法典中央町会の紹介

ようこそ 法典中央町会 へお越しいただきありがとうございます。ここでは法典中央町会の紹介をさせていただきます。
昭和12年(1937)4月に、当時の船橋町、葛飾町、八栄村、法典村、塚田村が合併して「船橋市」が誕生しました。それまでの法典村は、明治22年(1889)施行の市制・町村制により藤原新田・上山新田・丸山新田の区域となっていました。その後昭和15年(1940)に大字・小字を廃止して新町名が設定され、法典村は藤原町1~3丁目・上山町1~3丁目・丸山町となりました。(これに伴い、馬込町は上山町から分離しました。)そして現在は藤原1~8丁目・上山町1~3丁目・丸山1~5丁目となっています。
なお、「法典」の地名は上記のように長い歴史を有しており、現在も上山町・藤原・丸山・馬込町を「法典地区」と呼んでいるほか、学校、公民館、バス停などの公共施設の名称にも使用されています。
さて、昭和12年(1937)の船橋市制施行と同時に、法典中央町会の原型が発足しました。したがって、今年は町会発足84周年となり、長い歴史を有しています。なお、本町会の名称はいくつか改称がありましたが、平成3年(1991)に「法典中央町会」となり、現在に至っています。(なぜ「中央」かという質問がたまにありますが、そのエリアが1丁目と3丁目の間(中央)という説が有力です。)
法典中央町会の現在のエリアは、上山町2丁目・藤原3~4丁目の全域と上山町1丁目・藤原5丁目・藤原6丁目・前貝塚町の一部となっています。高度経済成長期を経て、交通体系の整備と相俟って大都市東京への通勤可能な至近距離という立地もあり、人口が増え続け、本町会の現在の会員数は約1,500世帯に達しています。
本町会では、これらの会員世帯の相互の懇親を深めることによって絆を深め、安心・安全な町づくりのためのいろいろな行事を行っています。また、いつ来るか分からない地震などの大災害に備えた対策にも力を入れています。
本町会のエリアに転入された方は、是非「法典中央町会」に入会してください。お待ちしています。