白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

絶不調。

やる気が出ない。気温変化によるものなのか、気圧配置によるものなのか、昨年と同様の盛り上がりを見せていた『THE SECOND~漫才トーナメント~』を心から楽しんだ後に訪れた燃え尽き症候群によるものなのか、明日の朝が来ることを恐れて無意識に夜更かしする日々を続けてしまい体調が優れないためなのか、つい先日に公開した長めの文章を書き切ったことで執筆欲が満たされてしまったのか、とにかくブログを更新する気力が出てこない。もっとも、どうしても更新せねばならないものでもないので、このまま放置してしまっても良いのだが、今春から「なるべくブログを更新していこう!」という衝動に駆られ、無理をしない程度に一日一回更新を努めていたため、ここで止まりたくないという気持ちもある。……というわけで、特に明確なテーマもゴール地点を設定することなく、このような文章を書き始めている次第である。中身のない文章を読まされる読者の気持ちにもなってもらいたい、と思われる方もいることだろう。気持ちは分かる。ただ、自分が大学生だった二十年前を思い返してみると、ブログなんて各々が書きたいことを書くための超私的な空間だった筈だ。生活に役立つ知恵だとか、人生の教訓だとか、専門的な知識だとか、そんな情報を得るための学びの場などではなかった筈だ。むしろ、情報提供によってアクセス数を稼ぎ、それら広告料へと転換させるような考えが蔓延してしまった結果が、昨今の滝沢ナンチャラだのインプレナンチャラだなんだという現状を生み出してしまったともいえるではないか。だから、これはこれで、別に良いのである。こういう文章が存在し、インターネットの片隅で公開され、過去ログとなっていっても良いのである。……と、そこそこ短いながらもまとまった文章が書けたところで、今日の更新分は完成したということにする。次回はもうちょっと頑張ろう。ほいほいほほいほい。

誰かにとっての救世主になっていたかもしれない話。

先日、新発売の本を買うために、高松市にある某書店へと出かけた。ただ手に入れるだけであれば、近所の本屋や通販サイトで注文して済ませることも出来るのだが、その本には限定特典として複数の漫画家によるイラストを掲載した小冊子が付いてくることになっており、それを取り扱っている書店が県内では高松の某書店に限られていたため、自動車で一時間ほどかけて県庁所在地まで足を運んだ次第である。

幸いにも、書店に足を踏み入れると同時に、目的の本を発見することが出来た。しかし、手に取ってページをめくってみても、中には何も入っていない。【小冊子付き】などのような説明書きも見当たらない。先にも書いたように、小冊子は限定特典である。発売から数日が経過していることを考慮すると、ひょっとしたら特典分が出払ってしまっている可能性も否めない。とはいえ、ここで小冊子が手に入らなかったからといって、わざわざ他県の取扱店舗にまで出かけるほどの気力は持ち合わせていない。なので、とりあえずこの本をレジカウンターまで持っていって、会計を済ませながら、さりげなく問い合わせてみることに決めた。無いなら無いでしょうがない。

レジ周りの様子を伺ってみると、運の良いことに並んでいる客の姿は見当たらない。ここぞとばかりに店員の元へと突撃し、会計作業を始めてもらう。持ち運び用のビニール袋が用意され、紙製のブックカバーが本へと掛けられ始める。小冊子が取り出されるような素振りは見られない。ここで話を切り出す。「あの、この本って、特典で小冊子が付いてくるみたいなんですけど……」。すると、店員は作業中の手を止めて、顔をあげて「少々お待ちください」と言い残し、レジカウンターの奥にある棚を確認し始めた。

この時点で私は、店員が小冊子の在庫がまだ残っているのか、その確認しているのだろうと思い込んでいた。だが、それはとんだ勘違いだった。何故ならば、店員の表情にはっきりと緊張感が漂っていたからだ。奥の棚を探し終えた店員は、続けてレジカウンター内にあるパソコンで何かを調べ始めた。何を調べているのかは、こちらからは見えなかったので分からない。それから他の店員を呼び出して、相談を始めた。声量を抑えてひそひそと話してはいたが、なにせ目の前で会話しているため、聞こうとせずともうっすらと内容が耳に入ってくる。「見てない」「あるらしいんですよ」「他の店じゃないの」「サイトにはこの店の名前が載っているんですよ」……。どうやら私が購入しようとしていた本の特典として付いてくる小冊子の存在を、本屋の店員は把握していなかったらしい。そんなことがあるのか。

いつの間にやら、店員の数は四人にまで増えており、全員が小冊子の有無を確認するためにあっちこっち走り回っていた。その慌てふためいている姿に、なにやら罪悪感を覚えそうになったが、発売直後ならばまだしも、発売日から数日後の午後の時点で、棚に並べられている本の特典の存在を把握していなかった店側に非があるのは明確である。とはいえ、そうこうしているうちに他の客が会計にやってくるし、その度に店員は対応に追われているし、だからといって私に出来ることなど何もない。ただただ立ち尽くし、一刻も早く小冊子の有無が判明することを、祈るばかりである。どれだけの時間が過ぎたか分からない。最終的に、レジカウンターの奥にある倉庫のようなところから、店員の手によって小冊子が無事に発掘され、私の元へとやってきた。会計を済ませ、本と小冊子の入れられたビニール袋を受け取り、店を後にする。

そのまま別の書店へと移動している最中、私は頭の中で妄想を膨らませていた。

もしも私が限定特典の存在について問い合わせていなければ、あの書店で同じ本を買い求める人たちの元に小冊子が届かなかったかもしれない。そのうちに本の在庫がなくなってしまったとしても、小冊子の存在は誰にも気付かれることなく、静かに書店の倉庫の片隅で眠り続けていたかもしれない。しかし、私が問い合わせたことによって、店員は小冊子の存在に気付き、これから同じ本を買い求める人たちの元に届けられることになる。いわば私は、その書店で同じ本を買い求めようとしている人たちにとって、意図せずして救世主になれたわけだ。無論、これは本当に大袈裟な表現だし、そもそも本気でそんなことを思い込んではいないのだけれど。でも、とはいえ、その起こり得たかもしれない最悪の可能性の芽を摘めたという意味では、まあ良いことをしたのだろう。善意によって生まれたものが、事故によって、本来届けられるべき人のところに届かないなんて、あまりにも哀しすぎるわけだし。

……しかし、そうなると私よりも前に、あの本を買い求めた人がいた可能性は……?

2024年6月のリリース予定

26「マシンガンズ初単独ライブ~最初で最後~
26「M-1グランプリ2023 ~『爆笑が、爆発する。』~

すが家です。五月の終わりにしては暑い日が続きますね。もっとも、そんなことを毎年のように話している気がするので、ただ単に五月から六月にかけて、記憶情報がアップデートされていないだけなのかもしれません。この時期って、イベント性に欠けているからか、なんだか記憶に残りにくいですよね。“梅雨”って言葉がキャッチ―過ぎて見失いがちですが、要するに雨の日が多い時期ってだけですからね。もうちょっとメリハリがあると記憶にも残るのでしょうけれども。いつか、こういう時期を「風流」とかなんとか呼べるような、そんな感性が身につく日も来るのでしょうか。……来ないような気がするな、性格的に。

そんな六月のラインナップですが、ちょっと寂しいですね。マシンガンズの新作リリースぐらいでしょうか。マシンガンズは昨年八月に『怒 〜再編集版〜 』をリリースしていましたが、こちらはタイトル通りに2008年発売の旧作に手を加えた再編集版で、単独名義による完全なる新作となると、2009年に発売された『マシンガンズ in エンタの味方! 爆笑ネタ10連発 ファイナル』以来、およそ十五年ぶり。ネタもビジュも爆発している二人の舞台をその目で確認しましょう。あと、M-1の新作もリリースされますね。こちらは決勝戦・敗者復活戦・アナザーストーリーに加えて、特典として令和ロマンによる「決勝戦完全攻略講座」を収録する予定になっています。相変わらずM-1の公式ビデオは痒いところに手の届く企画を用意してくれますね。これを見ておけば、今年のM-1がもっと面白く観られるようになる……かもしれませんね。

明けて七月は打って変わってコント尽くしな一ヶ月になりそうです。注目は、あの売れっ子コンビによる八年ぶりの新作でしょうか。テレビやYouTubeではバラエティや芸人に対する愛を爆発させている彼らですけれども、単独ではどんなネタをやっているのか、気になるところですね。

好きな03発表ドラゴン

流行っている曲をなんとなしに聴いてみたところ、自分ならどんな替え歌が作れるだろうか……という思考が止まらなくなってしまったので、ここにしょうもない替え歌を公開します。土日祝のブログ更新なんて、これぐらいでいいような気もしています。

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何言ってんだかわかんない2

少し前に、とあるテレビプロデューサーの振る舞いについて、腹を立てたことがあった。氏が手掛けている番組の放送終了後、その番組のゲスト出演者がはっきりとは告知されていなかった(そのゲストは放送の数日前に不祥事を起こして活動自粛が発表されていた)理由について邪推した一般視聴者のつぶやきに対して、引用の形式で言及していたためである。氏が一般のテレビプロデューサーであれば、そこまで気にかけることはなかったのだろう。だが氏は、自身の名前を冠したラジオ番組でパーソナリティを務め、100万人を超える登録者を抱えたYouTubeチャンネルを運営し、テレビ番組でMCの仕事もこなす、いわゆるインフルエンサーだ。そんな氏が、引用という自身を支持するフォロワーにはっきりと見せつける形式で、一般視聴者のつぶやきに対して批判的に言及するという行為は、ネット炎上を誘発しかねない、とても危ういものだと感じたのである(念のために付け加えるが、インフルエンサーが一般人のつぶやきを批判するべきではない、という話ではない。ここで言及しているのは、あくまで影響力のある人が“引用”という手法を取ることによって、もたらされる事態に対する危惧である)。当時、私は過去の炎上事例や自らの炎上経験を挙げながら、この行為の危うさについてSNSで疑問を呈したのだが、さほど共感を得られなかった。それどころか、「番組の制作者には敬意を表さないといけない」という真反対の反応を見かけ、強い脱力感に襲われたように記憶している。この件は、むしろ視聴者を影響力のある制作者が管理してしまえる可能性について、疑問視したつもりだったのだが……。この時、私は徒労感とともに、怒りの感情を他人に伝えることの難しさについて学ばされたのであった。……そんな記憶が、ここ数日の朝日新聞に掲載された野沢直子による人生相談に対する激しい反応を見ていて、ふと蘇ってきた。正直なところ、私はこの件について、あまりピンときていない。相談に対する野沢氏の回答が良くないものないらしいということは理解できたのだが、だとすれば、相談者に対して何と回答すべきだったのかが、私には分からないからだ。野沢氏の姿勢が良くないというのであれば、どう対応すべきだったのか。不正義や理不尽な行いを許せないという感情を止められない、怒りに燃えて困っています、という相談者に対して、どのように答えればいいのか。肝心なところが分からない。分からなさがジャマをして、共感のトリガーが引かれないから、怒れない。当時の私を見ていた人たちも、このような感情になっていたのかもしれない。まあ、共感を得られないからといって、だから怒らないという選択肢もないのだけれど。

追記。野沢氏の件について、時事芸人のプチ鹿島氏が文春オンラインにコラムを寄せていた。野沢氏の回答をやたらに持ち上げ、冷笑的な態度をアピールする朝日新聞の記者を厳しく批判する内容のものだ。

そこにさり気なく、本文で私が気に掛けていた相談者に対する自身の回答についても言及されていた。曰く「ニュースを見るという姿勢は大事」「権力者は「無かったことにする」のが常套手段」「ニュースを見て思い続けるだけでも有効な手立て」とのこと。その態度が正しいのかどうかは無知な私には分からないが、きちんと相談者に寄り添う姿勢を見せてくれたことに、改めてプチ鹿島という芸人を好きでいて良かったなあと思ったのであった(元々の「俺のバカ」というコンビが好きだったのだ)。

たまに考えてしまうYouTubeプレミアムと広告の話。

YouTubeプレミアムに加入していない。お金を払いたくはないからだ。ケチなつもりはない。YouTubeプレミアムに対して、お金を支払うほどの価値を感じていないだけの話である。なので、いずれは加入することになるかもしれないが、少なくとも今の時点で、その予定はない。このYouTubeプレミアムの特典のひとつに【広告なしで動画が見られる】というものがある。YouTubeの動画を見ているときに、何の前触れもなく一方的に広告動画が流れることがあるのだが、それを見なくても良いというのである。この他にも、オフライン再生、バックグラウンド再生などの特典があるようなのだが、この【広告なしで動画が見られる】ことがYouTubeプレミアムにとって、一番の売りであるらしい。この話を聞くたびに、不思議な気持ちにさせられる。本来、広告というものは、広告主が自社の広告動画をユーザーに見てもらうために、動画サイトに広告料を支払っている流れになっているものであると思われる。しかし、その動画サイトが【広告なしで動画が見られる】ことを利点として捉えているということは、つまり動画を見る上で広告動画がノイズであると自覚し、それ自体を売りにしているということを意味している。だとすれば、そんな態度を取っている動画サイトに対して、広告主はどういった感情で契約を交わしているのだろう、などと考えてしまう。動画サイトに広告を打ち出せるほど大きな企業に務めたことはないし、広告業界にも詳しくないので、具体的なところはなんにも知らないのだけれど、こんなことをたまに考えて、一人で勝手に「なんだかなあ」と首をかしげてしまう、そんな今日この頃である。ヒマだね。

『TOKYO SPEAKEASY』はもっと聴かれるべき問題

『TOKYO SPEAKEASY』という番組がある。深夜1時に月曜日から木曜日にかけて放送されているTOKYO FMトーク番組である。現実には存在しないとされているバーを訪れた二組の他所では聞けないような会話をとなりの席で盗み聞き……というコンセプトの元、日替わりのゲストたちによるトークが繰り広げられている。FM局で放送されていること、オールナイトニッポンニッポン放送)やJUNK(TBSラジオ)の裏番組であること、秋元康が番組をプロデュースしていること、2023年度に常連客と称した固定パーソナリティシステムを導入していたこと(落合陽一・堀江貴文日比野克彦の三名が担当)などの理由から、聴かずに毛嫌いしている人も少なくないのではないかと思う。しかし、ひとつのトーク番組として冷静に見てみると、日替わりパーソナリティの顔ぶれはかなり良いことに気付かされる筈だ。特に固定パーソナリティシステムを撤廃した今年度に入ってからは、芸人同士によるトーク回が激増しており、お笑いファンとしては無視できないレベルになっている。例えば、4月19日「ケンドーコバヤシ×くっきー!(野性爆弾)」、5月2日「オダウエダ×オズワルド」、5月9日「伊達みきおサンドウィッチマン)×友近」、5月14日「吉村崇(平成ノブシコブシ)×5GAP」、5月17日「バイク川崎バイク×屋敷裕政(ニューヨーク)」……などなど、ラインナップを見ただけでも強力であることがよく分かる。また、別ジャンルで活躍している人たち同士の意外な組み合わせになる回があるところも、この番組の魅力である。今年でいえば、1月9日「太田光爆笑問題)×加藤シゲアキ(NEWS)」、1月16日「令和ロマン×atagi・PORIN(Awesome City Club)」、3月19日「ふかわりょう×志摩遼平(ドレスコーズ)」、5月7日「ハリウッドザコシショウ×ベッキー」などの対談が敢行されている。毎回必聴の番組とはいえないが、週に一度、その面々を確認するだけの価値がある番組だと思うので、時間があるときにでもチェックしてみてほしい。ちょっと公式アカウントの告知が頼りないのが難だが。

泉谷しげる『春夏秋冬』は生活する人たちに時代を超えて声を掛け続ける

ミュージシャンとしての泉谷しげるの存在を知ったのは、20世紀末だったように記憶している。所ジョージ坂崎幸之助篠原ともえの三人による音楽番組『ミュージック・ハンマー』にゲストとして出演していた福山雅治が、泉谷しげるの代表曲『春夏秋冬』をカバーして弾き語っている姿を目にして、「なんだこのメロディは!」と衝撃を受けたのである。当時、私はフォークソングに対して強い興味を抱いていて、その頃リリースされたばかりの井上陽水吉田拓郎のベスト盤をいつも聴いていたのだが、『春夏秋冬』のコード進行とメロディは、彼らの楽曲とはまったく違っていた。なんだか惹きつけられるものがあったのだ。

その後、何がきっかけだったのかは覚えていないのだが、改めて『春夏秋冬』が何を歌っている曲なのか、きちんと向き合ってみようと思い、歌詞を読み込んでいて、改めて衝撃を受けた。『春夏秋冬』で歌われていたのは、進展のない日々の空しさ、努力しても報われない哀しさ、他人に合わせないと生きられない不器用さ、他人と上手く付き合えない辛さ……そんな、日常に希望を見出すことが出来ずにいるような人たちに向けて【今日ですべてが始まるさ】と声をかける、いわば人生の応援歌だったのである。あの、あの泉谷しげるが、こんな繊細なメッセージを歌詞に込められるのか。「がんばれ」だの「負けるな」だのというような分かりやすい言葉による後押しではなく、その日常を否定することなく、そっと寄り添って将来に希望を持たせるような言葉をさらっと掛けるような、そんなメッセージを。以来、私は泉谷しげるのことを、一目置いている。ネット上では批判の俎上にあげられることもあるが、一定の信頼を寄せている。信仰はしてないけれども。

そんな『春夏秋冬』は、現在『THE SECOND~漫才トーナメント~』の最終決戦の結果発表までの時間に使われている。良い選曲だと思う。なかなか売れる機会を見出せない日々を過ごしてきたファイナリストたち(優勝者だけに、では終わらないだろうところがこの大会の良いところだ)に向けられる曲としては、あまりにも最適である。