マガジンのカバー画像

チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな… もっと読む
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになる… もっと詳しく
¥1,000 / 月
運営しているクリエイター

記事一覧

通天閣。2013年4月

それで街撮影のカメラは小型の方がいいという事実に今更ながら気がついた。 二十八ぶりに大阪に長滞在して週末に「帰国」した。帰国というのは実感であって、十年 ほど前にオーストリア航空でよくプラハやウイーンにいったことがあって(ビジネスクラ スが成田発より安かった)帰りは関空に着くのであるが、これが午前6時の到着である。 ANAの乗り継ぎは午後までないので、南海電車?でなんばに行った。この時の印象は不 思議なものであった。 旅路の果ての「世界のもっとも遠い都市」なのである。心斎橋の

雑司が谷の5軒長屋の50年

雑司が谷の鬼子母神界隈は^_^好きな街並みである。木造の5軒長屋というのがあって、私が大学時代にそこを通りかかった時に、ニコンエフに28ミリの広角レンズでサッカーボールで遊んでいる少年を撮影した。

有料
200

ソ連製の腕時計

10数年ほど前のことだ。Penと言う名前の雑誌で第二特集でソ連製の腕時計をやることに なった。それで当時のeBayで海外からソ連製の時計を買いまくったのである。その数 200位ではないかと思う。といっても大した事ではなくていっこの腕時計が10ドルとし てもトータルで2,000ドルと言うわけだ。 それでも向こうの業者さんにバイアと勘違いされたこともある。 その時あまりいい加減も書けないのでロシアの時計の歴史を簡単に調べたら確か最初の時 計が国内で作られたのは1925年のことで

日本の家か?ヨーロッパの家?

私の好きな雑司が谷の裏通りを歩いている時などに、いきなりスペインの片田舎の街並みの一鶴が目の前に現れてびっくりすることがある。最近の注文建築であって、スペインであろうが、ロンドンであろうが、南フランスであろうが、それに似た雰囲気の注文住宅が1つの小さな街のブロックとして出現すると言うのは凄いことだと思う。日本全国町中がディズニーランドと言うわけだ。

有料
200

赤瀬川さんが好きだった。35ミリファインダー

赤瀬川原平さんがこの昔のライカの35ミリのファインダーについての魅力をいろいろな ところに書いていらっしゃった。 その中のであったと記憶するが銀座Sanカメラで2つの同じファインダーがあって1つはと びきり高くて1つはそれよりちょっと安い。 どちらをかうか迷っているときにそこに私が やってきたのだそうである。それで私は安い方が良いと進言したら赤瀬川さんはそれでは 高い方にしますと言って高い方を買われた。当時このファインダーが非常に高くてちゃん としたものだったら50,000

リスボンの黄色い電車はなかなか来ない

1980年の秋に初めてリスボンに行って、この黄色い電車にふられたわけである。1890年のイギリスの会社が作った。路面電車であるから古いなどと言う常識は既に超えてしまって文化財になっているところがすごい。

有料
200

グリーンのフィルターをつける

6年前のちょうど今頃と思うが、思いつきで広島に行った。30年前にいちど広島に行ってお好み村がなかなか良かった。それでそれから2十数年経過してまたお好み村に^_^行こうと思った。

有料
200

北京の北のはずれの袋小路に、Sidecarが捨ててある。本日は写真なし

私の1番最初の中国は、1981年に広州貿易会の関係で南のほうに行ったのであった。その後ニューヨークに行ってしばらく経ってから87年だと思うけれど、あちらの大手の通信社の報道写真のスポンサーがニコンと言う意向である。その時の審査委員長と言う立場で、初めて北京に出かけた。

有料
200

貞女川光

音声入力がシュールレアリズムなので、リスボンの巨大な川を音声入力したら定常側と出た。貞女川と出ることもあるし、なかなか尻は頭が良い。

有料
200

日本路地裏学会の基準

^_^日本路地裏学会はいわゆる路地裏学を研究する新団体である。それで路地裏の基準と言うのは、普通の人が考えるよりも、狭くて路地の幅を測定するときに、右手を伸ばして左の方は左側の壁に付いていて、その右手が反対側の建物に当たると言う範囲を路地裏というのである。

有料
200

田中長徳カメラノートスペシャル良い写真へのアドバイス2024

カメラノートスペシャル良い写真へのアドバイス2023の昨年のやつが好評だったので、今年もやります。5月1日リリースです。よろしく。

佃日記アーカイブ2009

ハリネズミ飼育としてはかなり初期ではないかと思うが、1986年から88年までハリネズミを飼っていた。その学名はをエリナセウス オイロペウス という。 オイロペウスというあたりが、いかにも「格調」が高い。欧州系ですね。欧風カレーなど よりも本当の欧州の香りがする。実際、針ねはかなりハリネズミ臭いのである。 この小動物は欧州からユーラシア大陸に分布しているが、なぜか朝鮮半島まででその先には来ないのである。 その針ねが、病気になって獣医さんに連れていったら、先生は「へえ、ハリネズミ

写真家で見えない的を狙っている岩男直樹さんのスナップは、師匠の森山大道よりうまい

写真家で見えない的を狙っている岩男直樹さんのスナップは、師匠の森山大道よりうまい Facebookでフォロワーが5000近くあって、主に渋谷あたりですごいスナップを撮っている人がいるので、びっくりして見ていたら、それがこの写真家なのである。 岩男さんは森山大道さんのお弟子さんと自分で語っていたけども、スナップショットとしては師匠よりはるかにすごい。私もスナップショットはやるけれど、これだけ正面から、しかも決定的瞬間に取れる人はそんなに多くない。 ウィリアムクラインとは何

1980年9月。リスボンのこの駅に到着。

^_^ 1980年9月にリスボンのこの駅に初めて到着したのである。ポルトガルに行くと決めた。犯行の動機はその数ヶ月前にウィーンのベルベデーレきれいに出会った。ジェントルマンがポルトガルのコインブラから来たと言うので、アドレスを交換して、リスボンコインブラ経由でポルトガルをぐるぐる回った。

有料
200