タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

【ACMA:GAME】友人には恵まれてるのにね…【アクマゲーム #07】

初って肝心な所でロクな男と出会わないから、何だかんだ人生って実力もだけど人との出会いも運命を左右しますよね~。

 

(以下、原作を含むドラマのネタバレあり)

※原作者が今回の改変に関して批判意見を述べていたので追記しました。

(2024.05.22)

 

「籠球果実 Basket Fruits

ACMA:GAME(12) (週刊少年マガジンコミックス)

今回のゲームは原作の10巻~12巻にわたって展開された、これまでのゲームと比べてやや長丁場な戦いとなる。ドラマでは照朝と初の友人同士の戦いという描かれ方をしていたが、原作の照朝と初の関係はほぼ初対面に近く、3歳の頃に会ったという程度だ。照朝の父親と初の父親が友人だったため、そのよしみで照朝と初は幼少期に顔を合わせていたようだが、実はこの初の父親が原作では総理大臣であり、グングニルに操られて日本を独裁国家に変えてしまった張本人なのだ。

そういう訳で原作の照朝と初にとってグングニルは父親の仇なのは間違いないが、あくまでも初は照朝を下僕として扱おうとし、孤高の帝王という感じで高圧的に照朝と対峙する。初のこの不遜な態度には勿論彼なりの事情や孤独が関係しているのだけど、今回のチーム戦では照朝と紫が協力プレイで挑んだのに対し、初と伊達のペアはチームとはいえ上下関係という結びつきで「個」として戦ったことが勝敗に大きく関わることとなる。

 

そんな初のペアとなった心理学者の伊達俊一郎は一言で評すると変態サディスト野郎だ。原作10巻ではそんな彼の人となりがより詳しく説明されていて、自分以外の人間を観察・実験の対象と見なし、相手の心をズタズタにしてへし折ることに快楽を覚えるというクズ野郎だ。そのくせ『人の飼い方』という、どう見ても炎上必至なタイトルの本を著してベストセラーになっているし、大学で専用の研究室を持っていたりと、とんでもねぇクズの割にそれなりの社会的地位がある設定なのが、いかにも漫画的ではある。(っていうか、『人の飼い方』という本がベストセラーになるって原作の日本は相当なディストピアだよな…)

 

ではここからはゲーム解説に移る。「籠球果実 Basket Fruits」は5種類の果実の球(ドラマは牌)を選択して場に出された20個の球から、果実の種類とその個数を当てるゲームだ。ゲームとしては3話で照朝と潜夜がプレイした「五印一当」をチーム戦用にアレンジしたという感じだが、リタイアしたプレイヤーの手球を公開する辺りはトランプゲームのコントラクトブリッジ※1を彷彿とさせる。

ゲームの具体的なルールは原作と同じで、コールされた果実とその個数をダウト(原作は「ジャッジ」と宣言)した際に、コールされた個数と実際の個数が合っていればコールした側に加点され、間違っていた場合はダウトした側に得点が入る。当然ながら、一番点数の高いリンゴでダウトを成功すれば勝利に近づく訳だが、失敗してコールした側に得点を与えてしまうリスクもある。そこの見極めが勝敗の鍵となってくるのだが、今回は4セット目を除いて、特に手駒に細工をするといったイカサマを仕掛けることもなく、悪魔の能力も使わずに、純粋に頭をはたらかせてゲームに臨んでいるのが注目すべきポイントだろう。各プレイヤーの思考の流れを把握するためにも、今一度ゲームの展開をおさらいしてみようと思う…のだけど、実は点数の推移や選択した手球の種類は原作と違っているため、ドラマのゲーム展開をまずおさらいして、その上で原作との違いについて説明しよう。※2

 

〈1セット目〉順番:紫→伊達→照朝→初

照朝:リンゴ3、ナシ2

紫:リンゴ2、ナシ2、イチジク1

初:ナシ1、イチジク1(残り3つはミカンかズッキーニの両方か片方)

伊達:リンゴ1、ナシ1、ミカン1、ズッキーニ2

 

合計:リンゴ6、ナシ6、ミカン1(+?)、ズッキーニ2(+?)、イチジク2

ポイント:照朝-1、紫-5、初5、伊達1

まずは一番点数の低いイチジクからコールを始めるのは誰しも思いつくこと、しかし初はリンゴをコールするという強気の態度に出ることで、場にリンゴが7個以上あると紫に思わせた。このように、あえて実際より多めにコールをすることで次の次、つまり伊達にダウトをさせて得点をゲットさせるという戦法をとったのだが、それに加えて紫がリタイアしたことで順番が初から伊達、つまり味方から味方という流れになったことを利用して初はわざと「1つ以上」のコールをしてそれを伊達にダウトさせる、つまり伊達のポイントを初へと流すポイントの譲渡を行った訳だから、この時点で初はかなりゲームの特性を把握していることがわかるだろう。この頭の回転の速さこそ、初の強みであり、更に初は照朝に対して選択肢を提示することで追い打ちをかける。

 

ミカン:場に出されたのは1個だけ。場に出た果実+照朝自身の手球から初の持っているミカンは最大3個だと考えると、4個以上をコールするのが妥当。

ズッキーニ:2個以上コール済みなので、3個以上コールしなければならない。初曰く「自分は持っていない」ため2個で確定か。

イチジク:4個以上コール済みなので5個以上をコールするしかない。ただし初がイチジクを3個持っていたとしても5個以上にはならないし、コールした時点で照朝はダウトを宣言するのでコールする必要がない。

 

以上を説明した上で初は「ミカン4個以上」をコールし、結局照朝は「イチジク12個以上」のコールで失点を最小限に抑えるという方策をとった。

ちなみに原作では照朝は初の勢いに気圧されることなく、更に思考を巡らせて初の手球を推理し、その度胸が功を奏して1ポイント獲得している。ここは尺の都合でカットせざるを得なかった部分だと思うが、ドラマの初はこれまでの活躍度合いを考えると照朝と互角にするよりは優勢の立場にしておいた方が良いと判断されたのだろう。この後の2セット目の展開を考えれば、改変としては問題ないと思う。

 

〈2セット目〉順番:照朝→初→紫→伊達

照朝:リンゴ1、ミカン2、イチジク2

紫:ズッキーニ2、イチジク3

初:(不明)

伊達:(不明)


合計:リンゴ1、ナシ3、ミカン(?)、ズッキーニ2、イチジク2(+?)

ポイント:照朝3、紫-9、初0、伊達4

この2セット目は伊達が実利目的ではなく愉快犯的な人物であることを紹介するためのセットなので、初と伊達の手球は明らかになっていない。なのでゲームとしては特別注目すべき点はないのだが、原作における2セット目は勝者が敗者に課した「絶対服従」の拘束に抜け道があることを明らかにしており、そこがゲーム展開と密接に関わっている。この絶対服従のルールは「アクマゲーム」ならではの設定なので、ここをカットしてしまったのは何とも勿体ない話である。

 

〈3セット目〉順番:照朝→伊達→紫→初

照朝:ミカン2、ズッキーニ3

紫:ミカン3、イチジク2

初:ズッキーニ2、イチジク3

伊達:ナシ2、ミカン2、イチジク1


合計:リンゴ0、ナシ2、ミカン7、ズッキーニ5、イチジク6

ポイント:照朝4、紫-14、初9、伊達1

3セット目は1セット目の経験を活かして照朝・紫ペアは手球にリンゴは選択せずリンゴをコール、1つずつ上乗せすることで自分たちもリンゴを持っていると思わせダウトで5ポイントを狙ったが、その作戦は初・伊達ペアも考えていたため初に5ポイントが渡り、次のコールでは「ミカン12個以上」のコールによるポイント譲渡で初に更に3ポイントが加算される。原作の照朝はこの時点で7ポイント、初は6ポイント獲得しており、先にナシで4ポイントをとった方が勝者という一騎打ちの状況だったのに対し、ドラマの照朝はこの時点で5ポイントしか取っていないため、初に4ポイント入るのはどうしても防がないといけないという、この状況の違いが注目すべき点だろう。

原作もドラマも照朝は初の手球にナシが3個あると推理して外すという結果に終わったが、原作は一騎打ちという状況ゆえにナシでジャッジ(ダウト)を宣言しなかったことに対して初は「臆病者」とかなり手厳しいコメントを返している。

 

〈4セット目〉順番:初→照朝→伊達→紫

照朝:ミカン3、ズッキーニ2

紫:ミカン3、ナシ2

初:リンゴ3、ズッキーニ2

伊達:ナシ2、イチジク3


合計:リンゴ3、ナシ4、ミカン6、ズッキーニ4、イチジク3

ポイント:照朝11、紫-16、初6、伊達-1

最終セットは両チームともここで相手が10ポイントに到達すると決着してしまうので駆け引きもこれまで以上に熾烈さを増す。初・伊達のペアは盗聴器によって照朝・紫ペアが「ミカン0個」で来ると判断したが、照朝は盗聴器が仕掛けられていることに気づきそれを逆手にとって初にダウトを宣言させることに成功した。

ちなみに原作ではこの「ミカン0個(嘘)作戦」は少し複雑な展開になっている。照朝は2セット目で初と伊達のペアが一枚岩の関係ではないと見抜き、それを利用して伊達にわざと裏切りを持ち掛けて「ミカン0個」でいくと話す。伊達と照朝の会話は無線によって初に筒抜け状態だったのだが、伊達が初を2セット目で裏切ったことがカモフラージュの効果を果たし、照朝の裏切り工作自体が罠だということに気づかず失点することになる。

 

紫のポイント譲渡によって5ポイント獲得した照朝は残った伊達と対決することになるが、ここからは悪魔の能力による攻防が繰り広げられるのが面白い所で、伊達の「視界の強制交換 サイトジャック」※3によって照朝の手球を盗み見ようとするも、照朝の「一分間の絶対固定」によって見ることが出来ず、それならばと初は自身の「肯定する従順羊 イエスマン・シープ」を発動して、照朝に「YES」と答えさせることで紫の反応から照朝はズッキーニを2個持っていないと判断した。しかし、ここは演技の天才である紫の面目躍如、見事初を欺きダウトを宣言させることに成功した。

 

※1:コントラクトブリッジ - Wikipedia

 

※2:原作の各プレイヤーの選択した手球と得点の推移は以下の通り。

〈1セット目〉

照朝:リンゴ3、ナシ2

紫:リンゴ2、ナシ2、イチジク1

初:ミカン3、ズッキーニ1、イチジク1

伊達:リンゴ1、ナシ1、ミカン1、ズッキーニ2

合計:リンゴ6、ナシ5、ミカン4、ズッキーニ3、イチジク2

ポイント:照朝1、紫-5、初3、伊達1

〈2セット目〉

照朝:ズッキーニ2(残りの3つはミカンかイチジクの両方か片方)

紫:リンゴ3、ナシ2

初:ズッキーニ2、イチジク3

伊達:ナシ1、ミカン3、イチジク1

合計:リンゴ3、ナシ3、ミカン3(+?)、ズッキーニ4、イチジク4(+?)

ポイント:照朝7、紫-9、初-2、伊達4

〈3セット目〉

照朝:ミカン2、イチジク3

紫:ミカン3、ズッキーニ2

初:ズッキーニ3、イチジク2

伊達:ナシ2、ミカン2、ズッキーニ1

合計:リンゴ0、ナシ2、ミカン7、ズッキーニ6、イチジク5

ポイント:照朝5、紫-14、初8、伊達1

〈4セット目〉

照朝:ミカン3、ズッキーニ2

紫:ミカン3、ナシ2

初:ミカン3、ズッキーニ2

伊達:ミカン3、イチジク2

合計:リンゴ0、ナシ2、ミカン12、ズッキーニ4、イチジク2

ポイント:照朝12、紫-16、初5、伊達-1

 

※3:これって某ホラーゲームの「視界ジャック」そのものですよね。

 

原作者による批判

原作者のメーブ氏による批判ツイートを拝見したので、3話の時と同様にツイートを紹介しながら私の意見も述べたい。一応言っておくと今回原作者はかなり厳しい批判をしているのでそれを踏まえた上で読んでいただきたい。

 

1.結局何のためのトーナメント戦?

私は先に原作を読んでいるので、グングニルが世界革命をする上で日本支部を作ってその支部のトップを任せられる逸材を選出するために今回のトーナメント戦を開催したことはわかっているのだけど、原作未読の人にとってはこのトーナメント戦がどういう目的なのか、そしてそれを行うことがグングニルにとってどんなメリットがあるのか、全くもってわからないため、原作者が批判したのも納得である。

ドラマの劇中でも照朝は崩心たちの目的を問いただしているのに、崩心は答えをはぐらかして一向に教えてくれないし、そのくせ他の参加者はその点について全然疑問に思っていないのもおかしな話ではある。悪魔の鍵を所有する数が多いほど幸運が舞い込むというドラマオリジナルの鍵の付加価値があるにせよ、それだけの目的で参加者がここに来た訳ではないのは明確だし、優勝したらどうなるかも不明なので、明確な返答をはぐらかすだけの理由がドラマのグングニルにはあるのか、今後の脚本の舵取り次第でこの辺りの出来栄え、評価が変わってくるだろう。

 

2.今回のゲームは何を賭けてたの?

トーナメント戦は「敗者が勝者に絶対服従する=勝者に生殺与奪の権を与える」ことを前提としているため、今回ドラマスタッフ(多分脚本か編集を担当した人だろうか?)は「別に台詞をカットしても良いだろう」と思って賭けに関する台詞をカットしたのかもしれない。ただ原作者としてはそこは毎回明言した上でゲームを始めてほしかったのだろう。

 

3.「籠球」果実なのに…

ゲーム解説の項で上述した通り、ドラマは手球が牌になっているのにプレイヤーは原作通り「手球」と呼んでいる。しかも中央の籠となるスペースはコロシアム風に改変されており、ゲーム名やアイテムの名称はそのままなのに、実際のゲーム用のアイテムは違っていることにモヤっとしたようだ。一方で「ジャッジ」は「ダウト」に変えているし、前回のゲームはゲーム名やスイッチの名称に変更があったりと、ゲームの名称・アイテムの改変がどういう基準で行われているのか、そこがハッキリしないから原作者も不満なのだと思う

 

今回のゲームに関して言うと、手球を牌に変えた理由は恐らくカメラで映す際に球状だと少し動かしただけでも転がってしまい、球に描かれた果実の絵がハッキリ映らなくなるから四角い牌に変えたのではないか?と私なら推理する。そして「ジャッジ」よりも「ダウト」の方が前の人のコールが嘘だと宣言するニュアンスとしては正確でありわかりやすいから「ダウト」に変更したのではないか?と私なら考える。

なので個人的にはアイテム・名称等の改変は撮影の都合やわかりやすさを考えての変更だと考えているし、そんなに目くじらを立てる程のことではないかなと思っている。

(あ、別にこれは「私ならこう考える」ってだけの話であって、3話の時みたいに「原作者のくせに思慮が浅いよな」という意図は含まれてません!)

 

4.絶対服従がないなら個人戦

照朝と初の交流期間が中学の2年間以来13年も途絶えていたくせに「お前のことはよく知っている」という初の発言については「それだけその時期の二人の交流がBL並みに濃厚だったんだよ!」で片付くと思うので流します。(!?)

 

問題なのは上述した通り、ドラマは絶対服従の設定をいい加減にあしらって、2セット目における原作の流れをカットした点だ。絶対服従がないのであれば、伊達にしろ紫にしろ裏切って勝ったら主従関係を逆転することは十分可能だし、チーム戦でやる意味がなくなるのだから、これはドラマのミスであることは間違いない。

 

5.伊達はどうして悪魔の能力を使えたのか?

原作では敗者は鍵と同時に悪魔の能力も失うという設定があるのだけど、多分脚本家はその辺りの情報をイマイチ把握出来ていないまま7話の執筆をしたのだろう。伊達が初に絶対服従なら、ゲーム中はその能力が初の同意の下で使用が許可されるという拡大解釈を脚本が行っている可能性は高い。

 

6.知っているなら使わせる必要はない

ここは私もうっかり見落としていた。確かに初は3話で照朝の能力を目にして知っているはずなので、わざわざ伊達に能力を使わせて照朝の「一分間の絶対固定」を使用させる必要はないのだ。3話を担当した脚本家はいずみ吉紘氏だが、今回の7話は谷口純一郎氏なので、両者の間で脚本・改変の確認・打ち合わせが出来ていなかったことで生まれたミスだと考えられる。

 

7.鍵の保管場所について

敵(グングニル)の視点で考えればトーナメント会場から離れていて、なおかつ厳重な警備で固めた場所に保管しているはずだし、グングニルを潰す目的でトーナメント戦に参加した照朝の存在を考えると島内に鍵を隠すのはリスクが高すぎる。原作者の指摘ももっともである。

ただこれは冷静かつ論理的に考えた場合の話であって、悠季の立場で考えればこのままグングニルの言いなりでゲームに参加するのは嫌で、何かしら照朝の助けになるようなことをしたいと思っての発言だと私は考えている。人間心理としては別に何の矛盾もないし、50本全てでなくとも鍵を奪うことが出来れば勝機が見えてくると悠季は踏んだのだろう。

原作者としては「悠季らしくない」と思ったのかもしれないが、人間は思っているほど論理的には行動出来ない生き物だ。時には感情的・直感的に動くことも視野に入れないとね?

 

さいごに

ゲーム解説の項で説明出来なかったけど、今回のゲームは原作ではゴリラの悪魔・ダーシンが考案したものであり、あの「1ジク」「ズッキー2」とかいうダジャレで得点と果実を結びつけるアイデアもダーシンが考えたことなので、そこは悪魔コルジァの名誉のために言っておきたい(あんなエレガントなフクロウ悪魔がダジャレというのは似合わないもん)。

 

前述したように「籠球果実」はこれまでのゲームと違い手駒に細工をするといったイカサマをあまり差しはさめない分、非常にゲームとしての純度が高いと感じたし、初の帝王然とした振る舞いでゲームを支配する感じもなかなか堂に入っていたのではないだろうか(ゲームの展開を1話で収めるために一部カット・省略したのはいただけなかったけど)。

原作の初は伊達を手駒としか思っていなかったことが敗因となったが、ドラマの初は友人設定に加えて4話の段階では苦労人として描写されていたので、「伊達と協力しなかった初が悪い」というよりも、「初って全然人に恵まれないよな…」と、トーナメントでよりにもよって変態サディストの伊達と組む羽目になった、その不憫さが私としては同情を誘うポイントである。目の前にめっちゃ頼りになるし信頼できる照朝がいるのに、そういう照朝に対抗意識をバチバチ向けて来るのって、友人を通り越して兄弟の関係に近いって感じがする。近しい関係だからこそ嫉妬心や対抗心が湧いてくるってよくある話だし、まぁそこが人間のわずらわしくも愛おしい一面ではあるよね?

 

さて、次回は潜夜&悠季ペアと毛利&浅井ペアの対戦、ということで原作13巻の「粘土問答」が開催されるようだけど、原作既読勢として先に言っておくと次回は間違いなくゲームの展開が改変されているはずなので、あのトンデモない原作の設定・展開をどうアレンジするのか、脚本のお手並み拝見とさせていただこう。

【体験レポ】タリホー、ゲゲゲの妖怪村に行く【東映太秦映画村】

4月初頭、当ブログのドラマ「アクマゲーム」の感想記事を書いた時に言っていたことを覚えている方はいるだろうか。

tariho10281.hatenablog.com

詳細は上の記事の冒頭を参照してもらえば良いので改めてその愚痴に関しては言わないが、あれから約一ヶ月経ち、一旦は自分の中で京都の太秦映画村行きをあきらめて貯金を温存するという選択肢をとったものの、日が経つにつれ「いや、やっぱ行きたいんだよな…」と旅行に対する思いが強くなった。

 

そこで一度「映画村に行った場合の後悔」「映画村に行かなかった場合の後悔」を考えてその二つを秤にかけるということを自分の脳内でやってみたのだ。

 

行った場合の後悔 → 多額の散財、思ったより企画がショボい、疲れる

行かなかった場合の後悔 → 記念が残らない、一回こっきりのイベントである可能性が高いのに「行けなかったという後悔」が残る

 

まだ東京とか北海道みたいに遠方での開催企画だったらあきらめがスンナリついたのだが、2時間以内で行けるテーマパークで行われるイベントをみすみす見送りにするというのは、「ゲゲゲの鬼太郎」を長年愛する私としては忍びない。それに多額の散財なんて一時的なマイナスだし、この後の節約・倹約でカバー出来ると考え、4月の中止宣言を撤回し…行ってきました!

 

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( パディオス一階の撮影スポット。味方みたいにゲゲ郎たちと並ぶ長田が何だかずうずうしい)

 

午前9時~10時半(スタンプラリーとフォトスポット等散策)

平日の通勤ラッシュの電車にもまれながら京都太秦駅に到着、5分ほど歩くと映画村の撮影所側の出入り口が見えて来る。ここで入村料を二人分払い(※母と行ってます)、まっすぐ反対側の正面口まで向かう。まだオープンして間もないのでパーク内は閑散としており、途中忍者姿のスタッフや撮影所の警備員を目にするといった程度だ。

 

ちなみに私は20年前に映画村に両親と来たことがあるのだが、何せ小学校入学前の記憶なのでほとんど覚えておらず、覚えているのは「史上最恐のお化け屋敷」に入ろうとして結局入り口で怖気づいて断念したことや、お堀から顔を出している恐竜を見たこと、石川五右衛門のレストランで食事をした、という断片的なもの。なので一部懐かしさを覚えるスポットはあったがほとんど新鮮な気持ちで散策していたと思う。

 

正面口のパディオスと呼ばれる建物に向かうまでの道中でスタンプラリーの台を二つほど通り過ぎたが、勿論この時点ではスタンプラリー用の冊子を購入していないためスルーして、パディオス二階の「ゲ謎」の展示コーナーへ向かう。エスカレーターの辺りから映画の劇伴が流れて来て思わず感慨深くなったし「ああ、来て良かったかも…」と内心喜びを噛みしめていた。

二階にあがるとすぐ目の前に水木先生生誕100周年に際して行われた「鬼太郎EXPO ゲゲゲの鬼太郎トリビュートアート展」で展示された作品の一部が展示されており、鬼太郎・ねずみ男の顔を象ったランプや、風神をモチーフにした鬼太郎のイラストが掛け軸として飾られている。他にもイラストや立体造形のアートが展示されていて面白かった。

 

そこから右手に行くと、特設ショップがあってトリビュートアート展の作品がクリアファイルとして売られていたり、「ゲ謎」関連の土産物が販売されている。ここで私はスタンプラリーの冊子にクリアファイルとゲゲ郎のお守りを購入する(母はクリアファイルとねこ娘の缶バッジを購入)。本当はアクリルスタンドも欲しかったのだけど値段が結構高いので断念。

 

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(購入したクリアファイル。右は確かぬ~べ~の作者が描いたイラストだった気がする。左のヤカンヅルをメインにしたイラストはそのマニアックさが気に入った)

 

特設ショップの奥には映画本編でもお馴染みの座敷牢を再現したセットが用意されている。当然ながら映画を観た私は座敷牢にも入ってみたし、その記念の写真も撮影した。座敷牢の内部は青い照明で照らされており、なかなか雰囲気のあるフォトスポットになっている。実際にあの格子戸をくぐってみると、ゲゲ郎が細身の男だったから入れたものの、裏鬼道の大男みたいなガタイの良い人は入れないだろう。もしゲゲ郎の体格がゴツかったら、長田はどこに留置するつもりだったのだろうかと、そんなことを考えながら座敷牢で一人座っていた次第である。

 

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(写真は母が撮影したもの。奥に座っているのが私)

 

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(村内某所で撮影した狂骨。人気のない奥まった所で浮遊しているのを発見した)

 

スタンプラリーの冊子を購入したので、ここからはスタンプ台を探しながら村内を散策。スタンプ台は屋内・屋外合わせて6ヶ所。文字通り村内を隅から隅まで散策しないと見つからないが、スタンプ台自体はさほど見つけるのは難しくない。問題はそのスタンプ台に隠された文字を見つけることがかなり困難だという点だ。隠された文字は全部で8つ、スタンプ台は6台なので、1つの台に1~2文字隠されているのだけどこれが小さい上にうっすらと表示されていて見つけるのがかなり厄介だ。

私は事前に行った方のレポートを見ていたので、スタンプを押した後にスタンプ台をスマホで撮影することを忘れずに実行、撮影した写真を拡大してようやく文字を発見することが出来たが、それでも見つかったのは5つで、中には1文字も発見出来ないスタンプ台もあった。大人の私でも難しいと感じたのだから子供は尚更無理だと思ったね。

 

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(妖怪・一声叫び。かなりマイナーな妖怪で映画本編でもあまり目立たない存在だが村内では比較的人通りの多いスポットに漂っている)

 

全部の文字を発見出来なくても最低4文字発見出来れば、景品交換に必要な呪文は大体推測が出来るし、実際それで私は正解して景品となるゲゲ郎&水木の写真をゲットした。一応ヒントを言うなら、その呪文は(ネタバレ防止のため一応伏せ字)神道で用いられる有名なフレーズ(伏せ字ここまで)なので、子供はともかく大人は絶対に聞いたことがあるはず。

 

午前10時半~11時(コラボフードを食べる)

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(映画村、多くの人で賑わう明治通り

10時を過ぎると村内も修学旅行の学生やその他「ゲ謎」目当ての女性客などで賑やかになってくる。ゲゲ郎&水木が酒を酌み交わした墓場を再現したフォトスポットを撮影したり、長屋門の前で披露される南京玉すだれのショーを目にしたり、途中で土産物屋に寄ったりと、村内を歩き回ってそろそろお腹がすいてくる頃だ。

そんな訳で今回のイベントの一つであるコラボフードを食べることに。当然全部は食べられないしお金もかかるので、開化亭で「鬼太郎の霊毛ちゃんちゃんこオムライス」を、可否茶館で「妖樹血桜パフェ」をいただいた。

 

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(開化亭の「鬼太郎の霊毛ちゃんちゃんこオムライス」。コラボ品を注文するとコースターがもらえる)

ちゃんちゃんこオムライスはチキンライスに薄焼き卵が被っており、縞模様として細切りの海苔が乗せられている。スプーンではなくレンゲ(うどんがメインの店だからかな?)で食べるので、卵を切り取って食べるのに少々てこずった。切り取る際にレンゲに海苔が全部引っ付いて、ものの1分もしないうちに「ちゃんちゃんこオムライス」がただの「薄焼き卵のオムライス」へと変貌してしまったのはここだけの話である。

 

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(可否茶館の「妖樹血桜パフェ」。上の血桜も食べられる)

血桜パフェはメニューがネットで公開された時から気になっていた一品。実際に食べてみると上にかかっているイチゴソースの味が濃いと感じたので、下のクリームやコーンフレークとしっかり混ぜて食べた方が良かったかなと思った。

 

今回のコラボフードに限った話ではないが、やはりテーマパークの飯は高い。一回の食事で5000円が飛んでいくというのは財布に痛いし、特別美味しかったというと味はまぁまぁ普通である。とはいえ、グルメを求めてここに来た訳ではないし、期間限定のフードを思い出・記念として食べられたということに意義があると考えているので、私は十分満足したよ?

 

さいごに

11時以降はパディオスの2階でスタンプラリーの景品をゲットし、再度展示品を鑑賞したり、1階の土産物売り場でマグネットやライト付きキーホルダー、洋菓子を購入。約3時間の滞在を経て映画村をあとにした。

 

ということで映画村(ゲゲゲの妖怪村)観光、グッズも購入したし、スタンプラリーもクリア出来たし、目当てのフードも食べられて個人的には充実したひと時を過ごすことが出来た。まぁ欲を言えば一声叫びを作るのだったら映画本編で登場した大百足も立体造形として作ってもらいたかったなとは思ったけど、あまりこういう不満を言ってこれから行く人の興を削ぐのもアレなのでこの程度にしておこう。

(あ~でも大百足は脚が多いから作るのも大変だし壊れやすいかもな…)

 

映画村での「ゲ謎」コラボイベントは6月30日まで開催中。平日でもコラボフードの座敷牢飯は午前11時より前に完売してしまう人気メニューなので、狙っている方は午前9時のオープンから入村することを強くおススメする。あとスタンプラリーをやるなら筆記用具は必要になるからそれも忘れずに。

もし入村済みで今回私が食べられなかったフードを食した方がいるのなら、コメント欄で味の感想等を送っていただけると幸いである。(ちょっと気になるので)

【ACMA:GAME】運転すると人が変わるタイプっていますよね?【アクマゲーム #06】

別に目的を明かしても良いのに全然自分の口から語らない崩心祷。

ゲームに集中したいとか言って水を差す棋士・毛利明。

悠季の参戦についてめっちゃ見当外れなことを言う心理学者・伊達俊一郎。

とにかく照朝に勝ちたい企業家・斉藤初。

どう見ても場違いなユーチューバー・浅井満。

脚怪我しておんぶしてくれと甘えてくるアイドル・式部紫。

 

どいつもこいつもめんどくせぇな…。

 

(以下、原作を含むドラマのネタバレあり)

 

「金の銃と銀の銃 Gold Gun & Silver Gun

ACMA:GAME(9) (週刊少年マガジンコミックス)

今回は原作9巻に相当する話で、トーナメント戦の潜夜 VS 悠季の戦いがメインとなっているが、ドラマはそれと並行して照朝と紫による孤島の調査パートが挿入されているのが興味深いポイント。なかなか全容がハッキリしないグングニルの正体に近づくべく、自爆式ドローンが飛び回る島内を進みながら電波塔を目指し、その近くの小屋に仕掛けられた爆弾を解除するという羽目になるが、勿論これはグングニルが仕掛けたもの。トーナメント戦という「表のゲーム」だけでなく、照朝たちのように組織を探ろうとする輩を狙った「裏のゲーム」まで用意されているというのは、何とも手の込んだ話である。

(照朝たちがドローンを回避出来たからともかく、回避出来ずに当たっていたらその小屋まで辿り着けないし、折角仕掛けた爆弾解除ゲームが無駄になるところだったね)

 

悠季の参戦理由が「家族を人質にとられた」という点は原作と同じだが、原作でグングニルは彼女が負けた場合、一企業が倒産に追い込まれるレベルのコンピューターウイルスを織田グループに流すという脅しをかけて、よりのっぴきならない状況にしている。そんな追い打ちをかけるグングニルに対して潜夜は義憤に駆られるのだが、一方ドラマの潜夜はあくまでもスリルジャンキーなので、彼女を救うためにゲームに勝つという意識は原作ほど感じられない。

 

そうそう、実は原作の悠季は潜夜に勝るとも劣らない癖のある性格の持ち主で、本・暗号・PCといったモノに没頭している時は別人格になるという、「こち亀」の白バイ隊員本田速人みたいなキャラクターなのだ。今回は相手が勝負事に強い潜夜なので、気圧されないよう悠季はもう一つの人格である「ブラックゆっきー」(潜夜が命名を呼び覚まして対戦することになるのだが、「ブラックゆっきー」は「ア〇ル」だとか「薄い本」だとか言葉がとにかく下品で、流石にこの設定をドラマにも持ち込むのは無理となったのか、ドラマの悠季にこの豹変設定はない。

若い女優さんにそんな下品な言葉は言わせちゃダメだから、そりゃねぇ?)

 

さて、いつも通り今回のゲームの解説に移るけど、今回はゲーム名が変わっており原作は「善悪射撃 Judge & Fire」という名前だが、ドラマでは「金の銃と銀の銃 Gold Gun & Silver Gun」と変更されている。

とはいえ、ゲームのルールは原作とほぼ同じ。「善・悪スイッチ」が「市民・強盗スイッチ」銃が金と銀の色違いになったという程度で、要は名称・見た目が変わっただけだ。色違いにはなったが別に金の銃だから強く銀の銃だから弱い、といったことはないのでそこは注意してもらいたい。

 

このゲームは「百金争奪」の時のように各回ごとの流れがある。

①金額の決定

②ボタンの選択

③暗転(銃を撃つかどうか選択)

④結果発表

この流れで6セット行い、獲得した金額が多い方の勝ちとなる訳だが、強盗・市民の選択と、銃の撃つ・撃たないによって結果は7通りに分かれる。

 

(A)両者とも市民だった場合

A-1.どちらも撃たない → 引き分け(金の移動は無し)

A-2.どちらか一方が先に撃つ → 撃った側にマイナス3000ドルのペナルティが課される

 

(B)一方が市民、もう一方が強盗だった場合

B-1.どちらも撃たない → 強盗成功(強盗側が金庫の金を総取りする)

B-2.市民側が先に撃つ → 防衛成功(金の移動は無し)

B-3.強盗側が先に撃つ → 撃った側にマイナス3000ドルのペナルティが課される

 

(C)両者とも強盗だった場合

C-1.どちらも撃たない → 金庫の金は山分けされ両者に与えられる

C-2.どちらか一方が先に撃つ → 独り占め(撃った側が金庫の金を総取りする)

 

※ピッタリ同じタイミングで両者が撃った「相撃ち」の場合の結果については特に言及されていない。

 

つまり、自分が強盗を選択した場合は相手に撃たれないよう市民を選択したと思わせないといけないし、反対に市民を選択した場合は自分を撃たせてペナルティを誘発させる必要がある。そんな訳で心理的駆け引きが今まで以上に重要となるゲームだが、さて潜夜と悠季はどのようにこのゲームを展開させていったのか振り返ってみよう。

 

1セット目(結果 B-3)

金額:5000ドル

潜夜:強盗(撃つ)

悠季:市民

 

先ほどのルールを見ればわかるように、今回のゲームでは強盗を選ぶにしろ市民を選ぶにしろどちらを選んでも相手の選択によって結果が簡単にひっくり返ってしまうため、無難な選択が出来ないし必勝パターンというものもない。そのため心理的な圧をかけて相手の選択を誘導する、或いは相手がどう考えて行動するのか、その心理を分析することが重要となる。

そんな訳で1セット目では潜夜が攻めの姿勢を見せ、守りの姿勢を見せた悠季を挑発してみたが、対する悠季はあくまでも潜夜の行動パターンを読んだ結果だと反撃。心理的な攻防戦という点ではどちらも引けをとらぬ結果となった。

 

2セット目(結果 B-3)

金額:1000ドル

潜夜:強盗(撃つ)

悠季:市民

 

このセットは獲得金額が少ないため、普通に考えれば市民を選択して相手に撃たせるという作戦をとれば良いのは明らか。悠季もそこを見越して潜夜を挑発し、彼に撃たせたことでペナルティを課すことに成功するが、実は潜夜はこの時点であることを試すために撃つという選択肢をとった。それについては後ほど。

 

3セット目(結果 B-1)

金額:1000ドル

潜夜:強盗

悠季:市民

 

3セット目では潜夜が銃を手放し撃たないことをアピール。これによって悠季は翻弄させられることになったが、単純に考えると相手が撃たないのだから強盗を選択しておけばとりあえず1000ドルは獲得出来る。しかし悠季は暗転した時に潜夜が銃を取り戻して撃って来る可能性を考慮して市民を選択し、銃を取り戻すのが遅れて撃たれてしまう危険を考慮して向こうも市民を選択していると考え撃たない選択をした。

結局銃は撃たれず、潜夜は1000ドルを獲得。焼け石に水で金額こそ変わらず不利ではあるが、これで潜夜は心理的には優位な立場をとることに成功する。「ギャンブラーだから何も仕掛けず銃を手放したりはしない」という相手の考えを逆手に取った所は流石だけど、冷静に考えればマイナス6000ドルという状況で撃って1000ドル獲得するメリット以上に、市民を撃ってペナルティが課されてマイナス9000ドルになるデメリットの方が大きいのだから、悠季は潜夜を撃っておいた方が良かったと思う(勿論ペナルティでマイナスになる危険はあるけど)。

 

4セット目(結果 C-2

金額:10000ドル

潜夜:強盗(先に撃つ)

悠季:強盗(撃つ)

 

このセットでも潜夜は銃を手放して悠季を翻弄。先ほどの3セット目では金額が決定される前に潜夜が銃を手放していたということもあって彼の行動の真意が読めず、結局銃は撃たれなかったという「分析の失敗」もあるため、ここで悠季は攻めに転じて強盗を選択して撃つこととなったが、そんなことは潜夜にとって計算の内。2セット目に試していたこと、つまり暗転する前に引き金を引いても発砲はされないが、引き金を引いた状態で暗転した場合銃を手放しても撃ったことになるという銃の特性を活かして悠季を欺くことに見事成功した。

ちなみに、原作でグングニルの構成員が「3セット目の段階で金額が10000だったらどうするつもりだったのか?」と聞いており、それに対して潜夜は「その時は『やっぱやーめた』と言って銃を拾う」と答えている。実は原作の銃は引き金をセロテープで固定しないといけず、その裏工作のため3セット目の暗転で潜夜はセロテープを取り出し必要な分を切り取って、4セット目の金額決定で悠季の目が金庫に向いている間にセロテープで引き金を固定したと説明されている。

 

5セット目(結果 B-1)

金額:5000ドル

潜夜:市民

悠季:強盗

 

潜夜に逆転されてしまった悠季はここで悪魔の能力「感染する命令 カンティジョン・プログラム」を使用する。物体経由で相手に自分の命令したことを行わせるという能力だが、この能力をスイッチの交換をもちかけることで有効活用。潜夜は無意識に悠季を強盗役として選択したため、5000ドルが悠季の手に渡ることとなった。

 

6セット目(結果 B-1)

金額:10000ドル

潜夜:強盗

悠季:市民

 

最後の6セット目ではスイッチの交換に加えて銃の交換も行われ、役の選択と銃の撃つ・撃たないが相手の手に委ねられるという何ともややこしい展開になった。

 

ここで一応整理しておくと、スイッチに関しては相手を市民役に選択しておけば、少なくとも相手に金庫の金を奪われるリスクは排除されるし、相手もそれを見越して自分の役を市民にすることでそれを防いでくると考えられる。

銃の発射に関しては撃つという選択、つまり(スイッチの選択と合わせて)自分が撃たれると考えると相手も同様に撃った場合、相撃ちにならない限りは先に撃った(=自分が撃たれた)側の勝利となるため、4セット目の時にやったように引き金を事前に引いた状態を仕掛けて、良ければ相手にペナルティ、悪くても相撃ちで引き分けに持ち込める可能性はある。(両者とも撃たない場合は当然引き分け)

 

ただし、悠季は悪魔の能力で潜夜が自分を強盗役にすると把握しているため、自分もスイッチで潜夜を強盗役にしておけば、向こうが撃たなくても引き分けになるし、撃ってくれれば生き残った自分が金を総取り出来る。そう彼女は考えたものの結果は以上の通り、強盗が選択されているはずなのに潜夜は悪魔の能力を封じる形で悠季を市民にすることで強盗を成功させた。(ちなみに悠季が撃っていたら1セット目と同じ結果で悠季の勝ちになっていた)

 

潜夜の封じ手は、先ほどの結果から無意識に強盗のスイッチを押していたと考えて、手でスイッチを押さないという対抗策を考えたのがお見事。悠季の能力はあくまでもその物体を手にした場合において有効な能力なので、その弱点を考えておかなかった悠季の失策であったのは間違いない。

とはいえ、「画鋲とかペンとかを持って悪魔の能力を封じるなんて、何だか後出しジャンケンみたいな明かし方でズルくない?」と思った人もいるだろう。この作品は3話の不可視インクの件といい、前回の照朝の偽コインを使った騙し方といい、私物を用いた攻略法がゲームとしても読者に対する情報提示の仕方としてもアンフェアな要素が強くてそこが個人的にはマイナスポイントではあるが、今回のゲームに関して言うと原作ではトーナメント戦に挑むに際して照朝や潜夜は事前準備をしていることが一応わかるような展開になっているため、その流れを大幅にカットしているドラマはどうしてもご都合的展開に見えてしまう。

この点については特別ドラマが改悪しているとは思っていないし、正直原作と比べても五十歩百歩でドラマだけが大きく劣っているとかそんな感じではないとだけ言っておく。

 

さいごに

ということで、今回の潜夜と悠季の一騎打ちは潜夜の勝利となり、悠季の母と弟も龍肝と兵頭の活躍によって無事救出となった。この下りは原作における紫の設定をうまく利用していて改変としては自然な流れになっていたと思う。兵頭って原作だと2巻以降は登場しないから照朝の味方になっていたのは少々意外だったけど、原作と違って丸子がいなくなっちゃったからその代わりとして兵頭が使われたのは納得がいく改変だ。

でも原作を読んでいると原作者はマルコ推しっぽいから多分この改変は気に入らないだろうね

※原作者さんも兵頭の再登場を喜んでました。(2024.05.15 追記)

 

ゲームの改変については、ゲーム名まではわざわざ変更せずともそのままで良かったのではないかと少し思う程度で、それ以外の改変はよく出来ていたと評価したい。特に映像化に即してスイッチを「善悪」ではなく「強盗・市民」という形で変更、パネルまで用意してビジュアル化することでわかりやすい工夫が為されていたのは良かったし、ご丁寧にもプレイヤーに合わせてそれぞれ男性と女性の強盗(市民)のパネルがあったのも芸が細かい。このドラマを現状楽しく見られているのはやはり美術スタッフの力による所も大きいと感じた次第だ。

 

今回の終盤でグングニルの目的が俗に言う「世界征服」であること、そのための人材選出としてこのようなトーナメント戦を行っているのはまぁ原作未読の方もわかったと思うが、別にその程度の野望なら勿体ぶらずに明かしても良いのではないかというのが正直な所で、その人材選びにしてもユーチューバーを選ぶ辺り「お前ら本気で人材探してるの…?」とツッコまざるを得ない。ただ原作でも脳筋のスポーツ野郎をトーナメントに呼んでいるから、ドラマのグングニルが特別バカという訳ではないけどね。多分、書類選考とか面接をめんどくさがっていると私はにらんでいる。(肝心のゲームも考えてるのは悪魔だし…)

 

ところで、今回は潜夜と悠季がメインの戦いだったから当然お二方の演技を自然とよく見ていたのだが、潜夜を演じた竜星涼さんは顔の表情を動かす時に額にシワが寄るタイプの方だな~と気づいて、間宮さんは眉間や鼻にシワが寄るタイプだから、同じ役者でも表情筋の動かし方にはだいぶ違いが出るのだな~と、そんなことを思いながら見てました。(逆に表情筋をあまり活用しないで演技する人もいますよね)

そして次回は闇堕ちした初との真剣勝負、しかも個人戦ではなくチーム戦というこれまでとは違うゲームが待ち受ける。私は既に原作の11巻まで読んでいるけど、いやぁ…初がこんなに手強いキャラだとは。ドラマの初もあんな感じになると思うと、ドラマの4話までの性格とだいぶ変わってしまうな…。

穢れと因縁の追跡劇【映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」レビュー】

昨年の心残りを遂に果たすことが出来た。

そう、映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」をようやく鑑賞したのである。

 

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実は私、NHK岸辺露伴シリーズは最初の「富豪村」のエピソードからずっと追っていて、特別原作には興味がないし正直あの独特な絵のタッチが好きじゃない私もドラマに関してはハマっている。原作を読まずにドラマシリーズだけを追うというのも何だか不誠実かもしれないが、このシリーズで描かれていることって日本の風俗や民間伝承にもつながっているので、民俗学好きとして興味深く毎回視聴しているのだ。

(そもそも「ジョジョの奇妙な冒険」におけるスタンドって陰陽師式神みたいなものだし、結構日本の呪術要素を拾った作品ではあるんだけどね?)

 

(以下、映画の内容についてネタバレあり)

 

新書版 岸辺露伴 ルーヴルへ行く

さて、今回の映画について語るとするが、視聴する前に評判だけは耳に入っており、基本的には好評の意見が多かったけど、いわゆる映画マニアの人々は「実写化としては成功だけど、映画作品としてはちょっと…」という奥歯にものの挟まったような意見を述べていた。

で、実際に観てみると確かに映画作品としては褒められない部分がある。特に私が一番気になったのは前半50分のまどろっこしさだ。前半は露伴がオークションで「黒い絵」を買い取り、その絵が同じオークション会場にいた二人組の男によって盗まれるという事件が勃発、そこから露伴が「黒い絵」にこだわる切っ掛けとなった青年期の思い出が描かれるのだが、ここまでで前半50分を要するというのは流石に冗長過ぎるしもっとコンパクトにまとめられたと私は思うのだ。あのゆったりとした青年期の思い出に情緒を感じたという人もきっといると思うけど、映画館で観るとあのゆったり感は眠気を襲うものであまり効果的な尺の使い方ではないと思った。

 

前半はまどろっこしかったが後半のルーヴル美術館へ行ってからはあれよあれよと事件が展開、元凶となる「黒い絵」の正体やその誕生秘話が明かされていき、その凄まじさに圧倒された。その凄まじさについてはこれから詳しく解説してみるが、本作はベタなミステリ小説の構成に則っており、

「切っ掛けとなる事件(物語の発端)」→「ルーヴル美術館での調査」→「犯人(本作だと『黒い絵』)の登場」→「犯行動機(=絵の誕生秘話)」

という流れになっている。ミステリ小説でも犯人が明らかになるまでは結構退屈に感じる作品も多く、そういう点から見ても本作は良くも悪くもミステリ小説的な映画だと言えるだろう。

 

芸術と殺生

前半のオークション後の露伴邸で編集者の泉と露伴が交わした絵の具の顔料についての話は今回の映画を読み解く上で非常に示唆に富んでいる。一見すると芸術活動は血腥さとは無縁の平和的な活動だと思いがちだが、絵の具に使われる顔料は虫をすり潰したり、樹木を切り取って使用しているものがある。本作の肝となる「黒」も炭や煤、つまりは有機物≒植物や動物を燃やして出来る色なのだから、つまるところ絵の具の顔料は他種族の生命を奪い狩り取ったものと言い換えることが出来るだろう

人は生きていく上では食事をとらないといけないし、そのために殺生を行いその命を喰らう。これはあまりにも常識というか絶対的事実なので今更言うまでもないことだけど、本作では芸術活動も殺生で成り立っているということを明らかにしている。絵の具の顔料にしても、彫刻で使う木材にしても、それらは自然界の素材を利用したものであり、それは人間で例えるなら爪や皮膚、毛髪といった身体の一部を頂戴することでもある。

自然界(地球)が余りにも広大過ぎるがゆえに気づかないが、要するに私たち人類は地球という巨大な人体の一部を切り取ったりすり潰したりして、アートを生み出しているということだ。そう考えるとアートとはすべからくグロテスクな営みと言えるかもしれない。

 

劇中で露伴ルーヴル美術館「人間の手には負えない美術館」と称したが、それは忘れ去られた美術品がひょこっと出現する奇怪さを指摘してのことだろう。ただ、芸術が細かい殺生の上で成立していると考えれば、その殺生の証が集積・蓄積する美術館という場はなかなか怖い場所ではないだろうか?人間の身体が細胞という小さな部屋の集まりで出来ているように、一つ一つの美術品が細胞として集まった美術館は人体そのものである。そんな人体からある日突然忘れ去られた美術品が"排出"されて私たち人間の目に触れるという不思議、まるで美術館自体が生き物のような不気味さを露伴は言いたかったのかもしれない。

 

「この世で最も黒い絵」は「この世で最も穢れた絵

元凶となった「黒い絵」は、御神木の樹液を顔料とした黒を使用した絵画であり、作者である山村仁左右衛門の怨みと無念の感情も込められたことで、見たり触れたりするだけで呪われる呪物と化してしまった。

御神木から流れ出た樹液を利用するということは、先ほども指摘したように自然界の一部、今回の場合だと人間の血液に相当するものを利用していることになり、当然それは当時の倫理観から見ても禁忌を破る行為だ。罰せられるのも致し方のないことである。あの絵画が黒色だからピンと来ないだろうが、あれが赤い血液だと考えてみれば、それは血を塗りたくった実に悍ましい芸術であり、大半の人が吐き気を催すと思う。

 

特に日本では体外へと流れ出た血液や排泄物などを穢れとして扱い忌み嫌うので、いくら御神木であっても、その樹液を使うというのは不浄を扱うのと同じことになる。そういった観点から見ても「この世で最も黒い絵」は「この世で最も穢れた絵」でもあったのだ。

 

「私たちの身体には罪穢が流れている」という思想

「黒い絵」の呪いは絵を見た人物の後悔の念だけでなく、先祖の罪業まで映し出すというのは個人的には興味深いポイントだ。

「罪穢(つみけがれ)」という言葉があるように罪と穢れは密接な関係がある。『世界百科事典』では罪は社会的規範を犯し集団の秩序を破壊するもの、穢れは死や出産といった生理的な危険を客体化したものと説明されているが、噛み砕いて言い換えると罪は本人の行動によって生じたもので、穢れは本人の意志とは関係なく生じるものだ。そう考えると、絵画を見た人自身の体験から来る後悔が「罪」であり、本人ではない先祖の罪業が「穢れ」ということになるだろう。

 

体外へ流れ出た血は穢れとなるが、一方で血は先祖代々の継承を意味するものでもある。今私たちが生きているのは先祖が血を絶やさぬよう努力した結果でもあり、長い歴史を紐解いていけば、そのために犠牲となった命も決して少なくないはずだ。だからこそ人の血には先祖の罪穢れが蓄積しているという考え方も出来るし、生きていく上では殺生という罪は避けられない。

本作ではそういった罪穢れに対して露伴は正面から向き合うことになったが、罪穢れは忌まわしいものである一方、それすらなければ今の私たちは生きていない、すなわち罪穢れ(=血)を受け継いだことで生きていられると解釈することだって出来るのだ。

 

「黒い絵」が燃えたことで穢れは祓われたものの、そもそも奈々瀬が青年期の露伴接触しなければ、あの「黒い絵」の話をしなければ、露伴は「黒い絵」の穢れに関わることもなかったし、そういう意味では奈々瀬が穢れそのものだと言えるだろう(酷い言い方だけど…)。しかし露伴は彼女を否定しなかった。彼女との思い出も、彼女が犯した罪穢れも、それは巡り巡って今の岸辺露伴を構成する血肉の一部であり、それなくして自分はここに存在しない。そんな罪穢れとの向き合い方を描いたことを私は高く評価したいのだ。

 

さいごに

ということで、映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」は殺生という人類の避けられない罪穢れを美術品というフィルターを通して描いた凄まじい因縁物語だった。前述したように映画としては前半の冗長さがマイナスポイントとはいえ、西洋の美術館を舞台に日本の穢れをテーマにした作品を描くというのは斬新なアイデアだなと思うし、罪穢れという概念は西洋だと「原罪」という形で説明されるので、多分今回の映画は西洋の人が見ても何かしら考えさせられる作品になっていたのではないだろうか?

 

そう言えば、映画の冒頭で露伴「全ての作品に敬意を払え」と言っていたが、これは単に制作者へのリスペクトを忘れるなという意味ではないだろう。絵の具には動植物の生命が、はたまた焼き物で使う粘土にだって微生物という小さな生命は存在しているし、芸術は目に見えない殺生の積み重ねで誕生している。そういった犠牲の上で成り立つ作品や、その罪穢れを引き受けて芸術を完成させる者たちへの敬意を忘れるなと露伴は言いたかったのだろう。そしてそんな覚悟を以て制作された芸術こそが、人の心を動かすという訳だ。

(図らずもあの「黒い絵」はそれが最悪の形で表れたアートになったが…)

【ACMA:GAME】洞察の天才 VS 演技の天才【アクマゲーム #05】

アイドル(我が推し含めて)がファンに嘘をつくのは別に人間だから構わないと思うけど、それだったらプロとして最後の最後まで嘘を貫いてほしいよなと思ってしまう私。

(だからその嘘を暴き立てようとする下世話な週刊誌風情はムカつくんですよね…犯罪行為を暴くのはともかく熱愛とかそんなの追いかけ回す必要ないのでは…?)

 

(以下、原作を含むドラマのネタバレあり)

 

「隠蔽看破 Hide & See

ACMA:GAME(7) (週刊少年マガジンコミックス)

今回からいよいよグングニル主催のトーナメント戦がスタート。斉藤初の闇堕ちという意表を突く改変によって波乱の幕開けとなった第二章、その初戦の相手として照朝の前に立ちはだかったのは、ドラマの3話で登場した式部紫。ドラマではあまり彼女の経歴について詳しく語られていなかったが、原作では家庭環境に問題を抱えた17歳の女性で、病弱な母親と三人の弟妹を抱えながらアイドル活動をしている。そんな彼女の母親がグングニルの人質となってしまったため、強制的にトーナメント戦に参加する羽目になった。これが原作における紫の設定だ。

一方ドラマの紫は親に捨てられ幼少期から寂しい思いをしてはいるが、あくまでも参加目的は利己的なもので、別に親を人質にとられているという事情もない。そういう訳だから、ドラマの紫は性悪な感じが否めないかな?

 

そんな彼女の特筆すべき点は演技力だ。一応原作ではドラマや映画などにも出演している超売れっ子スーパーアイドルとして描かれており、その演技力を駆使して自分より立場が上の人間を翻弄し、弱みを握るといった形で芸能界をサバイブしている。勿論それは自分の家族を守る(+借金返済)ためではあるが、そのアイドルとしての求心力と演技力をグングニルに見初められてしまいトーナメントに参戦することとなった。その点ドラマでは特にアイドル活動の描写が詳しく描かれていないので、演技力に関する設定がやや唐突に感じるのは、尺が限られた連ドラの弱点と言えるだろう。

(悪魔の鍵を手にしてからアイドルとしての人気が出て来たことを思うと、多分演技力はあっても所属事務所の方針とかでそれを活かすことが出来ず、くすぶっていた可能性はあるかもね)

 

ではいつものようにゲーム解説に移るが、今回の「隠蔽看破」は隠されたコインの場所を当てるという内容で、1話の「真偽心眼」において照朝がやった五百円玉を使った問いの応用とも言えるゲームだ。

隠したコインに最も近いテーブルを6卓あるテーブルの中から最大5卓まで回答出来るというルールで、テーブルの指定数が多いとその分得点も減るため、出来るだけ1卓指定で正解することが望ましいのだが、この「隠蔽看破」は騙す余地・仕掛ける余地がいくらでもあるので、1卓指定で正解を当てるのはかなり困難だ。実際照朝と紫はそれぞれ所持しているアイテムや悪魔の能力を利用して互いに騙し合っている。この双方の騙しのテクとそれを見抜くための探り合いが今回のゲームの見所となる。

 

ここからは各ターンごとの照朝と紫の対決を振り返っていきたい。

まずは1ターン目(表)、看破役が照朝、隠蔽役が紫からスタート。ドラマでは具体的な時間が不明だったが、原作で照朝は回答するのに1時間かけており、わざと回答に時間をかけて相手を焦らすことで、相手の反応を観察して正解のテーブルを導き出すという作戦をとった。しかし流石はスーパーアイドル、そんな焦らしにも折れずに演技で別のテーブルにコインを隠したと思わせ、照朝の回答を見事誘導した。

 

役を交代して1ターン目(裏)、このターンで照朝はテーブルの下の死角をなくすため、テーブルクロスを卓上にまくり上げ、その際に卓上のナンバープレートを移動、更にこれ見よがしにコインを4番のテーブルの下に投げ込むという行為で紫を翻弄する。これはナンバープレートの移動に注意を向けさせてコインの真偽に目を向けさせないという、1話の「真偽心眼」でやったのと同じ手口だ。

それにしても、偽のコインとか五百円玉とか、照朝って貨幣の偽造がホント好きだよね。1話の感想記事でもチラッと触れたけど貨幣の模造品を作るのは法律違反だから割と危ない橋だよ。今回は悪魔が用意したコインだからともかく、1話で使った偽の五百円玉は完全に法律違反だったしね…ww。

 

そして2ターン目(表)は紫の不自然な動き、つまり1・2・3番のテーブルには近寄らず、4・5・6番の周囲を巡るという動きを見て、照朝は彼女の悪魔の能力が分身と透明化ではないかと推理する。ただ、個人的には照朝のこの推理はかなり深読みし過ぎたなという印象で、基本的に本作における能力はこれまで「場所の移動」「物質の固定」「見た目の偽装」と一つの能力に限定されており、そう考えると「分身」と「透明化」は一つの能力というよりも二つの能力と言った方が正確だ。だから私としては裏を読まずに素直に4・5・6番の3卓指定の回答で良かったのではと思わないでもない。

とはいえ、そういう能力があるように見せかける紫の演技力は流石の一言だし、原作ではとあるアイテムを使って「分身と透明化」の能力が本物だと信じ込ませているのも注目すべきポイントだ。(女性アイドルが護身のために持っていても全然おかしくないアレを利用したという点も評価したい)

 

2ターン目(裏)では照朝が悪魔の能力を駆使して紫の視線を逸らすことに成功。コインの場所を絞り込めない状況にしたが、残りは1ターンという差し迫った状況に追い込まれた彼女は当たる確率が低い1卓指定ではなく複数卓指定で確実に点を取ることに決める。

1卓指定:100点

2卓指定:50点

3卓指定:30点

4卓指定:20点

5卓指定:10点

4卓指定で確実に20点を獲得しておけば、照朝は勝つために1~3卓指定で得点をゲットする必要があるし、3ターン目(裏)で紫が再度4卓指定で20点を獲得することを見越した場合、照朝は3ターン目(表)で50点獲得(2卓指定の回答)する必要がある。2卓指定で当たる確率は約30%という点から考えても、ここで20点を獲得しておいた方が自分に有利になると紫は判断、サイコロを振って出た目を元に4卓指定で回答し20点を獲得する。

 

そして3ターン目(表)で照朝は攻めの姿勢をとる。相手の動きを観察するのが必須となるこのゲームでわざと”見ない”という行動をとり、隠しカメラの存在をにおわせることで、コインを隠させない=コインを持った状態で「工作完了」と宣言させることに成功。これは「真偽心眼」の時の経験が活かされているなと感じたし、手に持った状態でも隠したことになるという読者(視聴者)の盲点を突いた手口だ。それを思いついた紫も流石だが、それを誘導して実行させた照朝が一枚上手だったね。

 

紫にとって後に引けなくなった3ターン目(裏)、ここで彼女は悪魔の能力「万物目覚」(オールタイマー)を使用する。これはどんなモノでも一定時間(ドラマは10分)経つと音が鳴るように出来る能力で、これをコインに仕掛けて場所を特定するつもりだったが、照朝によって見破られることに。

ちなみに、ドラマでは紫がガドに対してゲーム中に声を出さず黙っていてほしいと指示したことがヒントとなってしまったが、原作は紫の待ちの姿勢・態度から彼女の能力を推理し見抜くというかなり高度なことをやってのけている。

 

以上、ゲームにおける両者の駆け引きを見ると、紫は己の演技力と「万物目覚」を活かして、照朝はゲーム会場にあるテーブルやカーテンなど場を利用した仕掛け(+悪魔の能力)で相手を翻弄した。悪魔の能力に関して言えばこのゲームにおいて紫の方が圧倒的に有利で、下手すれば確実に100点をとられていたかもしれなかったが、それを封じ込める洞察力と、騙しの手数の多い照朝に勝利の女神がほほ笑んだことになるだろうか。

 

※ちなみにわざと時間をかけたのには原作だともう一つ別の目的があるのだが、それについては原作の8巻を読めばわかるので割愛。

 

さいごに

今回のゲームは原作の場合照朝も紫もお互いのっぴきならない状況でゲームに挑んでいるため、読者が「どちらも負けないでくれ!」という共感を抱くような構成になっているのに対し、ドラマは紫の設定を大幅に削ったこともあって、照朝を翻弄する魔性の女という形で描かれている。ドラマオリジナルの過去背景にしても同情すべき点はあれど結局は利己的な部分が多いし、そう考えると人間ドラマとしての描き方は原作の方が圧倒的に上である。

ただ、ドラマは原作の紫も持っていたサイコロに着目して「何故彼女がサイコロを持っているのか?」という疑問からオリジナルの過去背景を生み出した所は評価しても良いのではないかと思う。普通サイコロなんて持ち歩く訳がないし、そんなアイテムを持っているということは何かしら彼女にとって思い入れがあるはずだからね。原作では彼女がサイコロを持っていたことに対して何の言及もされていなかったから、ここは地味ながらも脚本として穴を塞いでいる感じがした。

 

照朝と紫の対決の裏では初と心理学者である伊達との対決があったようだが、ちなみに原作では別のゲームで初は勝利しており、限られた情報から見るに激辛ロシアンルーレット対決(相手が食べた辛いものを当てる内容)で勝ったっぽい。伊達としては今回みたいに心理戦がものを言うゲームの方が得意そうだが、原作の方は相性の悪いゲームに当たってしまい負けになったという感じだろう。(そう考えるとドラマの初はかなりの大健闘だったことが予想されるな)

 

LIAR GAME 8 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

そうそう、蛇足だけど今回の「隠蔽看破」はライアーゲーム「回らないルーレット」と実はやっていることはあまり変わらないんだよね。「回らないルーレット」は原作だと8巻、ドラマだとシーズン2の4話で放送されたから、多分見たことがある人もいると思うけど、「隠蔽看破」も「回らないルーレット」も、相手が入れた(隠した)ものを当てるという点では同じ内容だし、それが「隠蔽看破」だと部屋全体を使ったゲームで6分の1の正解、「回らないルーレット」はテーブル上で行われ4分の1で正解するという規模・確率の違いで差別化されている。気になる方はライアーゲームの方も是非読んでみてはいかがだろうか?

(とはいえ「回らないルーレット」って心理戦としてはさほど高度なことはやってないんだよな…)

 

次回は残りの二組の対戦が描かれるようで、悠季と潜夜による仲間同士の一騎打ちというまさかの展開に。この展開については原作6巻の時点で二人が対戦することは明かされていたので私は意外ではなかったが、悠季のキャラ設定に関して原作とドラマとでは照朝や初と同様違いがあるので、それについて言及しようと思う。

 

それにしても、トーナメント会場が絶海の孤島だったらさ、わざわざ眠り薬を飲ませずとも目隠しで送れば十分だったんじゃないかな~グングニル?陸路なら所要時間とか音で場所がバレるからともかく、空路ならヘリのプロペラの音で誤魔化しがきくし目隠しすれば場所特定されないでしょ?(まぁ抵抗される可能性を見越しての薬かもしれんが…)

っていうか、どうせ会場に行く必要があるのに何で袋詰めにして森に放置するんだよ、嫌がらせかよ。「水曜日のダウンタウン」じゃないんだから普通に会場に送ろうよ。照朝はリアクション芸人じゃないんだからさ…ww。

「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を更に楽しむための深読み解説(ネタバレあり)

映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」がアマゾンプライムで遂に配信がスタートしましたね!

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

私は既に購入配信で何回も堪能させてもらったが、見放題配信はつい先日の昭和の日に始まって、世はゴールデンウィークに突入。YouTube の方ではこの機会にとVTuber の方々が同時視聴会を企画し、公開当時映画館に行けなかった方の新鮮なリアクションやコメントも見させていただいた。太秦映画村とのコラボ企画や水木しげる記念館のリニューアルオープンなど、「ゲ謎熱」は未だ衰え知らずの勢いを見せており、ファンとしても幸福の至りである。

 

tariho10281.hatenablog.com

tariho10281.hatenablog.com

当ブログでも過去二回、映画本編の感想や解説、劇中のモチーフやアイテムに関する考察を披露してきたが、ディティールにこだわった作品だけあって実を言うとまだ語り切れていない小ネタやマニアックな情報があるので、「ゲ謎」を視聴する人が増えている今、三度目の感想・解説を行っていきたい。

 

(以下、映画のネタバレあり)

 

龍賀一族を襖絵から読み解く

遺言状公開の場と言えば、やはり目を引くのが金色の襖。これは市川崑監督の「犬神家の一族」でもこだわって撮影された意匠なのだが、今回の映画でもよく見ると襖絵に唐獅子や虎、鬼に錦鯉といった動物や怪物がダイナミックに描かれており、龍賀一族の財力を象徴するデザインとなっている。

唐獅子と聞いて美術史を専門とする方は恐らく狩野永徳「唐獅子図屏風」を連想したはずだが、襖絵のデザインには尾形光琳紅白梅図屏風の流水を模倣した部分もあって、戦国時代の桃山文化と江戸時代の元禄文化がミックスされている所が実に興味深い。

 

bunka.nii.ac.jp

bunka.nii.ac.jp

桃山文化は言うまでもなく戦争がメインとなった時代だが、元禄文化と言えば本草学や農学・医学といった様々な学問が発展した時期でもあり、特に山脇東洋の『蔵志』は日本で初めて人体解剖を行い図式化したことで知られている有名な著書だ。

ここで『蔵志』を持ち出したのは、当時人体解剖が禁止されていた、つまりその当時のタブーを破ったことで日本の医学に貢献したという点が今回の映画とリンクするからである。龍賀一族の富の源泉となる血液製剤「M」は異種族の血を人間に輸血するという人体実験を経て生まれた薬であり、つまるところ医学・薬学というのはある種の禁忌を破って発展した学問だ。

そんな訳で、龍賀一族はタブーを破って薬学を発展させた一族であり、それが日清・日露の戦争で大きな貢献を果たしたことは本編で描かれた通りなのだが、序盤の襖絵からも(間接的ではあるが)龍賀家が戦争と禁忌による薬学発展で繁栄した一族であることが読み取れるようになっているのがわかるだろう。

 

襖絵に関してもう一つ。克典と時麿が座っていた後ろの壁に大きな龍が描かれていたのはご存じだと思うが、克典の後ろにちょうど龍の口が位置しており、まるで克典が龍に喰われるような形になっていることに気づいた方はいるだろうか?会社を実際に経営する立場の人間とはいえ、龍賀一族から見れば克典は搾取・利用される側の人間であるということがここでも象徴されていると見てとれる。

 

術者としての長田と時貞

映画の中で呪術を使っていたのは村長の長田と時貞の二人だけ。この二人の術者としての能力は言うまでもなく時貞が上で長田が龍賀一族に仕えるのも納得だがこの二人の術について言及しよう。

 

裏鬼道のグループは外道とはいえ術者としての実力は本編を見た感じ、長田以外は術の使えない武力要員という感じで、肝心の長田にしても狂骨の使役にはだいぶ骨を折ったことがうかがえる。それは本編で彼が召喚した狂骨を見ればわかるのだが、狂骨の顔は梵字をモチーフにした印が入った目隠しで覆われ、手には鎖、身体の至る所に五寸釘が打ち込まれている。この様子から見ても調教するまでに相当の手間がかかったと思われるし、一方の時貞が使役する狂骨にはそういった調教による痕跡がないのだから、術者としての格の違いは歴然としている。

 

この違いは本人の持つ霊力といった資質の違いもあるだろうが、使用する髑髏の違いも関係していると私は考えている。

長田と時貞が用いたあの髑髏は外法頭(げほうがしら)と呼ばれるもので、古くは奈良時代に外法頭を使って厭魅(えんみ)と呼ばれる呪法が行われた記録が残っている。政治的ライバルを呪う際にこの外法頭が用いられ、特に頭が大きく高貴な身分の頭蓋骨であれば、その術は強くなると言われている。それを踏まえて長田と時貞の用いた髑髏を見れば、長田の髑髏は比較的新しく普通のサイズだったのに対し、時貞の髑髏は大きく古いものだった。

あの髑髏の古さから考えると、時貞が発見したというよりは代々龍賀一族に受け継がれたものと考えるのが自然だと思うし、血桜の下に隠されていた無数の髑髏による封印から推察するに、これまで狩って来た幽霊族の中から厳選した髑髏を外法頭として使用したということになる。そうやって長年龍賀一族は外法頭による厭魅の呪術で政敵を倒し、犠牲となった幽霊族の怨念を呪詛返しで封じ込め、狂骨を兵器として利用していたのだから、何回地獄に落ちても清算されない業を龍賀一族は抱えていたことがわかるだろう。

 

時貞が用いた術と言えばもう一つ、魂(マブイ)移しの外法も忘れてはならない。本編では詳しく言及されていないが「マブイ」という言葉からお察しの通り、元は沖縄で言い伝えられている招魂儀礼の一種で水木しげる先生の『日本妖怪大全』(講談社文庫)では「マブイコメ」(魂篭め)の項で紹介されている。

 沖縄ではマブイを落とすということがあり、生きている者が落とす霊が生ちマブイ、死んだ人から離れる霊は死にマブイという。死後、日の浅い死にマブイは危険な存在とされている。

水木しげる『決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様』より引用

特に子供は転んだり驚いた拍子に魂が抜けてしまうことがあったようで、その時はユタと呼ばれる霊媒師によって「マブイツケ」が行われたそうだ。こういった魂を元の身体に戻す儀式は沖縄だけでなく、鹿児島では「マブリヨセ」(霊寄せ)、福島県では「マスウチ」(枡打ち)と呼ばれる術があったという記録がある。

魂を呼び戻す儀礼は魂が抜けてしまった人を助けるための救命措置であり、子供は身体が弱く病気がちになりやすいことから、魂が身体に定着していない=魂が抜けやすいと考えられていたことになる。つまり、本来の魂移しは子供や身体の弱い人を助けるための術だからこそ、時貞のやったことはそれとは正反対の外法として邪悪さが際立つのだ。

 

※時貞は沙代の死亡を誰かに聞いた訳でもないのに知っていたことから見ても、霊的直感がかなり鋭かったことが推察される。

 

インディ・ジョーンズ的、惨殺演出

映画オタクの人は気づいたと思うが、地下工場で裏鬼道の連中が惨殺されるシーンはインディ・ジョーンズの映画を彷彿とさせるものがある。

 

注意:ここからインディ・ジョーンズシリーズの「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」と「魔宮の伝説」について少しネタバレします。

 

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シリーズ1作目の「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」では物語の終盤、考古学者のベロックとナチスドイツの兵隊たちが聖櫃を開けるという場面があるのだが、上に載せた動画を見れば一目瞭然、電球が壊れる下り・精霊を見ないようインディが目を閉じる仕草・その後の精霊による大虐殺は、今回の映画でも同じ演出になっていることがわかる。

 

更に細かい指摘をすると長田の部下の中に斧を持った大男がいたけど、あんな感じのパワー系の敵キャラはインディ・ジョーンズシリーズでも定番であり、1作目の「レイダース」ではドイツ兵の整備士、2作目の「魔宮の伝説」では鞭で少年奴隷に強制労働をさせる監視役という形で登場する。

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どちらも最終的には飛行機のプロペラでズタズタになったり、砕石機に巻き込まれるといったエグい死に方をしているので、今回の裏鬼道の斧男もこういった往年のアクション映画における悪役の死に様を継承しているなと思った次第である。

(こういう過去作のオマージュを見つけるのも映画鑑賞の楽しみ方の一つですよね!)

 

鍾乳洞内の千本鳥居

地下の工場から窖へと続く道に連なっていた千本鳥居は終盤の印象的なシーンの一つだが、他の方の感想や解説を見てもこの鳥居に関しては具体的な考察がなかったので私なりにこの千本鳥居が意味する所を考えていきたい。

 

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千本鳥居と言えばやはり連想するのは京都の伏見稲荷大社である。上の記事によると千本鳥居は願いごとを祈った人やそれが叶った人が奉納していったもので、江戸時代から始まったものだそうだ。

仮に劇中の千本鳥居も伏見稲荷大社に倣っていたと考えると、あの鳥居は龍賀一族に何らかの祈願をした人々が奉納したものだと考えられる。例えば、血液製剤「M」の効能によって大きな戦果を挙げた当時の軍部がお礼の形として奉納したという可能性もあるし、「M」が製造される前に奉納されたものだとしたら龍賀一族は呪いの代行業みたいなことも裏でやっていたのではないだろうか?

 

先述したように、外法頭は政敵を呪い殺すことに使われた道具だから、時貞が生まれる前の龍賀家が一部の権力者から呪いの代行を請け負っていたことは完全には否定出来ないし、そういった経緯で政財界に影響を及ぼすことになり、時貞が発明した「M」が後押しとなってより強い繋がりが生まれた、という風にも考えられるのだ。

伏見稲荷大社の朱塗りの千本鳥居は神聖なものに対して、哭倉村の地下の千本鳥居は権力争いや欲の果てに犠牲となった人々の多さを表している。そう考えれば鳥居の赤さも何だか禍々しいものとして映るような気が…。

 

水木を守ったのは…

ゲゲ郎が幽霊族の先祖の霊毛を編んだ組紐というお守りアイテムがあったのに対して水木にはそういった守りの象徴が見られないな~と思っていたら、エンディングの直前で思わぬ発見があった。

近くの村の消防団が駆けつけた場面で水木が「何でこんなに悲しいんだ…」とつぶやく下り、ちょうど白髪頭の水木の顔が映った画面の左上の地面をよーく見てもらいたい。半透明でわかりづらいが、日本軍の兵士がかぶっていた擬装網付きの鉄帽が映ってスーッと消えるのが確認出来るのだ。

 

大日本帝国 日本軍 90式 鉄帽 ヘルメット 擬装網付 複製 九〇式 九零式 鉄兜 日本陸軍

(↑ これがその鉄帽です)

水木がちゃんちゃんこをゲゲ郎の妻に着せていたため本来なら水木は狂骨にやられていたはずだが、記憶を失う程度で済んだのは彼に取り憑いていた同朋の戦死者たちが守ってくれていたということだ。この映画では隠れ妖怪といった趣向を通して目に見えないものの存在を描いている所が素晴らしく、私も何回も見て隠れ妖怪を発見して喜んでいたが、この鉄帽に関してはつい昨日気づいたばかりで正直驚いたよ。

そういや序盤の村に向かう夜行列車の場面で水木の後ろに大勢の戦死者が憑いていたことはハッキリと描写されていたけど、この時は単なるホラー演出程度に思っていたから、それが終盤で水木が助かったことに繋がるとは思っていなかった。お見事である。

 

さて、水木が戦死者の霊に守られていたと考えると、時貞に斧で向かっていったあの最高の場面、あの時の水木の怒りって私はこれまで水木単独の怒りだと思ってたのだが、あれはもしかすると水木だけではなくその背後にいた戦死者たちの怒りも彼を動かしたのではないかと考え直さないといけない。

今回の映画は水木先生の戦争体験が物語に反映されているのは大半の人が知っていることだけど、その戦争体験に基づく漫画『総員玉砕せよ!』のあとがきで先生はこのように記している。

(前略)ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。

水木が露わにした怒りは別に「この爺を野放しにしたら今後もっと犠牲者が出る」というような理路整然とした怒りではなく、「お前の生き方が気に入らない!」という私怨に近い怒りという感じだ。とあるレビュー動画ではこの怒りを一種のヤケクソと評していたが、玉砕や特攻によって死んでいった人たちも整然とした感情の中で死んだなんてことはまずあり得ないと思うし、ヤケクソ・破れかぶれな感情の中で突撃したというのが感情表現としては正確だろう。そんな理性を無視した怒りが水木に伝染し彼を突き動かしたと思うのだ。

(そうでなかったら、「時貞を倒した後の狂骨をどう始末するか」という点で迷いが生じたはず)

 

の供出

第二次世界大戦下の日本では戦局の激化に伴い金属が不足したため、1941年に金属類回収令が施行され、寺の釣り鐘や校門の柵といったあらゆる金属が武器の材料として供出された。これは横溝正史の『獄門島』でも物語やトリックに関わる重要な出来事であり、今回の鬼太郎の映画においても鉄の供出は重要なテーマの一つとして挙げられる。

 

戦後の日本の復興は表向きは生活の向上が見られて国は豊かになった一方、映画冒頭でも描かれたように貧困・生活苦によって金に困った人々が売血目的で血液銀行に並んでいるという、そういう光景もあったのだ。

www.hannan-u.ac.jp

1964年の新聞記事によると400cc の採血で1200円、現在の価格に換算すると約1万円ほどになるのだから、決して安い金額ではないし貧しい人が利用するのも当然である。しかし、変装や偽名を使って規定の回数以上の売血を行う人が続出し、その結果「黄色い血」と呼ばれる赤血球が不足した不良血液や肝炎といった感染症を引き起こす血液が輸血され社会問題となった。

 

そういう訳で現在は「献血」という無償形式に変わった訳だが、血液には赤血球にヘモグロビンが含まれており、その成分は鉄分とタンパク質だ。

ここまで言えば私が何を言いたいのか薄々わかった人もいるだろう。そう、戦時中の日本では鉄の供出が行われ、戦後の日本では血液という「目に見えない鉄」が民間から供出されていたのだ。劇中で血液銀行の社長が「戦争はまだ続いている」と言っていたのも納得で、鉄の供出、血の供出、そして現在は血を保有した人間、すなわち労働力の供出という形で転換され、それがブラック企業や過労死という現代の社会問題を生み出す温床となったのではないだろうか?

特に今だと海外から技能実習生を集めて製造業といった仕事に就かせている企業も多いし、日本のみならず海外からも労働力を供出させている状況を思うと、果たして日本は豊かな国になったと言えるのだろうか、甚だ疑問である。

 

さいごに

これで映画の解説・考察は以上となる。この他にも哭倉村の所在地が〇〇県であるという情報が見つかったり、公式ビジュアルブックでは水木が持っていたタバコに関する新たな情報が明かされたりと、「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」は掘れば掘るほど新たな発見があって、そういう点でもディズニーランドのアトラクションに乗った時のような楽しさがあるのが本作の魅力の一つと言えるだろう。

 

コミック昭和史(1)関東大震災~満州事変 (講談社文庫)

今回改めて考察するにあたって水木先生の『コミック昭和史』(全8巻)にもざっと目を通してみたのだが、昭和は金融恐慌から始まり、政治的・社会的不安が蔓延する中で当時の軍部による暴走、それによる軍国主義の横行、そして太平洋戦争へと移る過程がわかりやすく説明されていた。昭和の歴史を大きく動かしたのは希望や願いといったポジティブなものよりも、怒りや怨み、欲と屁理屈といったネガティブな感情が動かしていたこともわかったような気がする。そして本作においてはそういった昭和の歴史の背景が龍賀一族と狂骨という形で上手い具合に物語に落とし込めていた点も評価に値する部分だ。

 

こんな感じで、本作はエンタメ作品としての面白さもさることながら、知識欲を満たしてくれるという点でも本当に最高の映画だったが、最後にいくつか映画に関連する書籍を紹介しておきたい。

 

文庫版 狂骨の夢 (講談社文庫)

京極夏彦狂骨の夢

百鬼夜行シリーズの第三作目の長編だが、別にこの話から読んでも全然問題はない。映画でも登場した狂骨をテーマにしたミステリ小説で、龍賀一族が用いた外法を考察する上でも大変参考となった。

 

冴えてる一言 水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる

久坂部羊『冴えてる一言 ~水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる~』

映画切っ掛けで水木作品に興味を抱いたけど、何を読んだら良いのかわからない…という方におススメしたいのがこちら。医者であり小説家の著者が一人の水木信者として水木作品の名台詞をまとめた本だが、これ一冊でも水木先生の思想・価値観が十分わかると思うし、そういった思想が映画の至る所に反映されている。そして、ゲゲ郎と水木が水木しげる先生の分身的存在であることにも気づくはずだ。

mizukimanga.kusakabe-yo.com

(↑ ウェブ版もありますよ!)

【ACMA:GAME】いわゆる「四天王の中でも最弱」ってやつですね【アクマゲーム #04】

惨敗というのは「0対3」とか「1対3」といった結果に使うのであって、2対3は惨敗ではないのですよ。

日本語はさ、正しく使わないとね、長久手ェ…?

 

(以下、原作を含むドラマのネタバレあり)

 

「百金争奪 Hundred Contest

ACMA:GAME(5) (週刊少年マガジンコミックス)

4話は原作5巻の内容。原作ではグングニルが悪魔の能力を利用して日本政府を乗っ取ってしまい、一刻も早く組織の野望を防ごうと照朝が動こうとした時、照朝の会社にグングニルの構成員の一人、長久手洋一が訪れる。彼はグングニルの最終目的を明かした上でそのために必要な人員を選ぶべく、アクマゲームのトーナメント戦を照朝に持ち掛ける。トーナメント戦に参加すればグングニルに近づけると判断した照朝は、その前哨戦として長久手と勝負をする。これが原作のあらすじだ。

 

ドラマの方も大体原作と同じ展開で次回からグングニル主催のトーナメント戦が始まる訳だが、見届け人が原作と違うのも前回と同様。ドラマは潜夜と悠季に変更されており、ゲームの展開もこの二人の性格・設定に合わせた形で変更されている(作戦自体は原作と同じ)。

そして今回から初登場する悪魔コルジァは原作だとガドと同じくらい大きなフクロウという見た目に対し、ドラマは通常のフクロウよりやや大きめで脚が長く、頭に銀のティアラを冠している、原作よりも上品さ・エレガントさが強いコルジァだ。

 

それでは今回のゲーム「百金争奪」の解説に移るが、内容は五種類の駒を互いに出し合ってその強さで勝敗を決めることで100枚の金貨を奪い合うというもの。これまでのガドが用意したゲームに比べるとかなりルールに”細やかさ”があるような気がするが、やはり悪魔の性格によってゲームの性質とやらも変わるというものだろうか。

 

一応各回ごとの流れをおさらいすると以下の通り。

①獲得する金貨の枚数の設定

②駒の選択・決定

③互いの駒の提示

レベルアップダイヤの使用を選択

⑤勝敗を決定

出した駒(カード)の強さで勝敗が決まるというのは、先行作品では「賭博黙示録カイジ」の「Eカード」や、先日ドラマのキャスト陣によって行われた「13戦争」※1といったゲームなどが挙げられるが、最弱と最強がぶつかったら最弱が勝つという点は先行作品と共通するものの、今回のゲームは駒を出した時点で勝敗が決するのではなく、レベルアップダイヤによる駆け引きがワンクッションはさまれるのが面白いポイントだ。駒を出した時点で負けだったとしても引き分けに持ち込めることも出来るし、勝ちを確定させたい時にも使用出来るのだから、プレイヤーにとっての救済措置、或いはここ一番の大勝負の時に使えるという点でも特筆すべきアイテムだ。

 

そんな訳で今回のゲームは駒を出す順番とダイヤを使うタイミングが勝敗の鍵になるのは間違いないのだが、一方で今までのゲームに比べるとプレイヤーが相手を騙す余地があまりないという特徴もあると言えよう。

これまで照朝が挑んだゲームは「相手の言葉の真偽を見抜く」「相手の影を踏む」「カードのマークを当てる」といった最低限のルールさえ守ればあとは何を仕掛けても良いという自由さがあったのに対し、今回の場合はゲームの展開が割とカッチリ決まっており、ゲームルールの盲点・抜け道みたいなものがあまりないから、照朝や長久手がやったように駒を偽装するという発想に行き着くのは当然だし、そういう意味では今回のゲーム、正直意外性に欠けると私は思う。

 

では駒の偽装以外に騙す余地がないのかと考えて、①の金貨の枚数設定の際、カウンターの表示を偽装するという手はどうだろうか?と思いついた。

例えば、実際の枚数設定が30枚なのに、対戦相手にはカウンターの表示が5枚に見えるよう悪魔の能力で偽装することが出来れば、その回で相手は弱い駒を出すと予測が立つのだから、勝つ確率が格段に上がる。しかし、枚数が決まった際にコルジァ自身の口からその回の枚数設定が述べられるので、仮に悪魔の能力でカウンターの数値を騙せてもすぐバレるのでこの偽装は意味がない。対戦相手にカウンター表示とコルジァの発言を幻覚か何かで別の数字と錯覚させられたら良いのだが、基本的に悪魔の能力は一つだけで、視覚と聴覚の両方を騙すことは不可能だから、やはり①の段階で偽装は無理だろう。

結局プレイヤーが出来るのは駒の偽装と、照朝が行ったダイヤを入れるフリというこの二つの手段に限定される訳であり、長久手は悪魔の能力で、照朝は駒の冠を外して入れ替えるという力業で駒の偽装を行ったのだが、コルジァが駒を冠ではなく胴体で見極めているという点に気づいた照朝の勝利で終わる。

 

ちなみに長久手は照朝のこれまでのアクマゲームの戦歴について調べていたし、原作ではそれに加えて照朝の経歴も調べた上で「照朝の思考パターンは読めている」とかいきがっていたけど、結果がこのザマだからマジで見掛け倒しの敵だったな~と思うばかり。いわゆる「四天王の中でも最弱」という感じのポジションだった。

長久手に関してもう一つ言っておくと、原作の彼は眉毛がない※2ということもあって感情が読めない不気味な顔立ちだったのだが、ドラマでも彼を演じた桐山さんの眉毛がコルジァがいた時だけ肌色のメイクで眉毛が目立たないよう消されており、ちゃんと原作の不気味さを再現しているな~と細かい工夫に感心した。

 

※1:アクマゲーム バックストーリー配信開始!悪魔のカードゲーム#1「13戦争」前編 - YouTube

※2:原作の照朝が彼の顔を見て「眉一つ動かさない」と言う台詞があるのだけど、そりゃ眉毛ないし動かす眉ないでしょってツッコんだ。(厳密には眉は毛の生えているラインの部分を意味するから間違ってはないけど、ツッコミたくなるし多分作者も狙ってやっているはず)

 

さいごに

ということで今回の感想はこんな感じ。特に高度な駆け引きもなかったので頭を悩ますことはなく、ゲームのルールもわかりやすく、対戦相手の悪魔の能力も大したことがなかったので制作する側もそんなに苦労はなかったと思うが、原作と違いゲームに使用した駒やコロシアム風の盤面といった小道具が凝った作りになっていたのはなかなか良かったね。別に何回も使用しないのだから原作通り駒とダイヤを入れられる箱だけ作っても全然問題はなかったのに、あんな手の込んだ盤面まで作るのだから、このドラマの美術スタッフの仕事は評価しないといけない。先述した長久手の眉毛も含めて細部に神が宿るということを制作スタッフは心得ているなと思ったよ。

 

そうそう、照朝の友人の初が闇堕ちした件も触れておかないといけないね。2話の感想記事でも言った通り原作の初は照朝の友人ではなくトーナメント戦で登場するキャラクターらしいが、友人設定に改変したってことはそんな大した役どころではないと正直見くびっていた。

ま~そうだよねぇ?だって SixTONES の田中樹さんをキャスティングしたのだから、ずっと照朝の補佐でいる方がおかしいし、同じグループの京本大我さんや森本慎太郎さんが主役を張っている今、田中さんだけサブキャラポジションで終わる訳ないよな!すまない、ナメてたよ。

田中さんの過去の出演作は見てないし、原作の初についても5巻までしか読めてないからあまりこの辺りのことについて言及は出来ないけど、ドラマの改変って照朝の設定の時もそうだったけど、やはりちゃんと考えて改変されているなと私は思っていて、ドラマの照朝はこれまで復讐目的、要は利己的なダークヒーローという描かれ方をしていたのだけど、今回の初の闇堕ちによって照朝には友人を欲望渦巻くアクマゲームの世界から救い出すという第二目標が生まれた訳だから、ドラマの彼にもこれで真っ当なヒーローとなり得る指標が出来た訳だし、原作と違う面白さがあって私は好意的にこの改変を評価したい。

 

何かまみキチのフォロワーさんがこのドラマを「大人向けじゃない」って貶している記事を見かけたらしいが、そんなの私に言わせてみればミカンを食べて「これはリンゴの味がしないからダメだ」って言っているくらい滑稽なコラムですよ。

(ドラマ公式が「大人に向けたドラマ」だと標榜してたらまだわかるのだけど)