南風通信

みなみかぜつうしん あちこち 風のように

実力派ローカルタレント的なあいつ


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大分名物として、中津の唐揚げは今や全国区だと思われるけど、もう一つの大分名物「とり天」は相変わらずローカルグルメのままである。

 

ぼくは、唐揚げよりも、とり天の方が好きだから、相変わらずローカルグルメに甘んじている、とり天チャンをもどかしく思っている。

 

この日は竹田、丸福とり天定食をいただきます。うん、これはうまい。

 

とり天の困った事には、大分県内でとり天を名乗って供される「とり天」の中に、どう見ても「唐揚げ」だろってツッコミたくなるような、「自称とり天」が少なくない、というよりも、はっきりと多いのである。

 

ここの、とり天チャンは正しく「とり天」でした。あーとり天うんまいーとホクホク顔になります。

 

まあ、唐揚げでも、とり天でも旨ければいいんじゃないかって思われるかもしれないですけど。

 

私的不定期名曲選『この曲もえーやん!』 怪物 / YOASOBI


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 日本の首相がアメリカに公式訪問したというニュースの中で、この「YOASOBI」というワードとともに若い女性が紹介されていて、急に気になり始めた。

 TVの画面に映っていたのはボーカルの女性で、もうひとりの男性が「コンポーザー」と言うことらしい。

 

 で、「YOASOBI」が発作的に気になり始めてから早速したことは、アマゾンでCDを買うというなんとも2010年より以前のような行動だったわけです。気になるアーティストを見つけたらアルバムを聴いてみるというのが、ぼくの原則的なやり方。

 

 それでCDが到着するやいなや、期待とともにスバヤクCDプレイヤーにセットしてスタートを押す。それで流れてきたのがこの曲です。

 YOASOBIはこのCDしか聴いていないのだけど、歌詞がなんだか文芸的。現代詩のような散文のような歌詞に現代風の言葉な連なる。曲はどちらかと言えば懐かしいような音で作られているけど、構成なんかが新しいんだろうな。きっと。

 

 だけど、やっぱりポップソングは若者達に人気なものが良いですね。2020年代をとてもよく表している歌詞と曲だと感じました。そこから逆算して浮かび上がる現代の若者像は、とても賢くて、巨大になりすぎた社会システムを正しく理解しながら無力感、焦燥感を抱えているよう。

 今を生きる若者達はなかなか大変だよなあなどと、おじさん臭いことを考えてみるが、いつの世も若者は、しなやかにしたたかで心配ご無用といったところか。

 

なんとなくクリスタル

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大分市の中心街に現れたヘンテコな車。焼き芋を作れるらしいけど、なぜこの形??

 


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福岡で頑張っている姪に、仕事用のボールペンを送る。明日から新年度。身体に気を付けて頑張れ、頑張れと。

 


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義母と熊本にドライブに行ってきたツマが、LINEで送ってきた写真。春が来てるなあ。ぼくは仕事の試験勉強でお留守番。4月になれば少しは時間に余裕が出てくるかな。お楽しみはこれからだ!

 

今回のタイトルに、全く意味はないのです。しかも、あの本は読んでないし。

 

マティーニの夜


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ちょっと限界的に忙しい。

仕事も複数の重めな案件が続いているし、ボランティアの役職や、趣味の集まりや、資格試験の勉強なんかもあって、心身ともに騙し騙しやっている感じ。

 

この土曜日は、昔の友人たちとの集まりがあった。

この集まりの予定が入ってきた時には、この時期がこんなに忙しくはなかったはずなのに、どうしてこうなったのだろう。

 

しかし、仕事に関しては忙しいのが有り難いという貧乏性が抜けず、息も絶え絶えながら喜びにかえている。おれはMなのか?

 

仲間たちが2次会に流れるのを見送って、一人でバーに入った。近くにも何件かバーがあって飛び込んでみたこともあるが、やはりここが一番だ。ぼくが20代の頃に、友人のA君と初めてバーという場所に来たのがこの店だ。もう三十年以上も前の話。しかし、バーのマスターは全く齢を取らないように見える。いつみてもジェントルで柔らかい笑みを浮かべている。

 

カウンターに1人掛けて、初めて来た時と同じマティーニを頼む。カウンターの並びには同年代の男女四人組が、楽しそうに談笑している。こちらも、古い友人の集まりだろうか。

 

久し振りのマティーニを味わう。少しドライに仕上げてもらったカクテルを見つめる。このお酒の味は全く変わらない。流石、ジェントルなマスターの仕事だ。

 

明日も忙しい。1杯で今夜は帰ろうと思う。

色んな事が少し落ち着いたら、有給を取ってソロキャンプにでも行こうか。何にもせずにぼーっとして過ごしたい。オリーブの香りの残るカクテルを味わいながら、一息つけてそう思った。

 

きっと花は咲く

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2017年に、当時住んでいた高知のお客様から頂いたサボテン。その後、転勤で沖縄、大分と伴に渡り歩いて来ましたが、今年初めて花が咲きそうです。

 

やっぱりサボテンも生きているんだなと。随分と適当に扱って来たけど、おまえ頑張ったなと。

 

サボテンにスマン、スマンと申し訳ないような気がして、今は大切に扱っています。

バブル崩壊を知っている証券マンは38,915円を忘れない

 

自分の事で恐縮だが、ぼくの社会人生活は証券マンとして始まった。平成3年4月の事で、既にバブルは崩壊していた。平成元年の12月末に史上最高値38,915円をつけた後、入社前年の10月1日に日経平均株価が急落し、一時20,000を割った。その日は内定式の日だったが、証券マンの先輩達は自嘲気味に「不況業種へようこそ」と笑った。

 

入社後の研修の中で「自分が良いと思う会社の株を推奨する」という時間があったのだが、自分の番が来たときに「これから3年から5年は株式が下がると思うので、ぼくは株式を勧めたくありません」と言った。まあ、自分も若かったと思う。研修の教官からは、「おまえ、何で証券会社に入ってきたんだ?」と言われた。ごもっともである。

 

そんな感じでスタートした証券マン生活だったが、ぼくの予想は大きく誤りであった。何故なら株価の下落は3年から5年では全く終わらなかったからだ。その後、コンプライアンスという言葉がなかった証券会社での生活をくぐり抜け、15年間の証券マン生活を送った。ぼくの証券マン時代は、そのほとんどの期間で株価が下落し続ける事となった。

 

証券業界を離れて随分時が流れたけれど、その後も株式市場をずっと見続けてきた。

そして、先週、日経平均株価はついに38,915円の史上最高値を更新したという。

株価は高値を更新したが、世の中は当時と比べてとても暗く感じる。折しも80年代を振り返るようなドラマが人気だという。「不適切にもほどがある」というドラマはまさに、自分にとって体感した世界だ。

 

話題のドラマに時代が変わり、知らぬ間に自分も変わっている事を気づかされる。

あの頃の証券マンはもうみんな50代以上だ。もう業界にいる人の方が少ないのではないかと思う。株価の最高値を耳にしながら、皆何を思うのだろうか。