森見登美彦氏、直木賞に敗北する。

熱帯

熱帯

 

  昨年のクリスマス・イブのことである。

 万城目学氏が京都へやってくるというので、劇団ヨーロッパ企画上田誠氏も交えて忘年会をすることになった。たしか一昨年の聖夜も、この三人のおっさんたちで清らかな京都の夜をさまよった。ひょっとして、これから死ぬまで聖夜はこのメンバーで過ごすことになるのだろうか……。

 ともあれ、万城目学氏が京都へ来るというなら、知らんぷりはできない。

 そういうわけで、世にも清らかなおっさんたちは京都市内で落ち合うと、タイ料理店で皿いっぱいのパクチーをもぐもぐ頬張り、次に立ち寄った小料理屋で「我々は文士である」と主張したところ「は?」と問い返されて恥じ入ったりしつつ、花見小路のそばにある静かな酒場へと流れつく頃にはすっかり夜も更けていた。

 

 その夜、登美彦氏の直木賞候補の件が話題になった。

 なにしろ万城目学氏は落選経験豊富な歴戦の強者である。万城目氏と登美彦氏が同時に候補になったのは2007年のことだが、その後、万城目氏が落選経験を着実に積み重ねる間、登美彦氏はまったく蚊帳の外にあり、最近になって万城目氏からバトンを受け継いだかのごとく二回候補になった。このたび、ふたりで通算八度目のチャレンジということになる。

 「我々は登山ルートを間違えている、どう考えても」

 万城目氏と登美彦氏はそんな話をした。

 直木賞というものをひとつの険しい山だと考えると、山頂へ至るための妥当な登山ルートがあるはずである。にもかかわらず、我々はわざわざヘンテコなオモシロ登山ルートを選び、当然の帰結として転落を繰り返している。「あいつら、なんであんなおもしろおかしいところから登ろうとしているんだ。阿呆じゃなかろうか」と思われているにちがいない。だからといって今さら小説の書き方を変えるわけにもいかず、そもそも候補になるかどうかを決めるのも自分たちではない。日本文学振興会の深遠な意図は我々の理解の及ばぬものである。結局どうしようもないよねー、という結論に達するほかない。

 午前二時頃、酔っ払ったおっさんたちは酒場を出て、よろよろと夜の祇園を歩き、四条大橋を渡り、やがて四条河原町の交差点にさしかかった。

 「クリスマス・イブの四条河原町!」

 ここですかさず登美彦氏の処女作『太陽の塔』を引き合いに出してくれるところが上田誠氏の気遣いである。とりあえず彼らは、がらんとして人通りも少ない聖夜の交差点で「ええじゃないか」記念撮影をした。

 そして「良いお年を」と言い合いながら解散したのであるが、

 「直木賞を取ってくれや、トミー」

 別れ際、万城目学氏が唐突に言った。

 「この登山ルートでも登れることを証明してくれ」

 

 というわけで、直木賞選考会の当日である。

 午後五時に登美彦氏は神保町「ランチョン」を訪れた。候補作『熱帯』にも登場する店であり、待ち会をするのにふさわしいと考えたのである。

 登美彦氏がぽつねんと座っていると、各社の担当編集者や国会図書館の元同僚が合流してきて賑やかになった。国会図書館関西館に勤めるH氏は「今回こそは受賞する」「競馬で鍛えた俺の勘に間違いはない」「歴史的瞬間に立ち会うんだ」と言い張って、登美彦氏が止めるのも聞かずに上京してきた。また、『熱帯』に登場している元同僚のK氏も「きたよモリミン!」と楽しそうに姿を見せた。

 それにしても電話を待つのはイヤなものである。言葉少なにバヤリースをおかわりしながら待っているうちに腹がたぷたぷになってしまう。ランチョンの窓の外はだんだん暮れてきて、街の灯がきらめき始めた。

 電話が鳴ったのは午後六時半頃であった。

 みんなが息をひそめる中、登美彦氏は電話を取った。結果はすでに皆様ご存じのとおりである。登美彦氏は電話をおくと、自分のためにランチョンに集まってくれた人々を見まわして「残念でした」と言った。

 元同僚たちは口々に叫んだ。 

 「あんなに面白くても駄目なのかい、モリミン!」

 「(俺の胸で)泣いてもええんやで!」

 持つべきものは友である(泣かないが)。

 ここで登美彦氏が思いだしたのは、昨年のクリスマス・イブに万城目氏と交わしたやりとりである。

 おそるべき直木賞マウンテン、我ら通算八度目の挑戦も敢えなく失敗してしまった。「この登山ルートはやはり登れません」と登美彦氏が万城目氏に無念の結果を伝えると、万城目氏からは「お天道様は見ている」と慰めの言葉が送られてきた。しかしそのとき、登美彦氏は用心深く考えたのである。万城目氏は内心ほくそ笑んでいるにちがいない。このように登美彦氏にオモシロ登山ルートを攻略させる一方、すでに自分は別の登山ルートを模索しているに決まってる。まったく油断のならない人物なのである。

 

 いずれにせよ、登美彦氏の無謀な挑戦は終わった。

  「バヤリースはもう沢山です、麦酒をください」

 登美彦氏は言った。

 「これより、この待ち会を『新年会』とする」

 かくしてランチョンに集った人々は、さらに合流してきた編集者や友人をゆるやかに迎え入れつつ、賑やかに神保町の長い夜を過ごしたのであった。奈良で待つ妻に登美彦氏が無念の結果を知らせると、「あなたのために集まってくれた人たちに感謝をお伝えください」と返事がきた。まことに妻の言うとおり、登美彦氏はすべての人に感謝しなければならぬ。編集者と友人たちが入り乱れて混沌としていく新年の宴を眺めながら、登美彦氏は温泉につかっているような幸福な思いに充たされたのである。

 たしかにこの落選によって、伏見稲荷大社まで受賞祈願に出かけた父親は選考委員諸氏に対して怒り心頭に発するであろうし、執筆の苦労をともにしてきた妻はやはり哀しむことだろう。しかしながら、このように味わい深い新年会を楽しめるのも、直木賞のおかげであると言わねばならない。

 落選もまた人生だ。

 

 真藤順丈さん、受賞おめでとうございます。

 心よりお祝い申し上げます。 

宝島

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