デビット・ライス

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デビット・ライス

はてなブログ 道徳的動物日記 http://davitrice.hatenadiary.jp/ THE★映画日記 https://theeigadiary.hatenablog.com/

最近の記事

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アイデンティティとしての"在日アメリカ人"

これまでにもTwitterで身辺のことを書いたりはてなブログに様々な記事を投稿したりしてきたが、「自分がどういう人間であるか」ということをまとまった文章で書く機会はなかった。 いまは失業中で時間だけはたっぷりとある身分のことだ。1月に31歳になったばかりだが、東京に引越しして社会人生活や一人暮らしを開始してから2年以上が経過しており、一人前の大人としての生活にもようやく慣れたところだ。また失業なんてそうそうできることではなく、次に就職したら、それからしばらくは働き続けてなけ

    • 続・緊急事態とわたし

         ↑ 先日の記事のつづきというか、繰り返し。  やはりというか、転職活動の情勢は緊急事態宣言が出た途端に目に見えて悪くなった。以前までならけっこう多くの会社を書類選考はパスして面接まで行ったりしていた会社がいくつかあったところだが、いまはどれだけ応募しても書類選考の段階で不合格になってしまう。実際のところはわからないが、求人の数自体や採用人数が露骨に絞られている気がするし、一方で応募者は反比例して多くなっているような気がする。  この緊急事態の下にいると、無職でいる

      • 緊急事態とわたし

         なんかTwitterで「こんな非常事態だからこそ、後の世の人々が参照できる歴史的な記録として、市井の人々は日記や所感や随想を公開して残しておくべきだ」的な意見が流れてきて、「なるほど」と思ったので、自分の現在の状況に関する所感を残すことにした。  気が付いたら東京(と他のいくつかの都市)に緊急事態宣言が出てしまい、映画館が軒並み閉まることになった。他にも文化施設とか運動施設とか夜の飲み屋とか閉まるものはいくつかあるのだろうが、そこらへんは普段から行くことがないのでわたしに

        • 文学から遠く離れて

           大学時代はいっぱい小説を読んでいたし、自分でもたくさん小説を書いていた。大学2年生のときには取得単位はゼロだったのだが、それは小説を読んだり書いたりすることに時間が取られすぎて授業や試験に出るヒマがなかったからである。(授業や試験に出ていなかっただけで、大学に行っていなかったわけではない。家にずっといると親に疑われたり怒られたりするから、文芸部の部室で作業をしていることも多かった。部室の閉まる夜の9時過ぎまで作業していることも多かったし、大学で授業が行われていない休日にも通

        • 固定された記事

        アイデンティティとしての"在日アメリカ人"

          わたしが「自由」が苦手な理由

           心理学の本を開くと、こんなことが書かれている場合がある。 「自由主義や保守主義などの政治的なイデオロギーを主張している人たちは、表向きには論理的に各イデオロギーの主張を検討した結果として納得のいったいずれかのイデオロギーを論理的に支持しているように見えるが、実際にはどのようなイデオロギーを支持するかは心理的・生得的な要因に左右されている。自由主義を支持する人は、自由主義が正しいから支持しているのではなく、その人が生得的に自由主義的な傾向を持っているからだ。保守主義を支持す

          わたしが「自由」が苦手な理由

          文系大学生に身に付けてほしい7つの能力

          「学問」や「大学」に関するSNSの論調やネットの記事などでは「学問の面白さ」「勉強の楽しさ」ばかりが強調される傾向があるが、学問とは面白くないものである。すくなくとも、論文を書いたり研究をしたりすることは、大半の人にとっては面白くない。  特に卒論を書くことは面白くない。論文というものには新規性とか学問的意義とかが必要になるから、過去の膨大な文献とか資料とかを漁った挙句にそれらでまだ論じられていないテーマや論題をひねり出してこなければならないが、論じる価値のある物事なんでも

          文系大学生に身に付けてほしい7つの能力

          わたしと文学部

           いまから思えば後悔するところがないのではないのだが、大学に入学するとき、進路や専攻をかなり適当に決めてしまった。  ほかの記事でも触れたと思うが、東京の大学に進学することを親が許してくれなかったので受験勉強全般に対する意欲が下がっていたのだ。「関西の大学から、勉強しなくても点数が取れる英語と現代文だけでイケる学部をまず探して、そのなかでいちばん偏差値の高いところにしよう」と考えた、その結果、立命館に入学することにした。当時の立命館には英語200点、英語リスニング100点、

          わたしと文学部

          お酒とわたし

           自分の飲酒量について改めてふりかえってみると、人生がうまくいっていない時期には飲酒量が増えてしまうし、多少はマシな時期には飲酒量が減る。人と会いに行ったり会社などの集団の飲み会に参加する機会は年々減っているとはいえ、わたしは一人で酒を飲む習慣を身に付けてしまっている。むしろ人と会わない時期であればあるほど、飲酒量が増えてしまう。これは不安をまぎらわせるためでもあるし、孤独をまぎらわせるためでもある。  そもそもの問題点が、実家にいた頃から「晩酌」の習慣を身に付けてしまって

          「受験」に対するわたしの様々な思い

           ↑ 大学受験についてははてなブログの方でも何回か書いてきたし、今回書くことも上記の記事などで書いてきたものと被る部分がある。しかし、朝起きて「今日は何を書こうかなあ」と頭をめぐらしていると、ついつい受験について書きたくなる。それくらい受験というものはわたしの人生や価値観に影響を及ぼしているし、わたしは受験というものが嫌いなのである。  東京の街を歩いていてうんざりさせられることの一つが(東京の街にはわたしをうんざりさせることがいっぱいあるのだが)、予備校の多さだ。京都にも

          「受験」に対するわたしの様々な思い

          何が好きかより何が嫌いかを語ろう

          『魁!クロマティ高校』という漫画のなかに、「プータン」という芸名で活動する着ぐるみを被った芸人のキャラクターが出てくる。いま手元に単行本がないのでうろ覚えになってしまうが、こんなエピソードがあった。プータンがテレビ番組のグルメレポートをするのだが、なにを食べてもグルメレポートらしいことを言わずに、「普通」とか「うまい」と一言呟くだけで済ませてしまうのだ。  なんてことのないネタであるが、このエピソードは「感想」というものの本質を突いている。美味しい食べ物を食べたときにグルメ

          何が好きかより何が嫌いかを語ろう

          読まれやすくわかりやすい文章を書くことについて

           SNSでつぶやいたりブログに日記を書いたりするということの特徴は、その文章が個人的なものであるとともに他人に共有するものでもあることだ。鍵アカでつぶやいたり非公開の日記に書いたりするのでなければ、必然的に自分以外の他人にもその文章が見られることになるし、場合によってはシェアされて拡散する。  このことは良し悪しだ。誰もが自分の思ったことを書いたり自分の意見を発信できることは、基本的には良いことだろう。また、自分の文章を他人に読んでもらうことの充実感や拡散されることの爽快感

          読まれやすくわかりやすい文章を書くことについて

          東京を地続きで歩く

           東京で生活を始めたところで金がないからできることは限られている。そのため、休日や仕事がない期間でも街を歩くことくらいしかできることがない。幸いにして歩くことは金がかからないからだ。  世の中には歩くことが嫌いな人が意外といるもので、特に東京ではそんな人の数が多い。「田舎の人は自動車ばかり使うが都会の人はよく歩く」と言われることがあるが、嘘だと思う。みんな電車ばっかり使うからだ。それに東京の人は金にならないところに労力をかけることを嫌がるし、「効率が悪い」物事を嫌がるし、み

          東京を地続きで歩く

          SEOの哀しみ

           Twitterでどこかのカリスマブロガーが、現在はコロナウィルスに関する記事を書くことがブロガーにとってチャンスであると発信して、叩かれていた。  叩かれて当たり前の発言ではあるが、SEOを意識したアフィリエイトブログを書いてそれで儲けようと思っている人なら、当然こういう発想になるだろうという気はする。おそらく、既にそういうブログ記事は大量に生産されているだろう。また、 YouTuberたちを見てみても、やはりコロナウィルスに関するなんらかの動画を撮影して投稿して、それで

          京都を歩き尽くすこと

           京都といえば「学生の街」というイメージが強いが、言うまでもなく、京都には学生ではない人間も住んでいる。京都に生まれて、ずっと京都に暮らしている人間もいるものだ。そして、京都に生まれて暮らしている若者のなかには京都の大学に行く人も多い。そこで、京都以外の他の地方出身の友人を作ることもあるものだ。  このことにはある種の寂しさがつきまとう。というのも、他の地方出身の友人の大半は、大学を卒業したらもう京都からはいなくなるからだ。京都では東京や大阪のようには企業の数が多くないから

          京都を歩き尽くすこと

          「有能さ」についてわたしが発見したこと

           これは最近になって私が発見したことなのだが、大人という存在はその人の持っている「能力」で外部から自分の価値を計られてしまうものである。そして、これも私が発見したことなのだが、多くの場合に「給料」や「報酬」にはその人の持っている能力が関わってくる。お金を稼げるようになるためには、実は、なにかの「能力」が必要とされるのだ。さらに、「能力」はお金のことだけでなく人間関係にも関わってくるし、場合によっては本人のアイデンティティにも影響を与えることがある。これも30歳を過ぎた私ならで

          「有能さ」についてわたしが発見したこと

          仕事と、それに対する私の距離感

            "仕事"ということについて振りかえって思いを馳せるときにいつもゾッとさせられるのは、それが私の人生においていかに軽い扱いになっているか、ということだ。 「軽い扱い」といっても、私が意識的に「仕事なんてくだらないことを自分はするべきではない。なにか他の方法で一発当てるなり金持ちの女の人のヒモになるなり生活保護に頼るなりして、仕事をやらずに生きていくべきだ」と考えているわけではない。(…正直に言うと学生時代にはそういうことを考えていた時期もあったが、大半の不真面目な学生に

          仕事と、それに対する私の距離感