叔母の入院

わたしの実家の3軒隣が、昨年亡くなった母の実家で、そこに母の妹に当たるわたしの叔母が一人で住んでいる。彼女ももう80台だ。

 

先週の15日の木曜日の午後、知らない病院の看護師さんから電話が入った。

前日夜中に叔母が家で転んで腰を打ち、携帯まで長い時間かけて這って何とか119番を呼んだらしい。ずいぶん離れた病院しかなかったようだ。

検査を受け、処置をしてもらったらしい。主治医が金曜か月曜の5時から説明をするので来てほしいと言っていると、看護師さんがまず、弟に電話で言ったらしい。

しかし、弟は仕事で無理だと言った。

で、叔母は次にわたしに電話するよう頼んだそうだ。

 

看護師さんは、主治医の話を聞く前に、叔母は財布も携帯も持たず、鍵しかないので、一度、病院に来て鍵を持って叔母の家に行って、お金と携帯を持ってきてほしい。それから、入院に必要な歯磨きセットや、コップ、ストロー、飲料水などを買いに行ってほしい とのこと。

 

翌日の金曜日に早めのお昼を食べて、相方に付き添ってもらって、うちから1時間半以上かかる病院へ行った。(駅から7分て書いてあったけど、初めての所だし、土地勘のない場所で、10分以上かかった。)

叔母から鍵を預かり、言われた通り叔母の家へ行き、お金とスマホを見つけ、(痛み止めの注射のせいか、叔母の話は不明瞭で探すのに時間がかかった)病院へ戻り、それから、また必要な物を買うのに走り回り、先生のお話を聞いた。

「骨折ですが、痛みさえ引けば、早めにリハビリを始めて、上手くいけば1か月ほどで退院できますよ」とのこと。

叔母にもそう伝え、病院を後にした。

 

わたしたち夫婦も70台だ。1日の疲れがどっと出て、おまけに夕方のラッシュアワー。食べに行く元気もなく、お弁当、買って帰った。

 

月曜日に叔母に電話すると(今はまだ特別室なのでスマホ使える)、かなり元気で、まだ痛いけれど、車椅子で動く練習がもう始まってる とのこと。30分以上、叔母の話を聞いて、まあ、一安心。でも、相方もわたしも身体の調子、悪い。

 

遠いから行きにくいので、せめてこまめに電話をしよう。

 

って、また、鬱陶しい話で、ごめんなさい。

4周年記念日

本日は6月13日。

 

4年前、2019年の今日、はてなブログを始めました。

初めのころは書くことが楽しくて、毎日のようにアップしていました。

それが4年経ったら、1か月に3,4回しか書けない体たらく。

我ながら情けない。

ブログを書くのにも、体力、精神力が必要になるとは夢にも思っていませんでした。

 

今は無理はすまいと思っています。

 

大好きだったブログが書けない自分。

☆を下さった皆様方のブログを読むのに精いっぱい。

それも遅れがちです。

 

どうかそれでも仲間でいさせてください。

 

2023年 6月13日  まり

弱虫

「鶴を抱く」を書いたのが27日の土曜日。

 

翌日の日曜日は鬱陶しいお天気で、そのせいか余り気分晴れなかった。

 

月曜日はしんどくて、ベッドからノロノロ出て、朝食を食べ、また夏井いつきの俳句を眺めた。何度も声に出して読んだ。でも、なぜかみぞおち辺りが重くて、結局、また安定剤のお世話になった。買い物にも行けず、家事をちょっとしただけで疲れてリビングで横になった。起き上がるとふらふらして、どこか身体に異常があるんじゃないか と思い始めた。

 

火曜日、いつものA内科へ行き相談した。先生は「まず、血液検査をしましょう。明日の午後には結果が届いてますから、また明日来てください」とおっしゃり、看護師さんに血を採ってもらった。

それからもしんどかったけれど、普通にスーパーへ買い物に行き、晩御飯を作り、不安になど感じていないつもりだった。

 

でも、今日、検査結果を聞きに行くまで、どんどん不安感は強くなり、お昼御飯がつっかえてるみたいな感じがして、1時に安定剤飲んだ。この薬は日に4回、最低4時間は間をあけて飲むように心療内科のK先生に言われている。

 

午後診の予約を3時45分くらいに行って入れて、一度、家に帰り、4時半に行き直し、しばらく待って、ようやく診察室へ。

先生はいつもの笑顔で「先に結果を言っておきます。何も心配はありません。立派な血液です」とおっしゃった。それから詳しく説明して下さったが、すべての数字がちゃんとOKの範囲に入っていた。

「しんどいのは身体のせいではありません。心です。後は心療内科で相談して下さい」

 

5時ごろに会計して帰った。

 

今のところは何とか安定剤なしでいられている。

でも、何か、例えば相方があまり食事を食べない とか、自分のこれから先のことを考えたりする とか、不安な要素があると、自分でも意識しないうちにみぞおちが重たくなる。

 

なんて弱虫なんだろう。

どうしたら強い人間になれるんだろう。

 

自分が自分で情けない。

鶴を抱く

2週間程前、朝起きてもしんどくて、よくベッドへ逆戻りしていた。

その朝も、食事後、リビングで横になって録画した番組をボーっと見ていた。

たぶんNHKのドキュメンタリー番組の1つだったんだと思うが、かの夏井いつきの密着取材で、ご主人が彼女のサポートをかいがいしくなさっているのが印象的だった。

その時に彼女自身が詠んでいた、とある一句がわたしの心に住み着いた。

その句をここに書いて、いかにその句から生きる気力をいただいたかと言う話をしたかったんだ。

でも、そういうのって、著作権とか何かあって、勝手にわたしのブログに載せちゃいけない事に、今、気付いた。

 

内容だけならいいだろう。

 

今、わたしはわたしの貴重な余生をいろいろな悩み事で暗いものにしてしまっている。

彼女は余生というものは「鶴を抱く」ようなものなので、楽しみましょうよ とその句で、わたしに呼び掛けてくれているような気がした。

この十日ちょっと、比較的に穏やかでいられて、日に4錠飲んでた安定剤が、1,2錠になったのは、この句のおかげなんだ。

 

同じ24時間なら、自分の努力ではどうにもならないダークサイドに目を向けないようにして、大好きな相方と二人で暮らせているだけでも幸せなことだと感謝して生きていこう。

もし、彼が先に逝っても、目がつぶれるほど泣いて泣いてしながら、大好きな人と何十年も一緒にいられたことは幸せな事だと自分に言い聞かせよう。

それからの一人ぼっちの余生を、死ぬことなんて考えないで、前を向いて生きて行けるような人間になりたい。

 

この句のお陰で余生の過ごし方に光が差した。

 

鶴を抱いて生きて行こう。

結果 

昨日、16日と18日の句会の結果を書くつもりだったのだが、18日の疲れが残り、午前中は横になっていた。

午後もだらだら過ごし、晩御飯も作る気力が出ず、スーパーのお弁当買って済ませてしまった。相方には「ゴメンね。明日はきっと作るから」と謝った。

 

さて、今日も寝不足だが、身体はまだましなので、句会の結果をお知らせする。

 

16日のH句会は5句出し、兼題は「アカシヤの花」と「草笛」、主宰の並選3と副主宰であるわたしの先生の並選2で、うち1句はお二人の並選がかぶった。

 

まず、かぶった句から。

兼題2句は用意してあったから、出句まで1時間半の間に3句作ればいい。

普段なら、みなさんが持ってきて下さった嘱目の植物や写真などを全部見てみて、その中でも気になるいくつかを何度も見たり触ったりし、徐々に3つに絞ってゆく。それらから何かを感じ取る、というより、あちらの方から何かを訴えかけてくれるのを聞いて、それを句の形にまとめていた。時間にもゆとりがあった。

でも、16日はまだわたし自身の調子が悪かったせいだろう。嘱目の芍薬がとても綺麗な色で、小ぶりだが花弁の数が多くてその重なりも興味深かったのに、集中力に掛けたのか、なかなか句の容に治まってくれなかった。

残り時間5分くらいで無理矢理、句にした。

芍薬の花幾重にもなほピンク

芍薬」は初夏の季語。お二人の選がいただけるとは思いもしなかった。

 

2句目は主宰が並選を下さった句。

アカシヤの花咲く実家売りに出し

兼題の「アカシヤの花」も初夏の季語。母が亡くなり、住んでいた家を売ることになった。毎年、花を咲かせていたのはアカシヤではなかったが、こういう創作上の嘘はOKなのだ。でも、季語が軽んじられている感じがするのでよろしくないな。

 

3句目も主宰の並選。

独り身の叔母の草笛高く低く

これも兼題で「草笛」は夏の季語。父の妹だった叔母は結核で生涯独身だった。彼女が吹く草笛は寂し気で、今も耳に残っている。

 

4句目は先生の並選を頂いた句。

ゆすらの実みんな似てゐてみな違ひ

「ゆすらの実」は当日、生まれて初めて見た植物の実で、1センチ前後の赤っぽい実が細い枝にびっしりなっていた。仲夏の季語で「山桜桃の実」「山桜桃(ゆすらうめ)」「ゆすら」とある。この句も締め切りぎりぎりで何とか形にした。

 

選に漏れたが、嘱目としてテーブルの上にあった朝顔の種を晩春の季語の「種蒔(たねまき)」として詠んだ句。

何色が咲くか楽しみ種を蒔く

これは主宰方の選には漏れたが、互選で5人もの方に選んでいただいた。

で、これこそ締めの1分前に書いて出した句だった。

難産だったので、ちょっと嬉しかった。

 

今から遅めのお昼にするので、18日のN俳句教室の結果は、午後に元気があったら書きます。

 

今、2時過ぎ。3時から買い物に行くことになっているので、大急ぎで18日のN俳句教室の結果を書こう。

 

N俳句教室は5句出しで兼題は「豆飯」と「中」(これは季語ではない)。

先生の特選1,並選4。わたしにしては上出来だ。

 

まず、特選をいただいた句。

聖五月小箱の中の臍の緒よ

「聖五月」が初夏の季語。5月はカトリックでは聖母月、マリア様の月だ。

先日、引き出しの整理をしていたら、奥の隅に小箱を見つけた。娘の臍の緒だった。

出産は長く痛く苦しかった。でも、看護師さんに「安産でしたよ」と言われ、これで安産なら、難産の方々はどんなに苦しまれるのかと思った。母はみな、偉大だ。

 

2句目。ここからは並選を頂いた4句。

あたりまへの日のありがたさ豆ごはん

「豆飯」は初夏の季語。歳時記の例句に「豆ごはん」も季語として使われている。

この半年ばかり色々あって、心身共に弱ってしまったわたしの、本当の本当の気持ちだ。

 

3句目。

パトカーのサイレン止まず走り梅雨

「迎え梅雨」の傍題で、初夏の季語。近所に区の警察署が移転してきたので、パトカーのサイレンを聞かない日はない。鬱陶しい。

 

4句目。

あめんぼの心はどこに脚ばかり

「水馬(あめんぼ)」は夏の季語。あめんぼうも悩むこと、あるのかな、楽ちんそうでいいなあ って思った。

 

5句目。

黒南風やここしかなくて帰る家

黒南風(くろはえ)は仲夏の季語。暗く陰鬱な梅雨空の時期に吹く南風のこと。

1か月ほど前、精神状態が最悪だった頃、そんなわたしをほったらかして、相方が朝からソフトボールへ行って、その後の飲み会も行ったらしく、午後3時になっても帰ってこない日があった。わたしが鬱陶しくって、一緒にいるのが辛かったのだろう。

その時、わたしは見捨てられたと思った。嫌われたんだと思った。

わたしはここにいる権利がない と思ってしまった。

電車に乗って街へ出た。何の当てもなく歩いていたら、男物のパジャマが目に入った。古くなったのを買い換えなきゃ と思っていた。で、それを買い、ぶらぶらしたが、家には帰れなかった。でも、足は自然と駅に向き、電車に乗った。5時半ごろ、電車の中でLINEが入った。彼からだった。「帰って来たよ。今、どこ?」「電車」「早く帰っておいで」

家に入り、彼に聞いた。「わたし、ここにいてもいいの?」「あたりまえやろ」「ごめんね、精神的に弱くて、あなた、鬱陶しくっていやでしょ」と言って泣いた。

彼は椅子から立ち上がり、わたしをぎゅっと抱きしめてくれた。

その時の句だ。

 

以上が最近のわたしの句会の結果である。

長すぎたね。

すみません。

久しぶりの句会

この所、ちょっと精神的にましな状態にあり、安定剤の量を減らしている。

毎朝、怖い夢を見ていたのが、不安な気持ちで起きる程度になった。

そりゃ、前夜から何時間も安定剤が入ってないんだから、不安感や鬱っぽさがあって当然。

少々眠くても起きて、顔洗い、食前の薬を飲み、着替えて と動き出す。そしたら不安感は徐々にマシになってゆく。

そのまま、午後まで大丈夫な日もある。何かに気を取られていると、夕方までもつこともある。

 

16日のH句会に久しぶりに出てみた。兼題(前もって出されている季語で、宿題みたいなもの)で2句、用意してあった。後3句は当日、みなさんが持ってきてくださる嘱目(花瓶に挿した植物や籠に入った虫、祭りの写真、歌舞伎のパンフレットなど季節の物)を見て、その場で俳句を詠む。これがわたしはワクワクして大好きだったのだ。

でも、16日はいつものように見た物から訴えかけてきてくれなかった。2時半の締め切りぎりぎりで、何とか3句作り、5枚の短冊状の細長い紙に5句大急ぎで書いて出した。

 

本日、18日はN俳句教室の日で、こちらは1か月ぶりで、みなさんにご挨拶したが、新しく加わった方がいらしたりして、ちょっと戸惑った。

でも、こっちは兼題2の5句出しで、昨夜まで唸り倒して詠んで、用意はしてあったから、ちょっとは安心。

 

両方の結果は、また、明日にでも書きます。

純粋に体がしんどい。

今日は晩御飯のお弁当買ってきたから、それを食べて、ちょっと横になります。

 

では。