嘘の息子覚書控え

本家の控え

2024-04-14

パイプなんて刻み煙草を詰め込むだけと思ってたら、世の中には時間を掛けて喫煙で着色していくメシャムパイプという物があるとか。やがてこの世に一つだけの色を持つパイプになっていくそうで、なんとも気の長い話。

某所より。
「不祥事には、被害額とかが二桁億円になってくると、『こち亀』感が出てきて面白くなってくるというバグがある」
どこで見たのだったか、どういう根拠があるのかは知らないけれど、「どうせ刑務所行きになる前提で横領に手を出すなら5億円以下は割に合わない」(大意)という話があったので、もしもの時はそれを思い出すようにしている。

某所より。
「高校生の頃1日1枚500円でディードリットのコスプレ絵(ナースとかスチュワーデスとか)を先輩からの依頼で描いてたら
本にまとめられてコミケという場所で売られていたらしいというのが同人デビュー」
食事と引き換えでZに描いてもらったことはあったが、現金買取はやってなかったかな。いや、デザインノートは何かと引き換えだったような…。

スマホがなかった時代のことをあれこれ聞いてくる学生たち、なぜか瞳がキラキラしている… これはあれだ。異世界を見る目だ…」

2024-04-13

某所より。
老害くさいことを言うんだが、最近は読書でも映画でも他人の知らない自分だけのなにかを愉しむという隠微な快楽が失われている気がしていて、例えば自分の場合、国書の『幻想文学1500ブックガイド』とかを片手にわけのわからない本を探し歩いていた時期が読書人生でいちばん愉しい時期だった。」
書店で配布されていた富士見書房の図書解説目録を眺めるだけでも楽しかった時期を思い出す。わずか3~4行に本の内容が詰め込まれて、それだけで読書した気分に。『大菩薩峠』の巻数が多かったのは記憶に残ってる。

某所より。
「CD-Rの寿命が20年くらいなんだけど、そろそろ00年代に買った同人CDがやばい デジタル配信されていない曲、再販もない、そもそも作者が行方不明 もはやこの手元にあるやつだけが最後」
ゲーム音楽のアレンジ楽曲CD、あのジャンルは今はどれくらい続いているのだろう。東方は元気みたいだけど、他では。

「見た目の欠点は、2分以内に対処できないものについてはどんなに仲良くても言及しない方がいいっていう考え方を知ってから、わかりやすくていいなーと思ってる

髪に芋けんぴついてる場合は言っていい」

2024-04-12

今年の桜は晴天に恵まれなかった。

某所より。
「私が20才前後の若き時、海外へ行って「思い出は写真なんかじゃなく、自分の記憶に留めておきたい。」と強く思っていて、そんなに写真を撮らなかったんですよ。 40才半ばを過ぎた今、記憶力が大変おぼつかなくなって、「結局残るのは写真だけ。」を座右の銘にして生きている。 参考にしてください。」
グアム島射撃ツアーには同行しなかったので、香港旅行が最後の海外団体旅行になってしまったが、あの時は電池式のデジカメをメモリー一杯に撮影しておいて良かった。さらに言うと、データを分散しておいたので、消えずに残ったのも良かった。同じ年の冬の神戸旅行は、どうやらHDDトラブルで撮影データを紛失したようだから。ASAの引っ越しのときに撮影した画像も消えて、残っていたら一升瓶と一緒に持っていけたのに。

「文章力に自信がないと言った時「大事な人が一生懸命作ってくれたオムライスなら、多少卵が崩れていたって、愛おしく、おいしく食べようと思えるでしょう。似たようなものだと思います。言葉も。」と言ってくださった方がいて、私はこの言葉に何度も救われたし、この言葉に今も生かされている。」

2024-04-11

ロイヤルホストのドリンクバーで飲んだアメリカンコーヒーが目を見張る旨さだったので、これはまた行かなければ。

某所より。
「私が最後に参加した10年以上前。50冊刷らなかったし通販もしなかった。あくまで私にとってイベントとは同好の仲間に出会って嬉しくなるためだった。だから今の同人界は本を作る人に商業的な役割を求めすぎのように感じる。ノベルティなくていいし新刊落として構わない。通販も無理しなくていい。」
定期開催のイベントに欠かさず参加するなら物足りなくも思うだろうけど、一度きりの参加で一期一会のものと割り切るなら、サークルが活発かどうかは気にならなくなるだろう。今はコミティアにもめったに行かないし、コミケからは遠ざかっているので、ますますその思いが強くなる。でも、気が向いたときだけ創作して、気が向いたときだけサークル参加というのは、それはそれで困難が伴うだろうし、非現実的かも。

「知り合いに「エヴァはジェットコースーだから良いんだ、ジェットコースターにストーリーを求める奴は居ないし、それが好きか嫌いかは人による」って言われて納得してしまった、、、
ちなみに自分はTV版しか見てませんw」

2024-04-10

『Unnamed Memory』、新番組。原作は、古宮九時が個人サイト時代からの投稿を小説家になろうに掲載して、それが電撃の新文芸から書籍化された……という経緯らしい。魔女と腕が立つおもしれー男の組み合わせは、まだ数こそ少ないものの、いずれ一ジャンルを形成できるのではないかと思われる。書籍化やコミカライズ作品もそれなりに見かける。

タイトルの連想から「王立温泉ルリルラ」で聞いた「nameless songs」を聞き返したくなった。

思ったよりJTBのシステムは窮屈なようで、数カ月先の旅行予約で同行者に不都合が生じたため、代わって別の人にしたいと連絡を入れたら、システムの都合でダメの一点張り。保険も含めて入金済みだったものの、仕方がないのでまとめてキャンセル。旅行を取りやめるか、別の旅行会社で改めて探してみるか、まだ時間に余裕はある。

「自分にもヤバ要素はあって油断すると「こんなにしてあげたのに」と見返りを求めたり、「自分は頑張ってるのにそれに比べてあいつはぬるい」と八つ当たりを始めたりしそうなので「身を削らない」を念頭に置くことでヤバの芽に餌をやらない&発動させないように気をつけているつもりではある」

2024-04-09

小学校の入学式が大雨に。桜が満開でも、これでは。

ふの付く某所より。
「難病治療のために一月半に一回病院いく必要があってクソ面倒なんだけど
ちょっとした異常でもすんなり掛かり付けの医者に相談できるのは便利って気も多少はする
一病息災ってたぶんこういうことなんだな」
亜愛一郎の「藁の猫」に一病息災という言葉が登場したのを思い出す。あの短編の最後、「僕は今、東巨の思想を、極端にまで押し進めています。」という亜の台詞は、浅坂妻夫の処女作「DL2号機事件」を連想すると同時に、栗本薫が生み出した名探偵伊集院大介の推理法も重なる気がする。『天狼星』だったかな、恐ろしいからこれ以上犯人の考えを想像したくない、みたいな場面があったような。

京都に柴又帝釈天と、T嬢も旅行を楽しんでる様子。YouTuberと京都の関係は?

「>遺産めぐって親戚同士が争ったよ
>そりゃもう三流ドラマか?って思うくらい醜かった
うちの父が今の土地や家を相続したとき
大叔父がひっそり訪ねてきて居合わせた小学生の俺に面と向かって
「お前らがこの家を継ぐのか」と言った
あの〝後継に選ばれなかった怨嗟〟の顔は忘れないわ」

2024-04-08

某所より。
「はじめにもどると「この世界の片隅に」ではそのあたりがとてもよく描かれていて、自分が思い焦がれた人が必ずしも運命の人じゃない。どういうふうに出会っても、お互いに関係を積み上げていくうちに、事後的にその人が運命の人になるのだと。仕事も同じじゃないかな。」
ふとした拍子に教授(?)から「人生を振り返ると、今と同じくらい幸せになれた伴侶は、10人(だったかな?)くらいいた気がする」……という話を目にしたのは、知恵の泉だったような気がするものの、今となっては確認できない。仕事も同じかもしれない。

某所より。
「定期的に言うんですけど、同人誌の適正な発行部数は「1冊も売れなくても生活に支障が出ない金額の範囲内で刷れる数」だょ」
印刷代に参加費に交通費、場合によっては宿泊費、もろもろ含めて丸めた上で、打ち上げとして焼肉屋に行くくらいは……という儚い希望。「ダメだ、もう捨てねばならんのに、夢がこびり付いて拭えん……」のは、もう仕方ないのでは。

「初めてkiina(氷川きよし)の現場行った時、看護師2名付き添いで呼吸器つけた車椅子のファンの方いて、ここは『遊び』で来るとこじゃねえと思った」