のんちのポケットに入れたい大切なもの

「みぃつけた!」な音楽、もの、ひと、ことばを綴る日記帳

ばあちゃんの箪笥とおかんの机

先日、おかんの家に泊まる時の自分用のベッドを思い切って購入した。国産ヒノキのスノコでできた折り畳み式のもの。 今後、おそらく、おかんの家に泊まりに来ることが増えていくだろうなと思っている。通い介護とまではいかないけど、今みたいに朝一緒にごはんを食べたり、話をしたり、ちょっとした家事のサポートをしたり、翌日の仕事に楽に行くためだったり(わたしの職場へは、おかんの団地の駐車場から約10分、わたしの家からだと朝の渋滞もあって1時間はかかる)、いろんな意味で。

 

 

ナースとして日々患者さんをみていて感じるのは、「ちょっとだけ目配りや手助けを増やす」この時期、この場面が一番大事なんだろうな、ということ。離れすぎても、何でもかんでも「危ないからやめといて」というのも、どっちも本人のきもちや実際のからだの動きに影響する。「あぁ、そういうことに心を配る年代になっているんだよな、やっぱり」と思う。そりゃそうなのだ。だって、おかんは5月18日で84歳ですぜ。

 

「お誕生日おめでとう」の文化は我が家には非常に薄いのだけど、別の用事もあってゆうべはおかん宅にお泊りした。久しぶりにおかんのPCを借りて、このブログを書いている。

 

本題に戻って・・・ おかんの寝室にギリギリねじ込んで私の布団を敷いて、それはそれでなんだか懐かしい感じがして嫌いではなかったのだけど、ずっと夜はひとりで寝ているので、できればひとりの時もあるとうれしいな、という感じ。連休中にベッドが届いたので、いままでは少し「物置き部屋」のように使われていた場所を模様替えして、わたしや相棒ちゃんが泊めてもらうときのお部屋にすることになった。

 

で、その部屋にあった、おかんの勉強机が話題に。「あんたのとこで活用してくれたらええんやけど」・・・・イコール、これは「持って帰ってちょうだい」というNOと言えない依頼(笑)。でも、これがまた、難易度の高いパズルのお題をいただいたようで、ちょっとワクワクするのだ。 先週末、力持ちの助っ人と一緒におかんの机を家に持ち帰った。

 

わたしは持ち帰る前からだいたいのイメージはつけていて、この机の居場所はわたしの部屋じゃなく台所だな、と思っていた。なぜかというと、「おかんのおかん」、わたしのばあちゃんの箪笥が台所(というか、位置的には脱衣場のすぐ横ということなんだが)に鎮座ましましていて、母娘、わたしには祖母と母の2人の「こだわりの家財道具」を眺めながら台所仕事をするのはとてもいいなぁと。それに、お空にいらっしゃるばあちゃん、じいちゃん、おばちゃん(おかんのすぐ下の妹)、おっちゃん(おかんの弟であり、ばあちゃんにとっては最強にかわいい「末っ子の長男」)との会話の場、「お仏壇もどき」もこのエリアにある。なんだか「おかん一族」の一員として「下宿屋の管理人さん」の気分なのだ。

 

このおかんの机登場にあっては、いままでの大御所(カップボード)に移動していただくほかなく、目下、その次なる活躍場所は思案中だけど、ばあちゃんの箪笥と、新たに仲間入りしたおかんの机は、これはもう、「おなじシリーズですか?」と尋ねたくなるフィット感。スペースに若干の詰め詰め感があるかなぁと心配したけれど、キャスターを活用したりして、とてもいい感じに仕上がった。

 

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おっと、ありとあらゆるガラスに生活感が映りまくっておりますが、もう、敢えてそのまま、載せてしまいましょう。オーブンレンジは今まで床からちょっとだけ上がった位置に置いていたけど、今回の場所のほうが断然料理はしやすくなった。机の引き出しには人に何かをお裾分けするガラスの小瓶や、ストックの液体調味料がシンデレラフィットで入った。引き出しを開けるときの、古い家具ならではの木と木が滑り合う音がまたイイのだ。

 

移動させた箪笥ともともとあるカウンターの隙間に大皿の定位置も決まったし(このちょっとしたスペースって本当に便利ですよね)、全部に納得。あとは少しずつカスタマイズしていけばいいと思う。

 

ばあちゃんとおかんは、お互いの人生に少しの余裕ができてきたときの交流というのがないまま終わってしまったと、孫のわたしからは感じている。もったいなかったな。多くは語らないばあちゃんだったけど、ひとつ印象的なエピソードがある。

 

わたしも弟もまだ小学生の頃、おかんがなにか政治的テーマで仲間と一緒に駅でビラをまきながらマイクで街宣していた。そこへおかんの親戚とおりがかったようで、後日ばあちゃんに、「あんたとこのむっちゃん、子どもほっといて駅でビラまきなんかしてたがな」と蔑みを丸出しにして情報提供したんだって。そしたらばあちゃんは、「むっちゃんは子どもをほったらかしになんかしてへん。むっちゃんにはむっちゃんの考えがあんねん。ほっといたってくれ。あんたになんの迷惑もかかってへんやろ」と言い放ったそうだ。

 

きっと、難しいところは話してなくても(ばあちゃんは小学校途中までしか行ってない。後に完全に独学でペン習字をして、新聞を読むところまで到達していた)、ばあちゃんはおかんの最大の理解者だったのだろう。

 

そういう2人の家財道具を集めたわたしの発想は、孫としてとてもイケてる気がする。ひ孫にあたる相棒ちゃんは「うわ、ばあちゃんの机や!」というところにだけ反応していたけど、いつか、そんなことを話してあげるチャンスがあったらと思う。

 

 

平和絵本つながり。

「この出来事をシェアしたい」とか「この気持ちを伝えたい」とか、「このこと、あの人ならどんな言葉で表現するだろうな」とか・・・。日々暮らしているなかで、ブログでつながっている人たちのことを思い浮かべることが、割とある。いや、結構ある。

 

一方で、ブログを書く環境から言うと、最近自分のノートPCが自宅になくて、まとまった文章をiPhoneで綴るのが苦手な私にとっては「書きたい気持ち」と「実際に書けること」のギャップがどんどん大きくなる。

 

喜怒哀楽や、しあわせなことやそうでないこと、忘れたいことや忘れたくないことを、もっといい意味で気軽に書けばいいのに、なんだろうな、書き始めるとついつい長くなって、そして、より深く考え込むきっかけになってしまったりして、余計に筆が重くなる、みたいな感じかな。

 

 

でも、やっぱり、ここでつながっている人には、ここで発信しないと伝わらない。伝えないまま日々が重なっていくのは、やっぱりもったいない、そう思う。

 

だから、ものすごく前からあたためていることも含め、遅れ遅れで書いていこうと思ってる。

 

そんなふうにあらためて思った最近の出来事を、今日は、書く。

 

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お目にかかったことはないけど、文章から、いつもぬくもりが伝わってくる、陽だまりみたいな、マー君のママさんが、ある絵本を紹介してくださった。

 

momo2448.hatenablog.com

 

「こどもの日」に寄せて、『だれのこどもも ころさせない」という一冊をチョイスされるそのお人柄、その「考え方」に、タイトルだけでぐっときて、いつもながらやさしい言葉の綴り方も含め、心動かされる。

 

「だれのこどもも」、「どのくにのこどもも」、命を奪われていい理由なんてないのに、どんどん、世界はその逆の回転をし続けていて、とんでもない「おとなたち」がそのことを正当化するための理由付けばかりしている。そのことを知らない「おとなたち」、知ろうとしない「おとなたち」がたくさんいる。でも同時に「このままじゃだめだ。何とか少しでもめざす社会に近づけたい」と思っている「おとな」だっている。行動している「おとなたち」も、ちゃんといる。わたしもそこにつながって、連なっていきたいと、マー君のママさんの記事を読ませてもらって強く思った。

 

それと、この絵本、日本・中国・韓国の3国の絵本作家たちが共同しているということにも感銘を受けた。東アジアで共に生きている私たちだけれど、本当に「共に」と言えるためには、過去の歴史に真摯に向き合うことが必要で、それは「自虐」でも何でもなく、「後ろ向き」でもない。

www.doshinsha.co.jp

 

全部で10作品あるという、この「平和絵本」シリーズ。私の本棚のなかの一冊が、このシリーズの仲間だと知った。

 

思わずマー君のママさんにコメント欄でお伝えした。以前にもマー君のママさんが紹介された絵本がわたしと相棒ちゃんのお気に入りの一冊だったことがあってすごくうれしかったのだけど、今回はまた格別の喜びがあった。

 

私の大切な絵本は、『非武装地帯に春がくると』(イ・オクベ作 おおたけきよみ訳)。

 

www.doshinsha.co.jp

 

 

朝鮮半島を南北に分断する「軍事境界線」(1953年の休戦の際に設置され、全長248kmにもわたる)から南北それぞれに2kmのところに鉄条網が張り巡らされている。その鉄条網と鉄条網の間が「非武装地帯」と呼ばれる空間で、文字通り「武装しない地域」。人の出入りも厳しく制限されている。

 

非武装地帯のそばにある展望台から、双眼鏡越しに見える北側の大地に想いを馳せるおじいちゃんと、人の出入りがほとんどできない非武装地帯だからこそ生き生きといのちを育む動植物たちがこの絵本の主人公。

 

夏も、秋も、冬も、鉄条網の向こうの、非武装地帯の向こうの、離れ離れになったままの大切な人(朝鮮戦争によって生き別れになった離散家族は1000万人ともいわれているが詳細は不明。その多くが、再会が叶わないまま亡くなっている)を想って双眼鏡を覗き込むおじいちゃんは、次の春には自分の足で北の地を踏んで、会いたい人に再会できることを願っている。固く閉ざされた「分断」という門をこじ開けて・・・。

 

 

朝鮮半島が南北に分断されていることに、日本は大きく関わっている。そしていま、日本の平和を語るとき、この南北分断が、私たちにとっても越えるべき壁であると思う。「(あの、まともじゃない)北朝鮮が攻めてきたらどうする?」ということをいつも前提にして日本の武装は進んでいる。本当にそうなのか?そうならないためには私たちに何ができるのか?そのことに言及するだけで危険人物に指定されてしまうから、国会でも「北の脅威」は揺るぎない、疑いのないものになっている。でも、私たちは一体何を知っているのか、何を理解しているのか。

 

それに、朝鮮半島の南にも北にも、ひとは暮らしているという当たり前のことが頭から抜けてはいけないと思うのだ。そこに暮らすひとたちのことを、おなじ「ひと」として想像したい。私たちは勝手に誰かの都合で敵や味方にされてはいけない。ましてや、その流れを子どもたちに引き継がせてはいけない。

 

絵本の写真を何枚も撮ってアップしかけていたのだけど、著作権のことを考えると、どこまで大丈夫なのか、わからなくなってきたので、ぜひ出版社のホームページからご覧いただけたらと思う。

 

非武装地帯に息づくさまざまないのち。

 

門をこじ開けたいおじいさんの想い。

 

子どもたちの心に、まっすぐ、やさしく、あたりまえのことが届くと思う。

 

この絵本を含めたシリーズが、過去の歴史のなかで加害国であり、被害国である日・中・韓の作家のみなさんのひたむきな共同によってつくられたことに心から敬意を表しつつ、紹介してくださったマー君のママさんに、そして熱心にコメントを書かれた読者のみなさんに、心を寄せたい。

 

 

まあまあ満足。

ゴールデンウィーク、あっけなく終わった。

 

でも、やろうと思っていたことは、割とできた。

 

◆おかんの家の細々としたお掃除。

 

◆ゴールデンウィークの谷間の平日に休みを取って父の銀行への送迎。これは相棒ちゃんのサポートなしには無理だった。本当に最強の助っ人だった。

 

◆自分の服の整理。それなりに大事にしてきた服やバッグを10円とか50円とか、果ては「お値段つきません」などと買い叩かれるのが悲しいのと、衣類ゴミが地球に溢れていることが気になって、なかなか手をつけられずにきたのだけど、「古着でワクチン」という方法を知って、気持ちよく、潔く、服も小物も寄付することにした。

 

◆相棒ちゃんにつきあって新作のコナンの映画を観に行った。IMAXという、大迫力のシアターで観たのに、毎度のこと、途中で寝てしまった。相棒ちゃんが何度か肩をツンツンして起こしてくれたけど、最後は隣の空席に上半身が傾くほど爆睡してしまって、帰り道で相棒ちゃんに「感想言い合いたかったのに、ほんまおかあさんイケてない」と笑われた。申し訳なかったけど、なんだか幸せなひとときだった。コナンの映画はそのうち内緒で割引のレイトショーでリベンジして、相棒ちゃんと会話を成立させるつもりであります。

 

◆最終日は、自宅のお風呂でキャンドルなどを灯して、アロマオイルを垂らしてみた。iPhoneでノラ・ジョーンズを流して長風呂をした。

 

書類仕事がたまっていたので、カレンダーより1日早く終わったゴールデンウィークだったけど、まあまあ満足だった。なんでもない日々が、実は何でもなくない。年々、そう感じる。

 

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起こそう、バックラッシュ。

マスコミ総動員で、周到に無関心をつくりだそうとしたけど、それをも突破して、自民党を全敗に追い込んだ人びと、ほんとにすごいと思う。

 

「立憲民主党が全勝した」という括り方をしないで、一人ひとりの投票が自民党政治を終わらせたいという一点に結晶みたいにつながりあったことに心を寄せたい。

 

先日、ある人から「この政治に、この社会の有り様に、ここからバックラッシュを起こさなきゃ」という言葉をもらった。今回の補欠選挙の結果は、私たちにそれができるんだっていう希望のかたまりみたいなものだと思う。

 

みんな、何がなんでも選挙に行こう。

 

仕事で疲れても、家事に追われても、おかんとケンカしても、相棒ちゃんと韓国ドラマに涙しても、おいしいものを食べても、何をしてても、自治体選挙でも、国政選挙でも、必ず選挙に行こうって、あらためて思う。みんなも、行こう。

 

今のままじゃ、生きづらいってことを、ちゃんと示そう。

 

起こそう、わたしのバックラッシュ。

 

起こせる、わたしたちのバックラッシュ!

 

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母の日とおかんの誕生日のお祝いを兼ねて、おかん宅のベランダにスノコタイルを敷いてあげた。「こんなに穏やかに、親孝行してる場合じゃないでー」と思いながら、それでも、おかんが喜ぶと、うれしいのでありました。

 

 

食べることを大切に。

今日働いたら、連休。

 

連休は、おかんと父の用事がいろいろあって、前半はほぼそちらに投入予定。

 

来週末の連休が、「ホントのお休み」。

 

今朝も仕事前におかんと朝ごはん。

 

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瓶に詰めてきた八朔ジャム、ナッツとレーズンといっしょにプレーンヨーグルトにたっぷりと。

 

ブログを通じて出会った人たちから、いろんなことを教わってきたこの数年間。

 

なかでも、これからの人生で、ずっとわたしのポケットに入れておきたい最高の「教え」のひとつは、食べることを大切にするってこと、楽しむってこと。

 

誰と食べる時も、ひとりで食べる時も、何を食べる時も。

 

大事なことを教えてくれた、出会いに、感謝。

 

 

これぞ「橙色」。

小学生の時、色鉛筆といえば12色がスタンダードで、24色を持っていたらちょっとした自慢だった。

 

「だいだいいろ」という色があって、つまりオレンジ色で、当時は「だいだいって、何やろ?」と思っていたよなぁ。いつ「橙色」の意味がわかったんだっけな?

 

八朔でジャムを作りながら、そんなことを懐かしく思い起こしたりしている。

 

このジャム、プレーンヨーグルトにかけたら最高においしいんです。

 

明日の朝が、楽しみ。

 

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ほら、まさに「橙色」でしょ?

 

突然、ハンバーガー。

早朝のトイレ&お風呂場掃除のあと、洗濯をして、ガスコンロの周りを拭き掃除して、リメイクするつもりの着物たちの中から、おかん用と自分用を一枚ずつチョイスして、少しだけ部屋の片付けをしたら、もういい時間になっていた。

 

夕飯、相棒ちゃんは今日も居酒屋さんのバイトで不在。なんと30人の団体さんのご予約らしい。ほぼ貸し切り規模だけど、貸し切りにはしないんだって。お酒も入ると余計にいろんなお客さんがいるから、大変らしいけど、そういう時ほど、やたら闘志がメラメラくるらしいので、おとなに連れられて来た子どもたちのワチャワチャもひっくるめて、テキパキと対応するんだろう。大変だな。

 

というわけで、相棒ちゃん不在の夕飯、なんとなくテンションが上がりにくいから、ちょっとおもしろいものを作ろう、と思い立ちまして。

 

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ハンバーガー、作ってみた。

ちゃんと玉ねぎも焼いてサンドしてある。ハンバーグのタネを、焼き上がりにちょっと縮むことを想定して薄く広げたら、ジャストサイズ。ナイスやん、わたし。

 

コーンスープといっしょにひとりで頬張って、ハンバーガーの写真をバイト中の相棒ちゃんに送ったら、「ちょっと待って、めっちゃうまそうやんか」と即返信アリ。深夜のハンバーガー、ちょっと罪だけどね。

 

さぁ、洗い物も終わったし、今夜こそ、本を読もう。読みたかった本、先日、本屋さんで手に取ったのに「積ん読」増産に一瞬怯んでしまって買えなかった。結局、やっぱり気になって気になって、ネット注文した。やっぱりね、本もひとも「出会い」が大切。心ひかれたときは、素直に従うべし。

 

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土曜日の夜、なんだか贅沢な時間。まだまだこれからだ。