War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その67

 
 
14世紀フランスの黄金時代からの崩壊.ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だが,一般市民と貴族層が異なるマルサス過程に乗っているという複雑性があることを指摘する.そして一般市民から遅れてマルサス家庭に入った貴族層は互いに争い始める.そして不利になった方は英国を引き入れ,これが百年戦争につながっていく.ここまでにカペー朝からヴァロワ朝への移行の背後に内戦があることが描かれた.その中で逆上した国王ジャン2世は反乱分子を残虐に扱う.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その11

 

  • この王の常軌を逸した暴力的な振る舞いは,もう1つの社会トレンドである中世後期の犯罪の波の現れでもあった.この時代には残虐で無慈悲で突発的な暴行が横行した.(イタリアや英国での突発的な息子殺し,王への反乱の事例がいくつか紹介されている)
  • この暴力の波は大領主だけでなく社会のすべてのレベルで現れた.(英国,イタリア,ドイツの様々な地域のこの時期の殺人率の上昇,襲撃事件の増加の記録が紹介されている)
  • 農民たちの絶望的な経済状況と疫病と戦争による社会の絆の崩壊もこの暴力上昇の原因ではあるだろう.しかしこの法と秩序の崩壊の主要な原因は支配階層が苦境に立たされていたことだ.絶望してはいるものの武力を持ち危険な貴族が山のようにいたのだ.個人は決闘し,互いに待ち伏せして襲撃した.氏族間には何代にもわたる確執が生まれた.ほぼ自動的に攻撃レベルの上昇が生じた.まさにマフィアの犯罪物語のように1つの殺人が報復の連鎖を生むのだ.さらに頻繁に暴力事件が生じることで,暴力に対する社会的,心理的な抵抗が薄れてくる.中世後期には貴族こそが犯罪者階級だったのだ.14世紀の英国のグロスターシャーでは騎士の半数が少なくとも1回の殺人を犯していた.国家が財政危機に陥り軍隊のコントロールを失うと,貴族のごろつきたちの最後の自制がなくなり,社会の絆は完全に崩壊する.

 
ターチンの挙げる13世紀の暴力増加は,ピンカーの暴力減少の議論における小さな波動ということになるだろう.ピンカーの議論は狩猟採集社会から農業革命,国家の成立とともにまず「平和化プロセス」による暴力減少が生じ,次に中世から近代にかけての「文明化プロセス」による暴力減少が生じたという枠組みになっている.「文明化プロセス」の議論はノルベルト・エリアスの「文明化プロセス」によっていて,データ的には1300年以降が対象になっている.だからローマ帝国時代にどうなっていたか,ローマ帝国の崩壊でどうなったか,中世前期までどう推移したかは,あまり議論されていない.最初の国家の成立から中世中期まで多少の行きつ戻りつがあっただろうということになっている.
そしてそのような多少の行きつ戻りつの1つがここでターチンが指摘している中世の犯罪の波ということになる(これは日本でも平安から戦国にかけての行きつ戻りつがあったのとパラレルな現象だと思われる).そしてターチンはそれを貴族層マルサス過程による経済的な苦境とパイの奪いあいによる内戦から説明する.ここからフランスの国家財政から見た解説がある.
 

 

  • フランスの王は2種類の収入源を持っていた.第1のものは通常の収入源で,封建領主としての収入源,つまり直轄地からの土地代,司法権から得られる罰金や手数料,貨幣鋳造権から得られる収入だ.これは王国の通常のメンテナンスのために使われた.第2のものは特別徴収されるもので,十字軍や戦争のような緊急時に徴収された.例えば1250年にルイ9世が十字軍従軍中にエジプトで捕虜になった時には,身の代金が特別徴収された.
  • この通常収入はフィリップ2世即位の1180年から1250年の間に4倍になった.フィリップ2世の孫であるルイ9世(在位1226-70)が十字軍に赴いた時にはこの25万リーブルを自由にできた.インフレもマイルドで国家財政は健全だった.国王の収入増加は領土拡大と人口増加によるものだった.中世初期の人口増加により税収が伸び,初期カペー朝の国王たちはそれを領土拡大に振り向けるいことができたのだ.
  • しかしながら,人口増加は13世紀を通じて継続し,1250年以降は当時の農業技術のもとで食料が不足するようになった.農民たちの余剰生産力は縮小した.そしてそれに依存していた国家の収入は減少した.それを超える徴収は反乱や餓死のリスクをもたらし,国家にとっても望ましくない(それは後のロシアや中国のような専制主義国家で見られた通りだ).13世紀フランスは国家と大領主たちが限られた余剰生産物を奪い合うことになった.そして1300年から14世紀初めにかけて王室財政は困窮した(具体的な数字をあげての説明がある).ヴァロワ朝の始祖フィリップ6世(在位1328-50)の時の収入は(カペー朝の)フィリップ端麗王(在位1285-1314)のそれの80%だった.
  • フィリップ端麗王以前には王室財政は健全だったが,13世紀の終わりには通常収入は実質ベースで停滞し,軍事支出は跳ね上がった.フィリップ端麗王は特別徴収税を常態化し,ブルジョワから強制的に金を借り,通貨を改鋳した.最もよく知られた事件にはテンプル騎士団の破滅がある(端麗王によるテンプル騎士団への異端審問を利用したいわれ無き弾圧,拷問,活動停止と財産接収が詳しく説明されている).
  • 端麗王が用いたなりふり構わぬ増収策は大領主たちや都市のエリートの反発を買った.これは小さくなるパイを奪い合った結果だった.14世紀前半には国王の税徴収は抵抗に直面するようになった.これは英国との百年戦争の遂行に困難をもたらした.特別徴収は戦争が眼前にある時以外難しくなり,フィリップ6世やジャン2世は財政困難に陥った.
  • この結果フランスは休戦の後で戦いが勃発した時に即座に対応できなくなった.1346年1347年の軍事的惨事(クレシーの戦いの敗北とカレーの喪失)により三部会はしぶしぶ特別徴収税を認めたが,地方の現場での徴収にはやはり抵抗が大きかった.結局満足な額は徴収できず王国財政は崩壊した.

 
このあたりの歴史も面白い.財政困難に陥った国王による強引な増収策がかつて栄華を誇ったテンプル騎士団の悲劇を生むことになる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その66

 
 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.
ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だとするが,それだけでは崩壊から回復への遅れが説明できないとして,支配層のダイナミクスをより詳しくみることが必要だと説く.人口増加による食料不足はまず一般市民を直撃するが,土地を所有する貴族層は短期的には逆に利益を得る.しかしそれは貴族層の人口を相対的に過剰にし,ついに貴族層も苦難に陥る.苦難に陥った貴族たちは内戦を始め,不利になった方は英国を引き入れる.そしてそのような騒ぎの最大のものが詳しく語られる.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その10

 

  • 1354年,エリート間の暴力的な抗争が国の中心部,つまりイル・ド・フランスとノルマンディで起こった.抗争の雰囲気はまるでクリント・イーストウッドのマカロニ・ウエスタンのような,善玉,悪玉,卑劣漢(The Good, the Bad, and the Ugly)の登場劇として始まった.これらの事件のキープレーヤーは(後の歴史家に悪玉とされる)ナヴァラのシャルルだ.悪玉シャルルは王家と深い関係があったために貴族層の不満が集まってくる焦点となった.

 
「The Good, the Bad, and the Ugly」はクリント・イーストウッドのマカロニウエスタン「続・夕陽のガンマン」の英題となる(伊題は「Il buono, il brutto, il cattivo」だそうだ.もちろんイーストウッドは善玉を演じている).またナヴァラ王国は当時ピレネーを越えた先のバスク地方にあった小王国になる.
 

続 夕陽のガンマン (字幕版)

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  • クリント・イーストウッド
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  • フィリップ4世端麗王(1285-1314)の息子が跡継ぎを残さずにすべて死んだ時,王位はフィリップの甥であるフィリップ6世に渡った.

 
ターチンのいう「フィリップ4世の息子がすべて死んだ時」というのは1328年にフィリップ4世の息子でフランス王とナヴァラ王をかねていたシャルル4世が死んだ時にあたり,これによりカペー朝は断絶したとされる.そして次の王であるフィリップ6世はフィリップ4世の甥であるが,その父(シャルル,4世の弟)がヴァロワ伯であったためヴァロワ朝の始祖とされる.このあと登場するジャン2世はこのフィリップ6世の子になる.
 

  • この時王位継承候補にはあと2人いた.1人はフィリップ端麗王の(「フランスの雌狼」と呼ばれた)娘イザベルの息子である英国王エドワード3世,もう1人はフィリップ端麗王の腹違いの弟の子であるフィリップ・デヴルー(エブルーのフィリップ)だった.
  • フィリップ・デヴルーはフィリップ端麗王の孫娘のジャンヌ・ド・フランスと結婚し,フランス王位を要求しない代償として(シャルル4世の死後やはり空位になっていた)ナヴァラ王国の王位を得た.その子がナヴァラのシャルルだ.つまり悪玉シャルルは父系と母系の両方がカペー王家につながっていたのだ.
  • そしてシャルルは父系を通じてノルマンディとイル・ド・フランスに広大な領土を相続していた.苦境にあった両地方の反体制派貴族はシャルルを彼らのリーダーとみなすようになった.

 

  • 2人目の登場人物は善玉ジャン2世だ.ジャンはフランス王位を1350年に継いだ.善玉ジャンは彼のお気に入りのシャルル・デスパーニュを軍の総司令官に任命し,これが紛争の勃発を招いた.ジャンはシャルル・デスパーニュを(軍司令官の任命に続いて)ナヴァラ王国内に領土を持つアングレーム伯の地位につけ(これによりシャルル・デスパーニュは卑劣漢役となる),事態を悪化させた.
  • 自らの領土を蚕食された悪玉シャルルは激怒し,善玉ジャンの軍司令官を襲撃した.1354年1月,軍司令官がノルマンディにいる時に悪玉シャルルの弟ナヴァラのフィリップに率いられたノルマン貴族たちが軍司令官の寝室に押し入り彼をベッドから引きずり下ろした.裸の状態の軍司令官はひざまずいて許しを請うたが,そのまま刺し殺された.
  • 軍司令官の地位はとても儲かるものだった.平時でも毎月2000リーブル支払われ,戦時には別に傭兵代がすべて支払われた.さらに雇用や兵站に関する様々なうま味があった.多くの困窮していた貴族たちが軍司令官の周りに群がり,蜜を吸った.
  • 逆にそこから何も引き出せなかった貴族たちは軍司令官を深く憎んでいた.それを取り除いた悪玉シャルルは瞬く間にヴァロワ朝に対する反体制派のリーダーとなった.悪玉シャルルの地盤でもあったノルマンディは反乱の地となり,納税と兵役を拒否した.この豊かな地域からの収入がたたれたことで王家の財政は崩壊に向かった.

 

  • 軍司令官の暗殺は復讐の悲劇の第一幕に過ぎなかった.それは復讐の連鎖を生んだ.1356年4月,王太子が悪玉シャルルとノルマン貴族たちをノルマンディの首都ルーアンで歓待していたところをジャン2世とその武装兵が押し入った.王太子は父親であるジャン2世に歓待している客ヘの乱暴を許しては名誉を失ってしまうと情けを請うたが,ジャン2世は王命をもって悪玉シャルルとシャルル・デスパーニュ殺害容疑のあるノルマン貴族たちを逮捕させた.王は暗殺の直接の下手人ジャン・ダルクールを自らの手で乱暴に衣服をはぎ取りながら捕らえた.翌朝ジャン・ダルクールは同じく下手人とされた3人のノルマン貴族たちとともに処刑場に連行されたが,復讐の渇望をこれ以上抑えきれなくなった王は突然行列を野原で止め,その場で囚人たちを斬首した.
  • ジャン・ダルクールの処刑は(王にとって)賢明とは言えないものだった.なぜならジャン・ダルクールには3人の兄弟と9人の子供がいて,それぞれ北部フランスの有力貴族と結婚していたからだ.王はその貴族たち全体をその中心であるナヴァラのシャルルを完全に排除しないまま敵に回した.ナヴァラのシャルルは当時パリで幽閉されており,後に破壊的な悪玉役を演じることになる.

 
この辺の歴史物語はいろいろと楽しい.

書評 「ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?」

  
本書は進化生物学者河田雅圭による進化の一般向けの解説書になる.河田は新進気鋭の学者であった1990年に「はじめての進化論」を書いている.当時は行動生態学が日本に導入された直後であり,新しい学問を世に知らしめようという意欲にあふれ,かつコンパクトにまとまった良い入門書だった.そして東北大学を定年退官して執筆時間がとれるようになり,その後の30年以上の学問の進展を踏まえ,改めて一般向けの進化の解説書を書いたということになる.ダーウィンの議論の今日的当否を問うような印象の題名だが,それは本書の極く一部の内容で,基本的にはいくつかの誤解が生じやすいトピックを扱いつつ進化とは何かを解説する書物になっている.
 

第1章 進化とは何か

 

1.1 そもそも進化とはなんだろうか?

第1章第1節では「進化とは何か」をめぐる誤解が扱われる.もはや入門書の進化の誤解の定番ともいえる「ポケモンの進化」から始め*1,様々な事典,辞書や博物館の説明にまで不正確な定義が入り込んでいることが示され,そこから進化とは何かが説明されている.
そして「内部の何らかの力による変化」「進歩」「複雑化,多様化」「長大な時間」「新しい種の出現」などの誤解を指摘し,本書においては「生物のもつ遺伝情報に生じた変化が世代を経るにつれて集団中に広がったり減少したりすること,またそれに伴って生物の性質が変化すること」という定義を用いるとし*2,簡単に進化が説明されている.ここではゲノム,遺伝情報,変異などについてかなり詳しい解説がおかれている.
ここから正の自然淘汰による進化を「適応進化」と呼ぶこと,「適応」という用語にはいくつか異なる用法((1)生存・繁殖に有利な特性,(2)自然淘汰により進化した特性,(3)自然淘汰によって有利な特性が進化する過程)があり混乱しやすいことが説明されている.
 

1.2 有害な進化も起こりうる

 
第2節では浮動による進化が扱われる.浮動が生じるシミュレーションを示しながら,中立進化,有害アレルの浮動による固定が簡潔に解説されている.
 

1.3 ダーウィン進化論は時代遅れ?

 
第3節で「ダーウィンの唱えた進化論は時代遅れになっているか」という書名に掲げられた問題が扱われている.ダーウィンの議論の要点,ダーウィンから総合説への学説史を踏まえたあと,レイランドによる「拡張した進化総合説」の主張(自然淘汰の制約の強調,エピジェネティック遺伝の強調,突然変異のランダム性の例外の強調,漸進性の例外の強調)と批判者との間の論争が吟味され,それはたしかに重要な論点を含んでいるが,ダーウィン進化論の基盤となる点はそのまま現在の進化学でも通用しており,時代遅れになったとはいえないとまとめられている.
 

第2章 変異・多様性とは何か

 
第2章では,変異および種内多型をめぐる論点,および遺伝子によらない遺伝(エピジェネティックス)が取り上げられている.
 

2.1 突然変異はランダムなのか?

 
この節では「突然変異はランダム」というのは正しいのか,それが厳密にランダムであることは進化理論の上でどれほど重要かが取り扱われている.これがここで論じられているのは2022年にモンローとワイゲルが「突然変異はランダムではない.我々は一般的なパラダイムに挑戦している」とする論文を出し,それがメディアで「標準的モデルの考え方が誤りだ」と取り上げられたためであり,つまり進化理論についての誤解「突然変異がランダムであることが主流の進化理論の大前提だ」が問題になっている.
著者は標準的なモデルの理解(突然変異はランダムだが淘汰(や浮動)により方向が生じる)を解説し,しかし厳密には偏りが生じる現象があることが昔から知られていること,重要なのは「有利になる方向」に偏ることがあるかどうか(適応的突然変異ヘの偏りがあるか)であり,それは論争と数々の実験の結果おおむね否定されていることを指摘している.
そして「突然変異率自体が進化しうる」ことが詳しく解説されている*3.ここではシロイヌナズナを用いたリサーチが詳しく紹介され,重要な遺伝子ほど突然変異率が生じづらくなっていることが示されている.そしてモンローとワイゲルが示したのは必須遺伝子に突然変異が生じづらくなっていることだけで,有利な方向への偏りを示したものではなく,主流のパラダイムに挑戦するものとはいえないとしている.
続いて「生存困難な状況において突然変異率が上昇する現象(SIM)は適応進化の結果でありうるか」が議論される(しばしばそれは「強いストレス環境化で突然変異率を上昇させて適応進化を促進する役割がある」と説明されるが,それは正しいのかが問題となる).ここでは,まず突然変異誘発率上昇アレルと,それが誘発した何らかの有利なアレルが強く連鎖していなければそれは進化しえない(ただし無性生殖生物では可能),しかし突然変異誘発率上昇アレルが,それ自身(増殖率と修復率のトレードオフから)ストレス環境で個体に有利であればそれは進化しうる,また浮動により進化することも可能かもしれないと説明されている.
 

2.2 多様性は高ければいいってもんじゃない

 
第2節では種内多型がテーマとなる.ここで問題となる誤解は「多様性や変異がなぜ生成・維持されているか」にかかわるものになる(しばしは「それぞれのタイプは何らかの利点があったから現存している」「多様性は種にとってよいことだ」という誤解が現れる*4のでそれが問題となる).
そしてこれがなぜ誤解であるのかについてていねいに解説がある.そもそも集団内の遺伝的多様性とは何かを多型サイト数,塩基多様度の指標を用いて説明し,基本的に自然淘汰が働くと有利なアレルの頻度が上がり多様性は減少する(突然変異や移住により生じる多様性は集団の遺伝的荷重となる)こと,超優性による多型も遺伝的荷重の1つ(分離荷重)となることを指摘する.そして遺伝的多様性は,集団に突然変異,自然淘汰,浮動が生じた結果として維持されているもので,生物進化に必要だから存在するわけではないことを説明する.
そこから多型を維持するように働く自然淘汰(平衡淘汰)の例として超優性,負の頻度依存淘汰を挙げ,単に生息地内の空間的時間的な環境の多様性だけでは遺伝的多型維持の十分条件ではないこと(基本的にヘテロ表現型が平均して有利でないと維持されない*5*6)が指摘されている(この「環境に多様性があれば(それだけで)多型が進化する」というのもしばしばみられる誤解なのだろう).
ここから遺伝的多型には実際にはどの要因が効いているのか(突然変異と浮動のバランス,突然変異と自然淘汰のバランスが大きく,平衡淘汰は少ない*7と考えられている),野外ではどの程度遺伝的多様性があるのかが解説され,最後に遺伝的多様性はあくまで進化の結果であること,自然淘汰は集団の存続に有利になる場合も不利になる場合もあることが強調されている.
 

2.3 受け継がれるのは遺伝子だけか?

 
第3節はエピジェネティックスがテーマとなっている.ここで問題となる誤解は「エピジェネティックスの存在はラマルク説の復活,ダーウィン説の否定を意味する」というものだ.
ここでは遺伝子の定義の問題(分子遺伝学的定義とメンデル的(表現型からの)定義),エピジェネティックスの仕組み(DNAメチル化,ヒストン修飾,ノンコーディングRNAなどの複数の仕組みがある),大半のエピジェネティックス修飾は世代間伝達をしないが一部するものがあること(それでもせいぜい十数世代で永続的には伝わらない),このような世代間伝達するエピアレルは植物でよく調べられていることがまず説明される.
そこからエピ変異が(表現型の変化を引き起こすことにより環境に適応することで)通常のDNAの進化をより加速させうること,DNAメチル化が転移因子の抑制として働きうることが解説される.しかしエピ突然変異は永続的に伝わらないだけでなく,元に戻る方向に偏りがある(だから一時的であり累積的な進化は生じにくい)こと*8,ラマルクのいうような獲得形質がエピジェネティックスにより次世代に伝わることはないことから,全体的にエピジェネティックスが進化に与える影響は限定的で,その与える影響は「表現型可塑性」の役割と似ているとしている.
最後にエピジェネティックス以外に次世代に影響を与えるものとして,親の母乳や分泌・排泄物,親の改変した環境,文化的伝達,共生生物などがあることも指摘されている.
 

第3章 自然選択とは何か

 
第3章のテーマは自然淘汰.
 

3.1 種の保存のために生物は進化する?

 
第1節は定番の誤解「種の保存のため」が扱われる.ディズニー映画におけるレミングの「集団自殺」の説明,生物学者や遺伝学者にもある誤解*9が,まず取り上げられ,そこからナイーブグループ淘汰の誤りが解説されている.
そこから自然淘汰の働く仕組み,個体にとってマイナスだが集団にとって有利な形質が進化する条件としてのマルチレベル淘汰の考え方(本書ではデーム間集団選択という用語を使っている)が解説され,ついでこの「グループ」が「種」である場合にこのような条件を満たすことがありうるかが吟味される.まず種とは何かが様々な定義とともにごく簡単に説明され,そして種とは個体や集団や系統が進化した結果現れるものであるので,種が1つの実体的な集団としてマルチレベル淘汰の条件を満たすことはないと説明される.さらに「系統淘汰」はどのような性質を持った系統がどのくらい観察されるかというパターンを説明するもので,「種の保存のための進化」を意味するものではないことにも触れている.
 

3.2 生物は利己的な遺伝子に操られている?

 
第2節のテーマはドーキンスの「利己的な遺伝子」になる.
まず「利己的な遺伝子」は,ドーキンスによる「自然淘汰の見方」であり,このような見方をとると自然淘汰がわかりやすくなると主張したものであることを押さえ,淘汰の原因(selection for)と淘汰の単位(selection of)の区別を解説した上で,ハミルトンの包括適応度理論(血縁淘汰),包括適応度理論とマルチレベル淘汰理論が数理的に等価であることなどに触れながら,ドーキンスの主張を説明している.
そしてここから(ドーキンスファンである私にとっては非常に驚きだったが)ドーキンスの用語法に対する批判が繰り広げられている.著者の批判はおおむね以下の通りだ.

  • 「利己的な遺伝子」という比喩は「その遺伝子が自らのコピーを増やすように表現型を進化させた」という意味を持つが.自然淘汰は個体にとって有利な表現型を持つ遺伝子ならどの遺伝子でも頻度を増加させるのであり,常に特定の遺伝子の頻度を増加させるわけではなく,この比喩は当てはまらない.
  • (血縁淘汰的)利他行動の進化を考えると,利他行動遺伝子自体は次世代にコピーを残せず,増えるのは別の個体が持つコピーであり,その遺伝子自体が有利になったとはいえない.グループに淘汰が働いたとみる方がより的確に現象を捉えている
  • 個体にとって不利で個別遺伝子にとって有利な「利己的遺伝因子*10」のみを「利己的な遺伝子」と呼ぶ方が比喩的に適切だ.
  • この用語法では個体にとっても有利な遺伝子と個体にとって不利な遺伝子の区別ができない.自然淘汰がどのレベルで働いているかを明確にすることは,なぜその現象が進化したかを理解する上で重要だ.

 
この節におけるドーキンスの用語法の批判には全く納得できない.私の感想をまとめておこう.

  • 仮に河田の主張を認めるとしても,なぜ単なる「用語法についての提案」を「進化についてのあからさまな誤解」を並べた章の真ん中に入れ込むのか.これでは(あまり注意深く読まない)一般読者は「ドーキンスの説明は進化についての誤解なのか」という印象を持つだろう.悪質な印象操作的な構成だといわざるを得ない.
  • 河田の論点は「比喩としての意味の適切さ」と「進化の理解のための的確な用語法」の2点だと思われるが.どちらにも納得感はない.
  • 比喩としての意味の適切さ(1):「利己的な遺伝子」が「その遺伝子が自らのコピーを増やすように表現型を進化させる」という意味であるというのは河田による(かなり独自な)1つの解釈に過ぎない.「その遺伝子が(同祖的なすべての)コピーを増やすように(表現型として)働くなら,(平均的に)頻度を増やす」という意味を持つと解釈すれば,その特定の遺伝子が結果として頻度を増やさなかったとしても何の問題もないだろう.
  • 比喩としての意味の適切さ(2):河田は「利己的である」という比喩を「自らのコピー」を増やすという意味を持つと一方的に断定しているが,ドーキンスの意図としては,「自らのコピー」だけではなく「同祖的なすべてのコピー」を増やすものとしているのであろうし*11,そう解釈するなら血縁淘汰的利他行動の進化を表す表現として全く問題はない.
  • 進化の理解のための的確な用語法(1):「利他行動の進化はグループに淘汰が働いたために生じる」と理解するのは,まさに1つの見方に過ぎない.そう見てもいいし,「利他行動の進化はそれにかかる遺伝子が同祖的なコピーを増やすように働くから生じる」と理解してもいい.そしてそれこそが包括適応度理論とマルチレベル淘汰理論の数理的等価性の帰結であるはずだ.グループに淘汰が働いたとみる方が的確だという主張については何の論拠も示されておらず,納得しがたい*12
  • 進化の理解のための的確な用語法(2):利己的に働く遺伝子のうち個体にとっても有利なものと個体にとって不利なものを用語的に区別した方がよいというのは理解できる.しかしその方法は「利己的な遺伝子」の中に下位区分を用いる方法であっても全く問題ないはずだ*13.河田は「(上位レベルの単位での有利不利は問わない)利己的な遺伝子」という上位概念が持つ「自然淘汰がどう働くか」の本質的な理解についての有用性*14を無視しているし,学説史的な重要性や定着している用語の変更に伴う混乱のデメリット*15についても無視している.この提案は私的には到底受け入れられない.

 

3.3 生き残るためには常に進化しないといけない?

 
第3節はいわゆる「もやウィン」騒動*16が取り上げられ,それに絡めて赤の女王仮説が解説されている.
ここでは「生き残るのは変化できるものだけである」という怪しげな格言の由来(ダーウィンの言葉ではなく,経営学者のメギンソンによる誤解を含む独自解釈が元となっている),そのどこが誤りか(変化するのは進化的な結果にすぎない)がまず押さえられる.
続いてそれが絶滅確率についての赤の女王仮説*17と関連することにふれ,そこから有性生殖の維持についての赤の女王仮説が解説され,有性生殖維持の問題はなお未解決であることが説明されている.
 

第4章 種・大進化とは何か

 

4.1 進化=種の誕生か?

 
冒頭で「種の保存のため」誤解*18,種の誕生を進化の定義に入れる必要がないことをもう一度取り上げたのち,種分化がテーマとして取り上げられる.
ここではイヌとオオカミが例にとられて,集団が分岐してそれぞれ独自の性質を持つようになること,生殖隔離がある程度あることなどが種分化において見られるが,連続的な現象であり,種分化についての明確な基準はないことなどがまず説明され,その後交配前生殖隔離と交配後生殖隔離,異所的種分化と同所的種分化の区別が解説される.
そこから「(個体にとり不利になることもありそうな)交配後生殖隔離がいかに進化できるのか」という問題が取り上げられる.ここでは関連遺伝子が1つしかなければそのヘテロ接合で適応度が低下する場合には自然淘汰による交配後生殖隔離の進化は困難だが,関連遺伝子が2つ以上あれば可能なこと(ベイトソン・マラー理論),交配後生殖隔離は遺伝的浮動でも進化可能であり,どちらが主要なメカニズムかについては異なる考え方があること,またこの遺伝子間に拮抗的共進化が生じることが生殖隔離の進化を促す要因となることが解説される.
さらにここでは生態的種分化と非生態的種分化の区別,生殖隔離の連続性なども解説されている.
 

4.2 大進化は小進化で説明できないのか?

 
第2節のテーマは大進化および不連続形質・新奇形質の進化.ここで問題となる誤解は「大進化は小進化の積み重ねでは説明できない」というものになる*19
まずゴールドシュミットのギャップの主張にちょっと触れたのちに,系統関係とゲノム距離の知見を示し,アレル頻度の変更による小進化の積み重ねで大きな形態の違いが生じても不思議はないと指摘する.
次に「漸進的な進化というフレームで,不連続に見える形質変化や複雑な新奇形質を説明できるのか」という問題が取り上げられる.そして不連続に進化したと思われていたが,後に中間型の化石が見つかった例*20,眼の進化がどのようなステップを踏んで進んだのか,遺伝子制御ネットワークや遺伝子ツールキットにより形質の使い回しや組み合わせが生じて新しい機能の獲得が可能になる仕組み*21,環境の大変動がそのような進化の駆動要因となること,全ゲノム重複変異は通常なら(平均して)有害だが,大きな環境変動下では新奇環境への侵入を通じて有利になりうること*22,そして環境変動により維持された全ゲノム重複や一部のゲノム重複は,より複雑で大きな遺伝子制御ネットワークを可能にし,その後の進化の起こりやすさを上げた可能性があることなどが解説されている.
 
以上が本書の内容になる.定番の進化についての誤解を取り上げ,なぜそれが誤解かを解説しつつ,関連するトピックについて最新の知見を紹介しつつ所々深掘りしていて,初心者用の単なる入門書に留まらず,興味深い啓蒙書に仕上がっている.その意味でドーキンスの用語法に(私から見て全く納得感なく)噛みついている部分が誤解を取り上げた章建ての中に埋め込まれているのは本当に残念に思う.
 
 
関連書籍
 
河田による入門書.この本の内容はネットで無料公開されている(ただし非商用利用のみ).https://ochotona0.wixsite.com/mysite/hajimete

 
やはり若い頃書かれた入門書.この本の存在は知らなかった.同じく無料公開されている.https://ochotona0.wixsite.com/mysite/blank

進化論の見方

進化論の見方

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*1:ここではこのネタがかなり広がっていることにも触れ,ならばポケモンの進化を実際の生物進化に近づけてゲーム化すればいいのではというアイデアが述べられていて

*2:なおここでは遺伝学会による用語の改変,特にvariationを「多様性」とすることに対して異議が唱えられており,「変異」を用い,mutationに「突然変異」を用いると断り書きがある.

*3:その基本的なメカニズムとしてドリフトバリア説が解説されている.基本的に突然変異は有害なことが多いので,突然変異率が下がる方向に淘汰圧がかかるが,浮動により完全になくならない.このため突然変異率への淘汰圧は,当該遺伝子の重要性に加えてその有効集団サイズに依存することになる

*4:ここでは2017年の日本遺伝学会長の「色覚異常のような遺伝的に異なるタイプをネガティブなものとして取り扱うべきではない.それはそれぞれのタイプはその時々の自然の選択として種を救ってきたからだ」という旨のコメント,および2022年度の東大入学式の東大総長の(ダイバーシティの重要性の意義に関しての)「そうした多様なタイプの個体がいることは集団の生存にとってメリットでもあります」コメントが進化学的には誤りであると指摘されている

*5:サイト数が複数だと条件が緩和される旨の注意書きがある

*6:また遺伝的多型ではなく表現型多型なら環境の多様性があれば条件付き戦略として多型が維持されうることも説明されている

*7:ただし最近では以前考えられていたよりも平衡淘汰の事例が多そうだということがわかってきたとしてショウジョウバエのリサーチが紹介されている

*8:エピ変異は有害なことが多いので長期的に影響を受けないように進化しているという仮説もあることが指摘されている

*9:ここでは福岡伸一が名指しで取り上げられ「『種の保存』こそが生命にとっての最大の目的なので,個は一種のツールにすぎません」なるコメントが引用されている.遺伝学者(文献リストで元遺伝学会会長である小林武彦であることが示されている)の誤解としては,「なぜ生物は死ぬように進化したのか」という問題に対して「集団が絶滅しないため」「多様性を確保するため」という理由を挙げていることが取り上げられている

*10:例として分離比歪曲遺伝子やトランスポゾンが示されている

*11:コピーの頻度が増えることがその遺伝子にとっての利益だと考えれば,「利己的」という言葉において自らの直接のコピーの数だけことさらに問題にする必要はない

*12:あるいは河田はDSウィルソンの因果の実在性の議論に乗るということなのだろうか.少なくとも(数理的には等価であるにもかかわらず)なぜそう見る方が的確だと考えるのかを説明すべきだろう.この辺りはDSウィルソンとウエストたち包括適応度理論家との論争の核心部分でもある.私としては因果の実在性の議論はいかにも筋悪であり,ウエストたちの議論の方がはるかに涼やかだと考えている

*13:そして個体にとって不利なものを「利己的遺伝因子」などとして区別する用法がすでにあるとも言える

*14:これこそが「利己的な遺伝子」が特別に優れた啓蒙書として認められてきた理由であるし,実際に多くの進化生物学者に影響を与えてきた理由でもある

*15:河田が遺伝学会の用語変更案に否定的であることを考えると,この「利己的な遺伝子」にかかる用語法提案の強引さがより際立つように感じられる

*16:この「ダーウィンが『生き残るのは変化できるものだけだ』といった」という話は小泉元首相もどこかでしゃべっていたので,政界や経済界ではかなり広く出回っているのだろう

*17:化石生物の絶滅確率が一定であるとされていたこと(後にそうではないことが示された)を説明するための仮説(絶滅確率に与える影響は環境変化より競争による共進化の方が重要)

*18:ここでは日本におけるその源流が京都学派の西田哲学,今西進化論にあることにも触れたのち,再度福岡伸一の誤解を揶揄している

*19:この話はいわゆる「進化の誤解」としては最近あまり見かけなくなった印象だ.ここではその最近の例として池田清彦の「進化論の最前線」における記述があげられている.

*20:ここではキリンの首の問題が,首の長さに伴って進化した遺伝子のゲノム解析の話とともに取り上げられている.

*21:食虫植物の跳躍板トラップ,トゲウオの淡水環境への進出,ツノゼミのツノ形態の多様化,魚類の鰭から両生類の手足への変化の例が示されている

*22:脊椎動物の主要系統において全ゲノム重複が3回生じたことが説明されている

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その65

 
 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.
ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だとするが,それだけでは崩壊から回復への遅れが説明できないとして,支配層のダイナミクスをより詳しくみることが必要だと説く.
人口増加による食料不足はまず一般市民を直撃するが,土地を所有する貴族層は短期的には逆に利益を得る.しかしそれは貴族層の人口を相対的に過剰にし,ついに貴族層も苦難に陥る.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その9

 

  • 農民による余剰生産が縮小する中で,それに支えられてきた貴族の人口は増加した.これは貴族たちは生活水準を落とす(つまり貴族の地位を手放す)か,何か別のことを試みるしかないことを意味する.1300年当時収入が25〜50リーブル程度だった下層領主たちはその貴族の地位を失うリスクに直面していた.貴族の地位を保つためには他の貴族からリソースを奪うしかない.エリート間の闘争が激しく行われるようになった.

 
貴族層は苦難を解決するために互いに争うようになったというのがターチンの説明になる.ここからその様子が詳しく解説される.
 

  • 1300年から1350年にかけてフランス社会の紐帯が,まず辺境でそして後にコア地域で,ほどけ始めた.ガスコーニュではアルマニャック家とフォワ家がベアルンの子爵位をめぐって抗争した.この確執は片方の家系の完全な消滅までその後250年続いた.大領主が爵位をめぐって争う中,下層貴族たちは私闘に明け暮れた.

 
この辺の歴史には詳しくないが,ググるとこのような本がヒットする.

 

  • フランドルでは王家につながる名門貴族と新興ブルジョワ間の緊張が高まっていた.新興ブルジョワたちは労働者たちを突撃隊として使った.1302年には,権力闘争がブリュージュの暴動を引き起こし,西フランドルを席巻した.国王フィリップ4世は鎮圧の軍隊を派遣したが,フランドルの歩兵部隊はフランス貴族中心の王国騎兵隊をコルトレイクの戦いで打ち破った.1325〜26年にフランドルの都市コミュニティはフランドル伯からの独立を試みたが,フランスの騎士たちはカセルの戦いで勝利して,コルトレイクの雪辱を果たした.しかし1337年にはゲントのフランドル都市連合がフランドル伯に対して蜂起し,指導者アルテヴェルデはフランドル伯を追放した.都市連合は英国と通商条約を結び,1340年にはエドワード3世を君主と認め,それは(百年戦争の)クレシーの戦いに直接つながることになる.

 

 

  • 北フランスと東フランス(ピカルディとブルゴーニュ)では男爵による国王徴税反対の動きが起こった.アルトワ郡における中央権力に対する反抗はロベール・アルトワとその伯母マホによる郡の所有をめぐる争いにより複雑な経緯をたどった.ロベールは敗北し,英国に逃れ,百年戦争でエドワード3世に組みすることになる.
  • 1341年にブルターニュは,公爵のジョン3世が後継を決めずに亡くなった時に内戦状態になった.承継はブロワとモンフォールの間で争われた.内戦の中で中層以下の貴族と西のケルトはモンフォール側につき,上層貴族と東のブルジョワたちはブロワ側についた.英国はモンフォールに肩入れして突撃騎兵(chevauchée)を供給し,レーヌ,ヴァンヌ,ナントの要塞を包囲した.

 

  • ここでの明瞭なパターンはそれぞれの地域で,争いは内戦として始まり,その片方が英国のエドワード3世を引き入れたということだ.フランドルへの介入を正当化するためにエドワード3世にフランス王位を主張すべきだと吹き込んだのは,アルテヴェルドだったといわれている.

 
ターチンの説明は,急速に苦境に陥った貴族層や新興ブルジョワの内部抗争こそが,英国を引き入れることで,百年戦争を引き起こしたというものになる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その64

 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.
ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だとするが,それだけでは崩壊から回復への遅れが説明できないとして,支配層のダイナミクスをより詳しくみることが必要だと説く.そして中世盛期の人口増加は一般市民を食料価格上昇と賃金低下による苦境に陥れたが,貴族層はむしろ利益を得たのだということを説明する.しかしそれはもちろん持続不可能で,その流れは反転する.反転は貴族層の相対的人口増加がきっかけとなったというのがターチンの説明になる.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その8

 

  • 一般人口対比の貴族層人口の劇的な増加は,生産水準を上回る一般人口増加と同じ結果を招いた.貴族層の経済状況は悪化したのだ.多くの貴族たちは,もはや自分たちの収入だけで前世代が享受できた生活水準を保てないことに気付いた.生活水準を下げることはエリートの地位を捨てることと同義であり,受け入れられなかった.彼らは農民へ増税を課し,土地の更なる利用を図り,借金した.どのやり方も長期的に維持可能なものではない.彼らは増えすぎたのだ.国家はすべての貴族層を養うことができなくなり,王家自体財政困難に陥った.増税は農民の生存を不可能にし,彼らは逃散や反乱により納税を拒否した.

 
要するに貴族層と一般層で,人口増加にタイムラグが生じたことがポイントになる.このタイムラグは貴族層が土地を持ち,一般層が労働力を持っていたことから生まれたことになる.ここから詳しく状況が説明される.歴史物を読む醍醐味だ.
 

  • 「おまえたち貴族は獲物をあさるオオカミだ.夜中に吠え,部下の財産を奪い取り,貧しいものの血と汗を食らって生きている.農民が1年かけて何とか蓄えたものを一夜で食い尽くす」と13世紀の聖職者ジャック・ド・ヴィトリが書いている.同時に彼は貴族たちに農民を虐げれば反乱という形で報いがあるとも警告している.これは予言的だった.1320年に羊飼い十字軍と呼ばれる農民の運動がフランスで起こった.農民たちを説教する破戒僧や変節僧が触媒となり,田舎の貧しい者たちはならず者と一緒にパリを行進し,宮殿に閉じこもった国王に反抗し,囚人を解放した.彼らはパリからサントンジュとアキテーヌに南下し,城を襲い,市庁舎を焼き,郊外を荒らし,ユダヤ人と癩病患者を虐殺した.彼らは一時4万人を超えたが,その後いくつかの小さなグループに分裂した.貴族たちは組織化して彼らを攻撃し,何千人もつるし首にした.

 
ジャック・ド・ヴィトリとは13世紀フランスの司祭,神学者.その著作は十字軍の歴史においては重要文献ということらしい.

 

  • 黒死病の到着は社会ピラミッドの基礎の掘り崩しプロセスを完了させた.一般的に感染症においては貧困層の死亡率の方が高い.疫病においてはそれを避ける唯一の方法は逃げることだ.都市の下層民がバタバタと倒れるなか,富裕層はデカメロンで描かれたように郊外の領地に逃げ込んだ.
  • 1348〜49年の疫病では英国人口の40%が死亡したと推定されている.領主階層の死亡率は27%であり,最上階層ではわずかに8%だった.国王で死んだのはカスティリアのアルフォンソ9世だけだった.

 
貴族層の相対的人口比が上昇するというプロセスは黒死病で加速されたというのがターチンの説明だ.ここからそれが経済的にどう影響したかが説明される.
 

  • 黒死病以降の賃金上昇と地代の低下は土地所有者たちにとってすさまじい経済的惨事となった.特に打撃を受けたのは,耕作を小作労働に頼っていた下層から中層の土地所有者たちだった.一部の小作人が所有者が死に絶えた近隣の土地を得たことにより,全体の小作人の数がさらに減少し,彼らは高い賃金を要求するようになった.
  • 英国では土地所有者たちは1351年に労働者法を定めさせ,賃金を固定化しようとした.その法は厳しく執行されたが,経済的には無力だった.それは土地所有者たちに他所より少し高い賃金を提示して労働者を集めようとするインセンティブを与え,フリーライダー問題を引き起こしたのだ.法律は高い賃金を提示する領主を罰せずに,それを受け入れた労働者のみを罰するものだった.このため民衆はその法を憎み,その法の執行は1381年の民衆蜂起の大きな要因となった.

 
価格を固定しようとする法律は最終的には需要と供給の法則に勝てない(結局価格を強制的に据え置こうとすると供給されなくなる)ものだが,その料金を提示する方を罰さずに,受け入れた方のみ罰するという法律もすさまじい.それを厳正に執行すれば当然労働者たちの激しい敵意を生むだろう.
 

  • 上層の階級の状況はまだましだったが,それも1380年ごろまでだった.大領主たちは武装した家臣団を使って農民たちを脅し,1348年以前の地代と賃金水準を受け入れるように強要した.また逃げ出した農奴を見つけて捕らえ,耕作に戻したり,罰を与えたりした.つまりしばらくの間経済条件を強制的に押し付けることができたのだ.極く一部の領主はこのような強制的な手法により収入を増加させることもできたようだ.(いくつかの具体的な例が示されている)
  • 状況はフランスでも同じだった.貴族たちは収入を維持しようと農民たちをより抑圧した.それは1358年にジャックリーの乱として知られる暴動を引き起こした.暴動はすぐに鎮圧されたが,それは支配階層にとっては衝撃だった.直接的な暴動より影響が大きかったのは,不利な条件を押し付けられた農民による静かな棄村,逃散の動きだった.抑圧的な領主はある日耕作者がいなくなっているのに気付くのだ.
  • 黒死病から1世代後,領主たちが需要と供給の法則に屈したのは明らかだった.フランスの中世史研究家ギイ・ボワの推定によると,ほとんどの封建領主たちは収入の半分から3/4を失った(具体例がいくつか示されている).彼らの収入が低下した一方で,賃金上昇により工業製品の価格は上昇した.13世紀後半に貴族の繁栄をもたらしたダイナミズムが100年後に反転したのだ.

 

 
 
上層階級は,権力を用いて,なおしばらくは一般階層からの搾取を続けることができたが,結局それは維持不可能だ.不利な条件を押し付けようとしても,最終的には取引を拒否されることになる.