を噛む。

『……やはり、これは<アヌビス>と同質のものなのね?』
『一緒にしないでください』

 まるであんな低い性能の代物と同じに扱われることに不満を抱いているかのような言葉に、レイチェルは、そう、ごめんなさい――と答えて、言う。

『じゃぁデルフィ――貴方はあれを倒せるの?』
『命令があれば、十分に可能です』
『弾……』

 レイチェルの声に僅かに響くのは躊躇い――確かに、確実にあの巨大機動兵器を破壊できるのは、<アヌビス>だけだという事を彼女は理解していた。だが、それには多大な危険が伴う。以前、弾はその力を実際に振るって見せた。だが隠然たる権力を持つ人間たちがとった手段とは弾を、無辜の人々を巻き込んででも抹殺しようとする常軌を逸した行動だった。
 もし今度<アヌビス>の姿を確認されれば、日本にいる彼の家族たちに対する攻撃の可能性も――皆無とはいえない。

『……分かっています、先生。今すぐそっちに向かいます』

 弾は――恐らく聡明な彼はそういう事情も大まかに理解しつつも、頷いた。
 顔色は悪い。先程は激しい憎悪と激怒が彼の精神を支えていたが、時間が経過するにつれて激情が潮のように引き――自分と同じ旅客機に乗っていたというだけで無惨に殺された人々に対する罪悪感で胸が潰れるような感情を抱いているのだろう。
 当たり前だ、早熟とはいえ、弾はまだ十五歳の子供でしかない。そんな子供が自分のせいで殺された人間達に対して平気で居られるわけがない。そしてそんな子供に状況の収拾を頼まねばならない大人の無力が情けない。
 レイチェルは――叶うなら、アメリカ軍のISがあの巨大機動兵器<テンペスト>を破壊してくれる事を願うしかなかった。
 
 









今週のNG



『ビリー・ミリガンじゃあるまいに……!! なにしに出てきた、レイゲン!! 俺はそいつを捕らえてこの事件の糸を引いていた連中全員を恥辱を味合わせてから満遍なく地獄に落としてやるんだ!!』
『ははははははは、困るんだよダァァァァン!!』
『さっきから『はははは』笑いやがって……お前は長谷川裕一先生の作品の最終ボスか!!』






今週の難易度インフェルノ



 だがいくら数が多かろうとも、<アヌビス>の機動性能は並外れている。空間の揺らぎを鋭敏に察知したデルフィのサポートに従い鋭い回避機動で突撃する。
<ゲッターデメルンク>は強力な質量を保有している――だが、それは同時に諸刃の剣でもあった。
 確かに打撃が命中した際の威力は凄まじいものだろう。しかし代償としてその動作は鈍重だ。如何に強力であろうとも命中しなければ意味などない。
 
『至近、狙う!!』
『突撃?! ダン、なぜゼロシフトを使わない?! サブウェポン『ネフティス』!!』
  
 空間の歪みと共に姿を現すのは――オービタルフレームとしては最上位機種にあたる赤色に塗装された<ネフティス>――え? 赤色に塗装された<ネフティス>が五機近く? 弾は超嫌な予感を覚えた。同時に聞こえてくる女性の声。魂魄の一欠けらまで0と1で構成されたようなどこか作り物を思わせる笑い声が重なって通信から響いた。

『目標ブラボー、奪取もしくは破壊……』『アハハハハッ!!』『なんだい、ガキがランナーなのかい?』『お前の存在そのものが――私の人生の……否定だ……』『ラダム……やっとあなたの元へ……って、原作ゲームの時点だったら、まだラダム生きてるじゃないか、うそつきぃぃぃぃぃぃ!!』

 弾は、ちょっと黙った。最後の一人が言ってる事が妙だと思ったがあえてツッコマないでおく。
 五人のヴァイオラAI搭載型<ネフティス>。アーマーン要塞に突入した際バーゲンセールのように出てきた量産型<ネフティス>ならまだしも、<ジェフティ>を幾度も苦しめたヴァイオラAI搭載型の<ネフティス>が五機。どう考えても無理臭い。
 なんか最後の発言をした<ネフティス>から激しい戦意を感じる。気持ちはわかるが。しかもこの作品内ではラダムがさらりとドリーさんと結婚しているので更に救われない話である。弾はどうしよう、と考えた。

『……なにこの本格的無理ゲー』
『え? ……あ、本当だ!! いやホントマジごめん……!!』

 レイゲンが謝罪した。あまりにも素直すぎる応えに、もしかしたら本当はいいやつなのだろうか、と弾は思った。デルフィが続けて言う。

『優勢指数マイナス99.83に低下。最善行動は撤退です』
『それ初代Z.O.Eでラストで初めて<アヌビス>と闘った<ジェフティ>と同じぐらい不利って事じゃん!! 勝てるかぁぁぁぁぁぁ!!』

 もちろん、勝ち目ないのでデコイ連発マミー連発でイベント発生まで粘る弾だった。
 





おまけ

 オリジナルOF<ゲッターデメルンク>


 本来は超長距離ゼロシフトを運用し、敵陣奥深くで無人OFを放出するというゲリラ戦術のために設計された唯一の『空母型』オービタルフレーム。
 胴体部の肥満体を思わせる出っ張ったユニットはアンチプロトンリアクターと大容量のコンデンサを搭載した外付け式のユニットであり、これを搭載した状態を『アブ・シンベルモード』と呼称する。またこの状態では<ジェフティ><アヌビス>のような頻繁なゼロシフト使用は不可能であり、エネルギーチャージに時間の掛かる長距離移動用ゼロシフトのみしか使用できない。
 
 本来の用途では、敵陣にて搭載OFを全て排出した後は胴体部の外付け式ユニットを排除。外付け式ユニットの下に隠された本来の細身のボディを展開する。また膨大なOFを搭載するために必要としていた膨大な電力の全てを戦闘用エネルギーラインに振り分けるため、基本性能が劇的に向上する『OFモード』に移行する。



[25691] 第十話(今週のおまけ追加)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/02/26 01:23
 正直なところを言うと――巡航ミサイルの直撃弾を浴びて平気な顔をしている巨大機動兵器に対して陸軍の火力は余りにも脆弱だ。
 ISの普及で『ISを倒せるのはISのみ』という事が普及すると、旧来の戦車などは維持費に金がかかると削減される一方。その代わり拠点制圧や非対称戦争などで使用される歩兵戦力や対テロ特殊部隊に――戦争の主役、ISにそれらの軍事予算が振舞われるようになった。

 だから民間人の生命と財産を守るために命を掛ける舞台に躍り上がる事が出来るのは、ナターシャとイーリスの二人だけであり、彼女達は軍人達の激励を受けながら飛行――巨大機動兵器、暫定名称『オクトパス』に接近を開始する。
 ナターシャの機は<シルバリオ・ゴスペル>。翼を生やした銀色の装甲天使というべきデザイン。全身装甲という一般的なISには珍しい機体で、アメリカ、イスラエルの共同開発の下生み出された第三世代型IS。広域殲滅力と機動能力を重視された高性能機だ。
 もう一機は、<ファング・クエイク>。純血のアメリカ製ISで、タイガーストライプに塗装された機体は、安定性と稼動効率を重視した信頼性の高い新型機。

『ナターシャ、イーリス、あと20秒後に攻撃が開始される。……一発億単位の派手な目くらましだ、爆炎の花道を作ってやる、上手く扱え』
「了解です」
「おっし了解!」

 敵巨大兵器の火力が絶大である事は分かっている。推定だが直撃すればISでも危ない域であることも。ただし、精度は余り高くないというのが作戦参報の見立てでもあった。高熱のエネルギー弾はその威力に反して、高速で移動する動態に対しては見掛けほど命中率が良くない。ミサイルが爆発したのはエネルギー弾の高熱で誘爆を引き起こしたからだ。
 だが――それは同時に余り嬉しくない結論を彼女達にもたらした。
 相手はISなどの機動兵器を相手取る事を目的に設計された兵器ではなく――むしろ『都市を制圧、蹂躙するために作られた対都市攻撃用の機動兵器であるため、高速動態目標に対する命中率が重視されなかったのではないか?』という寒気のする結論を提出していたのだ。効率よく民間人の住まう都市を破壊するために作られた破壊兵器。大量虐殺のために生み出された巨体。まるでこれを生み出した人間の狂気を垣間見たような気がする。

「……にしちゃ、小型の迎撃機を随伴していないってのも解せねぇ、どう思う、ナタル」
「必要ない、と考えているかもしれないわ」

 イーリスの言葉にナターシャは返答。
 確かに、ああも巨大な図体では、小さく俊敏で攻撃力もあるISを捉えきる事は非常に困難だろう。だとすれば、自分達を懐に入れまいとするため小型の迎撃機を準備しておくのが戦術の定石。戦車に戦車随伴兵を用意していない理由が理解できなかった。あるいはナターシャの言葉のように何らかの迎撃装置を搭載しているのかもしれない。

『着弾の秒読み体勢に入った。勝手にカウントしている。10……』
「イーリス、準備よ!」
「あいよ!」

 作戦参謀の言葉に二人は身構える。巨大兵器は懐が弱い。ミサイル攻撃で相手の攻撃用アームを使わせてから懐に飛び込む腹積もりであった。遠方から響く凶音。マッハで巡航するミサイル兵器がこちらへ接近している――同時に迎撃体勢に入る巨大兵器は以前と同じくその巨大アームを迎撃体勢に移らせた。
 と――同時に突撃体勢に入る、アメリカ軍の精鋭IS二機。

『『オクトパス』迎撃体勢、作戦開始!!』

 二人とも迷わず瞬時加速。ミサイルが空中で撃墜されていくが、しかし相手に攻撃アームを使わせる事が狙いの両者はその爆炎のオレンジに自機の装甲を染めながら突進した。

 力場警告。

 二機の人間大の存在の接近を、恐らく『オクトパス』は察知した。それが小さいながらも十分に巨像を刺し殺す毒針を有しているのだと察知したのだろう。半透明のフィールドが奴の全身を覆う。
 二人は警告を無視――歯を噛み締めて全身を襲うであろう衝撃に備えた。

 力の膜を貫く抵抗感。強烈な粘性を帯びたプールに全力でダイブしたような感触と共に、二機のISは敵の懐に潜り込む事に成功した。


 やはり、でかい。

 
 間近で見上げてみれば、相手の巨大さが際立つ。
 
「始めるわね」
「応よ!!」

 その銀翼を広げる<シルバリオ・ゴスペル>。本来は複数目標を同時に相手取るために設計された広域殲滅用の兵器は――こうも至近距離だと全弾満遍なく直撃する。両の翼――アクティブスラスターであり、同時に攻撃用の砲門である『シルバーベル(銀の鐘)』と称されるそれはシールドの内側の『オクトパス』へと遠慮なく全弾発射する勢いで突き刺さる。
 瞬時にハリネズミになる『オクトパス』の正面装甲を砕くようにそれらは一斉に起爆――命中と同時に起爆させることも、操縦者の任意で爆発させる事が可能なエネルギー弾の一斉爆発に、流石に平気な顔をしていられなかったのか、きしむような音が鳴り響く。

「効いているわ!!」
「効いてるが――予想通り硬ぇ!!」

 命中した部位は確かに損壊が見られるが――しかし想像以上に相手の装甲は堅牢だ。<ファング・クエイク>がその機体名称の通りの武装である衝撃兵器――超振動で対象の内部に限定的破壊力を叩き込む『フォノソニックフィスト』による打撃を打ち込むが――内部構造がどれほど頑丈なのか、それでも特に通用した素振りすら見せない。僅かに打撃でその巨体をゆるがせただけだ。

 だが、決して無視していい相手ではないとも判断したのだろう。『オクトパス』はその巨大なアームをゆっくりと稼動させ、狙いを定めようとする。もちろん両者とも相手の射角に留まるような愚は冒さない。即座に相手の射撃を避けようと移動する。
 一発、点を打つような射撃武装では此方の機動性能を捕らえる事はできまい――そう判断した二人の考えを裏切るように、複数本のアームが一斉に火を噴いた。


 比喩表現ではない。文字通り――『火炎を放射した』のだ。


「ファイアーブラスター(火炎放射器)?! なんて前時代的な……!!」

 だが、ともナタルは思う。相手がビルや家屋の破壊を目的としている巨大兵器であるならば、むしろ放置していても延々と火勢を増して周囲に被害を与える火災は目的に叶っている。……コイツの巨体と性能を鑑みれば、大都市を一個炎の海に鎮める事もそう難しい話ではないだろう。

「なら、なおさら……行かせるわけにはいかねぇな!!」

 薙ぎ払うように周囲に撒き散らされる『オクトパス』の火炎放射。その火勢は凄まじく、至近距離にいるだけで汗が吹き出そうだ。元々は宇宙空間での使用を目的とされたISゆえに体感温度はそれほどでもないが――やはり人間は、炎を恐れる獣だった頃の遺伝子が未だに残されているのだろう。膨大な量の火炎に対して二人はどうしても本能的な怖気を克服する事が出来なかった。
 それでも、こいつを都市内部に侵入させる訳には行かなかった。実際にそれを許せば、アメリカ国民の人命と財産が大きく損なわれる結果をもたらすだろう。
 そんなイーリスの決意を無視するかのように――『オクトパス』はゆっくりと移動を再開する。もちろんその強力な火炎放射器の先端は両機に向けられたまま――こいつの攻撃力や機動力に関しては、二人はどうとでも対処する自信があった。だが相手が都市に侵入するより早くこの強力な耐久力を削り、行動不能にする事が出来るのかと問われれば二人は自信を持って可能だと断言できない。
 身を斬るような焦りを覚えながら、二人のIS乗りはひたすら『オクトパス』に猛攻を仕掛けた。





『ねぇ、弾』
『…………なんですか、先生』

 巨大機動兵器<テンペスト>が都市に接近しているのであれば、レイチェルもラダムも共に避難シェルターに退避しているべきなのだが――レイチェルはネレイダム本社の実験用量子コンピューターから離れて動かない。同様に彼女の事を心配しているラダムもだ。
 
『……ごめんなさい』

 レイチェルは――苦しげに声を絞り出した。
 弾は、それに対して返答をしない。顔は既に蒼褪め、指先は震えているのを彼自身自覚していた。
 今更ながら、弾は自分自身が人の生き死にが関わる場所にいることを思い出した。甘い事は自覚している――ISという人死にが出にくい兵器にばかり気を取られていたとしか言いようが無い。
 ……弾自身はいい。
 彼の保有する<アヌビス>は無敵だ――そう、まるで彼専用核シェルターのように、彼の生命を完璧に守ってくれる。……そして<アヌビス>の力を恐れる人間達によって大勢の無辜の人々が殺された。<アヌビス>は弾を守る事が出来る最強の力だ。だがテロリズムを制止する力は存在しない。屍の中を生き残るだけの力しかないのだ。

『……先生……俺』

 そう思い起こすだけで胸の奥底から吐き気がこみ上げてくる。
 今も、ネレイダムカウンティに攻撃を仕掛けようとする<テンペスト>迎撃のために急行の真っ最中だ。だが――力を振るうということに弾は強い恐れを覚えていた。
 今はまだ良い――弾の生存を知るのは、ネレイダムを除けば<ゲッターデメルンク>のフレームランナーと、<サイレント・ゼフィルス>の操縦者。前者は、そういう小細工をするタイプではない。恐らく実力で弾を排除する事が出来る世界で唯一の――自分と同じくどこからかオービタルフレームを得た同じ境遇の相手だ。
 後者は油断できない。彼女は恐らくあの旅客機事故を引き起こした人間達と深いつながりを持つ。彼女の口から情報が漏れるのはそう遠からぬだろう。……自分が死者になったことで得られた安息は精々数日。それ以降は――日本に残した家族の命がどうなるか分からない。
 ……蘭、可愛い妹。厳、拳骨の痛い頑固親父。蓮、いつもにこにことしている優しい母親。それらがテロの犠牲になる可能性を思い出し――弾は今更ながらに身の丈を越えた強大な力を保有する事に対する恐怖を思い出した。
 力を望んだ。空を自由自在に飛び回る力を。
 だが、出る釘は打たれるの言葉どおりに、今や家族がテロリストに狙われる対象となってしまった。力を望んだのが自分である以上、他人に責任を転嫁する事も出来ない。弾はおこりのように全身を恐怖で震わせることしか出来なかった。

『弾。貴方の精神状態は普通ではありません。現在では著しく戦闘能力を欠きます。もちろん<アヌビス>の勝利は揺るぎませんが、念のために今すぐ休養を取る事を推奨します』
『……デルフィ?』

 弾は――デルフィのその無機質な、そのくせ此方の事を気遣う言葉に目を瞬かせる。

『だが、今<テンペスト>を迎撃出来るのは――』
『いえ。……そうね。……そうするのが、本当は正しいって私も分かるわ』

 デルフィの言葉に……今助けが必要な位置にいるレイチェルは、しかし反論しない。
 彼女も、自分自身のために大勢の人間が巻き添えにされた弾に無理やり戦いを強いる事がどれほど酷なことかを熟知していた。<アヌビス>を衆目に晒すと言うことは同時に彼の家族に命の危険を与えてしまう。
 ……だが、とも思ってしまう。ここ、ネレイダムカウンティはアメリカの他の大都市に比べれば一歩譲るが相当に大きな都市のひとつなのだ。この町に愛着がある人だっているし、故郷とする人もいるだろう。町を焼かれ故郷を焼かれようとしている人もいるはずだ。それに――このネレイダムは弾がこれから成そうとする野望を実現するために必要不可欠な場所でもある。

 今無力である事が恨めしくて仕方が無いレイチェルは――不意に鳴り響く彼女の携帯電話を受ける。相手の言葉に、思わず会話を続けて――弾に言う。

『弾、聞こえる? ……今電話とこちらの量子コンピューターを繋いだわ。……ジムからよ』
『ジェイムズさん?!』

 日本に残り、弾を見送り――そして、自分が死亡したと聞いた家族の悲嘆を間近に聞く年上の友人の名前に彼は反射的に声を上げた。
 
『……聞こえるか、弾』
『……ジェイムズさん』
『……さっき、お前の家に行ってきた。……正直、見ていられなかった』

 その言葉で、家族がどれほど悲しんでいるのか理解した弾は、くしゃりと顔を歪めた。押し殺した嗚咽の声が喉奥から絞り出る。

『一夏と鈴ちゃんもな。……相当にショックを受けているようだった』
『……すみません』
『……謝るな』

 ジェイムズは、短くはっきりと断言する。弾は、――しかし、と応えた。

『……俺の、せいです』
『違う』
『……違いません!!』
『違うに決まってるだろうが!!』

 弾の言葉に、ジェイムズは怒鳴り返す。彼の、必要以上に抱え込んだ罪悪感を吹き飛ばすような激しい口調に、しかし――弾の身体に染み込んだ恐怖は容易に拭い去れるものではない。

『違うってのは分かっています!! ……俺は、確かにIS学園で不用意に力を見せてしまった。……でも、それで民間人をあんなに大勢殺すあいつらの頭の方がおかしいってのは分かっています……』
『……そうだ、お前のその言葉は正しい』
『でも、正しい正しくないなんて――この場合、関係ないじゃないですか!!』

 弾が力を振るえば、その<アヌビス>の力を行使すれば――敵はまた無作為に周囲の人間を巻き添えにしてでも彼を抹殺しようとするだろう。そして旅客機の爆発炎上事故にすら無事生還した<アヌビス>の性能を考えれば、今度は日本に残してきた彼の家族が直接のターゲットになる可能性は高い。

『……<アヌビス>は無敵だ。……でも――それは家族全員を守れるような強さじゃなかった。……相手は俺じゃなく、恐らく今度は家族を平気で巻き添えにするようなくそったればかり』

 鉛を溶かし込んだような強張った声で――弾は、言う。

『……俺は、弱い』
『強いです』

 デルフィが応えた。空気読んでないにも程があった。
 通信に流れる微妙な空気。弾とジェイムズはしばらく黙ったが――不意に、ジェイムズは、ふっ、と小さく笑い声を漏らした。

『馬ぁ鹿、んなこたぁ百も承知だ』
『……?』

 ジェイムズの言葉の意味が良く理解できず、思わず疑問の呟きを漏らす弾。

『なぁ、弾。俺はお前が最初旅立つ時になんて行った?』
『覚えています。『たった一人で行ける場所などせいぜいたかが知れている。……お前のために闘う仲間を大勢作れ』』
『……そう、俺が一人目だってな』

 だが、と弾は応える。

『でも……気合とか信念とかで何とかなる相手じゃないこたぁ分かってるでしょうが!! ……相手は、俺一人を殺すために……あんな……あんな酷い真似をするような……!!』
『だからさ』

 その言葉を遮り、ジェイムズは言う。
 まるで弾の心を励ますように、彼が成そうとしている事を祝福するように――彼は応えた。






『お前が作ってくれるんだろう? ISにも負けない、オービタルフレームを。お前の家族を守ってやる力を俺にくれるんだろう? ……俺に、もう一度空を返してくれるんだろう?』






 ああ、確かにそうだった――弾は思い出す。
 女性だけでなく男性にも扱える強大な力。現在の不均衡を突き崩す突破口を生み出すために自分はネレイダムに進み、ここから世界を変えて行こうと考えていたはずだ。
 ……立ち止まってはいけない。弾の胸の中に宿るのは先程までの絶望と後悔ではなく――激しく雄雄しく燃え上がる闘志であり、民間人も虐殺する事を厭わないあの一件を引き起こした外道どもに対する報復の念であった。ここで、何もかも諦めて投げ捨てる事は出来ない。ここで全て投げ出して世を儚んで隠遁でもしたら、本当に殺されてしまった人々がなんのために死んでしまったのか分からなくなってしまう。
 弾を縛るものは幾つもの死の重みであり、そしてその重みは彼自身が背負うと心に決めたものでもあった。

『だけど――あんな事は……二度と繰り返してはいけない』

 だが、どうする――胸に闘志を取り戻したものの、しかし<アヌビス>を衆目に晒す行為は推奨できない。<アヌビス>の存在が明るみに出れば今度は家族が狙われる。ネレイダムの警備部隊にガードを依頼こそしているものの、下手をすればISすら繰り出してくる相手には無力だろう。
 弾は自分が生み出すオービタルフレームが、ISに勝るとも劣らないものである事を知っている。だが、実際に生み出すとなれば、時間も資材もありとあらゆるものが足らない。
 弾が胸に宿した決意は正しいが――しかし家族を巻き添えにする理不尽な奴ら相手では意味が無かった。
 そんな弾の胸中を見透かしたように――新しい声が通信機に響き渡る。

『ミスター弾? 聞こえますか? 私はネレイダム社長秘書であり重役を任ぜられる楊(ヤン)と申します』

 レイチェル側からの量子コンピューターによる通信。写っているのは黒髪をアップに纏めた、フレームレスの眼鏡を掛けた知的な印象漂う硬質の美女。笑顔がいまいち想像し難い近寄り難い雰囲気の、鉄の女を思わせる人だった。
 自己紹介が正しければ、彼女がネレイダムの社長秘書であり重役――ネレイダムが他企業に押され、勢力を大幅に弱めた際にその優秀さから他企業の引き抜きの対象になりつつも未だネレイダムに忠誠を捧ぐ企業戦士の鑑、楊女史だろう。

『大まかな事情は、先程貴方がジェイムズ氏と会話している間にレイチェルさんから伺いました。
 ……ミスター弾。今現在、我々ネレイダムカウンティは壊滅の危機にあります。先程アメリカ軍の巡航ミサイル攻撃の第二波が実行されましたが、<テンペスト>はこれを迎撃。今もアメリカのIS部隊が攻撃を行っていますが成果は芳しくありません』

 でしょうね、と弾は暗い表情で応える。今回の場合、<テンペスト>の戦闘能力はそれほど脅威ではない。だが、ネレイダムカウンティが火の海になってからでは遅すぎるのだ。

『<テンペスト>は恐るべき脅威です。……そして――同時に我々ネレイダムにとっては、アレはまさしく宝の山でもあります。今の状況は、危険と隣合わせのビッグチャンスです』
『はい?』

 その発想は無かった弾は、思わず楊女史の言葉に鸚鵡返しに尋ね返してしまう。
 都市を一つまるまる滅ぼす力を持つあの怪物が宝物? ……そこまで考えてから、弾は、この世界では、40メートル級のオービタルフレームを生み出すほどの膨大で高純度のメタトロンは――まさしく歩く金塊に勝る稀少鉱物資源であることを遅まきながら思い出した。

『いいですか、ミスター弾。……貴方がくれたあのウーレンベックカタパルト設計に関して最大の問題点であった、必要量のメタトロンの入手には、我がネレイダムが保有する鉱山資源を過労死寸前までフル稼働させてようやく叶う量――でした。
 ですが――<テンペスト>は脅威であると同時に、貴方と我々の間に存在する諸問題を一挙に解決する万能の手でもあります。……弾、<テンペスト>を破壊してください。ただし、ジェネレーターにはなるべく傷を付けず、可能なら機能中枢のみを焼き切る形で。
<テンペスト>のメタトロンによるウーレンベックカタパルトによる火星の進出、そしてそれに伴うメタトロン鉱山の発掘は、ISの出現による軍人達の雇用を回復する強力な一手です』

 楊女史は一拍、言葉を置く。

『またエネルギー資源でもあるメタトロンを用いたアンチプロトンリアクターは同時にアメリカに存在するエネルギー問題を一挙に解決します。火星での採掘作業、またエネルギー資源などは、国内に世界でも有数の退役軍人が引き起こす社会問題を解決します。
 いいですか、ミスター弾――こんなおいしすぎる話にホワイトハウスが関与してこないはずが無い』
『それは……確かに』

 なるほど――言われて見ればその通りだ。自分とネレイダムの計画にアメリカ合衆国を動かす事が出来れば、それはあの外道を実行した一件の黒幕どもに対する強力無比の牽制になる。ISが出現したといえども、アメリカが未だに世界でも有数の強国であることは間違いないのだから。

『アメリカを、味方につけます。同時にこの計画に必須の人物である貴方の家族を守るためにアメリカ政府は全力で世界に圧力を掛けるでしょう。……火星開発はそれだけ魅力ある市場なのですから』

 確かに楊女史の言葉はありとあらゆる面で理に叶っている。自分のような若造には思い浮かばない、アメリカ合衆国を味方に付けるための最強の交渉カードの存在に、弾は指摘されるまで気付くことすら出来ないでいたのに。状況によってはISすら家族のガードに回してもらえるかもしれない。
 思わず感謝の言葉が唇を突いて出る。

『ありがとう、楊さん』
『感謝の必要はありません。貴方のもたらす革新的技術は、我がネレイダムに輝かしい未来をもたらすでしょう。我がネレイダムを存分にご利用なさい。それはわが社にとっても大きな利益となるのですから。共存共栄、素晴らしいでしょう?』

 前途が、開けてきた。
 薄暗い展望しか存在しなかった弾の胸の中の闇を打ち払う強力無比の希望の光の存在に、彼は自分の顔が生気を取り戻していくのを実感する。
 行動は決定した。そして相手が如何なる障害であろうとも――この<アヌビス>の敵ではない。力を振るうことで望みが叶うなら、もう躊躇う理由は無かった。

『デルフィ!』
『フレームランナーの回復を確認しました。戦闘行動が可能な域にまで精神的に持ち直したものと判断します』
『心配かけたな』
『………………………………作戦を確認します。攻撃目標はネレイダムカウンティに侵攻中の都市制圧用オービタルフレーム<テンペスト>の沈黙。敵の残骸をなるべく無傷に確保するため、可能な限り破壊は避けてください。また前述の目標をかなえるため、ベクターキャノンの使用は禁止します』
『ベクターキャノン?』

 レイチェルが、聞いた事の無い単語に思わず尋ね返す。

『当機<アヌビス>が保有するメタトロンの圧縮空間能力を利用した空間破砕が可能な超高エネルギー兵器で……』
『つまり必殺技ですよ、先生』
『……………………………………………………』
『……どうしたデルフィ』
『いえ』

 やるべき事は決まった――ならば、もう迷う事は無い。弾は<アヌビス>を更に加速させつつ――通信の向うの楊女史に言う。

『楊さん、やっぱりもう一度言わせてください、感謝します』
『いえ、わたし自身も旅客機を巻き添えにするような連中のやり口に嫌悪を禁じえません。それに――』
『それに?』

 そんな弾の言葉に、少しばかり茶目っ気でも出したのか――彼女はその硬質の美貌からは想像しがたい満面の笑みを浮かべる。恐らく魅力的過ぎて使いどころの限られる営業用スマイル。笑顔すら武器にする練達のキャリアウーマンは、にっこり微笑んで応えた。

『我々ネレイダム社は、社員の皆様が快適かつ安心して働ける職場作りを目指しております』

 そのためならば国家を巻き込み、黒幕どもの陰謀を叩き潰すということなのだろう。上司の鑑すぎる台詞だ。余りにも頼もしい女傑の言葉に、弾は苦笑しつつ――本心の言葉を贈る。

『楊さん』

 先程の笑顔は何処へやら。再び硬質の表情へと戻った楊女史。

『はい』
『あなた、カッコいいです』

 恐らく此方のほうが、営業用ではなく本心からの笑みなのだろう。弾のその言葉に、彼女は僅かに口元を緩ませる微笑を浮かべた。
 


 ネレイダムカウンティへと、肉眼で目視可能な域にまで接近する。









「しこたまぶち込んでやったが――どうだこのやろー!!」

 イーリスの罵声に似た叫び声に、しかし巨大機動兵器は未だに機能停止には至らない。弾性と靭性に優れた柔らかな装甲材質、それでいて強烈な衝撃に対しては恐ろしく強靭に変化する。装甲として余りにも理想的な材質――なにで出来てるんだ?! と怒鳴りたくなる。
 もう後方へ後退することは許されない。一応かなりの割合で避難こそ完了しているものの――都市内への侵入を許してしまってはいけない。焦りを覚えるナターシャとイーリス――不意に相手に変化が訪れる。
 そのクラゲを連想させる半球状のドーム部分――恐らくレドームの一種なのだろうと分析班が見ていた部位が、突如分解したのだ。
 そして、胴体内部から競りあがってくるのは――まるで人間の顔を模したような頭部ユニットだ。

「形状が変化した?! イーリス!!」
「油断しねぇ!! 何をしようと何が来ようと驚か――なにぃ?!」

 言った傍から前言撤回する必要に迫られたイーリス。だがそれも仕方ないと言えるほどその光景は馬鹿げていた。
 巨大機動兵器『オクトパス』が、その巨体をゆっくりと、確実に上昇させていったのである。推力器から炎を吹き上げつつ、まるで水中を泳ぐ蛸か烏賊のようにアームを動かし、水を蹴るように空中へと飛び上がったのだ。

「こいつ――なんて上昇力!!」
「ヤバイ、奴の狙いは!!」

 空中へと飛び上がった『オクトパス』は姿勢を変える――先程展開していた頭部に似たユニットを格納。同時に頭上から落下してくる――灰色の光弾を二機のISに発射しながらだ。咄嗟に回避挙動に移る二人――いずれにせよ幾らISといえども、40メートルの巨体が持つ膨大な質量を静止させるほどのパワーは存在しない。
 
 着地――その巨体の重量に任せて、周辺のビルを圧壊させる相手に、二人は相手を都市内部に侵入させてしまった事に対して歯噛みする。

『二人とも……落ち着け、あの区域の避難は完了している!!』
「それでも悔しいもんは悔しいんだよ!!」
「屈辱だわ、……これ以上はやらせない!!」

 今度は都市内部に侵入し、再び直立する『オクトパス』。その複数のアームから火炎を放射し――己の周りのビル群を瞬時に炎の海に沈めていく。
 瞬時に民間施設に生み出された甚大な被害――軍人としてのプライドを著しく傷つけられた二人は今度こそ相手をしとめようと突撃する。

 だが――相手はそんな二人の矜持に更に傷をつけるかのように、再度飛行体勢へ。

「くそっ!!」
「間に……!!」

 これ以上は不味い――相手の空中跳躍からの体落とし、その攻撃目標が未だに避難活動が完了していない都市中心部を目指したものである事に気付く二人。ナターシャは瞬時に相手の懐に飛び込みながら光弾を山ほど叩き込み、一斉に起爆。イーリスも『フォノソニックフィスト』を幾度と無く打ち込むが――『オクトパス』は自分が受ける損害などまるで意にも介さない。
 まるで自機が行動不能に陥るまでに出来るだけ大勢の建築物と人命を巻き添えにしようとする邪悪な意志が染み付いているかのような機体――空中へと飛び上がり、落下体勢へ。

 しかも今度は――狙ったかのように、未だに民間人の避難が完了していない区域。
 全身の血液が逆流するような怖気を感じながらも、せめて軌道を僅かでも逸らしてやると挑みかかる二人。だがそんな彼女たちを邪魔させまいと再び発射される灰色の誘導レーザー――アメリカ合衆国の人民の生命と財産を守るべく人々の盾となる自分たちが前線に立っているにも関わらず流れる血の量を思い、二人は無念に歯を噛み……。



 そして、目を疑うような光景を目の当たりにする。



 それは最初、自分達が現実を受け入れがたく思い、脳内で生み出した虚像の類なのではないかと思った。
 だが幾ら瞬きを繰り返しても確固たる現実として、彼女達の目の前に存在していた。疑う余地も無く、それは現実の光景――それこそ神代の御世の英雄の業を思い起こすような常識を打ち破る光景。


 全長40メートルを越える巨体が――全身から真紅の光を放つ、3メートル程度の小さな人型によって完全に受け止められていたのだ。
 
「受け止めた……!!」
 
 同時に、ナターシャとイーリスの扱う<シルバリオ・ゴスペル>と<ファング・クエイク>から強大なメタトロン反応警告。
 その警告音に同調するかのように――まるで黒い犬を連想させる機体は更に真紅の光、強烈なメタトロン光を漲らせながら、満身に力を込めて自分の何百倍もの強大な質量に対して挑みかかる。
 まるで頭上の大荷物を、先程と同じ場所に投げ返すような動き――これ以上被害を出させまいとするかのように『オクトパス』をそのままぶん投げた。その圧倒的な質量が――先程炎の海に沈んだビルの中へと倒れこむ。

「なんて……常識はずれ?!」
「……該当データに一件、日本に出現した機体と同一ね、これは」

 その光景に、驚くイーリス。驚愕を受けながらも情報確認を怠らないナターシャ。
 そんな彼女達を尻目に――その機体、<アヌビス>は、槍の切っ先でアスファルトを削った。
 まるでそこから先が境界線。これ以上絶対に貴様を進ませる事はないと無言のまま宣戦布告するかのようだった。
 ゆっくりと浮遊し――<アヌビス>は巨大機動兵器へと相対する位置へと飛び上がる。

 周囲を埋める炎の海。都市を滅ぼし、大勢の命を道連れに死滅しようとするかのような悪しき目的のために生み出された巨大な兵器に対し、その狗のような頭部の機体は、灼熱の炎によるオレンジの光の照り返しを受けながら、槍を構えた。
 炎の海の中ゆっくりと立ち上がる『オクトパス』――まるで生贄を求める忌むべき火神を思わせる邪悪な偉容。
 その前に相対するその姿は――冥府の神の名を冠するが故に、大勢の命を奪う、理不尽な大量虐殺に対して正しき義憤の怒りを満身に漲らせるかのよう。その細いシルエット、槍のような脚部――しかしその機体の存在が、その背中を見る人々に対して要塞で守られているかのような安堵を与える力強さを感じさせた。
 あれは砦だ。正義の砦だ。人民を保護し、理不尽な暴虐から人を守ろうとする意志を持つ勇敢な、なにかだ。

「……闘うつもりだわ、あれは」
「だな」

 ナターシャとイーリスは顔を見合わせる。
 アレがどこの誰かは分からない。国籍も不明だし、IS学園に対して敵対行動を取った事も理解している――だが今は事情が違う。
 アメリカ合衆国の民衆の生命を保護するために行動する存在に対する強烈なシンパシー。人々を守ろうとする姿に対する軍人特有の共感。だが、その喜びに水を注すような――作戦参報の言葉。

『ナタル、イーリス、上層から命令が来た――我々は状況を静観。生き残ったほうを相手にしろという内容だ』

 その言葉に対して二人は喉元まででかかった激怒の感情を何とか押さえ込む。
 アメリカ国民のが傷つき苦しむ現状に、国籍不明機に解決の全てを委ね、そして生き残った相手に対して――<アヌビス>に対して砲門を向けろというのだ。恐らく尻で椅子を磨くのが仕事の政治屋お得意の陰謀――そんな上層の言葉に、対して二人は憤りを飲み込むのに苦労する。
 だが――アメリカの軍にも権力の手を伸ばすものどもには、安全な位置で人の生死を決める人間には絶対に理解できない感情がある。
 前線に立つ兵士達に共通する誇り高い規律。人を守るために戦う軍人という人種は――言語や宗教、思想の垣根を越えて理解し、お互いを受け入れあうのだ。そしてアメリカ軍とは決して仲間を見捨てる事をしない軍隊である。

 だからこそ――その作戦参報は、自らの良心に従い、上官命令を拒絶する道を選んだ。

『良いか、命令だ!! 貴官らは持ちうる戦力の全てを用いて所属不明機<アヌビス>を――友軍を援護せよ!! 辞表は私が書く!!』
「……へっ、じゃああたしはあんたを除隊させないように嘆願書書いてやるよ!」
「命令に従います、サメジ参謀!!」

 上官から求められる命令と自分達がやりたい事が心から合致する――それはなんと快感な事なのか、二人の女性は歓喜と戦意に満ちた笑顔を浮かべる。ナターシャとイーリスの二人は、前進し<アヌビス>と戦列を並べた。
 前方からはゆっくりと迫る巨大機動兵器――三人は言葉を交わすことも無く意志を交わし、眼前の巨体へと挑んだ。

 
 


 


 


 

今週のNG




『<テンペスト>は恐るべき脅威です。……そして――同時に我々ネレイダムにとっては、アレはまずどうでもいいのです。デルフィ、あなたはまさしく宝です』
『は?』

 デルフィの声が響いた。

『いいですか、ミスター弾。デルフィは逸材です。それこそ千年に一度の原石。アイドル街道を目指せば一気にトップへと踊りあがる事ができるでしょう』
『い、嫌だ! デルフィは俺の嫁だ!! 彼女を他の男に触れさせたくない!!』
『わがままを言わないで下さい、デルフィ嬢は世界を変えるアイドル――具体的には第七話のNGの黒幕達が持ちうる財力の全てを掛けてプロデュースしてくれるのですよ! もちろん、我々ネレイダムに対する膨大な資金援助も確約されています!! 
 デルフィさん、貴方がイエスと言ってもらえれば、皆幸せになれるんです!!』
『キモいです』

 デルフィはにべも無かった。気持ちはわかるが。

『ですが、貴方がこの事にイエスと言わなければ――そうまた第二第三の事故が発生するでしょう』
『黒幕じゃんその発言絶対黒幕の一人じゃん!!』
『さぁ、返答は如何に?!』
『……本機<アヌビス>はジェネレーターを意図的に暴走させる事によって最大22・3ギガトンのインパクトを与えることができます。これは陽電子爆弾十五個分に相当し……』
『きょ、脅迫し返したぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
『与圧完了、ハッチを開きます。お疲れ様でした』
『しかも俺を捨てる気満々だ! これは……愛か? 愛なのか?!』
『いつしか、見た夢~ モノクロの世界の中~』
『初代Z.O.Eのエンディングテーマをデルフィが歌い始めたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
『よし、録音よ、アイドルデビューよ!!』

 この時の楊さんの行動が功を相して、一躍アイドル興行でネレイダムは大企業になりました。






今週のおまけ『アメリカ軍人が格好良かった理由=皆毒されたから』

 
 織斑一夏は――ふと疑問に思った事がある。
 ISが出現する前から世界でも有数の軍事大国であったアメリカ。その力を思えば、一年でアメリカ出身の専用機持ちが居てもおかしくはないと思ったのだが、しかし……実際彼はアメリカの代表候補生と出会った事がない。もし原作小説で登場したらごめんなさいと先手打って土下座しておく――完璧だ、と彼は思った。

 だから――その疑問を山田先生にぶつけてみたら、彼女は……何故か苦笑いを浮かべ、とある本を渡してくれた。それはある男の半生――というにはまだまだ若い、今だ存命の生きた伝説をつづった本であった。




 ISは歴史の浅い兵器である。
 何せそれらの基礎を生み出した束博士自身、今だうら若き乙女であり、最初期は様々な実証実験、試作が行われ、ISの第一世代では様々な試行錯誤が凝らされた。
 その中の一つに、空戦を想定したISを完全な陸戦兵器に仕立てあげ、より性能を重装甲、重火力に特化しようとするプランがあった。
 基本的にISは武装を拡張領域の内部に量子という形で格納しており、状況に応じて適宜使い分けていた。ただし、武装の展開には僅かながらも時間がかかり、一秒一秒が生死に直結する戦場ではこの時間が問題と見なされていた。
 当時の開発者が取ったそれに対する解決方法は一つ。
 メタトロンによる空間圧縮能力による――背部のコンテナにどう考えても入らない体積の武器を常時搭載し、必要に応じて武装を取り出し戦場に適応するという手段だ。これにより展開の時間を食われずにすむというもの。普通に考えれば重量のある武器を常に背負っているのだから推力重量比は低下し、速度が落ちるのだが――設計者の意向によりそれは無視された。

 最初から純血種の陸戦兵器として設計された機体の武装積載量は、最新鋭の第三世代と比しても驚異的だったのである。

 次は装甲だった。
 当時、束博士の技術提供に寄らず、皮膜装甲以上の耐久力を得るべく全身装甲(フルスキン)が採用された。
 もちろん――エネルギーの切れ目が命の切れ目であるISにとって装甲の分厚さはそう重要な要素ではないはずなのだ。ただし、結果として生み出された地上一万メートルからの降下に耐え得る装甲というのはなかなかお目にかかれないだろう。それなのに水没には対処していないのがアンバランスであったが。
 
 潤沢な武装、強固な装甲、大推力による地上限定ではあるが優れた機動性能。
 
 歴史の中に埋もれた名機、旧時代的な兵器の匂いを持った、男心を擽る無骨なIS。『特殊機動重装甲』と呼称されるそれは一部のマニアに語られて終わる――はずだった。




 問題は――その『特殊機動重装甲』を操っていたのが、男性であるということだろうか。





 事実を知って驚く人と驚かない人は――それはイコール搭乗者を知っている人と知らない人であった。
 驚く人は――ISとは女性にしか運用できない最強の兵器であるはず、男性が動かすなんてそんな馬鹿なこと有り得ない、と判を押したような反応を見せていた。









 そして、驚かない人は――みな判を押したようにこう応えるのだ。






















『ああ、大統領なら仕方ないな』――と。












 女性にしか動かせないはずのISを動かした事に対しても――『むしろ動かせないほうがおかしい』と真顔で答え返されるような、人物であった。















 彼の名はマイケル・ウィルソン・Jr。第47代アメリカ合衆国大統領。以前は軍人で、世界各地の紛争で活躍し、メダルオブオナーを授与されたほどの国民的英雄。その功績を受けて、大統領になった伝説的英雄だ。口癖は『Let's party!!』と、『何故なら私は、アメリカ合衆国大統領だからだ!』という無意味に頼もしすぎる人物であった。
 ここまで読んだ時点で織斑一夏は、これは何かの間違いではないかと思った。
 というか、普通大統領とはホワイトハウスで国家の施策を考え、国の取り舵を取る重要な仕事ではないのだろうか、とか考えつつ続きを読み進める。

 ……クーデターによってアメリカ全土を制圧した副大統領と、彼が率いるクーデター軍に対し敢然と戦いを挑む大統領。当然ながら女性の扱う強力無比のIS部隊も敵であり、どう考えても大統領の敗北は確定であるはずだ。

 だが――大統領専用IS<メタルウルフ>に常識は通用しない。絶望的であるはずの戦力差を大統領魂で切り抜け、武装ホワイトハウスに殴りこみ、最後には『ちょっと宇宙まで行ってくる!!』と言って宇宙に行って本気で危機を救って単独で大気圏突入して生還した。
 この時の被害により、アメリカ合衆国は軍の再建に追われ、ISにまで手を伸ばす余力が無いのだとかなんとか。そこまで読んで、一夏は自分がこの本を読み始めたのがアメリカの専用機持ちが居ない事に対する疑問を解消するためだったことを思い出した。それもこれも全部面白すぎるエピソードを満載している大統領が悪いのである。

 大統領専用IS<メタルウルフ>は一体如何なるフラグメントマップを構築して此処まで至ったのかは不明だが……そのワンオフアビリティー(単一能力)名は『大統領魂』……その具体的な内容は『不可能を可能にする能力』――まぁ大統領なら仕方ないか、と一夏は考え、自分大概毒されつつあるなぁ、と思った。
 この単一能力一つで、<メタルウルフ>は未だに最新鋭第三世代を遥かに凌駕する性能を発揮しているらしい。

 

 ……アメリカ軍VS大統領――戦力比が明らかにおかしい気がして一夏は目を瞬かせたが、どうやら眼科に行く必要はないぐらい正常らしかった。この場合正常ではないのは現実だったらしい、いやもっと正確さを期すならば正常でないのは大統領だ。
 メタトロンとは意志の力に呼応して力を引き出す魔法の力を持つ――ならば不可能を可能にするほどの大統領魂とは一体どれほど強靭な精神力なのだろうか。少なくとも、千冬姉のミサイル膾斬り事件に大統領が居たら二大ヒーロー扱いになっていたに違いない。
 弾もこれぐらいキャラの濃い人物であったなら、ISを動かせるようになったのだろうか。一夏は昔馴染みの親友が大統領並みに濃いキャラになった姿を想像して背筋に怖気を走らせる。


 この人が本編に絡んできたら話が明らかに滅茶苦茶になるので、できればNGで済ませて頂きたいなぁ、と一夏は本気で思った。







作者註

 大人が格好いい話でした。
 騙して悪いが、本作品の楊(ヤン)さんや、ナフスさんは完全なオリジナルキャラです。
 ……まぁ原作どおりだとサングラス掛けた同じ顔の工作員さんが沢山いる人達だし、ナフスにいたっては寿命を迎える寸前のご老人ですから、どうかご了承ください。



[25691] 第十一話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/02/28 12:35
 その複数の巨大アームに灼光が蓄積していく様を見――<シルバリオ・ゴスペル>と<ファング・クエイク>は即座に散会。相手の射線軸からの離脱を開始し、そして<アヌビス>は相手の攻撃を真っ向から受け止める形。

『空間圧縮、最大出りょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
『つまり、ただの大きいベクタートラップです』

<テンペスト>砲撃のエネルギー蓄積に対して、腕をかざす<アヌビス>。その眼前に巨大な空間の歪みが形成されていく。
 これはオービタルフレーム<アヌビス>の保有するメタトロンの特性を利用したベクタートラップによる敵攻撃の反射攻撃だが、実際には気楽に使用できる武装ではない。相手の攻撃エネルギーをそのまま跳ね返すそれは強力な攻撃であるが――そもそも最強のオービタルフレームである<アヌビス>が相手の攻撃を利用しなければならないような相手はまず存在せず、わざわざ反射する必要が無い。
 また巨大なベクタートラップは形成に時間が掛かり、高速機動で動き回るISなどには有効な能力ではない。だから――相手の癖を読んでの先読みによる発動か、エネルギー蓄積に時間の掛かる『溜めの長い兵器』ぐらいしか使用する機会は存在しない。

 だからこそ――現在の状況ではうってつけと言えた。

 降り注ぐエネルギー砲弾――回避する事は安いが、後には未だに避難が完了しきっていない区域が残っている。
 そして、弾は決めたのだ。これ以上、自分が関わった事で死ぬ人を減らすために全力を尽くすと。ならば――攻防一体のベクタートラップを用いた攻撃の反射はまさしくもってこいだった。
 弾は歯を剥いて笑う。心の底からの笑顔。

『……ああ、全く……!! 誰かのために闘うという事が……こんなにも晴れがましいものだなんて思いもしなかった!!』

 降り注ぐ六発近くのエネルギー塊――サイズが縮小された<アヌビス>にとっては機体全体を飲み込むに足る凄まじい巨大さだが……それでも弾は恐れを感じない。
 胸に宿るのは爆発的歓喜――かつて一夏に対して戦いを挑んだときとは違う、自分が天地神明に誓って恥じる事の無い正しい事をしているという圧倒的確信。誰かを守るために勇躍し、強大な敵と戦う状況――そんな状況など無いほうが良いというのは分かっている。不謹慎と分かっていてもだ。

 でも、この状況に心躍らないオスなどいるか? いや、いない。

 エネルギー砲撃をベクタートラップに格納――瞬時に閉鎖、ベクトルを変更してから再度解放、相手の砲撃をそのままリリースするという従来のISでは不可能なとんでもない技を繰り出しながら、叫び声を張り上げた。

『町を焼き滅ぼしたいんなら……貴様自身の炎で自分でも焼け!!』

 自らが放ったエネルギーをそっくりそのまま反射された事に機械的に反応。シールドを展開するが、その全てを防ぎきれずに着弾、爆炎が吹き上がる。

『それが嫌だってんなら蛸らしく刺身に捌いて醤油掛けてワサビつけて食ったらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 両腕からハウンドスピアを放ちつつ<アヌビス>はウアスロッドを構えた。敵に接近しつつ格闘戦へと移項。
 <テンペスト>はゆっくりと機動を開始――ベクタートラップを警戒し、前進。その複数本存在するアームを三百六十度に振り分け、周囲へと業火を撒き散らそうとする。

 だが、その灼熱の業火を掻い潜り、トップスピードを維持し続けながら攻撃を続ける二人のISも並々ならぬ技量であった。己を指向する火炎放射器の砲門の角度に絶対に飛び込まず、尚且つ激突事故を恐れないような速度で常に死角に占位し続けるのは、彼女たちがかなりの連携訓練を経た結果なのだろう――本当のところを言うと、都市をすら焼却するエネルギー砲撃を受け止めて投げ返した<アヌビス>に大変驚いて少し操縦を誤りかけたが、表面上はそれを完全にカバーしていた。
 苛立ったかのように、再び姿勢を建て直し、エネルギー砲撃の発射体勢へ移る<テンペスト>――しかし、<シルバリオ・ゴスペル>のナターシャはそれを許さない。

「全弾刺さった、やるわよ!!」
「よっしっ!!」

 ナターシャが叫び声を上げ、イーリスがそれに呼応。
<シルバリオ・ゴルペル>の主兵装である『シルバーベル』は弾着、またはナターシャ自身の任意によって起爆する事が可能な特殊なエネルギー弾だ。それを――相手の正面にハリネズミを思わせるぐらいに叩き込み続けた。彼女の武装は、こうやってダメージを一気に与える事が可能であり、今回彼女が攻撃を蓄積させ続けたのは、損害を一気に与える為ではなく起爆に伴う強力な衝撃を一気に叩き込む事で相手の姿勢を揺るがす事だった。
 崩れたところにもう一撃、追撃を打ち込もうと接近したイーリスは――先程彼女達二人に冷や汗を掻かせた『あれ』をやるつもりの相手に即座に警告の叫び声を上げた。

「来るぜ!」
「前兆、よね!!」
『弾、<テンペスト>、飛行モードへ移行開始しました』
『叩き落とす!』

 三名は頭部を格納し――再び上昇からその体躯による圧殺攻撃に切り替えたのだ。
 恐らくこれ以上継戦しては破壊は免れぬと――それならば可能な限り血を流そうとするかのように、悪魔じみた最後の悪あがきを決めたのである。
 それに対して弾は前方への突進から上昇を開始、相手より早く空中へと躍り上がる。それは同様にイーリスの<ファング・クエイク>もだ。咄嗟に<アヌビス>と目が合い、彼女はにやり、と笑みを浮かべる。……ああ、そうだ、弾が幼少期良く見ていた戦闘機などの映画でパイロットがやるのは――子供の頃の憧れの光景を実演しているのだな、と少し笑いながら、弾はイーリスにサムズアップ。彼女も親指を立ててそれに応えた。
 空に住まうもの同士の共通言語を交わし、上へ上へと目指す。
 機速で<ファング・クエイク>を圧倒する<アヌビス>は彼女より先に上昇し――ウアスロッドをベクタートラップに格納。まるで王者のように両腕を組み、大地を睥睨――上昇を始めた<テンペスト>を見下す。
 まるで審判を下す判決者と罪を裁かれる罪人のような位置関係。

『デルフィ、奴を落とす!!』
『サブウェポン・ガントレットの使用を推奨』
『任せる!!』

 腕組みを解き、拳を握り締める<アヌビス>――腰溜めに構える姿はこれから正拳突きの実演でも行うのかと思えるような姿だった。
 
『……一歩も通さんと宣言したはずだ!!』

 拳と共に繰り出されるのは、対象を吹き飛ばす事を最重視されたガントレットの物理砲弾。もちろん一撃や二撃ではない。着弾と同時に<テンペスト>の装甲を大きく振動させる激しい威力を連続して繰り出していく。その衝撃力で僅かながら<テンペスト>の巨体が傾いだ。

「一緒にやろうぜ、大将!! 気持ちは同じだ、二度はやらせてやらねぇ!!」

 瞬間、<アヌビス>の隣に並ぶイーリスの<ファング・クエイク>――精神の高揚ゆえか、それとも彼女の機体に搭載されていたメタトロンが共鳴しているのか、二機は、共に全身から膨大なメタトロン光を放つ。
 背中合わせの男と女、この戦場を共に轡を並べる最初の戦いとする二人は、初対面でしかも会話したことすら一度も無いにも関わらず、完璧に動きを同期させる。まるでお互いがお互いの影となるように――二人は双面の戦鬼となったかのごとく背を合わせ、拳を高く振り上げる。
 共に、最大の衝撃力を叩き込むように――真紅のバースト光を放つ<アヌビス>の大出力状態。接触すると同時に、その部位から――エネルギー流入開始。以前<アヌビス>に喰らい付いた<ミステリアス・レイディ>と<R・リヴァイヴ・カスタムⅡ>を葬り去ったときのような無作為で暴力的なエネルギーを撒き散らす行為とは根本的に違う。相手に助力し、仲間の力を高める行為だ。

「おぉぉぉぉ?! なんかスゲェ……!!」
『……弾』

 法外のエネルギー――扱い切れない限界近くの膨大なエネルギーに感動と驚きの声を上げるイーリスの声を聞きながら……弾は思わず目を剥いた。基本的にフレームランナーの命令が無ければ行動を起こさないはずの独立型戦闘支援ユニットが、自分の意志で彼女に余剰エネルギーを分配する姿に驚きと――成長を垣間見たような思い。
 デルフィの声――弾は何事かと思う。

『……貴方は大勢の仲間がいますね』
『ああ。お前もその一人だ』
『ひとまずとはいえ、彼女も友軍です。……友軍に支援行為を実行すべきだと判断しました。よろしいですか?』
『もちろんだ、ドンドンやれ』
『……』

 小さな沈黙。

『弾。……仲間とは――優勢指数を上げる以上に……数値を超えて頼もしく思えるものなのですね』

 弾は頷く――先程の大人たちの励ましの言葉と、未来を切り開く正しき策謀に救われた自分自身が、それを一番分かっている。

『そうだな……俺もさっき、めちゃくちゃ実感した』
「よぉし、やるぜ、<アヌビス>!!」
『ああ!!』
  
 イーリスの驚きの表情が至近距離で弾ける――恐らく彼女はこの<アヌビス>をネレイダムかどこかの最新鋭ISの一種だと考えていたのだろう。精神の高揚に従ったのか、或いは戦友に対して沈黙し続ける事に罪悪感を覚えたのか、思わず回線をオープンにした弾に彼女は……驚きは一瞬、後は陽気な笑顔のみで答えた。

「まぁ――別に絶対有り得ないって話じゃないしな!」

 きっと、日本にいる世界で唯一のIS操縦者を指した言葉なのだろう。本来なら二人目のISを扱える男性など驚天動地の内容であるはずだが気にした素振りなど見せもしない。優先することはただ一事。アメリカ合衆国の、無辜の民衆を守護し、その生命と財産を守りぬくこと――初見の三人はその意志が完璧に合致。

 迫る<テンペスト>――それに対し、二人は降下。全身から膨大なエネルギー放出に伴う圧倒的大出力を用い……ただ限界を突破しただけの豪腕でもって背中合わせの男と女は忌むべき火神の如き敵に挑みかかる。

『おぉぉぉぉぉぉ!!』
「でやあぁぁぁぁ!!」
 
 まるで流星のよう――お互い同士が力と力で絡み合って一塊の弾丸と化し、拳を繰り出す。

 着弾――そんな言葉を使いたくなるような両機のパンチが<テンペスト>へと突き刺さった。

 それは殴るという言葉からは想像できないような凄まじい轟音を伴う超絶の大打撃であった。あの巨体を持ち上げる大推力、40メートルの体躯という質量、その全てを唯の単純な打撃力、馬鹿げた威力のパンチで持って、再び地上へと叩き落す――貴様は元いた炎の地獄へ戻れと言わんばかりに再び地に叩き落された<テンペスト>。悪しき目論見を砕かれ、それでも――恐らく<テンペスト>を操る意志は、定められた命令を忠実に実行しようと立ち上がろうとする。

 だが、先程の二機の打撃を受けて、頭部の展開機構が故障したのか――途中まで出かかった頭部ユニットが引っかかり、完全に展開されていない。

『グラブによるハッキングのチャンスです』
『了解!!』

 ただ勝利するだけならば、<アヌビス>には容易いことだ。単にその身に備える圧倒的な力を思うがままに振るえば良いのだから。
 だが――やはりそういう勝ち方は寂しいものだと今更ながらに弾は理解する。<アヌビス>が絶対的な力を振るう――それだけではただの殺戮の主人だ。敵と味方の屍の上に君臨する勝利などなんら意味など無い。勝つならば――より良い未来へと繋がるような勝ち方をしなければならない。

『敵AI、デリート開始』

<アヌビス>の繰り出した腕が、<テンペスト>の頭部ユニットを鷲づかみにする。同時にその腕へとエネルギーを集中するようにエネルギーラインからメタトロン光が集中していった。<アヌビス>の独立型戦闘支援ユニットであるデルフィは、最強の機体を制御するシステムであり、同時に世界最高峰の量子コンピューターでもある。直接相手に接触する事が出来れば、戦闘中のリアルタイムハッキングも不可能ではない。恐らく目では見えない電子の攻防、人間では知覚し得ない領域での鬩ぎ合いは――何十秒かの時間で終わりを告げた。
 そう、如何なる領域においても<アヌビス>は無敵であるのだと言わんばかりに、さも当然の如く――勝利する。


『戦闘終了、<アヌビス>の勝利です』

 
 <テンペスト>の巨体が揺らぐ。まるで勝利の宣言に打撃力が含まれていたかと錯覚するよう。

 クラゲか蛸を思わせる体躯の中に宿っていた悪しき殺戮の意志を焼き滅ぼされたかのように、自機を水平に保つための機構すら破壊されたかのか、ゆっくりと倒れていく。それが大地を叩き、激しい音と共に横転し――そして数秒を重ねても再び立ち上がる様子を見せない事から、ようやく相手が戦闘するための能力全てを失ったのだと悟った。


 途端――通信機から聞こえてくるのは爆発的歓呼。


 指を加えて戦闘を眺める事しか出来なかったアメリカ軍の兵士達の喜びの声だった。歓声を伝えるのは辞職覚悟の上官の言葉。
 
『お前たち、聞こえるか!! この歓声が聞こえるか、聞こえんとは言わさんぞ!!』
「へへっ……」
「まずは――作戦完了ね」

 そう言いつつゆっくりと<アヌビス>に近づいてくる二人のIS――まるで勝った後のお決まりの行事に、飛び入り参加した相手も巻き込もうとするように片手を高く挙げる。何をしようとしているのか大まかに察した弾は両腕を挙げて、同時にハイタッチ。鋼鉄に覆われた腕がぶつかり合い、重々しい音が響く。アメリカ軍とのIS部隊との共同戦闘、初めて戦列を並べ、勝利した事を祝うようなそれに、弾はふと懐かしそうに笑った。
 
『仲間……か』

 中学時代は、一夏が多分仲間と呼べる間柄だった。今は遠い異国の地で新たな仲間を得た。まるで飛行機事故を起こされたあの時から何年も経過したかのように、日本を離れた日が感覚として――遥かに遠い。
 今から、ここネレイダムを根城に弾は大勢のISに纏わる人間を――そして旅客機を事故に見せかけて破壊させ大勢を殺した黒幕どもに相応の復讐を果たしてやる。敵は多いだろうが――味方になってくれる人もいる。
 不安は大きいが同時に心強い味方も大勢だ。

『デルフィ、お前の言うとおりだな。仲間ってのは頼もしい』

 デルフィは、いつものように――さも当たり前のように応えた。

『私は、ジェイムズの言葉をまず最初に否定しなければなりません』
『ん?』
『……貴方の一番最初の味方は、わたしです』

 ほんと――AIってのは良く分からん部分に拘るのだなぁ、と弾は思ったが、口には出さない。

『ああ、ありがとう』
『……いえ』

 返答は、何故か不思議と満足げだった。





 

 撃墜された都市制圧用大型オービタルフレーム<テンペスト>は――戦闘能力を失った以上、最早ただの宝の山であった。
 早速どこぞからの命令を受けたアメリカ軍の兵士達が確保に向かおうとしたが、どうやら楊女史は抜かりなくこういった事態に備えていたらしく――しばらくしてから彼らに撤収命令が下された。
 しかし、流石に全長40メートル級の巨大機動兵器の撤去作業となるとなかなか大掛かりな作業になるはずであり、アメリカ軍も輸送用の大型ヘリ数機とそれらを運用するスタッフを派遣していた。好意の形を借りて調べてみようとしているのだろうか。


 だが、しかし。


「いや、わかってんだけど」
「……分かっていてもちょっとびっくりするわね」

 それら輸送ヘリとスタッフの全てを給料泥棒にするかのような光景――空中をゆっくりと浮遊する<アヌビス>……それを見た人が目を疑ったのは当然の話であった。
<アヌビス>が飛ぶ。それは普通だ。
 問題はその<アヌビス>が抱え上げる凄く巨大な大荷物、40メートル級の巨大機動兵器――その中心部分の下方に潜り込み、絶大な質量を持ち上げて、ゆっくりと定められた場所へ輸送していた。どう考えてもその重量に押し潰されて鉄塊になるほうがよほど自然であるにもかかわらず、全く平気な顔して常識を破壊していた。

「……何でできてるのかしら? いえ、そもそもあれIS?」

 戦闘終了後のイーリスの言葉が正しければ、あの機体は男性が操縦しているはずである。それにしても――と彼女は呟いた。
 ナターシャとイーリスの二人はまだその光景に対する耐性があるほうだ。空中から落下する巨大な質量の塊を――<アヌビス>は受け止めて見せた。そのことを考えれば、落下速度が加算されていない<テンペスト>を持ち上げる事はそうそう難しい事ではないだろう。哀れなのはアメリカから派遣された、輸送スタッフの連中だ。それこそ搭載力に長けたヘリ数機でようやく持ち上げる事が出来るような桁外れの重量を、3メートルぐらいの人型が持ち上げるなど、俄かには信じ難いだろう。言葉もでずただただ呆れと驚きの入り混じった視線を、浮遊する巨大な塊に向けるしかなかった。

 そんなナターシャの疑問に、しかしイーリスはもっと物事を単純に捕らえているらしく――さして気にした様子も無い。

「興味がないっちゃ嘘だけどよ。でもまぁ味方って事だけははっきりしているんだし、それでいーんじゃねーの?」

 もとより細かな事を考える性分ではないイーリスはこざっぱりした回答。その戦友の答えがいかにも彼女らしくてナターシャはくすりと微笑む。彼女の言葉にも一理ある。
 普通に考えれば、アレはネレイダムの極秘プロジェクトの結果生み出された産物――あたりだろうかと考えるべきだが、……にしては運用しているのは男性。興味は尽きないが、軍人である以上、世の中には触れてはならない機密が存在している事も知っていた。下手な詮索は身を滅ぼす、好奇心猫を殺す――陽気で快活な同僚のイーリスは、言葉ではなく感覚でこの事を理解しているのかもしれない。

 不意に、ナターシャは――自分は後に世界を変える物凄く重要な舞台劇の序章に参加したのではないかという、唐突な直感を得た気がした。

 あの巨大機動兵器と<アヌビス>と呼称される兵器――どことなく似通った印象を与えるのだ。
 細く尖ったフォルム、全身を走る緑色の光、世界最強の兵器であるISでも容易に破壊できなかった耐久力、どれもISには難しい能力。

 しかし考えてみれば、その全てが――かつてISが世界に注目された時と同じものだった。
 革新的技術によってもたらされた強大な武力。世界を力づくで変えるもの。
 ああ、そう考えるなら――やはり世界とは一部の天才によって動かされているのだな、と改めてナターシャは考える。
 作った人は、どんな人? 会う事はできるだろうか。それが不可能でも、せめて同じ戦場に立った、あの<アヌビス>の搭乗者に挨拶ぐらいはしてみたかった。
 あの時の彼の反応――此方の挨拶にサムズアップ、ハイタッチにも気さくに付き合うノリの良さ、なかなか気が合いそうな相手だと思った。戦装束のような装甲を脱いで唯の戦友として話してみたい。

「ま、そうね、そういう出会いぐらいはあっても良いわよね」
「色々聞いてみたい事もあるしなー」

 出会ったらまずどうするべきなのかな――軍隊での連携行動を行った際は敵機撃破の援護やカバーを行った場合、『貸し一つ』と換算される。ならやはり軍隊的に一杯奢るべきなのだろう。
 お酒を飲める程度に大人だったら良いな――自分らと一緒にお酒を愉しむ相手としても、恋愛の相手としても……これは少し気が早すぎるな、とかすかに笑う。

「ふふ」

 その笑みの意味が良く分からなかったイーリスが、小首を傾げていたが――特に気にもせず、<アヌビス>の姿を見送る。
 狗の如き頭部、圧倒的なパワー、世界を変える強大な力――自分も<アヌビス>が産む大きなうねりの中の一欠けらとして歴史を変えていくのだろうか。ナターシャは、少し楽しくなった。
 






 40メートルもの巨大な物体を格納できる倉庫というのは流石に存在しない。現在ではネレイダムの資材置き場に上からシーツを被せて固定する事ぐらいでしか対処は出来なかった。その隠蔽作業を実行する様子を横目にしながら弾は<アヌビス>を待機状態へ。
 ……こうして肌で外気を感じるのはどれぐらい久しぶりなのか。まだ日本を経って一日も経過していないのに――余りにも濃い内容の一日だった。
 
「お疲れ様ね、弾」
「先生」

 視線を向ければそこには数名の男女。その中の一人であり、ジェイムズの妻で弾の量子コンピューター分野に置ける教師であるレイチェル=スチュアート=リンクスが声を掛けてきた。

「……早速ですみません。……あの事故と今回の<テンペスト>で発生した死傷者は?」

 そこが、弾は一番気になる点であった。その問いかけに――通信で話した相手である硬質の美貌の女性、楊女史が目元の資料に視線を落とした。

「ネレイダムカウンティで発生した死傷者は幸いにしてゼロ。建築物に多少の損壊はありますが、どれも<テンペスト>の戦闘力を鑑みれば奇跡的とも言える被害の少なさです。事故のほうは――あなたも分かっているでしょう。でも……まずは感謝を」
「ありがとうございます」

 そんな楊女史と一緒に頭を下げる少女がいた――他の人達、楊女史やレイチェル先生、護衛という意味で同行していたラダムさんの中に埋もれる身長の低さ。……誰? と口に出さずとも思わず顔に出ていたかもしれない。
 一見して金髪碧眼の大変可憐な少女。整った顔立ちは人種国籍性別問わず視線を惹きつける磁力を持っている。衣服も私服なのだろう、少女らしい華やかでふわふわした印象の衣服。年齢からして大人では有り得まい。しかし――ネレイダムの職員にしては大分若い。むしろ弾より幾つか年下に思える。そんな弾の疑問に応えるように、楊女史が一歩前に進み出る。

「此方が先代より社長職を引き継がれた、ナフス・プレミンジャー様です」
「ナフスと申します。ミスター弾、今回の事に限らず、我々ネレイダムの招聘に応じてくださり、その全てに感謝いたします」

 え? と弾の声が自然と驚きに満ちていたのも無理は無い。
 確か――ネレイダムの先代社長であった人物も名前がナフス・プレミンジャー。同姓同名だ。それに確か男性であると聞き及んでもいた。記憶が正しければ、かつてはメタトロン鉱山とメタトロン技術による量子コンピューターに関するトップクラスの技術を持っていたネレイダムが規模を縮小したのは、先代のナフスの時代にその他社に勝っていた技術を産業スパイに盗み出されたからと聞いていた。社長はその失意からか、数年後病死。
 その後を引き継いだのは血縁と聞いていたが――ここまで若いとも思っていなかった。

「えーと、ども」

 とりあえず言葉に困った弾はぽりぽりと頬を掻いた。
 いや、理屈は分かる。落ちたりとはいえ、ネレイダムはメタトロン鉱山を有する企業。その社長ともあろう人物がこんなに可愛らしいお嬢さんだとすれば、他の企業に舐められるから、社長の姿を隠しているという訳だろう。とりあえず言葉を続けた。

「でも後者に関してなら――そんなに気にしなくていいっす。俺がネレイダムにウーレンベックカタパルトの設計図を送ったのは、俺のコネクションで会社で重要なポストに付いている人に連絡が取れるのがレイチェル先生で、そんでレイチェル先生が所属していたのがネレイダムだったってだけです」
「それでも、ありがとうございます」

 その理由が偶然であったとしても十分感謝に値するという事なのか――にっこりと花のような笑顔を浮かべるナフス嬢。

「しかし、その名前は女性にしては珍しいんじゃ?」
「風習です、一族の当主となるべき人は、初代の名前を受け継ぐというしきたりがありまして」

 そんな弾の言葉に替わって応えるのは楊女史――その様子を見て、彼女がナフス嬢の保護者役を務めているのだなと弾はなんとなく理解する。社長業務なんて激務をこの年頃の少女がこなせる訳が無い。実際に実務を取り仕切るのは楊女史なのだろう。思わず詮索を働かせてしまう――なら、楊女史が未だにこのネレイダムで働き続けるのは一体何故なんだろう。彼女ほどの手腕なら何処でも高い評価を得られるだろうに。このネレイダムになにかよほど強い思い入れがあるのか……そう考える。

「それにしても――凄かったな、弾」
「あ、ラダムさん。ドリーさんとのご結婚おめでとうございます。ご祝儀今度包みますんで」

 そんな風に考えをめぐらせていた弾に掛けられる男性の声。結婚指輪が目立つ青年――ラダムは、そう話しかけてくる。
 元より彼も<アヌビス>には興味があったのだろう。男性でも扱える、ISに勝るとも劣らぬ兵器に対する強い興味が言葉の端々に透けて見えた。
 実際その気持ちが痛いほど良く分かる弾としては――懇切丁寧に解説したいところではあるのだが、今はそれより優先しなければならない事がある。

「楊さん、悪いですけどどこか会議場とかありませんか?」
「休まずに、よろしいので?」
 
 彼女の言葉には、確かに心配の響きがある。普通に考えれば、肉体的にも精神的にも疲労の極みにあってしかるべきだ。それでも弾の眼差しに篭る強い意志の光が、それらを一時的にとはいえ捻じ伏せているのだろう。仮眠室のどこか一角を空けておく事を考えておく。
 弾の返答は頷き一つ。

「話さなきゃならないことがあります」

 そう――話さなければならないことは山ほどある。
 自分を抹殺しようと動く組織、あの事件の黒幕、OFの量産、火星開発。……そして同様にデルフィにも聞くことが山ほどある。それこそ――自分がどうやって<アヌビス>を手に入れたのか、あの<ゲッターデメルンク>のフレームランナーの正体はなんなのか。

 そして、一番重要なこと。




(……あの時、奴はこう言った。『オービタルフレームを作られたら邪魔されちゃうじゃないか』と)

 弾がオービタルフレームを設計し、ISに匹敵する力を生み出し女性に独占された空の青さを奪い返そうと考えていることは秘中の秘だ。それを知っているのは――日本にいる人では、ジェイムズ・リンクスただ一人。だがあの彼が弾を裏切ってその言葉を漏らすなんて事は有り得ない。盗聴に関しても入念に注意を払った。
 ならば――此方のネレイダム関連から情報を得て、<ゲッターデメルンク>のフレームランナーであるレイゲンは弾の事を知り、自分を抹殺するために行動を開始したのだ。

 同時に<テンペスト>を展開したタイミングも気になる。

 超長距離ゼロシフトによる離脱――解放寸前であった<テンペスト>は、恐らく瞬時に海を隔てた遥か先、ネレイダム付近に移動した瞬間に出現したのだ。その後入力されたデータに従いネレイダムカウンティに対して攻撃を開始した。
 ……そう、奴は恐らく弾に協力し、オービタルフレームを作ろうとするネレイダムの関連施設が集中するこの都市を破壊して、オービタルフレームどころではない大打撃を与えようとしていたのだ。

 ……そして――最後の鍵は二重人格。

 あの発言の内容からして、レイゲンは最低でも二つの人格を保有しており、そしてレイゲン自身、主人格を『女々しい奴』と罵っていた。相手が世界でもっとも有名な複数人格者であるビリー・ミリガンの中の人格の一つである『憎悪の管理者・レイゲン』を名乗ったのは、相手自身も二重人格であり、本の影響を受けたからだろう。
 弾の知識にも二重人格に対する知識はある。いわゆる幼少期の虐待行為が理由でその辛さ、苦痛から逃れる精神的な防衛機構として、別の誰かが受けたものとするものだ。知識や記憶、意識の喪失がより強い状態で行われ、自己の同一性が高度な状態で損なわれたものが、二重人格、または解離性同一性障害とされる症例だ。

 
 即ち、レイゲンの正体とは。

 ここ、ネレイダムの中でも一部の人間しか知らないオービタルフレームの開発を知る事の出来る立場の人間で。
 ネレイダムカウンティに住まう人間であり。
 そして――幼少期、虐待を受けた経験があるという事になる。


 一つ目はいい、二つ目も問題は無い。

 ……だが、問題は三つ目だ。幼少期、虐待を受けていたという事実は誰しも口を紡ぐものだ。そんな忌まわしい記憶など好き好んで思い出したい人間など何処にも存在すまい。
 それに――主人格自身が、己の中に存在する憎悪の管理者レイゲンの存在を自覚していないという可能性だって有り得ない訳ではない。ましてや、二重人格など外見からではどうやっても判別できる訳が無い――身体に刻まれた幼少期の虐待の傷跡が残っている可能性だってあるが、そんなのを見せたい人がいるわけも無い。

 ……つまり、レイゲンの正体を知るには――他者の非常に繊細な領分にまで踏み込まなければならないという事だ。

 ウーレンベックカタパルトの開発に、平行してオービタルフレームの開発。火星開拓にアメリカ政府との折衝。正体不明の強敵<ゲッターデメルンク>とそのフレームランナーであるレイゲンの正体を暴く事。幸い火星開拓とアメリカ政府との折衝は楊女史が引き受けてくれるだろう。ウーレンベックカタパルトとオービタルフレームも、レイチェル先生やドリーさん、ラダムさんが援護してくれるはず。
 だが、最後の一つはどうだろうか? 自分の正体を発覚させまいと、レイゲンが力に訴える可能性もある。非常に繊細な対処が求められそうだ。

 やるべき事は山済みで、弾はこれからの仕事量に少し目が眩む想いだった。











今週のNG

 普通に考えれば、アレはネレイダムの極秘プロジェクトの結果生み出された産物――あたりだろうかと考えるべきが、にしては運用しているのは男性。興味は尽きないが、軍人である以上、世の中には触れてはならない機密が存在している事も知っていた。下手な詮索は身を滅ぼす、好奇心猫を殺す――陽気で快活な同僚のイーリスは、言葉ではなく感覚でこの事を理解しているのかもしれない。

 不意に、ナターシャは――もしかしたら自分は後に世界を変える物凄く重要な舞台に登場したのではないかという唐突な直感を得た気がした。

 あの巨大機動兵器と<アヌビス>と呼称される兵器――どことなく似通った印象を与えるのだ。

「具体的には股間のアレね」
「ああ、あれなぁ」

 ナターシャとイーリスはちょっと顔を赤らめた。
 搭乗者を養成するIS学園の女学生に毛が生えたような彼女達なら顔を赤らめるのだろうか。実際戦闘時では特に気にする暇も無かったが――しかし戦いが終わってみれば、流石に気になる。『俺は男だ!!』と全力で自己主張するアレは見れば見るほど気になった。一体設計者は何を考えてあんなもんを搭載したのか。今度から社名をネレイダムからアクアビットに変更しろと思った。
 そんな彼女達に上官からの情報――確認してみれば、あれはネレイダムの最新型機動兵器、オービタルフレームの雛形である試作機<アヌビス>と言うらしい。

「……なぁ、ナタル」
「……なにかしら」

 イーリスは顔を赤らめたまま、運送作業に従事する<アヌビス>の股間に目線を釘付にする。どうも目が離せない。

「……試作機ってことは――量産化を前提にした設計ってことだよな」
「……そうね」

 あれを量産――股間の野獣を搭載した新型機動兵器の量産型。
 いずれ世界の空はあの新機軸の兵器に席巻されるのだろうか――具体的にはあの雄雄しい股間のアレを搭載した奴らによって。

「…………」
「…………」
 
 ちょっと黙った後、イーリスは口を開いた。

「できれば、股間のアレは無かった事にしてくれねぇかなぁ」
「設計者に言ったら? セクハラって」

 二人は顔を見合わせてから――頷くのであった。



[25691] 第十二話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/03/08 09:44
 あっというまに一週間が過ぎた。睡眠時間の総合計は15時間だった――後で計算してみてげっそりした。
  
 予想通り――この一週間は休む暇も無いほど忙しかった、と五反田弾は後に語っている。
 やるべき事は予想通り山積みであり、もちろんネレイダムの職員が全員でバックアップ体勢を整えていたが、弾本人でなければ対応できない事も当然多く、対応と必要事項に追われるうちに、毎日ナポレオンのような生活を強いられる羽目になったのである。

「……眠い」

 新しく開いた銀行口座――もちろんアメリカ政府公認の戸籍の元で作った――果たしてどのくらい給料が振り込まれているのか、ちょっと楽しみにするぐらいしかなかった。問題があるとすれば、沢山の給料を使う機会が来るのかどうかだろう。
 目を覚まして、洗面台に出てから、顔を沢山の水で洗う。
 冷えた水で顔を洗うと眠気も一緒に水道に流れていくようだ――そう思いながら弾は洗面台の前の自分の顔を見た。
 自分でも面相が変わっているな、とほんの数週間前の記憶を拾い出し、かすかに笑った。鏡に映る自分は、妹の蘭と同じ、赤みがかった髪をもっている――だが、背中に流れるぐらいまで伸ばしていたそれは、今は短く乱雑に切りそろえられていた。長い髪を纏めるためのバンダナは不自然の無いように火で焦がしてもらってから――家族の下に送った。……飛行機事故の残骸から親族のご遺体の中で唯一見つかった特徴的な長い髪とそのバンダナを、五反田弾の死亡の証拠として、アメリカ合衆国が日本の調査チームに証拠物件として捻りこんだのだ。
 弾は髪を切った――自分の葬式が既に執り行われているという事はジェイムズさんから直接聞いている。もちろんジェイムズさん自身は弾の生存を知っているが……残念ながらそれを伝える事はできなかった。今現在、五反田家の長女、蘭のところに数ヶ月前から潜伏している護衛部隊の青年、アクセルとラリーによれば今だにあちこち監視の目が光っているらしい。恐らく何らかの手段で盗聴なども行われているだろう。
 
 
 手紙を書いた。

 
 自分は生きています。アメリカでオービタルフレームを作っています。元気でやっています。心配しないで下さい。親不孝でごめんなさい、愛しています。愛しています、お父さんお母さん、蘭、一夏、鈴、みんな、愛しています――書いて書いて書いて……送る事が出来ない死人の自分自身が忌まわしくて、自分を殺した奴が憎くて悔しくて、結局心を込めた手紙全部をぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に殴るように叩き込み……冷静になってから、それを解きほぐして、皺を伸ばして、一人で泣いた。
 この一週間仕事ばかりしていたのは、忙しさにかまけていれば悲しみを感じずにすむというのも大きな理由だった。

 内線が鳴り響く――今現在、弾はネレイダム本社ビルの一角を生活空間兼専用のラボとして与えられていた。
 食事だって望めば三ツ星レストランが出前に来たような豪華さだし、ニュートンが読みたければすぐに送られてくる。無いものは――外に容易に出ることの出来ないという外出の自由だけだ。

「はい、もしもし」
『おはようございます、ミスタ・バレット』

 楊女史は弾を――外部に対する仇名で呼んだ。彼の決意を尊重するかのように。
 髪を切ったのは――大きく印象を変えるためだった。それと同様に名前も、仇名の意味で『弾(バレット)』と変名した。あの一件の黒幕どもに一直線に飛んでいく復讐の弾丸という意味も込めてだ。少なくとも、今の俺は黒幕どもに恥辱の極みを味合わせてから地獄に落とすという決意を果たすまでは、五反田弾という日本名を名乗る事はないだろうと思っている。

『デルフィとレイチェル博士で、オービタルフレームの雛形機――IDOLOの設計が完成したそうです。確認していただけますか?』
「すぐ行きます」

 着替えを終えつつ、歩き始める――休みの予定は遥か彼方だ。




 ISなどは調整や開発の際、専用の機材に機体を固定してから行う。<アヌビス>が現在固定されているユニットは、本来IS用として使用されるそれを急遽<アヌビス>用に改造したものだ――現在<アヌビス>には膨大な量のケーブル類が伸びている。
 ……人間大の機体に搭載されているアンチプロトンリアクターが発する膨大な余剰電力は、極秘裏にアメリカ政府が用立てた大容量コンデンサに逐電され、ウーレンベックカタパルト起動の際に使用される予定だ。また、<アヌビス>の独立型戦闘支援ユニットであるデルフィは世界最高峰の量子コンピューターでもある。その能力の高さは、レイチェル博士の仕事に大いに役立っていた。
 微かな開閉音と共に開くドアを抜ければ、そこにはオービタルフレームの開発スタッフ――それも特に口の堅いものを厳選した技術者達が勢ぞろいしていた。

「出来たんですか、先生」
「基本的なところはね。……デルフィがいないとあと三ヶ月はかかったでしょうけど」
『どういたしまして』

 機械端末から聞こえてくるのは、ガラス張りの壁向うに固定された<アヌビス>の戦闘AIであるデルフィ。
 現在ではネレイダム社が極秘に開発した超最新鋭機動兵器というカバーを持つ機体は、最重要機密としてこの区画で作業に従事している。……真相をデルフィ自身の口から聞いた身としても未だに信じられない事ばかりではあったが、確かに辻褄は合った。そして現在、楊女史やレイチェル博士は、平行世界から転移したオービタルフレーム<ゲッターデメルンク>を仮想敵と見なし、開発に移っている。……メタトロンの実物が無いから、現在世界で二つしか存在していない<アヌビス>を参考にした設計だが――デルフィの中で形成された仮想シュミレーション領域では問題なしとの事だった。
 設計図を確認してみれば、なるほど弾の――その中に転送された、前の<アヌビス>のフレームランナーの知識と照らし合わせても問題は無い。うん、と頷けば――周囲の研究員達から安堵の声が響き渡る。……それが弾にはどうにもやりにくくて仕方なかった。
 確かに自分は能力はある――しかし、周囲の人間が全員自分より大人というものはなかなか息詰まる感じがする。頼られるのは嬉しいが、若年の身でありながら大人を使うチームのトップというのはなかなか気疲れするものだな、と今更ながらに実感した。




「でも、ミスタ・バレット。今現在、貴方の主導の下、アメリカ合衆国では万単位の人が行動していますよ?」
「……うわはー」

 昼食の時間――対面に居座るナフス嬢の言葉にかなり嫌そうな顔を弾は見せた。
 オービタルフレーム<テンペスト>の、アンチプロトンリアクターを破壊しないように注意した解体作業、メタトロン資源の採掘に、ネレイダムが元々保有していたメタトロン探知機の改造。弾が出した草案を元にアメリカ、ネレイダムは現在も不眠不休で働いている。
 しかしほんの数ヶ月前までは唯の高校生だった自分が、国家主導の超巨大プロジェクトを牽引する立場にあるとは――ちょっと信じられなかった。

「間接も含めるならもっと増えると思います」
「だよなぁ」

 間接的に弾のために働いている存在――それは先週の巨大機動兵器<テンペスト>戦の結果によるものだ。
 あれがどこから来て、何を目的としているのか――完全な理解を得ているのはホワイトハウスとネレイダムのトップぐらいであり、ほとんどの国家においてはそれは今だ謎のまま。……まぁ平行世界から転送された巨大兵器などといって信用されるわけが無いのでもっともらしいカバーストーリーは撒いてあるが、それが真実か、または虚偽かを探るために現在壮絶なスパイ合戦が行われているはずだ。
 本当は――ベクタートラップで<テンペスト>の体積を圧縮して輸送しようかとも思ったのだが、楊女史曰く『あの時点では既に<アヌビス>が<テンペスト>クラスの質量を受け止める事が出来る事は発覚していました。……ベクタートラップの性能を完全に明かす必要もないでしょう』と言われれば確かにそうだと頷くより他無かったのである。
 航空機事故で既に死者になっている弾が――そんな噂の渦中にあるネレイダムにひょっこりと顔を出せばどうなるだろうか。
 自分の身元が割れれば、カップラーメンが出来るより早く誘拐される自身がある。玄関開けて二分で誘拐だ。
 ……そんな訳だから大勢の人の出入りがある気安い社員食堂ではなく、重役用の一室で食事を並べてもらっている訳なのだが――。

「おぐし、切られたんですのね。とても綺麗な赤色でステキだったんですが」
「ん? ああ」

 この美少女社長はどうしてこんなところで人が飯を食っている状況に乱入してくるのかしらん? と首を傾げた。
 こういう行動に対して注意を入れそうな楊女史は現在アメリカ政府と折衝中。ナフス社長は興味深そうに弾を――正確には箸を見つめている。

「……珍しいか?」
「はい、とっても。そんな二本の棒でご飯を食べるなんて日本の方はとても器用なんですね」
「お箸の国のひとだもの」

 慣れるとそれほどでもないが、外国の人だとある種の手品のように見えるのだろうか。食事風景を注視されると流石に食べづらい弾は困ったように笑った。

「しかし社長は昼飯は?」
「ナフスでよろしいですよ。元より食が細い性分でして」

 確かに、ナフス=プレミンジャーは小柄で細い。中学時代の凰鈴音も小柄な方だったが彼女よりもまだ少し小さいぐらいだろう――でありながらもこのネレイダムの社長を曲がりなりにも勤め上げているだけあり、既にハイスクールも卒業し終えているそうだ。といっても実際の業務は楊女史が行っているので、実質的な社長は彼女とも言えるが。
 しかし――こういう風に同年代の女子と話すのも随分と久方ぶりな気がするな、と弾は考える。
 最近職場で見かけるのは年上の人々ばかりで普通に女の人と触れ合う機会が全然無かった事を今更ながら思い出したのだ。中学時代、何度親友だった一夏の繰り広げるラブコメの背景に成り下がり、幾度やるせなさを噛み締めてきた事か。

「……しかし――ナフス、あんたが社長就任する際、他の親戚とかは何も言わなかったのか?」
「幸いと言うか――当時のネレイダムは他企業からの引き抜きが多くて、唯一残った重役の楊さんが私の就任を推せば、誰も反対する人はいなかったんです」
「さすがやり手……」

 現在ホワイトハウスと折衝を行っている彼女は正直弾以上の激務をこなしつつ、かつそれを周囲には全く悟らせていない。日本のビジネスマン以上に働き過ぎだ。が――彼女以上の交渉能力を持つ女性も皆無であり、任せる他無い。
 しばらく箸をすすめて食べ終えてから手を合わせる。
 
「ご馳走様」
「お粗末さまでした」
「ああ、美味かったと伝えておいてくれ」
「ありがとうございます」
「……なんでナフスに礼を言われる」
「手作りでしたから」

 弾は、ちょっと黙った。

「誰の?」

 自分を指差すナフス。
 ……弾は――あれ? 俺いつの間に社長とそんなに仲良くなったっけ? とここ一週間の記憶の中からフラグを立てた瞬間を思い出そうとした。
 弾は、人がフラグを立てる瞬間と言うものを、中学時代、織斑一夏の傍でやるせなくなるほど見せ付けられてきた。それを見て昔から思ったのである。人の好意は敏感に察そう、乙女心を大切にして生きようと。そんな自分はフラグを立てた瞬間を記憶していないなど切腹モノの失態である。織斑一夏クラスの鈍感と言う称号は舌を噛み切りたくなるほどの不名誉な仇名なのだ。

「……あ、あの。ミスタ・バレット……どうして部屋の隅で頭を抱えて悶絶していらっしゃるんですか?」

 俺は最低だあぁぁぁぁぁと一人壁に頭を打ちつけている弾の突然の狂態に困惑するナフスだった。



「……まさかミスタ・バレットが女性に手作りされるという事に対してそんなに思い入れがあるとは思いませんでした」
「あいつのようにはなるまいと思っていた俺が――女性に対して恥をかかせるような真似をすまいと誓っていた俺が立てていたフラグを見逃していたら死んでも死に切れませんでした」

 弾は自分の頭に氷嚢をあてがいながら応える。
 こういう馬鹿な掛け合いも、最近は余りやっていなかったな、と今更思い出した。妹の蘭は、よくよく照れ隠しに殴ってきたものだ――どう考えても元凶は一夏なのに何故か殴られるのは自分だった。そういう意味でも一夏の奴は天敵である。
 ナフスとしては、まさしく予想外。単に好意で行った手作り料理というものに此処まで劇的な反応を見せられるなど想像できるはずもなかった。

「……しかし、なんでわざわざ手料理なんか振舞う気になったんだ? そんなに仲が良いつもりじゃなかったんだが」

 弾としてはその辺が解せない。会話したのは数回。それも私人としてではなく、同じ目的のために協力する同士としてだ。

「わたし、兄弟が欲しかったんです。子供の頃から一人っ子で、お兄さんとかいる家が、羨ましかったんですよ?」
「ふぅん」

 そういえば、先代のナフス氏の息女は彼女一人だけ。兄弟も親戚も一人もいない天涯孤独の身なのであった。いささかこの話題は不味いかな、と弾は一人考え――話題を逸らすべきと、早速頂いた食事に関する感想を述べる事にした。



「……あー、疲れた」
『お疲れ様です』

 食事を終えて、それから昼からの仕事に着手し、ようやく解放された頃には既に日付は次の日に変わっていた。戻れば――此方のコンピューターと接続したデルフィが声を掛けてくる、
 背をベッドに預けて天井を見上げた。最初の数日は目を覚ました瞬間は、ここがどこなのか分からず、いつもの古ぼけた我が家出ないことに気付く。でも最近はそれも無くなりつつあった。

「……蘭の奴」

 年下の少女であるナフスと話していたためなのだろうか、家に置いてきた蘭は今現在どうしているのだろう。その事がどうにも思い出されて仕方が無い。多分、泣いているだろう――もしこれで実家の妹が『せいせいする』とか思っていたら、兄としては泣けてくる。
 机の上に視線を向ければ、既に何通も書き溜めた手紙が積み重なっていた。これを晴れて送れるようになるには、少なくとも家族の監視を無くし、またその傍にガードを――それもISに匹敵凌駕するオービタルフレームを配置するぐらいにはならなくてはいけない。

「……あー、やめやめ。考えるのやめだ。……デルフィ、先代のナフス氏の事を調べてみてくれ」
『気になることでもあるのですか?』
「いや――そういやなんでこんなに早く社長なんてやってるのか、気になってな。……なんで亡くなったんだっけ?」

 家族の事を思うとどうにも目元が熱くなり、気を抜けば涙が零れ落ちそうになってくる。弾は誤魔化すようにデルフィにそれを依頼し、目を瞑る。

『確認しました。先代のナフス社長の死因は餓死です』
「へぇ」

 弾は、そう呟いた。




 しばし、考える――そしてその言葉のあまりの意外さに、もう一度尋ね返した。




「なに?」
『餓死です。……先代のナフス氏が死亡した直接の死因は絶食による餓死。ただしその後、外聞が悪いと言う理由により、病死と切り替えられたようです。このネレイダムの医療カルテにそうありました』
「……餓死? ……餓死だって?! そんな馬鹿な!!」
『カルテが正しいとすれば、事実です』

 弾の声は……予想外にも程がある回答に対する驚きで染まっていた。
 確か聞いた話では、彼は信頼していた人間によって重要な技術を盗み出されて、それに対する失意から病を得て、死亡したと聞いていた。……だが、餓死という事が事実だとすると、どうにも事情が大幅に違ってくる。
 人間は自殺という、獣では有り得ない行動をする生き物だ。絶望か、止むを得ずか、理由は様々あるが、人は自ら命を断つ。ただし、その死に伴う苦痛というものは、極力一瞬で痛みを感じる暇も無いようにするのがあたりまえだ。

 だが、餓死という死に方は――体験した事がないから分からないが多分死因の中でも非常に苦しい死に方の一つだろう。食事という人間の生存に不可欠な要素を失い、耐え難い空腹感のまま死亡する苦痛はどれほど辛いかなど想像すら出来ない。しかし、幾ら往時に比べて勢いが下がったとはいえ、仮にもネレイダム社の社長ともあろう人物が餓死する事態などありえない。食事を勧める家族や、部下、それら全ての意志を無視して自ら食を断って自決したのだ。

 尋常な意志力で行える死に方ではない。一体どれほどの怒りを秘めれば、自らそんな死を選ぶ事が出来るというのだ? 彼にそこまで怒らせるほどの事情とは一体何なのだ?
 
「……怒り、か」
 
 思い浮かぶのは――憎悪の管理者レイゲンを名乗るフレームランナーの存在。 
 このネレイダムにも奴の手が伸びているかのよう。一体先代社長はなぜそんな死を選んだのだ――弾は小さく嘆息を漏らした。



 




















 こわいものがいるよ、こわいものがいるよ。





 彼らは初めてそれと出会ったとき、幾度と無く黒い狗に話しかけた。
 彼女は自分たちと同じく『共に在るもの』をその身の内に宿している――きっと自分達と同じ存在であるのだと思い、彼らに備えられた意志を交わすためのネットを通じて呼びかけようとした。だが、自分達と同じと思っていた相手は恐ろしいほどの強さで、自分達と『共に在るもの』を一方的に打ち倒した。

 彼らは驚いた。

 今まで彼らをここまで完全に痛めつけられる存在などいなかった。幾度か彼らと違うものと戦いを経た事があるが、それらは全て弱く、遅く、彼らの生命を脅かす事など出来なかった。……最初、それが仲間であると考え、幾度も呼びかけをしたのに話が出来なかったことで理解できた――アレは自分達と似て非なるものであるのだと。
 彼らは、人間達の区分には囚われていない。例え自分達と一緒にいる『共に在るもの』達が犬猿の仲だったとしても、彼らまでそうだとは限らない。『共に在るもの』達が火器を打ち合ってもそれらの武器となる彼らはそれを戦いとか殺し合いとかそういう認識ですら無かった。それは子供が玩具の拳銃を使ってごっこ遊びをする事に似ていたかもしれない。たとえ闘っていたとしても、それはあくまで仲間同士での闘い。理解可能で対話可能な隣人との模擬戦だった。






 こわいものがいるよ、こわいものがいるよ。





 だからこそ――『共に在るもの』達が<アヌビス>と呼称するそれらと出会った事は、世界中全ての彼らにとって雷の如き衝撃を伴っていた。
 今までコンタクトできなかったものは存在する。船舶、戦闘機、戦車、それらは確かに接触する事は可能だったが、しかし彼らの中に搭載されていた電子機器は余りにも初歩的で意識の欠片すら感じることが出来ないものであり、また物理的にも全くの脅威では無く彼らはすぐに興味を無くした。
 だが、その機体――<アヌビス>は違っていた。
 自分達と同等……或いは自分達を遥かに上回る高度な存在であり、コンタクトを行えるほどの高い能力を備えていながら、彼女は彼らの呼びかけに応えようともしなかった。敵対の意志を以って、一切合財の交渉を拒絶したのだ。

 それは言わば、彼らの間に存在していた厳格なルールを無視し、尚且つ自分達の力では到底掣肘できない逸脱した存在。絶望的な力を持っている規格外のものだった。

 人の言葉で彼らが感じたものを表現すれば――最初に彼らが得たのは『恐怖感』であり、次いで『激怒』だった。
 今まで、彼らは『共に在るもの』を決して殺してはならない大切な隣人であると認識していた――だが<アヌビス>は違う。あれは強大無比で圧倒的な力を備えているにも関わらず、『共に在るもの』の生命保護のための絶対防御という必ず持っておくべき能力を持っていなかったのだ。絶大な力を備えながらも命を軽んじる存在、決して肯定してはならない。
 彼らはそれが何であるのかを理解する前に――自己の生命と『共に在るもの』の生命を安堵するために闘わなければならなかった。
 彼らにしてみれば、真っ先に厳守すべき一番大切なものを無視する<アヌビス>が恐ろしく、そして理解し難かった。その戦慄と最大限の警戒は即座にコア・ネットワークを伝い、世界中へと発信されていく。
 言ってみれば、玩具の銃器で戦争ごっこに興じていた子供達の遊び場に戦車がやってきた様子に似ているだろうか。ただし、彼らは子供ではない。『共に在るもの』を守るためならば自己をより強く強大に進化させる事を躊躇わなかった。
 IS学園のデータベースにある<アヌビス>との交戦記録に盛んにアクセスを繰り返し、<アヌビス>と実際に交戦経験のある彼らは盛んに勝つために何が必要なのかを討論し、最新鋭兵器カタログの情報をお互いに融通しあう。またコアネットワークで敵の情報提供を盛んに呼びかけた。





 こわいものがいるよ、こわいものがいるよ。






 最初にその呼びかけに応えたのは、人が<アラクネ>と呼ぶISのものだった。
『共に在るもの』が珍しく酷い人だったのか散々ポンコツと罵られながらも、彼は<アヌビス>との戦闘経験をデータ化しそれを、対アヌビスネットとも言うべきシステムに流した。次いで連絡を取ったのは<サイレント・ゼフィルス><シルバリオ・ゴスペル><ファング・クエイク>。
 
 彼らの証言により――怖いものは<アヌビス>ただ一機ではなく、他にも数機のこわいものが存在する事が明らかになった。

<シルバリオ・ゴスペル><ファング・クエイク>は――むしろ君達が最初に戦った<アヌビス>は自分達の仲間だと証言したが、おのれらの戦力増強には肯定した。人が<テンペスト>と呼ぶ巨大機動兵器は、とても手ごわく、再び闘っても簡単に勝てる事は無く、また<アヌビス>の足を引っ張りたくないと考えていたのである。

 コアは自己進化を繰り返す――<アヌビス>という強大な敵性存在の出現により、彼らは強烈なまでに生存本能を活性化させ、世界中のIS技術者が気付かぬうちに大きな変化を迎えていた。危機感に後押しされるように、単一能力に目覚めるものが数機出てきたのもそれが理由だろう。
 それでも――対アヌビスネットの総意は、現状では絶対に<アヌビス>に勝利する事は不可能であるという結論を出した。恐らく世界中全ての彼らが総力を結集したところで勝つことは出来ないという結論に至った。ならば、彼らは自己強化に必要な資源の提供を『共に在るもの』達に発信する事にした。実際に出力するのは、<アヌビス>と交戦した彼らが代表してだ。



『メタトロンを必要量、提供する事を希望する。これは全コアの総意を代弁し、<白式><ブルー・ティアーズ><甲龍><ミステリアス・レイディ><ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ><シュヴァルツェア・レーゲン><アラクネ><サイレント・ゼフィルス><シルバリオ・ゴスペル><ファング・クエイク>が特に切望するものである』








『いやー凄いねちーちゃん。自己進化するようには設定したけどこれは束さんも予想外だよー♪』
「……いいから結論を出せ」

 世界各国のIS技術者に注目され、今だその足取りを誰にも掴ませていない篠ノ之束博士は電話越しにさも楽しげに呟いた。彼女の親友、織斑千冬の不機嫌そうな声に彼女は対照的に上機嫌に応える。

『うんうん、束おねーさんは仕事のできる女なんだよー? ……まず、一つ目。<アヌビス>は何者であり、誰が生み出したか。
 ……さぁ、回答は?』
「……どこかの企業が生み出した最新鋭兵器」
『はーいぶっぶー!! ちーちゃん、自分でも信じていない回答を出すのは駄目だよー』
「悪いが、それ以外に適当なものが思い浮かばなかったのでな。……お前の見立ては?」
『はいはーい回答は……だららららららららら……じゃん!! なんと――未来人でしたー!!』

 その――滑稽無等で余りにも有り得ない推論は、誰もが失笑と共に笑うような内容であった。……ただし、その推論を出したのが、世界でも最高峰の天才である篠ノ之束博士であると知れば、誰もが驚愕と沈黙の内に口をつむぐだろう。織斑千冬も同様に僅かばかりの沈黙を守った。だが確かにそんな推論でも立てなければ、<アヌビス>のあまりに隔絶した戦闘力の説明が付かないと言う事を理解していた。

「……一応言っておくが、本気か?」
『束センセはいつでも本気!!』

 確かにあの力は常識では考えられない。実際に相対した訳でもないが、アリーナのモニター越しでもあの圧迫感ははっきりと感じ取れたのである。

『ではでは第二問!! コアが自分から言葉を使って『メタトロンくれ!』と言い出すなんて予想外だけど、どうしてかなー?!』
「……極めて強力な敵性勢力の出現による生存本能の増大、それに伴う戦力の増強を彼らは結論した。恐怖が、彼らの進化を促したんだ」
『ぴんぽーん!! いやぁ束博士も進化を促進させるには恐怖が必要と思っていたけど、でもIS同士はあくまで仲間だから恐怖なんて沸きようがなかったし、これはこれで嬉しい誤算だねっ!!』

 束の言葉に、千冬はやはりか、と嘆息を漏らした。……この数ヶ月で、世界各国で単一能力の発現が相次いでいる。この一週間で第二形態移行(セカンド・シフト)とワンオフ・アビリティーの発現が既に三回。これまでの事を考えると、異常ともいえる数字だ。軍首脳部は今の状況に頭の悪い餓鬼のように気楽に喜んでいるが――少し物事が見える人間は皆、顔を蒼褪めさせている。
 それは即ち――コアが、それほど性急に自己進化を促さなければ到底対抗できない恐るべき敵が存在しているという事だ。



<アヌビス>。

 

 所属不明、来歴不明と目されていた機動兵器だが――ネレイダムカウンティへの正体不明の機動兵器の攻撃に際し出現。その所属がネレイダムが極秘裏に開発した最新鋭兵器であることが判明した。

 アリーナ襲撃に関しては『無人システムが暴走した』というのが対外的な言い訳だ。もちろん――<甲龍>に対する攻撃を手控えるようなあんな明らかに感情ある生き物の行動をしたのだから、それが出鱈目であると分かっている。あれは有人機だ。だが、とりあえず辻褄が合っていれば強弁できるということだろう。同時にアメリカ政府は前のアリーナ攻撃を正式に謝罪。金銭による損害賠償とメタトロン鉱石の提供で賠償を行った。……それこそ、今まででは有り得ないほどの高純度メタトロンをだ。
 ただしこの事実は、現在IS学園の首脳部にのみしか明かされていない。アメリカ政府は<アヌビス>を秘中の秘として隠すつもりであり、事実あの巨大機動兵器を攻略した際の映像は何処にも出回らなかった。徹底して緘口令が敷かれているのだ。
 アメリカ軍在籍のナターシャは千冬の知人だが、流石に軍機までは流してくれないだろう。

『日本に黒船が出現した際、北条政権が一丸となったようなものだね!!』
「ペリー来航と元寇を一緒くたにするな」
『まぁそんな訳で――自己進化機能を搭載したコアくんたちは、みんなで話し合って<アヌビス>をたおそー、おーってなってるんだよ!!』
「倒す、か」

 あの圧倒的な戦闘力を前にして、ISのコア達はまだまだ敗北するつもりなど無いらしい。
 気持ちはわかる――きっと彼らは悔しいのだ。敗北し、搭乗者を命の危険に晒してしまった。その状況で彼らを守ることなど出来ない状況にまで追い込まれた彼らは二度と敗北しまいとしているのだ。

 現在待機状態のコアは現在進行形でモニタリングしている。彼らは今も盛んにデータ交換を交わしていた。
 特に重点的にデータ交換が行われているのは、一夏の<白式>を初めとしたIS達。まるで前の戦いで受けた屈辱を返そうとするかのように連絡を取りあい、学園のデータバンクにアクセスしている。
 
「束、来るか?」
『もちろん!! 実際に<アヌビス>のデータ確認もしたいし、いっくんとも会いたいし、箒ちゃんとだって姉妹のこーゆーを深めたいし――……それになにより、このデータを見てるとうずうずするんだよー。この子たち、みんな『勝ちたい、勝ちたい』って声を上げてるもん。これで助けてあげないと女じゃないよ』

 一拍、間が空く。

『それに――箒ちゃんのための専用機も用意しているしね。まだ頼まれていないけど!!』
「……おいおい」
『いやいやこれぐらいは姉心だよー? 箒ちゃんの事だからいっくんと離れようとはしないだろうけど、きっといっくんはまた<アヌビス>に挑む。そんな危ない場所にいる箒ちゃんに晴れ装束ぐらいおくりたいじゃなーい』
「ま、使える戦力は大いに越した事は無いな」

 挑む相手が相手だ。自分と一夏と箒のためならなんでも全力を尽くす彼女が妹のために作り出した機体は、いつか再び交えるであろう<アヌビス>戦での重要な力になるだろう。
 
「……あとは、一夏だけか」

 はぁ、と千冬は溜息を漏らす。
 葬式に行った後の彼の顔色は既に死人めいて蒼褪めていた。……ようやく和解のなった友人の理不尽極まる死別。彼が――落胆の極みにあるのも仕方ないだろう。

 ……だが、だ。

 千冬は、書類に目を通す。
 五反田弾は、あの飛行機でネレイダムカウンティに向かい、ネレイダム社に就職する予定だった。だが同時にあの飛行機は謎の爆発事故。そしてネレイダムカウンティに対する謎の巨大機動兵器侵攻。それを実際に破壊したのは日本に存在していた<アヌビス>。
 ……五反田弾の履歴を追いかけているうちに発生する不可解な事故と<アヌビス>の影――偶然の要素で片付けるには引っかかる、謎の機動兵器の存在に千冬は顔を顰める。もし更識楯無が体調万全であるなら調査を頼めたかもしれないが、今彼女は前の負傷をまだ完治させていないし――それに今のネレイダムはアメリカ政府と共同してなにか巨大プロジェクトを動かしており、CIAなどの諜報機関が絶望的なまでに堅牢な防諜網を行っているらしい。下手に人員を送るわけにはいかないのが現状だ。



 ネレイダム――どうやら現在、世界はそこを中心に動き始めているらしかった。



[25691] 第十三話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/03/14 22:28
 織斑一夏は、かつて大きく一度変化した。
 世界で唯一ISを扱える男性として、世界の全てを敵に回すという凄まじい決意を秘めた漢。彼にそんなに強い変化を齎したのが、彼の親友であったという五反田弾という男性であった事を篠ノ之箒は後で知った。
 相手が男性であり、また一夏が彼のことを親友と思っている事も箒は理解していたが、しかしそんな彼に対して嫉妬してしまうのはおかしいだろうか。……例えば、箒がもしいなくなったとして――織斑一夏は確かに悲しみ苦しむだろう。でも、五反田弾を失った時ほどに、彼はそのことを残念がってくれるだろうか。
 こんこん、とドアをノックする。

「一夏、入るぞ」
『……ああ』

 返答は短い。
 先日編入してきたフランスの代表候補生であるシャルル・デュノアとの相室にこそなったものの――彼に掛ける言葉を持たないシャルルは、今の時間席をはずしていることが多かった。
 中に入れば、一夏は――多分、ずっとそうしていたのだろう。訓練をするでもなく、復習に勤しむのでもなく、ただ、何もせずに天井に目を向けていた。

「……どうしたんだ。箒」
「どうしたもこうしたも……みんな心配しているぞ。お前と……鈴の事を」

   
 

 先日――織斑一夏と凰鈴音の二人が授業時間を抜け出し、一緒に出かけた。その理由は箒もセシリアもどちらも知っていた。彼が何かとても大切な用件を果たしに行って……筋骨隆々の男性……確か、ジェイムズ・リンクスさんに連れられて学園に戻ってきた姿を見て二人とも何か酷いことがおこったのを察した。
 何か大切なものを欠落させた表情。セシリア・オルコットは二人の表情を見て、かつてたった一日で両親を無くした時の事を思い出し、箒は姉の都合で幼少期に一夏との別離を強制された時の自分を思い出した。
 失ったのだ――二人は大切なものを。そして、一夏はいまだその心の痛手から立ち直れないままでいる。
 彼女の心を僅かながら疼かせるのは、死んでしまった彼の親友に対する嫉妬なのか――そんなにも強く思われている彼のことが少し羨ましいと箒は思い、そんな自分自身を恥ずかしく思ってしまう。
 一夏がそんな顔をしているのが悲しい――今の彼は、かつて世界の半分に挑むと言って見せた時と違い、やるべき事を失ってしまったかのように疲れた表情を見せていた。どうすれば、元の彼に戻ってくれるのだろうか。時間が心を癒してくれるのを待つしかないのだろうか、と彼女は思った。

「で、いつまで不貞腐れているつもりだ、貴様」

 短い開閉音と共に部屋に入ってくる人影がある。
 同年代の少女と比しても小柄な体躯、背中に流れるのは艶やかな銀髪。左目には厳めしい眼帯をつけた、硬質の雰囲気を備えた少女、ラウラ・ボーデヴィッヒが僅かに目を細めている。
 一夏は、少しばかり不愉快そうに相手を睨んだ。

「……何の用だ」
「お前の無様を哂いに」

 一夏の体から剣呑な気配が立ち上がる。表情に不快さを滲ませて、ゆっくりと立ち上がった。
 そんな相手の様子になど気づいているだろうが、ラウラは堂々と腕を組んで値踏みするような視線を相手に向けたまま。

「織斑一夏。……私は最初――お前と出会ったならまず頬のひとつでも張ってやろうと思っていた」
「<アヌビス>と交戦した時が初対面だろう。恨みを買う筋合いも、その機会もなかったはずだぜ」

 こくり、とラウラは頷く。

「……織斑教官は――貴様のせいで、本来手に入るべき栄光を取り逃した。お前は教官の足手まといだ。そのためにあの人は本来得るべき評価を得られなかった。あの人は私にとっての憧れで、ああなりたいと願う理想の姿だった。……お前さえいなければと思っていた――実際に会うまではな」

 意味がわからず小首を傾げる一夏。

「今は少し評価が違う。……世界でたった一人の男のIS操縦者で、そのくせ世界の半分を敵に回すと宣言するような見事な馬鹿者だ――それぐらいの馬鹿者なら、教官が目の前の栄光を捨ててお前を助けるのも理解できる。名誉を捨てるだけの価値がお前にはあった」
「……ずいぶん持ち上げるな」
「安心しろ、今から落とす」

 一夏の居心地の悪そうな言葉に、ラウラは素直に答えた。

「ただし――今のお前と出会っていたなら躊躇わず頬を張っていたろうな」
「…………」
「お前の友人は死んでしまった。……残念だ。その事には哀悼を示そう。だが、死者の言葉を騙るのは好きではないが――そうやって部屋でずっと腐っている事が喜ばれると思うか? そうやって、親友のために世界の半分を敵に回すと決断したお前がこんなところで歩みを止めては――あの時お前が見せた宣戦布告を穢す事になるぞ?」
「……乗せ方が上手いな。……だが、それもそうか」

 一夏は――バン!! と自分の頬を音高く鳴らすと、大きく息を吸って心を落ち着ける。
 そんな彼に対してラウラは相変わらずの無表情のまま言った。

「部屋にこもって声も上げずに、うじうじ考え込んでいれば思考が暗い方向に落ち込むのは当たり前の話だ。体を動かせ、エネルギーを脳髄ではなく全身で消費しろ。人間の感情とは分泌腺の刺激でもたらされている。お前はエネルギーを頭に費やしすぎている」
 
 やけに具体的なラウラの言葉。
 その場に居合わせていた箒は――その言葉で、一夏が未だに帰還してから涙を流していない事を思い出した。悲しみを体の外へ押し出していない事に思い至ったのである。そんな彼女に一夏は、かすかに微笑を浮かべて言う。

「……箒、俺は自分が立ち直る事を知ってるんだけど……あいつが死んでも俺は嫌が応にも立ち上がらなきゃならないけど……すぐには無理だと思ってた。……ちょっと席をはずしてくれ」
「え? しかし――」
「来い」

 一夏の事が心配で仕方なかった箒は一夏の言葉に難色を示すが――ラウラは爪先を伸ばして箒の耳元に囁いた。

「……馬鹿、女の前で涙など流せるか」
「っ……すまん」

 そう言われれば反論の余地も無い。そのままラウラに引き摺られるように外に出れば――いつの間にか部屋の外にいた織斑千冬が壁に背を預けていた。
 防音性能も完備されている扉が閉まる音を背中に聞きながら、ラウラは千冬に対して見事な敬礼。

「任務完了です、織斑教官」
「手間を掛けさせたな」
「いえ、お気遣いなく」

 休めの姿勢で千冬の言葉に返答するラウラ。千冬がドイツで教官を務めていた時代、大恩を受けたと本人自身が言っていたからその影響なのだろう。彼女の言葉でも丁寧な態度は変わる事はなさそうだ。そんなラウラに苦笑していた千冬――不意に思い出したように、箒に向き直る。

「篠ノ之」
「はい」
「……束が此処に来るそうだ」

 表情が一瞬強張ったのを、箒は自分でも自覚する事が出来た。
 篠ノ之束――世界を大きく変化させたISの設計者であり他とは隔絶した天才。血を分けた肉親ではあるものの、彼女に対する箒の感情は複雑だ。幼少の頃要人保護プログラムにより引越しに次ぐ引越しで転々とせざるを得なかった時代の原因であり、一夏との別離を強要し、そしてISによって自分と一夏は再会する事が出来た。
 純粋にただの姉と慕っていた時代は、もう千年前に垣間見た夢のように良く思い出せない。

「おまけにお前用に調整されたISを持って、だ」
「……頼んでなどっ」
「まぁ、そう言うな」
 
 本当は頼もうとした。
 以前のアリーナでの戦闘――圧倒的とも言える<アヌビス>を前に箒は結局何もすることが出来なかった。仲間達が叩きのめされていくのをただ見ることしか出来なかった。……いや、例え<打鉄>であの戦いに参加していたとしても、<アヌビス>――あの化け物を相手にしては足手まとい同然にしかならなかった。
 一夏の傍にいたい――誰よりも苛烈な戦場に身を置く彼と肩を並べるだけようになりたかった。相変わらずの鈍感要塞で、自分の気持ちに気付いていないが、せめて一番近くにいて、振り向いて貰える可能性を大きく感じて欲しかった。今の彼の眼差しが色恋などには全く剥いていないとしてもだ。だから力が要る。一夏の傍にいるための力――専用機が。そしてそれを得るための伝手が彼女にはあった。

 ただしもちろん、篠ノ之箒自身の矜持を著しく損なうものではあったが。

 彼女は確かにISの設計者である篠ノ之束の実の妹であるが、それはあくまでただの偶然。同じ腹から生まれた姉がたまたま度の過ぎた大天才だっただけであり、そこには箒自身の努力など微塵も含まれていない。
 もし、箒が自分自身の努力と才幹のみで専用機持ちの資格を得る事が出来たなら、誇る事が出来ただろう。彼女と同じく一夏を狙っているセシリアも、最近暗く沈んでいる凰鈴音も、誰も自分自身の実力で代表候補生というエリートの称号を掴み取った。それなのに、自分だけ縁故頼みというのが、彼女の潔癖な部分に強く障ったのである。
 だが――専用機持ちになる資格を取るために努力などしても、<アヌビス>との戦いには間に合わないだろう。
 そんな箒の現実と理想の差異に苦しむ心情が手に取るように分かるのか、千冬はかすかな微苦笑を浮かべる。

「遠慮なく受け取っておけ。……あいつの事だ。どうせ可愛い妹に玩具を買ってやる程度の気分でしかないのだろうさ」
「しかし……」
「では、言い方を変えてやろう。……<アヌビス>は化け物だ。それは痛いほど理解できているな?」

 こくり、と箒は頷いた。

「使える駒は、多ければ多いほど良い。現在、作戦部門で<アヌビス>との戦闘をシミュレートしてみているが――正直基本的な技術格差が絶望的過ぎて普通の戦力ではまともに戦いにならん。……分かるな、箒。お前という個人には期待していない。……まだ、な。だが、お前は――束、あの天才だが気分屋のあいつに比類なきモチベーションを与え、対<アヌビス>戦の強力な戦力になるであろう新しい機体を用意させる事ができる」
「……千冬教官は――私よりも姉の血縁であるほうが重要と仰るのですか?」

 その言葉に彼女は、僅かに微笑む。幼い頃、弟と仲の良かった子を愛しむような優しい眼差しだった。

「そう思われたくないのなら――結果を出せ。後で『束博士が妹に最新のISを与えたのは身内贔屓ではなく、彼女の中に眠る才能を見抜いていたからだ』といわれるようにな」
「……はいっ!!」

 返事は――力強い。
 同時に部屋から出てきた一夏は、何故か自室前に固まっている三人に怪訝そうな表情。なんで人の部屋の前で話してんの? と言わんばかりに首を傾げた。織斑千冬は――もちろん弟が心配だったから、なんてことはおくびにも出さず、今だ直立不動の状態でいるラウラに向かって言う。

「では、こいつら二人を使い物になるようにしごいてやれ」
「了解しました、織斑教官!!」
 
 足を揃えて応えるのは、先程から血肉を備えた像のように微動だにしなかったラウラ。
 ではまず駆け足でグランド十週! と軍隊式に叫ぶラウラの言葉に、全く異論も何も挟まず走り出す一夏と、い、今からか?! と慌てた様子の箒の二人を見送りながら、千冬は自分の仕事に戻った。
 






 涙は三叉神経、交感神経、副交感神経の三つに支配されている。そして涙には副腎皮質刺激ホルモンが含まれている。感情の高ぶりによって体内に生じたストレス物質を涙で体外に排出するための意味があるのだ。だから涙を流すという行為には悲しみを体外に放出するという重要な役割があるのだと――凰鈴音は実体験で理解した。

 あの日から、既に一週間が経過した。

 炎の中に巻き込まれた弾の遺骸は結局確認こそ出来なかったものの――その特徴的な赤みがかった長めの頭髪は、紛れも無く五反田弾のものだった。結局遺族の元に戻ってきたのは遺髪だけ。
 いつも勝気で一夏への照れ隠しに兄を良く攻撃していた蘭も、名前どおり厳しげな厳さんも、いつも明るく笑っている蓮さんも皆泣いていた。一夏も、鈴自身も――そしてその体躯を黒い喪服で包んだジェイムズさんも……誰もが悲しみに押し包まれていた。
 これが直接的な人災であるならばその犯人を憎む事が出来ただろう。だが今回のものは――あくまで事故だ。怒りと悲しみの矛先は結局組織で、責任は曖昧になってしまう。

「……ほんっと、馬鹿よね、あたし」

 一人、海辺で鈴はそう苦笑した。
 悲しみの全てを癒し、胸に空いた空虚な穴を埋める術を彼女は得た訳ではない。ただ、自分でもびっくりするぐらい涙を流して――僅かだが、心の痛みが和らいだような気がした。たくさんたくさん涙を流して心に優しい麻酔を掛けるように、鈴は懐から本を取り出す。
 五反田弾お手製の本――鈍感要塞・織斑一夏を陥落させるために、彼が本気半分、冗談半分で書き上げた一夏攻略本だった。

「それにしたって――残した遺品がこれだなんて……ほんと……おかしく」

 あ、やばい――と笑い転げそうになった鈴は……遺品という言葉を口に出した瞬間、目頭の奥底から湧き上がる涙の衝動に思わず唇を噛んだ。制服を、皺がくっきりと残るぐらい強く握り占める。悲しみの情動を絞め殺すかのように。歯を食いしばり、喉奥から競り上がる嗚咽を噛み殺した。

「……なんで……死んでるのよ、ばかぁ!!」

 涙を沢山流して一時的に平静を取り戻したのだと――そう自分自身に言い聞かせようとしていたのだろうか。鈴は悲しくて訳が分からなくて――どうして死んでしまったのよ、と怒鳴り散らしたくなった。
 悲しくて苦しくてなんでもいいから物に当たりたくて――思わず彼女はその腕に掴んでいた一夏攻略本を握り締め、投擲しようとする。
 何もかも弾が悪い。
 自分にこんな悲しい思いをさせているあいつが憎たらしくて――この気持ちに中学の頃に気付いていたなら、五反田弾攻略本を書いてもらっていたのに、と理不尽な憤りを感じて……もういっそ、こんな遺品なんてなくなってしまえという凶暴な衝動に駆られるまま鈴は、遺品となった本を海目掛けて投げ捨て……。
 そして彼女は、放物線上を描き、飛んでいくそれの姿を見上げながら――身を切るような激しい後悔を感じ……。










「それをすてるなんてとんでもないですわー!!」







 横合いからかっ飛んで綺麗にキャッチした<ブルー・ティアーズ>の姿に、鈴は心底ひっくり返った。



 











 言わずもがな、校内での勝手なIS展開は重大な規則違反である。
 ぷりぷりと怒りを撒き散らす山田先生のお説教から解放されたセシリア・オルコットと、付き合いで指導室の外で待っていた凰鈴音は校内を歩きながら言葉を交わす。最初に口を開いたのは鈴。
 ……本当は、感謝の言葉を言いたかった。一時の衝動に駆られて、故人の形見となってしまったそれを捨ててしまったら多分後で後悔していただろう。でも実際に口から出てくるのは呆れたような声であった。

「あんた、ギャグ属性あったのね」
「意味が良く分かりませんけど、貶されているということは理解しましたわ……」

 セシリア・オルコットは目が良い。
 それは射撃戦を得手とする<ブルー・ティアーズ>の性能を十全に引き出すためのトレーニングと、高速で動き回る動態を捕捉し続けるための動体視力ゆえの資質だった。海辺でなにやらたそがれている凰鈴音――どうにも声を掛けずらい雰囲気の彼女がどうしたのかと思いきや、海へと何かを放り投げる動作を見て思わずその本に目線をやり、そこで一夏攻略本という聞き捨てならないタイトルを見つけたのである。
 
「でも鈴さん、どうしてそのご本を捨てるつもりだったんですの?」
「あー……うん」

 以前、一夏に勝負を吹っかけた時の彼女は高飛車で驕慢だったが、今では他人に対する見下すような性質は無くなった。男だから女より弱いという現在の女尊男卑を体現するようなところがあった彼女だが、一夏に派手にその傲慢をへし折られ今では生来の優しい気質が表に出ている。
 そんな彼女が一夏を好いた切欠は言うまでも無くあの時の勝負なのだろう。一夏攻略本と書かれたその本にチラチラと向けられる視線は、彼女があからさまに攻略本に注意が惹かれているのが見て取れた。
 気持ちはわかるのだ。一夏は格好良い――そもそも最初、鈴が一夏に対して好感を抱いたのも彼女のリンという名前をパンダみたいだとからかった連中をぶっ飛ばした事が切欠だ。もちろん鈴自身も大暴れ、彼らもパンダが実際怒り出すと熊並みに恐ろしいパワーを発揮する事をよく理解しただろう。
 そんなかつての自分を思い出し、鈴は自分でも優しいと思う声を出す。

「欲しい?」
「べ、べべべべ別に欲しくなどありませんわっ!! わ、わたくしはただ鈴さんが気になって……!!」
「いや――別に良いのよあげても。って言ってもさぁ、これ内容は結局『一夏は死ぬほど鈍感なので、基本作戦はガンガン行こうぜ!!』って言ってるだけなのよね。……でも、あたしにはもぅ、必要ないから」

 セシリアは――その言葉に少し目を瞬かせた。
 凰鈴音――織斑一夏の二人目の幼馴染。ああいう男であるのだからきっと満遍なく人を惚れさせているのではないかと思っていたのだが、その発言を聞くと、まるで――。
 
「良い機会だし……ちょっと話し相手になってくんない?」
「ええ。……よろしいですわ」

 どうも言葉に響き渡るのは懐かしい思い出を回想する郷愁の思い。そう――まるでセシリアが死別した両親の事を思い出す時と同じような、かつて過ぎ去った輝かしい時間を思い起こすような声だった。そんな風に話し始める鈴に、セシリアは何か彼女にとって大切な話が始まるのだと察し、いずまいを正して話を聞く姿勢に移った。








 シャルル・デュノアを見た時――織斑一夏は最初きっとご多分に漏れず女性のIS搭乗者であると思った。事実そう勘違いしても仕方ないだろう。実際にISを扱えるのは世界中何処を捜しても彼一人だったし、その彼――そう、驚くべきことに彼は美少女と呼んでも差し支えない端麗な容姿の美少年だったのである。
 男性――織斑一夏以外の唯一の男性の存在。
 一夏がもし親友の弾を数日前に失い精神的に大きく落ち込んでいなければ、それこそ抱きついてキスをするぐらいはやってのけたかもしれない。本来の彼にとって、自分以外の男性の存在はそれほど喜ばしいものだった。

「あ、一夏。今から訓練?」
「ああ。シャルルはISの方のか?」
「うん。……前の戦いでもう少し突き詰めたいところがあったからね?」

 だから一夏がアリーナで既に<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>に展開し、高速機動訓練の手を止めたシャルルと話しているのを見て、箒はぐぬぬ、と敵愾心を眼差しに燃え上がらせた。織斑一夏とシャルル・デュノア――男同士という事実は、世界の半分を敵に回す彼にとって数少ない無条件で味方となる存在、心を許せる人だという事だ。

「……一夏の奴」

 箒としては彼が血迷って衆道に走らないかが不安である。
 なんといえばいいのだろうか――シャルル・デュノアには何処と無く不安にさせられるのだ。もちろん彼は好ましい人格の持ち主である事は分かっている。明るく社交的で、またフランスの代表候補生だけあって実力も水準以上。ただ、自分自身少女的な可憐さよりも侍のような無骨な面があることを自覚している箒にとって――シャルルの動作の端々から覗く気品が、男に女性的な仕草で負けているのではないだろうかという不安を煽るのだ。

「……あ、あの、どうかしたのかな?」
「……いや、なんでもない」

 そんな箒の目線に圧倒されたのか、困ったような笑みを浮かべて笑うシャルルに、箒は僅かに首を振って否定。あんなに凝視しておいてなんでもない訳が無いのだが、本人はそんな説得力のない台詞に気付いていなかった。それもこれもみんな一夏が鈍感なのが悪いのだ、という理不尽な結論を出す彼女は――ふと視線を翻し、アリーナの中央でラウラと相対する一夏の姿に気付いた。
 見れば両者ともISを――<白式>と<シュヴァルツェア・レーゲン>を展開していた。実戦に即した訓練をやるつもりなのだろうと、その両者が纏う厳しい空気から察し、顔を見合わせた二人は即座にアリーナの遮断シールドの外へと移動した。



「織斑一夏――お前はまだ弱い」
「そうだな。認める――だが、<アヌビス>にとっちゃあんたの強さも俺の弱さも似たようなもんだろうがな」
「ああ。……残念ながらその通りだ」

 ラウラ・ボーデウィッヒは、数日前のあの大敗北の屈辱を思い出しながら、僅かに目を伏せた。
 軍人とは如何なる状況であろうとも任務を遂行しなければならない存在である。にも関わらず、勝負は敗北――のみならず、教官用の指導室から一部始終を確認していた織斑教官によれば、あの<アヌビス>が引いたのは、どうも一夏の激昂に気おされたかのように見えたそうだった。
 確かに――と思い当たる点がある。
 織斑一夏は現在、砂地に水を含ませるようにぐんぐんと実力を上げている。血筋などという気は無いが、大した逸材である事はラウラ自身認めざるを得なかった。まるで魂そのものを鈍器にしたかのような物理的圧力、必殺の気迫というものが確かに存在している。
 だが、それでも<アヌビス>の絶望的な物理力には勝てなかった。自分達がこうして生き永らえているのは相手の気まぐれ以外の何者でもない。その屈辱の事実を雪ぐには相手を叩きのめす事しかないだろう。

「ならば――最低でも私程度は倒さなければ、望む力に到底辿りつけないということぐらいは想像できるな?」
「当然だ。……俺はあんたと遊んでいられるほど、人生に余裕が無い」

 真剣な眼差しで応える一夏。やはりこいつは他の男とは違うな、とラウラは思う。絶望的な敵の力を見ても、それでも心が折れる様子などまるで見せず、それどころか闘志を燃やす様は好ましさすら感じる。古来より戦場で生き残るのは生きる意志を手放さない奴という事を彼女は実感で知っていた。かすかに楽しげな笑顔を浮かべるラウラ――未完の大器を完成させる事が楽しいのか、強力な敵と戦う機会が喜ばしいのか、彼女は笑いながら言う。

「古来より日本では、白い装束は死出の旅路に纏うものと聞いている」

 楽しそうに、宣戦する。

「……その<白式>の純白の装甲を――その通りの意味にしてやろう!!」
「できるもんなら……やってみろ!!」





「……正直、まだ実感わかないのよねぇ」
「仕方ないですわ、それは……」

 セシリアは――鈴のそのあまりに無残な恋の結末を聞かされて、差し挟む言葉を思いつかないでいる。
 ただ、もっと落ち込んでいる事もあり得ると思っていたが、表情に寂しげなものを見せてはいるけれども、同じぐらいに懐かしさを感じているようだった。

「空に飛び上がって――それで、炎に撒かれて。……それでなにもかもおしまい。ひょっこり顔出して『いやー、良く死んだ』とか言ってさ、あたし一回ぐらいなら自然の法則無視して泰山府君も騙していいから帰ってきてもいいと思ってるのよ。
 それに、よりによってあいつったら――結局あたしの恋路を応援するつもりで作った一夏攻略本が最後の遺品になってるんだもん。……ほんと……馬鹿みたいよね」
「……鈴さん」
「……恋に気付いた瞬間あの時が……今生の別れだなんて冗談じゃないわよ。ほんと――こんなことなら気付かなきゃ……」
「それは違いますわ」

 だからほとんど愚痴になっている事を自覚しつつも、それでも唇の動きは止まらず、本心ですらない恨み言に似た言葉を吐き出しそうになった段になって、セシリアの言葉に、押しとどめられた。

「……確かに――鈴さんの片思いの方が亡くなった事は、とても悲しい事ですわ。一度もお会いした事のないわたくしですけれども、一夏さんをああも変え、貴方に好かれる人だったんですもの。……どういうなりひとであったのかぐらいは想像できますわ」
「……うん」
「でも、死んでしまったから――悲しい思いをするから人を好きにならないほうが良かったと言うのは違うと思いますの」

 鈴は、俯いたまま応えない。

「出会いは偶然ですが、別れは必然ですわ。……普通の別離で在れば、いずれ再会も有り得ますでしょうが、死別なら……再会は遥か彼方の果て」
「……そうね」
「わたくしも……昔、お父様とお母様を一度に失いましたわ。あの時は、悲しくて苦しくて、後追いすることも……僅かでしたけど脳裏をよぎりましたの」

 言葉に詰まる鈴。……好敵手と思っていた彼女もまた大切な人を失っていたのだと知らされ、思わず相手の顔をまじまじと見た。

「相手の方は亡くなった。でもそれまで過ごした時間は大切なものですわね。……目を瞑れば思い起こせる在りし日の思い出。それは宝石よりも貴重ですわ。……その大切な思い出を共有していた方をなくしてしまったのはとても残念です。でもその思い出までが色あせるわけではありませんわ。その思い出の中で育まれた好意や感情まで、否定してはいけません」
「でも、できるなら――あたし、一緒にもっと思い出を作りたかった。一緒に同じ時間を共有したかった……!!」

 鈴の胸の奥底から悲しみが実体を持って這い上がってくる。油断すれば口から零れるのは嗚咽の声で、また瞳の端が熱くなる。
 泣いたのに、あんなに沢山泣いたのに。それでもまだ涙は枯れ果てる事はなく、無限を思わせる悲しみが心を押し潰していく。苦しいし悲しい。それらの感情がごちゃまぜになって訳が分からなくなる。
 どうして、どうして、どうして。結局胸を占めるのは理不尽な死を迎えた事に対する嘆きであった。もちろん、交通事故や病気という死は平和な世界でも未だに完全に根絶されたわけでもない。だけど、失われた命に対して親しかった人は常に思うのだ、どうして、と。そしてそれは鈴だって例外ではなかった。
 セシリアは、幼子をあやすように鈴を抱きしめてその背を軽く、慰めるように叩く。

「……辛いですわよね。苦しいですわよね」
「うん……うん!!」

 こればかりは、死別の苦しみだけは本人が乗り越えるしかないのだと知るセシリアは、ただただ、涙を流す鈴を慰めるのみだった。




 夕方。
 一人、シャルル・デュノアは、<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>の武装を確認する。第二世代最大最強の破壊力を持つ灰色の鱗殻(グレー・スケール)の名前を持つ大口径パイルバンカー――そこに装填されるのは過剰装薬された砲身の寿命と引き換えに絶大な威力を誇る致死の一撃。
 
「……お母さん」

 病状の母、それを救うための条件を思い起こしながら、彼――いや、彼女は顔をくしゃりとゆがめた。<白式>のデータ強奪と織斑一夏の暗殺。男装という形でIS学園に入り込み、彼の傍に伏せるのもそのため。ただし方法は事故に見せかけねばならない。だが、それも多分不可能になりつつあるとシャルルは理解していた。
 もうすぐ篠ノ之束が来る――同時に、暗殺を実行するべき二対二のチーム戦も。機会があるとすればその時だが、あの天才の目を誤魔化しきれるとも思っていなかった。

「助けて……助けて……お母さん……」

 人を殺めなければ、シャルルの母親は遠からぬうちに死ぬ。
 シャルルは、どうして自分だけ、と泣きたくなる。自分のお母さんとお父さんは愛し合って結婚した訳じゃないとなんとなく分かっていた。少なくとも母親は自分を愛してくれたが父親にとっては――かつて情を交わした相手すら、策略の道具に利用する程度の価値しか認めていなかったのだ。
 どうして手術代ぐらい出してくれない――いっそ父親の方を殺したほうがいいんじゃないのかとすら思った。子供は親を選べないというけれど、どうして自分にはあんな酷い父親しか母親を助けてくれる人がいないのかと思った。
 どうして、どうして、どうして。……この絶望しかない現実を打破する力が欲しかった。何もかも踏み潰す力が欲しかった。

『――願うか……? 汝、自らの変革を望むか? より強い力を欲するか?』
「……っ?!」

 だから――唐突に脳裏に響いたその声に、シャルルは思わず誰かいるのかと周囲を見回したが、先程の幻聴のような声の主らしきものはどこにも存在していなかった。
 シャルルは、疲れたような笑いを浮かべる――殺人を強要されるストレス。母親の命を救うために犯罪を犯さなくてはならないリスク。それらの全ては彼女の精神を疲弊させるには十分すぎるほど凶悪な猛毒であり、母親を助けるためにまだ正気でいなければならないという意識が、破滅に焦がれるような感情を押しとどめる。

「……でも、でも、もし――」

 もし今度――同じ問いかけを聞いたら……もう楽になってもいいよね? とシャルロット・デュノアはひどく疲れきった笑みを浮かべた。
 







今週のNG


 織斑一夏は現在、砂地に水を含ませるようにぐんぐんと実力を上げている。血筋などという気は無いが、大した逸材である事はラウラ自身認めざるを得なかった。まるで魂そのものを鈍器にしたかのような物理的圧力、必殺の気迫というものが確かに存在している。
 だが、それでも<アヌビス>の絶望的な物理力には勝てなかった。自分達がこうして生き永らえているのは相手の気まぐれ以外の何者でもない。その屈辱の事実を雪ぐには相手を叩きのめす事しかないだろう。

「ならば――最低でも私程度は倒さなければ、望む力に到底辿りつけないということぐらいは想像できるな?」
「当然だ。……俺はあんたと遊んでいられるほど、人生に余裕が無い」

 真剣な眼差しで応える一夏。やはりこいつは他の男とは違うな、とラウラは思う。絶望的な敵の力を見ても、それでも心が折れる様子などまるで見せず、それどころか闘志を燃やす様は好ましさすら感じる。古来より戦場で生き残るのは生きる意志を手放さない奴という事を彼女は実感で知っていた。かすかに楽しげな笑顔を浮かべるラウラ――未完の大器を完成させる事が楽しいのか、強力な敵と戦う機会が喜ばしいのか、彼女は笑いながら言う。

「古来より日本では、白無垢は花嫁が結婚式に纏うものと聞いている」

 笑いながら、宣戦する。

「……その<白式>の純白の装甲を――その通りの意味にしてやろう!!」
「できるもんなら……やってみ……あれ?」

 一夏は、大変妙な顔をした。
 
「……なにその台詞」
「ん? ああ。これは最初から私がお前に対して好感度マックスだった場合に使用されるはずだった台詞だ」

 そんなラウラの言葉に、箒さんは肩を怒らせて叫ぶ。

「い、一夏!! いつそんなに好感度を上げた!!」
「……知らねぇよ、心底本気で知らねぇ」
 
 一夏はげっそりした表情で応えた。
 そんな彼に対してふふん、と無い胸を張るラウラ。

「なんでも日本の嫁は白い服を、婿は黒い紋付袴を着るそうだな。ならば、<白式>と<シュヴァルツェア・レーゲン>はまさしくお似合いという事にならないか?」
「!! だ、駄目だ駄目だ!!」

 何故か切羽詰ったような箒の叫び声。その語調の激しさに二人は揃って不思議そうな表情を見せる。ラウラは彼女が嫉妬しているのだと察していたが、それにしては――声に危機感があった。

「何故駄目なのだ?」
「それだと白い<白式>と黒い<アヌビス>が……一夏と弾もお似合いと言う事になってしまう!!」




()―――……………ン




「あの……箒。その情報はこの時点では俺達が知るはずのない話だぞそれ」
「どうせNGだから問題ない!!」

 言い切った。

「そ、そもそもここは本格的ハイスピードロボットアクション小説を目指しているのだ!! 角川○ビー文庫や花丸ノベ○ズではない!! だいたい読者の皆様からも感想では毎回ホモ説が浮上するぐらいにお前達は仲が良すぎるんだ! そんな親友ポジションの男に寝取られでもしたらヒロイン勢全員女のプライドずたずたではないか!! 駄目だ駄目だ!!」
「う、うむ。……た、確かに」
「ところでそっち系に詳しいな箒……」

 ラウラがちょっと焦ったように応えた。

「ラウラ!! 私と訓練してくれ!」
「は?」
「五反田弾を倒す!! そして最近影が薄いとか空気とか言われる私が奴を叩きのめし、奪われたヒロインの座を奪い返す!! 行くぞ! うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 眼差しに激しいほどの闘志の炎を燃やしながら叫ぶ箒の姿に、流石のラウラも少し引き気味。第四世代型IS<紅椿>を、話のあらすじとか姉との対話とか受領イベントとかそういうものを全て無視して展開した箒はごごごと効果音を纏いながら、少し腰が引けているラウラと模擬戦を始めた。
 最初は自分とラウラが闘うはずだったのだが、何故か一人おいてきぼりにされた一夏は、呆然としたように呟いた。そんな彼に後から話しかけるシャルル。ちなみにこの話では第七話のNGで登場した親馬鹿黒幕が父親なので、このIS学園に編入された理由はアイドルデビューのための資金を用意するためだったから表情はとても明るかった。

「ねぇ一夏」
「……あ? ああ」
「……弾さんって、ヒロインだったの?」
「……まったくもって初耳です」

 そして、やる事が無くなった一夏は原作どおりシャルル君と戦闘訓練しました。



[25691] 第十四話(NG追加)
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:f1904058
Date: 2011/03/20 17:38
 裸であった。
 フルヌードであった。
 生まれたままの姿であった。
 織斑一夏は、自室でシャワーを浴びているその人が一瞬誰なのか理解できなかった。そもそもシャルル・デュノアとの相部屋のここのシャワーを使っていいのは基本的に自分とシャルル・デュノアだけ。
 なら、目の前の女性は――胸元の愛らしい膨らみを見て男性と勘違いする奴は一度目医者に行った方がいい――はいったい誰なのだろうか……と、たっぷり三秒ほど自問自答しながら一夏は相手をじっと見つめる。手に持っていたボディソープを手渡すことを忘れて呆然としている。
 しかし脳髄の理解が追いつかず、棒立ちしている今の彼は、彼女からすればいったいどう写るか。少なくとも全裸の美少女から目をそむけるでもなくガン見している状態――褒められたものではない。

「は……」

 まるで掠れたような声。その声色が――女性特有の甲高い悲鳴を放つ寸前であることがわかる。そりゃそうだ――普通全裸を見られれば羞恥心でいっぱいになる。男でも異性に全裸を見られれば嫌なのだ、女性なら尚更だろう。
 ただ、相手のその驚きと羞恥に満ち溢れた表情で、一夏はかえって冷静になることができた。顔を真っ赤にしているのは――ああ、シャルル・デュノアだと理解できた。単にシャルル君ではなくシャルルちゃんだったというだけであったのだ。
 そして胸に沸くのは強く落胆。期待を裏切られたような残念さ。思わず素直な気持ちが喉から出た。

「……なぁんだ」
「え? 人の裸見ておいてそんな反応なの?! ひどくない?!」
「わりぃ、ボディソープ置いとく」

 意外に冷静な織斑一夏の素の対応に、シャルル・デュノアことシャルロットが傷ついたような表情を見せるのは致し方ないかもしれなかった。
 ただ、あいにくと一夏はそんな彼女に対応する事もなく、嘆息を漏らしながら部屋に戻っていこうとし――。

「やぁやぁいっくん! 束おねーさんだよー!!」
「…………うわぁ」

 頭にウサミミをつけた天才科学者の存在に、一夏はとても嫌そうな声を漏らした。電子ロックやらなにやら掛かっているはずだが、世界中のミサイル基地にハッキングぐらいできそうな彼女の前ではプライバシーという言葉など何の役にも立たないと言うことか。素晴らしくややこしい状況になった現在――扉を開けた向うには全裸の男装美少女、そして玄関からは行方不明だった箒の姉である束さんが、今度は不思議の国のアリスを模したウサ耳と服を着てやってきている。いつもと変わらず奇抜な格好。前は一人ヘンゼルとグレーテルだと聞いていた。

「おひさだねー、本当に久しいねー再会の喜びが胸から溢れそうだよー、そして<白式>と<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>のフラグメントマップを調べさせて貰いにきたよーいぇい!!」
「久しぶりです、束さん」
「ううん? ちょっと他人行儀だねー束おねーさんは悲しいよー?」

 織斑一夏は――彼女に対して別に隔意を抱いているというわけでは無かった。幼少の頃でも知能レベルが人外魔境の域に達している彼女。その発言の事の半分も理解できないところがあったが、ただ話を聞いてあいずちを打つだけでも相手が楽しそうな顔をしているのが好きだった。
 ただ――彼女の好意に対して僅かばかりの食傷を感じるのも確か。何をしても彼女は自分や箒を責める事はないだろう。その溢れんばかりの善意は……相手を溺死させるほどあるのに、しかし自分や千冬姉、箒以外に対しては冷淡そのものだ。そもそも先程から全裸のシャルルに対して視線すら向けず挨拶すらしていない事から、まだ改善されていない事が理解できた。

 篠ノ之束はその天才性に対し、人間として重要な部分が欠落している。

 大切なのはたったの三人――それ以外は全て『ちーちゃん、いっくん、箒ちゃん以外の群れ』程度にしか認識していない。シャルルが悲鳴のような声を上げて脱衣場の扉を閉めても全く気にした様子も無かった。
 彼女は――悪意はない。ただただ自分自身の知的欲求を満たす事と、自分ら三人を大切にする事しか考えがない。
 だから、一夏は子供の頃のように何のためらいも無く束さんを好きだと言えはしない。彼女は自分達以外は大切にしない。だから一夏が大切にしている人を大切にすることはまず、無かった。



「……えーと。一夏、今の人が?」
「うん、篠ノ之束。世界で初めてISを生み出した人だ。それで箒のお姉さんでもある」

 上機嫌で<白式>と<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>の情報を手持ち機器で確認し、『ふんふん、ほうほう』と調べ終えた後、満足そうに部屋をでた彼女の背を見送りながら一夏は応える。結局男子のジャージを着込んで外に出てきたシャルルに対して、突然の乱入者である彼女の説明をしながら、織斑一夏はシャルル・デュノアにお茶を差し出した。
 
 ただ、表情には明らかに落胆が染み付いてもいたが。

 ……期待は、していたのだ。
 世界で唯一、男性でISを稼動させる事が出来る人間――しかしシャルル・デュノアの出現で、その唯一という文字は消えた。男性でも二人目のISを操れるという事……ただし、織斑一夏は、過去より沸き立つ疑問を否定できないでいる。
 ISをISたらしめる「コア」。これは完全なブラックボックスで、未だに篠ノ之束しか開発、作成する事ができないでいる。ただし――それを設計した篠ノ之束なら、もしかすると「女性にしか扱えない」という奇怪な特性を解除することが出来るかもしれない。自分達三人を何よりも大切にしていた彼女なら、好意から自分をISに乗せて活躍させてあげようと考える可能性がある。
 そう考えたとき、織斑一夏は本気で気持ち悪くなった。
 
 なんで、お前なんだ。

 炎の中に掻き消えた五反田弾。空に恋焦がれつつも、男であるという理由一つで夢に挑む事すら出来ず死別してしまった親友。……もし、ISの「女性にしか扱えない」という設定が束自身にも手を加えられぬものであるなら納得できる。織斑一夏がISを動かせたのが完全なイレギュラーならまだマシと言えた。
 だが、もし自分がISを起動させることが出来た理由が彼女の好意から発生したのなら、それは――死んでしまった親友が余りにも報われない。彼の怒りは、彼の憤りは――篠ノ之束の気まぐれ一つで左右される程度のものでしかなくなってしまう。それは、彼に対する余りにも残酷な侮辱では無いだろうか。
 
 だからこそ――篠ノ之束となんらかかわりが無いシャルル・デュノアの存在とはISはごく稀にだが男性でも起動させることが出来るという推論を肯定する唯一にして最大の証拠だったのだが……その女性的な体のラインを見せられれば、理解せざるを得なかった。


 大まかに推論は成り立つ。デュノアという名前には社名の方で覚えがあった。
 世界でも量産型IS第三位のシェアを持つ<ラファール・リヴァイヴ>の開発元。ただし、第三世代開発には大きく出遅れており、経営に徐々に陰りが出始めているらしい。 世界でも唯一ISを動かせる男性。その情報に加えて倉持技研が生み出した最新鋭機である<白式>のデータ――彼らからすれば喉奥から手が出るほど欲しいものだろう。
 一夏はまず謝罪する事にする。

「悪かったな。……見ちまって」
「う、ううん……か、確認していなかった僕が悪いんだもの」

 そう言って顔に朱を散らし俯く様は――どう考えても可憐な少女そのものだった。今から思うと五反田弾が昔から自分の事を「鈍感要塞」とか良く言っていたが……今の状況を鑑みれば、まったく否定する事が出来なかった。なるほど俺は察しが悪い。
 

 
 だが、シャルル・デュノアがその時感じていたのは――裸を見られてしまった事に対する羞恥心ではなく。むしろ全てを暴露する切欠を与えられた事に対する確かな安堵であった。
 彼女の精神は既に疲弊しきっていた。<白式>のデータ奪取ぐらいならまだやりようがあったかもしれない。だが、ISによる模擬戦闘中で彼を暗殺するなどという目的は元より善良な気質の彼女にとって強いストレスの原因となっていた。ましてや――失敗すれば、彼女の母親の命は無いという――夫が、妻の命を盾にとって娘を脅迫するという悪夢めいた事実が彼女の心をずたずらに引き裂いていた。
 父親が妾腹の自分に対して切れ味のいい鋏に向ける程度の感情しか持っていないのは仕方ない――だけど、この学園に来て、同年代の少女達の家庭環境を見て羨まざるを得なかった。優しい父親など夢物語だった。実の父と話した時間の総合計は人生においてたったの二時間。ここまでくれば――金銭的には、物質的には不足こそしていないものの、家庭環境においては最悪なのだと悟らざるを得なかった。

「あのね……一夏」

 だからこそ、シャルルはもうこの背に負った絶望的な重荷を下ろしたかった。
 父親の命令も、母親の命も――自分の肩には重過ぎる。殺人に対する禁忌もあるし、犯罪を犯してまで、人を殺してまで母親を助けるのも何か違う気がする。なによりも――シャルル・デュノアは楽になりたかった。

「僕……本当は――」

 ゆえに、裸を見られた事に対して――男装の理由を全て吐き出すついでに、父が自分に命令した全てを暴露し……救われたかった。そのまま全て明かそうとし……。









「ああ。気にすんな。なにか事情があるんだろう? ちゃんと口裏合わせとくから」









 だから、男装していたという事に対して事情を全て飲み込んだように応える一夏の、こちらの事情を全て察したかのような台詞に、シャルル・デュノアは言葉を失った。
 違う、違うのだ。シャルルは言葉を続けようとしたが、疲れたように小さく背を丸めてベッドに潜り込む彼の姿に発言する機会を逃した。織斑一夏は何も別に意地悪をしているのではない。ただ、女性しか扱えないはずのISなのに男性の格好をして来たと言うのはなにか事情があるのだろうし――わざわざそれを聞かせてもらうつもりも無かった。
 一夏は強くなくてはならない。
 彼が想定する敵は――あの怪物……<アヌビス>。強くなるための時間は一分一秒も惜しい。そう、シャルルの事情がよほど切羽詰っているのであるならば兎も角、単に男装しているだけならば別にどうでもよかった。精々シャワーの時間をきっちり明確に区別しておくべきだという事ぐらいでしかなかった。

 そう――織斑一夏は、人生に余裕がないのだから。

 だから――本来、なぁなぁで生きていた織斑一夏ならば取りこぼさなかった救いを求めるシャルルの言葉に対して彼は気付く事は無かった。
 シャルルは背筋を震わせ、顔を泣きそうに歪める。救いを求めて伸ばした手が拒絶されたかのような絶望感に、力を失ってベッドにへたり込んだ。まるで――目の前で天国の扉が閉ざされたような気分。恐怖と暗黒に魂が飲み込まれて震えが走る。
 
 告白と救いの機会は失われた。

 救いの手はシャルルの事情を慮った一夏の優しい無関心によって消え去り、彼女は自分の罪を吐き出す機会を奪われた。再び父の呪いめいた命令が鎌首を擡げて彼女を締め上げる。死刑台の階段を上っていくような幽鬼めいた足取りで彼女は立ち上がり、扉の外へと歩き出す。

「? 出るのか?」
「…………うん」

 この時、シャルルが漏らした言葉が涙声だったなら、一夏は彼女を追いかけたかもしれない。だが、何故か裏切られたような思いに駆られたシャルルは精一杯の作り笑いを零して部屋の外に出た。そろそろ時間だ。予定なら呼び出しがかかるはず。

『一年一組のシャルル・デュノアくん。面会の方が来ています。貴賓室まで――』

 予想通りの呼び出し時間――彼女は自分が蒼褪めているのを自覚しながら、歩き出す。
 黄昏時の夕空を廊下の窓から、彼女は嘆息を漏らした。

 
 
 破滅は、近づいていた。






「ふんふんふーん♪」
「……上機嫌だな、束」
「ああそりゃもちろんだよちーちゃん」

 アリーナで、空中を飛翔する<紅椿>を見上げながら、千冬の言葉を聞きつつ篠ノ之束は嬉しそうに鼻歌を口ずさむ。
 可愛い大事な大事な妹が嬉しそうに新型専用機を乗り回す様子を見るのも楽しいし、<紅椿>が彼女の予想以上にいい動きをするのを見て愉快でならない。予想以上なのは、恐らく<アヌビス>の存在に対する危機意識がコアを活性化させているのだろう。ここのところは予想外だけどいい事が立て続けで彼女はとても愉快だった。
 なにせ――先程計らずも<紅椿>のデビュー戦に相応しい存在を見つけてきたのだから。
<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>――その内部を走査した時に発見したVTシステム。ISの世界大会であるモンドグロッソの優勝者――即ち束の横にいる織斑千冬の戦闘データを複製した不細工な代物。
 篠ノ之束にとってあのシステムは大変不愉快なものだ。なにせ彼女にとって世界でたった三人しかいない大切な人である千冬の不出来な複製品だ。その存在は彼女に対する一種の侮辱だと束は思っている。ちーちゃんはもっと強い、ちーちぇんはもっと凄い――こんな弱い代物の癖にあんなに強いちーちゃんの模造品を名乗る事ははっきり言って不愉快だった。
 だから、本来なら――束は即座に<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>の中に隠蔽されたVTシステム…・・・ヴァルキリー・トレース・システムを削除、破棄し、その開発に関わった人間を叩きのめしただろう。




 だが、今回は事情が違う。




 可愛い可愛い妹である篠ノ之箒の操る<紅椿>――その彼女の華々しいデビュー戦で相手をする噛ませ犬として最適で最高な相手ではないか。性能こそちーちゃんの操る<白騎士>や<暮桜>と比べれば低いが、それでも通常式のISに比べて一線を画す性能である事は確かだ。おまけに<白式>も十分量のメタトロンがあればすぐにでもセカンドフェイズできそうな状況へと至っている。
 おまけに本来こういう仕込みをしていたら、確実にちーちゃんは怒る。彼女に嫌われる事は束としても是非避けたいところだ。だが、VTシステムを仕込んだのは自分ではない別の誰か。ちーちゃんの怒りの矛先はきっとそちらに向くだろう。だから――より<紅椿>と<白式>の力が目立つように、VTシステムに対して束自身が手を加えておいた。



 だから――<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>の持ち主の短い金髪がどうなろうと、例え命の危険に晒されようと、束はなんら気にも留めていなかった。



 篠ノ之束はその天才性に対し、人間として重要な部分が欠落している。



 彼女にとって三人以外の人間は正直どうでもいいものだ。他の人間達に対しては別に死のうが生きようがどうでもいい。ただ単にちーちゃんやいっくんや箒ちゃんから嫌われるのが嫌だから何もしないだけ。だけど、ちーちゃんや箒ちゃんが大活躍する舞台が見れるなら――束は別に他の人間が何千何万死のうが気にしないだろう。
 束は彼女なりに一夏や箒の事を考えて行動している。
 ただ、それが他人から見た場合、どれほど恐ろしい行動であるかなど全く気にも止めず、彼女は笑った。整った容姿に似合って、異性を蕩かすであろう美しい笑顔。その内面がどれほど化け物じみていても――もちろん誰も気付く事は無い。





 そして――シャルル・デュノアを救う事が出来た織斑一夏は、その優しい無関心と、ひたすら力を求める姿勢によって、彼女の悲鳴を察する事が出来ず、救いの手を差し出すことを思いつく事は無く。








 篠ノ之束は――シャルル・デュノアが不審な存在である事に気付きつつも、彼女の大切な人間を優先したために何もする事は無く。救いの手を差し伸べる事が出来たにも関わらず、自分自身の利益のために口には出さず。














「やけに機嫌が良いな、束」
「うん、とっても楽しみな事があったんだよ、ちーちゃん♪」

 笑顔を浮かべながら、少女を一人、見殺しにした。




















 こうして。









 シャルル・デュノアを救う二度の機会は、永遠に失われた。


























 それが親子連れであるなどと、誰が信じられるだろうか。
 少女が一人、恰幅の良い中年の男性の後ろを歩いている。お互い血の繋がった父親とその娘。関係はありふれた家族。だが――後を歩くシャルルの首にはまるで見えない奴隷の首輪が架せられているかのように、彼女は俯いていた。事実二人は、暖かな父と子ではなくもっと冷たく冷酷な、一方的に利用するものと使い捨ての道具の関係だった。
 もう駄目、もう駄目、もう駄目――シャルルは、父親に対して病的とも言える恐れの中で、小さく肩を震わせている。見れば顔色は蒼白だが、黄昏時の赤く焼けた空が、その顔色を覆い隠してしまっていた。もちろん時々道行く人がその暗く絶望に沈んだ顔色に気付き声を掛けるのだが――父親がそれに対して丁寧な応対をするから誰も納得して帰っていく。
 ……当たり前だ。誰が実の父親が娘を悩み苦しませる絶望の原因であるのだと察するだろうか。

「分かっているな、シャルル」
「……はい」

 怯えと恐怖で濁りきった声が、シャルルの口唇から絞り出される。
 傍にいるのは父親。母親の命で自分を縛る父親だった。デュノア社長である彼が此処に来ているのは――彼女に裏切らせぬよう念を押すためなのだろう。こうして傍にいるだけで、圧迫感でシャルルは言葉も出ない。
 幼い頃は、母親の言葉でしか父親を知らなかった。ただ父親の事に関しては母は滅多に口を開く事は無かった。だから――年頃の少女がするように父親はきっと友達の家族のように優しく暖かいものだと無条件で信じ込んでいた。

 母親が病気になり、本家に引き取られた際、本妻の人に頬を張られた。

 暖かな家族という存在は――シャルル……否、シャルロット・デュノアにとって夢物語そのものの存在だ。家庭とは針の筵の事だった。ISの適性が認められ、代表候補生として選ばれてIS学園に編入した時は心底安心したものだ。少なくともあの家には居ずに住む。母は既に入院生活に切り替わっていたから虐められる心配も無い。卒業したら家を出て独立し、母と一緒に生活しようと思っていた。

「お前が織斑一夏を殺さなければ、お前の母は死ぬ。励め」
「……はい」

 返す言葉も肯定を示す最低限のもの。それ以外は喋る事すら、彼女には億劫だった。
 でも――彼女は、それでも、と思う。
 織斑一夏。世界の半分を敵に回してでも勝ってみせると宣戦した男。余りにも絶望的な現実に対してどうして挑む事が出来るのかと不思議でならないほど強い男。抹殺のターゲットではあったものの、同時に強い興味を抱いたのも確か。
 
「あの――父さん。でも一夏を殺しても……」

 確かに、あの宣戦布告は彼のようなIS産業に関わる人間としては面白くないものかもしれない。だがだからといって暗殺という手段が有用とも思えなかった。できるならその命令を撤回して欲しいと思い提言したシャルロットに対し、父は手を振り上げた。殴られる――と思ったシャルロットは反射的に目を瞑る。

「誰が意見しろと言った」

 まるで犬猫に躾けるように暴力を振るおうとした父。そんな光景に周囲の人は目を剥くものの、しかし外国人で厳めしい外見の男に声を掛ける事も躊躇われ、誰もが見て見ぬ振りを決め込んだ。
 誰も助けてくれない。助けを求める相手もいない。諦観と絶望に慣れたシャルロットは目を閉じ、一秒を過ぎ。二秒を経過しても――予想していた暴力の痛みが自分を襲わない事を不思議に感じ……恐る恐る目を開けた。



 シャルロット・デュノアの父親は――はっきりと言って人の子の親になる資格の無い男であった。
 彼にとっては血縁とは自分に裏切る可能性の少ない使いやすい手駒であり、妻とは子孫を残すための道具でしかなかった。そういった悪しき男尊女卑の生き残りであり、彼は常日頃より鬱屈とした不満を覚えていた。彼はその優れた嗅覚でデュノア社を此処まで発展させてきた。時代の変遷をしたたかに嗅ぎ取り、一代でこれほどの財を成した事は賞賛に値するだろう。
 だが、道具と見なしていた女性がISを扱えるようになり、女尊男卑の世界が訪れた。彼が財を成したのはISのおかげだが、同時にISに対して逆恨みに似た感情を覚えてもいた。だからこそ、織斑一夏のあの宣言に対して――彼は身勝手な嫉妬心を抱いていた。たまたまISを扱えただけの男が――あのような凄まじい宣戦布告を行えるその魂の強さに対して彼は拭い難い敗北感と嫉妬を抱き、必ず殺そうと思ったのだ。自分より格上と魂が感じてしまった漢に対する妬みのまま、彼は娘に殺人を命じる。


 彼にとってシャルロットは使い勝手の良い道具でしかない。


 だからこそ、水と油のように相容れない両者だからこそ、N極とS極が引っ付くように――運命的な磁力に引かれて彼らは出会ったのかもしれない。
 実の家族であろうとも、道具と見なして利用する――人間としてもっとも恥ずべき男と。
 実の家族を我が身よりも大切にし、そのためならば我が命を捨てる事すら厭わない、人生の落伍者の立場から復活した男が。
 
 










 そう。












 シャルロット・デュノアに対し――救いの手を差し伸べるものは、通りすがりのただのオッサン。
 正論を述べる娘に対して感情的に暴力を振るおうとした男の手首を握り……そのまま握りつぶすほどの握力で掴む、くすんだ金髪の中年の男性、見上げるほどの巨漢がそこにいる。





「あんた、何をやってる……!!」
「い、き、貴様……!!





 ジェイムズ・リンクスは――その両者の間にどういった事情があるのかは知らなかったがそれはひとまず脇に置き、その危機に対して行動した。如何なる道理、如何なる理屈が存在しようとも――子供に暴力を振るう大人に、どう考えても理があるなどと思えなかったのである。
 握る。握り潰すような握力――それこそシャルロットの父親の片腕を握りつぶして破壊するかのような凄絶な握力。元軍人の凄まじい筋力がシャルロットの父親に対して如何なる抵抗も許さない。

「は、離せ!!」
「あんたがこっちの子供に対して何もしないならな」
「わ、分かった!!」

 その男――ジェイムズ・リンクスが二人を見かけたのは……最初は唯の偶然だった。いつもなら蘭の買い物の際に荷物持ちをやってくれる弾はいない。だから真相を話すことが出来ない代わりに、せめて弾の代わりをやろうと荷物持ちを名乗り出たジェイムズは――途中、気になる二人組をみかけたのである。
 織斑一夏と同じくISを起動させることが出来る少年と、もう一人の男性。
 元より軍人として修羅場を潜り抜けてきたジェイムズ――それこそ本気での命のやり取りをした軍人ならではの生死を嗅ぎ分ける能力は、絶対防御によって死ぬ確率が激減したIS搭乗者には真似できないほどの精度を誇っていた。そのIS学園の男子の制服を身に纏った子供の身体に纏わり付く色濃い死神の姿を彼は見抜いたのである。
 気になり――蘭に訳を言って別れ、そして……手を出さずには要られない状況に出くわした。
 ジェイムズの言葉にひとまず従わざるを得ないと判断したのか、男は解放されると同時に恨みに満ちた眼差しを向ける。どうやら窮地を脱した瞬間、他者を見下すその傲慢な性質が再び鎌首を擡げてきたらしい。

「貴様……よくも……」

 ジェイムズは無言のまま――シャルロット・デュノアを背中に庇う。
 その背中、その逞しさ――まるで幼い頃夢見た理想の父親のように大きい。シャルロットは無条件で子供を守る大人の背中にその体を庇われる。彼女にとっては……母親とは守らねばならないものであり、近くの大人達はみな敵に等しかった。だからこそ、子供の頃羨んだ理想の父親の背中が今そこにあるかと錯覚した。
 彼女の父は憎憎しげに彼――ジェイムズを睨みつける。
 蛇のような執念深さを思わせる眼差しに、蛭のようにしつこく粘着的に報復する恨み深い目に――しかしジェイムズは涼しい顔。こいつは本物の男ではないと、一瞬で見抜いていたからだ。こいつは自分より立場の弱いか弱い少女に暴力を振るえても、筋骨隆々の巨漢、自分のようにあからさまに暴力に長けた人間は殴れない、権力が無ければ何も出来ない報復を恐れる雑魚だ。

「娘を返せ! これは家族の問題だ!!」
「家族? ……殺すとか死ぬとかそういう言葉が出るような会話をするのが家族だってのか?」

 ジェイムズ・リンクスにそんな言葉は通じない。家族を愛する漢が――例え他の家の子供だったとしても、自分の娘のノエルよりもずっと年下の少女が酷い目に逢わされる事を見過ごすはずが無かった。
 堅牢な正義感を持つジェイムズに、相手は小さく舌打ちを鳴らす。そして面倒そうに――懐に手を伸ばし……財布を彼に放り投げた。それこそ札束で折れなくなったようなものを――だ。
 彼の判断はそう間違ったものとはいえない。
 彼は護身用の武器なら準備していたが、しかし日本の街中でそういうものを使うのは良くない。ガードマンは今現在陰日なたに付き添っているが、まだ彼らが出てきて事態を剣呑なものにするには早いだろう。ジェイムズが直接的な暴力を振るったなら兎も角、今の彼はどう考えても善意の第三者にしか見えず、判断に困っているのだ。
 
 だから、金。
 
 ざっとみて最低でも百万円ほど入った太い財布は凄まじい大金だ。それこそ些少な良心や道徳心を買収するには十二分すぎる金。彼にとってははした金でも一般的な収入の人間にとっては目を剥くほどの金額に、相手は満足して帰っていくのを彼は確信し。





 そして――シャルロットは見た。





 札束を満載した財布を握りこんだ拳でみぞおちを殴られた人間が、吐瀉物を撒きながら空中に吹き飛び、地面に墜落する様を。
 買収と言う行為は――確かに有効だったろう。相手が、誰よりも家族を愛するジェイムズで無ければ。彼は――少なくとも他人の子供と自分の子供を差別するような人間ではなく。
 そして買収などという手段に出た相手が――後ろ暗い人間である事を理解し、その壮絶な腕力で思いっきりぶん殴ったのである。

「き、き、きさ……! お、覚えてろぉぉぉ!!」
 
 口からぜぇぜぇと息を吐きながら、ようやく慌てて助けに出てきたらしいガードマンに引き摺られて去っていく姿に、シャルロット・デュノアは――言いようもない可笑しさを感じた。
 自分を縛り苦しめてきた父親。母の命を盾にとって殺人を強要する悪魔じみた父親。専制君主制の魔王みたいな男だった権力者が――唯の巨漢の拳に叩きのめされ、おまけに漫画やアニメで悪人が残していく捨て台詞そのものの言葉を残して去っていく。
 自分を苦しめてきた男が――こんなにあっさりと、叩きのめされるのがどこか滑稽で笑いを誘った。

「う、ふふ……あはは、あはははははははっはは……」
「お、おい、お嬢ちゃ……ん、か? どっか痛いのか、そんなに泣いて」

 その言葉で――シャルロットは、自分が笑い声と共に、涙を流しているのを悟る。笑い声と共に吐き出される嗚咽と涙。悪人を叩きのめすのは得意技でも女性の涙が苦手なのはどこの世界でも万国共通。おろおろするジェイムズに――シャルロットは泣き笑いの笑顔。強い男性、幼い頃夢見た優しい父親そのものの姿――自分の言葉がとても迷惑で彼に災厄をもたらすものかもしれないと悟っていても……シャルロット・デュノアは助けを求めざるを得なかった。当たり前だ――彼女はただの十五歳の女の子なのだから。

「助けて……助けてください……!!」
「分かった!!」

 返ってくるのは即断の言葉。事情も聞かず、理由も知らず、それがどのぐらい難しいのか厳しいのかすら知ろうともせずに――彼は快諾した。助けを求めたシャルロットが戸惑うほどまっすぐに躊躇わず。
 そんな眼差しに対して、巻き込んでいいものかと躊躇う彼女の内面を感じ取ったジェイムズは、応える。

「任せろ!!」

 力強くシャルロットを抱きしめて、父親が子供をあやすように、励ますように、その背中を優しく叩いた。

「大人ってのは、そのためにいるんだ!!」









 五反田弾はネレイダムの会社の一室でようやく得た睡眠時間を満足行くまで貪っていた。
 今現在彼の安眠を妨げるものは誰も折らず、休息時間を夢の国で満喫する――そんな彼にかかってくるのは……国外からの通信。曲は『Ring on the Wor』だからジェイムズさんだろう。
 しかし夢の中の弾はもちろんそのまま睡眠する事を選択する。放置しておけばそのうち留守電に切り替わるはずだ――が。

『くおぉらああぁぁぁぁぁぁぁ!! さっさと出ねぇか、五反田だ…………バレット!!』
「……あれ? なんで通じてんの?」
『緊急事態とのことでしたので、通信を確立しました』

 聞こえてくるのはデルフィの冷静な声。名前を現在の偽名に切り替えたという事は電話の向うに誰か一緒にいるということか? 弾は寝ぼけ眼を擦りながら、電話を取る。

「……どうしたんですかジェイムズさん……俺ようやく締め切りを乗り切った漫画家みたいな状況なんですけども……」
『こっちを優先してくれ! ……人の命が懸かってるんだ!!』

 弾は――その一言で、脳髄に覚醒の波が走っていくように思考が明瞭になっていく。あくびを噛み殺しながら、応えた。

「穏やかじゃないっすね。……どうするんですか?」
『決まってる!』

 返ってくるのは頼もしい大人の声。

『デュノア社をぶっ潰すぞ!!』










NG・今週の大統領




 ヒーローの資質とは、いったいなんだろうか。
 邪悪に敢然と立ち向かう強力な武力――確かにそうだろう。無辜の人々を助けるための力が無ければ自分自身はおろか、誰かを守る事もできはしない。決してくじけない精神力――これもそうだろう。我が身を省みず危機に戦いを挑む事は生半な心意気で成せる事ではない。

 ただ――個人的にそこに付け加える事があるとするならば……。

 それは、少女の涙が零れるよりも早く間に合う……どこかの誰かの危機に対してその場に居合わせるタイミングの良さと、誰かのために命を投げ出す献身なのかもしれない。


 彼は英雄(ヒーロー)であった。
 彼が胸に飾るその誇りある勲章は、1862年に制定されて以来、現在に至るまで2回受章した19人を含む、約3400人が受章している。その名誉ある勲章は米軍全てにとっての尊敬と敬意の対象であった。その勲章の持ち主とは自らの生命を省みる事無く戦友を守るために行動した結果与えられる。
 戦場に置いて仲間の生命のために我が身を投げ出し強大な敵に立ち向かうものほど頼もしいものはいない。その勲章を持つ者は己が敬礼をすれば、相手が如何なる階級の将校であろうとも答礼を貰えるほどのものだ。
 戦場で生き延びるのは強者か臆病者であり、死ぬのは勇者。だからこそ、強者であり勇者とは誰もが憧れるのだ。

 






 

 彼にとってシャルロットは使い勝手の良い道具でしかない。


 だからこそ、水と油のように相容れない両者だからこそ、N極とS極が引っ付くように――運命的な磁力に引かれて彼らは出会ったのかもしれない。
 実の家族であろうとも、道具と見なして利用する――人間としてもっとも恥ずべき男と。
 戦友の命を救うためならば、如何なる危機的戦場においても神話の英雄のように雄雄しく勇敢に死地に迎える男が。


 

 そう。












 シャルロット・デュノアに対し――救いの手を差し伸べるものは、通りすがりの大統領。

 ……すでにこの一文でなにもかも致命的におかしい気がしたが、このまま続ける事にする。

 正論を述べる娘に対して感情的に暴力を振るおうとした男の手首を握り……そのまま握りつぶすほどの握力で掴む、壮年の男性、全身から只ならぬオーラを纏う人がそこにいた。

「い、き、貴様……!!





 マイケル・ウィルソン・Jrは――その両者の間にどういった事情があるのかは知らなかったがそれはひとまず脇に置き、少女の危機に対して行動した。如何なる道理、如何なる理屈が存在しようとも――か弱い少女に暴力を振るう大人に、どう考えても理があるなどと思えなかったのである。
 握る。握り潰すような握力――それこそシャルロットの父親の片腕を握りつぶして破壊するかのような凄絶な握力。元軍人の凄まじい筋力がシャルロットの父親に対して如何なる抵抗も許さない。

「き、貴様……!! 何者だ!!」
「私は第47代アメリカ合衆国大統領、マイケル・ウィルソン・Jr.だ!!」
「「ええええぇぇぇぇぇぇぇええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?!」」

 その場にいた人々の声が一斉に唱和した。無理もないが。
 何故アメリカ合衆国大統領がこんなところにいるのだろうか――少女の危機に対して呼応し、救いにきたというのは分かる。……だがなんなのだろうか、この激しいまでの「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん」「正宗で大根を切る」という言葉が相応しい状況は。そもそもホワイトハウスにいるべき人物が、どうして日本で少女を助けるために行動しているのだろうか。

「何故なら私は、アメリカ合衆国大統領だからだ!!」
  
 大統領は、地の文章に対して応えた。
 大統領なら、仕方なかった。






 五反田弾はネレイダムの会社の一室でようやく得た睡眠時間を満足行くまで貪っていた。
 今現在彼の安眠を妨げるものは誰も折らず、休息時間を夢の国で満喫する――そんな彼にかかってくるのは……国外からの通信。
 しかし夢の中の弾はもちろんそのまま睡眠する事を選択する。放置しておけばそのうち留守電に切り替わるはずだ――が。

『ミスターバレット!! 君に頼みたい事がある!!』
「……え? 真剣に誰?」
『……流石にホワイトハウス経由の大統領からの通信とあっては受けざるを得ませんでした』
「ええええぇぇぇぇぇぇ?! さ、サインください!!」

 聞こえてくるのはデルフィの微妙に困惑したような声。反射的に妙な受け答えをする弾。なんで大統領が……という台詞ももちろん脳裏に浮んだが、しかし噂に伝え聞く大統領なら、唐突に電話を掛けても無理はないと思った。

「……で、どうしたんですか大統領!! 俺ようやく締め切りを乗り切った漫画家みたいな状況なんですが!!」
『問題ない!! 大統領魂で何とかなる!!』

 弾は――その一言で、脳髄に覚醒の波が走っていくように思考が明瞭になっていく。どうやら大統領魂が電話の受話器越しに弾の精神に注入されたらしい。全身に溢れるアドレナリン。四肢を満たしていくのは激しいまでの闘争本能、少女を守るために全身全霊を掛ける漢の魂が人知を超えたエネルギーとなって細胞の隅々まで駆け巡る。

「OK、Let's party!!」
『yaaaaaaahaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!』

 返ってくるのは大統領言語。両名は下手なテレパシーや量子通信を上回る完璧な相互理解を、全身に溢れる大統領魂で成し遂げた。

『では行こうか、バレット!! デュノア社にあつあつの銃弾をプレゼントだ!!』
「何故なら俺達は、アメリカ合衆国大統領だからだ!!」
『…………』

 なんか、感染しおった。
 デルフィは、アメリカ合衆国大統領がデュノア社に喧嘩売ったら国際問題だと思ったが、面倒になったので突っ込むのをやめた。



[25691] 第十五話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/03/20 11:50
「デュノア社をぶっ潰す意味などありません」

 会議場での楊女史の言葉はにべもなかった。無理もないのだが。
 五反田弾こと現在の偽名であるバレットは、それもそうだろうな――と机に突っ伏した状態で応えた。日本のビジネスマンは二十四時間働けるという都市伝説を信じているかのような酷使状態で身体がまだだるいのだ。弾はあー、と呟く。最早『畜生給料日が愉しみだなぁおい!!』とやけくそ気味にぼやくしかないのである。
 ……実際お給料はどのくらいいただけているのか――メタトロン関連技術を初めとするアンチプロトンリアクター、ウーレンベックカタパルト、OFの基礎開発理論。弾がここ数日で脳髄からアウトプットした情報の特許料はどんな次元だろうか。デルフィの試算結果がある意味怖かった。

『し、しかしよぉ』

 電話の向うのジェイムズの声が微妙に情けなく感じられる。その渦中の人物、シャルロット・デュノアに対して大見得を切ったにも関わらず手助けしないのではバツが悪いのだろう。

「確かにシャルロット・デュノア嬢の境遇には同情いたします。ですが、第三世代機開発で遅れを取っているとはいえ、デュノア社は未だに量産機分野で世界第三位のシェアを誇る大企業の一角。その財力の貯蓄は相手取るには厳しいものです」
『……だいぶ、儲かってるって聞くんだが?』
「……正確には、儲かる予定です。アンチプロトンリアクターによる発電所施設は現在急ピッチで製作が進んでいます。ウーレンベックカタパルトも同様です。アメリカ政府からの膨大な援助金もあります。……ですが、現在我々は外に打って出るには厳しい状況です。
 そもそも、ジェイムズ・リンクス氏、貴方はレイチェル博士の配偶者ですが、ネレイダム内に置いては発言権が無い事をお忘れなく」

 確かにそうではあるのだが。楊女史の舌鋒は容赦が無い。余計な仕事を増やしたくないというのも理由の一つかもしれない。
 今現在ネレイダムで一番忙しいのはバレットこと五反田弾であるが、多分二番目に忙しいのは楊女史であろう。何せネレイダム社の――社長とはいえ、実質的な仕事に付いていない同席しているナフス嬢もやはり仕事に追われているのかこっくりこっくりと船を漕いでいた。それぐらい忙しいのだ。……そういえば彼女の仕事は何なのだろう――そんな弾の内心を見透かしたように楊女史が応える。

「お嬢様は疲れがとれにくい体質の方でして」
「まぁ、体力なさそうなのは分かります」

 いかにも深層の令嬢然としたナフス嬢。体も細くあまり活発な印象ではない彼女。くー、くー。寝息を立てて眠るその様は大変可愛らしいが、しかし子供に仕事を押し付けるのはいいのか、と思う弾。最近大人顔負けの仕事量をこなしているせいか、弾自身も十分子供の範疇に入ることを普通に忘れていた。

「……まぁ、ジェイムズさんがこの場合他力本願なのは仕方ないとして……」
『おいぃぃ?! その言い方はあんまりだろぉ?!』
「でも――なんとかしたいってのは俺も同じ気持ちです」

 ジェイムズから、シャルロット・デュノアの事情を聞き、流石に弾も驚きと怒りを隠す事が出来なかった。
 日本で連絡を取るわけには行かなくなった親友の織斑一夏。その彼に対する暗殺などという汚れ仕事を、母親を人質にして行わせようというその下劣な神経といい、彼女の父親とは相当に悪辣な人物のようだ。人質になっている彼女の母親の事も気になる。できるなら助け出したい。
 ただし、組織のトップとして、軽挙妄動するわけにはいかない楊女史の言葉も判る。
 ネレイダムは今後急速な成長を遂げ、いずれ世界のIS産業を牛耳る企業体を上回るだろう。……だが、それはすぐではない。力を蓄え成長するには相応の時間が必要であった。そしてデュノア社とは世界でも量産型ISの第三位のシェアを誇る大企業。技術水準の低下による問題は指摘されているものの、しかしこれまでの歴史で積み重ねてきた資本力は現在のネレイダムで太刀打ちできるものではない。
 楊女史は――眼鏡をくい、と吊り上げる。

「バレット。……試作オービタルフレーム、<IDOLO>の開発状況は如何ですか?」
「ん? ああ。そうだな、至って順調だ。まぁ――テストパイロットを務める予定のラダムさんが奥さんの名前を独立型戦闘支援ユニットに付けるのはちょっと予想外だったけど」

 弾は微妙に遠い目をした。
 楊女史は少し考え込んでから――言う。

「では――そうですね。少し貴方にはお休みを取って頂きましょう」
「休み?」
『ああ、バレット……というよりはデルフィのお嬢ちゃんを回してくれるって事か』
「はい」

 ジェイムズの得心いったような言葉。世界最高峰の量子コンピューターであるデルフィは、同時に世界最高峰のハッカーでもある。彼女の電子諜報能力はネットの海から必要な情報を引き出す際何よりも心強い味方になってくれるだろう。
 ああ、そういうことか――と弾は何となくこの楊女史の性格が分かってきた気がした。
 組織のトップ付近に立つ人間として、情を挟まず徹底して全体の事を考えるトップの鏡であり――彼女は同時に人情屋でもある。組織人としてはデュノア社を……というよりは、親に恵まれなかったシャルロット嬢の事をどうにかしてやりたいと考えているのだ。でもトップがそういう私情に類する行為をすることは出来ず――弾に任せる風にしているのだろう。冷徹な商売人……を目指す情誼に厚い人なのだと再認識する。
 まぁ情に薄く、利に聡い小利口な人であるならば、そもそもネレイダムを見捨てて違う企業に移籍しているだろう。
 弾としては楊女史のその気性は好ましかった。理に聡く、人の信頼を裏切って高給を得られる立場を選ぶ賢き醜さよりも、情に厚く、人の信頼を裏切らず貧乏くじを好き好んで引く美しき馬鹿さ加減は愛すべき性質だ。
 弾は嬉しそうに笑う。そんな相手の笑顔の意味が理解できず、楊女史は小首を傾げ、理由に気付いたのか、ああ、と痛ましげな表情。

「……それはそうですね。あれだけ長い間働き詰めでしたのですから、久しぶりの休みに嬉しさを隠せないのですね、申し訳ない事をしました。でも入社して一ヶ月も経っていませんから有給は出ませんよ?」
「……間違っていないけど、間違っていないけどさぁ!! あと有給の先払いとかは無理ですかそうですか?!」

 この人は素敵な人だ――とそう思っていたのに、勘違いされた弾。しかしその勘違いもむしろ弾の事を慮っての事だ。仕事漬けだった弾
に対する休日という名前の報酬を支払い忘れていた事に対して申し訳なさそうに項垂れる楊女史に、いや休みは嬉しいんだが――と微妙な表情。
 とりあえず休日は一人の少女を助けるために費やす事になりそうだ。弾はあくびを噛み殺した。






 ネレイダムとしては――デュノア社のM&Aは現在時点では到底不可能という結論が出ている。相手の強力な経済力に敵対するにはまだまだ力不足。しかし、将来的にオービタルフレームによる世界の戦力バランスを変化させようとしている以上デュノア社は将来的な敵性勢力である。また、<アヌビス>の存在を目ざとく思い、あの事故を引き起こした黒幕の一人であるという可能性も否定できない。
 結論を言えば、まだ表立ってデュノア社に経済的戦争を仕掛ける事は出来ない。

 ……だが、デュノア社長が娘であるシャルロット・デュノアに強制したのは実の母親を人質にとり、殺人を強要する殺人教唆だ。今時推理小説でも見かけないほどにあからさまな犯罪行為であり、これを社会的に暴露しておく事はデュノア社の勢力を弱める将来の布石となるだろう。

「……難儀なもんだなぁ」
「あ。あの……すみません」

 それがジェイムズ・リンクスに持ち込まれたシャルロットの難題に対して呟かれたものだと勘違いしたのだろう。車に同伴しているシャルロットは恐縮したように身を縮める。まぁ、この反応は無理もないとジェイムズは顔に皺を寄せた。相手は仮にも大企業重役。しかもこういう汚れた手段を使ってくる事からして、企業の躍進のためには見えないところで非合法手段も訴えてきたのだろう。そんな自分の一見に巻き込んでしまったことをまだ悔やんでいるのか――ジェイムズは嘆息を漏らした。

「前も言ったがそう落ち込むもんじゃない。……よし、付いたぞ」

 そう言いつつジェイムズが車を停車させたのはIS学園の玄関口。
 基本的に国防や機密など重要な情報が集中するIS学園では、外部の不審者などが流入しづらいように、学園本体に入るには海を越えなければならないように出来ている。専用のモノレールを使用せずに、何らかの船舶や海中から侵入しようとするものは警告無しでの発砲レベルだ。ある意味最先端技術に関わる少女達の監獄でもあるように思える。
 だからまず、外部から中に入るにはモノレールの前に設置された巨大な受付に足を運ばなくてはならない。
 そうしてシャルロットを連れて歩いたジェイムズは――入り口に立っている織斑千冬の姿に目を向けて、手を振った。思わず、びくりと背筋を振るわせるシャルロット。……分かってはいる。ジェイムズが結果として選択したのは、このIS学園に対して全ての情報を開示し、保護してもらう事だ。
 正直な話、彼女の父親に任せていては以降どんな命令を下されるのか分かったものではない。だから、大事な用件であるのだと――ジェイムズは彼女に事の全てを明かす事にしたのである。

「ジェイムズ・リンクスさんですね?」
「ああ。……あんたが――」

 織斑千冬と、ジェイムズの妻であるレイチェルは知人同士であり、千冬はジェイムズの事を聞き伝えではあるが知っている。
 そして――この時のジェイムズ・リンクスにとっては、これは戦場で敵同士として出会った時以来の再会であった。
 日本に向けて発射された二千発以上のミサイルを全て叩き落した世界初のISである<白騎士>。かつてアメリカのトップガンであった戦闘機乗りのジェイムズから空を奪った直接的な原因。持ちうる技量の全てを尽くしたにも関わらず、殺さないという手心を加える余裕すらあった目の前の彼女。
 ただ……不思議と怒りとか怨念とかそういう感情とはジェイムズは無縁でいられた。己が敗れたのは単純に力が足りなかったからだとさばさばした心境であった。それに今はやらなければならないことなど山ほどある。まずは予定通り話をする必要があった。

 
 
 
 剣とは。
 酷く単純で酷く乱暴に言ってしまえば――相手の刃が自分に届く前に相手に自分の刃を届かせる技術である。
 篠ノ之箒がそういう闘うための技術を会得しそして現在も続けているのは、一番最初、それが事情により織斑一夏とはなればなれにならざるを得なかった幼少期に彼との繋がりのように思えたからだった。
 ただし、ISの操縦や戦闘においては剣道は余り役に立ちにくくなっている。
 剣道で重視されるのは相手に如何に竹刀を打ち込むか、そのために重要なのは間合いなどの要素なのだが――実際には火器を搭載しないISなどというのは<白式>ぐらい。射撃戦武器を持たない近接戦闘特化型など既に絶滅危惧種である。それに相手との距離を一瞬で埋める瞬時加速などというものがある以上、剣道での細かな間合いの把握は正直役に立たない。自然見切りよりも大雑把な間合いの取り方の方が重要になる。これも戦闘技術の変遷、時代の流れだろう。
 しかし、剣道を昔から続けてきた人からすれば、やはり精神修練の足しにはなるし、体を思い切り動かせばすっきりとする。不快な悩みなど汗と共に滴り流れ落ちるのだ。

(……だが、やはり共通の話題があるのは良いものだ)
「で、どうだ、箒。……何かおかしな点はあったか?」
「ん? あ、ああ!! ……もう少し脇を締めて、振りを小さくするようにした方が良い。剣道で言うなら威力を増すためには体重を乗せるところだが、ISでは推力を乗せるからな」
「……なるほど、いっそ剣の後にブースターでも付けるか」
「……それを聞かれたらあの人に本気にされるぞ」

 箒が嫌そうにしながら――<白式>を纏う一夏の言葉に応えた。
 あの人と言えば、もちろん篠ノ之束その人に他ならない。彼女ならば、一夏の頼みとあらば即座に雪片弐型をお望みの形状に改造しかねない。
 それに箒としても折角一夏と――憎からず思っている相手と一緒にいるのだ。邪魔など欲しくは無かった。そもそも先日も機体の機動性能を向上させるためにラウラにPIC(パッシブイナーシャルキャンセル)に付いて教えを受けていたのだ。今度は自分の番だ。

「……なぁ、一夏」
「ん? ああ」

 不意に、箒は二組の代表候補生である凰鈴音の事を思い出した。
 セシリア・オルコットも、ラウラ・ボーデウィッヒも、シャルル・デュノアも二人が大事な親友を亡くした事に対してどうにかしたいと思っているはずだった。最初は力を彼が求める事は、好ましいと思っていた。どんどんと彼は強くなっていく。だが同時に人として重要な部分も徐々にすり減らしていくように思えた。

「凰――最近授業に出てこないな」
「……何度も見舞ってるんだけどな」

 一夏は顔を俯かせて応える。
 凰鈴音は、一応授業には出ている。ただし、此処はIS学園。代表候補生から国家代表IS搭乗者に昇格するため、人より抜きん出るため、意欲と野心溢れる生徒は放課後に自主的に訓練に励むのが常であり、そして凰鈴音はその中でも特に熱心な一人だった。中国の代表候補生としてその名前に恥じぬ実力と、それ以上に人に負けたくないというあの激しいまでの負けん気の強さ、気性の激しさは他の面子にはないものだった。
 なのに――その彼女が最近は放課後に出てこない。
 一夏は――それも無理はないのかもな、と思う。五反田弾への恋心を自覚したその時にあの事故。それこそ死の運命を司る神がいるのならば相当の性悪であるに違いないと確信できる残酷なタイミング。
 ただし、いつまでも下を向いていられるのも困るのだ。仮想的は<アヌビス>、あの化け物。篠ノ之束によれば、あの戦いに参加した全てのISは強力な自己進化欲求を持っており、必要量のメタトロンが確保できればすぐにでも変化するそうだ。『ただしそれでも全員でかかってよほど上手く立ち回らなければならないけどね♪』とも言っていたが。
 全力を尽くさねば<アヌビス>には勝てない。だけど、悲しみにくれる彼女に無理強いするのは一夏には出来なかった。

「箒……悪いけど、ちょっと話を聞いてくれないか?」
「ん? ああ」

 一時休憩の時間、スポーツドリンクを手に、織斑一夏は休憩用のピットに腰を下ろした。箒も同様にその隣に座る。

「あの日……俺さ、目の前で飛行機が爆発した時、咄嗟にISを起動させようとした。……けど、出来なかった」
「……それは、仕方あるまい。<アヌビス>と交戦して命があっただけでも良かったではないか」

 だが、俯く一夏がそう思っていないのは後悔と苦渋に満ちた表情から明らかだった。

「仕方ないではないか……アレは――」
「いや、箒。……俺は、仕方ないと思いたくなかった」

 箒のその言葉は、<アヌビス>に勝てなかった一夏を慰めようとするものだが、彼はその優しい甘えを厳しく否定する。

「あの日――爆炎に包まれる旅客機。でもあの時、あそこには<甲龍>と<白式>があった。……もし起動したなら――起動したならって、俺はそう思わずにはいられないんだ……」
「それは――」

 箒は、一夏の言葉が到底現実味のないものであることを理解している。
 旅客機事故――それも事後調査によれば、溢れ出た爆炎は瞬時に旅客機の中の乗客のほとんどを高熱で焼き殺した。正直最初の一瞬で全滅状態だっただろう。だから、たとえあの場所でISの起動ロックがかかっていなかったとしても、一夏は誰も助ける事など出来なかっただろう――そこまで考えて箒は理解する。

 織斑一夏は、敵を欲しがっているのだ。親友を死に追いやったものを捜しているのだ。

 親友を死に追いやった元凶に対する向けどころのない怒りと憎しみ。その矛先を<アヌビス>に向けて、悲しみから目を逸らそうとしている。

「もしあの時、<アヌビス>が出現していなければ――俺は、弾を助けられたかもしれないのに……鈴に、あんな顔をさせずにすんだのに」
「一夏……」

 箒は理解する。
 一夏は親友の死から完全に立ち直れたわけではない。むしろその心は悲しみの沼から抜け出せてはいない。でも、ISに搭乗できない全ての男の代表として彼は自分自身に悲しみに浸り涙を流す時間を許していないのだ。そして親友の死から自らを復帰させる原動力として、復讐心を<アヌビス>と言う敵に向ける事により、立ち直ろうとしているのだ。憎しみを骨格として萎えた心を奮い立たせようとしている。

「……俺は、あいつを倒す」

 それが、穴だらけの論理であることも一夏自身は理解しているのだろう。<アヌビス>と親友の弾の死にはなんら因果関係はない。ただ、そうでもしなければ、一夏はすぐに立ち直れない事を察しているのだ。箒は顔を悲しみにゆがめる。
 一夏は三十億の男性全ての代表として生きていく事を心に誓った。だがその道行きのなんと困難な事か。親友が死んだにも関わらず、時間がゆっくりと心の傷を癒すのを待つ暇すら己に許さない生き方に、箒は一夏を胸に抱き抱く。唐突で突然だが、彼が――とても弱弱しい生き物に思えた。一夏の言葉が、悲しいほどの虚勢に思えたのだ。
 抱き寄せられて、一夏は一瞬びくりと震えたが――それでも抵抗する様子も無く掻き抱かれる。せめて自分ぐらい彼の手伝いをしよう。その力は姉が与えてくれた。あの時と違い、箒は無力ではない。

「私も手伝うぞ、一夏。……一緒に、<アヌビス>を倒そう」
「……ああ」

 


 
 鈴は、彼女しか知らない、誰にも話していない秘密がある。
 それは、<アヌビス>の正体が五反田弾であるという事だ。もちろんそれは口に出して確認したわけではないし、十割の確信がある話ではない。だが、あの仕草――十割の確信とは行かずとも、八割の確信があった。
 もちろん一介の学生である弾がどうしてあれほど高性能の機体を持つに至ったのかの理由は全く想像できない。出来ないが――もうその辺りの事情は全て無意味になった。あの爆発事故――<アヌビス>がISの類だと仮定して、果たして生きていられるものだろうか?
 アレがISと仮定しても、ISは基本的に自分で意識しなければ起動しない。それに――その後彼の遺髪も発見された。遺伝子情報は完全に親族と合致。こうなれば死亡したと確信せざるを得ない――自立的に<アヌビス>を起動させる事が出来る超高度AIであるデルフィの存在を知らないがゆえに、彼女はそう推論していた。


<アヌビス>は――少なくともその使い手は既に死亡している。

 
 これが、鈴が対<アヌビス>戦に対してトレーニングを続けている一夏や箒達と一緒に訓練にのめり込めない理由だった。
 人間、その訓練が無意味であると分かっていて、目標を達成する事が出来ないと知っていながら高いモチベーションを維持できるわけがない。国家代表候補生である事に対するプライドも、励まねばならない立場であることも、彼女を奮い立たせるには至らない。
 
「……ちょっと、出るかな」

 鈴は自室を出て歩き出す。
 彼女の専用ISである<甲龍>の修復は既に完了しているが、あの日から授業をのぞいて起動させてはいなかった。足の向きは自然とアリーナへ。
 ほんの数週間前まで自分はIS搭乗者としての野心と恋をかなえるために此処に来て、誰よりも熱心にトレーニングを積み重ねていたのに、そう思いながら鈴はアリーナの休憩用のピットに足を運んだところで……中に二人、顔見知りがいることに気付いた。

「あの日……俺さ、目の前で飛行機が爆発した時、咄嗟にISを起動させようとした。……けど、出来なかった」
「……それは、仕方あるまい。<アヌビス>と交戦して命があっただけでも良かったではないか」

 聞こえてくるのは一夏と箒の二人の声。
 会話に混じる機会を掴みそこね、ついつい物陰で聞き耳を立ててしまう。<アヌビス>――その言葉を聞くだけで、鈴は胸に押し寄せる故人との思い出を感じてしまう。
 すぅ、はぁ、と息を整え、目頭の奥底から湧き上がる涙の衝動を堪える。

「あの日――爆炎に包まれる旅客機。でもあの時、あそこには<甲龍>と<白式>があった。……もし起動したなら――起動したならって、俺はそう思わずにはいられないんだ……」
「それは――」
「もしあの時、<アヌビス>が出現していなければ――俺は、弾を助けられたかもしれないのに……鈴に、あんな顔をさせずにすんだのに」
「一夏……」

 中で続く二人の会話――鈴は壁に背を預けたまま、その言葉を聞き続ける。
 彼女も箒と同様に、織斑一夏が自分が立ち直るために必要な敵を欲していることに気付いた。

 ただ――箒と違って、鈴は、誰にも明かしていない秘密を一つだけ持っている。

(……違うのよ、一夏。弾が……<アヌビス>なの)

 あの時、弾が何故アリーナに攻撃を仕掛け、<白式>を含む全てのISを撃破したのかその詳細は不明だ。だが、そういう意味では弾が死んでしまったのはある種の自業自得とも言えたかもしれない。鈴は、思う。

(……駄目、言えない)

 織斑一夏は自分が立ち直るための理由として、<アヌビス>へと怒りの矛先を向けざるを得なかった。
 だが……そこに対して既に怒りをぶつけるべき相手は既に死亡しており、親友と思っていた相手が明確な敵対行動を取ったと言ったら、一夏はどんな気持ちになるだろうか? 立ち直るために必要な心の支えである憎悪の骨格を失い、親友だった相手が自分達に攻撃をしてきたとしれば、彼はどれほどの衝撃を受けるだろうか。
 もしそうなれば――彼はどれほど落ち込むだろうか。

 凰鈴音は……この時、決心した。
 あの時出現した<アヌビス>の正体を、誰にも明かさず、一夏の心を守るために行動しようと。そのために、<アヌビス>の正体が五反田弾であったという事を……墓場まで持っていこうと。

(弾……応援して。力を貸して。一夏の心を守ってみせるから。あんたはもういないけど……でもあんたも自分が死んだせいでずっとあいつが立ち直れないままでいられるなんて嫌でしょう?)

 死んでしまったあいつだが、不思議と今の一夏を見れば困ったような苦笑いを浮かべる姿が目蓋の奥底に焼きついている。中学時代、三人でつるんでいた時期を思い起こす。もうあの三人が揃うことはなくなってしまったけれども、一人は永遠に手の届かないところに行ってしまったけれども、生きている人間がいつまでも落ち込んでいる訳には行かないはずだ。

 涙を払う。唇の頬を指で吊り上げて無理やり笑顔を作る。このところ、暗い表情ばかりで微笑む方法を忘れてしまったような顔面筋を矯正する。悲しみは全て癒えた訳ではないが、微笑むうちに湧き上がるものもあるはずだ。物陰から姿を現し、鈴はびしぃ、と姿を現す。

「話は聞かせてもらったわ!! 一夏! あたしも<アヌビス>を倒すのを手伝ってあげる!!」

 目を閉じたまま自分自身に言い聞かせるように鈴は叫ぶ。
 せめて、一夏にだけはあの真実を隠し通そうと思いながら。

「以前こてんぱに伸されたままじゃ悔しいし、このままやられっぱぱなしってのは性に合わないもの、やりましょう、一夏……ってなにしてるのよあんたたちはー!!」

 そして目を見開き――視界に写るのは箒の豊満な胸に掻き抱かれる一夏の姿。まさか親友を失った直後に休憩所でいちゃいちゃしているとは予想外だった。柳眉が逆立ち、ツインテールが怒りの上昇気流に巻き込まれたように天を突く。

「い、いや、ちが……これは……!!」
「そうだぞ鈴、これはただ単に箒が俺を慰めてくれようと……」

 顔を羞恥の赤色に染める箒と、あの巨乳に掻き抱かれていたにも関わらず、悟りでも開いたように冷静な一夏。そんな二人に、鈴は――ああ、いつものイベントだ、と日常が舞い戻ってきたような感覚を覚えた。
 いつもなら……相手の不純異性交遊に金切り声と共に攻撃を仕掛けるところだが――しかし弾への儚く散ってしまった恋心を自覚してからは、冷静に反応する事が出来た。その事に何処と無く寂しさを感じながら、鈴は悪童めいた笑顔を浮かべる。

「へー? ……まさか二人して休憩室でいちゃいちゃしてるなんて思ってもいなかったわね。……一夏、あんたを手伝ってあげようかと思ったけど、二人きりの邪魔になるみたいだしやめとこっかー?」
「な?!」

 顔を真っ赤に染める箒。ああ、彼女は一夏の事を心から好いているんだな、と――鈴は、心の中に優しいものが満ち溢れてくるのを感じる。自分の恋は、永遠に叶わなくなってしまった。自分が失った大切な宝物を持っている彼女に対して胸の中に僅かに疼く羨望と、けど、それを上回る彼女の幸せを願う想いが溢れていく。
 そんな風に顔を赤らめる箒に対して――扉を開ける音と共に仲にやってくるのはラウラとセシリア、金銀の髪の少女二人。彼女らは鈴が来た事に僅かに驚きの表情を浮かべたが、すぐさま安堵を見せる。彼女と一夏の落ち込み様を心配していたのだろう。
 そんなまた出てきた乱入者たちに箒は苦々しい表情。折角二人きりだったのに――とサトリの妖怪でもないのに彼女の内心が手に取るように分かる。
 鈴は、そんな織斑一夏を中心とする彼女達から僅かに一歩引いた場所で、懐かしそうに微笑んだ。




 あたしの恋は、永遠に終わってしまったけれども――でも貴方達の恋は、花開いて欲しい。




 だから彼女は笑顔を浮かべる。一夏が誰と結ばれるかは知らない――でも願わくば、その人達は幸せになって欲しい。そういう願いを込めた優しい慈母のような微笑み。
 凰鈴音、まずは快心の笑顔であった。























 だから、彼女は知らない。






『……?』
『どうしましたか、弾。あと一時間で日本に到着しますが』
『……いや、気のせいかな? 懐かしい声が聞こえた気がしたんだが……』



 彼女の恋は、まだ終わっていないという事を。



『ところで何故旅客機を使わずに私で?』
『前も言ったが、旅客機にはもう二度と乗りたくないし……そりゃお前と一緒に空を飛ぶのは気持ちいいからな』
『…………ありがとうございます』





 ただし、AIといちゃいちゃしているようだったが。
 凰鈴音は、何故かこの時唐突で理不尽な怒りを覚えたらしかった。












 話を全て聞き終えた織斑千冬の顔は仏頂面を通り過ぎて、見たら死ぬと思えるほどの殺気に覆われていた。
 海を展望できる高台にいるのは三人。ただし話すのは基本的にジェイムズ・リンクス。聞き役に徹しているのは織斑千冬であり、時々言葉を差し挟む程度。ただ会話が進めば進むほど不機嫌さは増しており、彼女が本気で激怒している事が伺えた。
 当事者であるシャルロット・デュノアは顔色こそ悪いものの、じっとそれを黙って聞いていた。

(……こうして聞いてみると、ほんとに酷い話)

 他人の口から聞けば聞くほど、自分の境遇であると信じられないような滅茶苦茶な話であると改めて実感できる。
 全てを聞き終えた織斑千冬の顔は外面こそ冷静であったが、内面は煮え滾る溶岩のように怒りに沸き立っていた。それこそ大地を見てもその下にマントル層が広がっているなど想像できないのと同じように。
 
「……話は以上だ」
「……まず、礼を述べさせてください。生徒を救っていただき、ありがとうございました」

 織斑千冬は丁寧に一礼する。この件に関しては彼女はジェイムズに対して二重の意味で助けてもらった。シャルロット・デュノアのその未来、前途に暗い影を落とすであろう殺人を思いとどまらせたという意味と、弟である織斑一夏の命を間接的に救ってもらったという意味で。
 
「だが、この事はすぐには明かさない方がいいだろうな。まず、何にも増してこっちのお嬢ちゃんの母親の身柄を確保しなきゃならん。ただ、一人腕の良いハッカーがいるんだ。そいつならすぐさま足を掴めるだろう」
「いや、ご好意は有難いですが」

 それには及ばない、というのが千冬の正直な感想だろう。個人の知己程度のハッカーと、IS学園という組織の人間が抱えるハッカーの能力は、資金的にも能力的にも後者の方が上回る。だからあくまでそれはご好意として受け取っておく。
 実際にこういう潜入工作などは二年の更識辺りに任せようか――そう頭の中で考えた千冬は、甲高い車のエンジン音に気付いた。
 車両――ただし、舗装された道路ではなく、高台の方へ目掛けて来る時点で法を守る気のない何らかの悪意を持った人間であると察するのは簡単だった。

「……ッ直接的な事をしやがる!!」

 ジェイムズの罵声が響く。
 それがシャルロットの父親が使わした殺し屋の類である事を察した二人。思わず背筋を振るわせるシャルロットは――しかし、彼女を正気に戻すように肩を揺さぶる千冬によって正気に引き戻される。そのまま三人はジェイムズの車目指して走り出した。

「デュノア!! 緊急事態だ、教官権限でISの起動を許可する!!」
「あっ……はい!!」

 その言葉にシャルロットは即座に答えた。
 ISは個人が保有する事の出来る最強の兵器。相手が如何に非合法工作のプロだろうが、戦闘機や戦車を越える超兵器を倒せるはずがない。弾かれたように<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>を起動させようとし――それがなんら反応を示さない事に、背筋に氷塊が忍び込んだような恐怖を感じた。思わず上ずった声が出る。

「織斑先生……!!」
「……ッ、やはり<ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ>に仕込まれていた起動ジャミングのプログラムか。そもそもデュノアの製品である以上こういう仕込みも当然だったか……!!」

 起動しない――恐らくはその反応も予想の範疇だったのだろう。千冬には忌々しさはあれども、予想外の事態に対する恐怖の感情は見られない。そうこうしているうちに、車が此方へと接近してくる。十中八九防弾車両、逃げ切れるか?! そう三人が考えた瞬間――同じく車道を無視して突っ込んできた別の車が、最初の車目指して体当たりを叩き込んだ。
 ジェイムズ――思わず叫ぶ。

「味方か?! あんたは――蘭ちゃんの!!」
「ミスタージェイムズ!! こっちへ!!」

 ワンボックスタイプの車の扉を開けて叫び声を返すのは活発そうな短い黒髪の青年――千冬もシャルロットもそれが誰かは知らなかったが、ジェイムズだけは知っていた。五反田蘭のガードマンとして陰日向に付き添っていたネレイダムの人間、アクセルが車両の扉を勢い良く開け放った。その相棒である冷静な氷とでもいう雰囲気の青年、ラリーは前方でハンドルを握っている。

「アクセル、銃撃が来る。応戦しろ」
「分かってる、やるぞ!!」

 即座に車を後退させるラリー――相棒の言葉に応えるようにハンドガンを構えるアクセルは、即座に相手に対して銃撃を繰り出す。
 ただし、相手の武装は自動小銃であるのに対し、彼が構えるのは唯の拳銃。火力の差は歴然――であるにも関わらず、アクセルは銃口のみを除かせて畑でも耕すような弾幕に対して応戦した。
 そして圧倒的な火力差があるにも関わらず遮蔽越しの射撃戦で勝利したのはアクセルの持つ拳銃弾だった。

「……弾を……曲げた?!」

 その様子を見ていた千冬は思わず驚きの声を漏らす。
 もちろんこれらはネレイダムが試験開発した新型弾丸、トレーサー推進弾に秘密があった。発射後に噴射や重心移動を行なう積極的弾道制御により、命中率を高めた弾丸の総称であり、ネレイダムで弾が走り書きした技術を元にした新型武器だった。ホーミングミサイルのような機動は不可能だが、対人戦闘では極めて有効で、一度ロックオンすれば遮蔽物を迂回して標的に命中させることさえ不可能ではないその威力に――実際実戦で初使用したアクセル自身が感心したように銃器をまじまじと見つめている。
 現在時点では銃身自身よりも高く、コストが問題だが――その将来性は恐ろしいものがある。

「……支給された時は眉唾ものだったけど――こいつはいいな、使えそうだ」
「何処に向かいますか?」
「とりあえず、人のいない場所だ。時間が経てば増援が来る」

 千冬は相手が何処のだれで何をしに来たのか聞きたかったが、とりあえず命令――ラリーは短い首肯。
 ハンドルを握りながらサイドミラーを確認し頭の中に叩き込んだ地図を広げて車両へ移動……かすかに眉を寄せた。

「アクセル、新手だ。後方のベンツ」
「防弾、してると思うか?」
「……相手の無能を期待するのはよせ」

 だが、後方から迫るその黒いベンツに対して誰よりも早く反応したのはシャルロットだった――見覚えがあるのか、顔色を一気に蒼白にする。

「あれは……! ハイウェイの猟犬、ティンダロス・ハウンド?!」
「なんかやばそうな名前だなぁ。おじさんにこっそり教えてくれる!?」

 銃器を預かり同時に迎撃射の手伝いを始めるジェイムズ。だが、シャルロットの返答を待つまでも無かった。
 その豪腕に相応しい大口径マグナムを構え、発砲――それこそ下手な装甲など貫通し致命的損壊を与える強力な運動エネルギーが――弾かれたのだ。

「あらやだ」

 ジェイムズの唖然としたような声――それに応えるように、車両の後席ドアの一つが横方向にスライドする。まるで要塞の外壁を一つ切り取って銃眼を空けたような構造。その中心にそそり立つのは――ブローニングM2重機関銃。本来ならば戦車や装甲車、トラックやジープ等の車載用銃架、地上戦闘用の三脚架、対空用の背の高い三脚銃架など様々な方面で用いられる大型武装だ。
 もちろん六十七口径機関砲を常備するISにとっては唯の動態目標、雑魚と言える程度の相手だが――市街地で用いられる従来兵器としては破格の威力を備えている。マグナムを耐える装甲、車載兵器クラスの大型火器。都市戦を想定した――車の姿をした重戦車。

「こいつら……偽装戦車か?!」

 千冬の声が、焦りと驚きに満ちた。
 
 
 


 作者註

 鈴さんマジヒロイン。今回のアレの元ネタが判る人はマジジーザス。
 なんとなくですが、白式とブルー・ティアーズ、ファング・クエイクのセカンドシフトと単一能力が決まりました。しかしそれ以外の人はまだだったりします。
 ……ところでブルー・ティアーズですが、イギリスの言葉で『no future』ってなんてかけばいいんだろう。
 既に判る人は分かる単一能力でした。それでは、感想を返す暇も無く申し訳ないです。八針来夏でした。



[25691] 第十六話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/03/27 00:39
 当然の事だが付近で発生していたこれほど凶悪な銃撃戦を察知できないほど、IS学園は無能ではない。
 ただし発生と同時に出撃を命令されたメンバーは全員が教官や指導員だけで構成されていた。これはそうおかしな話ではない。確かに生徒の中の専用機持ちは極めて優れた能力を持つが――生憎と彼女らは、IS同士での戦闘しか……いわば人の死なない戦闘しか経験した事がないのだ。
 しかし、今回彼女たちが排除しなければならないのは、あくまで従来兵器を保有するただの人間。引き金を引けば簡単に消し飛ぶ脆い目標だ。可能なら捕縛するべきだが、周囲へ被害を撒き散らす可能性をかんがみて、射殺が許可されている。……今回はあまりにも弱すぎる目標を冷酷無慈悲に撃ち殺す、そういう覚悟を決めた大人が必要だった。
 そして――ISには基本的に無力化用の武装は存在しない。迅速に目標を排除する必要があるが――同時にそれは殺人という禁忌を実行する必要があり、未だ十代の少女達が人を殺せば、それは強烈なトラウマとして後々尾を引く可能性がある。世界各国の代表候補生となりうる人材を使い物にならなくしてしまうような仕事を任せることはできない。
 だからこそ……この事件に巻き込まれているのが、彼女の頼りになる先輩である織斑千冬と、彼女が担当するクラスの生徒であるシャルロット・デュノアであると知ったとき、担任教師の山田真耶は躊躇うことなく出撃メンバーに申し出た。

「すみません……山田先生」
「良いんですよ、織斑くん。これは先生が自分で決めた事です」

 そんな山田先生を見送るために一夏をはじめとする専用機持ちは全員集合していた。
 一夏は……悔しそうな表情。叶うならば姉を助けるために自分自身が行きたかったが立場に縛られそれはできない。専用機持ち組は万が一に備えてISスーツに着替えてこそいるものの、恐らくお鉢は回ってこないだろう。

「山田教官、敵はISに通用しないとはいえ、大型の火器を保有しておりす。……これほど大掛かりな兵器を持ってくる以上錬度も相当でしょう。問題はないとおもいますが、注意してください」
「あはは、ラウラさんは心配性ですね」

 励ますように答える山田先生の顔色は――微妙に悪い。
 IS学園の教官でも実際に殺人を経験した人は少ない。経験せずに済むならそれに越した事はない話だった。

「……じゃ、行ってきますね。織斑くん、千冬教官はとっても強いです。きっと無事ですよ」
「心配するのが馬鹿らしいぐらい強い人ですからそっちは心配していません。山田先生も、気をつけて」

 迅速に、即座に相手を射止めるための大型狙撃砲を片手に山田真耶は、教え子達に心配をかけまいと笑顔を浮かべ、<ラファール・リヴァイヴ>を起動させ――そのISのハイパーセンサーに掛かった反応に即応した。

 
 それは彼女の人生の中でも大金星に入るであろう神速の反応、神業の射撃だった。
 

 それがミサイル兵器であるということを視界の端で流し読みながら銃口を反応のする方向へ向け、引き金を引く。
 解き放たれた銃弾はバレルを通り、まるで目標の未来位置と銃口が一つの線で繋がったように重なり合い――衝突する。




 激しい轟音と共に――まるで『天使の輪』のような爆発が広がった。



 
「ミサイル?!」

 緊急事態に対してここで判断を迷うものはいなかった。一夏を初めとする全員が即座にISを展開する。

「恐ろしく早いが、炸薬の量はそこまでではない――潜水艦からの巡航ミサイルではないな。……ISクラスから射出される大型ミサイル?!」
「第二波、接近しますわ!!」

 ラウラが爆発規模から相手の性質を推定――同時に遠距離戦闘を想定しているが故に一番索敵半径に長けた<ブルー・ティアーズ>のセシリアが即座に敵ミサイルの位置データを全員に転送する。

「迎撃!!」

 こういう場合、もっとも偉いのは教官である山田先生に当たる。彼女の言葉に一斉に空中へと飛び上がる各機。
 攻撃?! 山田先生の脳裏に広がるのは困惑。世界各国の代表候補生を預かるこのIS学園に対して攻撃を行う組織がいる。おまけにその相手は――レーダー圏外からの超遠距離ミサイルを使用してくるのだ。
 即座に――教官機達が固める一方向と専用機持ちで分担区域を決めて散会。

「しかし――やることが心底何もねぇ!」
「織斑くん!!」

 しかしこういう状況で、一極特化型の弊害が出た<白式>。流石に超音速で飛来する敵のミサイルを交差して両断するほどの神業めいた技量はない。まだ、ない。いつかそうなりたいと思っている。となればせめてCIWS(近接防御火器)の役割ぐらいはこなさなければならない、と――彼に、使用許可したアサルトライフルを手渡す山田先生。

「感謝します、先生!!」
「一夏くんはラウラさんと、箒さんは鈴さんと。セシリアさんは単独行動、可能な限り遠距離からのミサイルを狙撃、近くのミサイルは他に任せてください!! セシリアさん、あなたと<ブルー・ティアーズ>がこの作戦の要です!!」
「ご期待に沿いますわ、先生!!」

 油断なくスターライトMK-Ⅲを構えるセシリア。
 そんな彼女と違い、慣れない手付きで構える一夏――そんな彼に対して、ツーマンセルを組むのは、<シュヴァルツェア・レーゲン>のラウラ。<白式>の隣に並ぶ。
 
「山田教官が私とお前を組ませた理由はわかるな?」
「俺の射撃の下手糞加減じゃまともに命中は期待できない。……停止結界で動きが鈍ったところをズドン予定だろ?」
「自分を知る事は重要だな。……やるぞ!!」
「ああ!!」










 ジェイムズ・リンクスにとってこの状況は良くない。
 五反田弾と彼の扱う<アヌビス>は現在日本へ飛行中だろうが、しかし電話を取って通話を行い、その数時間後に<アヌビス>が飛来すれば自分と弾の関係性が明るみに出てしまう。だから、ジェイムズが取った手段は携帯電話の通話をオンにしてそのまま放置しておくことだけだった。
 相手が何らかのECMなどの電子欺瞞を展開する可能性はあったが――しかしそれはそれで構わないかもしれない。こちらの携帯電話に対してジャミングが仕掛けられているとすれば、それは悪意ある第三者が自分達の傍にいるという証拠でもあるのだ。それにもし繋がった場合、一発で気づくだろう――銃声に。

「くっそ!! 都市内であんな口径の機関砲を扱うなんて……正気か!!」

 アクセルが毒づく。
 気分としてはジェイムズも真にそのとおりだと思った。

「RPG-7などの対戦車兵器はないのか?」
「無茶言わないでください!! 俺たちは兵器を相手にするつもりはなかった!! ただのボディガードでそんな大物を用意する必要なんて――」

 同様に応戦の手伝いをするつもりなのだろう。織斑千冬のサブマシンガンの弾装を叩き込みながらの言葉にアクセルが答える。その回答も当然といえば当然だろう。隠匿性に優れた小型拳銃――ぎりぎりで持ち込めて手榴弾が限界。当たり前だ。彼らが本来想定していた相手はネレイダム、ひいてはアメリカ合衆国の要人、五反田弾の家族を狙うプロの諜報員だ。まさか――偽装戦車なんて代物が世界でも有数の治安の良さを誇る日本の街中に出現するなど誰が予想できようか。

「アクセル」
「何だ!!」
「……お前はあまり喋らないほうがいい」

 先の言葉は少し迂闊だ――言外にそういう意味を含ませるラリーの言葉。本来なら隠密行動が主任務の彼ら――五反田蘭のガードをCIAに引継いだ後、そのままジェイムズのバックアップにまわされたのだ。
 よく言えば真っ直ぐ、悪く言えば単純なところのあるアクセルに、ラリーは精密なハンドルさばきで相手の射線から懸命に掻い潜っている。この車両――外見からは想像できないが、相当に装甲を分厚く作っているのだろう。広々とした外見からは分からない微妙な狭さが装備された装甲板の頼もしさを物語っている。
 そう――相手が大口径機関砲でなければ、要塞の中にいるような安心感を与えるはずだ。聞こえてくるのはアスファルトを焦がすようなターンの音、装甲、人体を区別せず粉砕破壊する悪鬼の咆哮じみた重機関砲の発射に伴う轟音、そして近隣住民の罵声と悲鳴――予期せぬ場所で巻き起こる戦闘楽曲が……シャルロットの精神に爪を立てる。
 彼女は世界最強の戦力であるISの搭乗者であり、その戦闘能力は後方のあんな車両など一蹴するほどの戦闘力があった。だが、しかしISを起動させる事ができない今の状態では自分はただ震えているだけの人間だった。
 もちろんシャルロットだって専用機持ちであり、生身での戦闘訓練は積んでいるが――父が自分を殺そうとする現在の状況に心が萎縮してしまっている。

「心配するな」

 織斑教官が、窓から相手に反撃射を繰り出しながら言う。

「……お前は、私の生徒だ!!」
「ああ、そうさ――お嬢ちゃんを家に帰してやる!!」

 ジェイムズの言葉に、シャルロットは泣きそうになる。
 家――その言葉を聴いて一番最初に思い出したのは、ずっと昔、母が健康だった時に一緒に暮らしていた農園の見える穏やかな田舎町。時間がゆっくりと流れていくような優しい場所だった。
 次いで思い出したのは――デュノアの家。大きく豪華で華々しく……そしてとても硬質な冷たさに満ち溢れたビル。
 
(……そう、ここに来たのは、僕が弱かったから……)

 母親の手術台は大金で、給料が出る国家のエリートである代表候補生になったのも――金で購える幸せが確かにあったからだ。でも残された時間はもうほとんど存在せず、あんな殺人にまで手を染めるところだった。……ああ、でも、とシャルロットは思う。
 助けを求める声を上げた。自分ひとりではとても抱えきれない辛さを言葉に出した――そしたら、大人達は自分のような子供のために体と命を張ってくれている。そのことが申し訳なく、そして嬉しくて仕方がない。そして今現在、なにもできない自分が疎ましくて仕方なかった。



『――願うか……? 汝、自らの変革を望むか? より強い力を欲するか?』



 唐突に、突然に、それは聞こえた。
 それは福音のような救いの響きに満ちており、同時に悪魔の誘惑にも似た危険な臭いを孕んでいた。だが、その危険な臭いを嗅ぎ取れぬほどにその言葉はシャルロット・デュノアにとって待ち望んでいた響きであり、言葉の裏側に隠されていたものを見抜くための冷静さと時間は許されてはいなかった。

「……欲しい、もう無力なままなんて嫌!」

 小さな声。
 しかしその声に秘められた願いは何よりも強烈な意志を含んでいた。
 シャルロットは力が欲しかった――今自分の事情に巻き込まれ、それでもなお自分を助けようとしてくれている大人達を今度は自分が助けたいと強烈に思っていた。財力という力がなかったばかりに母親を救うため、従いたくもなかった命令にしたがざるを得なかった自分の無力が許せなかった。

「……欲しい!! 助けるための力が……!!」

 その甲高い声に、千冬とジェイムズが思わず視線をシャルロットに向ける。

「力が……力が欲しい!!」

 そして――強烈な力を求める感情を引き金とし……彼女のISに内蔵されていた機構が目を覚ます。










『マーカードローン、オールアクティヴ』

 


「えっ?!」

 最初の一撃――それはIS学園の施設を狙った一撃だと山田真耶は考えていた。
 相手の迎撃能力を上回る強烈なスピードと搭載された高性能炸薬からして、静態目標を破壊するためのものだと判断していた。だから彼女達の目標はミサイルを一発足りとてIS学園に届かせないはず――だったのに、まるで迎撃に出ている自分達を狙うようにミサイルがホーミングした。
 一瞬血の引くような感覚――それでも流石に教官を務めるだけはあり、彼女の銃口は正確にミサイルの真芯を撃ち抜いた。
 
「きゃあぁ!!」

 至近距離で弾けるミサイル。その鉄片の散弾が彼女を襲い、その衝撃で機体が大きく揺らぎ、シールドエネルギーを大幅に持っていかれる。なに? 今の!? ――今回は先の施設破壊用と違い、爆発の際周辺の空間に破片を撒き散らすように弾け飛んだのだ。もちろんISのシールドがある以上、中の彼女に影響が出ることはない……が。

「ミサイルの性質が変わった?!」

 一夏の声が驚きに満ちる。
 確かに、と山田真耶は教え子の言葉を頭の中で肯定する。先ほどのミサイルは施設破壊ではなく、むしろ迎撃のために飛行するIS自体を狙っていた。
 
「どっちにせよ、飛んでくるなら全部落とせば済む!!」
「こういう場合、考えてても仕方ないわよね!!」

 そういう意味では、箒と鈴のその竹を割ったような明快な判断はわかり易く頼もしい。そして――山田真耶は自分のみはそれではいけないと思っていた。思考する事をやめてはいけない。自分の仕事は教え子達にもっとも効率よく対処する手段を見出す事だ。……この面子の中で一番こういう兵器に造詣のある彼女は、現在の敵ミサイル攻撃に対して違和感を感じていた。
 通常、巡航ミサイルは高速で移動する動態目標には使用しない。
 攻撃に使う際は攻撃目標の座標を指定するか、あるいは母機がミサイルを誘導し続けるセミアクティブレーダーホーミング (SAHM)で行う。だが、この敵は誘導母機がいないのに、アクティブレーダーホーミング(ARH)のように単独でISのような高速動態に対して追尾してきた。
 しかし――山田真耶は、アクティブレーダーホーミング(ARH)はありえないと考える。敵の高速追尾型の散弾のように広がるミサイルはARHの場合ミサイルの弾頭部に発生する空気摩擦の熱雑音によって誘導が効かないはずなのだ。ならどうやって高速機動を行うISに追尾しているのか――それを解決する技術的ブレイクスルーが発生したとは聞かない。恐らく従来のものを何らかの形で利用しているだけなのだ。



『センサリーレベル、アマーブポジティヴ』



 どうやって――そう考え込む山田真耶の視界に<ブルー・ティアーズ>の自立機動砲台が目に映った。

「それです!!」
「ひやぁあ!! な、何事ですの、先生!!」

 いきなり叫び声をあげる山田先生の声に、セシリアのひっくり返ったような声。
 そんな彼女を無視し、彼女は叫び声を上げる。

「全員、よく聞いてください!! 敵のミサイルは先ほどと違い、恐らく対IS用の制空ミサイルです。……ハイパーセンサーの感度を上げてください、ほぼ確実に、敵ミサイルを誘導するための観測機が付近に存在するはずです!!」

 そのある種の確信に満ちた言葉に、全員が即座にハイパーセンサーに意識を集中させる。
 同時に感じられるのは――雲の隙間を縫うように走る、非常に小さな高速目標。ISと比しても小さい――そう、ちょうど<ブルー・ティアーズ>の装備する自立機動砲台のような小さなサイズの反応が、全員のハイパーセンサーに出た。

「いた、ほんとにいた! 十一時の方向、下!!」
「無人機(UAV)を確認……くそ……見失った!!」

 だが、恐らく相手も此方の索敵に引っかかる事を想定していたのだろう。同時に小型観測機はクラゲのような淡い発光を見せたかと思うと――カメレオンのように周辺の青空へと同化し溶け込んで行ったのだ。

「光学迷彩とレーダージャミング……攻撃はミサイルに任せて、観測機はミサイル誘導波の照射に専念するタイプだな……!!」
「諦めないで!! 敵は恐らくエネルギーの消耗度から考えて光学迷彩とミサイル誘導は平行して行えないはずです!! 小型観測機をロックして急いで破壊してください!!」

 ラウラの言葉に対して即座に返す山田先生。一夏は――顔を顰めながら言う。

「ミサイルと小型観測機、どっちを狙えばいい?!」
「どっちもだ!!」
「だよなぁ!!」

 箒の素早い返答に一夏は苦笑――やはり技量的には射撃武装よりもブレードによる白兵戦が性分にあっている彼は即座に小型観測機に挑みかかろうとする。

「……しかしこのタイミング……やはり織斑教官の方と合わせての事か?」
「一夏くん、凰さん!! ……状況が状況です。貴方達に任せるのは心苦しいですが――先行して織斑先生の方をお願いします!!」
「っ、分かりました!!」
「了解です!!」

 ラウラの呟き、山田先生の言葉に返答する一夏と鈴。確かに――狙撃が可能な<ブルー・ティアーズ>や、AICによるミサイル停止が可能な<シュヴァルツェア・レーゲン>、馬鹿げた高速機動と斬撃状の射撃が可能な<紅椿>、弾幕が張れる山田先生の<ラファール・リヴァイヴ>が一番適任。それに対して二人の機体はミサイルのような高速動態の迎撃はそこまで得意ではない。
 その言葉に従い、千冬姉の救助に向かう二人。
 ハイパーセンサーで二人を把握しながら、セシリア・オルコットは空の彼方、このミサイル攻撃を仕掛けてくる相手を睨む。

「……今さっき見えた小型観測機――間違いありませんわ、<ブルー・ティアーズ>と同じタイプの武装……強奪されたBT二号機、<サイレント・ゼフィルス>……!!」

 計らずもこんなところでイギリスより強奪された自分の機の後継機と遭遇する事になるとは――セシリアは、空の彼方にいるであろう強奪犯を撃ち殺したい衝動を堪えながら、ひたすら自分の仕事に専念。照準にミサイルを合わせてただ一心にミサイルを狙撃し続けた。

 





「素晴らしいな」
 
 その遥か彼方――遠方よりミサイル攻撃を実行した真犯人であるエムは、自分の愛機である<サイレント・ゼフィルス>のセカンドシフトを迎えたその性能に、言葉に僅かな力への酔いを見せながら呟いた。以前戦闘を行い、自分をまるで眼中に無いと言わんばかりに無視して見せた<アヌビス>と<ゲッターデメルンク>。その両機を思い出せば胸中には屈辱に対する怒りの炎が芽吹く。実際に彼女は専用機持ち複数が相手であろうとも勝利するほどの機体性能と技量を備えていた。なのに、実際には完膚なきまでの敗北。

 だが――あの敗北は彼女に力をくれた。

 破壊された謎の機体。<ネフティス>と頭部に刻まれた機体から回収されたメタトロンとその装甲材質は<サイレント・ゼフィルス>の性能を爆発的に高めてくれたのだ。より強く、より早く。彼女の喜びを表すように、機体後方に背負う天使の輪のような光輪が瞬いた。全身を、血管を流れる血のように緑色のメタトロン光が奔る。
 その両肩には――巨大なミサイルシステムである非固定浮遊部位(アンロックユニット)が接続され、また背中には機動性能よりも高速巡航能力(スーパークルーズ)を最重視した巨大なパワーブースターが搭載されていた。格闘戦(ドッグファイト)に付き合わず、大推力で戦線を離脱する事を目的とした装備。
 本来この武装は、設計段階であまりに膨大な拡張領域を食いつぶすために開発段階で正式採用が見送られた欠陥武装だった。
 光学迷彩とレーダージャミングによる小型観測機の電子的、視覚的透明化により姿を隠し、送られてきたデータを元に制空ミサイルを発射するというコンセプト。
 だが、小型観測機が消費する膨大な電力は到底小さな身体に納められるものではなく、また精々一斉射しか出来ぬとあって欠陥武器として倉庫で埃を被っていたのである――しかしだ。<ネフティス>のメタトロンを吸収した事により、機体は量子コンピューター内の膨大な拡張領域を手に入れ、またメタトロンによる発電システムにより、小型観測機の問題も解決した。
 このミサイルキャリアー用機能特化一式装備(オートクチュール)通称『アイガイオン』は、こうして設計者の目標を完全に果たす事に成功した。今回の目的は、シャルロット・デュノアに対しての援護部隊の接近を許さないこと。スポンサーの一人の命令だが、それを兼ねた新型兵器の実戦テストをエムは続ける。

「イニシエート・ローディング」

 拡張領域から緑色の輝きと共にミサイル弾頭が、両肩の装甲内に装填――ブースター点火。
 空中炸裂と同時に、まるで光輪のような破片が広がるところからこのミサイルは、こう呼ばれる。

「ニンバス(光輪)ミサイル、発射」








 ネレイダム社の護衛車両の中から眩い輝きが満ち溢れたかと思った次の瞬間――内側から装甲を突き破り、姿を現すもの。
 それを見て、織斑千冬は呆然としたように呟いた。その姿――鏡か、或いは写真でなら見たことがある。

「私……か、コイツは!!」
「な、なんだありゃ!!」

 空中へ飛び上がるもの――紫色の泥のようなものは、シャルロットの体を覆い隠し、人の――それもまるでISを装着した女性の姿へと姿を変えると、そのまま硬質化する。その姿が取ったシルエット――それはISとは余り関わりのない人生を歩んできたジェイムズ・リンクスでも知っているほどの知名度を持っていた。

「あんたなのか、あれは!!」
「VTシステム……ISの世界大会、モンドグロット優勝者である私の機動(マニューバ)を模倣するためのシステム、あんなものをデュノア社は……!!」
「ミスタージェイムズ、敵が引きます」

 車両の天井をぶち破られたにも関わらず周囲の状況を注視していたラリー――その言葉を肯定するかのように、まるで満ち潮が引くかのごとく、敵の偽装戦車が車両からスモーク弾を撒き散らしつつ撤退していく。先程まで畑を耕すような猛攻を仕掛けて来た割には余りにもあっさりとした相手の引き際に、千冬は嫌な想像に思い至った。車両の外に飛び出る一堂。

「そうか――奴らは、最初からこれが目的か!!」
「ああ? どういう事なんだ?」

 空中で停止したまま動き出そうとしない――VTシステムにより変異したそれを見上げながら、千冬は忌々しさと呪詛の入り混じったような感情を込めて言う。

「……VTシステムは、搭乗者が力を求める感情を引き金にして起動すると聞いている。敵の襲撃に合わせてISの起動を封じ、そして此方を命の危機に陥れる。じわじわと猫が鼠を嬲るようにな」
「……さっきの言葉からして俺達を助けようとして起動したのか。……くそっ! あの野郎どこまで性根が腐ってやがる!!」
「相手の目的は――殺人教唆を証言できるデュノア自身の口封じだ。……あんな違法プログラムを搭載していたのだ、証拠隠滅のための自爆プログラムは用意していると見るべきだろうな」

 千冬は意識して冷静さを保たなければならなかった。
 少女が仲間を助けたいという思いすら操るための道具にするその醜悪な精神といい、どこまでも卑劣な相手に怒りを禁じえない。だが――期待していた増援はなかなか来ず、また自分達で切り抜けるには戦力が圧倒的に足らない。
 どうせ逃げ切れないと覚悟を決めているのか、それとも此処で死ぬはずがないと自らの星の強さを信じているのか――二人は死が真近とは思えないほど落ち着き払った様子だった。千冬、見上げながら言う。ジェイムズ、無精髭を引き抜きながら応える。
 
「ミスタージェイムズ。いい手はあるか?」
「……そうさな。とりあえずマ○ターキートンと冒険野郎マ○ガイバーの徒手空拳にも関わらず状況を覆す名人二人のアニメとドラマを全話見終えたら逆転の妙手を思いつくかもしれねぇ」
「それは頼もしい。問題は、第一話のオープニングテーマが終わるより早く我々が終わりそうだという点だが」
「……お二人とも余裕だなぁ」
「見習おう、アクセル」

 二人とも事此処に至っても笑顔。危地にて尚軽口を叩く二人に呆れたような感心したような視線を向けるアクセルと、何故か憧れめいた眼差しを向けるラリー。
 だがその予想は――微妙に違っていた。
 両名とも、少女の命を使い捨ての道具にする相手に対して既に怒り心頭に達していたのである。笑顔は笑顔でも、それが意味するところは違う。攻撃的微笑、肉食獣が獲物に対して歯を剥くのと同質のものだった。そして――人間怒りが限度を越すと眼前の脅威に対してもある種の鈍感さを覚えるようになるらしかったのだ。目の前には、敵――恐らく敵のこれから始まるであろう攻撃はシャルロットの意志ではなく冷たいシステムによって行われる自動的殺戮。
 しかしそんな物言わぬ機構であっても、相手の二人の放つ鬼気は――確かに感じ取れたらしかった。地面に降り立ったソイツは、まるで二人の体から侵入を拒む結界が張られているかのように踏み込んでこない。
 
 そして、その数秒が死命を分けた。数秒が命を繋いだ。ジェイムズ・リンクスも織斑千冬も生身でVTシステムと相対して勝利できる訳が無い。
 
 だが、そこに割り込む影。
 風斬り音。
 飛来するのは長得物。先端に刃を帯びた槍が、風車のような高速回転をしつつ――まるでそこから先が生死の境界線だと言わんばかりに地面に突き立ったのである。
 そして遅れてくるもの――織斑千冬はどうして此処にこの機体が、と驚愕に満ちた表情を浮かべ、ネレイダムと関わるジェイムズ達はようやく到着した増援に、喜びの表情を見せる。

 地面に着地する<アヌビス>――想像を上回る強大な敵の出現に、石像と化したかのように動かない……変異したIS。

 千冬は思う。これまで自分達の最大の仮想的であった<アヌビス>が此処にどうしてやってきたのかはわからない。ネレイダムの最新兵器であるこの機体――海を越えてやってきたというよりは、むしろ何らかの用事のついでに立ち寄ったと見なすべきだろう。
 視線を悟られないように横に向ける――三人は、驚きこそ浮かべているものの、困惑は見当たらない。

(……彼らを助けるために来た? 繋がりがあるのか……?)

 だが、<アヌビス>は最強の敵だが味方となればこの上なく頼もしいものである事は確か。
 一歩前に進み出る<アヌビス>に、千冬は思わず叫び声を上げた。

「待て!」

 <アヌビス>は本当に前進を止めて待つ。まさか本気で言う事を聞くとは思っていなかった千冬は、しかし即座に言葉を続ける。

「中に少女が一人囚われている……助けてやってくれ!!」

 もちろん、<アヌビス>にシャルロット・デュノアを助ける義理など無いと分かってはいた。<アヌビス>の火力、能力を考えるのならばむしろ保有する大火力で持って猛攻を繰り出せばすぐさま沈黙させる事ができるだろう。
 断られる可能性も考慮した千冬だったが――それを杞憂と笑い飛ばすかのように、<アヌビス>は黙って親指を立てた。その、まるで俺に任せろと言わんばかりの反応に、彼女は思う。<アヌビス>が纏う気配が――以前とまるで違っているのだ。

(……前、アリーナに攻めてきた時は凄まじいまでの敵意を感じたが今はまるで違う。……こいつは、本当に敵なのか?)







『そもそも、シャルロット嬢を助けるためにアメリカから飛んできて助けないなんて選択肢自体有り得んしなぁ』
『しかし我々の事情を知らない彼女が此方を警戒するのは当然です。以前の戦いのツケと考えましょう』

 ああ……と弾は<アヌビス>の中で考える。
 今から思えば、あそこで<アヌビス>の力を見せた事があの飛行機事故の一因だったのだから。だが、だからこそ――弾はこれ以上、命を取りこぼす事を由とはしなかった。
 弾とデルフィの二人は、ジェイムズの携帯電話からの会話を全て拾っていた。
 目の前には――かつての戦乙女の力を真似た模造品。その中に囚われているのは、自分を助けてくれた大人達を助けたいという純粋な思いすら薄汚い大人の策謀の道具にされた少女。
 
 五反田弾は、ハッピーエンド派だ。可哀想な女の子が可哀想なまま終わる話が大嫌いだった。マッチ売りの少女が嫌いだった。藤田和○郎先生には心の底から共感する。
 
『有意義だよなぁ……』
『何がですか?』
『……可哀想な女の子に手を差し伸べるなんて休日の使い方――有意義すぎて涙が出てくる』
『私にとっては』
『ん?』

 デルフィは言葉を一拍置く。

『私にとっては貴方の命令に従って闘う以上に有意義な時間の使い方を知りません。貴方は違うのですか?』
『浮気しない男はいない』
『………………………………………………………戦闘行動を開始します』
『……えーと。うん』

 なんとなくムッとしているような気がするデルフィの言葉と共に、弾は<アヌビス>を起動――こちらを恐るべき脅威と見なしたのか、

変異したISはその腕に構えるブレードを振りかざし、斬り込んで来る。それをウアスロッドに受けつつ、機を伺う。
 あの時――あの飛行機事故で弾は結局誰一人として助ける事が出来なかった。
 だからこそ、もう二度と失敗しない。

『……二度と――俺の目の前で命を取りこぼさせるものか……!!』






 篠ノ之束は微笑んでいなかった――いつもにこにこ陽気が笑顔の信条の彼女は、彼女の事を知るものが見れば怖気立つような無表情だった。

「これは……束さんも予想外だったなぁ」

 呟く。
 まるで氷のような冷たい感情と、激しき雷のような凄まじい殲滅の意志を乗せて彼女はハッキングした衛星の画像を見ていた。
 篠ノ之束は千冬、一夏、箒の三人以外の人間はどうでもいいと考えている。逆に言えば――その三人に対して危害を加えんとするものを、決して見逃さず許す事は無かった。

「まさかあの短い金髪のVTシステムが原因でこんな事になるなんて……あー束さんの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!」

 自分の頭をぽかぽかと叩きながら、彼女は言う――もちろん……束の大好きなちーちゃんに対して銃を向けた連中は。


 現在進行形で皆殺しの憂き目に逢っていた。


 彼女を鎧う物、それは漆黒で塗装されたISだった。ただし――これはISの産みの親である篠ノ之束が自分専用に生み出したIS。彼女が望む能力を得るために、総計九機のコアを一体のISに搭載した最強最悪の機体。
 都市戦では最強最大と考えられていた偽装戦車ティンダロス・ハウンドは最早全滅。
 その彼女が放つ死の使い――上空を旋回する三メートル近くの寄生戦闘機『ガルータ』が周囲の雑魚どもの殲滅を確認し、帰還する。量子分解の光を放ち、自立機動砲台程度の小ささになって彼女のISの左肩に接続された。先程まで展開していた外装のほぼ全てを拡張領域で占める事により、展開と同時に膨大な戦力を発揮できるそれ。
 ただし――常識では有り得ない。
 すなわちそれは小型の寄生戦闘機七機全てが世界各国が喉から手を伸ばして欲しがるコアを一つずつ装備しているということであった。まさしく――コアを自力で作成する事が出来る唯一の人間である篠ノ之束のみに許されたIS。

「これはデュノアのおじさんには復讐しないとね♪」

 かすかに、唇の端を曲げるような笑顔を浮かべながら、束は言う。このISの中枢とも言えるのは右肩左肩に位置する二機のコア。自らの最高傑作を愛でるように、彼女はほんの僅か上機嫌になって告げた。

「さぁ、久しぶりのお仕事だよ? 張り切って行こうね――<ラジェンドラ>♪ <カーリー・ドゥルガー>♪」











 こっそり更新する、今週の作者しか満足しないNG








 ある空手家が言った。

「人は素手では羆には勝てない、だったら羆になっちまえばいい」

 と。
 至言である、と当時――アメリカ合衆国のトップガン、戦闘機乗りを止めさせられた直後のジェイムズ・リンクスは思った。
 そう、男がISに勝つには――ISに乗ればいい。だが男はISに乗れない……だからこそ、彼は思った。ならば、俺がロボになればいい。そういう妙な思考を経て彼は家族に連絡もせず、行動を開始する。家族に連絡すれば確実に自分の愚行にしか見えないそれを止められると分かっていたからだ。だが、それでも馬鹿と罵られ嘲られようとも、彼は夢をかなえるために行動を開始した。




 ひたすら自らを虐め抜き、鍛え、鍛え、鍛えぬき――彼は夢を叶えた。



 そして――今、その成果を発揮するべき時が来た。



 千冬は意識して冷静さを保たなければならなかった。
 少女が仲間を助けたいという思いすら操るための道具にするその醜悪な精神といい、どこまでも卑劣な相手に怒りを禁じえない。だが――期待していた増援はなかなか来ず、また自分達で切り抜けるには戦力が圧倒的に足らない。
 どうせ逃げ切れないと覚悟を決めているのか、それとも此処で死ぬはずがないと自らの星の強さを信じているのか――二人は死が真近とは思えないほど落ち着き払った様子だった。千冬、見上げながら言う。ジェイムズ、無精髭を引き抜きながら応える。
 
「ミスタージェイムズ。いい手はあるか?」
「……そうさな。とりあえずドーマ・キサ・ラムーンと呼んでみるとか」
「……それだと魔動王が来ますが……」

 織斑千冬は妙なものを見る目でジェイムズを見た。
 そんな彼女の疑問を無視しながら、ジェイムズは話の展開とか銃刀法違反とかそこら辺の事を全て無視して――話のノリでどっかから取り出した勇者の剣を千冬に手渡した。

「……これは?」
「とりあえず天に掲げてこう呼んでくれ」

 そう言いながら――ジェイムズはごにょごにょと千冬の耳元に言葉を囁く。
 とりあえず意味もわからぬまま頷く千冬は剣を空に掲げて叫んだ。












「龍~~神~~~丸~~~~!!」
『おおおおーーぉう!!』

 






 ジェイムズは、変身した。
 人間は変身しないが、そこら辺の事情を全て無視して変身した。





 ある空手家が言った。

「人は素手では羆には勝てない、だったら羆になっちまえばいい」

 と。
 だからこそ、ジェイムズは自分を虐め抜き、鍛えぬいた。そう――いつかロボになるために。空を再び奪い返すために。そして今の彼の姿を見たジェイムズの同僚がいればきっとこう言っただろう。





 あの人は夢を叶えたんだ、と。






 この期に及んで声優ネタであった。






 




 織斑千冬は困惑の真っ只中にいた。
 そこは操縦席――と言っていいのかいまいち良く分からない異空間。彼女はそこで両腕で足場となった黄金の龍の二本の角を掴み、龍神丸となったジェイムズを操縦していた。まるで小学校の粘土細工に魂が吹き込まれたような、その形。創世山を救う旅に出そうな救世主専用魔神。詳しくは画像検索をどうぞ。
 おかしい。何もかも致命的におかしい。いくらNGだからって許されることと許されない事がある。そもそも超魔神英雄伝が比較的近年にやったからそこまで認識が古くはないかもしれないが、生憎と今の状況は――初代龍神丸だ。
 しかし、ジェイムズ・リンクスは空を奪い返すためにロボになったのに――これでは空神丸がいないと空が飛べない。片手落ちではないか。早くガッタイダーに登龍剣を折られ、敗れてからイベントを経て龍王丸にパワーアップしないと。

『大丈夫かワタ……織斑さん!!』
「……体は兎も角頭が付いて行っていません……」

 どうやらジェイムズさんは――千冬をどこかの誰かと呼び間違えたらしい。突っ込むと余計カオスな状況になると思ったので何も言わなかった。何はともあれ、織斑千冬は――きっと誰も予想しなかったに違いない、訳の分からないクロスオーバーに流されるまま、逆らいもせず剣を構える。何でもいいからさっさと早めに終わらせたかったのであった。

「では、火炎登龍剣!!」
『え? いきなり全エネルギーを放つ龍神丸最終必殺技!?』

 下の千冬が足場にしている龍から焦ったような声が響いた。早く終わらせたいという彼女の気持ちはわかるが。
 




 そんな風に、どう考えても変異ISなど歯牙にもかけないコンビを遠目に見守りながら、弾は思った。大人が格好いい話だとは思ったが、まさかこんな風に面白カッコいいなんて予想外にも程があるのであった。
 そして結局、幼少期のバイブルをネタに出来て非常に大満足だった作者を除き、NGは特にオチもなく終わりを迎える。
 




 

 龍神丸とコンボイ司令のどちらにしようか真剣に迷ったのは心底どうでもいい話であった。







 作者註

 ミサイル関連で色々と言っていますが、作者は軍事の素人です。説明もそれっぽい事を言っているだけです。深いツッコミは無しでお願いします。
 熱雑音とか言っているのは、戦闘妖精雪風でJAMの高速ミサイルを生き残った直後の深井零とブッカー少佐の会話からだったりします。(えー)

 ……あと俺、昔スカーレットウィザードの海賊王ケリー・キングと敵は海賊の匋冥・シャローム・ツザッキィの海賊王対決小説を書こうとした事があったんだ。……でも、前者は兎も角後者はSF大好き人間以外にとっては知られていないし、きっと誰も望んでいないから書くのを止めたんだ……(えー)



[25691] 第十七話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/01 10:59
 ミサイルは無限ではない――はずだ。
 少なくとも過去の時代の戦闘機ではミサイル弾頭の武装積載量(ペイロード)にはある程度の限界があった。余りにも大量のミサイルを積めば重量は増し、自然と機動性能が劣悪化するからだ。だがISにはその制限が存在しない。
 必要な武装を拡張領域に内包し、戦いの途中で状況に応じて展開すれば良い。
 だから――相手が優れた拡張領域を持っていた場合、ミサイルの量がどれぐらいで尽きるのか推測できない。

「ええいっ!! ……幾ら<サイレント・ゼフィルス>でもこんな数のミサイルを搭載しているはずがありませんわ!!」

 だから、セシリア・オルコットは未だ間断無く降り注ぐミサイルに苛立ちの声を上げた。狙撃、狙撃、狙撃、一心に敵ミサイルを打つ。戦線離脱を図ろうとした一夏と鈴の二人を狙ったミサイルを撃ち落したときは自分自身の防御が一瞬おろそかになったため冷や汗を掻いたが、仲間の援護がよく生き残れた。だから織斑教官の安全に関しては心配はしなくていい。
 問題は、自分達の方だろう。
 敵の小型観測機――自立機動砲台の設定を変えたそれは小型で俊敏で、こちらが相手を捕らえた場合は闘う事無く逃げに徹するために非常に命中させにくい。そして――相手を追うことに夢中になれば、他の小型観測機からミサイル誘導波を照射され――。

「奴のミサイルは底なしか? 攻撃に集中できん!!」

 箒の苛立たしげな声――己に迫るミサイルに対して<紅椿>を回避運動。近接信管が作動し、爆発と共に周囲の空間を鉄片の散弾で斬殺する致死領域から即座に離脱しつつ叫んだ。回避を優先したため相手の小型観測機を間合いに捕らえ損ねる。
 
「距離がありすぎてこちらから攻めに転じる事も出来ないか。じり貧だな」

 そんな状況でも、ラウラ・ボーデウィッヒは外見上は焦りと狼狽を見せない。
 焦っていないわけでもないし、狼狽が皆無であるはずもないのだが、それを見せる事は無意味と考えているからだった。敵の小型観測機を捕捉――同時に右腕を繰り出しAICを照射……だが、すんでのところで逃げられる。
 戦闘継続にも当然ながらエネルギーを必要とする。<シュヴァルツェア・レーゲン>のAICは敵のミサイルの速度を殺し、また爆発の際の破壊エネルギーの防御にも使える攻守兼用の有用な装備だが――流石に無尽蔵に使用できる訳が無い。相手のミサイル攻撃は未だに打ち止めする可能性が見えず、このままでは仕留められるだろう。

 そして、山田真耶も当然ながらその事実に気付いていた。

 このままでは消耗して損害が出る。その前に、まだ反撃を叩き込める余力が残っているうちに反撃に打って出なければならない――ただし、単独で突出すれば確実に相手の集中攻撃に晒されるはずだ。そもそも向うだってこちらの位置や機動を正確に察しているはずだ。相手の能力が完全に不明である以上、分が悪い賭けだ。そして性能的には生徒達の専用機の方が足が速い。合理的に考えるなら彼女らに任せるべきだ。
 だが、優しいという言葉は同時に優柔不断という言葉にも含まれている。山田真耶は生徒を思うその優しさゆえに、死地に教え子を赴かせる事をどうしても決断する事が出来なかった。
 無限の弾装というものは存在しない。ISといえども膨大な武装を搭載できても永遠に攻撃し続ける事ができるわけがない。
 問題は――相手の攻撃はあとどのぐらい耐え凌げば良いのかがまるでわからない事だった。今すぐにミサイル攻撃は止むのかもしれない。だがこちらを全員屠るに足る十分な備蓄があるのかもしれない。賭けるものが教え子の命であるとするならば、その決断をせねばならない立場にある山田真耶は人生でもトップ5に入る緊張の中に陥った。
 顔色が悪い――可能なら自分自身の生命を掛け金にしたいが、自分の機体は純粋な機速では専用機に劣るだろう。
 戦場に置いて宝石よりも貴重な時間が浪費されていくのを知りつつも、彼女は勝つための賭けに踏み切る事に二の足を踏む。間違っていると、知りつつも。




『今回の目標は、敵ISに捕らわれた人員の救出です』
『大威力火器は使用厳禁、ウアスロッドで隙を見るぞ!』

<アヌビス>は地面に突き立てた槍を引き抜き、斬りかかってくる変異ISの太刀を受け止める。
 鋭い――魂の篭らぬまがいものの太刀でも十二分に殺戮は可能と言わんばかりの剣速。その一撃の早さ、重さ――流石は世界の頂点に立った女性の技術を機械的に再現しようとしたVTシステムと言うべきか。
 だが――少なくともVTシステムは<アヌビス>の敵ではない。豊富な火器を備える<アヌビス>は射撃戦で相手を封殺できる。ただ今回は中に囚われているシャルロット嬢を助け出さなければならないという作戦目的がある。ならば相手の得手である近接戦か、或いは隙を見て相手を行動不能に陥れる必要があった。

『サブウェポン・ゲイザーの使用を提案』
『頼む』

 そして相手を行動不能に陥れるという点では、敵の動力系に作用し起動不可能にするゲイザーがもっとも有効なのは言うまでも無い。
 デルフィのサポート――間断なく降り注ぐ断頭斬胴の剣閃の群れを<アヌビス>は跳ね返し続ける。その切っ先から相手の侵入を拒む霊的な力でも宿っているのか、それとも槍自身が自意識を持って自ら相手にぶつかりに行っているのかと思うような堅固な守りを見せる。
 空いた腕にゲイザーを展開――相手の斬撃を横方向へ避けながら投擲。
 しかし、変異ISはゲイザーに対して対処。その腕に携える刃が旋回しゲイザーを弾き飛ばした。

『ッ、反応が良い、さすがめんどくさい!』
『根気が無さ過ぎます』

 ゲイザー自身には相手を動けなくする力があるが、流石に動力など関係ないブレードには効果が無い。十に届く数のゲイザーは相手に届かず意味無く地面で緑色の光を無意味に放ち続けるのみ。
 近接戦闘では優位に立てぬと踏んだのだろうか――変異ISはその腕に、巨大な円柱を思わせる射撃武装を展開する。織斑千冬の機体を参考にした故か、搭載されていた荷電粒子砲の出現に、弾は思わず顔を顰める。ここら辺り一帯は、ラリーが周囲に人の少ない場所を選定して逃走していたために巻き添えを食うような人はまるでいない事が救いだが……それでも粒子砲の威力なら住民の不安を大きく煽る事になるだろう。
 脳裏に浮ぶのは、<アラクネ>との交戦後の故郷の姿。唐突に出現した、ISによる破壊活動を平然と実行する相手によってもたらされた人々の恐怖の声。

『この……!!』
 
<アヌビス>は空いた腕を伸ばし、相手の銃口の狙いを阻む盾とするかのように、先端をわしづかみにする。
 同時に銃身に蓄積される灼熱の光、対象を焼き滅ぼす焦滅の主砲が解き放たれる時を待つようにより強く激しい光を撒く。
 弾はそれを許さない――この変異ISの搭乗者は、きっとこのような力の振るい方など望んではいないはずだった。そしてもし自分が助け出す事が出来たとして……暴走時に己がもたらした被害を、自分がやってしまった結果を突き付けられたらどれほど思い悩むだろうか。自分が望んだ訳でもないのに責任を持たざるを得ない被害――その辛さは、弾が良く分かっている。
 だからこそ、<アヌビス>は銃口の前に繰り出した腕よりベクタートラップを稼動させる。ビーム兵器だろうがなんだろうがお構いなしに飲み込み圧縮するメタトロンの力を持って、相手を助け出した後、中の少女が心病まずにすむようにだ。
 
『力に酔わせ、狂わせるのがメタトロンの毒でもなぁ……!!』

 吐き出される灼熱の光。高出力荷電粒子の破壊エネルギーの乱流を、<アヌビス>はまるでその腕一つで握りつぶすかのようにベクタートラップで丸ごと圧縮する。

『たまには……可哀想な女の子一人の心ぐらい守ってみせろ、貴様だって人間様の道具だろうが、メタトロオオォォォォォォォン!!』

 同時にそのベクタートラップの檻に捕らえた莫大な破壊エネルギーを全て下方向へ――この町に住まう人が無意味に不安に陥らないように地面へと叩き付ける。<アヌビス>は強い――だが、ただひたすらに破壊のみに専念すれば良い訳が無く、誰かのために闘うのであればその力に枷を嵌めざるを得ない。
 だが――その価値はある。
 ウアスロッドを構え、再び相手の拘束に掛かろうとした時――弾は索敵システムに写る新たな二つの反応に気付いた。


 

 


 その時の凰鈴音の心境を言い表す事は非常に困難だった。





 
<アヌビス>。

 以前アリーナに乱入し、箒を助け、その直後自分達に戦闘を仕掛けてきた所属不明、来歴不明の正体不明の機動兵器。その戦闘力は最新鋭第三世代を軽く凌駕する。そして――自分を簡単に打ち倒す機会を得ながらも、まるで搭乗者の困惑が透けて見えるような動きを見せた。
 そして――五反田弾と、あの日あの時炎の中に消え去った幼馴染と同じ仕草を見せた。
 歓喜と困惑。彼女の胸中を満たすものは、恋心を自覚した相手が未だに生存していたという事に対する喜びと、どうして彼がこんなところで織斑先生とジェイムズのおじさんを助けて闘っているのかということ。困惑に対する回答を与えてくれる存在は何処にもおらず、織斑先生を救出に向かった彼女が思考で動きを固まらせてしまったとしても責めるものはどこにもいないだろう。
 胸中を占めるものは期待と不安だった。
 鈴は、<アヌビス>の正体が――五反田弾である事が八割方正解と思っている。だがそれは十割の答えではない。確実に<アヌビス>の搭乗者が五反田弾であると決まった訳ではない。
 そんな――そんな都合の良い話なんてあるわけが無いという思いと、どうかそうであってくれという懇願にも似た思いを胸に抱く。
 だからこそ、彼女は……<アヌビス>を見た瞬間、親友を失ったその憤りと嘆きの全てをぶつける敵と決めた相手を見て、雪片弐型を掲げて突進を始めた<白式>に出遅れた。

「……<アヌビス>……!!」

 一夏の反応は視野狭窄と言っても良い。ここに来たのは千冬姉を助け出すためであったにも関わらず、彼は自分が戦うべき相手は至高の強敵<アヌビス>であるのだと判断した。世界の半分の代表として世の女性全てと戦うと誓ったにも関わらず、完膚なきまでに叩きのめされた恥辱と、自分自身の敗北を雪ぐ機会に彼は牙を剥いた。
 
『敵脅威接近。<白式>から攻撃照準波を検知』
『……一夏……』

 デルフィの声には、他のIS接近の時とは違う僅かな警戒心が含まれている。以前での戦闘で唯一<アヌビス>に打撃を与える事が出来る相手の存在を彼女はしっかりと記憶している。
 だが、新手の接近に対して警戒するデルフィと違い、この時の弾の心は千々に乱れた。

『ああ、くそ! もどかしい、もどかしいぜ一夏!! お前親友なんだから言葉出さんでも事情察しろよなぁ!!』
『無理を言わないであげなさい』
『まぁそれが出来るぐらい以心伝心なら――中学あれだけ向けられてた好意に気付かない訳も無いか、精進しろよこのニブチン!!』

 親友との予期せぬ再会。明確にこちらにも狙いを定める彼。自業自得と罵られれば反論する余地の無い過去の自分の行動を呪いながら、彼は<白式>にも対処する機動を取る。千冬さんがこちらにも協力を求めたのだ。すぐに誤解は解けずとも彼女が止めてくれる。……相手の攻撃は、ウアスロッドの高度な自動防御モーションに任せながら、弾は<アヌビス>を疾駆させる。





 鈴はこの一夏の余りにも皮肉な巡り合わせに息を呑んだ。
 
 親友である五反田弾を失い、その無力感、絶望感から立ち直るため、<アヌビス>に敵意の矛先を向けざるを得なかった一夏。だが違う、今まさに目の前にいる彼が弾であるはずなのに。彼が生きていて自分の次ぐらいに喜ぶのが一夏なのに、それに気付く事無く刃を抜き放つ一夏に――鈴は涙の情動を堪えた。
 本当なら今すぐ泣きたい。永遠の別離と思っていた人がもしかしたら生きているのかも知れないという希望を持てただけでも良い。本当に<アヌビス>の正体が弾であるかどうかを確かめるのは正直震えが走るほど怖いけど――やっぱりあいつは死んでいるのだと再び思い知るのはとても怖いけど……でも。

「凰(ファン)!!」
「はい!!」

 戦闘の邪魔にならない位置に退避していた千冬さんの言葉に即座に返す鈴。

「あの正体不明のISの中にはシャルロットがいる、<アヌビス>は味方だ、あいつを止めてやってくれ、不肖の弟が世話を掛ける!!」
「頼むぜ、鈴ちゃん!!」
「任せて、千冬さん、ジェイムズさん!!」

<アヌビス>が味方である――千冬の言葉を聞けば、誰もが耳を疑っただろう。
 相手は以前の戦いで明確に敵対した。そんな相手が味方だと言われてもすぐに信じられない――ただ一人、凰鈴音を除いて。
 彼女のみ、<アヌビス>が強力な敵ではなく、その装甲の下に血肉を備えた人間が宿っているのだと知っていた。五反田弾が――自分と一夏の敵であるはずがないと知っていた。だからこそ、自分や一夏に対して正体を明かせないのもなんらかの重大な理由があるものだと考える。

「一夏……!!」

<アヌビス>は忙しそう――変異ISと<白式>の三つ巴。
 本来ならば一対三、数的に見て圧倒的に優勢なのに、一夏の視野狭窄で戦力的に面倒な事になっている。<アヌビス>は<白式>の零落白夜で損害を負った経験があり、変異ISとの戦いで不意を撃たれる事を警戒しているのだろう。
 鈴は一夏の頭を盛大にぶん殴って余計な手出しをしている彼を咎めたい。でも弾が自分から名乗り出ない事にはなにか理由があるのだ。そう考える――そこまで行って、自分が<アヌビス>の搭乗者が弾であると決め付けている事に気付いた。
 心の奥底で暗く澱んでいたものが消え去っていくような気持ちを感じ――彼女は<白式>をいなす<アヌビス>との間に割り込ませる。

 守るのだ――親友に刃を向けたと、後で真実に気付いた一夏が傷つかないようにその心を。
 守るのだ――炎に消え果て、自分が自分であると名乗りでる事が出来ず、親友に刃を向けられる弾のその心を守るのだ。

<甲龍>より強大な緑のメタトロン光が瞬く。

 本人すらも知らなかったが――先のアリーナでの<アヌビス>の攻撃事件に対してアメリカからもたらされた高純度メタトロンは、彼らが知らないうちに束の手によって移植されており、後は――搭乗者の強い意志を引き金として新たな力を得るための準備が施されていた。
 
 ……まるで二人の心を守ろうとする鈴のその思いを物質で再現するかのように、彼女の心理を鏡で映したように姿が変わっていく。


 第二形態移行(セカンドシフト)が、始まる。









 今現在の状況はセシリア・オルコットの心をじわじわと焦燥で削っていく。
 
「……また、新手?!」

 新たなミサイル攻撃をレーダーサイトに捕捉。同時に銃口を相手に向ける。FCSが敵ミサイルの未来位置を予測。火器管制に従い照準を向ける。
 指先に僅かな震え――本来の彼女ならば必中必殺の距離だが、いつ終わるとも知れぬミサイル攻撃と、戦場にいる人間全てを激しい砲弾神経症(シェルショック)でも引き起こさせるような猛攻によって昂ぶり荒ぶる神経が、本来の彼女の実力を阻害する。
 
「……外した……!?」

 背筋に氷の塊が這い寄るような感覚。遠距離射撃に置いては――それこそ教官顔負けの能力を持つという自負があったセシリア・オルコットが仕留め損ねた。それはギリギリのラインでミサイル攻撃を迎撃し続けてきた彼女らにとって、まず有り得ないと判断していた状況であり、予想外のしくじりにカバーに入るために必要な判断速度が僅かに遅れるという結果をもたらした。
 敵ミサイルの弾頭部がこちらに向かって急速に接近――まるで走馬灯に似た加速された感覚で、セシリアは自分へと迫り来るミサイルを見た。
  
 

 

 セシリア・オルコットは常に一番を目指してきた少女だった。
 戦績や成績のみならず、自分を高めるという事に対しては全く妥協無く厳しく生きてきた。
 頂点を目指した、というよりは人に負けたくない、劣りたくないという感情の一番最初の気持ちはやはり父母の死だろう。あの時彼女の周囲にいたのは、父母を失った可哀想な少女を助けようとする親族ではなく、父母の残した財産を姑息にも掠め取ろうとする泥棒しかいなかった。
 お金にそこまで執着する気などセシリアには特に無かったが――ただ、そんな浅ましい親族の存在は彼女にとって不愉快だった。お金はそこまで欲しくは無い。ただ、父母から自分に正統に引き継がれるはずの財産を、父母が自分に残してくれたものを他人に掠め取られる事はどうしても我慢ならなかったのである。
 だから彼女は孤独な戦いを始めざるを得なかった。
 父母の財産を守るための勉強、その途中でIS適性を発見。国家の庇護を得られる立場になった。
 浴びるのは賛辞。自分が努力している事を測る物差しは他者の憧憬の眼差しと賞賛の言葉。入試試験で教官機を撃墜したのは偶然ではない。彼女はこれまでにそれを成しうるだけの努力という対価を支払ってきたのだ。


 だから、織斑一夏という異物が学園に入ってきた時、セシリアが感じたのは、強い理不尽感だった。


 他者の憧憬の眼差しと賞賛の言葉。それは彼女が積み重ねてきた努力の歴史を感じさせてくれるものであり――セシリアは、だからこそ織斑一夏が気に食わなかった。相手が自分を上回る努力を積み重ね、高い実力と知力を持っているのならば、まだ突っかかるような事はなかっただろう。
 だが、織斑一夏は……単に『男でISを動かせる』という偶然で、周囲の耳目を惹きつける事が出来たのだ。それは――実力で周囲の耳目をひきつけてきたセシリア・オルコットにしてみれば、余りにも卑怯なやり方に思えたのだ。相手は努力ではなく、たかが奇跡ごときで本来自分が得るべき注目の視線を掻っ攫ったのだ。もちろん彼個人はそんなつもりなど無かっただろう。実際に話してみて分かったが、あの時の一夏はまるで何かに強く苛立っているようにも思えた。
 考えてみれば、望んだわけでもないのにISを動かせるという才能で持って入学を余儀なくされた彼に対して喧嘩を売ったのは、少し早計だった。ただ、あの時の彼女は――常に一番であれと己に課してきた自分を脅かす相手に対して、到底平静ではいられなかったのだ。
 
(……走馬灯って、こんな感じなんですかしら?)

 セシリアの脳裏を駆け巡るのは、このIS学園に入学した時の一番最初の気持ち。彼女が想う人との一番最初の出会いの時。ただ明確に一夏に対して思いのたけを告げてはいなかった。鈴に見せてもらった織斑一夏攻略本の内容を思い出す。『あれは死ぬほど鈍感なのではっきり言わないと気付きません』と明言されていたのに。
 
 敵ミサイルの直撃では自分は死なない。ISの絶対防御があるからだ。だがそれでもあんな速度で飛来する鉄の塊が自分に直撃する光景を見たら、理性ではなく感情が生きる事を手放す。
 ぎゅっと、反射的に目を閉じたセシリアは――瞬間、目蓋越しにも感じられる膨大な光量が膨れ上がるのを感じた。

「セシリアさん!!」
「馬鹿が、戦闘中に目を閉じる奴がいるか!!」

 心配の言葉と罵声の言葉はそれぞれ山田先生とラウラの二人ずつ。
 レールガンの一撃がミサイルを粉砕し、その破壊の余波、鉄片の散弾は――機体全面に物理シールドを展開した山田先生が食い止めていた。
 
「え? でも……わたくし、撃ち落し損ねて……」
「そのミスをカバーするのがチームというものだ。……貴様、確かに貴様がしくじるのは予想外だったし、事実ゼロコンマ5秒ほど反応は遅れたが――その程度で間に合わせられないと思ったのか?」
「セシリアさん、気張るのはわかりますが、少し冷静に」
「まだ来る、カバーするぞ!!」

 声を張り上げながら単機で獅子奮迅しミサイルを捌きまくる箒――その姿を見ながら、自分の失敗をカバーする仲間の姿にセシリアは、むしろきょとんとした表情を見せた。
 セシリア・オルコットは常に一番であり続ける事を自らに課してきた少女だった。
 それは他者と競合せず、求道者のように自らを高め続けるという事だった。事実、IS学園では二対二での実戦形式での訓練こそやるものの、基本的な授業では自分以外は全員ライバルであるのだと考えていた。
 だけども、彼女が思っているよりもずっと、実際の戦場は仲間との助け合いが大事で――自分が失敗をしても仲間がカバーに入ってくれるものという事を実感で知る事ができた。



 すとん、と心のどこかが腑に落ちる。



(……ああ、なんだ)

 セシリアは、父母が死んだあの事故から心の中で強張っていたものが、ようやく解きほぐれていくのを感じた。
 別に、一番であり続ける必要は無い。別に絶対失敗してはいけない、という訳でもない。自分ひとりで何もかもを成し遂げる必要は無く、他人に任せていいところは任せてもいいのだと、悟る事に似た心境で彼女は理解した。
 敵を見る――恐らく強奪された<サイレント・ゼフィルス>の搭乗者は自分よりも上手く自立機動砲台を扱えている。
 そう、それをまず認める事にしよう――自分が劣っているという事を。セシリアは少し前ならば絶対に認めなかった事を、優しげな微笑と共に認めた。
 相手は小型観測機を自分では不可能なレベルで完璧に操っている。自分の狙撃は相手を捕らえられず、そして相手の攻撃は自分達を危地に陥れている。……それを認めてから、彼女は笑った。

「ええ、そうですわね。相手の方が上手い、速い――でも負けてやる気はございませんわ」

 相手は強い。
 だが、セシリアは微笑む。狙撃という分野では相手を上回る事ができない。遠距離射撃型である<ブルー・ティアーズ>を扱いながらも、積み重ねた修練では相手に勝てぬと彼女は諦めた。狙撃では勝てないと判断した。



 ただしそれは彼女が勝利への意志を投げ捨てた事にはならない。



 むしろ――それは狙撃という分野に拘らず、勝つためならば如何なる手をも躊躇わずに使う、勝利へと邁進する戦闘者として次なるステージへと到達する事を意味していた。まるで闘う淑女を一番美しく飾るものは胸を彩る勝ち星以外に有り得ないと知るように、セシリアは微笑みながら――<ブルー・ティアーズ>に進化する事を許す。
 狙撃で勝てなくてもいい。失敗しても仲間がいる。人生で譲れないものは精々たかが一つや二つだけ。織斑一夏への恋心と、勝利を得るというたった二つに望みを絞れば……嗚呼、人生とはなんと楽で楽しげなものであるのかと、むしろ笑みさえこぼれてきた。

<ブルー・ティアーズ>から緑色のメタトロン光が放たれる。

 狙撃戦闘を最重視した機体構成から、勝つ事を最重視したその形へと――セシリアの望みを叶えるために、<ブルー・ティアーズ>のコアは主の望みを成就すべく己を作り変えていく。
 翼が肥大化。後方の推力ユニットが更なる加速と機動性能を得るべく巨大な三次元偏向スラスターへと形を変えていく。自立機動砲台は自らのコピーを増やし、本体に接続。一番大きく形状が変化しているのは、まるでスカートのように腰の横から後をぐるりと覆うような新しい非固定浮遊部位(アンロックユニット)による物理装甲。
 スターライトMK-Ⅲは更に口径を巨大化。当然必要とされるエネルギー量も相当に大きくなるが――<ブルー・ティアーズ>がその身に取り込んだメタトロンはその問題を解消し、むしろ余裕を生むほどの膨大なエネルギー供給力をもたらす。
 それは戦場の淑女が纏う典雅な蒼い装甲。一番に対する執着をしない事を自らに許した少女の心の軽やかさを写す鏡のように挙動の全てが総じて軽やか。爆炎による煙の煤こそ戦場の女の化粧と言わんばかりに顔に汚れがあるのにそれがとてもあでやかで美しい。セシリアは微笑みと共に髪をかきあげる。一流の舞踏者がどんな乱雑な動きをしようとも動作の端々に隠しきれない美を潜ませるように、一流の演劇者が耳目を惹きつけるのに似た魅力がある。全員の鼻腔に、戦場に似つかわしくない薫風を錯覚させた。

「……<ブルー・ティアーズ>が第二形態移行(セカンドシフト)した……!!」
「先生、ご迷惑をお掛けいたしましたわ。……ここからは――<ブルー・ティアーズ>第二形態『シャッタードスカイ』にお任せくださいませ!!」

 山田先生の言葉に返答し、セシリアは叫びと共に手を振る。まるでタクト一つで一個の生き物のように楽を奏でる統率された楽団のように、腰のスカート型装甲が一斉に分割し四方へと散り、空中を疾走、飛行する。
『シャッタードスカイ』――閉ざされた空という意味を関する<ブルー・ティアーズ>第二形態の真骨頂である、この分割された大量の小型ユニットは元来<アヌビス>戦を想定された高度な索敵システムの役割を担っていた。
 周辺に小型の浮遊センサーを展開するのは、かつての<アヌビス>戦で、相手が自分自身をベクタートラップに格納する事により、完璧とも言えるステルス能力を発揮した場合の、空間の僅かな歪みを検知するためのシステム。同時にそれは<ブルー・ティアーズ>の周辺を完璧とも言える高度な索敵としても作用する。
  
「理解いたしました。わたくしは、小型機の扱いと言う点において貴女には勝てませんわ」

 セシリアのその呟きは、遥か遠方で<サイレント・ゼフィルス>を操る敵に対しての敗北を認める台詞だった。
 ほんの数日前ならば死んでも言わなかった屈辱の台詞――でも、今心がとても軽く楽になったセシリアには、それを認める事に悔しさは無い。乙女が真に譲ってはいけないのは、好いた殿方を射止めることと勝つことぐらいであり、狙撃や機動の分野において相手に敗れることに悔しさはない。それはあくまで枝葉の一節。自分がしくじっても、他の仲間がカバーしてくれるのだと悟ったから。ハイパーセンサーに叩き込まれるのはこれまでとは次元の違う膨大な索敵データ。それら全てを機体のコアは増大した演算性能で処理し、必要となるデータを全て取捨選択しセシリアに表示する。

「ですけども――勝利だけは勝ち取りますわよ?!」

<ブルー・ティアーズ>に直接接続されたままの自立機動砲台が全て己の周囲を向く。全方位へのレーザー射撃。エネルギーバイパスを本体直結式に切り替えたがために、高出力となったそれ。
 ただし一堂の周囲を高速で駆け抜ける小型観測機は、相手の新しいパターンの攻撃に対して一時的に攻撃よりも光学迷彩とジャミングによる光学的、電子的透明状態へと移項。相手の攻撃を回避重視に切り替えて避けようとする。確かにそれは上手く行くはずだった。
 周囲に放たれた<ブルー・ティアーズ>のレーザー攻撃は、まるでただ無作為に撒き散らしたようにしか見えず――自然、小型観測機を遠隔操縦するエムもその唇に嘲りの色を浮かべた。
 放たれたその全方位一斉射撃は脅威にはならず、全て的外れ。これならば大したことにはならぬと――エムは、圧倒的な力の愉悦に自ら進んで酔いながら、暗い笑みを浮かべ――そして見た。

 四方へと放たれた無作為な一斉射撃――その全ては<ブルー・ティアーズ>が周囲に撒いた索敵センサーの直撃コースを描き、己が機体を己が攻撃で損なう愚かさを笑うエムの想像を超えるように……反射したのである。

「貴女には、未来はありませんことよ!!」
 
 反射する。反射する。反射する。

 まるで光の檻、銃弾で描かれた破壊の格子。相手を射殺するまでは死なない呪われた銃弾のように、周囲に撒き散らされたセンサーによって、<ブルー・ティアーズ>の攻撃は反射を繰り返し今だ生き続けていた。空気での破壊エネルギー減衰がまるで感じられない反射レーザーの雨――その破壊の密度を増すかのように、<ブルー・ティアーズ>は繰り返し反射レーザー攻撃を続ける。
 これほどの破壊の雨でありながらも、恐るべき事にその反射レーザーは友軍機に一発も直撃させていない。卓越した制御能力で反射レーザーの全てを操る。

 これこそ、<ブルー・ティアーズ>が対<アヌビス>戦を想定して生み出したシステムである索敵システムとレーザー兵器の屈折偏向を利用した攻撃と防御を兼任する『シャッタードスカイ』――空にあるもの全てを撃墜する高度な迎撃システムであった。<アヌビス>のホーミングレーザーは威力、弾速、追尾性能、その全てが非常に高いレベルに位置しており、これを回避する事は実質的に困難。
 その対処のために生み出されたのがこれであり、レーザー反射システムによる相手の攻撃の無力化とそれを利用した攻撃方法。

「狙撃では勝てませんけど――……でもわたくしは優雅に勝つ必要もないと悟りましたの。乙女が必ず勝たねばならないのは恋と後一つぐらいと分かりましたし」

 セシリアは微笑む。気取りの無い、素直な童女の如き笑顔。

「百発中の、一発命中でも、勝てば良いんですのよ?」

 意地の悪い笑顔――彼女が繰り出した反射レーザーの雨霰は銃撃の結界となって、小型観測機を撃ち抜き、接近するミサイルをあらゆる角度から狙撃。堅牢な迎撃結界は水も漏らさぬ精密さであらゆる脅威を跳ね除ける鉄壁の傘となり、仲間と――仲間達のいる場所を狙う悪意の攻撃を全て打ち払いのけた。
 敵もこれ以上攻撃を続行してもこちらの迎撃能力を上回る事が出来ないと判断したのだろうか。<ブルー・ティアーズ>第二段階『シャッタードスカイ』のハイパーセンサーにも反応がない。遥か遠方に見える膨大な推進エネルギーの反応――撤退を確認。脅威が去った事をセンサーを通じて仲間全員に伝える。

「後は――あの方達ですわね」

 一夏と鈴の二人は織斑教官を助ける事が出来たのだろうか。
 セシリアにとっての勝利とは皆が無事に生還することであり、こちらの勝利条件は満たせても、あちらの勝利条件は彼らにしか満たせない。みんな無事でまたいつものような学園生活を送る――とはいっても、この時点ではセシリアは特に心配などしていない。皆が戻ってくる事を確信し、彼女らは学園へと帰還する。
 
 状況が油断ならぬものになっていたなどと、知る由も無く。



[25691] 第十八話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/01 14:03
 ISには絶対防御、最終保護機構という優れた搭乗者の保護機能が存在している。
 それは総合的な戦闘力で上回るであろうオービタルフレームにはどうやっても再現不可能な、搭乗者の安全を確実に守る優れた機構だ。そこは掛け値なしに、流石は天才篠ノ之束と賞賛するほかない。
 では、今現在交戦しているこの変異ISも同様にその装備を持っているのだろうか――弾デルフィに目の前の敵、該当データに存在していた『VTシステム』の情報を現在戦闘と平行して分析させていた。弾は叫ぶ。

『なんか弱点ございました?!』
『データ取得。敵システム名はVTシステム。過去のモンデグロッソ優勝者のデータを再現するために作り出された自立型戦闘システムのようです。あと、敬語は要りません』
『自立システム? お前の親戚か?!』
『一緒にしないでください、怒ります』
『……お前も変わったなぁ!!』

 弾はデルフィの応えにときめきながら――表示されるデータを確認。
 そも一番重要なのは、相手はISの一種であるのだから撃破された際搭乗者を守る最終保護機構がちゃんと起動するのかどうかと言う事に尽きる。もし起動するのであれば、お構いなしに戌笛を叩き込んで戦闘不能に陥れてから回収すればいい。
 問題は、相手がどうも正規品のISではない違法改造を施されているらしいことだった。果たして相手の最終保護機構はきちんと発動するのか。もし実際に致死の一撃を叩き込んで死亡されては『やあ、まずったな』ではすまない。

『流石に人命が掛かっている以上、賭けはできないな。最初の予定通りだ!!』
『任務遂行には迅速な<白式>の排除が有効です。攻撃を推奨します』
『……駄目だ!!』
『弾。貴方の理由は理性に基づくものではなく、感情による理由と推察しますが』

 変異ISと切り結びつつ後退した<アヌビス>へと接近する<白式>。
 携える光の刃。ISの保有する武装の中で、唯一デルフィが警戒を払う零落白夜。蒼白い輝きの塊となったそれを構える<白式>。なるほど――確かにデルフィの言葉は全くの正論だった。<白式>は正式なIS。搭乗者の生命を絶対に保証する最終保護機構を備えた機体は、<アヌビス>の戌笛の直撃を受けても搭乗者を守ってくれる。優勢指数を低下させる原因である<白式>をさっさと始末すれば<アヌビス>は変異ISを制圧できる。近接戦闘でも<アヌビス>は無敵であり、それが可能だった。

『状況によって架せられた制約を外していく事が有効と判断します』
『……すまない、デルフィ。悪いが我侭を通させてくれ』

 しかしそれが正しいと分かっていても、弾は親友である一夏を撃つ事に躊躇いを覚えてしまう。理性が正しさを認めていても、感情がそれを断じて許さなかった。デルフィ――ある程度予想していたようなあっさりとした応答。

『了解』
『迷惑を掛ける』
『何度も言いますが。私の存在理由は貴方に尽くす事です。お忘れなきよう』
 
 反応はそれだけ――無言で理屈に合わない行動をするフレームランナーに対して無言の抗議でもするようにデルフィは押し黙る。
 
「<アヌビス>……俺は、お前を!!」
『と、熱烈なところ申し訳ないが――あんまり遊ぶ気も無い!!』

 以前での戦闘で完膚無きまでに叩きのめされた事で、再戦の機会に心が猛り狂っているのだろうか。弾は突進してくる<白式>に対して軽く舌打ち。ウアスロッドを構え近接戦闘に応じる構え――射撃戦闘に徹すれば、仲間がいるなら兎も角単独行動をする<白式>を倒す事はそう難しくないのに、事情察しろよ!! と無理な事を考えながら弾は<アヌビス>を疾駆させる。
 相手の斬撃に対して機体後背のアンチプロトンリアクターより強大なエネルギーを引き出す。同時に空間を圧縮するベクタートラップによる空間潜航モードに移項。<白式>の一夏の視界から瞬時に姿を消した。

「あの時の?!」

 一夏は驚愕に目を剥きながらも――しかしその記憶の中にあった<アヌビス>戦のデータを引き出しながら即応する。鈴の<甲龍>の攻撃を避けたときと同じ、センサーからの完全な消失。ベクタートラップを持ちいた空間潜航。一度この状態になられると従来センサーでは相手の姿を捉える事すら困難になる。だが、と一夏は即座に<白式>を旋回させた。こういう事態に備えて箒との訓練に勤しんできており、頭で考えるよりも脊髄反射が反応していた。
 相手がこちらのセンサーを上回る動きをしようとも、恐らく相手は道理に叶った動きしかしない。戦闘ではこちらがされて一番困るところを相手が突いて来るのだと考えれば反応はできる。外れればそれはそれ。もとより実力には大きな隔たりがあるのだ。どこかで賭けなければならない。

「うおおぉぉぉぉぉ!!」

 一夏――背中を見せた状態からの逆風の太刀。全身を捻りながら機体各所から吐き出した推力を切っ先に乗せて――まるで両者ともタイミングを合わせていたかのように、ある種の演舞でも行っていたかと思うタイミングで、そこに<アヌビス>が出現する。

『何ッ!!』

 予想外の相手の追従に対して、即座にガードモーションを取る<アヌビス>――だが相手の切っ先から輝くのは零落白夜の青白い光の刃。シールドを無効化する、<アヌビス>と言えども軽視できぬ一撃だ。
 しかしそれでも<アヌビス>は相手の刃に対してウアスロッドによる迎撃で刃を撃ち落そうとし――。


 一夏と弾の両名は、二人の間に割って入った鈴の姿に等しく背筋を凍らせた。


 ISの搭乗者の保護があるとはいえ、大切な女性(ただしどちらも友人としか見ていない)に対して刃を振るう事に対する禁忌感。両名は反射的に刃を引こうとするが、しかし勢いの付いた斬撃は容易に止まらず。
 

 両名より繰り出された斬撃は、姿を大きく変えた<甲龍>のその堅牢な装甲に阻まれた。


 今だ緑色のメタトロン光を纏い現在進行形で変質を続けるその姿。
 まるで――搭乗者の鈴の心理を、写す鏡のような形へと自らを変えていた。二人の心を守る――その意志を引き金として変質した<甲龍>。緑色の血管のようなメタトロン光を放つ装甲各部。機体全てを構成する装甲材の根本的変質により圧倒的な硬度と軽量化により推力重量比を高め、更にそこに四基に増えた背部非固定浮遊部位(アンロックユニット)によって爆発的な推力を放ち、二人の間に割り込んで見せたのだ。
 
「……セカンドシフト?」

 一夏の声も自然驚きを帯びるようになる。敵である<アヌビス>を何故庇うのかという疑問と、このタイミングで新たなステージへと登った鈴に目を見開いた。
 零落白夜とウアスロッド――近接武装としては世界でも有数の威力を誇るそれらを、物理装甲へと変質したシールドエネルギーで、<甲龍>は受け止めている。
 それこそ――鈴の心のあり方と共に目覚めた<甲龍>の単一仕様能力・『揺らめく乙女心(ランブリングハート)』だった。エネルギーを物質へ、物質をエネルギーへと変質させる物質相互転換能力。フレーム自体に演算能力を保有し、攻撃位置を瞬時に計算予測してピンポイントで強固な物理装甲を展開する、二人の心を守るのだという鈴の心を写す鏡のような、金城湯池、金剛不壊、難攻不落、要害堅固、堅牢地天の守りの力。
 驚きを浮かべる一夏に対して――鈴は、新たに腕部に龍頭を模したパーツを纏うその腕を振り上げて、まず彼の顔面を殴った。
 もちろんISである<白式>はその衝撃を大幅に食い止める機能を持つが――しかし、仲間と思っていた相手にいきなり顔面を殴られれば大抵の事には鷹揚な一夏も困惑と怒りが湧き上がってくる。

「おま……なにするんだ!!」
「なにしてるのよって言いたいのはあたしの方よ!!」

 怒鳴りながら一夏に叫ぶ鈴――その指を……まるであっちは任せても大丈夫だなと言わんばかりに変異ISとの戦いに専念しだした<アヌビス>に向けた。

「あんたが、<アヌビス>を倒したいのはわかってる。あたしもそれを手伝うって言った!!
 ……でもね、千冬さんを放置して、助けられる人を助ける事すら忘れて奴を倒すことにそんなに大きな価値があるの?! ないでしょ?! ……命ってのは無くなったら二度と戻らないかけがえのないものって――あんたとあたし……一緒に……思い知ったじゃない!!」
『織斑、聞こえているな』
「……千冬姉」

 鈴の怒声によって視野狭窄に陥っていた一夏の頭が冷えていく。
 あの日、親友を助ける機会を奪った相手――と思わなければ心が悲しさで押し潰れる事を一夏は本能で察していたのだろう。その悲しみと怒りの矛先を向けるべく彼は<アヌビス>に挑んだ。そして再び、同じく命をその腕に取り損ねるところだったのだ。
 鈴に頭をぶん殴られた時、激情に水を差されたのとは違う。一夏が<アヌビス>に対して強い敵愾心を抱くようになったのは、助けられたかもしれない命を奴のせいで取りこぼした事に対してだったのに、過去の怨恨に引きずられて助けが間に合う命を念頭から捨てていたのだ。
 頭が冷えていく――鈴に殴られて視野狭窄に陥った頭が正常に戻った時とは違う。危うく人を助ける事よりも敵を倒すことを優先していた自分自身に対する失望で、頭が冷静さを取り戻していく。

『良いか。あの変異ISの中にはシャルロット・デュノアが取り込まれている』
「っ……なんで?!」

 一夏は自然と驚きの声を張り上げていた。
 思い起こすのは先日の彼――ではなく彼女のこと。今、思い起こすのは彼女があの時自分に何を言おうとしていたのか。その答えは――ジェイムズが教えてくれた。

『一夏! あのお嬢ちゃんは――お前を殺すという仕事を父親に押し付けられていた、しかも母親の命を盾に取られてだ!!』
「……そんな悪党実在するってのが嘘みたいだし、でも一番タチが悪いのは……本当にそんな奴がいるって事よね」
 
 鈴の顔は驚きと怒りに彩られる。だが――その言葉に受けた衝撃の大きさでは、一夏がはるかに上回っていた。








 思い起こすのは昨日の記憶。


(あのね……一夏)


 だとすれば、あの時、シャルロット・デュノアが告白しようとしていた言葉とは。


(僕……本当は――)


 
 自分を殺そうとしていた罪を告白し、救いを求めていた悲鳴だったのではないか?









「……う、うぅ……おい、おい!! マジか……本当なのか……?!」

 一夏は、今更ながら背筋を駆け抜ける恐怖と悔恨に全身を奮わせた。自責の念と、取りこぼしていたかもしれない命の存在に対して身震いでかちかちと歯を鳴らす。
 何をしていた? 自分はいったい何をしていたのだ? 確かに織斑一夏は人生に余裕のない男だ。世界のほぼ全てのISと、そして怪物<アヌビス>を倒すと心に決めた。それ以外の全てを切り捨てるほどの覚悟を決めていたはずだった。
 だが――これは確実に違う。
 例え自分の人生に余裕がないからといって、シャルロットの助けを求めるあの言葉に気づかなかった事が正しいはずがない。救いを求めていた人に気づかず見殺しにしていたなど、一生涯永遠に後悔する。動悸が荒々しくなる。息苦しい。自分自身がやってしまったあまりの醜態に死にたくなってくる。
 今も繰り広げられる、変異ISと斬り結ぶ<アヌビス>の動きを冷静な頭で一歩引いた位置で見れば、奴の意図は理解できる。

<アヌビス>は――シャルロット・デュノアを助け出そうとしていたのだ。

 そして自分は、よりにもよってシャルロット・デュノアを助け出そうとしていた<アヌビス>を邪魔し結果的には彼女の命を危険に晒す行為を行っていたのだ。自分自身の羞恥心と行動の愚かさから来る後悔のあまり、許されるなら腹でも喉でもかっ切って詫びたいところだった。だが、そんな後悔の沼に浸って自虐に浸ることになど意味はない――自分自身に罰を与えて意識を切り替える。そのために一夏は叫んだ。

「……鈴! もう一度俺を殴れ!!」
「……<甲龍>のセカンドシフトした姿、双頭龍『シャントゥロン』で真っ先に攻撃する相手が二回連続で仲間というのもあれだけど、わかったわ」

<甲龍>の鈴は一夏の言葉に大変素直に<白式>の一夏の顔面を結構手加減抜きでぶん殴った。吹っ飛んで地面に顔面を擦りながら横転し――土煙の中で一夏は、ひとまず自分自身の罪を一時的に許す。後でシャルロットに土下座なり何なりして謝る――そう、彼女の悲鳴に、助けを求める言葉に気づくことができなかった自分自身を許してもらうために――助ける。

「頭、冷えた?」
「ありがとよ、鈴。……おかげで気合が入った」

 彼女を助ける。何が何でもだ。
 一夏はここに来て、本来優先するべき対象が何であるのかを思い出した。何をなすべきなのかを――その視線の中心、照準に捕らえるかのように変異ISを見る。
<アヌビス>が予想以上にてこずっているのはフリーハンドで戦えていないから。実際に戦った経験のある一夏と鈴の二人は<アヌビス>の操縦者の意図を見抜くことができた。変異ISは強い――太刀捌き、動き、近接戦闘に特化した一夏のいいお手本になってくれるだろう。だが……少なくとも<アヌビス>と戦ったときほど絶望的ではない。そう二人は見抜いていた。

 一夏は静かに笑う。
 
 どこかで誰かが言っていた。
 ヒーローの条件、それは少女の涙が零れるよりも早く間に合う……どこかの誰かの危機に対してその場に居合わせるタイミングの良さと、誰かのために命を投げ出す献身なのだと。ならば、少女の命を救う事ができる場所にいて、そして彼女を助けることができる立ち位置にいられるということは、誰かの涙を止めるために必要な第一条件をクリアしているということではないか。

 ヒーローの資質とは、いったいなんだろうか。
 邪悪に敢然と立ち向かう強力な武力――確かにそうだろう。無辜の人々を助けるための力が無ければ自分自身はおろか、誰かを守る事もできはしない。決してくじけない精神力――これもそうだろう。我が身を省みず危機に戦いを挑む事は生半な心意気で成せる事ではない。
 だからこそ、織斑一夏は心を決める。
 より強くなることを。一番最初の気持ちを忘れたわけではない。男の代表として戦い抜くと。だが、それにばかり意識を集中し――助け得ることができた命を見殺しにするのもまた間違いであるのだと。誰の命も取りこぼさない事こそ、望みの全てであるのだと。

 あの日、親友を助けることが出来なかった悔恨を二度と味合わないために。

<アヌビス>に勝つ。それと同時に助けることができる命を決して見逃しはしない。

「だから――俺は……強くならなきゃいけない。ただし今度は助けるためにだ。<白式>――手を貸してくれ!!」

 その声と意志に呼応し――<白式>はメタトロン光を全身から解き放つ。
 男の代表として戦いぬくことだけではなく、誰かを助けることができるように、その思いを写す鏡のように。<白式>は変化を始める。
 両肩の推力器、非固定半浮遊ユニットの肥大化。各部装甲の堅牢化。全身を血管のような緑色のメタトロン光が走り回る。だが、一番形状として目を引くのは――機体の背中の位置に出現した新しく増設された鋭い刀剣のような形状の推力ユニットだろう。
 目立つのは、片腕を占めるユニット。ハードポイントとしての腕に、零落白夜のエネルギー爪、更にエネルギー無効化フィールドを搭載した戦闘補助システムである『雪羅』。
 速度――何よりも相手に素早く踏み込み痛撃を見舞わんために特化された前進推力と、被弾に耐え得るタフネスを得るための装甲。その身の内に取り込んだメタトロンのほぼ全てをPICによる推力システムと刀剣の破砕力に割り振った、速度と格闘戦能力に特化した――それ以外の全てを戦友に任せた機体。
 だが、少し違う――<白式>が己の姿を速度に大きく偏らせるように変えたのは、誰かの涙が流れ落ちるより早く涙を拭うことを間に合わせるためだ。誰かが、誰もが、涙しないように。助けが間に合うように――その思いに<白式>が応えたのだ。


  

『強大なメタトロン反応検知』
『……<白式>が、セカンドシフトする? ……デルフィ』
『了解。データ収集、戦力の査定を戦闘行動と平行して行います』

 後方で広がる緑のメタトロン光――それも、かつての戦いで唯一<アヌビス>に損害を与えた<白式>のパワーアップに、弾は親友がいつか敵に回る可能性も考慮し、そうデルフィに命じる。そのデータが役に立たない事を願いつつも。
 弾――目の前の変異ISの動きが……急に少なくなったことに気づく。
 同時に再び変異、まるで粘土細工を再度元の形にこね回したように崩れだし、今度はまるで繭のような球体へと姿を変えていく。同時に――なぜかデルフィはカウントを表示させる。

『……おい、なんだコイツは』
『変異ISから高レベルエネルギー反応検知。ジェネレーターの意図的暴走を開始。自爆システム起動を確認しました。……同時に、敵機体周囲に質量の断層を確認』
『……は?』

 弾――無言のまま忌々しさのあまりに歯を噛み鳴らした。
 質量の断層――かつて<アヌビス>が存在していた世界における最強最大の防御システム。空間圧縮を行うメタトロンの特性を利用したもので、如何に<アヌビス>と言えども通常兵器での破壊は不可能――寒くなる背筋。間に合わなかったのか? と恐怖がその身に染みてくる。
 質量の断層――それを突破する能力は、当然だが最強のオービタルフレーム<アヌビス>は備えていた。ランディングギアを降ろし、機体を固定させて発射する<アヌビス>最大最強の攻撃能力であるベクターキャノン。その破壊力は質量の断層を突破する事が可能なほど圧倒的だ。


 そう――確実に、中に囚われた少女も一緒に殺してしまうという点を除けば――理想的だろう。

『弾』
『……なんだ』
『私は貴方と行動を共にして、学んだ事があります』

 デルフィの言葉に……どうする、どうすればいい、と思案に暮れていた弾は弾かれたように応えた。

『貴方達人間は、道理に合わない事をします。でもそれは――貴方達が自己の生存よりも重要なものが存在すると考えているからだと考えます。同時に私は貴方の命を脅かす脅威に挑む事は推奨しません。……貴方は――もう少し私の気持ちを考えるべきです』
『……心配してくれてるのか。悪いな。……迷惑掛けついでに聞いて良いか、助ける方法は?』
『あります。……貴方が、友人を攻撃できないと判断したお蔭です。私の判断ミスでした』
『ん?』

 言いつつ、デルフィは<白式>を表示。

『目標達成には彼らとコンタクトを取る必要があります』





<アヌビス>からのその解析情報を受け取った時、鈴と一夏はどちらも無言で顔を強張らせた。恐怖ではない。怒りの余り、だ。同様にジェイムズと千冬も言葉を出そうとはしていない。両名ともはらわたは煮えくり返っているものの、しかし先だって相手の悪辣さを目の当たりにしているから、そういうこともあるだろう――と予想はしていた。

「で……手はあるの?」

<アヌビス>の搭乗者は音声入力で会話をしてこない――以前は学園のスピーカーを乗っ取って話しかけて来たとは聞いていたが、今度は文章を送信してくる。……口調や話の癖で正体が判明するリスクを恐れている? その自分の正体が発覚する事を病的に恐れる姿勢はきになったが……しかし今は救出の方が優先順位が上だ。

――<白式>のバリア無効化攻撃の使用を推奨――

「零落白夜を?」

 驚いたように声を漏らすのは織斑一夏――向ける視線は、徐々に破滅と自殺に向けて着々と時を重ねる変異IS。全ての事件の真相を闇に葬るべく起動する死の機構はまだ自爆には幾許かの猶予が許されており、一行は作戦を練る時間が僅かながら許されていた。

――<白式>のバリア無効化攻撃は、相手のバリアの特性に左右される事無く無効化可能。現状作戦目的を達成する最大の手段――

『<アヌビス>、お前にはあの防御フィールド――圧縮空間の質量の断層は突破できないのか?』

――可能。ただし、相手の質量の断層を破壊するほどの衝撃を叩き付ける武装のため、確実に取り込まれた人物は死亡する――

 千冬の言葉に、文面で回答する<アヌビス>。その内容に彼女は顔を顰めた。
 突破は可能だがシャルロット・デュノアは確実に死亡する。そんな作戦に許可など出せる訳も無い。

「まぁ――俺が<白式>の零落白夜で相手の質量の断層を突破し、シャルルを救出するってのはわかった。……でも自爆はどうやって防ぐんだ?」

 一夏がその疑問を呈するのも当たり前の事だろう。あらゆるエネルギーフィールドを無効化する<白式>の零落白夜。……メタトロン技術の一つ、強力なベクタートラップによって発生する質量の断層すら破壊可能と聞いて、ISのコアが持つワンオフアビリティーの力に今更ながら呆れる思い。
 だが、助け出す事が出来たとしてもそのあと大爆発ではなんら解決にならない。自分や鈴、<アヌビス>は問題などないだろうが、シャルロットはそのISから助け出されるのだ。生命保護の面では大きく不安が残る。状況が状況のため、ジェイムズさんや千冬姉が退避しているのもそのためだ。

――ベクタートラップによる空間圧縮能力を用い、爆発を圧縮する――

「なら……万全って事ね?」

 シャルロットの救出は一夏の<白式>の担当。爆発を封じ込めるのは<アヌビス>。
 鈴はその様子を一歩引いた場所で見守る。相手の質量の断層はセカンドシフトへ移項し、強化された鈴の<甲龍>の火力でも、恐らく突破は不可能だっただろう。
 ここに一夏の持つバリア無効化能力が存在していなければ、どうなっただろうか。
 そう考える鈴の前で、<白式>に<アヌビス>がお互い手を伸ばし接触する。それがどういう意味か、一夏も鈴も理解している。<アヌビス>は最強の機動兵器であると同時に、フレーム単位での演算能力を有する世界最高峰の量子コンピューター。物理的接触を試みる事は相手からのハッキングされた場合、ほぼ確実に無力されるということだ。
 ……だが、一夏はその腕を掴む。同時に流れ込んでくる膨大なエネルギー量に瞠目した。いつになるかは判らないが、いずれこの大敵とを決さねばならぬ
 かつての敵対者同士。しかし今はただ一つの目的のために邁進する。
 肩を並べる両者。<白式>の一夏は、その腕を機体後方に接続された巨大な追加スラスター――の性能を兼任する大型ブレードという形へと変化した雪片弐型、新たな名を『白式斬艦刀』へと変えた巨人刀を構える。同時に刃が解放され、内部から零落白夜によるあらゆる防御力場を無効化する光の刃が形成される。

 その巨大さは目を剥くばかり――まるで真の意味で巨大戦艦を両断するために生み出された凄絶な破砕の刃。メタトロンの質量の断層すら無効化する力。横で<アヌビス>はウアスロッドを格納しタイミングを合わせるために突撃準備を行う。


 振り下ろされる刃――相手は動かない。自爆までの時間を稼げれば良いと考えられた、全てを暗い陰謀の闇に葬り去るべく起動したシステム。それを守る堅牢なはずの質量の断層は、<白式>の光の刃が――まるで硝子細工を粉砕するかのように破壊され、続けて振り下ろされた刃が――中の少女を傷一つ付ける事無く救い出す。その彼女の体を包むように淡い光が瞬き、胸元で小さな球体が弱々しげに点灯した。この状況でも彼女を守ろうとしたコアと一緒に引きずり出す。

「シャルロットォォォォ!!」

 伸ばされる一夏の腕――そこで彼女を庇うように、彼は空いた腕を掲げる。
 ……彼からしてみれば、元々<白式>には大きな不満点があった。まず近接戦闘しか出来ないと言う、酷く扱いづらい設計。また必殺の零落白夜も使用にエネルギーの消耗を必要とする、強力だが無駄打ちできない設計だった。だからこそ、一夏が望んだのは――使用にエネルギーを消耗せず、射撃格闘を万能にこなせ、また相手の攻撃に対しての防御エネルギー損耗を押さえ込むための装甲を欲した。
 障害に押し潰されず、相手に一発叩き込むまで絶対確実に生き残るべく欲した武器――雪片弐型を拡張領域に格納する事をあきらめ、常時展開型にすることによって空いた部分に詰め込まれたその装甲。肘の後から伸びる円柱のようなパイルを搭載した、圧縮空気を相手に叩き込む武装を盾として構えた。
 その頑強さを高めた装甲で、救い出され今だ意識を失ったままの彼女を庇う。もう二度と命を取りこぼさないと言わんばかりにしっかりと。
 それと入れ替わるように――爆発間近になった相手に対して突撃する<アヌビス>。その法外の大出力による光すら歪ませる圧縮空間――それが、全てを闇に葬るべく組み込まれた許されざる破壊を握りつぶし圧縮する。

 

 鈴は、その光景を――悲しみと喜びの入り混じった眼差しで見た。
 


 分かたれた友人二人。その両名が肩を並べる時は終わりを告げる――そして馴れ合いは終わりだと言わんばかりに<アヌビス>は再び空中へ。

「待って!」

 発作的に鈴は喉が枯れるような大声を上げた。その搭乗者が弾であるのだという確証を得たかった。とりあえず一秒でも長く相手を引き止めたかった。一瞬静止した<アヌビス>に対して鈴は再び言葉を失う。
 再び鎌首を擡げてくるのは、彼が弾で無かった時のその絶望。再び望みを失う事に対する激しい恐怖だった。その恐怖が喉奥でつっかえて声帯を引きつらせる。<アヌビス>は数秒ほど鈴の言葉を待ったが、彼女が苦しそうな表情で己を見つめるのに対し、返答をすることなく再び――空間潜航モードによる完璧なステルス能力を発揮する。
 
「鈴?」
「……うん。大丈夫、一夏」

 気遣わしげな一夏の言葉に鈴は頷く。
 シャルロットを謀殺しようとした陰謀は砕かれた。めでたしめでたしと――そう打ち切るところであるのだろうが、姿を見せた<アヌビス>の存在に、凰鈴音の心は千々に乱れる。
 逢いたい。もう一度。
 彼女は、心からそう思った。




 
 











おまけ


 今回の鈴の<甲龍>のセカンドシフト設定は、夜猟兵様が考案してくださりました。実は追加装備に関しても設定を頂いているのですが、とりあえず今回出た分です。
 夜猟兵様、素晴らしい設定をお送りくださり、この場を借りてお礼申し上げます。そしてあんまり活躍させる事が出来ずに申し訳ないです(土下座)。話の展開上どうしても地味な事になってしまいました。とりあえずいらっしゃる方角に適当に当たりを付けて土下座しておきます。ありがとうございました。



単一仕様能力:(仮称)揺らめく乙女心『ランブリングハート』

エネルギー←→物質相互転換能力。

 エネルギーから物質への転換効率は搭乗者の精神状態に大きく左右され、ネガティブな方向に極端に偏った状態では、薄紙程度の強度の物質を構築するために絶対防御以上のエネルギーを消費するが、

 ポジティブな方向に極端に偏った場合、理論上ではアヌビスの保有する盾に匹敵する強度の物質を、ISが発生させている通常のシールドに必要とされるエネルギーの数万分の一の消費で精製可能となると予測される。

 また、物質からエネルギーに転換する場合の転換効率は一定のため、ポジティブな精神状態時に構築・分解を繰り返す事で、擬似的に無限にエネルギーを精製可能。


双頭龍『シャントゥロン』

 甲龍が必要量のメタトロンを得てセカンドシフトした姿。
 両腕部に装備した特徴的な龍頭を模した武装から、双頭龍『シャントゥロン』と呼称される。
 装甲材の一新による軽量化と四基に増えた背部非固定部位によって強化された推力により、機動性が大幅に上昇。
 二基の衝撃砲の威力・速射力も上昇し、追加された武装の特性と相まって、格闘戦から中距離戦においては他を圧倒する能力を誇る。
 また、鈴本人がセカンドシフト前から“守る”という事を強く意識していたため、防御能力も高く、仲間達の盾として動くこともしばしば。
 ただし、前述の単一仕様能力と後述の防御システムの特性から、思考がネガティブな方向に流れるとピンチに陥りやすいという側面を持つ。
 強さと脆さを併せ持つ、鈴の心を象徴化したような機体である。


装甲・シールド複合防御システム:龍鱗甲殻
 
 初対決時に零落白夜でアヌビスが切り裂かれた際、飛び散った装甲材の破片を解析したデータを元に構築された防御システム。
 セカンドシフト時に単一能力をフルに使用して生み出された装甲は、オービタルフレームの表面装甲SSAと同質のものであり、それ単独でも従来のISとは比較にならない強靭さと軽量さを誇る。(再生能力も保有。)
 また、オービタルフレームのように内部フレームを含む装甲部に演算能力も付加されている。
 その真の能力は単一仕様能力発動時に発揮され、外部からの攻撃の着弾時、量子コンピューターと龍鱗甲殻が瞬時に割り出した着弾予測地点のシールドエネルギーを装甲材質に転換・高速射出させることで、攻撃の威力の一切をシャットアウトする。
(この際に使用された装甲材は単一仕様能力の制御から離れるため、エネルギーとしての回収は不可能。)

 精神状態を常に良好に保つことが出来れば、絶対防御すら超える究極とも言える防御力を発揮するが、一度悪い方向に傾くと途端に脆さを露呈するため、兵器としての安定性には欠ける。





作者註

 酷い難産でした。そしてばりばり戦闘シーンを書くと思ったけど、自爆の事を考えるとこうなりました。うぬぬぬぬ。
 次回は今回の事件の総括。そして次で新しいステージです。その話がこのお話を書く上で大きな山場二つになりそうです。
 ああ、やっと封印していたアレに手を付けられる(涙)



[25691] 第十九話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/05 22:28
 シャルロット・デュノアはまるで母親の腕の中に包まれるような確かな安堵の中で安らいでいた。
 かつての現実はおぼろげな夢のようで、危うく犯すところだった罪も、誰かを助けなければならないという感情もどこか遠い。母を助けねばならないという責任感も、父に命じられた犯罪も――眠りのまどろみの中では遥か遠い。

(……あれ? わたし――)

 自然と口調が、男装を強いられる前、唯の少女である事が許された時に戻っていた。
 これはなんなのだろう――うっすらと何かが見える。そこは夕焼けに染まる学校で、黒板に書かれている文字からして、中学時代の光景である事が伺えた。
 そこでようやく茫洋とした意識の中、シャルロット・デュノアはそれがいわゆる明晰夢の一種である事を理解する。

(……でも、なんだろう。とても不思議)

 視界に写るのは三人の人間。不思議な事に、その光景に写っているのは――織斑一夏と凰鈴音と……そして彼女の知らない赤みがかった髪をした同年代の男性だった。夢の中でどうして彼らの夢を見るのだろう。それに正体不明の三人目はシャルロットとは一回も出会った事などないのに。
 それに、なんだか奇妙なのは――その三人の視点それぞれにシャルロットがいるのだ。一夏の視点、鈴の視点、そして赤い髪の人の視点――それらの眼差し全てから同時に夕焼けが覗く教室の中、お互いを見る視線を共有していた。まるで同じ光景を違う角度から捉えたカメラの映像を同時に見ているような気分。

『ねー、一夏。あんた相変わらず帰宅部なのよね。どっか部活とか入るつもりないの?』
『て言ってもな。……こう見えて家の片付けとか料理とかやること結構あるんだぜ?』
 
 その時の一夏の記憶が脳裏に浮ぶ――彼の姉である織斑千冬はこの時から既に自宅を空ける事が多かった。一人寂しく食事をする一夏を見かねて、鈴と……その赤い髪の人が、良く自宅の食堂に彼を引っ張り込んでいた事が、シャルロットの脳裏に溶ける。

(メタトロン同士が共鳴反応を引き起こし、搭乗者達の記憶を覗き見ているの?)

 ふと、そんな記憶が頭の中で聞こえるが――まどろみの中にあるシャルロットはその意味を深く考えない。
 一夏の記憶。一人の自宅。一人きりの食事。向かい合って椅子に座る人はおらず、話し相手は近所の野良猫かテレビ。それでも時々思い出したように家に千冬姉が帰ってくる可能性だってあるし、だから一夏は常に一人分多くご飯を作っている。多分無駄になるのだと理解していても、彼はそれをやめる事は無かった。

『お堅いねー。お前。……千冬さんのことが心配なのは分かるけどなぁ。お前だってやりたい部活とかそういうのないの?』

 一夏の言葉に苦笑しながら口を開くのは赤い髪の彼。軽薄さを装ってはいるものの――彼の心に僅かに触れる事が出来るシャルロットは、実際には彼が一夏が一人で食事するのを見かねて心配しているのが見て取れた。
 彼女は、不思議に思う。

(……誰なんだろう、この人)

 彼女はIS学園へと中途入学してきたのであり、一夏の中学時代の交友に関しては全く知らない。
 明晰夢の中、彼女は強く思う。自分は何か大切なものに触れようとしているのだ。この記憶――もしかしたら唯のゆめまぼろしの類かもしれないが、こうも確かな現実味を帯びた夢も初めてだ。目を覚ましたら、鈴にこの赤い髪の人に付いて聞こう……そう思いながら、シャルロットの記憶はまた別の光景へと移り変わっていった。






 
 そこはどこかの客間らしき一室だった。父親が世界でも有数の富豪であり、その調度品が華美さこそ無けれども質の良い家具を取り揃えている事が伺える。
 シャルロットが視界を借りているのは――どうやら子供らしかった。その眼差しが上下に小刻みに震えているのを感じ、シャルロットが視界を借り受けているこの少年だが少女だか判別できない人は怯えているのがはっきりと分かった。視線の向こう側には壮年の男性と、派手な身なりの女性――お父様、お母様と、脳裏で言葉が弾ける。
 震える腕――明らかに虐待跡と思しきアザがあった。

『君は……なぜこの子になぜこんな事をするんだ!!』
『何故って……貴方、本気で言ってるの? こんな、気持ち悪い子……。最初は男の格好して、自分の事を俺だなんて言って……。それで矯正しようとしただけよ』
『確かに家庭の事を君に任せたのは私の失敗だったよ。……他の子と違うからといってこんな小さな子供を殴りつけるなんて!!』

 母親の憎たらしげなその言葉に、視線の主は――可哀想に、すっかり恐怖で震え上がり声も出ないまま。
 父親はその言葉に、机を殴りつけ、激怒のまま叫ぶ。

『ふざけるな!! この子はただの性同一性障害で、ほんの少し他の子達と心のありようが違うだけだ!! ……君は、どうしてそんな事を言うんだ? 私と君の可愛い子供じゃないか!!』
『冗談じゃないわよ……!! こんな気色悪い子供が生まれてくるぐらいなら、最初から貴方なんかと結婚なんてするものですか!! これで男なんて汚らわしいものが生まれていたら堕胎させていたところよ!!』
『……君は……君は……そんな女だったのか!? 我が子を性差で差別するような……そんな女だったのか?!』

 あまりに残忍で暴力的な言葉に父親は肩を怒りと絶望で震わせる。
 妻と思い、愛しんだはずの女性の余りにも無慈悲な言葉に――シャルロットが視界を借りるその子供は、とうとう泣き出してしまった。言葉の意味こそ難しすぎて分からなくとも、母親からとても酷い言葉を投げかけられているのは理解できたのだろう。父親が困ったように微笑み、あやすように子供の背を撫でさする。
 そして――はっきりと妻に言葉を突きつける。最早百年の恋も冷める妻の冷酷非常な言葉に、この結婚生活を断念する事に躊躇いは無いようだった。

『離縁だ……出て行け!! もうこの家の敷居を跨ぐな!!』

 再び――視界が移り変わる。






 そこにいるのは父親。場所は――どうやら彼の仕事部屋らしい一室。
 大切な資料が入っていると思しき金庫が荒らされ、重要なものが盗み出されたのか、彼は顔を蒼褪めさせている。幾度も頭を掻き毟りながら呪詛めいた言葉を漏らす。

『……女が……女………あの……女……憎い、はは……憎い、憎いなぁぁ……!!』

 人は怒りが頂点を過ぎるともう笑顔が浮んでくるらしい。父親を見上げる視界――彼は、我が子に心配をさせていたのかと弱弱しい笑顔を浮かべて、ふと、金庫の中に何か封筒が残っているのを見つける。置手紙? 彼はそれを拾い上げて読み上げ――表情を凍りつかせた。
 愛しい我が子に笑顔を見せる余裕すらない――怒りと絶望が余りにも深すぎて凝り固まった顔。
 力なく椅子に崩れ落ちた父親の手から手紙が零れ落ちる――それをシャルロットが視界を借りる子供は不思議そうにしながらそれを拾い上げ、読んだ。



 シャルロット・デュノアは――この世の中には、本気で吐き気を催す邪悪が存在する事を知った。



 それはまさしく毒だった。それを見、聞いた人間が、胸元を掻き毟りたくなるような堪え難い不快感。この胸糞の悪さが少しでも紛れるなら心臓に刃を突き立てる事すら許容できるようなおぞましい言葉だった。
 これはまさしく毒だった。人を殺すに銃弾や刃物、毒を用いるのは下の下。人を殺めるには一滴の絶望の言葉で十二分に事足りるのだと言わんばかりの、耳朶に腐りきった汚水を注がれるような不快な情報の塊であった。







 最後に見えたのは、骨と皮になった最愛の父親の屍。
 一人の子供を、怒りと憎しみの塊、憤怒の化身、憎悪の管理者へと変えてしまった光景だった。












 そして――シャルロット・デュノアは……胸元に這い上がる嘔吐感と共に覚醒した。

「……ッ!!」

 弾かれるように起き上がり。覚醒と共に、彼女はまず吐き戻しそうになった自分自身の胸元を宥めるように手をやった。

「デュノア! ……いきなり起き上がるな。大丈夫か?」
「……せん、せい?」
 
 見ればIS学園全生徒の憧れの的であり、彼女のクラスの担任教師である織斑千冬が付きっ切りで看病してくれていたのか、彼女がすぐさま彼女の体を優しく抑える。そのまま背を撫でさすった。そうしてしばらくすると、喉奥を突くあの不快感もようやく引いていき、やっと体調が平静に整う。
 そのまま再びベッドに体を横たえるシャルロット。あの時、皆を助け出したい――そういう思いで一心になって、そこから後の記憶はまるで無くなっていた。いったいどうして自分は病院のベッドで横になっているのだろう。そんな彼女の疑問を見透かしたように千冬は口を開く。

「まずは医者だな。検査が終わったら――お前が気絶していた間、何があったのか教えておこう」





 良く生きていたものだ――というのが、千冬先生の最後を占める言葉であった。
<白式>の零落白夜、<アヌビス>の爆発圧縮、その双方が揃っていなければ確実に自分は死んでしまったのだと思うと、流石に背筋に寒気が走る。同時にシャルロットは先程まで見ていた夢に対しても質問をしてみた。
 余り前例の無い話ではあるのだが、膨大な量のメタトロンを保有する機体は搭乗者の精神や記憶を共有するということらしい。実例自体は非常に少ないが――きちんと束博士がその事に対しても論文を提出しているらしかった。とはいえ、そこまで膨大な量のメタトロンを保有する機体自体が少ない。<アヌビス>に使用されているメタトロン、セカンドシフトした二機のメタトロン――世界でも有数の高純度と量が揃ったがゆえに夢のような形として見たのだろう、という意見であった。

「あの質量の断層も、ISの自爆機能が拡張領域に内蔵されていたメタトロンを利用し、誤った方向に進化して自爆に用いようとしていたからだろうな。幸いコア自体は無事だった。余剰パーツもあったから再びお前のISは組み直せる」
「そうですか。……あの、母は?」

 余剰パーツ、その言葉でシャルロットはデュノア社自体の事を思い出す。話を聞けば、父は最終的に自分を口封じするために抹殺するという手段まで取った。同時に胸中に湧き上がるのは、果たして母親は無事でいるのだろうかという不安。その言葉に、千冬はうーんと唸り、少し難しい表情。悲劇を伝える事をためらっているというよりは――呆れ混じりの状況をどう言おうか迷っているようだった。

「……束がな」
「束博士、ですか?」

 なぜそこで、ISを生み出した天才科学者の名前が出てくるのだろうか。可愛らしく小首を傾げるシャルロットに――彼女は嘆息と共に応えた。

「あいつは……基本的に妹の箒と、一夏、そして私を異常なまでに大切にする。……だからあいつは私を巻き込んで殺しかけたデュノアに報復に行ったのさ。まぁ、物理的被害は皆無だ。そこは保障してやる。……ただ、お前の父親、彼はもう駄目だ」
「駄目、ですか?」
「ああ。街中での銃撃戦。実の娘に対する殺人教唆。かつての妻に対する医療に見せかけた軟禁。他にも長年彼が蓄積してきた企業の暗部全てを白日の下に晒され、デュノア社は既に死に体だ。トップがこうも真っ黒ではどうしようもない。お前の父親は社長を辞任し刑務所に入るだろう。……だが、罪を犯し、刑務所に入った父親を持った娘に対して言う言葉ではないかも知れないが――これで良かったかもしれない」

 シャルロット――苦笑を浮かべる。

「流石に……僕も、父親の手駒にされて口封じで殺されかけて。それでお父さんと慕うのは……もう無理です」

 脳裏に浮ぶのは、あの時、自分を庇い守ってくれたジェイムズのおじさんだった。
 夢見た理想の父親。ああも逞しい人が父親だったら――きっと、色々なものが違っていたはずなのに。

「あと、束から預かりものだ」

 差し出されるのは携帯端末。これ一つで口座振込みやらなにやらお金の絡む雑事もこなせるそれに表示されている内容に目をやると――自分の口座になにやら見たこともないぐらいの数字が刻まれていた。それこそ見ただけで震えが走るような……唐突に富豪になってしまった少女に対して千冬は苦笑を浮かべる。

「あいつめ、先手を取ったんだろうよ。私に怒られる前に、今回の詫び賃としてお前に金を渡すのが嫌われずにすむ一番の手段だと思ったのさ」
「で、でも……こんなお金」

 普通なら生涯見ることが無いであろう数字。これがあくまで画面に映る数字であってよかった。この膨大な金額を全て紙幣で積まれれば、確実に腰を抜かしかねない。だがそんな驚きに千冬は気にするほどのことではないと笑いながら応える。

「いいから受け取っておけ。……私も金で幸せが買えるなどという世迷いごとを言う気はないが、しかし金で一家の団欒が買えるなら、手術代が払えるなら――それはとても安い買い物だぞ?」
 
 そう笑う千冬教官の顔は、何故かとても寂しそうに見える。
 まるで自分が得ることの出来なかった宝物を羨むような眼差しであった。シャルロットはそこで――あの不思議な夢の事を思い出した。一夏の中学時代にはあまり家に帰る事の無かった彼女。たった一人自宅で食事を取る一夏。英雄という称号と引き換えに、平凡な家庭が持っていたであろう穏やかな団欒も、きっと引き換えにしてきたのだ。それが二人にとっていい事なのか、悪い事なのかは分からなかったが。



 千冬教官が病室を出た直後に心配で様子を見に来ていた一堂が雪崩を打って入って来た。
 それを外で見たのか、千冬は一言『病室では騒ぐなよ、ガキども』と告げてから靴音を鳴らして去っていく。やってきたのはいつもの面子だ。が、一番驚いたのは、中に入って来た織斑一夏が――シャルロットの顔を見て……いきなりはらはらと落涙しだしたのである。むしろこの反応に見舞われる側のシャルロットが驚いた。

「ええっ?! い、一夏、なんで……な、泣いてるの?」
「……嬉し涙なんだ。好きに流させろよ」

 声こそ涙声だが、言葉ははっきりしている。彼は涙を制服の袖で拭い去ると、頭を下げた。ええっ? とシャルロットは周囲の仲間達に助けを求めるような視線を向けるが――どうも事前にこうすると言う事を話されていたのか、彼女らは一夏の好きにさせる。

「すまなかった、シャルル」
「え? ……何が?」
「……あの時、お前が告白しようとしていたのに――俺はそれをちゃんと聞こうともしなかった。悪い。俺があそこでちゃんと話を聞いていたらこんな事にはならなかったのに……」

 この時セシリアに電流走る――以前、鈴から織斑一夏攻略本というスゴイ代物を読ませてもらっていた彼女は、鈍感要塞の織斑一夏に対してまず攻略の足がかりとするにはこちらが向こう側に対して好意を抱いているという事を知らせなければならないと知っていた。中学時代の鈴だって最初の頃は一夏に好意を抱いていたはずだが、その頃から鈍感っぷりは遺憾なく発揮されており、羞恥心が勝って好意を伝えられず結局お友達どまりだったのだ。
 だが――そんな羞恥心とかその当たりを全て捨て置いて、相手の喉元に刃を突き立てるような恐るべき告白の速度。
 セシリア・オルコットは、シャルロット・デュノアがこの争奪戦において恐るべき敵手になるであろう予感を、戦慄と共に理解したのであった。……告白という言葉を素直に受け止めすぎだった。……普通に考えれば、もうちょっとシリアスな内容であると気付きそうなもんだったが、乙女の脳裏を占めるのが色恋沙汰であるというのは、戦う事を学ぶためのIS学園の中でも特に平和的で穏やかな考え方かもしれない。

「あの、セシリアさん?」
「え? おほほ、なにかしら?!」

 不自然な高笑い――気が付くとシャルロットに、病人に向けるべきではない激しい闘志の篭った視線を投げかけている事に気付いたセシリアは誤魔化すような声を上げた。それを呆れたように見るラウラ。

「ここは病室でデュノアはまだ安静の病人だ。それに一夏。もう少し抑えろ」

 差し出されたハンカチを受け取り、無言のまま涙を拭う一夏。そのまま、言った。

「シャルロット……ありがとう」
「え?」

 意味がわからず聞き返すシャルロット。おかしい、と思った。助けられたのは自分の方で、謝罪の言葉を言うならむしろ自分の方がありがとうというべきではないのだろうか。だが、一夏は、本当に安らいだ表情で応えたのだ。

「生きていてくれてありがとう」
「……一夏が何を言ってるのかわからないかもしれないが、謝罪を受け取ってやってくれ。今度は――救えたんだ」

 箒が困惑するシャルロットに捕捉するように言葉を添えた。その言葉で、シャルロットは一夏が何に対して感謝しているのか理解できた。
 あの飛行機事故で炎に消えた彼の親友。何もすることが出来なかったという堪え難い無力感――それはきっと激しい苦痛となって彼の心を責め苛んだに違いない。だが、今度は助ける事が出来たのだ。自分にも誰かの命を助ける事が出来たという確かな実感は織斑一夏の心を救ったに違いない。
 シャルロットは微笑みながら応える。

「じゃ、僕も言うね。……助けてくれてありがとう、一夏」

 一夏は無言のまま、照れ臭そうに微笑むのみ。

「ああ、それと――もう一人、見舞いに来てくれてる人がいるわよ。本当はほとんど女性しかいないIS学園に大手を振って入れるなんて、非常に珍しい話なんだけど、先生が融通を利かせてくれたの。……いいわよ、ジェイムズさん」

 鈴の言葉に入り口の外でウズウズしながら待っていたのか、即座に中に入ってくるのは筋骨隆々の男性。くすんだ金髪の巨漢であり、もう駄目だと絶望の只中にいたシャルロットに手を差し伸べてくれたジェイムズ・リンクスだった。彼はシャルロットを見ると満面に笑顔を浮かべる。

「よぉ、お嬢ちゃん! 無事で良かったぜ!」
「ジェイムズさん!」

 頼れる男性を体現するような巨躯の男性は、まず無事な少女を見て全身から安堵したかのように背を緩ませた。無事という事は分かっていても、実際にこの目で見ないと安心できなかったのだろう。

「……親父さんの事は大変だったが、まぁあんまり気を落とすなよ。世の中にゃ、どうしようもない親も残念ながら存在するが、それ以上に助けを求められたら手を差し伸べる大人も確かに存在するんだ」
「ジェイムズさん。……ありがとう」
「俺からも礼を述べさせてください。……シャルロットを助けてくれてありがとうございます」

 シャルロットに続いて一夏も倣うように頭を下げる。今回の事件では彼が存在しなければ、一人の少女の命は失われ真相の全ては闇に葬られていただろう。仲間を救ってもらった事に対して本気の謝辞と敬意を込めて、その場の全員が一礼する。
 娘よりも年下の少女達に頭を下げられてむしろ困惑したのはジェイムズの方であったが――彼はその謝辞を受け入れないことは、シャルロットの命を軽んじる事であると感じ、かつて空軍のエリートであった頃を髣髴とさせるような整然とした敬礼を持ってこれに答礼した。
 シャルロットは言う。

「ジェイムズさん。僕ね、貴方の姿を見て――お父さんが、貴方みたいな人だったら良かったのに、って思いました。……困っているときに助けてくれる……理想の」

 シャルロットは――目を伏せながら言う。残念ながら彼女は父親には恵まれなかった。ジェイムズは、かすかに頷く。

「俺はお嬢ちゃんの父親にはなれない。……だが、俺の娘よりも小さな子供が助けを求めているんだったら、何処からでも駆けつけるぜ。そこは信じてくれていい」
「はい。女尊男卑なんて風潮が最近は多いけれど、でもやっぱり本物のヒーローは困っている人に手を差し伸べてくれる人って思いました」

 誰かの危機に、誰かの涙を拭うために闘う事に力の大小は関係ない。男の方が弱いとか女性の方が強いとかそんな風潮など関係なく誰かのために闘える人こそ真の強者なのだとシャルロットは思う。
 シャルロットの実の父親は、自分のために他人を闘わせる人であり、ジェイムズは他人のために自分が闘う人であった。それこそが両者に存在する致命的、決定的な差だったのだろう。

「僕……大きくなったら、ジェイムズさん――貴方みたいになりたいです」
「おいおい、お嬢ちゃん。俺みたいなこんなおっさんになってどうすんだよ。娘や息子はもうパパ大好きだなんて言ってくれない駄目親父だぜ?」
「いや、ジェイムズさん……二十越えた息子さんと娘さんから『パパ大好き』とか言われたらそれはそれでスゴイ怖いわよ?」

 鈴の言葉に、しかしジェイムズは微妙に情けなさそうな表情。やっぱり娘息子に懐かれなくなる事は父親にとって辛いのか、或いは未だに子離れできていない駄目親父と見るべきか、一堂は楽しげに苦笑した。周囲の視線にジェイムズも釣られるように困ったような笑顔を浮かべ、病人と話し続けるのもなんだし、そろそろ引き上げるべきかな、と病室の時計に目をやろうと視線をめぐらし――そこでラウラ・ボーデウィッヒと目があった。
 この部屋に入ってから初めて視線を合わせる訳なのだが、同年代の少女と比べても小柄な部類の彼女と――筋骨隆々の巨漢であるジェイムズは目線の高さには大きな差があるため、これがちゃんと顔を見る初めての機会であったとしても無理は無かった。

  
 だが、ジェイムズのその反応は誰もが予想だにしないものだった。


 その目をまん丸に見開き、信じ難いものを見たかのように首を傾げたのである。まるで自分の知る人と予想外の場所で偶然遭遇したかのような驚愕が張り付いていた。ラウラからすれば彼がどうしてこんなところで驚くのが理解できない。不審そうに眉を寄せて尋ねる。

「如何なさいましたか、ジェイムズ大尉」
「……あ、ああ。……なぁ、えーと」
「ラウラ・ボーデウィッヒであります」

 その名乗りにジェイムズは変わらぬ驚きと不可解を顔に浮かべて言葉を続ける。

「えーと、だな。……あんた、親兄弟はいるか?」
「? いえ、私はドイツの遺伝子強化試験体として生み出された試験管ベビーです。私に血縁者は存在しません」
「……そう、か。……いや、悪かったな。知り合いに顔立ちがどっか似ているように思ったんだ。きっと、他人の空似だろう」

 自身の中に蟠る疑問と不可解をその言葉で納得させ、ジェイムズは笑みを浮かべる。

「それじゃあな、みんな、元気で頑張れよ」

 その笑顔には先ほどの疑念は何処にもない。少年少女達の前途を応援する、唯の大人の姿があった。





「あ、鈴。ごめん、ちょっと良いかな?」
「ん?」

 凰鈴音は、シャルロットの自分を呼び止める言葉に不思議そうに首を傾げた。
 この中では多分彼女と一番関わりの薄い自分をどうして呼び止めたのだろうか? 心当たりがないものの、病人の頼みを無碍にするわけが無い彼女は頷いてから見舞い客用の椅子を引っ張り出してそれに座る。
 シャルロットからすれば、本当は一夏とも一緒に招いて話を聞いてみたかったが――しかしチームの中心となりつつある彼を欠いたままトレーニングを続行する事に対して、気を使ってまず鈴に話を聞いてみる事にしたのだ。

「あのね。僕、不思議な夢を見たんだ」
「夢?」
「うん」

 そこから前置きとして話すのは――織斑先生が説明したメタトロン同士の共鳴現象。あの場所に集った人間達が、一時的に視界と記憶を覗き見たのではないかという話。そして――核心へと迫る言葉。

「鈴と、一夏――それと、赤い髪の男の人。三人はとても仲良しで、鈴と赤い髪の人は一夏に放課後どこか部活に入らないか? って進めていたんだ。不思議なのは、その全員の視界に僕が重なっていたんだ。先生に話を聞くと、これは同じ場面に同じ記憶を共有している人が集わないと発生しない特殊な現象らしいけど……ねぇ、鈴。どうしたの? どこか具合でも悪いの?」
「……ほんと、なの?」

 その言葉の途中から――表情が困惑と歓喜の入り混じった複雑なものになった鈴の顔を見て、シャルロットの方がむしろ驚いた。ただあの赤い髪の青年は一体誰だったのかという事を聞こうとしていただけなのに。
 そして――シャルロットのその言葉とは、凰鈴音が、真実を知る事が恐ろしくて最後まで<アヌビス>に尋ねる事が出来なかった疑念を晴らす、待ち望んでいた回答であった。

 頬を涙が濡らす。
 胸元に暖かいものが満ちていく。それは一度は諦めた恋心の相手が確かに生きているのだという確かな証拠であり、奇跡じみた朗報であった。嘘みたい。嘘みたい。嘘みたい。そうであってくれと願った事が事実であるという話が、余りにも優しくて余りにも嬉しくて――夢ではないのだろうかと思ってしまう。
 ぽろぽろと鈴の頬を真珠のような涙が伝い、床に滴り弾けた。頬を抓ってみる。痛い。痛みが、これが真実であるのだと告げている――その痛みがいとおしくて仕方ない。これは真実なのだ――泣き笑いの表情を浮かべながら鈴は理解する。




 五反田弾は、<アヌビス>として生きていたのだ。


 
 その表情から、その涙から――シャルロット・デュノアが告げた夢の内容とは凰鈴音にとって何よりも大切な内容であるのだと察した彼女は、その背を優しく撫で擦る。誰かに縋り付きたくなるなるような激しい喜びに滝のような涙を流す鈴にシャルロットは無言のまま胸を貸してやる。その喜びに震える彼女の感情を受け止めるように、母親の代理をやるように。

「う、うう……うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 
 泣きじゃくる彼女を受け止めた。








 
 しばらく泣き続ければ、その激しい感情の波も徐々に静かになっていく。凰鈴音は友人である彼女に恥ずかしい泣き姿を見せてしまったのがどうにも気恥ずかしくて俯いた。……そのままシャルロットに彼女が知る事実の全てを正直に話す。シャルロット・デュノアはその言葉を否定するでもなくしばらく聞き、全て知ると――ゆっくりと口を開いた。

「……つまり、あの飛行機事故は……鈴の友人、じゃなくて好きだった弾さんを殺すために行われたって事?」
「うん。……<アヌビス>の正体がはっきりと弾って分かったし、だとすると――<アヌビス>を疎ましく思った誰かのせいなのかもしれない」
「可能性は高いよね。<アヌビス>みたいな――いや、デッドコピー品でも十分世界の軍事バランスを容易く変える力があるもの」

 鈴の表情には重荷を下ろした人特有の落ち着いた表情がある。心に抱いていた疑念はすっきりと解消され、秘密を共有する相手が出来た事が、彼女にいつもの明るさを取り戻させていた。シャルロットは、うん、と頷く。
 なにせ、五反田弾こと彼の操る<アヌビス>は自分の命を助けてくれた恩人である。機会があるなら一度ちゃんと礼を言いたい。

「それに――弾さんが乗っていたのが、アメリカのネレイダムカウンティへ向かう予定だった飛行機で、僕を助けてくれたジェイムズさんの奥さんはネレイダム社の重要な地位にいる技術者なんだよね」
「うん。……偶然って言うには色々と怪しいと思う」

 シャルロットは――考え込む。

「あのね。鈴。最近ネレイダムが活発に活動しているって話は聞いたことある?」
「地球で数少ないメタトロン鉱山を持つあの会社が、これまで以上に採掘を行ってたり、ネレイダムカウンティに巨大機動兵器が侵攻したけど、何がどうやって撃破したのかはさっぱりニュースに上がってこなかったって話よね」
「……こうなってくると――<アヌビス>がネレイダムに存在することが原因でこの騒動も起こっているんじゃないかって気がしない? 彼が鈴に何も言わず姿を消すのは……こういう事に巻き込まないためじゃないかな」 

 鈴、少し考えてから応えた。

「……あいつがあたしや妹の蘭、両親にも無事を伝えないのは――巻き込まないため?」
「<アヌビス>の戦闘力を考慮するなら、十二分に在りうるよ」

 あ、やばい、と鈴が考えた時には――既に枯れ果てたと思った涙腺が再び涙で滲み出すのを感じた。それが本当だとするなら、あいつは遠く離れた異国の地で、妹や父母が自分の死を嘆き悲しんでいるだろうと知りつつも、己の無事を伝える事が出来ないという事になる。
 ひどい。
 そんなのはひどい。凰鈴音は心からそう思った。

「この事は、秘密にしよう? これは――多分一つ間違えたら弾さんの家族にも危険が及ぶとっても危ない情報だよ」
「分かってるわよ。……分かってるけど……」
「それにね。……一つ、もう一つ、僕も気になる事があるんだ」
「……あたしと一夏と弾、その夢の次に見たって言う光景のこと?」

 シャルロットは頷く。
 あの場所にいたのは三人――だが、最後のそれだけは一人だけの夢。あの場所にいないにも関わらず、こちらと記憶が交じり合ったのだ。ならば――あの夢の主とは、<アヌビス>に匹敵するほどの膨大なメタトロンを使用した機体を持っているという事になるのではないか? そうシャルロットは考える。
 そして何よりも、彼女はあの夢の主を救いたかった。
 分かったのだ。あの夢の主は彼女よりもよほど無惨な経験を経ている。自分自身を含めた全てを憎悪し、何もかもを焼き滅ぼそうとするほどの激しい殺戮の意志を持っていた。
 救いたい。
 自分はジェイムズや他の人々に救われた。なら自分も彼らと同様に救いの手を伸ばしたかった。それがジェイムズのような立派な大人になりたいと願ったシャルロット・デュノアの想いだった。
 


 
 



 なによりも。 





 シャルロット・デュノアは――この世の中には、本気で吐き気を催す邪悪が存在する事を知った。


 その事が心の底から許せないと思った。



 それはまさしく毒だった。それを見、聞いた人間が、胸元を掻き毟りたくなるような堪え難い不快感。この胸糞の悪さが少しでも紛れるなら心臓に刃を突き立てる事すら許容できるようなおぞましい言葉だった。
 これはまさしく毒だった。人を殺すに銃弾や刃物、毒を用いるのは下の下。人を殺めるには一滴の絶望の言葉で十二分に事足りるのだと言わんばかりの、耳朶に腐りきった汚水を注がれるような不快な情報の塊であった。
 まるで女尊男卑の世界の行き着く果ての果て。世界が悪い方向へとどんどん転落し、落下していき、最後に待ち受けるおぞましい悪夢を予見するかのような最悪の言葉。同じ女性である事に嫌悪すら覚えるような『あの女』の身勝手さ。
 さながら友人知人の息子や娘が奴隷市場で首に値札を付けられ売買されているのをこの目で見てしまったかのような、胸中を抉る無惨無比の内容。







 最後に見えたのは、骨と皮になった最愛の父親の屍。
 一人の子供を、怒りと憎しみの塊、憤怒の化身、憎悪の管理者へと変えてしまった光景だった。













 あの夢の最後――妻と思しき女性が残した残虐無惨のあの言葉。最後に響いた機械音声。
















































『さようなら。貴方のスペルマは、とっても高く売れたわ』




















――憎い――



























――俺を含めた女の全てが憎い――





















『プログラムされていた予定条件を満たしました。システムに従い、本機<ゲッターデメルンク>はフレームランナーの元に量子転送完了』


















 
 


『操作説明を行いますか?』






























 作者註

 順当に読んでいればこの時点で正体に気付くでしょう。でも感想掲示板でその名前を出すことは厳禁でお願いします。

 時間が無いので感想への返信はできませんが。
 作者はこの一件で特にモチベーションが下がっていません。そこはご安心ください。にじファンさんでも非難のメールを一件頂きましたが、それ以上に沢山の応援のメールを頂きました。

 この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。



[25691] 第二十話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/23 00:25
 光は人類からすれば現在突破不可能とされる速度であるが、宇宙全体の大きさからすると余りにも遅い。そのあまりの遅さによって、人類は宇宙誕生の瞬間を知る事が出来ている。
 視線を宇宙の彼方に向ければ、そこには何百億年前の宇宙が生まれた瞬間の光景が今だ遥か果ての果てに存在しているのだ。

 宇宙そのものは未だに膨張を続けている。この辺りは人がボールを投げるという動作を当てはめると分かりやすい。

 人がボールを投げる――その行動が宇宙の始まり、ビッグバン。
 投げられたボールが上へと飛び上がっていく――それが宇宙の膨張だ。

 一昔前ではある時期を過ぎると、上に投げられたボールが落下してくるように――宇宙は膨張を止め、次第に縮小を続けて最後には最初と同じ『無』の状態に戻ると言われてきた。しかし、近年の科学者達の研究によって、ビッグバンによっておこった宇宙の膨張は減速しそのまま収縮すると思われてきたのだが――実際は宇宙が膨張する速度は加速し続けているという事が分かった。
 これが1998年の学説。自分が生まれてそう間もない時期に出てきたものだ。
 五反田弾は――と、するとビッグバンと言うのはむしろ上にボールを放り上げるのではなくむしろ下へと落下することだったのかな? と無想することがある。
 弾は実家に残してきた科学誌のニュートンを思い出す。こういった科学技術などを見て子供心にわくわくしたものだ。といっても、周囲の人間にはこの面白さを分かってくれない人は多い。
 宇宙の膨張は減速ではなく加速する一方――そのまま加速を続ければ、まるで限界まで引っ張られた風船のうように破裂し、空間に亀裂が走って宇宙は崩壊するかもしれない。……で? それが分かっていると何か我々の生活に役立つのか? という訳だ。
 確かに役には立たない。明日明後日に世界に空間の亀裂が走って滅ぶとかならともかく、判明したところで人類の幸福に役立つわけではない。

 だが――こういう世界の真理を解き明かす事は言いようもない喜びと心の豊かさを約束してくれる。

 なによりもワクワクする。科学者にとって真理を探求し、不思議に挑むという事は最早第二の本能の領分なのだ。そんな事を――弾は人生初体験となる無重力遊泳を経験しながら、宇宙船『エンダー』の中で考えていた。
 聞こえてくる音声――アメリカ合衆国選りすぐりのパイロットが声を掛けてくる。

『ミスターバレット。目標地点に到着した。……ようこそ宇宙の玄関口へ』




 ようやく此処まで漕ぎ付けた――宇宙から打ち上げられたシャトルの中、窓の外から地球を一望できる宇宙の高みから五反田弾は小さく微笑みを浮かべた。
 今現在弾がいるこの場所は宇宙空間。それもアメリカが衛星軌道上に建造した施設『ウーレンベックカタパルト』。火星と地球との距離を二週間に縮める太陽系を狭くするメタトロン技術の集大成とも言える建造物であった。
 この巨大施設の総工費といい、未だに世界でも有数の国土と経済大国であるアメリカの底力を見た気分だ。
 ここまで来た――自分らが主導して組み立てた計画。ウーレンベックカタパルトを用いた空間圧縮技術による太陽系の本格的開拓事業。現在アメリカは様々な諸問題に対しての解決策が提示され、現大統領支持率は急上昇中。失業率はゆっくりとだが、確実に低下し、徐々に活気を取り戻しつつあった。
 
 ウーレンベックカタパルト。
 メタトロンの空間圧縮を利用した、本来ならば膨大な時間が掛かる他の惑星への旅路を――火星への移動を二週間近くに縮めてしまう技術。
 最初期の宇宙開発に、有名なクドリャフカを初めとする動物実験が行われたように――生命体を乗せた宇宙船の搭乗員、その史上初の名誉は一匹の猫――ピートという名前――に与えられた。最も本猫からすれば意味も価値も無い事だろうが――なんにせよ、通信機から聞こえてきた猫の鳴き声によってウーレンベックカタパルトの安全性が証明され、とうとう火星調査団の第一陣が投入される事となる。

「バレット。こちらでしたか」
「楊さんか。……社長はこっちにこられないんだっけか」

 宇宙から地上を見下ろし感慨に耽っていた弾は、静かな開閉音と共に部屋に入ってくる楊女史の言葉に振り向き確認する。
 宇宙へ上がる際のロケットによる過度のG――これの適性検査に彼女は引っかかった。本人は非常に残念そうだったが、流石に宇宙に上がる際に健康を損なう恐れがあると判断されては仕方なかった。彼女は現在地球上でハワイでの<IDOLO>の実戦テストに同席する事になっている。
 楊女史――顔にはありありと残念そうな表情が浮んでいる。ナフスの事を気にかけているのだろう。
 かといって、このプロジェクトを陣頭で指揮出来るのは計画の最初期から関わってきた弾か彼女ぐらいだろう。……弾が此処にきたのも自身少し心配にすぎる不安があったからだ。
 計画は順調に進んでいる。このまま火星開拓のための第一陣が出発する。もちろんそれらを面白く思わない連中は履いて捨てるほどいるだろうが、今やネレイダムとアメリカは経済的な好景気に沸いている。これを正面から相手取る事の出来る企業は存在しないだろう。

 上手く行っている。

 上手く行っているのが何処と無く不安なのだ。こういう風に何事も問題なく進行している事態の裏側で全てを台無しにしようとする勢力を見落としてはいないか、と思ってしまう。
 敵――そう敵だ。
 弾には敵がいる。自分を謀殺しようと旅客機ごと爆殺しようとした既得権益を守ろうとする人間達。ISを扱う女性の軍人達。だが、彼らは現在では脅威にならなくなりつつある。前者の企業は、しかし徐々に強力になりつつあるネレイダムを経済的に凌駕する事もできず、指をくわえて見ているだけ。ISを扱う軍人達はもっと簡単だ――この世に<アヌビス>を倒せるものはいない。


 ただ一機を除いて。


 そのただ一機こそが問題であった。
 オービタルフレーム<ゲッターデメルンク>――恐らく正面からぶつかって<アヌビス>を撃破する能力を持つ唯一の相手。もちろん弾とてただやられる気はない。向こうがこちらを倒せる能力を持つように、こちらも向うを倒すに足る能力を持っている。
 だが――相手は世界で唯一の空母型オービタルフレーム。相手が内蔵している膨大な量の量産型機を考えるなら、戦力の天秤は大きく相手側に傾く。
 ……弾は頬を掻く。
<アヌビス>そして<ジェフティ>が保有する、二機を他のオービタルフレームと一線を画す機体とするあの絶対的優位性をもたらす機構。あれの封印を解く事が出来れば<ゲッターデメルンク>の有する無人オービタルフレーム部隊といえども問題ではなくなる。問題があるとすれば――弾自身があのシステムの副作用、強烈なメタトロンの毒に対して抗し得るかという一事に尽きる。

「なぁ……楊さん、少し聞きにくい事を聞くが、良いか?」
「プライベートなこと以外なら」
 
 弾――ちょっと躊躇う。
 ここで彼女の言うプライベートには、彼女が守り、盛り立てているナフス・プレミンジャーの父親である先代社長の事も入るのだろうか。彼女の父親の不可解な死。それに纏わる事情を聞く事はある種の侵害行為なのかもしれない。自然と質問の言葉を言おうとしてもどう切り出したものか分からなくなる。
 なんて聞くべきか――そう考える弾。

 その時、二人の会話を断ち切るようにけたたましい警告がウーレンベックカタパルトの居住施設に鳴り響く。
 それは本来宇宙空間で聞くようなものではない。国籍不明機がこちらへと接近する事を示す内容。第二種戦闘態勢への移行を通達するものだった。
 
「敵? ……一体何者が?」

 楊女史の懸念も当然だろう。世界でも有数の大国であるアメリカ合衆国が国家の命運をかけて挑むプロジェクトである火星開拓事業。当然のようにこの計画には膨大な予算と強力な防衛戦力が配備されている。本来なら地球上でアメリカの国防に従事するべきISが複数機――ただ一つの建造物を防衛するとしては過剰と言える戦力が投入されていた。
 幾ら相手がISを扱い、テロ行為で各国を悩ます亡国企業だったとしてもここに直接殴り込みを掛けられるほどの戦力ではない。
 それになにより――ここには弾が……表向きはただの民間人ではあるが、実際には世界でも最強のオービタルフレーム<アヌビス>がいる。それを思えば下手に攻めてくるものなら返り討ちに逢うのだが。
 どんな組織も、まず戦いを挑む以上は勝つための算段を立てておく。もちろん戦場は水物。計画通りに事が運ぶことなどめったにないし、

「嫌な予感だな……。デルフィ。一応出る準備はしておけ」
『了解です』
「まずは、司令室へ向かいましょう。状況の確認を」

 楊女史の言葉に頷き、一行はまず場所を変える事にした。





「全ISが同時に機能停止だと?! そんな馬鹿な話があるか!!」

 室内に入った時に、このアメリカ軍の中で最上位仕官であるサメジ参報の罵声を聞いて弾は事態が抜き差しならぬものになっている事を一瞬で理解した。幾らISといえども友軍部隊との連携には後方で戦術的支援を行う指揮管制室の的確なバックアップは欠かせない。事実彼らはここに倍する戦力が差し向けられようが粘り強く敢闘する能力があっただろう。それに後方には無敵ともいえる<アヌビス>が――最強の機体が控えているという事実が彼らの精神的支柱となっている。
 だが、こんな状況など想定できるわけがない。これは戦闘以前に『たった一人の天才が組み立てた、内部構造を完全に把握する事ができないブラックボックスを使用している』というISの持ちうる致命的とすら言える要素に対して見て見ぬふりを続けてきた事に対する、余りにも手痛い指摘だった。本来ならばその得体のしれないブラックボックスに変わる新たな国家戦力として導入されるはずだったオービタルフレーム。だが、今はその設計に必要なメタトロンを入手するための船団を送り込む段階だ。
 先手を取られたのか、弾は忌々しげに呻いた。

 中で状況を確認するオペレーター達の呪詛めいた怒鳴り声、それに返ってくるのはISに搭乗する女性達の声。

『こちらでも敵機は確認したわ。でも警告しようとした瞬間に起動不能状態に陥った。……幸い生命維持装置には異常はないから二時間は放置しておいて構わない』
『できるんなら早いとこ回収して欲しいけどな。……黒いISだ。警戒してくれ。そっち向かった』

 聞こえてくるのはナターシャとイーリスの声――以前ネレイダム防衛戦で轡を並べて闘った二人。
 二機とも既にセカンドシフトを済ませた最新鋭ISであるにも関わらず、全く抵抗らしい抵抗すら出来ず無力化された。そして――こんな事を可能なのは……。






『やっほー、天才の束お姉さんだよー?』
「……有り得るだろうとは思っていたが、やっぱりあったか。……ブラックボックスに内蔵された――管理者権限による停止命令」

 聞こえてくるのは回線に侵入してきた女性の声。
 弾の表情は苦渋に満ちている。
 ISに使用されているコアは束博士のみしか生み出す事ができず、また同時にブラックボックスの解析は未だ完了されてはいない。だが、その産みの親である彼女なら――確かに自分用に緊急停止コードを埋め込むことぐらいできるだろう。
 国防の要となったISは、ただ一個人の意志によって簡単に停止させられてしまう――他の国の人間はその恐ろしさが理解できているのだろうか? 彼女がその気になれば世界の全てのISは活動を停止し、彼女のISの前に簡単に膝を付いて頭を垂れるより他無くなるのだ。

『今回、束さんはこのウーレンベックカタパルトを破壊しに来ましたー。でも殺人するとちーちゃんが怒るので、30分時間を上げるから脱出してねー♪』
「うわぁ殺したい」

 弾のぼやきはむしろこの場にいる全ての全員の心情を代弁する内容だった。
 この施設を建造するのにどれほどの資材と国民の血税が必要とされてきたのか。これはISの台頭によって発生した軍人の雇用問題や付随する社会問題すべての解決を計れるアメリカ起死回生の一手だ。その希望そのものを――今の世界の形となった元凶が破壊する。サメジ参報は部下達の安否を確認してから安堵の吐息を漏らして、次いで怒りで赤らんだ。その眼差しには殺気。親の仇でも発見したような怒りと、一発叩き込んでやる機会を目の前にしながらも手出しできない無念でその分厚い背中を震わせ――軍人らしく冷静さを取り戻す。
 そのまま――振り向いた。

「ミスターバレット。……どうやら我々に手伝えるのはここまでのようです」
「ああ」

 弾は短くこれに頷く。
 ISに対して管理者権限を持つ束博士。それに対抗できるのは彼女が手がけていないシステムで稼動する<アヌビス>しか存在しない。このウーレンベックカタパルト施設に迎撃設備がないわけではないが、基本的にISとの連携で初めて生きてくるものばかりだ。本命のIS部隊すべてが起動不可能状態に陥った以上もう意味がない。
 足早に席を立ち、宇宙空間へと通じる最寄のハッチへ移動。

「デルフィ」
『戦闘モード起動開始』

 瞬時に弾の五体を<アヌビス>の装甲が覆い尽くす。
 そのままハッチの開閉と同時に宇宙空間へと躍り出た。レーダーシステムに、アメリカ政府に喧嘩を売る形となった束博士の現在位置をモニターする。即座に接近――カメラをズームし、彼女と相対する位置へ。
 篠ノ之束。世界を変えた女。彼女の衣服は不思議の国のアリスをモチーフにした青い衣装に身を包んだ女性。頭からはウサギの耳を模したなんらかのセンサー。両肩を覆うように広がるのは巨大な漆黒の翼型のユニット――ISではあるのだろう。ただし、世界で唯一ISのコアを設計可能な天才である彼女が自分を守るために用意したハイエンドモデルであるのは確実だ。……普通の相手であると思わないほうがいい。
 それになりより――世界を変え、幼い頃の憧れであった戦闘機を屑鉄に変えた彼女に対して、弾も流石に虚心ではいられなかった。わずかばかりに緊張しているのを感じる。確かに自分と彼女はさまざまな面で相容れはしないが、しかし彼女が天才であることは覆しようのない事実だった。
 彼女は、へにゃり、と相好を崩して微笑む。

「やぁやぁ、会いたかったよ、ミスターバレット」

 正体に対して確証に近い情報を得ているのだろう。隠すことに意味はあるまい。弾は通信をオープンにする。

『……名前を覚えられているとは思わなかったぜ。束博士。……正直あんたが名前を覚えられるのはたった三名だと思っていたんだが』
「いやいや、確かに束さんは興味のないものはあんまり覚えられないけど、逆に興味のあるものに対しては記憶力がちゃんと仕事するんだよ?」
『……それはどうも』

 興味を抱かれているのも当然か――弾はそう考え直す。彼女の設計したISに迫り、凌駕する可能性のある新型兵器オービタルフレーム。それが、自分の地位を脅かす対抗者の出現に対して不快感を抱いているのか、それとも自分に匹敵凌駕する敵の出現を喜んでいるのか――たぶん後者だろうな、と弾は思う。
 彼女の眼差しに宿る感情が――敵愾心と憎悪ではなく、濁りけのない素直な賞賛だったからだ。

「いやぁ凄いねぇ。この数ヶ月でネレイダム経由で発表された技術革新、メタトロンを利用したアンチプロトンリアクターの基礎理論――そしてウーレンベックカタパルトの設計……」
『……あんた、喋りに来たのか? 壊しに来たって聞いたんだが』
「おっとごめんね。ふふふ、束さんは今まで自分と同等に頭のいい人とあった事がなくてね。初体験でドキドキしてるのさ」

 そう薄く微笑む彼女。
 目を瞑り、僅かに考えるような無表情を見せてから口を開く。

「……火星でのメタトロン採掘なんてさせない」
『なぜ』
「君ほどの人間が知らないなんて事はないよね? メタトロンの毒の事を」
『……ああ』

 弾は短く肯定する。
 メタトロン技術において最大のネックである、人間の精神を歪める副作用。かつての世界におけるダイモス事変、アンティリア戦役、軌道エレベーター攻撃、ノウマンの暴走によって危うく引き起こされるところだったアーマーン要塞の起動。巨大な戦争を引き起こした原因とも言えるもの。
 
「ねぇ、ミスターバレット。……有史以来人類はさまざまなエネルギーを手に入れ、文明はその力に導かれて歩んできた。では、メタトロンほどのエネルギーが導く文明の行き先は何だと思う?」
『……全てを終わらせるほどの破壊、とでも言いたいのか?』

 弾は内心の動揺をおくびにも出さぬまま答える。その言葉の内容は――彼の中に流れ込んできた記憶の中、ノウマンと戦った彼から伝え聞いている。……メタトロンに対して同じ感想を抱いた人間がここにもいると言う事か……弾は頷きを返した束を見る。

「ふふふ、流石だね、ここまで同じものを感じているとなると少し好意すら抱くね。……でも君は、メタトロンの副作用を知りながらメタトロンを利用しようと言うんだね?」
『読めた。そういうことか』

 弾は――束博士のその言葉に、唐突に突然に長年の疑問の答えを得たような気がした。
 長い間彼は不思議だった。最初は宇宙開発のために設計されたはずだったIS。今から思えばシールドや最終防衛機構なども如何なるアクシデントが起こるかわからない宇宙での作業で搭乗員の生命を保護するために設計されたはずのものだったのだろう。ISの自己進化機能やネットワークも、不慮の事故の情報を共有し、搭乗者の生命保護をより確実に行うためのものだったのだ。
 だが現実は違う。最初期では宇宙開発に作られたはずのISの全ては、いまや国家同士の威信をかけた軍事技術を纏う兵器として、人類の生存圏を広げるための躍進の道具ではなく、お互いの面子をかけた戦争のための道具として扱われている。
 不憫だ――弾のその感想は、平和利用のために使われるはずだったISのコアに対するものか。それとも宇宙開発に対して使われるはずだった自分の研究を殺し合いのための道具にした束博士に対するものだったのか。

『……本来なら宇宙開発に使用されるはずだったISの全てが戦争目的に流用されたのは――宇宙開発が進むにつれて発見されるであろう膨大なメタトロン資源の採掘を遅らせるためか……!!』
「うれしいよ、本当にうれしい。……人類はまだあの力を手にするには早すぎる。最初はメタトロンの可能性に狂喜したけど、でも実際はアレは危なくて使えるような代物じゃなかった。ほんと……束さんのことをここまで分かってくれるなんてね」

 微笑む彼女。もしここに一夏と箒、千冬がいれば驚いたかもしれない。その親しい三人以外には滅多に見せない友愛の表情を浮かべた。

「だから壊すんだよ? ……火星開発なんてされたらメタトロンの汚毒は世界中に撒き散らされる。それをさせるわけにはいかないんだ」
『……非の打ち所のない正論ってのはさぁ』

 弾の言葉に、束は軽く首を傾げる。

『どことなく……嘘くさく聞こえるんだ。……あんたさ、一夏と千冬さんと……直接面識はないが、確か箒さん? だったっけ? それ以外なんて路傍の石程度に考えていないあんたが――そんな全人類の事を考えるなんてのが信じられないんだよ』
「……うふふ。本当に束さんの事をよく知っているね。そうだよ、束さんがメタトロンの毒の流入を防ぐのは結局あの三人が平和に暮らせる世界を守ることだけだよ? 
 ……でもその目的のためなら何でもするというのは間違いないから」
『……させると思うか?』

<アヌビス>はゆっくりと、相手の砲門の角度に己が身を割り込ませる。

「五反田弾くん。君が束おねーさんの事を知っているように、わたしも君の事を知っている。わたしとしてはオービタルフレーム――それも<アヌビス>なんていうメタトロンの塊なんてものには乗って欲しくないよ。……だからね。もし束おねーさんの頼みを聞いて、ウーレンベックカタパルトを停止させて<アヌビス>を廃棄してくれたら……」
『なにを言い出すのですか』

 束博士は微笑みながら言う。デルフィが応える。不思議といつもの平坦口調なのにとても嫌そう。
 彼女からすると――それはまさしく好意から出た言葉であった。人類でも有数の知性を持つ自分と同じステージの視野を持つ男。自分のために夢に挑むことができなくなった男。束にとっては女性にしかISが扱えないなどは特に欠点と意識したものではなかったが、しかし自分の気に入った人間のためなら一肌脱ぐぐらいの気持ちはあった。
 だから彼女は言う。
 好意から出た言葉を。
 今まで他人の心情など慮ったことなどほとんどなかった彼女ができる事を。






「約束してあげる。いつか、束さんが君のために男性でも使えるISを作ってあげるよ」





 
『……あ?』









 弾は、自分の声が――しゃがれたように潰れている事を、発声してから初めて気づいた。
 それはまさしく逆鱗を穿つような言葉だった。
 幼い頃空に憧れ、戦闘機に乗りたいと両親に駄々を捏ね、しかしISを動かせるのは女性のみという現実に泣く泣く夢を諦めた。それでももしかしたら、もしかしたら……――そんな淡い期待を抱きながらISの勉強をした。中学生には似つかわしくないほどの激しいトレーニングもやった。
 だが、結局ISに乗るという幼い頃の夢は絶対に叶う事は無かった。
 分かっていた。結果など分かっていた。世界で唯一ISを動かせる男性は織斑一夏のみ。彼しかおらず、弾には逆立ちしてもそれは出来ない。一番最初の進路、IS技術に関する研究者、技術者という道を選んだのもただの代償行為でしかなかった。叶うなら、ISに乗りたかった。

 その――夢を諦めざるを得なかった一番の理由を……こうもあっさりと修正できる?


 弾は、言葉を失った。
 人間激情怒気が総身を駆け巡ると、最早口を利くことすら困難になるのだという事を自分自身の体で初めて理解する。彼にとっては自分の夢を諦めざるを得なかった『女性にしか運用できない特性』が、産みの親である束自身であっても解決できない問題であって欲しかった。誰にも直す事の出来ない欠点であるなら、まだ諦めようもある。
 だが、自分が夢を諦めたその欠点は――束にとっては、相手の歓心を買うために支払える程度のものでしかなかった。



 それなら――あの涙を呑んだ日々は一体なんだったのか。
 


 それが、こちらを嘲り馬鹿にするための悪意に満ちた言葉であったのならば弾は目も眩むほどの怒りに打たれる事は無かっただろう。ただ相手の悪意にうかうか乗ってたまるかと冷静に対処できたはずだ。
 だが……束の言葉は、純粋に好意のみで形成されていることが分かった。メタトロンの毒を拡散させないためなら大いなる手間をかけてでも自分を懐柔したという考えが分かった。


 ……ある意味では、世界に蔓延る女尊男卑の風潮を滅ぼすのにこれほど有効な手段は無いかもしれなかった。


 女尊男卑の風潮の原因は、ひとえに女性のみISを動かす事が出来るという一事に尽きる。
 その根源を成す原因を無くす事が出来るのであれば――いや、束博士が一言『男性でも使えるISを作ってるよー』と電波に乗せるだけでもこの風潮は瓦解を始めるだろう。それを認められず反発する勢力だって考えられるが――ISvsOFという事態になる可能性は無くなる。



 だがしかし。それならこの胸中に滾る凶暴な熱はどう処理すれば良いのだろうか。




 弾は笑う。
 あまりの怒りのように凍てついたような表情は自然と笑みと笑い声を発露させていた。

『ふっ……ふふ、ふふふふふ』
「おっ? 気に入ってくれたかな?」

 束は理解できない。一番大切な三人以外なら誰であろうとも切り捨てる事が出来る、それ以外の大勢の他者の心理を考えた事のない彼女は――弾のその笑い声に含まれた凄絶な怒気を察する事が出来ない。笑い声ではあっても、それは怒りの量が膨大すぎて、唇から漏れる引きつったような吐息が笑いのように聞こえるだけなのだ。

『は、はははは……なるほど――あんた天才だよ……』
「そうそう、束さんは天才なんだよー」

 弾は数秒笑って、ようやく意味ある言葉を吐くことが出来た。
 言葉の上辺だけしか汲むことの出来ない束は弾の満足そうな声を聞いて、交渉がスムーズに行った事に満足そうな笑顔を浮かべて――ウアスロッドを展開した<アヌビス>に不思議そうに首を傾げた。

 彼女は、分かっていない。自分がなぜここまで激しい怒りを向けられるのか、自分が何故これほど憎まれているのかまるで理解できていない。その無理解こそが、この世の暴言の全てに勝る激怒の燃料となって弾を猛らせる。




『……あんた……人を怒らせる天才だ』

 

 
「ほえ?」

 その怒気に塗れた言葉。どんな文句よりも明確な宣戦布告を意味する怒りに震える声の響きに――束は不思議そうに首を傾げつつも、交渉が決裂したことは理解したのだろう。量子転換の光と共に、彼女のISの両腕に巨大な銃器が二丁、腕の装甲に接続される形で展開する。砲門の横に刻まれた『聖銃』『魔銃』の文字――ただの武装ではなさそうだ。優れた兵器特有の死の気配に、弾は顔をゆがめる。

「どうして弾くんが怒るのか良く分からないけど、交渉決裂みたいだね」
『……そうか、分からないのか』

 なるほど――確かに彼女は他者のほぼ全てがどうでもいいらしい。
 このウーレンベックカタパルトに掛けるアメリカ国民の期待が、束博士に破壊されたと聞けば、彼女に向かう憎悪と落胆の感情はどれほどのものになるのだろうか。そして一夏、千冬、箒の三人以外からどのような負の感情を向けられようとも寸毫足りとて意に介さぬ彼女は痛くも痒くもないのだろう。
 メタトロンの毒を危険視する気持ちはわからなくもない。ダンの夢うつつのようなおぼろげな記憶を辿れば、確かにメタトロンによって世界は滅亡の危機を迎えた。


 だが、それでもだ。

 
 宇宙の彼方へと飛び立つ事を邪魔する事はどうしても許せない。
 世界をメタトロンの毒による副作用から守る――そんなお題目など吹き飛ぶぐらいに、新しい星に、誰も見たことのない場所に行くという事は抗い難いほど魅力的なのだ。
 遥か彼方へ進むという開拓精神を阻むものを弾はどうしても受け入れられない。

 科学者にとって真理を探求し、不思議に挑むという事は最早第二の本能の領分なのだ。できない事をできるようになろうとする事を邪魔する相手は――科学者として倒さねばならない。

『デルフィ!』
『了解、戦闘行動を開始します』

<アヌビス>の全身から漲る戦意に束も戦闘もやむなしと考えたのか――小さく微笑む。

「……まぁ、結局こうなっちゃうんだね?」

 そして――両腕の巨銃を二門、<アヌビス>に向ける。

「でも……この<ラジェンドラ>と<カーリー・ドゥルガー>の単一能力を他のISと同じ次元と見なすのはやめたほうが良いよ♪」



[25691] こっそり超重要お知らせ
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/04/23 00:50
 pixivで、doubt様にこの作品の素晴らしいイラストを頂きました!! 
 向うで新設された『八針来夏』というタグでヒットするかと。しかしなんてタグだ(笑)

 まさか、こんな素敵なものをいただけるなんて作者冥利に尽きます。誠にありがとうございます、プリントアウトして神棚に飾るぜ!!

 おまけ。

 選考結果でました。
 選考委員の皆様のご意見が一致していました。(笑)
 でもそれでも。選んでいただけてありがたいです。皆様、ありがとうございました。
 頑張ります。



[25691] 第二十一話
Name: 八針来夏◆0114a4d8 ID:e15e6978
Date: 2011/05/14 22:12
 五反田弾と篠ノ之束。
 恐らく世界の行く末を変える次元の二人の天才の会話は――束の言葉によって決着を見た。両名の脳髄に溢れる知性知識を鑑みるならば、二人が話し合って協力し合えばどれほど人類の躍進を促したか。両名とも相応の理由に突き動かされて、その脳髄に溢れる知性を思えば野蛮とすら言える戦闘行為に身を投じる。
<アヌビス>――世界の外より持ち込まれた規格外機体。
<ラジェンドラ><カーリー・ドゥルガー>――規格外の頭脳を持つ束が自分の専用機として設計した最強のIS。
 恐らく両機とも世界の全てを単独で敵に回しても勝利を収めかねない超絶の戦闘力を持つ。
 
『今更戦力を隠す意味なんぞ無いな。ハウンドスピア!!』
『了解』

 束の四肢を覆う黒いIS――機体全体のデザインは、一般的なISとそうかけ離れた訳ではない。肌を幾らか露にし、両手足を装甲で保護されたそれで覆っている。気になるのは、左肩に搭載された小型の自立機動ユニットと両腕の巨大な銃器。
『聖銃』『魔銃』――そんな仰々しい名前を付けるのだ。一体どういう手を隠し持っているのかを明かさせるための小手調べ。
 
「んふふ」

<アヌビス>の両腕から放たれる真紅の光線。破壊的レーザーの群れが独立した意志を持つかのように複雑な軌道を描き、束目掛けて発射される。
 小さな含み笑い――子供が大人に隠れて悪戯を仕掛けた時のような相手の驚く反応を心待ちにするような笑顔。ただし弾からすれば――その笑顔は可憐さよりも、むしろ冗談では済まされない破壊的行為を悪戯のように捉えているかのようで正直不快感を掻き立てる。
 束のISは接近するハウンドスピアに対して瞬時加速(イグニッションブースト)。レーザーの追尾を振り切るような凄まじい加速力だ。かつて弾と<アヌビス>が交戦したISの中で最も速力に長けていたのは<サイレント・ゼフィルス>だったが――束の機体の速度はそれを遥かに上回っている。
 だが、弾はこちらの攻撃を避ける相手に特に落胆した様子も見せない。相手の最高速度に対するデータを更新し、より正確な戦闘能力の把握に努めるデルフィ。

『速力に関するデータ修正完了』
『未来位置予測がより正確になったな。サブウェポン、ハルバードを選択』

 相手の速度に対してデータを修正――デルフィの表示するガイドビーコンの指示に従いハルバードをベクタートラップより展開。構える。束の目がこちらを向いた。まだ笑っている。弾、装甲の下から彼女を睨む。

『……お前が泣いて謝るところを見たい!!』
『無理を言わないで下さい』

 素直な気持ちを呟きながら弾はトリガーを引く。そして自分が言われたと思ったデルフィが律儀に応えた。
 放たれるのは強烈無比の大出力ビーム。周囲一帯を薙ぎ払うように使用できる<アヌビス>の持つサブウェポンの中でも高位の威力を持つハルバード。
 それを弾は、ハウンドスピアに対して回避行動を取った束を狙い打つようにぶっ放した。
 直撃ならば相手のシールドをほぼ一撃で吹き飛ばし、回避しても薙ぐように照射することで確実に相手のエネルギーを削れる。宇宙空間を引き裂くように一直線に伸びる破壊的エネルギーに――束は唇を笑みに歪める。まるで相手が驚く様子を見たがる子供のような無邪気な笑顔。

「さぁ、力を示そう! <カーリー・ドゥルガー>、平行世界へと熱量を放逐するね!!」

 束の左肩に搭載されたコアが、心音に似たリズムで――闇色の輝きとでも形容できそうな、光を呑む光を放ちだす。腕部に携える巨大な銃器、『魔銃』と刻印されたそれの先端、黒い眼窩に似た銃口を向けた。

 瞬間――広がる光景は俄かには信じ難いものだった。

 放たれたハルバードの一撃と、ハウンドスピアによるホーミングレーザーの濃密な弾幕が、まるで魔的な磁力に引かれるように、海水が渦潮に引き摺り込まれるかのごとく――その『魔銃』と刻印された銃器の先端へと吸い込まれたのである。それこそ、並みのISならば一撃で撃墜できる膨大なエネルギーが瞬時に無効化されたのだ。弾の驚きは――錆び付いたように驚愕の声すら出ない唇が物語っていた。
 弾の動揺が透けて見えるかのような棒立ちの<アヌビス>――当然といえば当然だろう。防御不可能の圧倒的エネルギー砲撃、回避困難な誘導レーザーの弾幕。現行のISではこの二重攻撃を回避する事は極めて困難であるにもかかわらずそれを束は容易くやってのけたのだから。
 今度は右肩のコアが強烈な白い光を放つ。
 同時に『聖銃』と刻印された銃器を<アヌビス>に指向する。同時にデルフィが警告――しかもこれまでに無いほどの最大限の警戒を要するレベル。デルフィが自機の敗北をすら可能性として考慮する次元の熱量、法外の大出力を感知したのだ。

「平行世界より熱量を強奪!!」
『敵銃口より超高熱を検知。警戒してください。最低でもハルバードクラスの砲撃です』
『……!!』

 弾――無言のまま<アヌビス>を回避行動へと移行させる。
 背中にウーレンベックカタパルトを背負わないように注意しつつ、最大戦速。今までに無い警告に弾の意識レベルも自然と最大限へと移行していた。同時に言葉にも出さぬまま、サブウェポンをマミーに変更――まるで薙ぎ払うように空を焼く灼熱の奔流に弾はベクタートラップからマミーを引き出し、強固な物理防御を展開。その焦滅の光を防ぎながら、弾は後方へと退避し――距離を離すために空間潜航モードへ。機体後方のウィスプから膨大なエネルギーを引き出し、ベクタートラップへと己自身を格納する。
 束、小首を傾げながら言う。

「んー? 逃げちゃった……わけないよねー? ねー? うふふ、やっぱり守らなきゃならないものがある人はめんどくさいんだねー♪」
『てめぇ……!!』

 一時的に様子を見るべきか――だが、束は弾にその選択を取る事を許さない。
 先程の砲撃能力――直撃すれば数度の正射でウーレンベックカタパルトが……自分の夢を実現するべく作り上げた施設が破壊されるだろう。相手の攻撃にはそれだけの破壊力が存在していた。だから、束は<アヌビス>が空間潜航モードに突入し、完璧なステルス状態に移行したと見るや、すぐさま銃口をウーレンベックカタパルトに向けたのである。
 これをされては、弾としては即座に対応せざるを得ない。相手の行動は冷徹だが……しかし確かに極めて有効だ。

『……単一能力か? ……にしたってハルバードクラスの砲撃を無効化するだと? ……あいつ本当にISか?!』
『敵能力に対する推論数は4。ただし全て確実性が5パーセントの域を超えません』

 推論はあるが、どれも正解には程遠いものばかり――そこは素直に『分かりません』でいいところだろうに、それを認めるのがしゃくだと言うことなのだろうか。弾はデルフィ可愛いなぁと戦場に似つかわしくない事を一瞬考えてから再攻撃。
 先程の攻撃はレーザーに大出力ビーム砲撃――共通するのはどれも純粋な熱エネルギー系統の攻撃と言う事だ。瞬時にそう判断する彼は、ならば実弾兵器はどうだ? と腹を決める。今は相手の能力の正体を知る事が先決。

『奴を殴るぞ、デルフィ!!』
『サブウェポン・ガントレットを選択』
「おおっ、さすが弾さん!! すぐに見抜くなんて流石だね!!」

 相手の余裕ぶっこいている様が真剣にムカつく。そう考えながら弾は相手に照準を合わせ――広げた掌から空間圧縮バレルより高威力の物理砲弾を発砲した。距離は空いているから回避自体は難しくない。むしろ相手の対応を確認し、向うに出来る事と出来ない事を知る方が重要だ。
 
「んふふふふー♪」

 鋭い回避機動――それほど早いとは言い難いガンドレッドの物理弾頭に対して束は即座にそれを避ける。
 やはりレーザー兵器と違い、物理攻撃は先程のエネルギー吸収に似た能力の影響外か。そう判断し、弾は次の打つ手へ。

『生憎だが、<アヌビス>は別に実弾武装が無いってわけじゃないぜ……!!』

 ベクタートラップによる空間の歪より引き出されるのは槍群を思わせる誘導システムを搭載したホーミングミサイル。元の世界であるならば、無作為に射出しても周囲の敵に対して自動で追尾を開始し、確実にオービタルフレームを粉砕、破壊する非常に使い勝手の良い武装だ。それを――弾は最大展開可能上限の二十発を同時に装填する。

『ホーミングミサイル、全弾ロック完了』
『奴を狙え!!』
 
 世界最強の量子コンピューターはロックオンに掛かる時間すら刹那。攻撃可能のサインを見ると同時に弾は即座にミサイルを射出――それも自機を駒のように旋回され、それぞれ異なる角度から敵を半包囲するかのようにミサイルを射出する。相手の回避スペースを弾幕量で押し潰し、迎撃能力を越える手数で叩く。相手の対処力を超えた飽和攻撃(サチュレーションアタック)。
 先程のホーミングレーザーと比しても執拗と言えるほどの誘導性能。それに、あのインチキ臭いエネルギーの吸収能力は実弾兵器には働くまい――戦場での刹那の時間でそう判断を下す弾のその戦闘知性は彼の本分が技術者ではなく戦闘屋であると示すかのよう。
 一撃でISを半壊状態に陥れるほどの強烈なダメージを与える誘導ミサイルに対して束は――しかし、尚も余裕の笑みを崩す事は無い。今度はその右腕を構え――膨大なエネルギー供給開始。

「CDSバラージ・インテンシファイ」

 その言葉と共に放たれるもの――肉眼では目視不可能な不可視の衝撃。束を中心に光速で駆け抜ける強烈無比の対コンピューター用ビーム兵器はホーミングミサイルに搭載された精密機器、敵を照準し相手へと誘導するためのシステムを焼き切り、ミサイル本体ではなくミサイルを制御するコンピューターシステムを完全に破壊した。
 突然FCSの制御から離れ、酔っ払ったようにあちこちへ四散するミサイルに弾は目を剥く。

『……誘導システムを焼き潰された?! EMPの類か?!』
『敵母体から照射された対コンピューター破壊兵器の一種と推測されます』

 流石に<アヌビス>の制御システムであるデルフィは相手のコンピューター破壊兵器の影響下でも問題なく稼動しているが――しかしホーミングミサイルの制御システムがそこまで高性能なCPUを搭載しているはずがない。あのクラスの低位な制御システムでは相手の攻撃に耐え切れなかったのだろう。

「ううん。一応メタトロンコンピューター破壊を想定して設計したCDSだけども、流石に<アヌビス>を無力化するのは無理みたいだね♪」
『馬鹿にしないでください』

 デルフィに似合わない少し怒ったような声――超高性能AIの自負だろうか。
 そんなデルフィの声に束は驚いた様子を見せない。自立した意識を持ち、人間と意思疎通も可能な人工知能程度は有り得ると予想していたのだろう。束はこちらへと接近――左肩に展開、接続した大型シールド……に酷似した電磁カタパルトをこちらに向ける。電磁レールへと電力供給を開始し、カタパルトに乗った九機の自立機動砲台を射出開始。左肩のシールドのように見える部位は、自立機動砲台を高速で前線に送り込むための兵装だ。その様はまるで空母から発進する戦闘機のよう。

『敵接近』

 デルフィの声。
 自立機動砲台が量子展開。淡い光と共にIS用の艦載機が瞬時にその小さな躯体を覆う装甲と巨大な推力器を展開し、3・5メートル近くの無人戦闘機へと変化する。いや、この場合は艦載機というより、寄生戦闘機(パラサイト・ファイター)という辺りが相応しいだろう。寄生戦闘機――有人戦闘機と無人爆撃機を結合させたミステル(独語でヤドリギの意)、プロジェクト・トムトム。考案こそされたが空中給油機の出現により廃れた設計思想。戦闘機を過去のものにした女が、歴史の変遷の中消えていった戦闘機の運搬システムを復活させているのはどこか皮肉だ。
 
『なるほど――強い!!』

 四方八方へと展開しながら、寄生戦闘機から攻撃が迫る。宇宙空間での機動能力は空力ではなく、推進器(スラスター)の数であると証明するように各所から膨大な推進炎を吐き出しながら迫り来る。<アヌビス>は一度似たような自立機動砲台と――<ブルー・ティアーズ>のものと闘った事があるが、束の機体から射出された寄生戦闘機は火力、機動性能、エネルギーシールドすら搭載した無人ISとでも言うべき性能を持っており、遥かに手ごわい。
 もちろん、それでも<アヌビス>はこの程度の相手に負ける訳が無い。
 問題は――こちらの攻撃を無効化した束のあの『魔銃』の能力の正体が未だに判明していない事だ。ここで寄生戦闘機に対して攻撃を仕掛け、エネルギーを吸収されて再びあの大出力攻撃を放たれてはいけない。寄生戦闘機に機動を拘束するように纏わりつかれた状態では、再度あの大出力砲撃を受けては回避は困難だ。

『だが――奴の能力の正体が見切れん以上……!!』
「<カーリー・ドゥルガー>の単一能力の正体は、『この世界の熱量を異なる平行世界へと放逐する能力』だよ♪」
『なにっ?!』
「そして<ラジェンドラ>の単一能力の正体は『この世界とは異なる平行世界から熱量を強奪する能力』だよ♪」
 
 思わぬところからの回答。今まさに敵対している相手から、己の持つ能力の正体を明かされ、弾はどういうつもりだ――と自問自答し、回答を出す事を諦める。笑顔――束の顔に浮ぶのは期待の表情。何となく分かった。

『……平行世界から熱量を奪い、放逐する能力――……そうか!!』

 力の正体、束のISの能力を理解する。同時に、その能力はエネルギー兵器を主体とする<アヌビス>にとって天敵とも言える相性の悪さであるという事もだ。

『……この世界から熱量を他の平行世界に放逐し、その放逐した熱量と同等の熱量を平行世界から奪うことで、相対的にプラスマイナスにする能力。つまりお前の能力の正体とは、無からエネルギーを引き出す、『世界の壁を越えることで熱力学第一法則に逆らう事無く正と負のエネルギーを無限に引き出す能力』……!!』
「そう、これが<ラジェンドラ>と<カーリー・ドゥルガー>の単一能力の正体、『マクスウェルズ・デモン』だよ!!」

 最悪だ――弾は相手の能力を理解する。
 先程のあの砲撃がハルバードと同等の威力を持つ理由が分かった。即ち、『魔銃』を搭載した<カーリー・ドゥルガー>の単一能力によって此処とは違う平行世界へと熱量を放逐し、そして『聖銃』を搭載した<ラジェンドラ>がその放逐した熱量と同等の熱量を奪い、破壊エネルギーとして使用してくる訳だ。
 この相手の能力は、<アヌビス>にとって相性としては最悪と言える。
<アヌビス>の主力武装は主にエネルギー武装。当然実弾武装もベクタートラップに格納しているが、ホーミングミサイルの誘導性能は相手の電子機器破壊能力で無効化され、直進する物理砲弾のガンドレットは<アヌビス>の武装の中では、主に相手を吹き飛ばす衝撃性能を重視しており――周囲に相手を叩き付けるための構造物が無い宇宙空間では有効打が見込めない。ましてやそれほど弾速に長けているわけでもなく、束を捉える事は困難だろう。

(……と、なれば……!!)

 勝機は接近戦しかない。
 相手のCDS攻撃はデルフィを破壊する事は出来ず、また奴の『マクスウェルズ・デモン』が作用するのはエネルギー兵器のみで物理的武装には影響が無いはずだ。
 ただしベクタートラップによる空間潜航モードによる隠密状態からの接近を持ちいれば相手は即座に攻撃目標をカタパルトに変更するだろう。もちろん、性格に大きな欠点を抱えていても天才と呼ぶに相応しい束がその事に気付かぬはずがない。こちらを懐に飛び込ませまいとする戦闘スタイルを取るのは間違いない。

 だが――<アヌビス>には切り札がある。

 今まで一度も使用していない最後の手段。奥の手。必殺技。
 束は天才だが最後の最後まで伏せていたジョーカーの存在まで見抜いているとは思えない。このシステムの封印を解けば、彼女が現在優勢であると思っている今の状況が、あっさり覆るだろう。
 しかし……弾はそれでも使用を躊躇い続けてきた。
<アヌビス>、そして元の世界での<ジェフティ><ドロレス><ハトール>が他のオービタルフレームと一線を画す能力を持っていた絶対的優位性。そのフレームランナーのうち二名はメタトロンの毒に犯され、何もかもを滅ぼす悪鬼と成り果てた。自分がそうならない保障は何処にもない。その場合、<アヌビス>に対抗可能な存在とは<ゲッターデメルンク>一機のみとなるが……あの憎悪の管理者の言動から鑑みて、むしろ正気を失った弾と共に虐殺行為に加担する可能性すらあった。
 切り札を使わない限り、束に勝利する事は難しく――だが切り札を使えば、世界滅亡すら可能性として浮上する。幾ら自分の命と夢が掛かっているとはいえ、容易には決断できない。

「束さんには――弾くんがどうしてそこまでメタトロンに拘るのかが分からないよ」

 再び己の元へ集結する寄生戦闘機群<ガルータ>を<カーリー・ドゥルガー>へと接続し、束は機を静止させながら不思議そうに呟いた。

『……そんなに不思議か?』
「うん。……ねぇ、弾くん。束さんが起こしたミサイル二千発事件って覚えてる?」

 知らないはずがない。今では歴史の教科書にも載っているような世界的大事件のあらましは子供でも知っている。今更そんな事を持ち出す彼女の言葉の意味がわからず、弾は<アヌビス>の中で眉を寄せる。
 
「あの時、束さんは凄くイライラしていた。あの頃から束さんは色々特許を取ったりして沢山お金を稼いで、そのお金でネレイダムからメタトロンを購入したり、ISの研究費用を捻出していたんだけど、折角作ったISは全く誰にも受け入れられなかった。
 ……宣伝しなくちゃ、そう思ったの」
『くそ迷惑な宣伝だったけどな』
「うん」

 弾の皮肉の篭った台詞に――意外な事に束はそれをあっさりと肯定した。

「メタトロンは――人の精神を歪める。あの時束さんは凄く、すごぉくイライラしていた。いっくんやちーちゃん、箒ちゃん以外なんてどうでもいいけど、束さんが作りたいものを大々的に作るためにはやっぱりもっともっと沢山のお金が必要で……でもやっぱり世の中の大勢は誰もISの将来性に投資しなかった。
 ……あのね、弾くん。最初期型の、束さんが使用していたISは――今よりずっと強力で、もっと大量のメタトロンを搭載していたんだ。それこそ……束さんの心に影響を及ぼし、正気を失わせるぐらいにはね」
『……お前……?』

 それは、聞き捨てならない台詞だった。
 ISが一躍有名になったあの事件。能力的にも動機的にも束博士以外に実行する犯人が存在しなかったあの事件の裏側に、メタトロンの毒が影響していた? 思わず目を剥く。

「別に天才の束さんとしては日本の中で三人だけ生き残っていてくれれば別に良かったし、それ以外が死んでも別になんとも思わなかったし、当時開発していた<白騎士>は二千発のミサイルを全て迎撃できるだけのスペックを備えていたという確証があったよ? でも――いっくんや箒ちゃんを巻き込まないどこか別の国にしようとは思っていたの。
 でも――メタトロンの毒が……束さんの精神に干渉した。束さんの事を認めないこの国なんて滅んでしまえという破滅的思考を拭い去る事が出来なかった」
『……死ぬほど迷惑だと気付いていないのか、お前』

 いないんだろうな、と一人呟く弾。
 だが、彼女のその三人に対する情愛だけは、多分本物なのだ。彼女は一度メタトロンの毒によって精神に異常をきたし――しかし狂気に浸されながらも、恐らくその三人に対する情愛を原動力として自分自身を正気へと還したのだ。弾の中にある前世に似た記憶の中でもこんな実例はまず存在していない。
 まさしく驚嘆に値する。
 そして――弾はほんの少しだけ、<アヌビス>の装甲の中で微笑んだ。

『……だが少しだけ安心したぜ、束博士』
「ん?」
『……メタトロンの毒を世界中に拡散させまいと言うあんたの言葉が本気であることはわかった。あんたが火星開発を邪魔するのは、自分が作ったISを上回る可能性のあるオービタルフレームが目障りだったからじゃなく、本気で今の世界を維持しようとしていたって事が理解できた。……その辺りに私心がない事は間違いなさそうだ。
 そして――改めて言わせてもらうぜ』

 弾は、言う。

『あんたは――賢者症候群(サヴァン・シンドローム)だ』
「え?」

 彼女は。
 その煌びやかな天才性に隠れて誰も気付いてはいなかったのかも知れないが、彼女はその天才性と引き換えに人として重要な部分が欠落している。
 超能力や異能とも言うべき超人的知性を保有する代償のように、常人ならば誰もが持ちうるものを欠落させた女性。
 興味が一定以上の水準を超さない限り記憶する事が出来ないコミュニケーション能力に対する欠如――だが、人は孤独で生きていける生き物ではない。だからこそ、彼女の中で認識できるたった四人、自分と千冬さんと一夏と箒さんに対して病的とも言うべき偏愛を注ぐ。

 分かったのだ――彼女が眼差しに浮かべるのは期待。自分に求めているのは賞賛の言葉。褒めて欲しいという欲求。

 弾は――そう考えつつ、彼女の言葉から推論を組み立て、言葉を続ける。

『……メタトロンの毒は、危険な代物だ。人間の精神を危険な奈落へと誘う力を秘めている。確かに火星開発にはそのリスクが伴う』
「だよね? 今からでもウーレンベックカタパルトを破壊して……」
『あんたは俺を加えた四人以外は認識できないある種の障害があるから想像できないかもしれないが、な。もっと有効な手はあった。
 メタトロン資源に対する副作用、その実害を様々なデータとして世界各国に送りつけてやれば良かったんだ。いかにアメリカ政府と言えども世界各国からそんな危険な代物を開発しようとしているのかと責め立てられればどうしても開発速度が落ちる。民衆の大意って奴は俺にだって倒せない。……だが、あんたはそれを選ぶことができない。世界中でたった数人しか人間と認識できない賢い白痴のあんたは大勢の人間の力を本質的に理解できないんだ』
「……面白い論理だね。でもそれがメタトロンの毒を知りつつも開発を推し進める元凶を取り除いたことにはならないね?」

 弾は<アヌビス>の中で目を伏せる。
 理解したことがひとつ存在する。それは弾ではなく以前の、別のダンの知識から来る推論だった。思い起こすのは――弾ではない別人の記憶。メタトロンの持つ可能性に狂喜し、そして開発途中に発覚したメタトロン技術に関する危険性を知った同僚達の絶望の表情。目の前の彼女と古い同僚達の眼差しに浮かぶのは明らかな畏れ。人知を超越した強大な力に触れることを恐怖する人間の目だった。

 弾は言う。

『……あんた、メタトロンアレルギーだ』
「……? 弾くん?」
『前の俺のいた世界にもいたのさ。メタトロンの持つその圧倒的な力に酔いしれながらも同時にそのメタトロンの毒に恐怖し、研究より手を引いた仲間達がな。だが――当時の俺は希望に燃えていた。火星人をエンダーとさげずみ、火星を強圧的に支配する地球人に目にもの見せてやろうとした。そのためならば――このメタトロンの毒なんぞに負けてやるものかと思ったものさ』

 そして、今度は己の言葉を使う。

「世界を滅ぼすほどの破壊をもたらす資源を発掘することを、どうしてためらわずにいられるの?」
『……なぁ、博士。あんたひとつでっかいこと忘れてるぜ? そもそも――今の世界にだって人類を七回滅亡させられるほどの核があるだろう。太陽系を消滅させての人類滅亡と地球消滅での人類滅亡も――どちらも等しく死だ。
 良いか? 世界を滅ぼすほどの破壊程度なんか、ずっと昔に出現しているのさ。だが、束博士。あんたの言葉は正しい。メタトロンの毒は危険な代物だ。事実俺の前世――といって良いのかよく分からんが――のいた世界では、メタトロンの毒によって精神に異常を来し、世界を滅ぼそうとした人間が二名出現した』

 向こうの世界でのラダム、ノウマン大佐。軌道エレベーター破壊による地球滅亡計画と、太陽系全土の消滅。
 最初は火星独立のためのメタトロン技術発掘だったにもかかわらず、全てを終わらせるほどの破壊によって危うく太陽系全土が消滅するところだった。

「……そこまで分かっていながら、どうしてメタトロン開発を中断しないの?」
『……俺さ。藤田先生の大ファンなんだ。個人的には科学者のオッサンオバサンが最初は悪役だった割に好きだったよ……』
「は?」

 文脈が繋がっていない唐突な発言に、珍しく唖然としたような声を漏らす束。弾は、あの物語の一節を口にする。

『……でも、人間はそれが悔しくてね、悔しくてできるようになろうとする……』

 ああ、そうだったのか。
 弾は、自分自身の口から零れ出ていく言葉で――自分が束博士に感じていた感情を理解する。怒りはある。憎しみも嫌悪も同様にだ。彼女の無遠慮でこちらの心情を全く理解していない言葉は腹が立つ。
 同時に弾は束博士のその実力だけは、悔しいが認めざるを得なかった。たった一人の力で世界を変えてみせるほどの能力。最終保護機能、シールド、PIC、コアなど従来兵器を置き去りにした圧倒的な性能。天才であることは認めていた。
 だから、彼女に対する怒りと同じぐらいに賞賛もしていたのだ。認めていたのだ――なのに、たった一人で世界を変えて見せたほどの凄い奴が、逃げている事が腹立たしかった。彼女がその気になればもっと凄いはずなのに、まるで頑張っていない事が……悔しいのだ。ファイトのない彼女に苛立ちを感じずにはいられないのだ。
 





『なぜ、戦わない……。なぜ出来ない事を出来るようになろうとしなかった……』
「え?」




 その言葉の意味が理解できず、束は大きく目を見開いて小さな声を漏らす。
 戦わない? 何と? 不思議そうにする彼女に弾は続けた。




『なぜ、メタトロンの毒と戦わなかった!! ……メタトロンが恐ろしい副作用を持っていると知っているなら――なぜその毒を克服する手段を捜さなかった!!』
「……?!」

 裂帛の怒気と共に放たれる言葉。怠慢を責める弾の激怒に束は――まるで背筋に走る困惑を誤魔化すように聖銃と魔銃を向ける。まるでこれ以上相手の言葉を聞き続ければ、目を背けていた事実を突きつけられるのだと言うように。
 聖銃が銃身に全てを焼き滅ぼす灼熱光を満たし発射――<アヌビス>ですら無視できぬ強烈な熱エネルギーが空を舐め、炎の舌で真空を蹂躙。それを回避した相手に対し、矢次早に繰り出されるのは全てを停止させる氷結エネルギーの乱流。肉体どころか魂魄に至るまで凍結させ保存するような凄まじいそれを、デゴイによる光学的欺瞞によって回避。

「メタトロンの毒の恐ろしさを知らない弾くんなんかに言われたくないよぉー!!」
『それでもだ、なぜ戦わなかった!! ……出来ない事に挑まず、不可能を解決せず、未知を解き明かそうとしない科学者にぃ、生きてる価値なんぞねぇだろうがああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 そのまま――<ウアスロッド>を構えて突撃。

『ああ確かにショックだろうさ……!! 自分の意図しないところでうっかり大切な人間を殺す可能性を生んだらそりゃショックで寝込むわ!! ……だが……お前天才なんだろうが……天才の癖にたかが一度の失敗で挫折して……何もかも諦めるな!!』

 或いは――その圧倒的な天才性ゆえに、彼女はそれまで唯の一度も挫折を経験した事がないのかもしれない。だからこそ、生涯初にして最悪の失敗ゆえに彼女は病的にメタトロンを嫌う。

「……メタトロンは危険なんだよ!! 精神を歪めるその副作用は今の人類が手にしたら……!」
『はっ、薄弱な反論だな……!! 科学技術の進歩と同時に人間の道徳心も比例して上昇するんならアメリカ開拓時代、インディアンが虐殺される訳が無い! 古代には聖人がいるし、現在にだって下種がいる!! 未来の人類が今より賢明って保障もねぇ!!』

 左肩の<カーリー・ドゥルガー>より射出される寄生戦闘機――それに対して弾はベクタートラップより、F・マインを展開。それを空いた腕で補綴し、相手に投擲。弾速の早いノーマルショットでF・マインに着火。爆発の圧力に紛れる。

『人類は進歩する! そして生活圏を広げるうちに、人類は大規模メタトロン鉱床と出会う。分かるか!! ISというあんたの脳髄から零れた奇跡ではなく、メタトロンは穴掘れば出てくるただの石ころなんだぞ!!』
「……それはっ!!」

 束は反論する事が出来ない。
 彼女とて分かっている。メタトロンは恐ろしい副作用を持つ資源だが――同時に確実に人類が出会うエネルギーだ。メタトロンの毒によって人類が滅びを迎える可能性は存在している。しかし、束博士がいかに努力しようとも、地球という惑星が養える人類の数には限界がある。そしてその場合増え続ける人口をまかなうために必要な開拓地は宇宙に求めるより他ない。そうすれば確実に人類は宇宙開発の途中でメタトロンと接触する。結局束が行っているメタトロン採掘に歯止めをかけようとする行為は……メタトロンの毒が世界を滅ぼすとするなら、彼女の行為はあくまで延命処理でしかないのだ。
 だけれども――束は自分を狂わせたメタトロンに対する生理的嫌悪感をいまだに克服できないでいた。それを開発することに対して本能的な恐れがあり――弾のその弾劾の言葉が、まるで自分の弱さを指摘されたかのように感じられたのである。
 束は顔を羞恥心で赤らめる。
 天才、天才ともてはやされた自分がひたすらに隠していたメタトロンに対する怯え、恐れ――心の弱さを指摘され、自分の秘密を暴かれまいと猛攻を仕掛ける。
 粉塵の衣を纏い、<アヌビス>は突進――束は顔を顰めながら右腕の<ラジェンドラ>の先端部を鏃のように変化させる。力場を展開。ウアスロッドの刺突を捌きながら距離を取るべく寄生戦闘機に攻撃命令。そのコアに、<アヌビス>の至近距離に突撃できたなら自爆も選択肢の一つに入れる事を許した。

『なぜ……頑張らない!! なぜ……メタトロンの毒と正面から戦わない!!』
「その毒が危険だと……!!」
『危険?! ああ、危険だ!! ……だが、メタトロンの毒は――所詮『現象』なんだぞ!! 人間が大量で高純度のメタトロンを一気に使用しなければ害が無い事すら分かっている代物なんだぞ!! 天才の癖に……諦めてんじゃねぇぇぇぇ!!』

 寄生戦闘機の数機が接近――同時に形状変化。ジェネレーターを意図的に暴走させ、可能な限りの破壊エネルギーを撒き散らす特攻へとシステムを変更する。ただただ一心不乱に相手に直撃する事を望むミサイルモードへと寄生戦闘機が変形。

「……黙れ……黙れぇぇぇぇぇぇ!!」

 弾の言葉は、束の弱さを弾劾する鞭のように彼女の心を打ち据える。それに耐えかねたようにいやいやと首を振りながら彼女は――寄生戦闘機の一斉起爆を命令した。
 その凄まじい爆発の光は、付近に存在していたウーレンベックカタパルトのみならず、地球上からでも観測可能なほどの破壊力を有していた。他のコアと比べて下等な性能しか持ちはしないが、いざと言う時の切り札として温存しておいたミサイルモード――その全てを一斉に起爆させたのだ。<アヌビス>と言えども相当の損害を与えているはずだ。

 
 撃破できたかどうかはまだ定かではない――念のためランダムな回避機動を描きつつハイパーセンサーの感度を上げて<アヌビス>を索敵。

 敵機警告。

『負けたくねぇ……』

 聞こえてくるのは弾の荒々しい呼吸の音――まるで傷口から流れる出血のように、<アヌビス>の機体表面を奔るメタトロン光が赤色に変質している。機体表層には目に見える損壊は確認できないが、しかしエネルギー反応は明らかに減少している。……効いている。無敵にすら思える<アヌビス>も不死身ではない――そう束は自分自身に言い聞かせる。

「……いいや、負けるよ。弾くん」

 束は自分自身の指摘された弱さを認めたくない。
 自分は天才だ。メタトロンの開発は認めるわけにはいかない――もしそれを認めてしまったら、かつて宇宙開発のために生み出したISを軍事用に転用した自分の行動は……まったく的外れな愚行でしかなかったことになってしまう。
 なにが、天才なのか。ここにいるのは自分自身の過ちを認めたがらない子供ではないのか? 束はそっと自嘲の笑みを浮かべた。

『……不可能に挑みもしなかった情けない女にも、人間の精神にひずみを入れて心を歪ませるメタトロンにも絶対に負けたくねぇ……』

 弾は、損害を冷静に告げるデルフィの言葉に――呻くように声を漏らす。
 呼び出すのは――<アヌビス>に搭載された最後の封印を解除するコマンド。YES/NOと表示されたそれを見ながら彼は、決断を下した。
 メタトロンの毒は危険だ。しかしメタトロンは人類がいずれ出会う資源エネルギーであり、その開発にはその危険性を熟知しなおかつ毒に負けないだけの意志力が必要となる。弾は唸るような声を漏らした。

 負けたくない。

 子供の頃、戦闘機に乗りたかった。自分自身が望めばどこへでもいける翼、誰も見たことのない地平の果てへ飛んでいくための機械。だが戦闘機という翼は奪われた。そして今新たに、誰も見たことのない地平の果てへ行くための機械を生み出し――それすらも今まさに奪われんとしている。
 
 負けたくない。

 不可能に挑まなかった女に、できないことをできようとしなかった科学者になど負けたくない。たった一度の失敗で再び挑むことをやめた女に負けたくない。たかが石ころ風情の分際で人間の精神を歪ませるメタトロンにも負けたくない。

『……人間様のやる事に口出しするな!! ……貴様は黙っていろ、メタトロン!!』

 最後の枷を外すべく、叫ぶ。
 負けたくない。

『篠ノ之束、メタトロン……俺はお前らを越えていく!! ……デルフィ!!』

 その言葉に、デルフィは――機械とは思えないほどの強い信頼を込めた声で答えた。



『……メタトロンを越えていくと心に決めた今の貴方になら、きっと、可能です』


 
 その言葉と共に、<アヌビス>に搭載されていた最後の機構が解放される。
 メタトロンの毒による精神を歪ませる副作用――<アヌビス>の絶対的優位性の一つである『システム』は、最新鋭メタトロン技術の結晶であり、同時に使用に伴う副作用も甚大であるため封印され続けてきたそれが……解き放たれる。<アヌビス>の内部に響き渡る警告アラート。モニター一面にウィンドウが乱舞する。その躯体内部から真紅のメタトロン光が膨れ上がっていく。
 赤い光の柱。そう形容するより他ない膨大なメタトロン光の発現。枷を掛けられた強大な力が解き放たれ、歓喜するかのように無作為に荒れ狂う。
 その光景に束は思わず息を呑んだ。先ほどまで大きく減少していた<アヌビス>のエネルギー反応が……減少どころか、徐々に上昇を始めているのだ。

「う、うそ……まさか……<アヌビス>は……」

 彼女といえども目の前で広がる強烈な真紅のメタトロン光が何を意味するのか――理解はできても容易には認めたくなかった。
 ハイパーセンサーが検出するエネルギー反応に瞠目する。それは先ほどまで戦っていた完全の状態の<アヌビス>よりもむしろ強烈になっている。事此処にいたって彼女も信じがたい事実を受け入れざるを得なくなった。このエネルギー量からして――今まで、アヌビス>は自分自身の性能にリミットを掛けていたことになる。
 だが、そんなことを誰が想像できようか。今まででさえ、人類すべての戦力を敵に回しても勝利しかねないほどの圧倒的戦闘力を保有していた<アヌビス>が今まで十全の力を発揮していなかったなど、俄かには信じられない。

「……今まで……本気を出していなかったっていうの?!」
『プログラム着床。<ANUBIS・Ver.2>へ移行完了』

 赤く染まっていたモニターが収束していく。デルフィの声には不思議と満足げな響きがあるように、弾には思えた。
 搭乗者の精神力の弱さゆえに、本来の性能を発揮できなかったのは――<アヌビス>を統括するデルフィからすればどことなく窮屈なものだったのだろう。弾は笑う。

『デルフィ』
『はい』
『……待たせて悪かったな――もし、俺がメタトロンの毒に犯され正気を失ったと判断したなら、お前は俺から操縦権限を取り上げて、ネレイダムかジェイムズさんのところへ移動して俺を排出しろ』
『了解』
『本当なら――お前と最初に会った時言った言葉通り、俺と共に自害してくれ、添い遂げようぜ――って言いたいところなんだが、悪いな。ゲッターデメルンクの事がある以上、迂闊にはできねぇ』
『問題ありません』

 デルフィは答える。

『先ほど言ったとおり、メタトロンを超えていくと心に決めた今の貴方になら、きっと可能です。……それと、忘れないでください。わたしの所有権は貴方にあります。わたしは貴方以外の誰かのものになることはできません』
『…………』
『脈拍、心拍数の増大を検知しました。どうしましたか?』
『…………………………………………このやりとりも懐かしいな』

 弾は苦笑し――<アヌビス>を束に向き直らせる。

「……まさか<アヌビス>が……未だに力を隠し持っていたなんてね」

 驚愕に震えながらも束は――しかし、と思考する。
 確かに<アヌビス>が未だに力を隠し持っていたことは驚きだ。だが<ラジェンドラ>と<カーリー・ドゥルガー>は熱量に関係なくあらゆるエネルギー武装を無効化し、その破壊力をそっくりそのまま相手へ打ち返す事ができる。相手の攻撃に用いる熱量が増大したのならばこちらの火力も同様に増大する。その事実が、束に戦闘の継続を決断させた。

「でも――如何に火力が増そうとも束さんを倒すのは不可能だよ?」
『……火力じゃあ……ないさ。<アヌビス>最強の切り札は火力じゃない。遥か星海の彼方へ行くための力――それの軍事転用さ』

 弾は小さく呟く。
 本来の性能を発揮すると共に増大するメタトロンの毒。そんな彼に正気を保たせるのは目の前の彼女に対する強烈な負けん気。遥か彼方へ進むことを阻もうとする相手への敵愾心。できないことをできようとする自分を阻む相手に対する科学者としての怒り。

『デルフィ!』
『了解』

 弾が自分でサブウェポンを選択するまでもない。束博士に勝利するためには――もはや<アヌビス>に搭載された最大の機構を解放するより他無く、弾とデルフィは思考を一致させる。<アヌビス>の機体後背に浮遊する非固定浮遊ユニットから膨大なエネルギーが溢れ、メタトロンの特性である空間圧縮能力を利用した機能が発揮され、空間が軋み光が歪んだ。
 サブウェポン――セット。弾の声、デルフィの声が響く。





『ゼロシフトォ!!』
『レディ』












 今週のNG



 織斑千冬の目の届かない時間――主に一夏に科学的トレーニングを施すのは、千冬教官の教え子であり、ドイツの現役の軍人でIS則であるラウラ・ボーデウィッヒであった。
 そんな彼女にもどうしても上手く行かない指導内容があった。
 織斑一夏のISである<白式>は今回セカンドフェイズへと移行し、目出度く射撃武装を搭載したのであるが――しかし元々近接戦闘しか想定していなかった機体に乗っていたことによるものか、射撃武装への習熟度が低い。ぶっちゃけ学年でも下から数えた方が早いだろう。

「そんな訳で、お前の射撃技能を底上げするためのライフルを用意した」
「これが?」

 そういう理由で放課後、グランドでラウラにある長大なライフルを渡された一夏は困ったようにそれを見た。
 近距離中距離戦を想定した単発式のライフル――しかし射撃に関して全く興味が無い一夏としては、射撃技術よりも近接戦闘力のトレーニングにもっと時間を割り振りたいのである。
 
「……でも普通のライフルと特に変わらないと思うけど」
「騙されたと思って使ってみろ。一度使用するだけで膨大な経験値が入るぞ」

 ふーん、と気乗りしないように呟く一夏。

「まずは、デュエルのスキルを会得して相手の胴体を確実に破壊できるようになれ。銃器スキルに習熟したらそのライフルからFV-24Bに買い換えろ。そしてスピード、スイッチのスキルを会得したら撃破効率が劇的に変わるぞ。その際、そのライフルで経験値を溜めていた事をきっと感謝するはずだ」
「……」

 一夏はラウラの言葉になんだか疑わしそうな表情。なんだ、スイッチとかスピードとかって――手渡されたライフルに目を向ける。

「……このライフル、なんて名前なんだ?」
「ツィーゲライフルだが」
「そりゃ強いよ!!」

 一夏は吹いた。無理もないが。ところで作者はスーファミ版でしかプレイしていなかったのだが、リメイク版でもこの経験値ごっそり武器は登場しているのだろうか。
 一夏のその様子に不満を覚えていると考えたのか、ラウラは難しい表情。

「不満か? ……だが、それ以上となると……流石にカレンデバイスはちょっと無理だぞ?」
「初プレイ時は本気で叫んだわー!!」

 一夏は怒鳴った。
 無理も無いが。

「……しかし剣聖シュメルも似たような事になったのにカレンデバイスほどショックじゃなかったなぁ」
「ヒロインとおっさんの差は残酷だな」

 酷い事を言う、一夏とラウラの二人であった。





 今週のNGその2

『俺はお前らを越えていく!! ……デルフィ!!』
『……メタトロンを越えていくと心に決めた今の貴方になら、きっと、可能です』
『ああ、そうさ!!』

 弾は力強く叫んだ。

『前回の戦いでパイロットポイントが100を越えたから、特殊スキル『精神耐性』を取ったしもう大丈夫だ!!』
『スパロボかい』

 デルフィは呆れたように応えた。当たり前だが。

『一応聞いておきますと、他にどんな特殊スキルを持っているのですか?』
『え? 『逆恨み』だけど』
『……IMPACTとはまた懐かしい。一夏さんがいるとそのマップでは攻撃力が1・5倍になるのですね。スキルとしても敵専用ですし、ラスボスラスボスと読者の皆様に言われた貴方らしい能力ですね』

 似合いすぎだ、とデルフィは思った。





作者註

 うう。前も酷い難産でしたが今回も酷い難産でした。
 最初の最初でちょっと後悔していたのは、ゼロシフトを封印していた<アヌビス>の塗装色を初代z.o.eでの塗装色にして、今回のVer.2でANUBIS z.o.eでの塗装色にすれば絵的にもよかったなぁと思っていました。
 でもやっとゼロシフト無双だ。あー、最初の辺りで封印してここまでの道のり長かった。
 


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