理想の教育ができなくなっている現場,という記事を読んだ。
果たして「理想の教育とは?」
と思い浮かんだので考えてみたい。
学校の熟議に出入りするようになり,地域や教職員が共に話し合う場が設けられるようになった。それ自体は素晴らしいこと。
学校は学校内の人だけではなく広く他者の目線でも語られ,それを聞くことが大切だから。
そして「理想の学校」や「理想の教育とは」「幸せとは」のような抽象的な問いが出てくる。
理想を教職員一人一人が持つことは大切だが,その理想は隣の人とはおそらく違っている。
概ねおんなじかもしれないけれど,まったく同じで重なっている,ということもないだろう。
例えば,将来幸せに生きていけるようにと願って,あれをしておかないと将来困る,それは将来のためにするべきだと子どもに指導する方。
今ここが見えなくなっているように見えることがある。一方で,先に生まれた人だから知っていることもあり,伝えたい気持ちも分かる。
あなたが理想とする教育は受け手である子どもたちから見た時にどのように映るのだろうか。
子どもたちからも受け入れられるものなのだろうか。これは子どもたちに聞いてみなければ分からない。
子どもたちにとって理想の先生とは?
理想の学校とは?
理想の教育とは?
結局エンドユーザーは誰なのか,なのかもしれない。