康綺堂の本読み備忘録

読んだ本の感想や探偵小説の考察等のブログです。

続・読書会本校正補助打ち明け話

 風々子さんが発行されている『横溝正史読書会レポート集』シリーズ。その最新巻である第三巻が今年令和五年九月に刊行された。私康綺堂は前回前々回に引き続き今回の第三巻も校正補助という形で本づくりのお手伝いに参加させていただいた。ここでいう校正補助とは、これまでと同じく、文中での引用個所に明記されているページ数がテキストとなった本のものと合っているか、間違いがないかをチェックしていくというものである。今回は収録されている全六作品(『怪獣男爵』『迷路の花嫁』『女王蜂』『支那扇の女』『髑髏検校』『貸しボート十三号』)すべてのチェックを担当することになった。今までにない分量で若干の不安があったが、本業の傍らチェック作業をこなし、何とかこの責任重大なミッションを果たすことが出来た。編集委員の特権でこれから出る予定の新刊の中身を覗き見ることが出来る喜びよりも、チェック漏れや勘違いでミスがないかという心配で頭がいっぱいだったのは、これまでと同じである。

 さて、計六作品のうち五作品は無事にチェック作業を終了することが出来たが、残り一作品で事件は起きた。その日チェックしていた作品は『髑髏検校』であったが、なんといただいた原稿データのページと私がチェック用に使用している本のページと数が全く合わないのである。

レポート本を読まれた方ならご存知かもしれないが、この本では読書会で言及された場面についての引用先のページが明記されている。レポート本第三巻で例えれば『迷路の花嫁』の読書会で本文中24ページにある

 

「口の中を歯磨きだらけにしながら(P125)という描写がすごく好き」

 

 という一文のカッコ内に明記されているページ数が正確か、指定された版(もしくは刊行年が近いもの)のテキストと照らし合わせ、間違いがないかをチェックしていく。ところが『髑髏検校』に限っては、原稿データのページと私が使用した版とでなんと100ページ以上もの大きな開きがあるのである。

例を挙げればレポート本56Pの

 

「初登場の時点ではまだ血が足りてなかったんで、年寄りのように見えた」

 

という文の引用先は、原稿データでは288Pとなっているが、参照した文庫版では26Pにある。

またレポート本60Pの

 

「不知火島の描写で、南国特有の美しい月ってあるけど、九州って南国のイメージだったのか」

 

という文は指定では282Pだが参照した版では20Pにある……という風に。『悪魔の手毬唄』のチェック時には初期の版と後年の版とで文字ポイントが変更になっており一ページ分ほどの差異が発生していた旨は前回の打ち明け話でも書いたが、これほど大きな開きが全体に渡って発生しているのには面食らった。

 私はすぐに風々子さんに連絡して事情を説明し『髑髏検校』については作業を一時停止し他の作品のチェックを続けることにした。作業を続けながら私はこの大幅過ぎる差異の謎について考え続けていた。ページ数の差異をざっと計算して考えられるのは、読書会のテキストとなった『髑髏検校』と私が作業に使用した『髑髏検校』は収録されている作品が逆になっているのではないか、ということだ。読書会のテキストとなった『髑髏検校』は角川文庫版昭和五十年六月十日発行の初版で、私が使用したテキストは昭和五十二年十一月二十日発行の第十版。現在書店などで購入できる角川文庫版『髑髏検校』には『髑髏検校』『神変稲妻車』の順で収録されている。これが初版などでは逆に、つまり『神変稲妻車』と『髑髏検校』の順で収録されているのではないか……。その後風々子さんから『髑髏検校』角川文庫版の初版をお贈りいただき(その節は本当にありがとうございました)、その疑念が正解であったことを確認した。やはり、初版では『神変稲妻車』と『髑髏検校』の順番で収録されていた。

いただいた初版を活用して作業をようやく終えた時には本当にほっとした。だが、ほっとした後でまた新たな疑問が浮かんだ。「いつから『髑髏検校』と『神変稲妻車』の順の収録になったのだろう」と。

 図書館や古本屋、ネット通販を頼るのが一番だが、取り扱っている本が、いつ頃に発行された第何版かまで明記しているというわけではない。あくまで私個人の感覚だが、初版や重版のようなわかりやすい数宇ではなく、四版とか六版とかをピンポイントで狙うことは、横溝正史の最初の刊行本である『広告人形』や、検閲によって指定されたページが破かれていない『鬼火』が掲載された「新青年」誌といった稀覯本を手に入れることとはまた別の次元の難しさがある。それが角川文庫版のように、ブーム時に大量の部数が発行・販売され、一般に広く出回っているものなら尚更だ。

 第三版の段階では『神変稲妻車』『髑髏検校』の順で収録されていることは確認できたが、結局どの版で現在の収録順になったのかはわからない。「ここは全国の横溝クラスタのお力を借りよう」とTwitter(現X)で呼びかけてみたところ、木魚庵さんをはじめ多くの方から情報をいただいた。木魚庵さんからは創元推理倶楽部秋田分科会が刊行していた『定本 人形佐七読本』収録のコラムにて第五版で現在の収録順になったことが明記されている旨情報をいただいた。その後、他のフォロワーさん方から画像付きで情報をいただき、角川文庫版『髑髏検校』の収録順が初版の『神変稲妻車』『髑髏検校』から現在の『髑髏検校』『神変稲妻車』に変更になったのが昭和五十一年七月十日発行の第五版からであることが判明した。ご協力いただいてくださった皆様、本当にありがとうございました。

 さて、残る謎は収録順が変更になった理由である。「表題作の前に別の作品が収録されている」状態ということで、当時の編集部、もしくは読者、あるいは双方からこのねじれ状態の解消を求める声が挙がり現在の収録順に変更されたと考えるのが自然だが、あくまで私個人の勘繰りなので確定とは言い難い。角川文庫版の横溝正史シリーズには底本(本を作る際に参照したテクスト)が明記されていない場合が多いので断言しかねるが、角川文庫版『髑髏検校』初版刊行の五年前、昭和四十五年七月三十日に桃源社から刊行された『髑髏検校』の収録順は『神変稲妻車』『髑髏検校』『不知火捕物双紙』となっている。『不知火捕物双紙』を除けば初期の角川文庫版と収録順が一致するが、決め手に欠けるので推察・勘繰り程度にとどめておく。

 

「角川文庫版は長年に渡って多数の版が発行された為、時期によってページ数等が異なる場合がある」とはよく聞くが、文字のポイントだけでなく、まさか作品の収録順が逆という場合もあり得るとは、今回の読書会本チェック作業を行うまでは夢にも思わなかった。読書会本を発行されている風々子さんをはじめ、多くの方々のご協力に心から感謝しつつ、今後も、『髑髏検校』以外の角川文庫版横溝正史作品についても収録順など各版の差異を探究していきたい。

 

参考文献

風々子『ネタバレ全開! 横溝正史読書会レポート集3』(私家版)

横溝正史『髑髏検校』(角川文庫版、桃源社版)

創元推理倶楽部秋田分科会編『定本 人形佐七読本』(私家版)

横溝正史ミステリ短篇コレクション』第二巻(柏書房

読書会本校正補助打ち明け話

 
 風々子さんが発行されている同人誌『ネタバレ全開! 横溝正史読書会レポート集』第一巻と第二巻について打ち明け話を少し。

 横溝正史ファンによる読書会は二〇一六(平成二十八)年から盛んに行われてきた。二〇二〇(令和二)年からは社会情勢の大きな変化により会場での対面方式からオンライン形式で開催された。私は二〇二〇(令和二)年十月にオンライン形式で開催された『幽霊男』の回より参加、可能な限り読後の感想や意見を述べてきた。その読書会のレポートが同人誌という形で刊行されるはこびになり、私は原稿の校正補助として参加させていただき、本づくりのお手伝いをすることが出来た。

 ここでいう校正補助とは、文中での引用個所に明記されているページ数がテキストとなった本(主に角川文庫版)のものと合っているか、ズレや間違いがないかをチェックしていくというもの。私はレポート本第一巻収録分より『獄門島』『不死蝶』『幽霊男』、第二巻『悪魔の手毬唄』『八つ墓村』『黒猫亭事件』の計六作品を担当。読書会レポートで参照された版と同じか刊行がなるべく近いもの(例えば読書会で参照された『不死蝶』が初版なら、手持ちの『不死蝶』から初版に近い版である第十四版)を使い、入念にチェックを行っていく。

「角川文庫の横溝正史シリーズは長年に渡って多数の版が刊行されており、その時々の文字組やレイアウト等の事情の為に版によってはページや文章が大きくずれている場合がある」という話は以前から耳にしていた。引用個所はそう多くはないが、それでもチェック漏れの危険はあるわけで、本業と自身の新刊準備の傍ら締め切りまでに再チェック、再々チェックを重ねた。実のところ、世に出る前の同人誌を関係者の一人として最速で中身を読むことが出来るという喜びよりも、何がしかミスをやらかしてしまうのではないかという恐怖の方が大きかった。普段の私は非常におっちょこちょいであり、うっかりミスを頻発するもので、お世話になっている方々の迷惑になってはならないと慎重に事を進めた。

 第一巻収録分は特に大きなズレなどもなく無事終了、第二巻収録分も『八つ墓村』『黒猫亭事件』は無事終了。残るは『悪魔の手毬唄』だけとなったのだが、ここで問題が発生した。引用個所が一ページほどずれているのである。例えばレポート本の「金田一耕助の素性を知っている」という箇所の引用が461Pとなっているのに手元の本では462Pにある、という風に。

ページのズレが大きいと編集や刊行予定に大きく影響してしまう。私がチェックに使用したのは一九七七(昭和五十二)年三月二十日発行の第二十七版。レポートで参照されているのは一九七四(昭和四十九)年の第十三版。私は主催の方に連絡したうえで、レポート参照本に近い版である一九七四(昭和四十九)年第十二版を入手しチェックを行った。すると、ズレのある箇所がぴったり合うのである。再チェック、再々チェックを行い、主催の方へ報告、ついに作業を終えることが出来たのである。見本誌を受け取った時と販売開始、売れ行きが好調との主催の方のツイートを見た時は本当に嬉しかったものだ。

 さて同じ出版社から刊行されている同じ作者の同じ作品なのに何故ズレが生じているのか。前述のようにその時々の文字組やレイアウト等の都合のためなのだろうが、この『悪魔の手毬唄』角川文庫版第十二版と第二十七版、具体的にはどう違うのだろうか。二冊を何度か見比べているうちにあることに気づいた。文字の詰め具合が第十二版では広く、第二十七版では狭くなっているのである。文字の大きさも第十二版では若干大きく、第二十七版では若干小さく見える。ズレの原因はこれであった。例えば11ページの終わり部分は、第十二版では

 

「わっはっは、ほんとですか、それ」

「ほんともなにも……」

 

 だが第二十七版では

 

「わっはっは、ほんとですか、それ」

「ほんともなにも……」

「そ、そいつは光栄の至りですな、あっはっは」

 大きな掌でつるりと顔をなでながら、満面笑みくずれている磯川警部も、ずいぶん年をとった

 

 となっている。約二行分詰めている様子である。

 他にも、10ページにある章題も第十二版では「一羽の雀のいうことにゃ」第二十七版では「一羽のすずめのいうことにゃ」と漢字部分が平仮名になっていた。前頁を厳密に精査したわけではないが、所々細かい変更がある様子である。

 普段慣れ親しんでいる作品の、普段気が付かない細かい部分の違いを校正補助のお手伝いを通して自身の眼で確かめることが出来た。探究はまだまだ続く。

 

参考文献

風々子『ネタバレ全開! 横溝正史読書会レポート』第一巻・第二巻(同人誌)

横溝正史悪魔の手毬唄』(角川文庫版)

悩ましき新刊準備

桜が満開、春爛漫と浮かれていたらもう4月の半ば。浮かれた挙げ句3月のブログをすっぽかしてしまい……汗顔の至り、大変申し訳ありません。

さて、本業に翻弄されながらも新刊準備を少しずつ進めている。

金田一耕助の復員考」を最優先にしているのだが、色々と悩みはつきない。一番の悩みは肝心要の「復員」と「引揚」についてどう説明したらよいか、原作でも言及のあったニューギニアビルマの戦いやシベリアからの復員についてもどこまで説明したらよいか……である。あくまで横溝正史作品と金田一耕助シリーズについての考察本なので説明内容を深くし過ぎるとテーマが脱線するおそれがあるし、簡潔にし過ぎると時代背景がわからなくなる……生半可な知識や文章ではいけないが、うーむ悩ましい。

目次というか収録予定の話をメモに書き出してみたが、やはりというか『犬神家の一族』関連の話がウェイトを占める。『獄門島』と表裏一体の件、『車井戸はなぜ軋る』からの発展、坂口安吾『復員殺人事件』との比較、竹山道雄ビルマの竪琴』を通して見る『犬神家の一族』……。

『本陣殺人事件』ではすでに相当のキャリアを持つ名探偵として描いた金田一耕助になぜ「復員経験者」としての経歴を付与したのか『獄門島』を中心に考察する「金田一耕助の復員考」のメイン部分は書けたが、あとはどう膨らませていくか……

民間人の「引揚」を巡る事件でもある『黒猫亭事件』と『湖泥』をどう考察するか。

金田一耕助シリーズ全体における「復員」の描写から見えたもののまとめ等々課題はまだまだ山積み。目指すは『獄門島』開幕と同じ9月下旬。さてはて……

気がつけば春目前!

なんと去年の12月からブログをすっぽかしていた!!なんてこった。12月は心身の不調、1月は職場でのクラスター対応に追われあっという間に2月。若干のバーンアウト状態を経て気づいたらバレンタインも過ぎもうすぐ3月弥生ときた。時の過ぎるのは早い。早すぎる。もう少し手加減していただきたいもんである。

 

さて、今私は2名の方からの原稿依頼に応えるべく目下取材・推敲中である。E・S・ガードナーは実はあまり数を読めておらずテーマになっている作品と合わせてメイスンものを少しずつ読み進めている。黒沼健のプロフィールも調べ直さなければ。黒沼健といえば個人的に『空の大怪獣ラドン』の原作者のイメージだが、彼は戦前期にいくつか海外ミステリを翻訳している。このあたりの話も少し入れたい。『人形佐七捕物帳』も読み返さねば。美少年・美男子を軸に読み返すことになるが、シリーズ終盤のある作品は金田一耕助シリーズの某長篇と所々の設定が共通しているような。我らが佐七親分の美男子ぶりにも注目して取材を……。締め切りはまだまだ先だが、今のうちに形をある程度作っておこう。

自分の本では今年こそ『金田一耕助の復員考』に決着をつけたいが、復員・引揚の事柄や前後の時代背景をどこまでまとめたらよいか悩んでいる。よいアイデアはないものか。うぐぐうーむ……

 

酒量と体重は増える一方だが、春を前に頭をフル回転中のこの頃である。

 

 

初出誌と現行版の『女王蜂』

※※※横溝正史『女王蜂』の終盤、真相部分に触れています※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

今年になって、雑誌「キング」の横溝正史『女王蜂』最終回掲載号を手に入れることが出来た。昭和27年5月号、表紙の青空に舞う鯉のぼりが季節を感じさせる。

『女王蜂』は私の偏愛横溝正史作品の一つで、絶世の美女を巡る因果と連続殺人、19年前の事件と現在の事件のリンク、全体を覆うロマンには再読する度に魅了される。最終回掲載号を購入した理由は「最後の一文」を初出誌で読みたかったからだ。

 

「今日の太陽は沈んでも、明日はまた、若々しい太陽が、新しい生命をもっていきいきと昇るであろうことを。」

(角川文庫版『女王蜂』昭和48年10月20日発行463ページより)

 

惨劇の後、残された人々の再起と未来への希望を予感させるこの結びの一文は、中学時代に出会ってからずっと私の心の支えになってきた言葉である。初出誌では挿絵付きだろうか……とわくわくしながらページを開いたが…………ないのである。あの結びの一文が、初出誌にはないのである。ページを遡ってみると、現行の角川文庫版でいう『大団円』の章がまるまる無いのである。島に残った大道寺智子と金田一耕助のやり取りもない。神尾秀子が大道寺欣造と自らを撃った場面、そこから加納弁護士事務所に場面が飛び、金田一耕助が加納弁護士に事件の真相を語るシーンとなっている。

連載終了後の昭和27年9月に刊行された『女王蜂』の初刊本を確認するとお馴染みの現在の形になっていた。

最後の一文を含めた最終盤のあれやこれやの場面は、初刊本刊行時に加筆修正されたものだった……驚きだった。横溝正史は加筆修正を度々行う作家だったが、『女王蜂』にも大幅な加筆修正があったとは……感激した。

感激しながら初出誌を読み進めているとさらに驚きが。

前述の神尾秀子が大道寺欣造を撃ち、自らもピストルで自殺するシーン。ここでは

 

「神尾先生、何をする!」

金田一耕助が叫んだのと、

「あっいけない。」

と、智子が二、三歩まえへ走り出たのとほとんど同時だった

「智子さま、堪忍して……」

また、二、三発編物袋が火をふいて、神尾秀子は骨を抜かれたように、くたくたと床のうえに倒れていった。

(角川文庫版『女王蜂』昭和48年10月20日発行412~413ページ)

 

金田一耕助と大道寺智子、神尾秀子の三人のやり取りになっているのだが初出では

 

「神尾先生!何をする!」

金田一耕助が叫んだのと

「あつ、いけない!智子さま、堪忍して!」

と、神尾秀子が絶叫したのと、ほとんど同時だつた。

(「キング」昭和27年5月号より)

 

と大道寺智子の台詞が神尾秀子の台詞にまとめられて、いや、逆だ。神尾秀子の台詞が大道寺智子の台詞と分割されているのである。

さらに言えば初刊本では前述の大道寺智子の台詞も

 

「あっいけない。」

と、秀子が二三歩まえへ走り出たのとほとんど同時だった。

(『女王蜂』昭和27年9月30日発行299ページ)

 

とこれも秀子の台詞になっているのである。

探せばさらに変更点が見つかるだろう。

気になり始めるとキリがないもので、「他の『女王蜂』掲載号では大きな異同はないのだろうか」「雑誌だけでなく初刊本から角川文庫版までの間に刊行された『女王蜂』ではどうなっているだろう?」……と疑問がどんどん湧いてきた。

新しい研究テーマ誕生の瞬間である。

現在、国会図書館日本近代文学館から「キング」の『女王蜂』掲載ページのコピーを取り寄せて比較研究中、今後調査を進めて結果をこのブログや「推察ノート」でお知らせしたいと思っている。

 

謎とロマンは、大団円の後も続く。

 

参考文献

「キング」昭和27年5月号(大日本雄弁講談社)

横溝正史『女王蜂』昭和27年9月30日発行(同上。『傑作長篇小説全集』の第14巻として刊行)

横溝正史『女王蜂』昭和48年10月20日発行(角川文庫)

 

新刊について

昨年末から制作していた新刊『康綺堂の推察ノート Vol.2』がついに完成した。テーマは「岡-村探偵小説案内」。横溝正史『本陣殺人事件』を中心に、作中やエッセイで言及されている国内外の探偵小説についての紹介と考察・小話で構成された一冊となった。

『蝶々殺人事件』や『探偵小説』『神楽太夫』等の戦後短篇について触れられなかったのが残念だが、それは『岡-村探偵小説案内Ⅱ(仮)』へのお楽しみとして。

 

初売りは11月20日(日)開催の文学フリマ東京にて。えかてさんのサークル「柘榴石」(文フリ東京T-30)にて委託販売となります。

 

boothでの通販開始は11月20日18時~を予定、どうぞよろしくお願い致します。

※現時点での予約・お取り置き等は受け付けておりません。ご了承ください。

 

内容としては……boothに掲載した文章を少し加筆して……

『秋の日の邂逅』

金田一耕助と「私」、横溝正史江戸川乱歩疎開宅での二つの邂逅について

 

『畦道での連想 岡-村探偵小説案内(連想編)』

横溝正史『本陣殺人事件』冒頭で連想される密室を扱った探偵小説を紹介

 

『一柳三郎の本棚 岡-村探偵小説案内(本棚編)』

本棚のシーンで言及された作家や叢書から見る事件当時の探偵小説事情を考察

 

『誤解の研究 岡-村探偵小説案内(真相編) 』

『本陣殺人事件』のトリックと元になった海外探偵小説を巡る横溝正史の発言に関する考察。書き下ろし。

 

ディクスン・カーの島』

実は『本陣殺人事件』以上に影響が濃いと思われる『獄門島』とカー作品についての小話。書き下ろし。

 

『箱の中には--個人的『びっくり箱殺人事件』メモ 』

異色の名作『びっくり箱殺人事件』を関連作品と共に読む

 

『井戸の底を覗く--個人的『車井戸はなぜ軋る』メモ』

名作『車井戸はなぜ軋る』人物と真理描写について、そして本作における金田一耕助の立ち位置についての考察

 

 

私個人としては長文の書き下ろしとなった『誤解の研究』には思い入れが深いです。だいぶ悩んだ。さんざん悩みました。エッセイ集や各種資料をあたり考えを巡らせ可能な限りまとめてみました。

じっくり練ったこの一冊、お楽しみいただければ幸いです。

販売の際にはどうぞよろしくお願い致します。

 

あっという間に2ヶ月過ぎて

あやうく2ヶ月もブログをすっぽかすところであった。8月中旬から下旬にかけての自宅療養を経て、なんとか元気を回復しつつある。

新刊の準備もいよいよ大詰め、なのだが、チェックすればするほど文を追加したりするから、いつ終わるのやら……

10月、新刊に決着をつけたいものだ。