めまぐるしい週末

週末に復讐するかのように交通費つかいまくりで

移動している(いま5月の家計簿まとめたついでにこの週末の消費もまとめた)

 

たくさんうごいてると印象が分散するのでもったいなくも忘れかねないので

メモで振り返りをしたい(重複してもいいから)

それこそ

橋本治の軌跡を振り返るのことを展示をみてそれを知ること雰囲気

ですけど

やっぱり著作というよりもその時代をうつしているのものは

「雑誌」だと思うわけですよヤングサンデー明星広告批評

それこそ「文化人タレントスター」として平凡明星が

橋本のカラーグラビアとインタビューページをつくり

ヴェルサーチの服きて広告批評の表紙をかざり

ヤングサンデーで若者あつめて夏合宿やって

(こころない投稿で連載はおわりになったけど)

 

しかしそれでもああいう展であっても本人の性的な面

については生前に本人が明確にカムアウトしたわけじゃないから

語ることができないのね

そうでしょうとも

 

それ自体はそんなに大したことじゃない

三島由紀夫が実際どうだったかとかいまさらわからない

 

・新幹線で移動することそのものはオレはそれが好きであるとしか

いいようがない

姫路のまちはほんのちょっとしか滞在しなかったが

あとで調べると「納屋文庫」さんの店が姫路にあるようで

あーだったらいけばよかったと思う次第であり

またチャンスをもっていくしかない

オレは全国の個性ある書店古書店がみたいのである

その棚をみたいのである

品揃えこそ書店の命

それはそれこそ汽水空港さんでそう思ったね

あの迫力

まさに

 

・三宮須磨垂水

ついったで垂水のわるくちかいたが

まあ

神戸も大きいからその全貌なんて住んでいたってわかんねえ

でしょう

ましてや旅するオレがそんなこと知るわけない

でもたぶんなんかこう

海ぞいに細長く東西に家をたてていくしかない(さもなくば

傾斜地しかない)というこの神戸の土地は

難しいな・・っておもったりする

なんで山陽電鉄とJRは並行してはしってんの>?

とかね

まあJR中央線と京王があるみたいなもんか>?

 

三宮の都会っぷりはすごいねと思うのだが

ここで

ポートピアに「住んで」る人はどのくらいいてどういう気分なんだろう>?

東京で「台場に住んでいます」の人とは比較できるのだろうか>?

とか考えてしまうね

 

まあ

 

・映画をこだわってこれは見なくてはと思うもの

それこそトラペジウムはどんどん口コミが強まっていくのをSNSでみていたのでみなくては・・・と思っていたしこのまま帰ったらみないかもと思ったら

三宮でみる決断したのは大変よかった(そのせいでロスト・イン・トランスレーションはみれんかったがまあいいだろ)

 

本当にトラペジウムはちょっと21世紀の「高校生女性主人公の主体的な活動」のアニメとして画期的だと思うのである

原作者が現役アイドルだったことのある人物であるという点からしてもね

アイドルの虚構性みたいなものそのものが題材になっている

それはたぶん学問で食っていくオーバードクターの苦労とか

辞書編纂者の苦労とか

いろいろある「職業の苦労」がテーマとつながるフィクションたち

の仲間入りというか

 

・それにしてもこれは

本当にそう思うのだが今回の旅に同人誌「エリーツ 9号 45歳からの思春期」を

もっていって

そこにある文章をよみ

いろんな人が書いているがまあ文章書いて売ってる人が中心で

そしてみな共通して生きのこることはそのことそのものが苦しい

 

と口をそろえて言うのである

苦しい

苦しい

というのである

こいつら皆それぞれみなそれなりに文が売れてるから名前があるやつら

はずなのにどうして皆揃いもそろって苦しい苦しいいうんだ?????

 

とオレは思ったのである

 

まさかとは思うがこの世はすべて全員人類は「くるしいくるしい生はくるしい生きてるのことは苦しいし来住」(くるすみ)

ずっと言ってる

わけ????

 

「たのしいたのしい」と言ってる人はいないの???

オレは一瞬かもしれないけどたのしいたのしいの瞬間があったぞ!?

だからまだ生きていられるっていうのに?

 

まあみなその「一瞬のたのしいたのしい」を隠してるだけかもしれないな

なにしろ

みんな

本当のことなんて口にしないからな

 

オレはオレの日記にほんとうのことを一部書くからね

まあ

すべては書かないが

 

・それこそ「エル・スール」における父というのは

「苦しい苦しい」の人だったみたいなんだよ

オレにどうもうまく伝わらないんだけど

というかオレはオレが娘であるように娘主人公に感情移入して

映画をみていたんだよ

だから「娘の眼から眺める父には謎がたくさんありわからないことたくさん」

と思っていたんだ

 

だからいまでもなんで父が出ていく(家出 とその発展)必然が

あるのか

よくわからないんだ

 

だいたいスペイン内戦後の政治的対立と

過去に愛した女のことが忘れられないことと

両方なのかどっちかなのかそれもわからないんだ

 

しかしまだちゃんとしらべていないが

ちょっとネット検索するだけでも

スペイン内戦後のフランコ独裁の時代の

言論統制というか戒厳令というか個人への抑圧

みたいなのがオレが知るものよりもっと強いというか

厳しいというか暗いというか

 

それこそ軍部が政権をとって弾圧をやると

チリもブラジルもアルゼンチンもどこでも

ギリシャ

トルコも

なんだかほんとに軍という組織をつくってしまう歴史になると

そこから世界はどんどん悪くなるというか

 

世界史ってどうにもやっぱり「国民国家常備軍」からこっち

悪いことだけ起きてるような気がするんだよ

世界革命と呼べる革命は2つしかなかったっていうけど

 

それは革命の定義によるんじゃないの>?

 

まあそれでこの週末という意味では橋本治にもどってくるんだけど

つまり

あの展示をまとめてしまうと

橋本治という人物は自分のもっている違和感から出発して

いろいろ(イラストとか)やっていたが

小説をかいたら受賞して小説家になり

それから文化の社会の既存のそして歴史の

疑問から調べて書くのことと翻訳的古典読解

がすすんですすんで

そして最終的に小説に戻ってきて

小説を書いて

死んだ

ということになっているが実際は舞台戯曲のほうがやりたかったのか

やりたかったんだろうなあとか

ぜんぜんまとまらないのが橋本治である

 

そのくらいまとまらない人物で

 

そのくらいのほうが追いかける(著作を再読する)

のに意欲がわくね

 

 

 

フロいって(スマホ)

ジムフロの入管がスマホ会員証からのQRアイパッドちゃんにかざす方式

になったのでスマホがないと入れま千円

は~~世の中なんでもスマホでやんすやんす

 

まあいいか

 

これから1700 なのでユーフォニアム3期みる

やだねー吹奏楽はソロとるやつがいるからさあ~オケだって

いるけどね~~実力主義をみきわめ評価冷静にできる人材~

 

夢なき人生はおわりの人生~

 

希望はいつも未知数~~

トラペジウムもういっかいみたいなあ~

映画「エル・スール」について

6月2日 パルシネマしんこうえんにて鑑賞

 

古典的名作なのでアレですが

オレは勝手な先入見がはずれたので

よかったです

 

えっと

話は基本的には「娘からみた父」で「父がいなくなった」である

 

後半の「娘が南にいく」話もあるらしいが映画にはなっていない(原作はそうなるらしいぞ)

 

さて

じゃあ父はなぜいなくなったのか)(死んだのか?)

映画の中に「死」って字幕があったのだが・・・・

 

娘・エストレーリャ

8歳

南部から北部にやってきた家族のひとり娘で

家族は父母娘と家政婦の計4人である

 

父は医者であるがダウジングで水脈を探す男でもある(ダウジングのシーンは

よかったねえ=~ああいうの大好き)

 

父は「共和主義」の側で 祖父はそれに反する側(フランコ側ってこと>?)で

その結果として南部にいられなくなって北にきたらしい

なんでもカソリック教会はフランコの側についてたらしいので

父は教会にいきたがらないらしいぞ

 

まあそれで

別に同じ国ではあるので

エストレーリャの「初聖体受領」式のために

南から

祖母と

父の乳母であるミラグロスがやってきて

大騒ぎみたいなシーンもあるんですが

ああ

検索したら聖体拝領っていうんですね

 

まあそれで

 

エストレーリャはわりと活動的なので父のデスクを

勝手にあけたりして女性の名前がかきつけられた封筒を

みつけたりして

それは映画館でポスターでみつけた俳優さんの名前だったことがわかり

わかるけど

その映画をみにいっていた父のバイクをみつけて

映画館の前でまちぶせて父が出てくるのを待ってたりして

エストレーリャって行動がカクシンハン的だよね

 

いまネタバレあらすじを読んできたのだが

やっぱりそうなのね?

ふうむ

 

これは物語が半分になっていることもあるが

オレがどうも画面からの理解をうまくできてない部分も

ありんす

またいつか(あるいはすぐ)みたいものだわ

 

とにかく

まあ

父はともかく

 

ミラグロス

エストレーリャがすごくよくて

とくにエストレーリャ8歳と15歳で

俳優さんちがうんだけど

どっちの女子もすごい表情する方々で

みいってしまうわ

 

あと光の

窓からの部屋を照らす光とか

ホテルのバンケットルームとそのとなりの食堂とか

光がすごいね・・・・絵画そのものってかんじよ

 

まあとにかく名作ってのは謎もありありだね

 

もちろんみてよかった

 

映画「トラペジウム」について

6月1日に三宮OSシネマズミント神戸で鑑賞

とくてん・おおきい東さんのポストカード

 

ひとの評判で「前半がアイドル信仰いきすぎたロボット管理者で

後半がこころいれかえ?」って

いうからそれはヘンな話だなあと思っていったら

みたらその通りだったからこれまたはあ~

 

賛否両論

 

アイドルの神性というか「至上性」というか無謬の価値があると

「信仰」している者に対しては

議論成り立たない

なんしろ無謬だからね

 

ただそこにはいろいろ無数のツッコミどころがあるので

映画を何回でもみたくなるわけで

 

オレが考えるところでは(もちろん他の人もこのように考えている

可能性はあるが考察みまくってるわけでもないしパクりでさえもない)

 

東(あずま)さんは

アイドルをやりたくて

オーディションをたくさんうけて

(その結果については中盤であかされる)

 

いろいろあって「グループアイドル」を「つくる」こと

を目的にした

 

のだがここからが「おかしい」ところであって

 

・目的を他のメンバーに明かさない

・友達になろうよといって接近する

・そのためには自らの嗜好を偽造さえする

そうやって2人をゲットして

最終計画は4人組なので

あとひとりなのだが・・・

 

4人目の子が「むこうから」やってくるのである

ボランティアに情熱を傾けている子ね

ここでも東はボランティアやりたいという意思ないくせに

ボランティア活動するのね

 

あと「城」のガイドボランティアもやるのね

テレビとかの取材にみつかりやすいという意図でね

それは誰にも言わないけどね

だからテレビに「みつかった」あとはボランティア

やらなくなるからね

 

オレはそういう非誠実でかつ倫理にもとるところが

嫌いです

悖るって難しい字だな・・・

 

しかしそれは東ちゃんの「キャラとしての個性」とすべきなのか

「キャラクターとしての欠陥」とすべきなのか

 

オレはこないだ読んだキャラ/キャラクター

の定義を付け焼刃として使おうとしてる

 

なんちゅうか

全体としてはこの話は話なので

話をドライブさせるために東ちゃんの「常人ではおもいつきそうも

ないアイデア」が強調されないといけないと考える

よって他人には意思が無くて私の考える策に従属的にふるまえと

いっそ命令したいくらいに思いつつ必死に命令だけはこらえている東ちゃんの

姿を眺めることが観客にとっての快楽にもなるんですが

 

それって醜悪じゃねえか?

 

そこだけが気になるわけですつまり観客もまたそれを

眺めて楽しむのであれば「共犯」なわけですよ

 

さいわいにも優しさのある3人(南・西・北)だったから

東ちゃんが最終的に恨まれることはなく

意思を操られたと糾弾されることもなかった

「あくまでそれぞれの本人の意思で」アイドルをやっているという形を

のこしたからね

 

そこだけだ

 

あとはアイドルがアイドル性をもって「世界でいちばんすばらしい(意訳)」

とまで言明する東ちゃんの顔の表情をもって

いみじくもその言明こそが狂気そのものだ

って

映画的には表現してしまっているわけだと

オレはそう見たね

 

同じような話で大江健三郎にはミソジニーがあったがそれを

大江本人は必死にかくしていたが映画にしたときに伊丹十三には見抜かれて

しまっているので映画では・・・という話もついったで読んだ

「静かな生活」っていうやつ

若い女性がそれをみるとすごく気分のわるい気持ち悪さになっているらしい

オレは観てみるまでわからないね

 

でもトラペジウムの話にもどるとこの話は

トラペジウムとはなにか

それはオリオンにおける4つの星がフォーメーションをとって

いるようにみえるけどじつはその4つは位置関係や光を放つその時の

ズレがズレておりたまたま地球にとどいた光があのフォーメーションに

なっているだけだってやつなんだって

つまり

そのフォーメーションは一瞬の「ととのい」なんだよ

 

アイドルが4人組で曲をCDにのこすまでの結果を出せたのも

一瞬の偶然になにかがうまくととのって進んでやっただけの

ことだったんだけど

結果は結果で出した

出したんだ

ということが決して悪だけではなかった

という結末を用意してある

のがこの話の救い

救いである

 

写真とる男の子もよかったね

新海誠みたいだったね

 

とにかく映画はみないとわかんないね=~=~

毎回そう思うよ

帰宅(昨日と今日について)

2024

6月1日(土)あさおきて

新幹線で新横浜|~石川町からあるき

元町の高級商店街をあるく(中華街のすぐ南ってことかしら)この裏が

フェリスなのね・・・坂のおおい街だわ

石川町のJR駅も駅でてすぐなんか山くりぬいたトンネルとおるしね

 

「帰って来た橋本治展」みて

新幹線で新神戸をとおり姫路へ

ほんとうは「トラペジウム」を姫路でみるつもりだったが

時間と日のみまちがいでここではやっていない

姫路から折り返し新幹線ー西明石のりかえで垂水へ

垂水の宿へ

 

そっからあらためて「トラペジウム」みたいので三宮に出る(ここで

JRのりすごしてオーバーランして戻る)

三宮で「トラペジウム」みる

ほお==^ー^

最高だね

くわしくは別記

 

そこからJRのるが垂水にはなにもないなあと思っていたので

須磨でおりて餃子の王将で夕食

そして垂水にもどり

スーパー銭湯いってフロで汗ながしてもどって

寝る

なんしょ

スーパー銭湯はものすごい混んでいて

あんなに芋の子をあらうようなフロは東京23区かよ!みたいな

かんじ

 

いやさ

別に安宿はきらいじゃないんだけどなんかが気に食わないというか

フロトイレが部屋になくて部屋にあるのは水道の洗面台

だけだが

そこにコップもないしね

ペットのお茶飲んでたからそのボトルに水くんで

歯磨きしたけどね

どうにもあまり布団の上でごろごろする以外の

くつろぎ方法のない部屋でした

旧いビルみたいなところだったんだよ

まあそう別にそんなに不潔とかじゃないんだけど

なんかね

 

2日(日)

朝にトイレいった(この宿きてはじめてトイレいった)

そしてすぐ出て垂水の駅前ドトールで朝食

若い運動する子たちが日曜でどっかでなんかするらしく集合しては

どこかへと出発していた

へえ

である

オレはJRで新長田へ

ちょっとだけ時間あって南に歩いて旧いアーケードとか写真とって

みたがこれは震災前から?と思ったがそうじゃないだろうな

きっと

 

新長田から地下鉄で

パルシネマしんこうえんへ

朝パルで「エル・スール」みる

不穏だったなあ(最高の褒め)

 

すんで新開地の商店街あるいてこれがせまいながらも

たくさん食い物売るし

くっていける粉モンの店もたくさんあるし

お好みやきとヤキソバと

それから豚まんと 立ち飲みと うどんと なんでもある

しかしちゃんとした栄養のあるくいものはひとつもないね

あじいさんとか

幼児とかばばあとか

そういうのばかりだねということで

 

しかしそういう「中間の年齢層のいない人口集団」ですが

これが日本の現実で

じゃあ

中韓の年齢層はどこにいるのか

若者は^ーもっときれいな巨大な街であそんでいる

ヤングファミリーはー郊外にいるか車ででかけている

ということでがんしょ

日曜だしね

 

いまや都会(東京圏大阪圏)こそが高齢化大集団みたいなもんで

労働者ではなくそこにいる生活者というのは

老人そしてわずかなこどもファミリー

そしてよるべなきミドルシングルたちがたくさんいるだけのそれ

なんだろうと思うよたぶんね

神戸もまたおしゃれ神戸じゃない生活神戸は例外ではなく

そういうお先まっくら人口集団なんだと思う

たぶん

 

そういうイメージを観た

 

勝手にイメージをみているだけかもしれませんがね

 

新幹線で帰宅した

さて映画感想でも書くか