スペインに惚れました

10年暮らした愛しのスペイン私の独断と偏見に満ちた西方見聞録

「ペーパー・ハウス・コリア 統一通貨を奪え」感想

私の大好きなスペインドラマ「ペーパー・ハウス」を韓国がリメイクした。

その名もそのまま「ペーパー・ハウス・コリア 統一通貨を奪え」

 

イカゲームに王座を奪われるまでNetflix史上最大のヒットと言われていたのがスペインが世界に誇るドラマ「ペーパー・ハウス」だ。

スペインが好きで「ペーパー・ハウス」も大好きで、そして今韓ドラにハマっている身としてこの「ペーパー・ハウス・コリア」を無視できるわけがない。

しかし、予告を見るまで正直全く期待していなかった。だって、あのドラマはスペインっぽい無秩序でスタイリッシュではない行き当たりばったりの個々が好き勝手にやりたい放題のくせに情に熱いザ・スペインだからこそ作れたドラマだと思っているからである。

いくら波に乗っている韓国でもこれをリメイクしようなんて調子に乗りすぎだ。と、思っていた。

 

しかし、予告を見て考えが変わった。

「南北統一後の朝鮮半島で使われる統一通貨、、、」

そうだ、韓国にはとっておきの隠し玉があるのだ。

今なお休戦中で同じ民族が北と南、独裁国家と資本主義に分かれる境界線を持つ特殊な国。

この唯一無二な状況を韓国ドラマではごく頻繁に巧みに利用する。利用するというと語弊があるかもしれないが、実際「北」が絡んだ大ヒット作品はとても多い。

 

こんな特殊な国において「南北統一」という起こりうる近未来を舞台に繰り広げられる統一通貨の強盗団と警察との攻防。それが「ペーパー・ハウス・コリア」なのだ。

世界中で6500万世帯が視聴したといわれ、熱狂的なファンも多いこの本家の「ペーパー・ハウス」をリメイクするにあたって唯一微かな勝算があるとすればそれは「南北統一」という他では真似できないオリジナルなエッセンスを加えたことではなだろうか?

 

さて、ここからやっと感想に入ろう。ネタバレは極力しないつもりだが、ぽろっと出ちゃうかもしれないのでまだ観ていない人は気を付けてください。また、私は本家の大ファンなので「ペーパー・ハウス・コリア」単体の感想というより本家との比較をベースにした感想となりますのであしからず。

 

現在配信されているのは1話から6話まで。後半部分は下半期までお預けだそうなので完結していないシーズンの途中での感想となるとちょっと難しい。

 

登場人物の名前はオリジナルと同じように各都市の名前を使っている。コリア版での「トウキョウ」の名前の付け方には賛否両論(日本では否しか見てないけど)あるようだが、私としては韓国が力を入れて作るドラマの主要人物に「トウキョウ」という名前を付けなくてはいけない韓国のジレンマの落としどころとして納得いくものであった。むしろさらっと一言で終わらせたことに感動すらしてしまった。

主要メンバーの名前はオリジナルと同じだが人物像は若干違う。まぁベースの国が違うのでここら辺は許容範囲。人物像の書き方が少々物足りないと感じるものの6話までしか観られないのでそれは仕方がないことなのかなと思う。

本家で人々の心をイライラざわつかせる人質の造幣局局長アルトゥーロはコリア版でも(名前は違う)健在!彼のキャラは国が変わってもちゃんと人々をイライラさせるのだ。

しかし、トウキョウには本家のような身勝手さがなく問題児感がないのが残念極まりない。その為トウキョウの存在感があまり出てこないのがもどかしい。後半はもっと暴れて欲しいなと心から思う。

コリア版で一番印象に残っているのはデンバー。本家のデンバーは憎めないけどアホっぽさが全面に出てくるが、コリア版のデンバーはアホっぽさがイケメンのせいで減少気味。あの独特な笑い方を意識して演じているようだが、なんせイケメンなのでどんな笑い方でも下品になりません。若干「小栗旬」に似ているので「まーきの!」とかって首を傾げてくれればもっとアホっぽさが出ていいのではないだろうか?

 

肝心のストーリーはと言うと、本家のシーズン1と2の「造幣局バージョン」をベースに作られているが、要所要所で若干ストーリーを変えてくるので本家を観ている人にはその変えたストーリーが本筋にどうやって戻ってくるのかがとても興味深く、最終的には「なるほど、そうきたか」と話の虜になってしまうのである。

半信半疑で見始めたくせに週末に6話一気に見てしまい、既に後半が待ち遠しくなっている。まさに制作者の思う壺だ。

 

本家のオリジナル「ペーパー・ハウス」を観た人にはぜひぜひ観てもらいたいし、観ていない人はコリア版を観てハマったら本家もぜひぜひ観て頂きたい!

 

結局のところ「ペーパー・ハウス」はオリジナル版もリメイク版も面白いってことだ!

「韓国語を勉強する人」になる

「愛の不時着」を皮切りに始まった私の中の韓流ブームは、今や世界最強の勢いで成長している韓国のソフトパワーの恩恵を受けとどまることを知らなかった。

 

「愛の不時着」→NETFLIXの韓ドラ→「梨泰院クラス」→パク・ソジュン→「花郎」→テテ→BTS→韓国語勉強→ハングル能力検定

 

と、ざっくり時系列に沿って振り返ってみるとこんな感じだ。

明らかにどこかの誰かが仕組んだであろうマーケティング戦略にまんまと引っかかり、カモにされている。しかし、カモにされている自覚を持ちつつもその誘惑に勝てないのである。

 

私の以前の趣味は「スペイン」であった。

フラメンコを少しかじってスペインに興味が湧きスペイン語を習い、挙句の果てにスペインに10年も住んでしまった。そして日本に帰国した後でも趣味の「スペイン」への情熱はあまり冷めなかったのに日本で「スペイン」に触れる機会は著しく低下し少々手持ち無沙汰になってしまったのだ。

 

そんな時、うっかり覗き込んでしまった「韓流」という沼が底なし沼だった。NETFLIXで一度韓ドラを見てしまうと「あなたへのお勧め」がどんどん韓ドラになっていき「あら、これも」「あら、こっちも」と暇人を廃人にする誘惑の沼へご招待されてしまうのだ。そして「愛の不時着」を見る前に感じ取っていた手を出したら戻れない強烈な危険な沼の存在をBTSにも感じていたにも関わらず結局そっちの沼にもハマってしまうという結果になってしまった。

 

そして私は「韓流」にハマった人の中で一定数の割合で出現する「韓国語を勉強する人」となったわけだ。

語学習得の目標として良く耳にする「字幕なしで見たい」とか「彼らの言葉を直接理解したい」とかがあると思うのだが、残念ながら私の頭ではそこにたどり着くのにはかなりの時間が必要になるだろうし、正直そこまでのレベルに到達することを目標にしている訳ではない。

 

では私は何故なんのために韓国語を勉強しているのかというと、「韓流にハマる」ことに対して多少なりとも伴う後ろめたさみたいなものを「語学勉強」という崇高な趣味に格上げすることによってカモフラージュして誤魔化しているのだと思うのだ。

 

世の中には「韓流が好きな人」と「好きではない人」が存在すると思うのだが「好きではない人」に、「韓ドラやBTSにハマっている」と言うと何故だか敗北感にも似た恥ずかしさを私は感じる時が多々ある。この恥ずかしさの出所を探ってみると私には「韓ドラやBTSにハマっている」の文の前にうっすらと潜んでいる『こんな年なのに』という枕詞が見えるのだ。

しかし、「韓ドラやBTSにハマっている」と言った私を若干冷ややかな目で見つめてくる人々に対し「で、韓国語を勉強し始めて今度試験受けるんだ」と続けるとほとんどの人が一瞬ちょっと見直してくれるのだ。

こんな体験を経て私の脳内では「韓国語の勉強まですれば『こんなおばちゃん』でも韓ドラやBTSにハマっても恥ずかしくない」という不思議な言い訳が成立し、更に韓国語を勉強しようというモチベーションにつながったのである。

 

そうして約半年間独学で韓国語を勉強した私は2022年6月5日に初めて「ハングル能力検定」の5級と4級(一番下の級とその次の級)を受験したのであった。

正式結果はまだ出ていないものの、自己採点の結果を見る限り合格しているようでかなり嬉しい。

 

そして私は今日も韓国語の勉強だと言い訳しつつ韓ドラを楽しく見るのである。

スペイン語の次は韓国語

新型コロナウィルスが猛威を振るっていた間、私は政府が望む模範生徒のように遊び歩きもせずに家でNETFLIXに溺れていた。

スペイン語圏のドラマや映画などを観ることで少しはスペイン語を勉強しています風な言い訳を自分にすることが出来るので罪悪感なくドラマ漬けの日々を送ることができたのだ。

しかし、スペイン語のドラマも映画も限界がある。スペイン語だからといって興味のないジャンルにはどうにも手が伸びないし、面白くないものを最後まで見る気力もない。

 

その頃、巷ではNETFLIXオリジナルの韓国ドラマ「愛の不時着」なるものが大ヒットしており、NETFLIXを開くたび「お勧め」だの「今週のTOP10」だのとやたらとゴリ押しされていた。しかし私は過去に何度か訪れた韓流ブームとやらに一切乗らずに生きていたので今回もスルーする予定だった。

誤解がないように言っておきたいのだが、ブームにこそ乗ってこなかったが韓国ドラマが嫌いだった訳ではない。BSで放映される昼の韓国ドラマは何度も見ていたし、「パラサイト」だって映画館で見たぐらいだ。

ではなぜ「愛の不時着」をスルーしようと思ったかと言うと、「愛の不時着」から放たれる強烈な何かが私に「これを観たら最後。底なし沼にまっしぐら」と危険信号をビービー鳴らしていたのだ。

興味本位などで手を出してはいけない危険な香りがプンプンする。

そのうち「今週のTOP10」から消えてゆくだろうと甘く考えていたのだが何か月も消えることはなく、とうとう私はその禁断の果実に噛り付いてしまったのだった。

 

結論を言うと「愛の不時着」は一話目から格段に面白かった。

意地を張っていた私がバカに見える程、面白かった。

そして私はあっとゆーまに韓国沼へ一気に落ちていったのだ。

 

遅れてやって来た私の韓流ブームの波は凄まじかった。何事も年をとってから始めることは年をとればとるほど厄介になっていく気がする。ヤンキーも「高校デビュー」の方がたちが悪いのと一緒だ。

気付くと私は「愛の不時着」を見た2020年の冬から2022年6月現在までの間に韓国ドラマだけで70本以上見ていたのだ。(韓国映画は30本) どんだけ暇なんだ。

いくら世の中が正常ではない時代だとしても、これだけ膨大な時間をNETFLIXに費やしていることに多少の危機感を覚えた私は次のステップへ旅立つことにした。

「韓国語の習得」だ。

正直初めは韓国語を勉強する気はなかった。勉強しなくてもこれだけの時間韓国語のドラマや映画を見ているとお決まりのフレーズや簡単な挨拶など勉強しなくても頭に入ってくるものである。日本語と似ている発音の単語なども多いため字幕と同時に聞いていると何となく「あ、今こう言ったんじゃない?」なんて思う事が増えてくるのだ。

しかし、当たり前の話だがハングル文字はどんなにドラマを見てもまったく読めるようにはならない。

中国語のように漢字を使っているならまだしも〇だの□だのまるで象形文字のようにちんぷんかんぷんだ。

そんな時知り合いが「ハングル文字にはルールがあるので、ルールさえ覚えれば誰でも読めるんだってよ!」などとにわかには信じられない事を言ってきたのだ!

「おぬし、それは誠か?誠なのか?」そんなことを聞いてしまったら確かめてみたくなるではないか!

という事で私は早速ネットで「ハングル、ルール」などと検索し、読み漁った。そして実際一週間ぐらいで何となく基本のハングル文字を読むことが出来るようになっていたのだ!この最初の成功体験のお陰で勉強が楽しくなり、その後はどんどん韓国語勉強にのめりこむことになるのである。

 

(しかし、この時点で読めるようになったのは基本中の基本、日本語でいう所の「あいうえお」であって、その後知ることになる文字の組み合わせによって生じる様々なルールを覚えるのはまた全く別次元の話だったのだが・・)

いつか

やらないとわかっているが、やってみたいなと思うことがある。

それはカミ-ノ・デ・サンティアゴ(サンティアゴ巡礼)だ!

スペイン北西部にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼の旅。

私はキリスト教ではないけれど、それぞれの事情を抱え黙々と聖地を目指して巡礼する人を見聞きするととても心惹かれるのだ。

 

興味があるのでサンティアゴ巡礼に関する本を読んだり、ブログを読んだりする。

そして「あぁ、私も歩いてみたいな」と思うと同時に「私には絶対無理だな」と強烈に思うのだ。

 

サンティアゴ巡礼を歩いた巡礼証明書を発行するためには最低でも100キロ歩かなければならないのだが、本やブログで読んだ限り100キロなどとセコイ距離ではなく皆もっと長い距離を一ヶ月とかかけて巡礼している。一番巡礼者が多いと言われているのはフランス国境付近から始める「フランス人の道」全行程なんと760キロ!

スペイン人はもとより世界中の人がそれぞれのペースでそれぞれの思いと共に歩き、一期一会の出会いがあったりハプニングがあったりしながら聖地サンティアゴに到着する姿は神々しい。

 

しかし、私は歩くのが嫌いだ。

こんな発言をしてしまった時点でもうすでに巡礼する資格がない。

 

巡礼者たちは必ずと言っていいほど足にマメができたり肉離れをおこしたり満身創痍になる。トレーニングをして準備をしてきた人でも満身創痍になってしまうのなら、私のようなへなちょこが行ったらどうなってしまうのだ!

そしてさらに問題なのは泊まる場所だ。

巡礼者たちが泊まるという宿は隣の人のイビキが凄くて眠れなかっただとか、ダニに刺されて大変だったとか、昼過ぎに着いたら既に満室で隣の町まで歩く羽目になっただとか、シャワーの争奪戦とか洗濯物を干す場所の争奪戦とか20キロも歩いてからもなお戦わなければいけないなんて読んでいるだけで疲弊する。

 

しかし、巡礼に行った方々はこんな苦労が勲章だと言わんばかりに惜しげもなく苦労話ばかりを書き連ねる。

そして苦労やハプニングが多ければ多いほど読み物として面白い。真面目な話より面白い話が好きなので結局ハプニング満載のサンティアゴ巡礼の旅の本やブログばかり読む羽目になり、「私には無理だな」という結論に達するのだ。

 

やりたい気持ちよりやりたくない理由の方が圧倒的に多い巡礼の旅だが、実は巡礼していないのに最終目的地の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂には行ったことがある。

友だちを訪ねてサンティアゴ・デ・コンポステーラへ行った時、街を散策していると巡礼者らしい人たちがチラホラ歩いていたのでなんとなくついて行ってみるとそこが大聖堂だったのだ。

 

その頃はサンティアゴ巡礼に関してあまり興味がなかったのでよくわからないまま大聖堂に入っていったのだが、中にはたくさんの巡礼者たちがいてミサが行われていた。

天井から吊るされた巨大な香炉(なんと80kgもあるらしい)が振り子のように振られ香の匂いが教会を包むと周りにいた巡礼者たちは感慨深そうにしていた。

 

私は儀式に感動しながらもズルしてここにいるような、何とも言えない居心地の悪さを感じた。周りの皆が何キロも歩いてやっとたどり着いた聖なる地に私はひょいと電車で来て散歩のついでにたどり着いてしまったのだ。しかもこの巨大香炉の儀式は特別な日しかしないのに、たまたま来たらやっていたというなんともラッキーな展開。

 

なんの苦労もなくこの場にいる私がこんなに感動する儀式なら、苦労した末にこの聖地にたどり着いた巡礼者たちが感じている感動はどれほどのものだろうかと思う。

これが私がサンティアゴ巡礼に興味を持った瞬間だ。

いつかそっちの立場になってこのミサに参加してみたいなと思った。堂々とヤコブの像にキスできるように。

 

760キロは無理でもせめて100キロ。

へなちょこなのに苦労話だけはいっちょ前なハプニング満載のサンティアゴ巡礼の旅ブログをいつか書ければいいなと思う。

言霊

「ロト6当たらないかなぁ~」と、声に出して言ってみる。

「いや、絶対いつか当たる!」とも言ってみる。

言葉にすると現実になりそうな気がするので、とりあえず現実になって欲しいことは言ってみることにしている。

何故ならば、「言ってみるものだな」と思ったことが私の人生では意外と多いからだ。

 

特にスペインで暮らしていた頃はそんな事がよく起こった。

 

スペインで何か欲しいものがあったり、何か探している場合はとりあえずたくさんの人に「仕事を探している」とか「○が欲しい」と言いふらすべきである。そうすると、人づてに聞いた人から「○が欲しいんだって?」とか「どこどこで募集しているよ」などと教えてもらうことが出来る。

コネ社会のスペインでは人からの紹介で仕事をゲットすることも多い。私はこの方法でドライヤーから一人暮らしの物件、そして仕事まで手に入れた。

 

留学生時代、シェアハウスのドライヤーの風圧が気に入らず「風圧の強いドライヤー欲しいんだよね」と会話の授業中に発言したら数日後に「風圧の強いドライヤー欲しいんだって?」と帰国する人からドライヤーのお下がりをもらった。

まさにドライヤーを買いに行こうと思っていた日に棚から牡丹餅だ。

 

そしてその頃、そろそろ一人暮らしがしたいなと漠然と思っていたのだが、学生ビザで滞在している身分だとなかなか一人暮らしの物件を見つけることが難しい。基本的に賃貸契約は最低一年契約らしいが、半年後に自分がどこにいるのかわからない。

叶わぬ夢と知りつつも「一人暮らししたいんだよね~」とことあるごとに呟いていたある日、「一人暮らしの物件探しているんだって?」と他のクラスの人に声を掛けられた。なんでもその彼女は急に日本に帰国することになってしまったので、代わりに入居してくれる人を探しているというのだ。「とりあえず家を見てみる?」と言われついて行ってみると、なんてゆーことでしょう!それはそれは素敵な物件が私を待っていたのでありました!しかも家賃がその頃住んでいたシェアハウスより安い!これはもう即決するしかない!「ここに住みたい!」と宣言すると早速大家さんがやってきて「保証金として家賃の一か月分払ってくれる?そしたら契約書の彼女(前の住人)の名前をあなたの名前に変えるだけでオッケーよ!」とあっさり交渉成立。私が払った保証金は大家さんの手を素通りし、帰国する彼女への保証金返金へと当てられ全員ご満悦。

 

こんなことってあるだろうか?家を譲ってくれた彼女とはその時が初対面だった。人づてに私が家を探していることを聞いて尋ねてきてくれたのだ。

ただただ願っているだけでなく、言葉にして言ってみるとその言葉が風に乗り色々な人に行き届き、最終的に願いが叶うなんて素晴らしい!

 

考えてみると、スペインで引っ越した物件の半分以上は紹介物件だ。自力で一から探した物件の方が少ない。

こんな風に棚から牡丹餅式に願いが叶った経験があるとついつい次も次もと期待してしまう。

 

このブログを書きながらふと銀行の残高チェックをしてみたら、なんとネットで自動購入しているロト6の当せん金の入金を発見!

 

「振込 タカラクジトウセンキン 1000円」

 

う~ん・・・1000円かぁ。

 

これからは「ロト6で一等2億円が当たりたい!」と呟くことにすることに致します!

 

2019年、夏

日本に完全帰国してからも年一回はスペインへ行っていたのだが、コロナのせいでここ2年スペインに行けていない。最後にスペインに行ったのは世界中が大騒ぎになる前の2019年の夏だ。

 

私が今働いている会社は夏より冬の休みが長いのでいつもは年末にスペインに行っていたのだが、その年は夏に行くことにした。

年末年始のスペインはクリスマスシーズンで楽しいのだが、やっぱり寒いスペインではなく暑い青空の似合うスペインが恋しかったのだ。しかも私はいつも友達に会いにマドリードとイビザに行くのだが、冬のイビザはびっくりするぐらい何もない。のんびりとしたイビザが大好きではあるが、ゴーストタウンのようなイビザしか知らないなんてちょっと変わっている。夏本番のこれぞイビザという人で溢れたイビザを見てみたい。夏のイビザを知らずしてイビザ好きと公言するのもいかがなものか!と熱い思いを胸に真夏の旅行に出かけたのだ。

 

今回はせっかくなのでスペインの他にポルトガルにも足を伸ばすことにした。

ポルトガルリスボンポルト、スペインのイビザ島とマドリードへの旅行。女3人現地集合現地解散の旅だ。3人とも東京に住んでいるのに現地集合なのは、それぞれの予定やらマイルやら大人の事情を考慮した結果だ。

到着時間もバラバラなら帰る日もバラバラ。リスボンポルトまでは3人でその後2人になりイビザにマドリードで私は帰国。友達はマドリードの後バルセロナに寄って帰国という三者三様の旅。

 

集合の地はリスボン

私にとってリスボンはこれで3回目だが、行く度に観光客が増量している。

今回は初めてリスボンから少し足を伸ばしてシントラという街まで行ってみた。ユーラシア大陸最西端のロカ岬や一風変わった建築様式のペーナ宮殿などが有名な街だ。

 

リスボンでも人が多いなと思っていたが、シントラはその倍人が多かった。街全体がディズニーランドのようにそこにいる人すべて観光客!バスも、宮殿に入るのにも行列。いろは坂並みにくねくね曲がる道を経てやっとの思いでたどり着いたロカ岬は霧に覆われせっかくの景色は台無し。大陸最西端の証明書を発行してくれる事務所とお土産屋以外何もないので次のバスを待ってUターンするというただの時間の無駄としか思えないロカ岬だった。しかし、旅にハプニングは付き物だ。晴れたロカ岬はそれはそれは素晴らしいのだろうが、霧のロカ岬だってそれなりに思い出になる。(と、強がってみる)

 

それにしても、何回来てもリスボンは素晴らしい。街がコンパクトで観光や散歩に適しているし、何を食べても美味しい。

リスボン最高!などとはしゃいでいたら、次に行ったポルトがもっと最高で驚いた。

ポルトポルトガルの北に位置するポルトガル第二の都市。日本ではポートワインで有名だ。

 

私はこの街にすっかり魅了されてしまった。街を散歩しながら「ここ、住める」と何度も思った。好きな街と住みたい街というのがあると思うのだが、ポルトは私にとって両方を兼ね備えている。ポルトに行ったことのある人ほぼ全員がポルトはいい所だったと言っていたのも納得だ。リスボンに比べて観光客がまだ少ないのも丁度良い。(とはいえ、ハリーポッターで有名な本屋さんは異常な混雑ぶりだったけど・・・)

 

そして旅は3人から2人になり私たちはイビザ島へ向かった。イビザの空港に着いて一番驚いたのは空港の活気だ。冬のイビザの空港は2、3軒のお土産屋しか営業しておらず、旅行者も少ないのでガラーンとしているのだが、夏の空港はまるで別世界!全てのお店がオープンしていて観光客も盛りだくさん。

なるほど。これが夏のイビザか。

冬には運行していないバスもたくさん走っている為、いちいち友達に迎えに来てもらわなくてもホテルまで行ける。そして冬はゴーストタウン化している地区にまでバスは走り、隅々まで人で賑わっているのだ。

常連客しか来ないと思っていた友達のレストランも夏は大繁盛で話しかける暇もなく、閉店後は疲れてぐったりしている。バスで見かけた地元の人らしき人達も連日のお仕事でぐったりしているご様子だ。夏のイビザの人々はとてもよく働く。冬は動きがゆっくりなのに夏はこうも機敏に動くのか!と感心してしまうほどだ。

 

活気のある夏のイビザにいると「あ~、私今バカンスを満喫している~!」と気分が上がるが、海で泳ぐことも怪しいパーティーにも興味のない中年女にとってはいささかもったいない感じもする。たくさんの人と音楽を聴きながら沈む夕日を眺めるチルアウトもよかったけど、人の少ない田舎っぽいイビザの方が私には落ち着く。

とは言え、本来のイビザを知ることが出来て大満足だ。もう思い残すことはない。

 

そしていよいよ最終目的地のマドリード。私の第二の故郷だ。

しかし、ここまでの旅でかなりの体力を消耗し疲労困憊。友達にもマドリードに入ってから明らかに顔が疲れていると指摘を受ける。私の愛するマドリードを全力で友達にプレゼンするはずだったのに、住み慣れた街に帰ってきた安心感で私は一気に腑抜けになってしまった。したがってマドリードで撮った写真の私は半目だったりしていて明らかにポルトガルの時のような生気は感じられない。しかも8月のマドリードは閉まっている店も多く観光客も少ないため「一足先にバカンスから帰ってきた地元民」のような気分になってしまい、もはや観光をする気力もなくなってしまった。

 

もしあの時、その後の世界が未曽有の惨事に見舞われ旅行すらできない世の中になることを知っていたら、もっときちんとマドリードを観光したのに。会いたい人全員に会っておけばよかったし、大好物も全部食べるべきだった。

「またすぐ来られる」と信じて疑わなかったのに、気が付けばもう二年も経ってしまった。

 

半目で過ごしたマドリードには若干後悔が残るが、それでも世界がまだ【ノーマル】だったあの夏にポルトガルとスペインで過ごせたことは本当に貴重だった。

商売魂

私はほんの少しだけ韓国語を知っている。

「話せる」わけではない。

物を売る時に必要な最低限の韓国語の単語を知っているだけだ。

私がマドリードで働いていた店はアジア圏の観光グループがたくさん買い物に来ていたので必然的に覚えざるを得なかったのだ。

 

日本がバブルで潤っていた時代はたくさんの日本人観光グループが買い物に来ていたらしく、スペイン人のベテランスタッフ達は必至で日本語を覚えて接客したらしい。英語で接客するより例えカタコトでも日本語で接客した方が何倍も売れるのだ。

バブル時の日本人観光客の買いっぷりは凄まじかった!とよくベテラン達から聞かされたものだ。バブル崩壊後売り上げは落ちたものの日本人観光客は相変わらず上顧客だったので、この店では新人が入る度簡単な日本語を覚えるのが必須になっていた。

複雑な説明や困った時は日本人の私が呼ばれるが、私が間に入らなくても結構みな覚えた日本語を駆使して頑張って接客していた。

 

しかし、その頃日本人観光客を越え新たな上顧客として台頭してきたのが韓国人観光客であった。

ひと時のバブル時の日本人を思わせる買いっぷり。商機を逃すまいと私たちは必至で韓国語を覚えたのだ。

商魂たくましい限りである。

 

当時私が知っていた韓国語は「アンニョンハセヨ こんにちは」と「カムサハムニダ ありがとう」の二つだけだったが、これでは何も売れない。

 

そこでまず覚えたのが値段の言い方。商品を買いに来る客が一番知りたい情報だ。

数字を覚え、電卓で韓国ウォンだと幾らか計算し伝える。あとは誉め言葉と「安いよ~」の一言。これで一応何とかなる。

韓国人攻略のコツはそのグループのリーダー格のおば様を味方につけることだ。このおば様を落とすことが出来たら芋ずる式に皆おば様が買ったものを真似して買うという傾向が強い。

 

あとはどの国でもそうだが添乗員さんの手腕で売り上げは大きく変わる。店に来る道中の添乗員さんの巧みな口添え一つが絶大な効果をもたらすのだ。

 

私の母はスイスだかドイツだかに旅行に行った時に何枚もお城の絵が描いてあるタオルハンカチを買ってきたことがある。なんでこんなに買ってきたのかと尋ねると「凄く楽しい添乗員さんがお勧めしていて、みんながこぞって買い出したから釣られて買っちゃった」とのこと。

そもそもスイスだかドイツだかのお土産としてハンカチってどうなんだろうか?現地の人でこのハンカチを使っている人っているのだろうか?などと色々疑問は抱くものの旅のお土産として楽しい思い出と共に母が満足しているのなら私は何もいう事はない。

密かに心の中でそのやり手の添乗員さんにあっぱれと拍手を送るのみだ。

 

それにしても、韓国人への接客は勢いと少しの単語でなんとか切り抜けていた私だが、中国人観光客には苦労した。

まず、同僚に何度中国語を教えてもらっても発音が難しくてなかなか通じない。私にはどうも中国語の才能はまったくないようだ。中国語できちんと伝わったのは「メイヨ―(無いよ)」ぐらいしか覚えていない。

中国人観光客は中国語を話せるスタッフにしか心を開かない傾向があるので、英語が話せる客でも最後の支払いの時は必ずと言っていいほど中国語を話せるスタッフが呼ばれる。中国人の観光客が増えどこの店でも中国人のスタッフを雇っているのはきっとこのせいだと思う。

 

中国語の発音が出来ない私は漢字を書いてどうにか接客してみるもののあまり売り上げには繋がらなかったのだが、スペイン人のベテランスタッフは中国語ですら勢いで通じさせるという力技で売り上げを伸ばしてゆく。

物を売るという目的のためだけに開花した才能をいかんなく発揮し、日本語、韓国語、中国語、英語を自由自在に操る姿は神々しい。

 

そういえば、コロナ前の観光客でにぎわっていた浅草や築地場外売り場のおばちゃんたちも色んな言語を駆使して元気に物を売りさばいていた。

どこの国であっても商売人というのは逞しいのだ。