今日の一句

五月七日
ふくろかけしたるもわれらもももぐ尾亀清四郎

家の外庭の桃。花が咲いて五月には摘果をしながら袋掛をする。前夜新聞紙を切って貼った袋を句友にも掛けて貰う。六月にははや捥げる。

「尾亀清四郎集」
自註現代俳句シリーズ九(五)

五月六日
さらすみすぐにかわくよわかかぜ星野立子

五月六日、二百廿日会。銀座裏、実花さん宅。

「星野立子集」
自註現代俳句シリーズ二(三三)

五月五日立夏
藤棚ふじだなはなのこぼるゝども今井杏太郎

風は雀の子に。花は人の子に。

「今井杏太郎集」
自註現代俳句シリーズ六(四六)

五月四日
さがゆるこいのぼり品川鈴子

神戸も北区は静かな山里。無動寺―山田八幡郷社―箱木千年家を英会話仲間の家族連れで遠足。紙と鉛筆を配ると、大人も子供も楽しんで句作。

「品川鈴子集」
自註現代俳句シリーズ五(四二)

五月三日
ざくら一樹いちじゅもておおふべし女人堂にょにんどう吉野義子

高野山の女人堂のそばに大きなさくらが一樹ある。花を終ったばかりのその樹を見ていて、早く葉桜となり堂を覆いつくしてほしいと思った。

「吉野義子集」
自註現代俳句シリーズ四(五四)

五月二日
ぐるまきゅうどうくすりうり長田 等

近くの旧中山道沿いの旅人宿に富山の薬売りがよく来ていた。大きな黒い風呂敷包を背負って近所を巡っていた。近ごろはあまり見かけなくなった。

「長田 等集」
自註現代俳句シリーズ七(一八)

五月一日
夭折ようせつはすでにかなはずなしはな福永法弘

四十代半ばの作。夭折が甘美に思えた若き日は遥か彼方。働き盛りといえば聞こえは良いが、どっぷりと濁世に浸る毎日。梨の花が白く眩しい。

福永法弘  句集『遊行』所載

四月三十日
しゅうせんのゆるるはひとのりしあと椎橋清翠

黒沢明監督、志村喬主演の名作「生きる」のラストシーンを思わせる作品と評価された。

「椎橋清翠集」
自註現代俳句シリーズ七(三六)

四月二十九日
春宵しゅんしょうやニコライしょう楼空ろうそら村田 脩

釣鐘の姿もはっきりと、お茶の水ニコライ堂の古い鐘楼をこんなにつくづくと眺めたのも春宵の気分があったからだ。

「村田 脩集」
自註現代俳句シリーズ三(三五)

四月二十八日
春潮しゅんちょう水平線すいへいせんせし西村和子

先生の句碑除幕式にお供して福島県大熊町へ。太平洋が一望できる丘の上だった。水平線がくっきりと見えた。

「西村和子集」
自註現代俳句シリーズ八(三〇)

四月二十七日
へきぎょくをつけはるしむあねいもと河府雪於

妹とお揃いで買ったサファイアの指輪。久し振りに逢った二人の指に偶然。これは山火二百号記念大会の作品で、青邨先生特選になった。

「河府雪於集」
自註現代俳句シリーズ六(一八)

四月二十六日
がるいま六根ろっこん清浄しょうじょうはなりんご成田千空


六根清浄は六根から生じる迷いを断ち浄らかな身になること。津軽がどうして六根清浄なのか、おそらく林檎の花が咲き揃い、清々しさが天地空間に満ち渡っている状態に感銘して、心底から発した言葉だったのではなかろうか。郷土愛が漲っている。
(三島静子)

 
「成田千空集」脚註名句シリーズ二(七)

四月二十五日
竹秋たけあきけものゐさうなやまいろ田所節子

葉が枯れたような色になっている竹山は、荒れて、けものが出そうな感じがする。

「田所節子集」
自註現代俳句シリーズ一二(三一)

四月二十四日
ほんうつくしきときリラのはな後藤夜半


四月二十四日、晴、牡丹会、草庵。「牡丹を生けて魔除の獅子頭」「牡丹も帯つきといふ粧ひも」といった作があるので牡丹は生けられていたもの。リラの方は多分庭のものであろうか。日本語の美しく使われたとき、リラもまた一際美しく見えたというのであろう。

 
「後藤夜半集」脚註名句シリーズ一(八)

四月二十三日
粉黛ふんたいたのしむ蝌蚪かとみずうえ西東三鬼


おたまじゃくしの水の上で粉黛(おしろいとまゆずみ。即ち化粧)をする女性の行為を〈娯しむ〉と観察した。なめらかなリズムの中に三鬼独自の技術。男性のまえで化粧しないのが女性のたしなみとされているから、この男女は特別な関係にあることになる。『今日』

 
「西東三鬼集」 脚註名句シリーズ一(九)

四月二十二日
すぎはなけぶるをちておおがらす佐野美智

ちかくの日向薬師の裏山で、杉の花粉の流れるように飛ぶのを見た。翼の濡れたような鴉が驚いてとびたつ。

「佐野美智集」
自註現代俳句シリーズ四(二四)

四月二十一日
まゆてあらかたあめがつかな進藤一考

製糸工場を見せて貰った。家内工業であった。繭を煮る甘い匂いが充満していた。甘い匂いが身に滲みた。この年の四月はよく雨が降った。

「進藤一考集」
自註現代俳句シリーズ二(二〇)

四月二十日
よるふじひとりでゐたきときもあり鈴木栄子

「ひとりでゐたきときもあり」というよりも、どちらかというと、いつもひとりでいたい方である。思うことがあるからだろうか。

「鈴木栄子集」
自註現代俳句シリーズ四(二八)

四月十九日穀雨
きょうしつ春愁しゅんしゅうかおして樋笠 文

教室に入る時は、おもむろに呼吸を整えてからドアを開ける。子どもは、動物的な感覚で大人の愁いを嗅ぎわける。

「樋笠 文集」
自註現代俳句シリーズ四(四〇)

四月十八日
せるわらなしはな野崎ゆり香

まだ藁屋が何軒かあった。新しく葺き足したその継ぎ目があざやかで、山梨の花が添うように白かった。

「野崎ゆり香集」
自註現代俳句シリーズ六(六)

四月十七日
まくなぎのきゅうたいめざし暮遅くれおそ仲村青彦

生れて間もない春のまくなぎは、水がまぶしいかのように、群になろうとしてはくずれ、なろうとしてくずれる。

仲村青彦  平成一一年作

四月十六日
あめにもけずかぜにもまけずねぎぼう桜井青路

葱坊主のあの太い首。まさに雨にも風にも折れない力を持っている。関取の首のような力強さをも持っている。

「桜井青路集」
自註現代俳句シリーズ八(三二)

四月十五日
裏返うらがえすたびかがやけるねこかな櫂未知子

十七年飼った猫が亡くなった直後、その猫の子猫時代を顧みて詠んだ句。はなはだ心が荒み、毎日毎日、涙を流し、八つ当たりしつつ過ごした。

櫂未知子
作句年2023年 「群青」『俳句年鑑』などに掲載

四月十四日
つぎのかぜまではらはらとやまざくら染谷秀雄

時折吹く風が心地よい。止むことなく散るがそれも次の風までだ、風を得た途端どっと散る。はらはらどっと繰り返す桜。

染谷秀雄 『灌流』所収

四月十三日
どつとりひらひらとさくらかな竹村良三

桜の散るさまを写生してみたが、この光景、とにかく飽きない。「散る」は「散り」か。

「竹村良三集」
自註現代俳句シリーズ一三(九)

四月十二日
はなうぐいとて金鱗きんりん朱一線しゅいっせん福田蓼汀

桜の頃鯎は金鱗が輝き、朱の一線が現われる。千曲川の〈うけば〉で投網でとり焼いてその場で食べさせてくれた。新鮮な色彩を忘れない。

「福田蓼汀集」
自註現代俳句シリーズ一(一三)

四月十一日
らっ花舞かまははねむらせちちねむらせ橋本榮治

父母が床に就くとともに机の前に坐し、「馬醉木」の記念出版の資料を求め、明け方まで文書を開いた。窓の外では闇に浮ぶ桜が舞い始めていた。

「橋本榮治集」
自註現代俳句シリーズ一二(四〇)

四月十日
西さいぎょう庵花あんはならくびにけり渡辺恭子

逢いに来し奥千本の西行庵は、花の奈落にちんまりとあった。

「渡辺恭子集」
自註現代俳句シリーズ七(四三)

四月九日
かんがわそそながはないかだ毛塚静枝

小石川後楽園の細川は神田川にそそぐという。途中に柵があり、花筏がいっぱい集まっていた。

「毛塚静枝集」
自註現代俳句シリーズ一〇(一二)

四月八日
ころもおさ灌仏かんぶつたまへり仁尾正文

近郷の臨斉宗方広寺派本山方広寺は歳時記に載る法会をすべて行う。八十歳をとうに越した老管長が衣手を抑えて灌仏をされていた。

「仁尾正文集」
自註現代俳句シリーズ一〇(二六)