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思考の枠を超える tiny.cc/cl7kuz ひらめかない人のためのイノベーションの技法 tiny.cc/bl7kuz 子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法 tiny.cc/al7kuz 自分の頭で考えて動く部下の育て方 tiny.cc/8l7kuz

最近の記事

「森を見る」のは容易、「木を見る」のが超困難な時代

私の書き込みを見て「木を見て森を見ず、はいけませんね、森を見なければなりませんね、視野を広く持たなければ」というご意見が複数。私は逆だと思う。森ばかり見て木を見ないから木が荒れ、結果的に森も台無しにしてしまうのだと思う。もっと一本一本の木を丁寧に観察したほうがよい。 昔々は飛行機なんてなかった。遠くまで行ける自動車もなかった。ましてやインターネットもなかった。だから、広い視野でみること、俯瞰(ふかん)、鳥瞰(ちょうかん)することが困難だった。そんな時代だと「木を見て森を見ず

    • 具体的些末的な問題から「普遍」を見出す

      以前、哲学をやっているという人から「篠原さんももっと高尚で難解な形而上の問題に取り組めばいいのに」と勧められたことがある。あいにく私はそうしたことに関心がない。もちろん、そうしたところに突入していく人には敬意を持っている。私にはできない芸当だと認めている。他方。 私はそうした難しいことを考えるのが苦手。そもそも興味も湧かない。ほかの人が達成したことに「へえ!」と驚き、感心はする。面白いとも思う。でも自分がそれをしたいとは思わない。興味関心もないし、私はそうしたことが苦手だと

      • 湯婆婆的自己犠牲

        「自己犠牲」考。 誰かのために損得勘定を抜きにして、いや、損ばかりであっても献身的に他人のために尽くす。これはとても美しい行為とみなされがち。しかし、とても利己的な「自己犠牲」もある。表面上では何の得もないけれど、明らかに自分のためにしている自己犠牲。それはどんなものか。 その人が自分で生きていく力を奪うような自己犠牲。しばしば、こうした事例を見ることがある。 「千と千尋の神隠し」では、湯婆婆が、我が子の「坊」が大きくなっても赤ちゃんのまま、自分に依存しないと生きていけない

        • その「食品ロス」は本当に食品ロスなのか?

          食品ロス削減に熱心な学生が演壇に上り、「農家の現場ではまだ十分食べられる野菜が大量に捨てられているのを見てショックだった、これを売って食べれば食品ロスは減らせる。規格に合った野菜だけを売るのはおかしい」と訴えていた。会場にいる人達もウンウンとうなづいていた。 そんな中、私に話が振られた。「実は規格外の野菜を出荷しようとすると食品ロスが増える」という話を始めた。 「曲がったキュウリは箱の中にうまく収納できず、輸送中にガサゴソ動く。するとスーパーに届く頃には傷だらけになる。かた

        「森を見る」のは容易、「木を見る」のが超困難な時代

          「FIRE人」考

          「FIRE」という生き方に憧れる人が増えているらしい。投資でお金を増やし、働かずに生きていくという生き方。これについてはいろんな人がすでに議論しているし、クロ現でも特集を組んでるくらいだからすでに意を尽くしているかもしれないけど、私なりに言語化してみる。 まず思うのは、FIRE人が増えると社会としては困ったことになるのだろうな、ということ。FIRE人はお金を払うけど、働かない。ということは、労働者が減るということ。労働者が減ると、お金を払うと言っても労働を提供してもらえない

          「FIRE人」考

          「ユマニチュード入門」抜粋

          人間の、動物の部分である基本的欲求に関してのみケアを行う人は「人間を専門とする獣医」 です。 「ユマニチュード入門」p.32 脆弱な状態にある高齢者や疾患をもつ人も、他者との関係に着目すると、赤ちゃんと同じ状況にあるといえます。 ユマニチュードは、この「人と人との関係性」に着目したケアの技法です。 「ユマニチュード入門」p.33 ユマニチュードの理念は絆です。 人間は相手がいなければ存在できません。 あなたがわたしに対して人として尊重した態度をとり、人として尊重して話しか

          「ユマニチュード入門」抜粋

          庶民のお金がお金持ちと外国人に捧げ物にされる構図

          新NISAは、外国人投資家に売り抜けで儲けさせるだけなのでは?と感じる。バブルの頃、優良顧客を儲けさすため、零細投資家に株を買わせ、優良顧客に売り抜けさせるということを証券会社がやっていたのを聞いてる。もちろん零細投資家は大損。これと同じ構図が、国民全体で行われてるとすると・・・。 バブルの頃、土地ころがしという手法が行われていた。土地がどんどん値上がりしながら取引されてるように仲間うちで見せかける。すると素人は「今買わないともっと値上がりするかも!」と焦って高値づかみさせ

          庶民のお金がお金持ちと外国人に捧げ物にされる構図

          赤ちゃんを「赤ちゃん扱い」することはできない

          今、「ユマニチュード入門」を読んでる最中。クロ現でジネストさんの映像を見て衝撃を受けてからユマニチュードには強い関心を持っていたのだけど、ようやく本を読み始めることに。そして「ごっつ面白い」。まだ読んでる最中だけど、書かずにいられないのでちょっと書く。 高齢者介護を考えるこの本では、「赤ちゃんと接するとき」に自然にしてしまう動作・しぐさを見習っている。これ、拙著と奇妙にも強く符号している。 拙著では、赤ちゃんへの親の接し方は理想的だと指摘し、そこから部下の育て方や子育ての方

          赤ちゃんを「赤ちゃん扱い」することはできない

          弁証法=産婆術

          ソクラテスといえば弁証法で有名。天才プロタゴラスやゴルギアスらを弁証法で論破した華々しさが、多くの人々を惹きつけてやまないからかもしれない。 実際、解説書の多くが、弁証法を中心に解説しがち。しかし私は、誰かを言い負かすいけ好かん方法にそんな価値があると思えない。 ソクラテス自身は、自分の特技を「産婆術」だと言っている。誰かを言い負かす技術ではなく、無知な者同士が問いかけ合うことで、互いに知らなかったことを発見する技術。知が誕生するのを助ける技術として、自身のその技術を産婆術

          弁証法=産婆術

          哲学・思想は社会のOS

          「刀剣女子」が一時話題になった。日本の名刀の展示会に、それまでは全くと言ってよいほど姿を見せなかった女性が来るようになったらしい。しかもマニアを唸らせる知識を持っていたり。名刀をイケメンに擬人化したゲームが流行ったことがきっかけだったという。 昔、NHK教育(Eテレ)の芸術系番組といえば、真面目くさった、難しい言葉を羅列した解説が普通だった。そんな中、「びじゅチューン」という短い動画が放映されるように。そこではいろんな芸術作品がおちょくられる。ミロのヴィーナスは学級委員長に

          哲学・思想は社会のOS

          名越康文「驚く力」引用

          「ほめて伸ばす教育」ということが言われます。でも、「ほめてあげる」という姿勢には、「ほめる人」の感動が感じられません。上から目線で、心が動かされている感じがありませんよね。一方、本当に上手に人をほめる人というのは、必ず非常に豊かな「驚く力」を持っています。 名越康文「驚く力」p.30 というのも、ほめる人が驚いている かどうかは、子供や生徒など、教えられる立場の人に必ず伝わっているからです。そして、ほめる側の心に「驚き」が伴ったときの「ほめ」には、そうでないときの何倍もの力

          名越康文「驚く力」引用

          奇妙な経歴

          2001年入省の官僚の間では、私はちょっとした有名人だった。新人研修のとき、事務次官だろうが誰だろうがズバズバ質問するので、「どうせ篠原が質問するんだから最初からマイク渡しとけ」と言われるほど。当時の新聞で「今年の新人はえらくやる気がある」と評されていたのは、たぶん私のせい。 そんな私を蛇蝎の如く嫌う同期と、面白がる同期とにスパンと分かれた。そりゃまあ、これから出世したいと思う人間は、私と親しいなんて思われたら迷惑だと思ったに違いない。けれど不思議なことに、私に触発されてズ

          奇妙な経歴

          短所を見るな、長所を伸ばせ

          父はよく「短所を見るな、長所を見ろ、長所と短所は表裏一体、長所を伸ばせば短所は隠れる、長所を伸ばせ」と言っていた。 弟たちは成績優秀で、特に上の弟は美術、技術がオール5、下の弟は体育がオール5。かたや私はどれもパッとしない。オール3、時々2。 才能では全く恵まれていなかったと思う。そんな三兄弟のそれぞれの長所を、父はどう評していたかというと、「信の粘り、次男のひらめき、三男の集中力」と繰り返していた。次男は小さな頃から確かにひらめきがあり、木のスプーンなんか見たこともないの

          短所を見るな、長所を伸ばせ

          細胞も人間も「関係性」が大切

          たった一個の受精卵から、60兆個もの細胞からなる人体ができあがるということの神秘、不思議。しかも、心臓の細胞を腎臓のところに植え付けても腎臓細胞の代わりにはならず、皮膚の細胞を小腸に移植しても機能しない。元は一個の細胞でも、もはや全然違うものに化けてしまう不思議。 たった一個の細胞が60兆個もの細胞の宿命をデザインしていることの驚異。これはすごいこと。本当かいなと信じがたくなるほど。 でもここで一つ注意しなければならないことがある。遺伝子はすべてをプログラムしてるわけではな

          細胞も人間も「関係性」が大切

          「全否定」してたらキリがない

          デカルトと言えば「我思うゆえに我あり、でしょ!」とか、「心身二元論だよね!心と体を別々に分ける考え方がいろんな問題を引き起こした!」とか、主にその2点がやり玉にあがることが多いのだけれど、私はそこ、あまり重要ではないと考えている。デカルトが厄介なのは「全否定」だと思う。 デカルトの生きた時代はキリスト教が二つに分裂していた。旧教(カソリック)と新教(プロテスタント)。互いに自分こそが正しい、相手が間違っていると批判し合って、ついには聖バーソロミューの虐殺と呼ばれる大虐殺事件

          「全否定」してたらキリがない

          立憲民主党の地すべり的勝利は馬場代表(維新)のおかげ?

          今回の補選の立憲民主党の地滑り的勝利は、自民のガタガタぶりも大きいけど、維新の馬場代表による「ナイスアシスト」がかなり効果的だった気がする。 馬場氏は野党でありながら、与党である自民党を批判するのではなく、やたら立憲民主党にばかりかみついていた。これは裏メッセージとして、 「野党第一党の立憲民主党を叩き潰すのは、我々維新にお任せあれ」と、自民党に秋波を送っていると見られても仕方なかった。私はそう感じたし、自民党もそれを感じ取っていたのではないか。立憲民主党を叩き潰し、安倍政

          立憲民主党の地すべり的勝利は馬場代表(維新)のおかげ?